Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn-   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は有栖川(ありすがわ)(れい)
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 キタロー:香月(こうづき) (さとし)⇒妻・岳場ゆかりが所属する個人事務所の社長であり、シャドウワーカーの非常任職員。気付いたらマルチタレントになっていた。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。

・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。


Bloody Destiny -Unbreakable tie-
神様なんか嫌いだ


『――危ない、■■■!』

 

 

 ノイズ塗れの世界に響いたのは、凛とした“彼女”の声。

 

 世界の真ん中で、“彼女”が身に纏っていた黒衣が翻る。どうしても目を逸らすことができなかった、鮮烈な色。唯一無二の色彩。

 次の瞬間、“彼女”は地面に投げ出されていた。倒れ伏した“彼女”は、眼前の敵と戦うどころか、生きているかすらも怪しかった。

 

 一瞬だった。攻撃が迫りくる中、“彼女”は“自分”の前にその身を滑り込ませた。敵の攻撃から“自分”を庇ったのだ。

 『嘘だ』、『何故、どうして』――“自分”の思考回路を塗り潰したのは、現実や事実に対する拒絶であり、“彼女”の選択に対する疑問。

 どう考えても悪手であった。“彼女”こそが、この戦いにおける要だった。狂った優しさによって生み出されんとする偽の楽園を打ち壊す存在だった。

 

 

「怪盗団の司令塔は倒れ、唯一残っているキミも満身創痍……いいや、戦闘不能、かな?」

 

 

 黒幕は相変わらず穏やかな調子を崩さなかった。規格外のペルソナを持つ男は、取り巻きの触手共々健在である。“自分”たちが死に物狂いで与えたダメージなど、奴らの前では無意味に等しい。

 それに対し、こちらは屍累々だ。戦闘不能者が8人と1匹。司令塔に至っては、生きているかも定かではない。“彼女”に庇われた“自分”だって、体力も精神力も残されてはいなかった。

 

 

「無理もないか。キミにとって唯一無二の拠り所を失ってしまったのだからね」

 

 

 悔しいが、黒幕の言うとおりだった。口では否定したけれど、今の“自分”が何を言っても強がりにしかならなかった。最早、虚勢としての機能も果たさなかった。

 “彼女”さえいれば、逆転の目はあった。倒れ伏す仲間たちを立ち上がらせることもできたし、黒幕を倒す力だって充分にあった。――それなのに、それなのに!!

 

 満身創痍の“自分”が残されても、どうしようもなかった。“自分”の価値が如何程か、“自分”自身がよく知っている。

 

 生きていた頃から、誰かの人形として使い潰されるだけの人生だった。父親にとっても、黒幕として降臨した神にとっても、“自分”は『都合のいい駒』でしかなかったのだ。死んだ後でさえも解放されなかった。後からひょっこり現れた人間の黒幕によって無理矢理叩き起こされ、“彼女”を楽園に捕えておくための餌にされた。

 黒幕は“彼女”の重要性を知っていた。“彼女”こそが、奴が作り上げた楽園という名の檻を打ち壊す存在なのだと理解していた。だからこそ、奴は楽園の存続権を勝ち取るため、強硬手段に打って出た。『狂った楽園を受け入れるか、“恋人(自分)”が死んでいる現実へ帰るのかのどちらかを選べ』なんて質問を投げかけたのだ。

 “彼女”のお人よしっぷりは、騙し合いをしていた頃から知っていた。殺し合いを繰り広げても尚、“自分”のことを相変わらず「好きだ」と言ってのけるような馬鹿だった。“自分”が生きていたと聞いて誰よりも喜んだ人だった。――とんでもない大悪党が辿った『当然の結末』に対して、涙を流して悲しんでくれた、唯一の女性(ひと)だった。

 

 

『“キミ”は身勝手だ! 私のことを手酷く裏切っておいて、認知の私を躊躇いなく撃ち殺しといて、本人の目の前で『“僕”は“キミ”のことが嫌いだ』だの『屋根裏部屋のゴミ』だのと盛大に詰っといて、大事なことを最後まで何も言わずに隠し通した挙句勝手に消えようとして、“私”の気持ちや葛藤を『この程度の問題でしかない』なんて切り捨てて!』

 

『最後は“自分”の所業すべてを棚に上げて『“僕”を裏切るな』!? ふざけるのも大概にしてよ。なんで“私”だけ『“お前”の理想像』でい続けなくちゃならないんだ! “お前”は好き放題、勝手気ままにした挙句、“私”を置いていく癖に……!!』

 

『――だったら“私”だって勝手にする! 黒幕を倒して現実へ帰ったら、死ぬまでずーっと独身貫き通してやる! ずっとずっと“お前”のことを想いながら、“お前”のことを忘れないまま、前を向いて生き抜いてやる! 約束が果たされる瞬間まで、生きてる限り、ずぅぅぅぅっと待ち続けてやるんだ!!』

 

 

 『だからここでは絶対手袋帰さない! 全部終わったら、ちゃんと自分で取りに来い!!』と息巻いた“少女”の泣き顔が頭を掠める。

 

 あのときは『不細工な泣き顔だね。まったくもって見苦しい』と茶化したけれど、一番見苦しかったのは“自分”の方だった。“彼女”の泣き顔を見て、不覚にも嬉しいと思ってしまった。“彼女”がした馬鹿な宣言を撤回させなきゃいけなかったのに、早々に諦めた。挙句、“彼女”の言葉に乗っかって、『勝手にしろ』と言ってしまった。渡した手袋を回収しなかった。

