訃堂と琴音の婚姻は、鎌倉の風鳴の屋敷で粛々と行われた。
参列者である岩戸家の一族の他に玖桜衆も混じり、披露の宴の格式も規模も、普通のそれではなかったと記録に残っている。
ともあれ、式が済めば、花婿花嫁にとって初夜である。
先に風呂を使い、じりじりと待つ訃堂の前に、寝所の扉が開く。
湯上りの白襦袢という艶姿に、訃堂は思わずその両肩を抱き寄せ、唇なぞ重ねようとした寸前。
「駄目ですよ」
唇の前に、琴音愛用の扇子が立ちはだかっていた。
「なぜだ?」
若い訃堂は困惑する。この期に及んでお預けでは、生殺しもいいところだ。
すると琴音は扇子で口元を隠し、目だけで笑った。
「わたしは、間違いなく訃堂さんの妻になりました。子を産むとの約束も、違えるつもりはありません」
「ならば…ッ!」
「けれど、今の訃堂さんとは、子供を作る気になれません。いや、作れませんなあ」
「………どういう意味だ?」
この期に及んで、まだ難題を出されるのか? 正直にいってもう遠慮したい。
ならば、いっそ力ずくで押し切るか。そもそも、据え膳喰わぬは男の恥とも言うだろうし。
「無理やりにでもなさるというなら、わたしは自裁させて頂きます」
にっこりとして、懐から護り刀を取りだす琴音。
その笑みに反して、有言実行の覚悟が伝わってきた。
やる気に冷や水をぶっかけられた格好になった訃堂は、寝具の上で憮然としてしまう。
「まさか、俺との婚姻そのものが、おまえにとっての方便なのか…?」
この男にしてありえない小心がひょっこりと顔を出す。
「それはありえません。先ほども言いましたが、わたしは訃堂さんの妻です」
琴音はなおもコロコロと笑いながら、
「今の訃堂さんは、子供そのものの意味もわかっておられませんから」
結果としてますます困惑する訃堂にもう一度笑いかけ、琴音は布団へと潜りこむ。
「その時になったら、一緒に子供を作りましょう」
あどけなくすら見える顔でそう告げると、こちらに背を向けてしまう。
たちまち安らかな寝息が寝所内を回遊。
「…そんな殺生な」
思わず零した訃堂の手は、隣合わせの布団で眠る妻へと伸びた。
夫婦になったのだ。何を憚る必要がある?
それに、押さえ難い若い情動もある。
風鳴の当主となったのだから跡継ぎを作る義務もあるだろう。
並べられるだけの理由をならべて―――訃堂の手は一旦引っ込む。
自分が妻とした琴音は、権威や格式には媚びない女傑だ。
繊細な外見に反した豪胆さを秘めているからこそ訃堂も惚れたわけで、そんな彼女が初夜の晩で自決するという可能性は全く否定出来ない。
妻を手籠めにした挙句に自決された、となれば、身体を張って彼女を娶った意味もなければ、末代までの笑いものではないか。
…いや。でも。しかし…!!
そんな葛藤を繰り返し、若い訃堂の初夜は更けていく。
明けて翌日。
縁側へと出た訃堂は、昇りきらぬ朝陽に、真っ赤に充血した瞳を注いでいた。
せっかくの初夜を、まったく非生産に徹夜したのである。
「…
「はッ」
訃堂の呟くような小声に、すぐ目前に人の気配が生じた。
黒装束を着た緒川國電が庭先に現れた。
目前で片膝をつく國電に、訃堂は昨夜の新妻からの難題を話してきかせた。
「おまえはどう思う?」
「…はッ」
緒川忍群を統率し、訃堂に長く仕えることになる國電。
黒い頭巾の下の顔はなんと訃堂より若い。
この緒川の麒麟児は、女を知らぬわけではなかったが、人生経験は仕える主よりも足りていない。
そもそも閨の話を腹心の忍者に振るあたりからしてどうかしているのだが、それでも國電は訃堂の問いに答えるべく頭を巡らす。
ここで素直に『わかりませぬ』と流せないあたり、まだまだ若い。
「つ、つまり、奥方は殿さまに、子づくりをするにはまず子供のことを知るべしとご指摘されているのでは…?」
「ぬッ?」
「い、いえ、差し出がましい真似を…!」
一睨みされ慌てて平身低頭する國電。
訃堂としては別段睨んだ意味は薄く、彼の物言いに困惑していた。
人は赤子として生まれ、子供として育ち、大人として完成していく。
誰もが通る道であり、誰もが子供の心を弁えているのが道理ではないのか?
