−−−−−遠い遠い過去のお話。そこにはある少女がいました。
黄色いシュシュで形作ったポニーテール。蒼い瞳を両眼に輝かせるあどけない顔。小さいながらにして他人のお話はちゃんと聞くしっかり者。
そして何より、少女の身体は芳ばしい香りで満ちていて、瞬く間に少女には友達が出来ました。
そんな少女は、ある少年に興味を示し、直ぐに話を持ちかけたのです。
最初はただ単純に、『気が合いそうだから』という曖昧な理由。そんな理由で接触した少女は、この先、少年のことを想うようになるとは微塵も思っていませんでした。
これが、少女と少年の『出会い』のお話。
そして、これから語るのは
少年と少女の『再会』の物語。
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俺の朝は、少しだけ早い。
「……ぁ?…んぁ〜…」
横の棚に置かれた煩いデジタル時計を、俺は手探りで探す。だが未だに目蓋は上がり切っていない、その上身体はうつ伏せの状態なので、腕はふかふかのベットを叩くだけに終わっていた。
「ん、んん〜……」
それでも煩い音は耳を突いてくる為、なんとしても止めねばならない。
なので俺は耳を頼りにし、腕を伸ばしたまま、身体ごとその音源まで近づくことにする。それでも俺の右手には時計を収める事は出来ていない。
「んんー……煩っせぇ…」
鳴り響く高音が流石に鬱陶しくなってきたので、俺は一気に身体を動かして、時計と腕の距離を縮める。
「……っとぉ…」
やっとの思いで伸ばした腕は、見事に目標物に到着。その際にボタンを押したので、高音響かせる煩い音はピタリと止んだ。元凶を滅する事に安堵する俺。
だが、ここで安心してはいけなかった。
「ぉぉ……ぉん?」
何故ならこの時、
俺は半身がベットからはみ出ていた事から。
そして、
「……ぁ」
身体が、宙に浮いていた事に気付かなかったから。
「あでっ!?」
それに気付いた時には時既に遅く、俺はドテンッと音を鳴らし、布団を巻き込みながら床と衝突していた。
「いっつぅ〜…くっそぉ、三日連続でコレかよ…」
痛む頭を摩りながら、掴んでいた時計を一旦床に置く。
頭から行ったよ、クソォ。あの〜…あれだ、上からタライ降ってきた時ぐらい痛い。……まぁ喰らった事無いからどんくらい痛いのか知らんけど。
「……っと、俺寝坊してないよな?」
ハッとして、俺は床に置いた時計を再度手に取り、針が差す時刻を確認する。
ただいまの時刻、午前6時30分。どうやら寝坊はしていないらしい。
「……ん〜〜〜っと…よし」
俺は一度立ち上がって、怠け切った身体を伸ばしてから呼吸を整えた。
「今日も一日、頑張りまっかぁ」
気合の言葉を自分自身に唱え掛けてから、時計を元の場所に戻す。そしてその横にある縫い目の目立つ黒い眼帯を左眼を隠すようにして結ぶ。
「さーてと、着替え着替え…」
頭を打った衝撃で少し機嫌を損ねつつも、俺はクローゼットの中を漁り出す。
窓から差し込む日差しを背に、俺の4日目の朝が始まりを迎えた。
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この建物は、一般的な店にしては広い。
横に広く、それでいて三階建て。各階層の高さもそこそこあって、高身長の男性を迎え入れても余裕があるくらいだ。
一階の店内は昼間に喫茶店、夕方から夜にかけてはバーとして営業する階層だ。カウンター席を10名、テーブル席を5人5セット……つまり25人、合計35人のお客を収容できる程の広さを持っている。しかも、配置を変えさえすれば更に人数を増やす事もできるので、多分だが40人程度は入るだろう。
では次に。二階、三階の階層は俺と先生の居住区となっている。本当なら居住区は二階だけにして三階は空き部屋にしようとしていたが、先生が『男と同じ部屋で過ごしたくない』という謎のポリシーで、三階が俺、二階が先生の居住区になった。……あっちでの生活は同じ部屋のはずだったんだけどなぁ?
