桜ヶ原小学校同窓会へようこそ   作:犬屋小鳥本部

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出席番号19番「伝染性吐血症害」

19××年、夏。

とてもとても暑い夏だった。

これは、俺の。俺だけのとっておきの話だ。

長い話になるけど、みんな、最後まで聞いてくれ。

 

あの年の夏休みを利用して、俺は母さんと一緒に父さんが働く工場のある町へと遊びに来ていた。

 

俺の父さんは何ヵ月か前に働いていた会社から異動の辞令が出て、その町の工場で働くようになった。

詳しくは知らないけれど、水質調査などの水管理が仕事だったらしい。

 

その町はそんなに大きな町ではなかった。ただ、父さんが勤める案外大きな工場と、近くにある大きな街から配信されるローカルテレビの意外と面白い番組が特に強く記憶に残っている。

 

町に着いてすぐ、俺は近所の同年代の子どもたちと親しくなった。子どもって、そういうところでは本当にすごいよな。

お前らとはすぐ打ち解けたわけじゃないけど。

 

その中にあの子はいた。

肩まである栗毛の、おとなしい女の子だった。

俺よりふたつ年下のあの子は、おにいちゃんと言っては俺の後ろをくっついて歩いていた。

俺も一人っ子だったんで、あの子のことを妹みたいに可愛がった。

 

あの日までは毎日一緒に遊びに出掛けて、夏休みの宿題をみてやって。

そうだ。一緒にスイカも食べたし、他のガキたちも一緒にうちで花火もやった。

 

みんな笑っていたんだ。

あの子も。新しい友だちも。父さんも。母さんも。

 

朝、ラジオ体操をしに公園へ行けば、帰郷してるっていう大学生のお兄さんがハンコを押してくれて。

小さな商店街へおつかいに行けば、肉屋のおばちゃんはコロッケをおまけしてくれた。

八百屋のおじいちゃんは手伝いして偉いと誉めてくれた。

扇風機が壊れて家電屋へ持っていったとき、直るのを待ってる間高校生のお兄さんとゲームの話で盛り上がった。

 

ほとんど毎日晴天に恵まれた。

 

俺がその町で過ごし始めてから、少なくともその日までは雨が1日も降っていなかった。

でも干上がるほどではなくて、畑の横に流れる水路は毎日潤っていた。

そこから水を汲んで野菜にかけてやれば、萎びていたトマトもキュウリも元気になってうまい飯が食べられていた。

町の何ヵ所かにあった井戸から汲み上げた水はいつも冷たくて、遊んで汗だくになった俺たちの喉を潤してくれた。

 

水路は町にある畑を巡るように、縦横無尽に流れていた。

井戸はほどんどの町の人が毎日使っていた。

 

豊かな水はその町の生命線だったんだ。

 

父さんが働く工場は、水源の上流にあった。

 

その日は珍しく空が曇っていた。

夕方くらいから雨が降るかもね。母さんは朝食を用意しながらそう言っていた。

俺は黒い雲を見ながら、今日は何をしよう、とのんきに考えていた。

 

朝食を食べ終わった俺は、あの子を家まで迎えに行った。

玄関を叩くと、入り口から顔を覗かせたのはあの子の母親だった。彼女は、あの子が夏風邪をひいたことを俺に教えてくれた。昨夜から咳が出て、今朝になって発熱してしまった。だから、今日はあなたと遊べないのだ、と。

 

そういえば夕方、あの子は怠いと言っていた気がする。

それに、その町以外でも夏風邪は流行っているとテレビで言っていた。

それじゃあまた今度、お大事に。そう言って俺はあの子の家をあとにした。

 

俺は一人でぶらぶら歩いた。そうしたら、近所の同い年の男子がやってきて、工場へ探検しに行かないかと誘ってきた。

考えたら工場へ行ったことがない。

俺はひとつ返事でオーケーした。

 

工場の周りをぐるりと囲むフェンスに開いた1ヶ所の穴。そこから俺たち4人は忍び込んだ。子ども一人が這ってやっと通れる穴。

俺たちはそこから静かに忍び込んだ。

 

それは昼前の話。まだ、雨は降り出しそうになかった。

 

工場内には警備員はいなかった。

まるでスパイになったような気分で俺たちは工場を歩き回った。見つからないようにと、心臓はどきどき速さを増していた。

 

しばらくして、俺たちは工場の中へ入る入り口を見つけた。そこは扉ではなくてシャッターになっていたから常に開けっぱなしで、中の暗闇が変に気味悪さを滲み出していた。

もともと人が少ないのであろうか、そこまでの道で見かけた大人は両手で足りる程度だった。

 

(入るか?もちろん。まだ引き返せるぞ?ここまで来て?入ってしまおうぜ!)

