Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn- 作:白鷺 葵
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
名前:
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
ピアス:
罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
キタロー:
ハム子:
番長:
・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。
唐突だが、昔の話をしよう。
僕の家族は母だけだった。生まれた頃から父親はおらず、頼れる親戚縁者もいない。母1人子1人の生活は楽ではなかったけれど、慎ましやかでも充分幸せだったと言える。母は生計を立てるために、夜の仕事――所謂水商売と呼ばれる業種だ――で生活費を稼いでいた。以前はもっと違う場所で働いていたと聞いたが、詳細は教えて貰えなかった。父に当たる男と出会ったのも、その職場らしい。
母は父に惚れ込んだ。しかし、奴は文字通りの“悪い男”で、僕を孕んだ母ごと僕たちを捨てて去っていった。金銭的な責任も取らずに、だ。母は嘗ての職場を辞めて地元に戻り、肉親に事情を説明したらしい。母が彼らに頼もうとしていたことは、僕を生み育てていくための援助だった。だが、それを申し出る前に、肉親は僕を堕胎するよう勧めてきたという。
母は激怒した。捨てられても尚、母は男への愛を“かけがえのない記憶”と認識していた。僕のことを生んで育てたいと熱望し、その覚悟を固めていたのだ。
堕胎を進めてきた時点で、母の肉親たちは敵とみなされた。『敵しかいない危険地帯になんぞいられない』と奮起した母は、肉親と地元を捨てて飛び出した。
後に、肉親は母を探し当てたが、未だに当時を根に持つ母が彼らを受け入れるはずがなかった。家族仲は壊れたっきり、永遠に戻らないままだった。閑話休題。
『大好きよ、吾郎』
『あなたがいてくれるから、お母さんは頑張れるの』
母は僕を大切にしてくれた。僕も母のことが大好きだったし、早く大人になって母を助けたいと思っていた。――そんな願いが叶う瞬間は、永遠に訪れなかったけれど。
後から聞いた――当時は知らなかった――話だが、母はかなり無理をしていたらしい。病院に入院したときにはもう手遅れで、手の施しようがなかったという。
それでも母は、亡くなる直前まで気丈に振る舞っていた。最期の最後まで、僕の行く末を憂いていた。静かに微笑み、眠るように息を引き取った母の姿を、僕は今でも覚えている。
『まるで、力尽きるような亡くなり方だった』――そう評したのは、医者だったのか、看護師だったのか。……
母を失って独りぼっちの僕に待っていたのは、どこまでも厳しい現実だった。僕が『望まれない子ども』であることを、嫌でも思い知らせてくる。
その一番槍として、まず最初に襲い掛かってきたのは、母にとっての父親――僕にとっての祖父にあたる――老紳士からの拒絶だった。
『お前さえいなければ、あの子は死なずに済んだんだ! お前が殺したんだ!』
『お前さえ生まれてこなければ、私たち親子はずっと幸せでいられたのに……!!』
老紳士にとっての明智吾郎は、どう頑張っても『娘を捨てた憎い男の子ども』にしか思えなかった。
顔立ちがいくら母と瓜二つであろうとも、『明智吾郎のせいで親子仲が崩壊した』という事実もある。
だから老紳士は、『諸悪の根源たる明智吾郎』から、母に関するものの一切合切を取り上げようとしたのだ。
老人と言えども相手は大人。子どもだった僕には抵抗する力もないし、その気力もすでに奪われている。肉親からの拒絶と罵倒を浴びせられ、位牌も遺骨も遺品もひったくられ、呆然とする子どもに何ができただろう。文字通り、着の身着のまま放り出される――という事態に陥らずに済んだのは、老紳士を止めてくれた人がいたからだった。
『娘を亡くしたあんたの気持ちは分かる! でも、吾郎くんだって、母親を亡くした子どもなんだぞ!?』
『あんたにとっての娘は、あの子にとっての母親だ。……あんたは、あの子にとっての唯一の肉親を奪うのか?』
立ち去ろうとする老紳士に割り込んだのは、遠縁の親戚として葬儀に出ていた年若い青年だった。聖エルミン学園の学ランを着ており、左耳のイヤリングが小さく揺れる。
彼の隣には、彼と瓜二つの顔をした青年がいた。文字通りの鏡合わせ。2人を見分けるのは、左耳のイヤリングと右耳のピアスだった。彼も不快そうに大人を睨みつける。
暴れる老紳士や、周囲の冷ややかな視線にも負けることなく、彼ら――空元至さんと航さんは、はっきりと意見を主張した。
『あんただって、半年前に奥さんを亡くしたじゃないか。これから天涯孤独で生きていかなきゃいけないのは、あんたに拒絶されたあの子だって同じだろう!!』
『無理に受け入れろとは言わない。けど、“あの子もあんたと同じ痛みを抱えて生きていく”ってことだけは覚えててくれ』