 “自分”は、身勝手な理由で多くの命を奪ってきた犯罪者だ。多くの人の未来を奪い、歪ませ、壊してきた張本人。そんな“自分”が最後に壊すのは、この世界――狂った楽園だ。もう何も奪われたくなかったのだ。闇の中を彷徨い歩いて、手を汚した果てに見つけた眩い(彼女)を。人形を辞めて得た破滅(自由)を。優しくない世界で手に入れた、唯一無二の愛する人(オタカラ)を。

 

 

「――キミの負けだよ、■■くん」

 

 

 ――ああ。

 

 これが、偽りの現実へ抗うことを選んだ者たちの結末なのか。

 壊すことしかできない癖に、壊すことすらできなかった人形への罰なのか。

 

 『羨望と愛憎を向けた“彼女”の唯一になりたかった』という意地/我儘の末路なのか。

 

 

(――教えてくれ、“■■■■■”)

 

 

 知ってしまった。『なかったことにしたい』と願う人々が、何を思っていたのかを。何を考えて、くだらない妄想の檻へ引きこもろうとしたのかを。

 知ってしまった。『どうして自分が生き残って、死ぬべきではない人物が死んでしまったのか』という絶望と罪悪感が、如何なるものであったのかを。

 知ってしまった。“自分”では、彼女の導き手になるには、あまりにも役として力不足だったのだと。だから、こんな結末に至ってしまったのだと。

 

 

(どうしてお前は、最後の最後に“()()()()を選んだんだ)

 

 

 “自分”の疑問に答えてくれる声は、もう二度と聞こえない。

 

 溢れだした眩い光は、“自分”の疑問ごと世界を塗り潰していく。

 何にもなれなかった“自分”の断末魔は、薄れゆく意識と共に消えていった。

 

 

 

◆◆◇

 

 

 

 

「――ッ!?」

 

 

 ――夢を見て、目が覚めた。

 

 内容は覚えていないが、妙に胸が苦しい。肺が痛くて息ができない。背中は汗でびっしょりだった。訳もなく溢れる涙が止まらない。身体の震えと滲む涙を抑えるまで、数分の時間を要した。

 頭の中で残響が木霊する。己の価値を問い続けるそれは、自責と悲哀で彩られた叫びだ。手を伸ばしても掴めなかった希望への未練だ。目の前で大事なものを亡くした“誰か”の、抑えようのない慟哭。

 

 

(……また、あの夢か)

 

 

 僕は大きくため息をついて体を起こす。体は汗でびっしょりと濡れており、シャツが肌に張り付いて非常に不快であった。

 現在時刻は午前6時30分で、起床予定の時刻より1時間程早い。早起きは三文の徳とは言うが、今回はプラスマイナスゼロになりそうだった。

 計算上、風呂に入って汗を流し、身支度をしている間に予定時刻を迎えるためだ。むしろ、風呂に入る手間がある分ロスかもしれない。

 

 本来だったら、浮足立った気持ちで目が覚めたはずだ。今日は春期休業の初日。カレンダーにはでかでかと星マークがついている。――記されている予定を見ていたら、自然と口元が緩んできた。なんとも現金なものである。でも仕方がない。僕だって、青春真っ盛りの学生なのだから。

 

 

(そうと決まれば、さっさと身支度しないと。今日は黎が東京にやってくる日なんだから!)

 

 

 今の僕の姿は、『恋人との逢瀬へ向かう男』としては論外レベルである。体は嫌な汗でびっしょりだし、顔色も悪い。意味もなく泣き続けた影響か、目元は薄らと赤らみ腫れぼったい。

 大好きな女の子の前では格好良くいたいのだ。男の子には意地がある。普段から無様な姿ばかりさらしている身としては、猶更。僕はクローゼットと箪笥から着替えを見繕い、表情を引き締めた。

 

 部屋の外からはじゅうじゅうと何かが焼ける音がする。それに紛れて聞こえるのは、何か――十中八九野菜だろう――を切るリズミカルな包丁の音。今日の食事は何だろうと思案しながら扉を開ければ、俺の保護者が手慣れた手つきで朝食を作っているところだった。

 今日のメニューは洋食だ。こんがりと焼けたトーストに、半熟のスクランブルエッグ。ウィンナーソーセージには綺麗な焦げ目がついていて、湯気が漂っていた。レタスとトマトを中心にして使われたサラダに、数多の野菜と鶏肉を煮込んだスープが並ぶ。それを見た途端、反射的に喉が鳴った。

 口の中に唾が滲んできた。気のせいか、腹の虫が堪えきれぬと鳴いた音もする。蝶が花の蜜に誘われるが如く、俺はふらふらと階段を降りてキッチンへ足を踏み入れていた。調理に夢中だった保護者――至さんも、俺が降りてきたことに気づいたようだ。もうすぐ三十路のくせに、彼は子どもっぽい笑みを浮かべた。

 

 

「おう、おはよーさん。珍しく早いな。……ああ、今日が“あの子”とのデート日か?」

 

「……う、煩いな。俺が誰とどこで何をしようと勝手だろ」

 

 

 一発で地雷を踏みぬかれ、俺はしどろもどろに返事を返した。多分、この保護者には照れ隠しのごまかしなど通じないだろう。

 

 果たして俺の予想通りだった。至さんは、まるで自分のことのように上機嫌になる。でれっでれに笑ってた。

 “人の幸福も不幸も問わず、己のモノとして共有する”という点は、彼にとっての美点であり弱点だ。

 