「…やはり、よく分からんなあ」
長い髪を訃堂はバリバリと掻きむしる。
「………」
國電も俯いて膝を突いたままだ。
やがて昇った朝陽が、庭先の主従を照らし出す。
刀で切りだしたような顔を橙に染め、ぽつりと訃堂は零す。
「仮に子供のことを知るらんとするなら、國電、おまえは何とする?」
「…はッ」
緒川國電は、その長い人生において訃堂に無茶振りをされたことは数えきれないが、今日のこれが嚆矢だったかも知れない。
まだ若い彼は、必死に主の期待に応えようとして、なんとか言葉を捻くりだす。
「模倣、という言葉がございます」
恭しく國電は言う。
「他者の動きを真似ることで、その動きをなぞり、一体化し、己がモノとする。忍びの術に限らず、あらゆる業の秘奥かと―――」
「つまり、俺に子供の真似事をしろというのか?」
「…ははッ」
否定とも肯定とも取れる言葉で濁し、ひたすら畏まってくる國電。
そんな彼を睨み落としながら、腕組みをして目を閉じる訃堂。
朝の静謐な空気に、雀の鳴き声だけが聞こえる。
やがて、訃堂の口が唸るように開いた。
「…やってみるか」
無茶振りする人間の結論は、やはり尋常ではなかった。
その後、鎌倉の下町を厳つい大男がそぞろ歩く姿が、子供の間で噂となる。
その容貌から、風鳴の若様は気が触れたのか? さっそく奥に愛想を尽かされたのか、との話は、風鳴一族の親戚の耳まで届くは必然。
辟易した訃堂は、東京まで足を延ばす。
まだインフラも充実したとは言えないこの1960年代において、なんと徒歩で一時間足らずで走破していたらしい。
東京はオリンピックを控え、空前絶後の高度経済成長期のただ中にある。
異国の文化が盛大に行き交い、訃堂は眉をしかめたが、毎日がお祭りのような騒ぎで訃堂が悪目立ちすることもなかった。
そんな訃堂は子供の動向を知るべく、下町行脚を繰り返す。
もともと戦後の娯楽もない田舎で幼年期を過ごした訃堂である。雨竜の厳しい躾けもあり、菓子なども滅多に口にしたことはない。
ちなみに雨竜は、琴音の輿入れに伴う引き出物の中にあった岩戸家秘伝の薬を服用していた。
それが稀に見る薬効を示し、すっかり活力を取り戻した雨竜は、往年の働きもかくやと思われる精力ぶりで、風鳴機関の再興に奔走している。次期当主のはずの訃堂がこうやってうろつける所以である―――。
閑話休題。
なので、訃堂は、初めて食べる下町の駄菓子には驚くしかない。
「…なんだ、これは」
味に繊細さもなく、栄養も認めがたい。見た目こそ工夫されているが、安価なだけが取り柄のこれを菓子などと言えるか!
訃堂は駄菓子を喰ったことがなかっただけで、菓子そのものを喰ったことがないわけではない。
それに、風鳴の総領息子だけに、食事は簡素であるものの、きちんとした食材で作られたものを食べていたので舌は確かだ。
まあ、そもそも本物の菓子に至らないから〝駄〟菓子なのではあるが、こんなものを嬉々と食べる子供たちに、訃堂はますます困惑を深めることになる。
それでも子供たちは元気なもので、駄菓子を齧りながらよく走る。
あちらに紙芝居が、こちらに街頭テレビが、と実に騒々しい。
もはや猥雑とさえ言える環境の中を、訃堂も子供たちに紛れて泳ぎまくる。
この時代の娯楽も急速に発展していた。
証拠に、紙芝居も少しずつその数を減らし、街頭テレビへと人気は移っていく。
映画館の数も爆発的に増加していたが、まだ子供たちが気軽に入れる場所ではなかった。
その手の文化的娯楽に幼少期はてんで触れる機会がなかった訃堂ではあるが、長じて街頭テレビを眺めたことはあった。
箱の中の絵が動くという衝撃もあり、外国人を日本人が叩きのめしているプロレスには興味を引かれた。
が、武を修めた彼にとっては、それはショーであり茶番でしかない。
なぜにそんなものに子供たちは熱狂するのだろうか?