彼らの言葉がなければ、僕は、母に関するもの――写真や遺品、遺産――の一切合切を奪われていただろう。墓参りだって許してもらえなかったかもしれない。
双子の言葉を聞いた老紳士は、目から鱗を落としたような顔をした。僅かに逡巡したあと、彼は『手切れ金』という名目で、一部の遺品と金銭的な遺産を僕に譲ってくれた。
『午後に墓参りをすること』を条件に、母の命日や月命日の墓参りを許容してくれた。老紳士は午前中に墓参りをするのが習慣であり、僕と顔を合わせたくないという理由からこの条件になったらしい。
老紳士はそのまま立ち去っており、以来、僕は彼と顔を合わせていなかった。老紳士の判断は、最大限の譲歩と温情でできていると知っていたから。――まあ、もっとクソな親戚たちが多かったのも理由か。
次に牙を向いたのは、葬儀に参加していた大人たちだった。彼らは俺を目の前に引っ張り出して、『誰が明智吾郎を引き取るか』の生贄投票を始めたのである。
彼らは外聞を非常に気にする
『私のところは無理よ! 娘が私立の高校に入学して、入学金や学費の出費が激しいんだから!』
『僕に大学を辞めろっていうのか!? アルバイトで貯めた金と奨学金を借りて、やっと入学金や学費を払う目途がついたってのに!』
『最近やっと空きが出て、婆さんを施設にいれたばかりなんだ! 施設の入居費を払うのだって大変なんだぞ!?』
『私が来月結婚するの知ってて、コイツを引き取れって言ってるの!? 冗談じゃないわ!』
『俺だって無理だよ! 先月就職決まって、車やパソコンをローンで購入したばっかりなのに!』
大人たちは自分の都合を挙げ連ねては、『明智吾郎を引き取れない』ことを声高にアピールした。誰も彼もが、生贄から逃れたくて、誰かを生贄にしたくて必死だった。拒否権無く引きずり出された俺は、汚い大人たちの汚い罵り合いを嫌という程聞かされた。『望まれない子ども』、『要らない子』――耳を塞いでも、その言葉は飛び込んでくる。
自分で言うのもなんだが、当時から俺は賢い子どもだった。腸を煮え繰り返しながらも、俺は“か弱いけれど賢い子ども”を演じて大人しくしていた。容赦なく降り注ぐ罵倒、嫌悪、押し付け合いの言葉を必死になって聞き流していた。……そうでなければ、生き残れない。母を失った俺には、彼らの言いなりになるしか生きる道はなかったのだ。
会議は踊り、されど進まない。時間ばかりが刻々と過ぎていく。話の中心にいながらも、僕はずっと蚊帳の外だった。
時間が過ぎれば、当然空腹も感じる。でも、紛糾している大人たちに対して『お腹がすいた』なんて言える状態ではなかった。
多分、うっかり腹の虫を鳴らしてしまったが最後、『誰のせいで長時間話し合う羽目になったんだ』と責め立てられただろう。
そうならなかったのは、話し合いを終わらせてくれた人間がいたからだ。
……言い方は悪いが、大人たちの言葉を借りて言うなら――“自ら生贄に立候補してくれた馬鹿がいた”のだ。
『――じゃあ、俺たちが吾郎くんを引き取ります』
名乗り出たのは、先程老紳士に割り込んだ高校生――至さんだった。双子の片割れ――航さんも、兄の主張に異論がないようでうんうん頷く。
高校生からの突然の宣言/申し出に、俺は目を丸くした。先程俺を押し付け合っていた親戚どもと全然違う。打算も裏もない、真っ直ぐで澄み切った瞳。あるのは善意と決意だけだ。理不尽そのものへ挑みかからんとする“反逆の徒”。俺が憧れていた、正義を貫く格好いいヒーローだった。
この中で一番年若い青年の立候補に、大人たちの醜い争いはピタリと止まった。奴らにとって、自ら進んで火中の栗を拾いに行った双子の高校生は“渡りに船”だ。『可哀そうな親戚の子どもを施設送りにした』という醜聞が立たなくて済むし、これで自分たちは解放される。
そうと決まれば、大人たちの反応は早かった。
先程まで浮かべていた般若のような表情を一変させた。
気味が悪い薄笑いを浮かべ、身の毛のよだつような猫撫で声を出す。
『そういえば、空元くんたちが御世話になってる家って、地元じゃあ有名なんでしょう? お金もいっぱいあるみたいだし、1人くらい増えても余裕よね!』
『若いのに凄いなあ! 頑張るんだぞ!』
奴らは蜘蛛の子を散らすようにして退散していった。どいつもこいつも安堵と喜色の色を湛えていて、背中を見送るだけでも不快で堪らなかった。案の定というか、当然というか、母の葬儀以後にこの親戚と顔を合わせていない。……『二度と顔を合わせることはなかった』と言い切れたらいいのだが、僕の現状を知ったらどう出てくるか分からないのだ。
ああいう手合いの大半が、後に僕が財産を築いたり、社会的な地位を手に入れた場合、手のひらを返し恩人面して近寄ってくるのだ。僕から金銭や便宜を搾り取ろうとする輩が出てきてもおかしくない。僕としては今更『親戚です』と言って近づいてこられても困る。純粋に邪魔だし、面倒だし、『今更どの面下げて親戚を名乗るんだお前』という不快感しかない。閑話休題。