 

目で合図を送りながらタイミングをみて俺たちは中へ入り込んだ。

中は薄暗く、空気は湿っていた。

ぽたりと汗が首を伝っていく。

ふと、あの子が一緒でなくてよかったと何となく思った。

工場の中は大きな管の中を勢いよく水が流れていた。ザアザアという音が大きく響いていて、小さな俺たちの囁き声は簡単にかき消されてしまった。足音すら消されたのは好都合だったのかもしれない。

所々で水飛沫が上がっている場所が見える。そういうところには大抵人がいて、何かをチェックしていた。

管は傾斜をつけて場内を巡っており、それと一緒にキャットウォークと呼ばれる足場が組まれていた。

 

思っていたよりつまらないな。

一人がぽつりと言った。

 

確かに。町の中では唯一最新式の機械を使用していると聞いていた。

工場を作るとき町民がそこそこの金額を出し、更に工場のお偉いさんたちもある程度出資したらしい。それだけ期待され、通年水不足にならないという良い成果を町に与えているのだ。

といっても、難しい話俺たちも含めて町の人のほとんどは工場が具体的に何をしているのか知らなかった。

いや、工場が何か悪いことをしているとかいう話ではない。工場を経営している「上」が重要だったんだ。

今となっては既に遅いが。

 

もう帰るか。

 

先頭を歩いていた奴が出入り口を指差した。

音を立てないようにゆっくりと出入り口へ向かおうとすると、どこからかパリンとガラスが落ちるような音がした。それほど遠くないところからだったと思う。

気がついたのは俺だけで、他の奴らは動きを止めなかった。俺は一度止まって、周りを見渡した。

すると、

「…あ」

-父さん

数十mも離れていない所に作業着を着た父さんがいて、向こうも俺を見て驚いた顔をしていた。

ただ、見つかってバツが悪い顔をしている俺とは違う意味で父さんは驚いていた。

 

「と」

「来るんじゃない」

謝ろうと父さんの方に足を向けると、父さんは静かにそれを制した。すると、父さんは俺の足下を指差した。

俺の足のすぐ下には水の流れる管が通っていて、一度迂回して丁度父さんの方へ流れていた。

管を目で追うと、迂回した所で何人か大人が集まって何か激しく言い合っていた。彼らの足下には水の流れる管と、そのすぐそばに割れたガラス瓶が散乱していた。

「あっちに扉があるから、そこから出なさい」

父さんが次に指差して言ったのは、俺たちが入ってきたシャッターの所ではなくちゃんとした出入口だった。

ただ、シャッターの所より少しだけ離れていた。

「絶対にこっちへ来てはいけないよ。わかったね?」

俺は頷いて、父さんが示した出口へと向かった。

扉から外へ出るとき、ふと俺は後ろを振り返った。

 

工場内を縦横無尽に巡っていた水路から、少しずつ水が溢れだしていた。

溢れだした水は、既に何人かの大人の足を浸していた。

 

扉から外に出て他の奴らと合流し、すぐに家へ帰った。

帰る途中、喉が渇いたなー、と俺は汗だくになりながら言った。

「お前ら平気そうじゃん」

隣の奴を見ながら言った。

「だって、お前が出てくる前に工場の外にあった水道で飲みまくったし」

なるほど。お前ら、俺を待たずに水を飲んでいたのか。さぞ旨かったろうな。

軽口を叩いて笑いあった。

 

俺は、このときのことを思い出す度に胸がずんと重くなるんだ。

俺は、運がよかったのか。

悪かったのか。

今になってよくよく思い出してみると、偶然が重なり過ぎてはいないだろうか。

俺は、とてつもなく不安に落とされる。

 

夜になって雨が降り始めた。

 

父さんは、その日帰ってこなかった。

ただ、家に電話が一本かかってきた。

母さんが出て、長い電話をした。

長い長い電話だった。

途中、母さんは俺と電話を交代した。

母さんは、泣いていた。

電話に出ると、父さんは開口一番に俺の心配をした。

どこか体調は悪くないか。

周りで変な病気のようなものは出ていないか。

雨が降りだしてから家の外には出ていないか。

水道から直接水を飲んでいないか。

ごほごほと咳をしながら父さんは俺と話をした。

「父さん、風邪か?最近ここらで夏風邪流行ってるんだ。気を付けろよ?」

最後に会ったときはそんな素振りも見せなかった父さん。

「いいんだ。もう、いいんだ」

もう一度母さんと電話を代わってくれと、父さんは言った。

父さんはさいごに

「お前は絶対にこっちへ来てはいけないよ。どうか約束してくれ」

そう言った。

訳がわからなくて、俺は適当にわかったわかったと言い、母さんと交代した。

 

これが、俺が父さんの声を聞いた最期となった。

 