 

「あれ、食べないの?」

 

 

 いつもの僕だったら、何の迷いもなく椅子に座って朝食を食べていただろう。

 至さんもそのことをよく知っていたから、僕を心配して声をかけてきた。

 

 

「食べるよ。でも、その前にシャワー浴びようと思って」

 

「また、例の夢を見たのか」

 

「……うん。最近また、頻度が増えてきたんだよね」

 

 

 ごまかしても無駄なので、僕は素直に頷いた。……有栖川家の関係者には、僕の異常を察知する機能でもついているのだろうか。

 

 幼少期――正確に言えば、今から12年前あたり――から、僕は奇妙な夢に魘されていた。夢の内容は目が覚めると殆ど忘れてしまうけれど、胸を刺すような喪失感と悲哀は残っている。同時に、得体の知れない焦燥感に駆られるのだ。「早くなんとかしなければ」という強迫概念で頭が一杯になるのに、「解決方法は何もない」と本能的に理解し、途方に暮れてしまう。

 幼い頃、この夢を見る度に、僕は“誰か”から責められているような感覚に見舞われた。僕の存在そのものを全否定されているような気持ちになった。怨嗟の如き怒りは、母の葬儀で目の当たりにした大人たち――特に、僕の祖父に当たる老紳士と似通っている。彼が『お前のせいで娘が死んだ』と怒りをぶつけてきたときの光景が頭によぎるのだ。

 

 けれど最近になって、夢を見た後の感覚が変わってきた。『僕自身が“様々な事件”に巻き込まれ、年を重ねて成長した』というのも、夢への所感が変わってきた理由だろう。

 己の価値を問い続けるそれは、自責と悲哀で彩られた叫びだ。手を伸ばしても掴めなかった希望への未練だ。目の前で大事なものを亡くした“誰か”の、抑えようのない慟哭。

 珠閒瑠市で発生した事件の影響もあって、「あの夢は僕を責めるだけのものじゃない」と思えるようになった。「お前はどうする?」という問いかけも含まれているように感じたのだ。

 

 

「“滅びの夢”のこともあるし、気を付けることにしてるよ。ニャルラトホテプみたいな輩がまた動き出そうとしているのかもしれないし」

 

「……そうか」

 

 

 至さんは複雑そうな顔をした。

 何かこう、嫌な予感を察知しているような顔だった。

 

 過去のとある出来事から、彼は“異形が原因で発生した事件に巻き込まれる”という宿命を背負う羽目になった。故に、至さんは“そういう事件”に対しては敏感なのだ。今僕が名指ししたニャルラトホテプ――クトゥルフ神話に登場する神格の1つ――も、嘗て大きな事件を引き起こした異形――所謂『神』や『破滅の権化』の一体であった。

 僕らは何度も事件に巻き込まれている。12年前の御影町で、10年前の珠閒瑠市で、7年前の巌戸台で、4年前の八十稲羽で、“悪神”/“破滅の権化”によって齎された世界の滅びと対峙する羽目になった。数年単位で滅亡の危機に陥っていることを知っている人間は、僕と黎や至さんたちを含んだ一握りだけである。

 『“神様が人間に対して試練を与えた”結果、その副産物として、大規模な怪異事件を引き起こした』ケースがあった。『破滅の権化に魅せられた人間の暗躍によって、封印または眠っていた神が目覚めてしまった』というケースもあった。どちらにしろ、対峙した僕ら全員の頭が痛くなるような案件であった。

 

 

「俺たちが思っている以上に、世界は危機を迎えてるからなあ」

 

「そうして、誰にも知られないまま、誰かが世界を救うんだよね……」

 

 

 僕らは顔を見合わせ、苦笑しあう。今度はどんな事件が発生するんだろう。考えるだけで頭が痛くなった。

 

 件の経歴から、至さんは“歩くトラブルサーチャー”と呼ばれている。彼が足を踏み入れた地では、必ずと言っていいほど怪異事件が発生するためだ。

 しかも、事件の首謀者および黒幕は善悪意問わず『神』と呼ばれる者たちの仕業か、悪意を持った人間たちに惹かれて顕現してしまった『破滅の権化』だった。

 至さんが怪異に首を突っ込んでいくのか、怪異が至さんを呼んでいるのか――答えはその両方である。彼の生まれからして、それは仕方がないことらしい。

 

 どうにもならない物事に対する諦め――もとい、開き直り半分と反骨精神が、空元至という人間の“(いのち)”を突き動かす理由だ。

 

 

「風呂に入るんだったら、そろそろ急がなきゃマズいんじゃないのか?」

 

「そうだね」

 

 

 至さんの指摘に頷き、僕は風呂場へ直行した。寝間着と下着を洗濯機へ放り込む。シャワーを浴び、頭と体を洗い、風呂から上がる。

 服を着替え、ドライヤーで髪を乾かし、手早くスキンケアを済ませた。鏡に映る僕の姿は、どこからどう見ても格好いい好青年である。

 

 ――これならば、黎と一緒に並んで歩いても問題ない。誰かにそれを咎められることも無いだろう。

 

 

(よし、完璧)

 

 

 洗濯機のスイッチを押し、僕は意気揚々とダイニングへと戻ってきた。僕がいつも座る場所には、至さんが用意した朝食が並んでいる。

 至さんは既にエプロンを外し、いつもの定位置に腰かけて朝食を食べていた。リモコンのチャンネルを回しては、朝のニュースを確認している。

 