事情を聴いた空元兄弟の居候先――有栖川家の関係者たちの協力もあって、諸々の手続きを終えた後、僕は空元兄弟に引き取られることとなった。黎と顔を合わせたのも、丁度その頃だったと思う。
俺が正式に空元兄弟の被保護者となったことを報告するため、2人は俺を伴って有栖川家に赴いた。その日は飲めや歌えやの大騒ぎで、多分、俺よりも空元兄弟や有栖川家の大人たちが盛り上がっていたように思う。
当時の俺はまだガキだったし、「いい子でいなければいけない」という脅迫概念の下彼らの様子を伺っていたというのもあって、そんな大人たちの空気に馴染めなかった。居心地が悪くて抜け出した本家の庭で、黎は1人で佇んでいた。
『――…………』
有栖川黎を一目見たとき、何故だか分からないが、俺はボロボロと泣いていた。いきなり泣いたら迷惑だと分かっていたのに、どうしてか涙が止まらなかった。
苦しくて、哀しくて、辛くて――けれどそれ以上に嬉しかった。俺は
それは彼女も同じだったらしい。黎は俺を見るなり、無言のままボロボロと泣き出した。嬉しそうに目を細めて、花が咲くような笑みを浮かべて、俺の手を取ってくれた。
『
『……
どうしてそんな言葉が出たのか、俺も黎も分からない。けど、当時の気持ちを言い表すにはこれしかなかったのだ。この言葉が、当時の俺たちにとっての
この言葉を皮切りにして、俺と黎は交流を重ねるようになった。彼女は生まれた頃から難病を患っており、家と病院を行き来する生活を送っていたらしい。
数か月前に完成した新薬――難病の特効薬での治験を行った結果、症状は劇的に快復へと向かっているという。このまま行けば、秋頃には根治できるそうだ。
『治ったら、吾郎と一緒にいろんな所に行きたいなぁ』
『本当? 僕でいいの?』
『うん。2人でいろんなものを見に行こう。……ダメかな?』
『うん!! いろんな場所に行って、いろんなものを見よう!』
当時は愛も恋もよく分からなかったけれど、今思えば、俺はあの頃から黎に惹かれていたのだと思う。
僕に対して『吾郎の帰る場所になれたら嬉しい』と言ってくれた人が、有栖川黎だった。
僕を『大好きだ』と言ってくれた人で、僕が『大好きだ』と思った人が、有栖川黎だった。
――永遠なんてものを信じてみたいと思うくらい、信じられると思うくらい、彼女は素敵な人だった。
彼女だけでなく、至さんや航さんの同級生との交流も始まった。南条コンツェルンの御曹司、母子家庭で手品が得意な聖エルミンの裸グローブ番長、ダンスグループのリーダー、元不良のスケバン姉御、外国語を日常会話に織り込む帰国子女……かなり濃い面子だった。
双子に引き取られて半年が経過した頃、空元兄弟が聖エルミン学園高校の文化祭に関する話を持ちかけてきた。御影町でも由緒正しい歴史を持つ私立聖エルミン学園高校は、町内の祭り並みに派手な文化祭を行うことで有名だった。催し物も、そんじょそこらの学園祭など足元にも及ばない賑わいを見せる。
『折角だから、吾郎も聖エルミンの文化祭に遊びに来たらどうだ?』
『黎ちゃんにも声かけてみたらいいんじゃないか? 『一緒に文化祭を見て回りませんか』って』
航さんが善意、至さんはお節介でそう提案してきた。飲んでいた麦茶を盛大に噴出した俺は、2人の前では無言を貫いた。それで手一杯だったのだ。
……その後、黎に声をかけたのかって? そんなの、かけたに決まってる。至さんの誘い文句を丸々借りて、俺は黎を聖エルミンの文化祭に誘った。
黎は二つ返事で僕の提案に乗ってくれた。とても嬉しそうだった。“経過観察と検査入院の結果が出て、近いうちに退院することが決まっていた”のも重なっていたのだろう。
退院日は――丁度、文化祭の前日。俺は黎の退院と聖エルミン学園高校の文化祭を心待ちにしていた。カレンダーの日付が進む度に、馬鹿みたいに興奮して寝付けなかったことを覚えている。
文化祭の準備が忙しいようで、保護者たちが僕らを迎えに来る時間が遅くなった。時には、僕らを学童保育から回収した上で高校へとんぼ返りし、準備をするという強行軍もやってのけた。
――そうして迎えた、黎の退院日。
俺は予想していなかったのだ。この日、僕と黎がとんでもない怪異事件に巻き込まれてしまうことを。
“
◇
『『雷に打たれて緊急の精密検査』って、何やってたの……』
『ちょっとした儀式。でも、全然何ともないから大丈夫!』
文化祭の準備がひと段落した至さんは、友人たちを巻き込んで変な儀式――ペルソナさま遊びをしていたらしい。結果、その場に居合わせた全員が雷に打たれて昏倒してしまったという。学校の保険医は全員を『異常なし』と判断したが、万が一の可能性を心配し、総合病院での検査を勧めたのだ。
元々病院で待ち合わせていた僕と黎を迎えに行く予定だった至さんは、自分の検査が終わって早々、僕らの元へ向かった。航さんたちは、病気で休みがちなクラスメート――園村麻希さんの見舞いに行ったらしい。その後僕たちも航さんたちに合流し、麻希さんとの交流を楽しんだ。
だが、麻希さんの体調が急変。彼女は集中治療室送りとなった。彼女の体調を案じるのもつかの間、大きな地震が発生する。