電話が終わり、もう寝ようと布団に入りかけたとき母さんが俺を呼んだ。

来週、この町を出てもといた家に帰ろう。

父さんがね、もう切符を用意してくれてるのよ。

母さんが言った。泣きはらした目は真っ赤で、見てるこっちが辛くなるほどだった。

あの子を思い出して帰りたくないと思った。

でも、首を横に振ることはできなかった。

わかったと小さな声で俺は言った。

あとね、明日でいいからこのノートの中身を読んで欲しいの。

母さんが俺に一冊のノートを差し出した。

ぱらぱらと捲ると、馴染みのある父さんの字でびっしりと何か書いてあった。

最後の方に、母さんの字で走り書きがされていた。

まあ、明日でいいなら明日読もう。そう思って枕元に置いた。

 

 

 

 

 

次の日、雨はあがって空には再び晴天が覗いていた。

 

台所へ行くと、母さんが鍋に水をいっぱい汲んで火にかけていた。汗をだらだらと、それこそ床に水溜まりができそうなくらい流して作業をする母さんに、異常さを感じた。

台所は蒸気で酷く蒸していた。

「母さん、おはよう。その、なんかあったの?」

俺に気づいた母さんは、一度手を止めて振り返った。

「ああ、おはよう。もう、水道の水は使っちゃダメよ。朝御飯食べたらお買い物に行ってもらいたいから、お願いね」

(水道?)

「手を洗ったりするのはこのお水を使ってね」

そう言って、大きな瓶を指差した。

「絶対に町の水路からの水は飲んじゃダメ」

町の水路。ふと昨日行った工場を思い出した。

「触ったりしてもダメよ?何があるかわかんないから」

(何があるか?昨日までそんなこと一言も言っていなかったのに?)

「お友だちにも伝えてあげてちょうだい。体調が悪かったら家から出ちゃいけないとも」

(体調?夏風邪のことか?

今年の夏風邪ってそんなにヤバイのか?)

「それとね

 

お父さん、今朝死んじゃったって」

 

(は、え?誰が

死んだ、って…)

 

時間が止まったかと思った。

部屋の蒸し暑さも、外のセミの鳴き声も、全て消え失せてしまったかのようだった。

俺の心臓の音がだくだくと響いていた。

汗が流れ落ちる。

嫌な、汗だ。

「だ、って、昨日でんわが」

うまく声が出せない。

(誰が、しんだって?)

 

「きっとこれから大変なことになるわ。だから」

母さんの声は淡々としていた。

(母さん?悲しくはないのか?父さんが)

「だからね。しっかりして。

お父さんの意思を大事にしてあげて」

母さんは、泣いていた。泣き声もあげずに。

「わかった。わかったよ、母さん。

俺、ちゃんとする。父さんの分もちゃんとするから」

母さんは頷いて作業を再開した。

机の上に置かれていた朝食を自分の部屋に持っていって食べた。何も考えないようにした。

布団はまだ敷かれたままだった。

このまま横になり、眠りにつき、悪い夢だったらと思った。

 

枕元には、昨日眠りにつく前に置いたノートがそのままになっていた。

(父さんの字が、父さんが何か書いていた、何を。)

 

俺は、やっとそのノートを手にとった。

 

一ページ目。日付は大体一年位前。書き出しは

『これより○○工場へ派遣されることとなった。工場の雰囲気は良い。ただ、スポンサーである△△企業に悪い噂を聞く。何もなければいいが。』

○○工場は、父さんが前にいた工場だ。

父さんの仕事は単純に体を使って労働しているものではない。どちらかといえば、技術面でアシスト・アドバイスをするというものらしい。

だから、工場内の人たちとはよく話をするらしい。

しばらくよくわからない記号や文(英語?ミミズが這ったような文字も時々入っている)がページを埋めていた。

多分仕事の技術的なことなんだろう。

 

俺は今まで、父さんの仕事について詳しく聞いたことはなかった。一度だけ、聞いたことがある。でも、全くわかんなくて。お父さんのお仕事は本当に難しいからねー。私も全くわからないわー。そんな風に笑いながら母さんも聞いていた。父さんは苦笑して、じゃあもうこの話はお仕舞いにしよう。そう言って俺の学校の友人について聞いてきた。

 

父さん、頭が本当によかったんだよな。

そう思いながらページを捲り続けた。

 

日付は半年前。丁度この町に異動になった頃だ。

そういう技術的なことが書かれたページが減った。時々焦ったような字で短い文がたくさん書かれている。箇条書きのところも多い。

俺は見つけた。

ノートの始めに書かれていた、父さんが心配していたスポンサーの企業。△△企業。

その名前が増えていた。

この企業、俺聞いたことがないな。まあ、興味ないから当然だけど。

それにしても、何をこんなに父さんは焦ってるんだ?