 トップとして報道されていたのは自動車事故だ。現場は遮蔽物も対向車も何もない、直線状の道路。()()()()()()事故など発生しないはずである。なのに、普通乗用車は道路標識に激突していた。

 余程スピードを出して突っ込んだのだろう。白い普通乗用車のフロント部分がぺしゃんこに潰れている。硝子は粉々に粉砕され、道路標識は真っ二つに折れ曲がっていた。赤黒い染みがちらつく。

 あの様子では、運転手も無事ではなかろう――俺の予想は正しかったようで、【死亡】と銘打たれたテロップと共に顔写真と名前が映し出される。死亡した運転手の勤め先を見て、俺は思わず目を瞬かせた。

 

 

「あの会社……確か、南条コンツェルンの傘下企業だっけ? しかも、役員か……」

 

「…………」

 

「至さん?」

 

「……あいつ、南条くんから“横領の疑いアリ”って言われてた奴だったなーって」

 

 

 「丁度、奴の金の行方を追っかけてるところだった」と零しながら、至さんは何かを探るように目を窄めた。

 

 至さんの本業は怪異関連の一件を調査する調査員だが、平時は南条コンツェルン関連企業を調査している。前者の事件がホイホイ起きるようなことは、()()()()()()()()()()()まずあり得ないだろう。「そんな事件など起きない方がいい」と本人は笑う。今回もそうやって笑い飛ばせればよかったのかもしれないが、彼の表情は晴れない。今までのケースを思い返せば、至さんの憂いは当然のことだ。

 セベク・スキャンダルの首謀者神取鷹久を乗っ取ったペルソナにして、珠閒瑠市で発生したJOKER呪いの元凶であり破滅の化身ニャルラトホテプ。桐条グループの桐条鴻悦およびエルゴ研が行った負の実験によって顕現してしまった死と滅びの権化ニュクス。八十稲羽の土地神が持っていた「人間の望みを叶える」側面が暴走した結果、人間の「真実を見ようとしない」側面として顕現したイザナミノミコト。

 歴代黒幕だけではない。人間の支援者にだってやべえ奴はいる。その筆頭が、人間の光――正の面を司る善神にしてニャルラトホテプとは表裏一体を成す者・フィレモンだ。ニャルラトホテプと対になっているという時点でもうアウトである。……最も、12年前の僕たちは奴の危険度合いを知らなかった。珠閒瑠の一件がなければ、今でも僕らは奴を味方だと認識したままだったろう。

 

 具体例を並べてみたが、総じて碌なものではなかった。俺でさえ頭を抱えたくなる事件が大量発生したのだ。

 百発百中のトラブルサーチャーにとっては、頭が痛くなるほど狂っちまいそうだろう。

 

 

(これだから、『神』は好かないんだよ)

 

 

 俺がそんなことを考えながら朝食を平らげたときだった。スマホのランプがチカチカと点灯する。見れば、チャットに連絡が入っているところだった。

 差出人は黎だった。彼女は連休や長期休みを利用し、東京へと遊びに来る。あと2時間後――予定時間通りに待ち合わせの場所につくという連絡だった。

 何を察知したのやら、至さんはニッコニコと笑っていた。俺に父親なんてものはいないが、多分、実在していたら彼のような奴なのかもしれない。

 

 いや、語弊がある。実父が誰なのか、俺は知っているのだ。……ただ、その本人とは、実際に接触したことがないだけで。

 

 

「俺は、お前と“あの子”のことを応援してるからな。……但し、勢い任せの無計画な――」

 

「――分かってるよ。俺が一番、そのことを分かってる」

 

 

 ……俺は、無計画で、自分の欲望しか考えなかった男の身勝手によって生まれ落ちた“望まれない子ども”だ。

 そんな子どもがどれ程惨めで辛い人生を歩むのか、俺はその一端に触れたから、“多少は”分かっている。

 

 

『お前さえいなければ、あの子は死なずに済んだんだ! お前が殺したんだ!』

 

『お前さえ生まれてこなければ、私たち親子はずっと幸せでいられたのに……!!』

 

 

 母の葬儀で、僕にそう言い放った老紳士の言葉が脳裏をよぎる。

 ……彼が亡くなったのは、今年に入ってすぐだったか。

 

 件の老紳士は僕にとって祖父に当たる人物だったが、彼は僕のことを恨んでいた。母を捨てた男の血を引き、母が若くして命を落とす遠因となった存在である僕を受け入れられなかった。丁度半年前に妻を亡くしたばかりだったことも、老紳士が荒れた理由だったのかもしれない。

 彼の言葉を皮切りにして、親戚たちは僕の目の前で言い争いを繰り広げた。自分たちの都合を主張し、『要らない子ども』である僕の押し付け合いを始めたのだ。当時高校生だった至さんと航さんが僕を庇ってくれなければ――彼らが『僕の面倒を見る』と言わなければ、俺の未来は一体どうなっていたんだろう?