麻希さんに思いを寄せていた稲葉正男さんは、真っ先に彼女のことを心配した。
誰よりも先に、弾かれたように動き出した彼は、迷うことなく集中治療室の扉を開ける。
『園村、大丈夫か!? ――って、何だこりゃあ!?』
『嘘だろおい!? 何で部屋が消えてるんだ!?』
正男さんと至さんは、扉の向こうを見て仰天した。
集中治療室の扉を開けた先は、病院の壁が広がっていた。
麻希さんがいた部屋は、そっくりそのままどこかへ消えてしまったのだ。
『にくだぁぁ……! にくがぎだぞぉぉ!!』
異変はそれだけでは終わらなかった。
階下から聞こえてきた悲鳴の原因を探りに駆け出せば、待合室が地獄絵図になっていた。亡くなったはずの患者の死体が突如動き出し、人々に襲い掛かったのだ。霊安室の死体だけではない。死体によって殺された看護師や患者、病院に来ていた見舞客や関係者も動く死体へ変貌し、人を襲い始めたのだという。文字通りのバイオハザードだ。
パニックになった看護師や患者、見舞客や関係者たちが我先にと飛び出していく。恐慌状態だった看護師の1人が、『私を庇ってくれたおじいさんが大変なことになった』と言い残し、そのまま逃げだしてしまった。――見れば、動く死体が『しんせんなにくだ』と笑いながら、倒れ伏した老紳士へ手を伸ばしているところだった。
老紳士には、見覚えがあった。南条圭さんの執事、山岡さんだ。
空元兄弟が多忙なとき、圭さんと一緒に僕らの相手をしてくれた老紳士である。
圭さんが山岡さんの元へ駆け寄り助け起こすが、どこからどう見ても重症だ。
……
『貴様等ァ! よくも、よくも山岡を! ――許さんぞ!』
冷静沈着な圭さんからは想像できないほどの激高だった。彼の視線や感情、言葉に威力が付加されていたら、死体の群れは一瞬で塵と化していただろう。だが、圭さんも僕たちも、ただの無力な人間であることには変わりなかった。
動く死体に対し、どう対抗すればいいのか分からない。同じ一般人というカテゴリで死体と対峙した看護師や見舞客があっさりと命を奪われたのだ。山岡さんだって重傷である。迂闊に突っ込めば、彼らの二の舞になることは避けられない。
死体は至さんと航さんに狙いを定めた。至さんは俺を、航さんは黎を抱えて死体の攻撃を避ける。――常人離れした身体能力を発揮して、だ。
普段の2人の運動神経や身体能力からは、想像できない動きだった。黛ゆきのさん、圭さん、正夫さんが驚いて目を見張る。
抱えられている僕らだってそれは同じだ。――だけど、僕の驚きは、ある種の既視感も併せ持っていた。
直後、至さんと航さんは酷く驚いた顔をした。何かを探すように虚空を見上げた後、意を決したような顔をして死体どもを睨みつけた。足元から、青白い光が立ち上る。
『――ペルソナ!』
2人の声に呼応して、異形――ペルソナが降臨する。
至さんが召喚したのは勾玉を首に下げた八咫烏で、航さんが召喚したのは屈強な夜夜叉である青面金剛だった。ヤタガラスとセイメンコンゴウは力を解き放ち、動く死体どもを一掃する。
彼らが力を覚醒させたことを皮切りに、正夫さんが、ゆきのさんが、圭さんが、次々にペルソナの力に目覚めていった。彼らの異形は、あっという間に動く死体を殲滅した。
『どうした吾郎。なんでそんな虚無った顔してるんだ?』
至さんの指摘を受けるまで、僕は自分がどんな顔をしていたのか気付かなかった。
*
総合病院で動く死体が湧いてきたことを皮切りに、御影町では異形が跋扈していた。しかも、町全体に変な力場が発生し、町内から出ることが不可能になってしまったという。
町の中から公共施設内部まで――例外は一部の店ぐらい――、御影町は文字通りのダンジョンと化したのだ。一般人である僕と黎を抱えての移動は、とても大変だったろう。
どうにかヒイヒイ言いながら聖エルミン学園高校に辿り着いた俺達は、異変解決のために行動を始めた至さんや航さんたちと別れ、校内で留守番することになった。
分かれる前、航さんと至さんは“聖エルミン学園高校に伝わる呪い”に目をつけていた。
異変の原因に成り得そうな情報は、片っ端から調べて試すつもりらしい。
――学園全体が氷によって閉ざされてしまったのは、そのやり取りから暫く後のことだった。
『な、なんだよこれ……!?』
『……まさか、これが呪い?』
『――見つけた! ニンゲンだぁ!!』
ヤバかった。正直死ぬかと思った。悪魔と名乗る異形どもは俺や黎に攻撃を仕掛けてくる。俺たちは手をつないだまま、必死になって聖エルミン学園を逃げ惑った。
そんなとき、白い雪ダルマみたいな悪魔が他の悪魔たちに虐められている現場に遭遇した。どうやらその雪だるまは、「人間とお友達になりたい」という変わり者だったらしい。
黎はその雪だるまを助けようとして、そんな黎を見捨てることができなくて、俺も一緒に駆け出した。悪魔に物をぶつけて怯ませた隙に、雪だるまの手を引いて教室へと逃げ込んだ。
『ヒホー。助けてくれたお礼だホー! オイラたち、ずっと友達だホー!』