 

俺はページを捲り続けた。

 

日付は今年の春。ページの様子が一変した。

あんなに几帳面にびっしりと書かれていた文字が、半分以下に減っていたんだ。

 

(何があったんだ?)

 

ペラペラとページを捲る。すると、気になる言葉が書かれていた。

『ウィルス』『出血』『咳』『伝染』『水』

(ウィルス?病気?)

俺の頭に浮かぶ心当たり。

そして、次々と結び付き浮かび上がるひとつの可能性。

 

(まさか)

 

俺はページをとばし、日付を一番新しい、つまり父さんが書いた最後のページに進んだ。

最後のページには『ワクチンの製造方法』と書かれた難しい文。

そして、そして

 

「どうか生きて幸せに」

 

父さんが俺に向けて書いた最後のメッセージが、彼本来の丁寧で几帳面な字でしっかりと遺されていた。

 

(父さん、父さん!)

 

昨日最期に電話口で聞いた声と、工場で見た顔がよみがえる。

俺はノートを閉じてしばらくうつむいていた。

今考えるとさ、そんなことしてる場合じゃなかった。

本当にそのノートの通りなら、それからどうなるかわからないじゃないか。

 

ノートに書かれた最後のページには、昨日父さんが母さんに伝えたであろう内容がしっかりと記されている。

 

特に注意すべきことは水。

 

俺の出した答えはこうだ。

 

△△企業があるウィルス(病原菌?)を持っていた。あるいは作っていた。

それが昨日工場の水に溶けてしまった。多分、あの割れていたガラスの器に入っていたんだろう。

ウィルスが溶かされた水は工場内をめぐり、水道管や水路を通じてこの町に送られる。

父さんによると、そのウィルスは液体を介して感染するらしい。水に溶けたウィルスは、その水を飲むことはもちろん触れるだけでも感染させるだろうということだ。

 

だから、昨日工場で父さんは「こっちに来るな」と言ったんだ。あの時俺が立っていたのは父さんの立っていた所よりも上流だった。

俺と父さんの間には割れたあのガラスがあった。あの時父さんが水に触れていたのだとすれば、きっとウィルスに感染してしまっていたのだろう。

 

感染した人の初期症状は風邪に似ているらしい。咳が出るのだという。あと、微熱も。

 

電話がかかってきた夜、父さんは咳をしていた。

 

その後、急に吐血するらしい。

 

そして、その出血の量が多すぎて死に至る。

 

どうよ?

見事なSFだろ?

 

俺はこの町に来る前に読んだ小説を思い出した。

あるウィルスが街に撒かれて、人々が発症して次々と死んでいく。パンデミック・ホラーとかいう内容だったっけ?

あの病気の症状も風邪に似ていた気がする。

確かその病気はちょっと変わっていたんだっけな。

 

俺は母さんに一言言って外へ出掛けた。

 

昨日風邪気味で休んでいたはずのあの子の家へ駆け込み、緊急だと事情を話した。俺の父さんがあの工場で働いていることを知っていたあの子の両親は、町の状態を教えてくれた。幸いにも、あの子の父親は医者ではないけど大学で医学を専攻していたらしい。

その人は××という病気ではないかと聞いてきたけど、俺は違うと言った。その病気は父さんのノートにも書かれていたけど、大きく×印がついていたんだ。多分、すごく似ているんだろう。

 

俺は、まだ一度もこの町に潜むウィルスが引き起こす症状を目の前で見たことはなかった。

だから、強気でいられたんだ。

そのときは、な。

 

その人は、一度だけその似ている病気の患者を見たことがあるらしい。

だからこそ、町に同じような症状が溢れるのを酷く心配しているんだ。

他にも似た病気はあるが、私はあんな症状を二度と見たくない。その人は言った。

 

俺の想像の中では、テレビや映画の中で起こっているシーンをイメージしていた。

 

俺は父さんから貰った情報をその人に伝えて、母さんから頼まれていた買い物をしに商店街の方へ向かった。何か異変があれば、すぐに引き返してくるよう念を押された。

朝の時点で既に町全体には警報が出ていたらしい。それでも、その人は町長さんを経由して他の町の人たちに連絡してくれるそうだ。心強かった。

 

その家を出るとき、あの子がパジャマを着たままおにいちゃん、と寄ってきた。

風邪は大丈夫かと聞くと笑って、うん。もう平気。と言った。またあとで来るから宿題でもしてろよ、と俺は言って頭を撫でた。

熱は、ないみたいだった。

 