 尊敬できる兄貴分兼保護者の至さんや航さんに合わなければ、必然的に、僕にとって1番大切な女性(ひと)である黎にも会えなかった。3人との出会いがなければ、聖エルミン学園高校で起きた“あの怪異事件”と遭遇することもなかっただろう。あの事件がなければ、珠閒瑠、巌戸台、八十稲羽の怪異事件に巻き込まれることもなかったはずだ。

 

 怪異事件に巻き込まれたという点では、俺の人生は大分歪んでしまったかもしれない。でも、かけがえのない人と出会えたという点では、俺の人生は充分すぎる程恵まれている。

 

 そういう意味では、俺は運が良かったのだ。本来なら、誰からも望まれなかった子どもとして扱われていたはずだ。世間からも疎まれていただろう。もしかしたら俺は、父や世界へ憎しみを抱いて暴走し、袋小路に迷い込んでいたかもしれない。

 

 

「俺は、俺と母さんを捨てたクソ親父とは違うんだ。彼女のことは絶対幸せにする」

 

「……だよなぁ。余計な心配だったな」

 

 

 俺の答えを聞いた至さんは満足そうに笑い、自分のコーヒーに角砂糖を投入した。

 4個入れても飽き足らなかったようで、牛乳をなみなみ注ぐ。最早カフェオレと化していた。

 

 俺を身ごもった母を手酷く捨てた実父のことを、俺は反面教師に思っている。俺や母を捨てたあんな奴と、俺は違うのだ。あいつが切り捨てたものすべてを手にした上で、あいつ以上に幸せになってみせよう――そう決意したのは、いつのことだったろうか。

 今ではそんな復讐は2の次3の次になっており、俺は俺の持つ小さな世界で満足していた。コミュニティ的に考えれば小さくはないのだろうけど、俺の手の中に納めておきたいと願う大切なものたちという意味では、小さな世界と言えるだろう。

 俺には信頼できる愉快な保護者がいて、正義を貫く格好いい大人たちがいて、心を許せる相手もいる。特に、黎は俺にとって“特別な女の子”だ。運命なんて信じちゃいないが、彼女には酷く惹かれるものがある。奇妙な懐かしさと親しみを感じるのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と――……?

 

 

(……え?)

 

 

 不意に、スマホを握っていた俺の手が二重にぶれる。べったりと付着したのは血飛沫だ。脳裏にフラッシュバックするのは老若男女の死体、死体、死体。そうして、見覚えのある人物の死体。――ああ、“あの子”だ。俺は本能で理解する。手に残るのは銃の引き金の感触。()()()()()――思わず息を飲んだ。

 次の瞬間、血まみれに汚れた手は幻のように消えてしまった。俺の手は綺麗なままである。“1番大好きな人”に会う前に見る光景にしては、あんまりにも悍ましく悪趣味なものではないか。『神』の嫌がらせでもあるまいし。俺は反射的にケトルを引っ掴んでコップに注ぐと、一気に飲み干した。心臓は早鐘の如く音を立てる。なんだか落ち着かない。

 

 

『――どうしたんDAI!?』

 

 

 次の瞬間、テレビから聞き覚えのある声が聞こえてきて――しかも、その人だったら、平時では絶対に出さないし喋らないようなテンションだったことも相まって――、僕は思わず噴出した。

 

 テレビに視線を向ければ、ニュース番組はとあるアニメを取り上げていた。最近のアニメの中ではかなり意欲的な問題作で、視聴者やファンからは『クソアニメ』という愛称――どう聞いても蔑称にしか聞こえないのだが――で親しまれている作品だ。『声優リセマラ』やら『声優ガチャ』等のホットワードがぽんぽん飛び交っているらしい。

 アニメ番組と謳っていたが、件のアニメはなんだってアリだった。通常のようなアニメーションだけではなく、CGアニメ、クレイアニメ、砂絵や切り絵・フェルト人形等を使ったコマ撮り、外国語版ナレーション、方言でのアフレコ等も豊富であった。中には声優のアドリブや、声優のアフレコ現場をそのまま垂れ流しにする回もあった。パロディからシュールギャグまで、最早何でもありである。

 今回テレビ画面に映し出されていたのは、そのアニメの一場面だった。アニメーションの世界に、実写の人間がしれっと紛れ込んでいる。群青色の髪と宵闇色の瞳が印象的な青年(実写)が、アニメキャラと面白おかしく会話していた。終いには、キレッキレのダンスと歌を披露する有様である。本当に何が起こっているんだ。

 

 

「あ、(さとし)だ!」

 

 

 至さんは懐かしそうに目を細めた。ニュース番組のモニターに映し出されている青年――香月(こうづき)(さとし)は、誰もが知る国民的マルチタレントだ。主にモデルや舞台俳優、役者や声優の分野で活躍している。但し、彼の本業は、妻で現役女子大学生モデルが所属する個人事務所の社長兼妻のマネジメント業務だ。

 最初は事務所の経営と妻――当時はまだ恋人――のマネジメント業務を行っていたが、彼女と交流のあった芸能関係者によってスカウトされたことから、“個人事務所の社長にして自身の事務所に籍を置くマルチタレント”としての道を歩み始めたそうだ。最近は夫婦共演の依頼が舞い込んでいるとかいないとか。

 

 彼が巌戸台で起こった怪異事件で大活躍した人間だと言うことを知っているのも、僕らを含んだほんの僅かな人間だけだ。

 アニメキャラと戯れる理さんの様子からも、世界を救った人間としての貫禄は皆無である。寧ろ、素の彼を思い出すことすら困難だった。

 僕らが知る理さん(ほんらいのすがた)は、くだらない冗談に対して、真顔で「どうでもいい」と言い放つような人だった。

 

 幾ら何でも――例え演技だったとしても――高いテンションで『大丈夫! 僕は時を自由に行き来することが出来るんDA☆』なんて言うようになるとは思えないくらい、徹頭徹尾真顔でいる人だったのだ。