雪だるま――もといヒーホーくんは俺たちの行動に感謝して、鏡の破片を手渡してくれた。何かの役に立つかもしれないと語っていたが、あのときの俺は鏡の破片が何の役に立つか分からなかったので、適当に鞄へ放り込んだのを覚えている。
直後、俺たちは至さんと航さんたちと合流した。彼ら曰く、『学校が異界化し、異形の巣窟になってしまったのは、“聖エルミン学園高校に伝わる呪い”――雪の女王で使われる曰くつきの仮面“スノーマスク”のせい』だった。しかも、件のスノーマスクを担任教師に渡した結果、教師が乗っ取られてしまったのだという。
至さんの表情が暗かったのは、彼が『聖エルミン学園に伝わる呪いに目を付け、事件の発端となったスノーマスクを発見して担任教師に手渡した張本人だった』ためだ。至さんと航さんはスノーマスクに乗っ取られた担任教師を助けるために、学校中を駆け回っていたという。その手筈が整ったらしく、面々は俺たちを教室に残して決戦へと赴くつもりだった。
『待って、航さん! 俺と黎も連れて行って!!』
このとき俺は――どうしてかは分からないが――彼らについて行かなければならないと思った。そうしなければならないという感覚に突き動かされた。
それをうまく説明できなかった俺は“悪魔から逃げ回るのはもう嫌だ。見知った人と一緒にいたい”という主張をして、どうにか同行の許可を勝ち取ったのだ。
結果的に言うと、俺の判断は上手い具合に作用した。
航さんたちは鏡を使って冴子先生からスノーマスクを引き剥がそうとしていたらしい。鏡の破片の数が足りなくて、航さんたちは冴子先生を乗っ取ったスノーマスクと戦う羽目になった。スノーマスクは『もし冴子先生を倒せば、自分は“夜の女王”として完全復活し、御影町を氷漬けにする』と言い放ち、冴子先生の身体を使って襲い掛かって来たのである。
大好きな担任教師を攻撃することができず、彼女を倒したら御影町全土が氷漬けになる“滅び”を受け入れることもできず、航さんたちは一方的に嬲られる。スノーマスクは高笑いしながら『鏡を完成させれば完璧だったのに』と叫んだ。それを聞いた俺と黎はピンときて、鞄から鏡の破片を取り出した。それを、未完成の鏡にはめ込む。
予想通り、完成した鏡は本来の力を発揮した。冴子先生を乗っ取ったスノーマスクは悲鳴を上げて、彼女から分離する。それを見た至さんの号令に従い、聖エルミン学園の面々はスノーマスクに猛攻を仕掛けた。冴子先生を助け出すことはできたが、学校は全然元に戻らない。それどころかもっと寒くなってきた。
どうやら、冴子先生に取りつく前に夜の女王の呪いに侵された人物のペルソナが暴走を始めているらしい。奴を斃さねば、御影町は元に戻らない――それを知らされた航さんたちは、夜の女王との最終決戦へと赴いた。俺と黎も無理矢理ついて行った。
俺と黎は何もできなかったけれど、航さんたちの戦いをきちんと見届けた。アシュラ女王はペルソナ使いたちに倒され、呪いは断ち切られた。『希望を失い絶望へと変われば永遠の夜がやって来る』と奴は言っていたが、逆転の発想にすれば『希望を失わなければ奴は二度と現れない』ことになる。
『異変はまだ終わってない、ってことだね』
『よし、じゃあ行こうぜ!』
しかし、学園の異変が終わっても、御影町全土の異変はまだ終わらない。俺と黎も無理矢理同行する形で、異変解決の方法を探りに向かった。
『“聖エルミン学園に伝わる呪い”以外にも、御影町全土を異界化させるような原因に成り得そうなものは存在していたんだ』
『最近御影町に進出してきたベンチャー企業があるだろう? 正式名称は長くて覚えていないが、頭文字をとって『セベク』って呼ばれてる』
至さんと航さんは、もう1つの原因候補にも目星をつけていた。学園絡みの噂を優先させたのは、丁度自分たちの現在位置だったことが理由だったらしい。近場から潰す作戦に出たようだ。……結果はお察しである。まあ、担任教師の未練を解消できたし、スノーマスク及びアシュラ女王を撃退することができたので五分五分であろう。
しかし、僕らが聖エルミン学園で異変解決に奔走している間に、一部の血気盛んな生徒が独自に行動を始めたようだ。特に、『セベク黒幕説を信じた正夫さんと、以前からセベクに対して並々ならぬ敵意を持っていたらしい城戸玲司さんが無茶な行軍をしている』という目撃情報が入ってきた。2人を放置しておくわけにはいかない。
突如現れた麻希さん――入院生活を送っていたという記憶をなくし、代わりに『みんなと楽しい学園生活を送っていた』と主張する、明朗快活な女子高生――を引き連れ、御影町へと繰り出した。
『ウッヂュー!!』
『うわああああああああああああああああああ!!!』
その後も大変だった。むしろその後が酷かった。何が楽しくて、俺は同年代の子どもに虐待されねばならなかったのだろう。機関銃を背負ったネズミはもう二度と見たくない。真面目な話、暫くトラウマになった。
年食った大人からはマシンガンを連射されて死ぬかと思った。至さんと航さんが守ってくれなければ、多分俺と黎は生きていなかったはずだ。武田って奴は本当に大人げない。ドチクショウめ。
