道なき道を進むトラックの荷台が盛大に跳ね上がる。
荷台にこれでもかと詰め込まれた子供たちの頭が一斉に揺れた。
衝撃でどこかをぶつけて痛みに呻く声が漏れる。それらにすすり泣きや涙声も混じっていたが、悪路を噛むタイヤの音に掻き消されてく。
子供たちの誰も彼もが悲嘆にくれていた。
そんな子供の群れに、雪音クリスも膝を抱えて蹲っている。
「…パパ。ママ…」
もう何度繰り返したか分からない呟き。
俯いた頭の中では、同じ光景が延々とループしている。
政府軍と反政府軍のどちらが最初の引き金を引いたのかなんて分からない。
彼女が憶えているのは、命からがら逃げだした建物に撃ち込まれるロケットランチャーと、爆風で吹き飛んだ扉の業火の向こうに一瞬だけ見えた両親の姿。それだけだ。
泣き崩れる彼女に対し、誰も助けの手を差し伸べる大人はいなかった。
どうにか戦火が収まったあとやってきた大人たちは、無造作に彼女をトラックの荷台へと放り込む。
荷台には、既に似たような境遇の子供たちが幾人もいた。
ここは南米バルベルデ。褐色の肌を持つ子供たちの中で、クリスの白い肌は一際映えている。
クリスの父雅律と母ソネット。
父が楽器を奏で、母が唄う。
ここバルベルデは、長い戦乱の歴史を重ね、娯楽などもほとんどない。
そこにきて国連の使節団として来訪した雪音夫妻の奏でる音楽は、どれほど人々にとって衝撃的だったことか。
皆が聞き惚れ、感極まって泣き出すものもいる。
両親の音楽は好きだったけれども、そんな観客を眺めるのもクリスは大好きだった。
パパとママが褒められてるみたいで嬉しい。あんなすごい人たちが、あたしのパパとママなんだぞ!?
周囲の同年代の子供たちの羨ましそうな視線を受けて、クリスは胸を張る。
この年頃の自己顕示欲の中に両親も含まれているのは珍しくない。
バルベルデは危険な場所だ。でも、僕たちと一緒にいれば安心だよ。
父の言葉は矛盾していたが、クリスは安全であることを心から信じていた。
なにせ父と母の音楽が響くところに優しい空間が生まれる。
誰もが心穏やかに、眠ってしまいたくなるほど落ち着いた空気が膨れ上がっていく。
この結界の中にいれば、絶対に安全。
そう思って微睡むクリスの意識は、一発の銃声で打ち砕かれる。
立て続けに鳴り響く銃声。
爆発音。
怒号。
混乱。
気づけば、全てが炎と煙のなかへと消え失せていた。
一人取り残されたクリスは思う。
パパたちと一緒にいれば安全。じゃあ、パパたちと別れたあたしは…?
「痛ッ!」
そこで頭を小突かれてクリスは目を覚ます。
全身に汗をかき、幌の外には太陽が熱い。
狭い荷台で、丸一昼夜は過ごしただろうか。
水だけは与えられていたが、小突かれても具合が悪そうに動けない子供が何人も。
動ける子供たちより、次々と荷台から降ろされる。
むわっとした南米特有の熱帯植物の草いきれが全身を包む。
待ち構えていた大人から順番に手枷をはめられた。手枷のそれぞれが一本の紐で繋がれている。
紐を引かれて少し歩かされる。獣道を辿り、急に視界が開けた。
茂みの中に切り拓かれたそこは、クリスは知りようもなかったが非正規政府軍のキャンプだ。
ゾロゾロと引き回される子供たちの列に、大人たちは下卑た視線を注いでくる。
まるで全身を舐めまわされているみたいに感じ、クリスは鳥肌が立った。
そうして連れていかれ場所は、粗末な板葺の屋根がドーム上になった建物の前。
入る前に、全員が服を剥ぎ取られる。下着も何もかもだ。
手枷をつけたまま脱ぐことはできないので、乱暴にナイフで切り裂かれた。
クリスの着ていた服はこの国の文化レベルでは最上級品で、やたら丁寧に切り裂かれて少女の羞恥心を煽る。
その果てに、服の内ポケットにしまっていたそれを見つけられ、クリスは血相を変えた。
数年前に日本で名も知らぬ老人にもらったバッチ。今でも彼女の大切な宝物。
見つけた男は、バッチの中心の赤い宝石に興味を示す。
刃先で宝石をこじくり出そうとするのを見て、思わずクリスは声を発していた。
「や、やめて…ッ!」
直後、別の男に頬を殴られた。
子供相手に容赦のない一撃で、幼い意識は飛びそうになる。
どうにか意識を維持した滲む視界には、宝石を取り外して小躍りする男がいた。
今の彼女は、唇を噛んで睨むことくらいしか出来ない。だが、そんな気力すら今の打擲で消失している。
残ったバッチは用済みとばかりに、男たちの仲間がこぞって笑いながら踏み潰していた。
涙と傷つけられた心を抱え、クリスは建物の中へと引き立てられていく。
薄暗い建物の中は、日本の小学校の体育館程度に広かった。
板張りの殺風景な空間は、風通しも悪く蒸し暑い。
暗さに目が慣れると、既に多くの素っ裸の子供たちが壁際に座らされているのが見えた。
手枷で一繋ぎにされたクリスたちも並ばされ、ささくれ立った板張りに腰を降ろす。
子供たちは誰もが項垂れていた。
すすり泣きを漏らすもの。
小刻みに身体を揺らすもの。
無意味にゆっくりと身体を動かすもの。
スペイン語の呟きも聞こえたが、クリスには意味が分からない。
頬のじんじんとした熱さを意識しながら、クリスは膝を抱え込む。
これから、あたしはどうなるんだろ…?