商店街への道を歩きながら、俺はウィルスについて、その病気について考えた。

あの子の父親も言っていたけど、小説にも載っていた恐ろしい病気。

名前は、『エボラ出血熱』。

エボラ出血熱。

致死率が50~90%の急性ウィルス感染症。

ワクチンはまだ、見つかっていない。

 

潜伏期間は2日~3週間。その間は感染力がない。

エボラウィルスを病原体とする、ウィルス性出血熱のひとつだ。

 

驚異の感染力を持つが、この感染力は発病してから発現する。つまり、潜伏期間中には感染力がないということになる。ないはずなんだ。発病してからの感染力はエボラウィルスの持つ特徴からのものらしい。確か、ほとんどの体内の免疫を突破するとか。

そのため、感染してからの致死率が異常に高いんだとか。集団発生の場合は致死率が90%に達する場合もあるらしい。

 

血液や体液を介して感染する。ただし、空気感染はしない。

つまり、感染し発病をした末に死亡した人の死体には触れてはいけないということだ。実際に過去の発病事例では死体に触れた人、医師や看護師が特に多いだろう、の発病も多いそうだ。

 

初期症状は風邪に似ている。発病時には突発的な高熱が出る。

症状自体には特徴的なものはないため、他の病気と区別するのが難しい。

ウィルスを顕微鏡で見てみないかぎり断言できないのは辛い。しかし、結局のところ同じように判断が難しいウィルス性の病気でエボラ出血熱のように危険なものはいくつもあるわけで、可能性があるとわかった時点で警戒しないといけないのだ。

 

自然界のウィルスのキャリア、持っているけど発病はしていないようなやつ、はコウモリが有力とされている。

ゴリラやチンパンジーがこのウィルスによって大量に死亡した事例もあるらしいが、あくまでこれは被害を受けてそうなったものだ。

大元の元凶というわけではない。

 

とかなんとか。

難しい話だが、難しい。

俺は自分でそんなに頭がいいとは思っていないから、なんでそんな小説を読んだか自分でも疑問に思う。

誰だよ、あの小説を俺に奨めたのは。

あ、お前か!難しかったよ!でも結果的には助けになった…か?とりあえず礼は言っとく!

思わず顔がチベットスナギツネ。

 

現実と小説はもちろん違うんだけど、当てはめて考えた方が今後行動しやすいと思う。

まあ…イメージトレーニングも役にたつってことだ。

 

歩く道の横には水路がある。

そこには昨日までと変わらず水がひかれていた。ただ、少し少ない気がする。流れもない。

工場からの水が止められていたんだろう。

 

あの工場は、あの後どうなったんだろう。

(そういえば)

 

俺は足を止めた。

 

(潜伏期間。

ウィルスに感染してから発病するまでの期間。

 

工場に行ったのが昼過ぎ。そこで汚染が起きたとして、父さんの発病は同日の夜。

いくらなんでも早すぎないか?

 

いや、参考がエボラ出血熱だ。違う病気ならあり得ることなんじゃ?

確かエボラ出血熱は『急性ウィルス疾患』、症状が進むスピードが早い病気だったはず。それより更に早いぞ?数時間だ。

インフルエンザだって数日はかかるだろ。

感染してすぐ発病する病気なんてあるのか?

 

そもそも、感染したのは本当に昨日だったのか?)

 

俺は考えた。でも、夏休みに入ってからこの町に来た俺には町の異常なんてわかるはずもない。だって通常の町の状態を知らないのだから。

 

(今考えても遅いか。

だって、もうウィルスは水に溶けて水路で巡ってしまったんだから)

 

俺は止めていた足を再び動かし出す。

 

(町は、どうなっているんだろう)

商店街に着くと、雰囲気はほとんど昨日と同じだった。

いや、昨日よりは風邪気味の人が多いかな?

所々でごほごほという音が聞こえた。

でも今年は夏風邪が流行ってて…

 

(夏風邪?)

 

ローカルテレビでやっていた、今年は夏風邪が流行っていますねというニュース。

 

工場から流れ出てしまった、初期症状が風邪に似ているらしいウィルス。

 

(たまたまだろう?

だって、ウィルスが流れたのは昨日のことなんだから。

たまたま夏風邪がこのタイミングで流行っただけだって)

 

嫌な予感に胸がどくどくした。

(まさか、な)

 

商店街の入り口で立ち止まっていると、おーい、と声をかけられた。昨日工場へ一緒に行った三人だった。

 

「どうしたんだよ、んなとこで止まって」

「あー、なんでもない」

「ごほ、おまえ元気そうでよかったわー。俺ら、あの後風邪気味になっちまってさ」

 

三人とも咳をしていた。

それが気になった。

周りから聞こえる「ごほ」という咳の音に、何かが混じっている気がした。

 