首謀者だと思っていたはずの神取鷹久は自分のペルソナに体を乗っ取られて、暴走した状態で襲い掛かって来た。ペルソナの暴走は異形と化すことと同義らしい。あれは本当に酷いデザインだった。ゴッド神取は問答無用のパワーワードとして俺の中に残っている。
『……キミたちは、何のために生きている?』
『倒せるか? 私を。守れるか? 大切なものとやらを』
――神取は悪ではなかった。悪とは言えなかった。そんな奴の存在は後にも関わってくるのだが、それについては後述しようと思う。
道中だって大変だった。口裂け女が徒党を組んで出現し、マハムド連射してくるのだ。圭さんが皮肉を言い、玲司さんが手品を披露して窮地を脱していた。何を言っているのかだって? 俺だってよく分からない。皮肉と手品で納得する悪魔の感性なんて理解不能だ。
至さんと航さんはノリノリになってサトミタダシ薬局店の歌を歌って、悪魔と圭さんから顰蹙を買っていた。どうしてあの2人は狂ったように歌い続けていたのだろう。本人たちに問いかけたが、『歌いたいから』で返された。それでいいのか保護者。
サトミタダシ薬局店の歌に洗脳されかかった圭さんを落ち着かせたり、俺や黎と同年代の子どもの問いに『生きる意味を探すために生きている』と答えた航さんの背中を見たり、至さんがフィレモンという普遍的無意識の権化から生み出された化身(しかも失敗作呼ばわりされていた)だったり超絶怒涛の展開だった。
『なあ。俺が人間じゃなくても、お前らを厄介事に巻き込むような存在でも、友達でいてくれるか? ……仲間で、いさせてくれるか?』
『――馬鹿だな。お前は俺の、双子の兄だろうが』
不安そうな顔をして問いかけてきた至さんの問いに、航さんは鼻で笑いながら言い切った。聖エルミン学園の面々も、迷うこと無く頷き返した。
勿論、俺にとっての至さんも“頼れる兄貴分”一択である。例え、彼の正体が異形関連だとしても、俺にとってはそんなことどうだってよかったのだ。
今まで一緒に生活してきて、積み重ねてきた日々がすべてだった。人一倍子どもっぽくて、人一倍責任感が強くて、人の心に寄り添える、自慢の保護者なのだから。
最後は絶望や不安によって生み出されたパンドラを打ち倒し、ようやく御影町は平穏を取り戻したのである。俺たちが駆け回っていた間、日付は止まったままだったらしい。翌日、何事もなかったかのように文化祭は滞りなく行われた。
え? 文化祭デート? したよ。
当時はデートだなんて微塵も意識してなかったがな!!
『そこの少年たちの答えを聞いていない。キミたちは何のために生きるんだ?』
『その理由を探すためだ。答えを見つけるためにも、俺たちは生きなくてはならない』
『宝物を見つけるためだと俺は思うな。出会いと別れを繰り返して、人生を生きて、振り返ったときに満足できるように』
……事件が完全解決して暫くの間、俺は自分の中に何かが引っかかっていた。神取の問いに対する答えが、何かをフラッシュバックさせる。
『――では、キミはどうだ? 少女よ』
『……うまく言えないけど、私の好きな人たちと、一緒にいたいから。時々泣いたり喧嘩したりするかもしれないけど、でも、一緒に笑いあえたらいいと思う。そういうことができるのは、生きているからでしょう?』
『成程な。では、少年。キミは?』
『僕は……ッ、……俺も、黎と同じだ。黎と一緒にいたい。黎だけじゃなく、至さんや航さんたちとも一緒にいたい。俺は、
『――そうか。キミたちの答えは、よく分かった』
神取は、俺を見て、安心したように笑っていた。その笑みの理由を考える度、俺の脳裏によぎるものがあった。
左利きなのを見抜かれたビリヤード。互いに勝負を譲らなかったダーツバー。風呂上がり、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳を飲みながら語らったこと。
異世界で行った、一騎討形式での模擬戦。彼女に投げ渡した左手の手袋。決闘を意味する、約束の証だ。そうして――静かに向けられる、真っ直ぐな好意。
……
嘘まみれの中にあった本当を拾い集める。もしかしたら、もしかしたら――。
でも、誰かはそれを形にすることを選ばなかった。選べなかった。
だから最期に、悪態の中にすべてを込めた。それだけが、破滅するだけの誰かに許されたことだった。
(――誰かの人生は、どうだったのだろう)
『……キミたちは、何のために生きている?』
セベクで神取が投げかけた問いが何度もリフレインする。“誰か”は何のために生きたのか、誰かは大切なものを守れたのか。
俺が――いや、俺の保護者や黎でも――誰かに問いかけても、そいつは鼻で笑うだけのような気がした。
悔しそうに、悲しそうに――……それでもまだ諦めてはいないと言わんばかりに。
紅蓮の瞳の奥底で、強い炎を燃え滾らせながら。
逆転の
◇
聖エルミン学園の一件を皮切りに、俺と黎は至さんが巻き込まれる事件に同行するようになった。……意図したわけじゃない、偶然の産物でだ。