クリスはまだ十歳になったばかりだが、ある程度の知識は持っている。
男女のあれこれから、この国では子供が売買されているらしいこと。
そして、売られて買われた子供がどんな目にあうのかということも。
怖かった。
想像するのが怖かった。
想像すら出来なかったのが怖かった。
不自由な態勢のまま、クリスは膝頭に顔を埋める。
突っ伏して、努めて何も考えないでいるうちに、わずかなりとも微睡んてしまったらしい。
誰かが失禁したのか、嫌な臭いが鼻をつく。
不意に扉が開け放たれ、大人たちがドヤドヤと入ってきた。
怒号が響き、一人の子供が蹴飛ばされる。どうやら失禁していたのはその子のよう。
容赦なくその子は打ち据えられ、動かなくなった。
見せしめの効果は絶大で、他の子供たちは喋るのも動くのも止め、一斉に息を潜めている。
男の一人が壁際を順繰りと見回す。
そして、一人の子供を見定めると、ナイフで手枷の紐を切断。建物の真ん中まで引っ張ってくる。
痩せた女の子だった。クリスより幾分か年上に見え、胸が少し膨らんでいた。
男は、ズボンを脱ぐと、女の子に覆いかぶさった。
男たちの下卑た歓声と少女の悲鳴。
子供たちにとっては恐怖の二重奏だったが、それを三重にも四重にもするべく、他の男たちは別の子供たちの物色に入る。
たちまち複数の少年少女が真ん中のスペースへと引っ張り出された。
最後に残った男の一人は、ランタンのようなモノを掲げ、なおじっくりと子供たちを見回している。
その視線がクリスの上で止まった。
脅えて後ずさる少女に対し、男は舌なめずりをしながら寄ってくる。
残り物には福がある、といわんばかりの獣欲に塗れた顔に、クリスは全身の血の気が引いていくのを自覚する。
クリスの手枷の紐が切られた。
紐の端を掴まえた男によって、真ん中まで引っ張られていく。
クリスの色白な容色に、他の男たちは最中にも関わらず一斉に口笛を吹いた。
全身に鳥肌を立てながら、逃れようにも手枷はされたままだ。クリスは必死に前蹴りで抗う。
もともとが華奢なクリスと男との体格差は圧倒的で、ほとんど効果は認められない。
男はニヤニヤ笑いを浮かべていたが、突然呻く。たまたまクリスの一撃は鳩尾のいい所に入ってしまったようだ。
一瞬で怒りの形相に転じた男は、クリスの顔面に容赦ない平手の往復。
その威力と恐怖に茫然として、クリスは固まってしまう。
脅えきった少女の姿に、男はまたぞろ満面の笑みを浮かべると、いそいそとベルトを外していく。
クリスの茫然自失の両眼から涙が溢れた。
それは、痛みによるものか恐怖によるものかすら判然としない。
もはや目前の大人に抗う気力すら消え失せている。
恐怖と、両親への想いと、これから自分を待ち受ける理不尽な未来。様々な記憶と感情が混然一体となって、彼女の幼い脳髄を冷やしていく。
このままでは精神の崩壊を招くと判断した生存本能が心を凍てつかせようとしていた。
代償に、事が済んで正気を保たれたとしても、この少女は精神の奥深いところに、徹底的な大人に対する嫌悪を埋め込まれるのは間違いなかった。
その憎悪は、おそらく世界そのものを燃やし尽くすほど激しいものとなるだろう。
もっともそれは、彼女が生き延びられることを前提とした話。
当座の破滅を回避すべく、クリスの幼い肉体と精神は防衛機能を起動。
迫る男を前に、少女の中のあらゆる感情と感覚が、残酷な初めての蹂躙をやり過ごすため凍てついて行く―――。
――――その時、不思議なことが起こった。
「…なんの音だ?」
男の一人が腰の動きを止め、スペイン語でそういった。
気づいたのはその男だけではない。いまやはっきりと皆に聞こえる音が迫る。
これは―――落下音?