理由は分からず、訃堂のその探求は、オリンピックを越えてなんと四年あまりも続く。
未だ子供が産まれぬ訃堂夫妻に、さては奥は
訃堂としては憤慨して訂正したかったが、肝腎の琴音が手を出させてくれないのだからどうしようもない。
―――まったく頑なな女だ。
溜息をつきつつ、今日も今日とて下町を微行する訃堂。
時に、1966年7月17日。
その日、訃堂は運命と出会う。
空想科学特撮シリーズ。
その存在自体は、訃堂も知っていた。
大規模な予算を投じ、映画と同じクオリティを可能としたTVシリーズ。
その中に登場するのは
ほとんどの人間が逃げまどい、最後は智恵と科学でどうにか回天する。
怪獣にかつての大戦の敵国の巨大な力を重ね見て、訃堂は興味をそそられ、同時に不快さも強く持った。
どうして誰も彼も直接殴りつけないのか不思議で仕方なかったのだ。
だが、今日のテレビに映る映像は違った。
白黒ではないカラーの画面の中で、銀色の巨人が怪獣を殴りつけている。
それは訃堂の思い浮かべていた光景そのものだ。
子供たちは歓声を上げ、訃堂も興奮を覚える。
その後、何十年に渡り続いていく特撮ヒーローが誕生したこの瞬間は、訃堂の中の価値観を大きく揺さぶる。
テレビ番組も、この光の巨人の物語に続け追い越せとばかりに様々なヒーローを誕生させた。
その人気に訃堂はふと疑問を抱く。
なぜにヒーロー番組は、子供たちに受けているのか。
勧善懲悪という骨子であれば、時代劇とそう変わらぬ。
この人気は、特撮の迫力の映像だけでは説明がつかないものだ。
その答えを、訃堂は光の巨人の最終回に見出した。
最終回。主人公から分離した巨人は、地球を後にして故郷である光の国へと帰って行く。
その瞬間、街頭テレビの前で、もしくは家の窓から身を乗り出し、子供たちはいっせいに空へ向かって叫ぶ。
『さよなら、ウルトラマーン!』
つまり、子供たちにとって、このヒーローの世界は、いま生きる現実の世界の延長なのだ。
光の巨人の物語に限った話ではないが、作品によっては内容に社会的な問題や風刺を滲ませた、若年には分かりづらいものもある。
それでもなお少年たちを熱狂させる理由は、リアリティ溢れるヒーローを身近に感じられたから。
尊敬できる正義の味方がそこにいる。
そのヒーローとて、苦悩し、苦境に陥り、それでも戦う。
そこに訃堂は作り手のメッセージを見出す。
予算や商業などの事情はあろう。
だが、当時の大人たちは体当たりで叫んでいた。
弱いものが虐げられてはならない。
力で無理が通されることはあってはならない―――。
大人たちの真剣な思いが、作品の向こうから確かに響いていた。
だけに、受け止めた子供たちはあれだけ熱狂していたのである。
訃堂は、この解釈は間違っていない自信があった。
同時に彼はこうも思う。
多くのヒーローたちは、己の身を省みず、戦いに挑む。
なんら見返りもなく、人知れず、絶望的な戦いでも、迷うこなく。
その姿は、まるで防人そのものではないか。
ならば、この特撮ヒーロー番組こそ、吾ら人知れず報われぬ防人たちへの応援歌―――。
この解釈の是非はともかく、訃堂は蒙を啓かれた心持ちだった。
防人も、ヒーローも、人と国の平和を護るために戦うことが共通している。
正直、訃堂は、この日ノ本という国土はともかく、人を護ることの意義を見出せていなかった。
特に戦後、大和の民としての誇りを失い、夷狄の文化を受け入れて嬉々としている人々には、唾棄すらしかねない悪感情を抱いていた。
風鳴雨竜の旧弊な教育のおかげもあっただろう。訃堂は生まれながらの国粋主義者だったと言える。
しかし、これら特撮ヒーローたちは、その意識をパラダイムシフトさせていた。
そしてその作品に熱狂する子供たちと、その作り手たちの存在も、訃堂の認識を著しく改めさせている。
―――この国の人々たちにも、護るべき価値は十二分にある。
あの日雨竜は花嫁を護る息子の姿に、防人の究極形を見た。
しかし結局のところそれは、訃堂が琴音の謎かけにたまたま最適解を見出したに過ぎない。
本来の訃堂が琴音との子供を求めたのも、自分より強い血筋を残すため。それこそ自分を倒せるほどの。
彼らを鍛え、この国土から夷狄の一切を抹消する。
他者から一笑に付されることをやり通すだけの膂力が訃堂にはある。
この時点の彼にとって、夷狄の文化に染まった民など大和の民ではない。
白と黒の世界しか見えていない単純すぎる二元論。
とてつもない力に反し、頭の中身はまだまだ成熟しきっていない子供と同じだ。
夫のそのような危うさを琴音は知悉していた。
たとえこのまま子を成したとて、人を護る本当の意味を知らねば、もとの粗暴な訃堂の数が増すだけ。
だからこそ、琴音は訃堂との初夜を拒絶したのである。
その日の夜遅く帰ってきた訃堂を、琴音は正装で出迎えた。
東京からひとっ走りしてきたのか息が上がっている。
だが、夫のその興奮した瞳を見た瞬間、琴音は使用人に風呂の支度を命じていた。
訃堂に風呂を使わせている間に、自身は寝化粧を施す。
「…人を護る意味がようやくわかったのだ」
濡れ髪も乾かさず寝所へ飛び込んできた訃堂を、琴音は落ち着かせるように笑いかける。
もはや夫に身を預けることに、彼女はなんの躊躇いもなかった。
その晩、二人は初めて結ばれた。
翌年には長子『笙一郎』が誕生。
それから二年置きに琴音は五人ばかり男子を出産し、大いに妻の面目を施すことになる。