「来週さ、俺元の所に帰ることになったんだ」

父さんとウィルスのことは伏せて話をする。

不安にさせたくなかったから。

「そっか。淋しくなるよな…ごほ」

「お前ら咳出てるなら、家で休んでろよ」

「いやいや、今日な、隣町からテレビ来るんだって。映らなきゃ損でしょ」

笑いながら言ってた。

笑ってたんだ。

 

そのときは。

 

昼近くになって、町の中心にある公園へ行くことになった。

最後だからって、一緒にテレビに映ろうってことになったんだ。

それがあんなことになるなんて、誰も思っていなかった。

 

咳が酷くなってきたそいつらに、俺は強制的にマスクを着けさせた。

効果があるのかわからないけど。

 

父さんの遺したノートには、ウィルスへの対策が書かれていた。

水を媒介にするが、加熱によって死滅すること。これが主な対策だった。

だから今朝、母さんが大量の水を沸騰させていたんだ。

そう。水が、水を、水で。ウィルスが感染する。

 

感染した後は?

 

咳が出る。熱も出るかもしれない。

そんな風邪の様な症状が出た人は、その後どうなるんだ?

 

エボラ出血熱では名前の通り高熱が出て、ウィルスによって内臓とかがダメにされて、内出血も起こる。だから、吐血や出血・下血が起こる場合もあるわけだ。

 

じゃあ、昨夜咳をしていた父さんも辿ったであろう末期症状はどんなものなんだ?

 

公園へ着くと、三人はベンチへ怠そうに腰かけた。

大丈夫かと聞くと、咳混じりに平気平気と答えた。

ごほごほと周りから聞こえる咳の音はやけに大きく聞こえていた。

(どれくらいの人が夏風邪なんだ?)

 

そもそもこれは「ただの」夏風邪なのか?

 

嫌な予感がひたひたとすぐ近くまで来ていた。当たって欲しくない、まさかという可能性。

 

汗がぽたぽた垂れる。

「俺、あっちにある自動販売機でなんか飲み物買ってくる」

そう言って、その場を離れた。

テレビに間に合うかわからないぞ、と言われたがそんなの俺にはどうでもよかった。

 

自動販売機の飲み物ボタンを押して、残してきたあいつらの方をちらりと見る。

 

テレビのクルーが到着したようだった。

 

まもなくテレビの中継が始まり、マイクを持った女性レポーターがインタビューを開始した。

この町についての簡単な概要から始まり、それでは住人の方にお話を伺って見ましょうと続ける。

テーマは、今年の夏についてだった。

 

カメラが回り始め、やがてマスクをした三人の少年たちにもマイクが向けられた。

 

「今年の夏も終わりですが、どうでしたか?」

「すごく楽しかったですよ!」

「新しい友だちもできてな!」

「うんうん」

俺のことだ。

「すっごくいいやつなんすよ!」

お前らもすっごくいいやつらだよ。余所者の俺のこと受け入れてくれて、一緒に遊んで。

「今日も一緒だったんすよ。さっき飲み物買いに行っちゃったけど」

「ほら、今日も暑いし」

 

彼らの顔を見ると、少し青白かった。

 

(暑い?お前ら、汗全然かいてないじゃないか。顔、青白いぞ?

帰って薬飲んで休んでいろよ)

俺は買ったスポーツドリンクを飲み干しながら、そのインタビューを見ていた。

 

「体調悪そうですが、大丈夫です?」

「ごほ。大丈夫、大丈夫」

「最近夏風邪が流行ってて、俺らも昨日からそうなんすよ。ごほ」

咳が更に酷くなってきた三人に対して、女性レポーターは失礼だと思ったのかインタビューを切り上げようとした。

 

 

そのとき

 

 

 

 

 

 

「ごほごほっ、ごぼっ!」

 

一人がマスクを真っ赤に染めて血を吐き出した。

 

昨日の会話が頭によみがえる。

『喉が乾いたなー』

『お前ら平気そうじゃん』

『だって、お前が出てくる前に工場の外にあった水道で飲みまくったし』

 

工場の外。水道。飲んだ。

 

ああ、こいつら、ウィルスに汚染された水を飲んでしまっていたんだ

 

辺りに女性の甲高い悲鳴が響き渡った。

地面にぼたぼたと赤い液が降り落ちていく。

 

血を吐き出したやつは、声も出さずに次々と口から血だけを流し続けた。

周りはどうすることもできずに見ていることしかできない。

 

もちろん、俺も。

 

しばらくして。

本当に少しの時間だった。

あいつの体は地面に崩れ落ちた。

もう、動かなかった。

 

 

 

その後は、はっきりとは覚えていない。

俺はショックでその場を動けなかったんだと思う。

でも、この時テレビのカメラが回っていたんだ。

 