 

 

「……なんでこんな仕事引き受けちゃったの? ……まさか、ゆかりさんを人質に取られたの?」

 

「アイツのことだ。もしそうだとしたら、相手を合法的且つ社会的にぶちのめして、ゆかりちゃんをお姫様抱っこして帰ってくるだろ」

 

 

 思わず馬鹿な想像をした僕に対し、至さんはあっけらかんとした表情で分析した。

 学生時代、理さんが妻――岳場ゆかりさんを取り囲んだ男ども相手に対し、実際にやったことだった。

 

 巌戸台の出来事を思い返している間に、時計は進んでいたらしい。時間は充分余っているが、あのままテレビを注視したり、巌戸台の出来事を思い返していたら大変なことになっていただろう。

 

 

「至さん、帰りは?」

 

「俺か? 俺は……そうさなァ。この大型連休は、所用で帰れなくなりそうだ」

 

「ふぅん……」

 

「だから、ゆっくりしていいぞ。――“あの子”、連休中はここに泊まるんだろ?」

 

「!!」

 

 

 至さんは、何かを察したような生温かい目を向けてきた。俺は反射的に言い返そうとしたのだが、彼が家を飛び出す方が一歩速かった。三十路とは思えない俊敏ぶりである。

 

 慌てて玄関の戸を開ければ、背中にクレー射撃用の銃が入ったケースを背負っている至さんの背中が目に入った。一応の護身武器を持ち歩く限り、所用とは本業絡みであろう。

 彼の趣味兼特技はクレー射撃である。聖エルミン学園在学時は射撃部のエースとして活躍していた。類稀な狙撃能力故に、ついた仇名は“聖エルミンのシモ・ヘイヘ”。

 嘗ては母校に勝利をもたらした男は、世界を救う宿命を負った若者たちを勝利へ導くために戦っている。そんな彼の背中を、僕はずっと見つめてきた。

 

 

「……さて、そろそろ行こうかな」

 

 

 俺は苦笑した後、出かける前の最終確認を行った。スマホとケータイ、財布、その他外出に必要なもの一式を鞄に詰め込んで出発する。目的地は渋谷駅前だ。

 指定された時間よりも早めに待ち合わせ場所に辿り着く。スマホを取り出してグループチャットを開こうとしたとき、視界の端に見覚えのある少女の姿が映った。

 背中辺りまで伸びた癖のある黒髪、凪いだ水面を思わせるような白銀の瞳、色白ではあるが瑞々しく健康的な肌。僕は反射的に顔を上げた。彼女も俺を見つけたらしく、破顔した。

 

 

「黎。随分と早かったね」

 

「吾郎の方こそ。こんなに早く来てるとは思わなかった」

 

 

 僕の元へ駆け寄って来た黎は嬉しそうに頬を染めている。僕も自然と頬が緩んだ。

 

 黎と顔を合わせるのは、本当に久しぶりである。事情がない限りは、実家がある御影町を行動拠点としているためだ。彼女が通う高校は七姉妹学園高校ではあるが、自宅から通学するには充分な距離だった。

 僕が東京の進学校に通っているのは、自分なりに将来設計を考えた結果だ。保護者達には失礼だけれど、血筋や後ろ盾が殆どない僕が使えるのは頭脳くらいなものである。

 

 

(いくら本家の方針が一般家庭と大差ないとしても、周りの連中がそうとは限らないからな)

 

 

 有栖川家のネームバリューを求めて押し掛ける面子を思い浮かべて、僕は内心舌打ちしていた。黎を娶ることで跡取りになろうと企む連中はごまんといる。黎が八十稲羽に向かうことになった僕らに同行するきっかけになったゴタゴタ――40代過ぎの中年オヤジが黎にちょっかいを出してきた事件――は、未だ色褪せていない。

 珠閒瑠に同行するきっかけになったトラブルでは、見るからにヤバイ――目の焦点が合わず、涎を垂らし、呻くだけで言葉を発さず、常に股間を触っているような巨体の男が黎に手を出そうとしていたこともある。異変に気づいた僕たちが法的および物理的手段を講じたおかげで黎の貞操は守られた。

 有栖川家当主曰く、「前者は警察、後者は座敷牢へと送られた」らしい。以来、件の2名に関する話は一切耳に入ってこない。そのことは「しきたり」だの「跡取り」だのと騒いでいた外様の親戚どもにも伝わったらしく、一応奴らは大人しくしていてくれた。閑話休題。

 

 僕と黎は暫し談笑を楽しみながら移動する。学校のこと、友達のこと、東京と御影町の様子――どの話題も楽しくて仕方がない。

 僕たちがそうやって談笑していたとき、不意に男の声が響き渡った。思わず声の方を見れば、選挙カーが道路の脇に停まっている。

 

 

「どうか、清き一票を!」

 

(……そういえば、そろそろ都議会議員の選挙だったっけ)

 

 

 誰が演説をしているのだろう。僕は何の気なしに視線を動かす。

 

 そこにいたのは、頭をスキンヘッドにして眼鏡をかけた男だった。鋭く冷徹な瞳は刃物を連想させる。得体の知れぬ寒気を感じたのは気のせいではない。

 選挙カーの上部には、件の議員の名前が書かれていた。獅童正義――その名前に、その顔に、僕は覚えがあった。あいつは、あいつが、あいつこそが、俺の――!!