思い当たるのはミサイルといった対地兵器だ。
だが、思い当たったとて、迫りくる音にもはや逃げる術はない。
もう手遅れだ。そう悟った身体が、人間の反射反応で硬直する。
次の瞬間落下音は地表へと達し、建物の屋根は吹き飛ぶ。
しかし、着弾と同時に生じる爆発は起きなかった。
では、何が落ちてきたというのか?
誰もが、屋根を吹き飛ばされ太陽の注ぎ込むその建物の中心に、忽然と姿を現した人影を見ていた。
彼を知る立場にある政府関係者はこう言う。
『彼は
彼を知る某国の国防関係者はこう言う。
『彼こそが日本のSAKIMORIのトップ。
彼を知るとある国の武術インストラクターはこう言う。
『彼は武術の極致にある人です。我々武術家にとって、彼は武の
そしていま。
宇宙に煌めく星は、地上へと降り立った。
風鳴訃堂がそこにいた。
「―――儂、参上ッ」
高々度からの着地の衝撃を
殺しきれなかった衝撃を天頂部から逃せば、その威力に長い白髪が渦を巻くように天を衝く。
その訃堂の姿に、男の一人が震える声で呟いた。
「
鬼は、じろりと視線を巡らす。
こちらを見上げてくる全裸の少女にかつての記憶を晴れ渡らせる。
その彼女に半裸で覆いかぶさろうとする男に、一瞬で全てを察した。
鬼の鉄拳が唸りを上げる。
次の瞬間、男の姿は影も形もなくなっていた。
怒りの拳は、男の肉体を塵一つ残さずこの世から抹消。
いや、その威力たるや霊体にもおよび、男の魂は輪廻の輪に乗ることもなく消滅している。
物理的にも霊的にも完全に消失した男に対し、その傍にいたクリスにそよ風一つも影響を与えていないのはどういうことだろう?
信じられないとばかりに大きく目を見張るクリスに、訃堂は笑いかける。
「久しぶりだな」
全裸のクリスが飛びついてきた。
太い首に腕を回して涙腺を全開にする彼女の泣き声を耳に、しっかと片手で抱き止めながら、訃堂は鬼へと立ち返る。
それから、その場所を中心にした半径10㎞圏内は、絶望的なまでの正義の狩場と化した。
雪音クリスにとっての僥倖は、彼女がさらわれた当日、特異災害対策機動部総司令として訃堂が米国を訪問していたこと。
直々にとある聖遺物の受け取りに出向いていたわけだが、米国嫌いを公言している彼にとって奇跡的なことである。
訃堂自身としても、虫の報せということを意識したわけではないだろう。しかし受け渡しの米国はノースダコタ州を訪れてた際に、日本から緊急連絡が。
それは、かつてバッチをくれてやった雪音クリスからのエマージェンシーコールを受信したとの連絡。
クリスには言ってなかったが、あのバッチは翼の誘拐といった危急の事態に備え、宝石の部分を押し込むと自動的に居場所が発信される仕組みになっている。
その連絡を受け、眉を顰める訃堂。
訃堂をして、外国における同胞の働きは気に留めている。
雪音クリスの両親が国際使節としてバルベルデを訪れていた詳細は知らねど、つい先日内戦に巻き込まれて亡くなったことは、日本のどのマスコミより早く把握して心を痛めていた。
そこにきて、クリスが持っていたバッチが起動したとて、すわクリスの生存の保証には繋がらない。誰かが彼女の死体から持ち出した可能性もある。
だが、通信機能も備えたそれが『や、やめて…ッ!』という少女の日本語の声を拾っていたことに、訃堂はその可能性を除外する。
身を翻した訃堂は、基地司令を恫喝。
日本から送られてきた座標を基に、ICBMの弾頭を抜いて替わりに自分が乗り込んだものを撃ちださせている。
座標の直上でミサイルから飛び出した訃堂は、押し寄せる対空砲火の雨あられを素手で捌き、クリスの救出へと馳せ参じた。
羅列してしまえば、実に単純な話である。
バルベルデにおける訃堂無双は、一瞬の軍事的空白地帯を産み、その間に国連主導のアメリカ軍が突入。多くの戦災孤児の救出に成功している。
この事態にバルベルデ政府は、〝強盗しておいて証拠を見つけたと騒いでいるようなものだ〟と強い非難声明を発表。特に撃ち込まれたミサイルに対して大きな苦情を上げた。
対してアメリカは、加害者の立場にも関わらず〝一発だけなら誤射かも知れない〟と日本の政治家のような言を左右している。実際のところ、多くの戦災孤児の救出という実績に国連の後ろ盾もあったことがあり、何もかもが政治的な灰色で幕が引かれていた。
訃堂のバルベルデの活躍は国際的にも公にはされなかったが、無罪放逐とはいかず、特異災害対策機動部総司令を更迭された。日本としては、アメリカに対する最大限の謝罪であり譲歩であった。
総司令の後釜には、末子の風鳴弦十郎が推挙され着任した。
なお、訃堂とともに帰国した雪音クリスは、風鳴家の猶子となっている。