それでいて部屋の構造だが……1人で住むにしては余るぐらいに広い。4人家族が居ても余裕のあるリビングに、色々と器具の揃ったキッチン、シャワーとトイレの設備されたバスルーム……生活に必要な部屋は完璧に揃っている。
もうそれぐらい揃っているのなら自室以外要らないだろうと思う人がいるだろうとは思うが……実はここ、区分けされて部屋が3つある。それも、そこそこ広い部屋が。
3部屋の内1部屋を自室に使っているが、残り2部屋は空き部屋と成り果てているので少し困り物だ。いかんせん使い道が分からんもん、どうする事も出来ねぇ……。
大は小を兼ねる…なんて言うけど、広すぎるのも難点だよね。
そんな広々とした部屋ではあるが、朝食は先生と一緒に一階の店内で食事をしている。本当ならそれぞれの階で食べればいいんだけど、あっちの国の名残もあってか、朝ぐらいは開店前に一緒に食べる事になった。早起きはこういった理由からね?
「……あっ、先生」
「おぉ、きたか蓮司」
裏口の扉から厨房に入ると、そこには優雅に椅子に座り込んで新聞を広げていた。
…あっ、今日は先生が朝食準備か。忘れてた、てっきり俺が当番かと思ってたよ…。でもまぁ、早起きは三文の徳って言うから別にいいんだけどさ…
……あれ?
「なぁ先生?今日は先生が朝食準備するんだよな?」
「あぁ、そうだが?」
そうだよね?いつも俺より遅く起きる人がいるって事はそうなんだよ。……なのに?
「……肝心の朝食は?」
俺の視線の先には、何も置かれていない、真っ平らなテーブルがある。朝食の準備をしたのなら、ここに俺らの習慣となった焼きたてのアレがある筈なんだけど……。
「いや、準備していないが」
「……はぁ!?」
さも当然かのようにさらっと問題発見を放った先生に、俺は驚きと怒り両方の感情を隠せない。
だって可笑しいよなぁ?昨日までちゃんと並べられてたアレが今日の朝には無いんだもん、これは罰するべきだよなぁ!?刑罰下すべきだよなぁ!?
「先生よぉ…遺言残してとったとくたばれ」
「…おいおい、何を言っているんだ?」
は?この人ふざけてる?真逆この人、この後に及んでふざけてらっしゃる!?
あの、黄金色に焼き上がった見た目!
カリッとした中に仄かなふんわりとした食感!
3分間しっかりとオーブンの中で溶けたバターの甘味!
更にその上にジャムを掛ければ美味しさが倍に!まさに変幻自在の食べ物!!その名も!
トースト!!そんなお手頃な食べ物を、何故用意出来ていないんだこの人は!!?
「何って!?そりゃあアンタが朝食を用意出来ていない事に怒りを露わにしてるだけですがぁ!?」
下らない理由だったら右ストレート!それ以外でも右ストレートォ!!つまりは、俺の心は許せねえと叫んでいるんだよぉ!!
さぁ、そのお達者な口から!下らん言い訳を吐いてもら––––
「待て待て待て!だから何故怒っているんだ!?」
「ハァン!?だからそれはアンタが用意を––––」
「いや、昨日の朝に『丁度パンが無くなったから明日買いに行ってくる』なんてお前が言ったから、私はこうして待っていたんだろう!?」
………………あれ?