生中継だったんだよ。

子供が口から血を吐き出して、倒れて、動かなくなるところが放送されてしまったんだ。

ドッキリかと思ってテレビを見ていた人も多いと思う。

でも、続けて一人、もう一人と血を吐き出して同じように地面に転がった。ついさっきまで笑ってマイクを向けられていた子供たちだ。

レポーターは悲鳴をあげて混乱し、カメラマンはカメラを置いて子供の体を揺さぶっていた。

 

揺さぶって、

 

 

自分が何を言ったのか覚えていない。本当だよ。後日、そのときの放送を録画された物を見せてもらって初めて知ったんだ。

 

触るな

感染する

ウィルスが

水を飲むな

工場から汚染された水が

 

それと。

 

風邪じゃない

ウィルスの初期症状だ

 

 

 

 

 

そう。俺たちが風邪だと思い込んでいたのは、

 

あのウィルスの初期症状だったんだ。

 

町は既に感染者で溢れかえっていたんだよ。

 

 

 

 

 

俺は近くにいた大人に家に帰るよう言われた。

まっすぐ家に帰りなさい、と。

俺はその人を知っていた。その人は町にある小学校の先生だった。先週三人と学校に忍び込んで怒られた。

その人も、咳をしていた。

 

俺は走った。

走って走って走って走って、

家に駆け込んだ。

玄関の扉を閉めて、そのまま座り込んだ。

ガタガタ震えながら、耳を塞いだ。

 

途中で聞こえた気がした知っている「音」たち。

ごほごほ、咳をする音

ごぼ、何かを吐き出す音

泣き声、悲鳴

ぼたぼた、液が落ちる音

そして

どさ、重いものが崩れ落ちる音。

 

全部知っている。

知っているんだ。さっきまで、昨日まで一緒にいて笑いあって話をして。

動いてて。

あたたかくて。

生きていた、俺の大事な「日常」たち。

 

どうして、どうしてこんなことに

 

町では赤く染まった「人だったもの」の数が増え続けていた。

 

まるでドミノ倒しみたいに、たかが咳をする程度の症状だったはずなのに一気に吐血するほどの、死に至るほどの症状へと感染したウィルスは伝染していったんだ。

 

 

気づくと、外は薄暗くなっていた。

家の中はやけに静かだった。

母さんがいるはずなのに?

ふらふらしながら靴を脱ぎ、いるはずの母さんを探す。

「母さん?」

何度も呼んだけど、返事がない。

電気をつけて家中を探す。

 

残りは父さんの部屋だけになった。

アパートがなくて、一軒家を借りる羽目になったと苦笑いを浮かべて言っていた父さん。普段はその部屋と台所とかの水回りしか使っていなかったみたいだ。

 

 

「母さん?いるの?」

ゆっくりと戸を開く。

 

 

そこに、母さんはいた。

 

 

母さん「だった」ものが「あった」。

赤く染まり冷たくなった体が机の前にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一晩明けた。

俺は、母さんが生きている間に用意してくれた食事と飲み物と水で体を満たした。

 

母さんは父さんの写真を抱き締めながら倒れていた。

父さんと母さんは本当に仲がよかった。

しかも、死ぬ前に残された俺のことを心配して色々用意すらしてくれた。

 

俺の手元には父さんの遺してくれたノート、この町から出て元の町に帰る為の切符、そしてもうひとつ。母さんから俺に宛てた手紙がそこにあった。

 

手紙には、俺を独り残したことへの謝罪と、あの子の父親を通じて知ったウィルスや病気専門の団体へ連絡を取ったことが書かれていた。

明日、つまり今日の朝には到着するだろうということだ。

 

俺は独りになってしまった。

 

(そうだ、あの子は?

きっと他のみんなと同じようになってしまったんだろうな。

だって、三日前から風邪気味だったんだから。

 

ははっ、そうだよ、風邪気味だったんだよ。

泣きたくなった。

ふざけんな。

たかが風邪だってみんな言ってたんだ。

誰も、誰もこんな風になるなんて思ってなかった。

なんでこんな風になるんだよ。

「風邪」だろ?みんな風邪だったんだって言えよ。

すぐ治ってまたいつもみたいに、できるって)

 

頭の中はもうぐちゃぐちゃで、現実から逃げたかった。

 

 

 

(そういえば)

 

父さんのノートの、最後の、ページ

たしか

「ワクチンの製造方法…」

俺はノートを、そのページを広げた。

ワクチン。

(もう、意味ないじゃないか。生きてるうちに打たないと。みんな死んじゃったんだぞ?)