 

 

「――吾郎……?」

 

 

 不安そうな声に気づいて振り返れば、黎がじっと僕を見上げていた。灰銀の瞳は僕を案じている。彼女の表情を曇らせるような要素(モノ)は見過ごせないし、許すことができない。たとえそれが僕自身であってもだ。

 

 

「……いや、なんでもない。気にしないで」

 

 

 僕は獅童に背を向けつつ、黎と手を繋ぎ直す。俗にいう「恋人繋ぎ」に、黎は一瞬目を丸くした。恥ずかしそうに視線を彷徨わせたのち、幸せそうに頬を緩ませる。

 彼女の頬はほんのりと薔薇色に染まっていた。それを見ている僕の方まで照れくさくなり、緩み切った口元を抑える。暫く歩けば、獅童の演説はフェードアウトしていった。

 

 大丈夫。彼女がいてくれるならば、僕は平気だ。

 何も怖いことなんてないし、苦しいことなんてない。

 あるとするならそれは、幸せすぎることくらいだろうか。

 

 そんなことを考えていたとき、僕のスマホのランプがチカチカと輝いた。誰かからのメールらしい。黎に断りを入れて、僕はメッセージを確認した。

 

 

“汝、復讐を望むか?”

 

“母を捨て、自分を捨て、人生を滅茶苦茶にした男への復讐を望むか?”

 

“『罰』を下せ。『罪』を犯しながらも、のうのうと生きる罪人どもへ”

 

“汝の憎悪に喝采を。汝の憤怒に喝采を。汝の怨敵に、永劫の破滅を”

 

 

“今この時を以て、『■■』との契約は交わされた”

 

“破壊司る■■■■■■■よ。我が『駒』となる選ばれし者よ”

 

“――汝に祝福を。目覚めのときは訪れん”

 

 

(……なんだこれ?)

 

 

 発信者も不明、意味はもっと不明なメールだ。そのくせ、妙に僕の琴線に引っかかる単語がちりばめられているように感じる。送り主からの悪意が滲み出ているようだ。

 ニャルラトホテプとよく似た気配を感じ取ったのは、奴のせいで何度か煮え湯を飲まされた経験があったためだ。奴本人か、もしくは奴の関係者だろうか?

 

 メールの文面を読み返した後、僕は振り返った。選挙カーを背にして、獅童正義が演説を行っている。熱意に燃える政治家の皮を被った、非道で鬼畜なクソ野郎。僕と母の人生を滅茶苦茶にした張本人だ。

 

 

(そりゃあ、昔の僕だったら、獅童へ復讐したいって考えていた時期はあったさ。今だって、この憎悪が消えてなくなったわけじゃない)

 

 

 獅童は己の理念――「未来を担う子どもたちが安心して暮らせる国にしたい」――を声高に主張していた。……滑稽な話だ。奴は、未来を担う子どもであるはずの俺のことを母ごと見捨てている。獅童は僕を認知しないだけでは飽き足らず、養育費のような金銭的援助を一切行わなかったのだ。

 もしも獅童が最低限の責任を果たしていたら――政治家として貯め込んできた資産の1割でも、母に送っていたならば――、母は僕のために身を削って働く必要なんかなかった。その果てに体を壊して亡くなることだってなかった。もしかしたら、今でも元気に生きていたかもしれない。

 僕だって、大人たちの汚い会話で傷つくことはなかった。老紳士が僕に向けた怨嗟の叫びや、僕を『要らない子』として押し付けあう大人たちの紛糾を見せつけられることもなかった。今でも癒える気配のないトラウマを抱え、それに振り回されるような苦痛とは無縁でいられたかもしれないのに。

 

 ――だけど。

 

 

『キミたちは、何のために生きている?』

 

『倒せるか? 私を。守れるか? 大切なものとやらを』

 

 

 12年前の御影町。スーツを身に纏った男の言葉が脳裏によぎる。

 奴の問いかけに対し、何と答えたのか――僕は今でも、はっきり覚えている。

 あれから幾星霜の時が流れても、僕は決して忘れない。忘れられるはずがない。

 

 

(“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()人間”になりたい)

 

 

 僕の決意は変わらない。文字通り、初志貫徹のために努力を続けている。1番大切な女性(ひと)――有栖川黎と一緒に生きる未来を掴むために、現在進行形で戦っている真っ最中だ。

 

 有栖川に連なる親戚の中には、未だに旧家当主の座を狙う不届き者が跋扈している。黎を攻撃することで継承権を放棄させようと企む者、黎に取り入ることで彼女を傀儡にして権力を得ようと企む者、黎の婚約者である明智吾郎を攻撃することで黎の継承権を奪い取ろうとする者等、やり方は千差万別であった。

 中には、それらの企みを円滑に進めるための手段として、僕と黎を引き裂こうとする輩もいた。実際、汚職政治家の隠し子――周囲は『何らかの理由で、父親から認知されていない非嫡子』と認識している――である僕は、後ろ盾に成り得そうなものを殆ど持っていない。黎にとってのアキレス腱とみなされ、目を付けられるのは当然だ。

 

 周囲の連中が抱える身勝手な欲望――そんなものに負けたくなかった。そんなものによって、僕と彼女が繋いだ手を引き裂かれたくなかった。

 そんなくだらないもののために、1番大切な人を踏み躙られ、共に歩む未来を壊されて堪るものか。幸せを奪われて堪るものか。

 だから戦ってきたのだ。頑張ってきたのだ。こんな汚い世の中でも尚、ささやかな夢や願いを叶えるために。

 