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気が付くと、彼女は真っ白な空間で1人立っていた。
「……あ、あれ?」
前後左右、何処を見ても、その先にあるのは白だけ。本当に何もない、果てしない虚無が続く世界だ。
そんな何も無い世界で、1人だけで佇む彼女はここがどんな場所なのか悩みはしたが、すぐに理解する。
「……これって…夢…?」
理解はしたものの、まだ半信半疑な彼女。だが、この何も無い、現実味の帯びてない世界を結論づけるならそう答えるしかなかった。
「……変な夢」
立ち尽くしているのもなんなので、彼女は一直線に歩く事にする。
後ろで腕を組んで自分のペースで歩みつつ、周囲の風景を観察するも、以前として変わった所はない。ただただ、澄み切った白の世界が続くだけだった。
「本当に何も……ん?」
かわり映えのしない風景に飽き飽きとしてきた所で、彼女はある一点に気が付き歩む足を止める。
自分の進む道とは別の方向。その先で、『白い何か』がその場に座り込んでいた。更に見れば、その『何か』を中心に波紋が伝わっている。
さっきまでそこには何もなかった筈……と少し疑問を浮かべるが、それと同時に興味も湧いてきた。なので彼女は、進行方向をそちらに変えて再度歩き出すことに。
『……ひっく…ひっく…』
「……泣いてるの?」
いざその場に到着すると、『白い何か』はなんとその場に座り込んで泣いていたのだ。それも、たった1人で。
何故泣いているのか分からない彼女は『何か』に声を掛ける。だが聞こえていないのだろうか、あいも変わらず『何か』は泣き続けていた。
仕方がないので、彼女は『何か』を慰めようと近づこうとしたが……
「……あ、あれ?何これ…」
見えない壁だろうか、そんな壁が彼女の道を阻んでいた。まるで、その『何か』に近づくなと警告するように。
これでは何も出来ない…と半ば諦めかけていた、その時、
ピシャリ、ピシャリ…と壁の奥で誰かが歩く音が響いた。
「……え?」
自然と下がっていた視線を戻すと、そこには今さっきまで居なかった筈の誰かが、『白い何か』の頭を摩って慰めていた。摩ってもらった『何か』はもう泣き止んでいて、その顔に満面の笑みを浮かべている。
泣き止んでくれた事に安堵するかに見えた彼女。だが、彼女の心は安らぎどころか、不安の種が増えただけに過ぎなかった。
「あれって…!」
摩る誰かに彼女の視線は釘付けになっていた。
その誰かは、ちゃんとした形を保っている。
橙色に輝く髪色。黄金の色を宿す両眼。顔立ちも体格も、全てが思い浮かべる人物に当て嵌まっていた。
母を助けて弟を助けてくれた。同い年にして尊敬する人物。
そして、自分が恋に落ちた初恋の友達。
『悲しいよねぇ』
不意に、後ろから声が響いた。
『会いたかった人が直ぐそこにいるのに』
とても聞き慣れた声。毎日毎日、自分の耳に響く声。
『その手で、触る事も出来ないもん』
声の主を確認する為に彼女は振り返る。そこには、さっきまで泣きじゃくっていた『白い何か』––––
––––いや、違う。こいつは『白い何か』なんて者ではない。
「……君は…」
そこまで言って、彼女は口を濁らせてしまう。
目の前の人物を私は知っていると確信しても、何故だかそれを言い出せない。
何故だかそれを、言い出したくなかった。
『私?……もう、そんなの自分でも分かってるでしょ?』
目の前の人物は後ろで腕を組みながら彼女へと歩み寄る。
『……わたしは”世界”と呼ぶ存在でもない
”宇宙”でもなければ ”神”でもないし、”心理”なんて呼ばれてない
”全”でも、ましてや”一”でもない』
その人物は彼女の目の前まで迫ると、彼女の右手をそっと、両手で包み込む。
『だけど、これだけは言える。
私は”キミ”だよ、山吹 沙綾ちゃん』
「……ぁ」
閉じ切った目蓋を開けて、私は目を覚ます。
ピピピッ、と起床時間を伝える携帯端末。視線の先には見慣れた天井があって、横に視線を向ければ窓から太陽の日差しが差し込んでる。
ゆったりと身体を起こして、近くに置いてあった携帯を取って少しうるさいアラームを止める。重い目蓋を擦って端末の画面を見ると時計が表示されていて、時刻は……
「……嘘、寝坊しちゃった…」
予定よりも遅い、7時10分を指していた。
この時間に起きると、お店のお手伝いに間に合わなくなっちゃう。お母さんにはお手伝いは頼まれてないけど、朝の時間ぐらいはお店の為に何かしてあげたいから。放課後はみんなと一緒にいて出来ないし。
でも寝坊したからと言って、今日はお手伝い無し…なんてしたくない。だから私はベットから出て、急いで朝の支度を始めた。
〜〜数分後〜〜
「やばいやばい…!急がないと…!」
制服に身を包んだ私はバックを持って駆け早に階段を降りる。
もうっ!なんで私、昨日の内に準備済ませてなかったのかなぁ!?そのせいで大分遅れちゃったよ!!