『うーん……』
『どうした? 吾郎』
『いや、変な夢を見るんだ。あんたが俺を庇って死ぬ夢』
『そうなのか。いや、実は俺もなんだ。お前を守って死ぬ夢』
『お揃いだね。私も夢を見るんだ』
当時俺は珠閒瑠市の大学に通う至さんと一緒に暮らしていた。航さんは東京の有名大学へ進学し、寮生活を送っていた。いずれ圭さんが立ち上げるペルソナ関連部門で働くための下準備である。俺と至さんは御影町にちょくちょく帰省していた。黎は御影町で暮らしていたが、今年に入って、大きなトラブルに巻き込まれた。
見るからにヤバイ――目の焦点が合わず、涎を垂らし、呻くだけで言葉を発さず、常に股間を触っているような巨体の男――親戚が、黎に手を出そうとしていたのだ。犯行が行われたのは、“普段ならば、有栖川家の面々が多忙で家にいない”時間帯だったという。詳細は不明だが、お手伝いさんの中に共犯者がいたようだった。
突発的な帰省で有栖川家を訪れ、異変に気づいた僕たちが法的および物理的手段を講じたおかげで黎の貞操は守られた。しかしそいつの関係者は諦めず、以後もちょくちょく黎を手籠めにしようと暴れたのだ。誘拐未遂に発展したこともある。そのため、奴らとの決着がつくまでの間、黎は俺たちの元で過ごすこととなったのだ。
そんなある日、俺と黎と至さんは変なデジャビュに悩まされるようになる。丁度その頃、珠閒瑠市では『JOKER呪い』が流行っていた。
嘗て聖エルミンの教頭だった反谷氏が不審死したことがきっかけで、俺たちは有栖川の親戚、天野舞耶さんと一緒に『JOKER呪い』を追いかけることになる。
共に事件を追いかけた面々も濃かった。猫大好きだけど猫アレルギーなパティシエ志望の警察官、元珠閒瑠検事の盗聴バスター兼情報屋な人探しのプロ、舞耶さんのルームシェア相手で結婚詐欺の被害者、エルミンやセベクの件でも共闘した圭さんや英理子さん、人間音響の名を欲しいままにした“滅びの世界からの来訪者”……。
結果、俺は『神』が大嫌いになった。何の役にも立ちゃしねえ。至さんがフィレモンをぶん殴るのは当然だし、ニャルラトホテプは全身全霊を賭けてブッ血KILLべき悪神だ。
滅びを迎えるしかない世界からやって来た周防達哉さんの姿を、俺は一生忘れられないだろう。彼の在り方と辿ったやるせない結末は、酷く既視感を覚えた。
こちらの世界の舞耶さんと心を通わせ、想い合っていたというのに、悪神の齎した理不尽によって引き裂かれなくてはならなかったのだから。
『顕現さえしていれば、神様は殴れる』――それは、俺たちと至さんの共通する格言となった。
……他にも、俺の琴線に触れた出来事は沢山ある。
『父は正しいことをした。間違っていなかった。……この事実を誰も知らなかったとしても、僕が知っている。それでいいんだ』
周防兄弟の父親は刑事だった。その人は組織の腐敗を止めようとして、仲間の裏切りにあい汚名を着せられた。それだけでなく、家族にも危害を加えると脅された。だから、件の刑事は黙って罪を受け入れたらしい。
彼の無実は、彼の息子たちによって晴らされた。けれども、それは決して公になることはない。……では、その調査は無駄だったのか。答えはNoだと――無意味ではないのだと周防刑事は力強く笑っていた。
彼はもう、自分や自分の尊敬する人に張られたレッテルに振り回されることはない。正しいものを見極め、正しいことを成すために力を振るうのだ。何にも縛られず自由に振る舞える。……そんな周防刑事を羨ましがるのと同時に――何故かは分からないが――、俺は黎のことを考えた。
『俺は見極めなけれなならない。正しいことを成すためにも』
『南条くん……』
敵である須藤竜蔵――当時の外務大臣に政治献金をしている父親と対立することを覚悟してでも、舞耶さんたちに手を貸した圭さんは格好良かった。
……でも。どうして俺は、竜蔵に対して『貴様に日本の未来を語る資格はない!』と啖呵を切る系さんの姿に対して強い羨望と嫉妬を抱いたのだろう。
無性に『
『神取! アンタはあのとき、自分の弱さを認めたはずだろ!?』
『狂言回しの真似事など止めろ。そんな落ちぶれた姿は、見たくない……』
『またもキミたちに同情されようとはな……。光には光の、影には影の役割がある。……そういうことだ』
ニャルラトホテプの手駒として復活させられた神取鷹久の姿を見たときは、どうしてか他人事のように思えなかった。嘗てニャルラトホテプに体を乗っ取られて朽ちていった男は、今回もまた、悪神の人形として道化を演じながら死んでいった。
『見事だ……。だが、影に魅入られた者がその触手から逃れることは容易ではないぞ。……
――あのとき、何故、神取は俺を見たのだろう。
賛美するように、祝福するように、羨望するように、期待するように――俺という存在に感謝するように。
サングラスの奥に眼球が存在していたら、彼の瞳は優しく細められていたのだろうか。
『神取! お前、本当にこれでいいのかよ!?』
『空元の言う通りだ! 一緒に来い……!』
『――これ以上、生き恥を晒さしてくれるな……』