 

(――だから、僕は迷わない。……隣に、黎がいてくれるから)

 

 

 元から怪しいものに手を付けるつもりがなかった。『神』が関わっているなら尚更である。

 件のアプリを削除しようとした瞬間、再び差出人不明のメールが届いた。

 

 スマホが勝手に動作し、メールの内容を表示する。

 

 

“――愚か者め”

 

“契約の破棄は認めない。貴様は我が『駒』だ”

 

“運命から逃れようとした貴様が果たすべき役割はただ1つ”

 

“粛々と、『罪』を犯した『罰』を受けよ”

 

“それこそが、『白い烏』たる貴様に相応しい『破滅』だ”

 

 

“たとえ定めから逃れても、勝負が終わるその瞬間まで”

 

“――逃れられると思うなよ”

 

 

(……タチが悪いな。脅迫文かよ?)

 

 

 文面から漂うのは、怒りと苛立ちだ。送り主からの悪意が滲み出ている。

 間髪入れず、得体の知れぬアプリがダウンロードされた。

 

 

「なんだこれ? ……“イセカイナビ”に、“メメントス”?」

 

『――では、案内を開始します』

 

 

 僕が首を傾げた途端、突如アプリが起動した。僕は反射的に黎を庇う。人がごった返す渋谷のセンター街はあっという間に塗り替えられていった。

 人々の姿はどこかへと消えて、真っ青な空は赤く染まる。代わりに現れたのは、形を取り切れない異形の群れ。悪魔やシャドウを連想させるようなバケモノだ。

 

 揺蕩う黒霧はタルタロスやマヨナカテレビで目の当たりにしたシャドウとよく似ているが、姿形を視認できる奴らの格好は聖エルミン学園や珠閒瑠市で見た悪魔たちと似ている。

 基本、人間のシャドウ以外とは話ができないはずだ。人間とコンタクトを取れるのは悪魔たちだけである。この異界に跋扈している異形どもは、双方の特性を持っているのだろう。

 奴らは僕たちの存在に気づいていない。僕と黎はこれ幸いと距離を取り、角に身を潜めた。戦うための力を持たない自分たちは、こうして奴らを巻くことしかできない。

 

 

「なんだコイツら……!?」

 

「一体、何が……!?」

 

 

 僕と黎は背中合わせになりながら、現状を確認する。一般人のレベルでは「意味不明な出来事」に巻き込まれたからこそ成せる警戒態勢。

 今すぐ、訳の分からぬここ――異形が跋扈する空間から脱出する方法を探さなくてはならない。最低でも、黎だけは無事に脱出させてやらなくては。

 原因はおそらく、先程勝手に起動したアプリのせいだろう。確か、アプリの名前はイセカイナビと言ったか。僕はスマホを開きつつ、必死になって算段を立てた。

 

 “運命なんて、ふとしたきっかけで劇的に切り替わる”。

 

 僕/俺――明智吾郎は、それを嫌という程噛みしめながら生きてきた。生きてきたはずだった。

 そのことを改めて思い出す羽目になろうとは、このときの僕/俺は一切考えが及ばなかったのである。

 

 

 

 

 

 

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 その男の写真を見たとき、真っ先に思ったのは、『どこかで見た覚えがある』だった。綺麗な白髪の髪と立派な眉を持った、どっしりとした面構えの役人だ。
 奴を思い出そうとして記憶を辿る先にちらつくのは、スキンヘッドにサングラスをかけた政治家。去年の12月に対峙した、箱舟を牛耳る巨悪。
 明智吾郎と有栖川黎にとって、絶対に忘れられない怨敵の後ろ姿だ。今となっては、欲望を奪われたことで失われた野心――冷徹な眼差しが思い起こされる。

 ……どうして今更、奴のことが浮かんだのだろう。もう既に、決着はついたというのに。


大和田(おおわだ)(じゅん)、69歳。現在10期目の衆議院議員だ。与党の要職を歴任し、内閣官房長官まで務めた超大物」


 写真を提示した警察官――公安部の警部補は、怨敵を見据えるような眼差しで大和田を睨みつける。
 僕が彼の話を、比較的冷静に聞いていられたのはここまでだった。ほんの一拍置いて紡がれた言葉が、僕の意識を釘付けにする。


「――去年の選挙じゃ、獅童正義の後ろ盾にもなっていたらしい」


 ――ああ。

 ――こんなときに、こんな場所で、奴の名前を聞くことになるとは思わなかった。



―――

前日譚編が始動しました。基本的な流れはリメイク前と変わりませんが、色々と追加・加筆されたシーンがあります。結果、話を区切る場所が、リメイク前の作品より変化しました。
この調子でいくと、次回は歴代シリーズの回想録だけで丸々1話になってしまいそうです。寧ろ、その方が区切りがいいので、それを目安にして加筆修正する予定です。

因みに、この世界のキタロー/香月(こうづき)(さとし)くんのアレは、舞台版ペルソナ3の“中の人”が関わった作品が元ネタとなっています。
素の理は「喜怒哀楽は確かに存在しているけど、あまり表に出にくいため、真顔でいる時間が圧倒的に多い」タイプ。本編後は、(比較的に)表情豊かになる模様。
キタローがあのテンションで喋って歌って踊ったら、素の彼を知っている人間は噴き出すか、腹抱えて笑うか、違いに困惑してドン引きするかの3択だと思う。
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