「あっ、ごめんお母さん!遅れちゃって…」
「あら沙綾、今日は遅かったわね〜」
「本当にごめんね!すぐ手伝うから!!」
お母さんに挨拶をして、壁に掛けてあったエプロンを手に取る。
「別に今日ぐらい大丈夫よ?まだお客さん1人しか来てないし」
エプロンに袖を通して、後ろ側の紐を慣れた手付きで結ぶ。
この時間に来るお客さんか……多分モカかな?…うーん、でもモカってこの時間には来ないかな?モカじゃなかったら近所のお婆ちゃんかな?
「ああやばいやばいぃ!間に合わなくなるぅぅ…!」
「はいごめんなさいね、お会計は…」
でも、私が予想していた人の声は聞こえてこなかった。その代わりに2人の男性の声だけが聞こえる。
1人は、会計をしてくれてるお父さん。そしてもう1人は……うーん、聞いたこと無いなぁ。こんな早朝に来る人だから、てっきりご近所の方々かなって思ったんだけど……。
「……げぇ!もう時間ない!?す、すみません!お釣り要らないんでこれで!!」
「えっ!?ちょっ!?」
……あれ、もう帰っちゃうのかな?なんだか焦ってるみたいだったけど。少し気になったから、店の奥からひょっこりと顔だけ覗かせて見ることに……
「……え?」
その時、時間の流れが遅くなるのを感じた。
袋を手に持って颯爽と走ろうとする後ろ姿。橙色に輝く頭髪。自分より少し小さめな背格好。
たったそれだけ。たったそれだけなのに、何故か目の前の人物を懐かしく感じてしまう。あんな格好、見たこと無いのに。見た事無い……の…に……
「…!!」
一瞬、別の後ろ姿が重なったように見えた。雰囲気が似ていて、背格好も変わらない人物。
そして何より
私自身が、今会いたくて仕方ない人物。
「……あ…」
気がつくと、いつの間にか自分の手が彼を追うように差し伸ばしていた。けれどもう一足遅くて、彼は扉を開けて外の世界に飛び出ていた。
「全く、お釣り要らないって言われてもなぁ…1万円の札渡すか?普通……って沙綾、起きた…の…か……?」
–––嘘、なんで?
「おい沙綾?」
–––なんでキミがここにいるの?
「沙綾?おーい沙綾」
–––あの時いなくなっちゃったキミが、なんで?
「沙綾!沙綾!!」
–––戻ってきてくれた?だったらなんで私に…いや、でも……それって…
「沙綾!?」
「…ぇ?」
……いつの間にか、自分の世界に入り込んでしまった。…お父さんが声かけてくれなかったらどうなってたか…
「さ、沙綾?お前、なんで泣いてるんだ?」
「……な、泣いてる?」
人差し指で目元を擦ってみる。
「……え?」
その指には、何故か一滴の滴が乗っていた。
7時25分。店内では、扉につけられた鈴の音だけが鳴り響く。