圭さんから差し出された手を、神取は銃を発砲することで振り払った。誰もが悔しそうに、やりきれなさそうに脱出していく中、俺、至さん、圭さんがその最後尾だった。言いたいことを飲み込んで駆け出す至さんと圭さんの背中は、今でも忘れられない。
どうしてか俺は、神取が破滅を選んだ理由に納得がいった。
崩れていく洞窟から逃げる中で、豪華客船と化した国会議事堂の光景を幻視したのは何故だったのか。何もない人生を嗤ったのは誰だったのか。
機関室で銃を構えていたのは、一体“誰”と誰だったのだろうか。彼らの様子がまるで合わせ鏡のように思えたのは何故か。
それらを塗りつぶしていったのは、狂った優しさを有する医者/教皇の、どこまでも穏やかで温和な微笑。ありとあらゆる痛みが取り除かれた、楽園とは名ばかりの牢獄。
『――嫌だ! 忘れたくない!』
罪の世界が映し出されたとき――達哉さんの叫びに同調するように、“誰か”ががばりと顔を上げた。
『虫のいい話だな? 辛いことは仲間に押し付け、『自分だけ記憶を持ったままでいたい』などと、許しがたい大罪だ』
『罪には罰を下さねばならん。だから、その女と再び出会う機会を与えてやった。仲間たちと巡り合う運命を紡いでやったのだ』
ニャルラトホテプが嘲笑ったのを見て、僕は奴を嘲笑ってやりたくなった。
皮肉なことに、達哉さんが犯した罪は、世界滅亡の運命――ニャルラトホテプの企みを打ち砕く一手となった。“どんなに絶望的な状況であっても、都合の悪い現実と向き合い、受け入れた上で足掻き続けることを選ぶ”ことが、奴を倒す唯一無二の方法だった。
要するに、『人間が存在する限り、私は永遠に消えないぞ! さあどうする!?』という問いかけに対し、『それがどうした。復活して出てくる限り、俺は何度だってお前を殴る。俺がいなくなっても、他の誰かがお前を殴りに行くから問題ない』と答えることが最良なのである。
『フィレモンの提案――世界をリセットし、滅びを“なかったこと”にする――に乗った』ことが最悪の結末/ペルソナ使いたちの敗北だなんて、追い詰められた高校生たちが気付けるはずがなかったのだ。奴らはコインの表と裏、根っこが繋がっているのは当然だった。
フィレモンがリセットを提案したのは、達哉さんたちを見捨てたからだ。自分とニャルラトホテプの試練を超えられなかった人間に対し、もう用はなかったのだ。
……皮肉な話、奴は自分が見捨てた達哉さんの奮起によって、弱体化だけで済んだ。現在も弱体化したままだが、ニャルラトホテプも同程度に弱体化したのでイーブンである。
どちらかだけが無駄に強いと、世界は善くも悪くも“普遍的無意識による人類最終試験会場”として、好き放題使い潰されていただろうから。
『――俺、『向こう側』へ帰るよ』
『淳は約束を守った。……今度は、俺の番だ』
全てを終えて、彼はあるべき場所へと帰っていった。
『私、忘れない。もう絶対、あなたのことを忘れないわ……!』
『約束する! 淳は俺が――お前の代わりに、お前の分まで、絶対に守ってやるからな……!』
達哉さんの努力は、ほんの少しだけ報われた。3人のうち2人の仲間が、滅びの世界での出来事を思い出したためだ。
それは達哉さんの望みではなかったし、彼の仲間だった橿原淳――あちらの世界では母方の姓を名乗っていたので黒須淳――さんの記憶は戻らなかった。記憶を取り戻したリサ・シルバーマンさんや仁科栄吉さんにとっても、あまり喜ばしい内容ではなかっただろう。
でも、リサさんや栄吉さんは強かった。地獄のような光景や、やり直したくなるほどの後悔を抱いていたはずなのに、『思い出せてよかった。もう二度と、このことを忘れない』と誓ったのである。彼らの瞳には、一切の迷いがなかった。
無性に『“
無性に『“
無性に『
――俺は未だに説明できそうにない。
◆
*
――
「安息が保障されないというのは、闇に魅入られた者の宿命か……。致し方がないな」
「先程から私の上司が怒り狂っていて煩いんだ。――まあ、自分が消滅する危機だから、当然だろうな」
「人がいるからこそ永遠に存在し続けるという理を、他でもない人間によって崩された。それに関しては、称賛と感嘆を贈ろう」
「……だが、もう疲れたんだ。生き恥を晒し続けることに。安息を得られないことに。――目覚めさせられ、破滅まで駆け抜けることを強要されることに」
「悲嘆の異神の御使い、狂った善意を振りまく教皇よ。返してもらおうか。――
――ここではないどこかには、神取鷹久が面倒くさそうに身構える世界があったらしい。
勿論、ここでは関係のない話。
どこかに転がっている、もしもの話だ。
―――
思った以上に長くなってしまったので、3と4は次回に回します。この調子だと、リメイク版は何話構成になるんでしょうね……?(遠い目)
R軸の明智って、2罰の達哉と相性がよさそうな気がするんです。「(そこがどんなに地獄であっても、)自分の居るべき現実へ戻る」と決断した部分が。
あとは神取。「これ以上生き恥を晒させないでほしい」という点は非常に似通っていると思います。