 

俺はほとんど諦めていた。生存者なんかいないんだと。もう、手遅れなんだと。

 

そして、その中に書いてある内容は更に俺を打ちのめした。

「『発症後回復した人の血液には抗体ができる。それを使用し』…血液からワクチンを作るのか?まんまエボラ出血熱と同じじゃないかよ。」

エボラ出血熱では何%かの確率で発症後回復する人がいるらしい。その人の血液からワクチンを作る。

「生きてる人、いるのか?それに…」

今更ワクチンを作って誰に使うんだよ。

昨日の町中の惨状が頭をよぎる。

次から次へと血を吐き出し始める人々。やがて倒れて、動かなくなる。

多分、あの段階までいけば生きてるのは無理だ。血を吐き出し始める、いや。咳が酷くなる前にワクチンを打たないと。

なんであれ、今は「生きている」人を探さないと。

 

俺は家を出た。

 

そして、いないだろうと思っていた生存者はあっけなく見つかった。

 

あの子が、生きていたんだ。

 

あの子は家の中の自分の部屋に鍵をかけて閉じ籠り、ぐすぐす泣いていた。

あの子の両親は母さんと同じように手遅れで。

 

俺はあの子を連れて家に帰った。

父さんの部屋には母さんがいるんで、近寄らないようにし、残していた食事を食べさせた。

 

昨日の朝の会話を思い出せば、俺とあの子はもっと早く安心できたんだった。

あの子は三日前の夜に初期症状が出て、昨日の朝には治っていたんだった。

あの子の両親がいつ発症したのかわからないけど、夜はたった一人にさせてしまった。

本当に悪いことをした。

俺は「おにいちゃん」なのにな。

 

食事が済むと、あの子はうとうとと船を漕ぎ始めた。当然昨晩は眠れなかったんだろう。

俺は自分の布団を敷いてやって寝かせた。

 

あーあ、この子がもうちょっと大きかったら可愛い彼女なのになー

そんなバカなことを考える余裕さえ出てきた。

あの子がいてくれるだけで、俺の絶望まで沈んでしまった心が息を吹き返すようだった。

心に羽が生えてどこかに飛んで行けそうだ。

 

うっわ、自分でも寒いポエムになっちまった。忘れろ。今のところ忘れろ。

 

俺は電話をかけた。

母さんが連絡をとった専門団体だ。

今、町の中と工場を探索しているって言われたから、俺はワクチンのこと、回復したあの子のこと、それと簡単にこれまでのことを話した。

町は封鎖されているみたいだった。

 

俺の家に向かえるようになったら連絡すると言われた。昼までには行けそうだと。

 

俺は待った。

一時間位。

いや、二時間…?

その間、頭の中を整理した。

 

あのウィルスは、初期症状が出てから末期症状に移行するまでがとてつもなくはやいのでは?

初期症状が出始めたのがいつかわからないけど、それでも父さんやあの三人のことから死亡するまで一日以内。

 

じゃあ、感染してからの潜伏期間はどれくらいなんだ?

そもそもだ。

いつ感染したんだ?

 

父さんは工場で。

多分一昨日のガラス容器の中に入っていただろうウィルスのもと。

 

それが工場の水路の水に溶けて、流れ出した。

 

工場の外の水道からその時水を飲んだ三人も、この時感染だろう。

 

で、汚染された水が町に流れる水路を伝って広がった。

それを飲んだりして町の人は感染した。

 

 

 

いや、違う。

違う!違う!

もっと前からだ。

町の人たちが感染したのも、初期症状が出たのも。

 

この夏は少し前から「風邪」が町で流行っていた。これはあのウィルスの初期症状だ。

今年の風邪は長引く、なかなか治らないとニュースで流れていた。

これが、もし。

初期症状が出た人が、ずっと初期症状を発症し続けていたのだとしたら?

末期に至らずにずっと初期症状が継続していたのだとしたら?

 

わからない。

 

俺は頭が良くない。

父さんみたいに複雑で難しい技術的なことは解らない。

母さんみたいに先を見越して何かを準備することもできない。

 

わからない。

違う。

考え方を変えろ。

考え方を壊せ。

 

インフルエンザだと思え。

ウィルスが体に入った。感染した。

潜伏期間を経て発症。これが基本だ。

エボラ出血熱もそうだ。

潜伏期間の差があっても同じような流れだ。

 

感染

潜伏

時間

発症

 

 

もしも。

もしもだ。

もしもだぞ?

 

 

 

感染の条件が、「一定量以上になること」だったら?

 

潜伏期間はウィルスが体内に入って悪さをするまでの時間だろ?

インフルエンザとかは一匹(?)でも体内に入れば増えて、悪いやつ軍団を作って攻撃を始める。

 

あのウィルスに「自分たちで増える」能力がなかったら?

水に溶けたウィルスたち。

汚染された、ウィルスが溶けた水を飲めば飲むほど体内にいるウィルスの数は増える。

たくさん水を飲む人は当然その分早く一定量に到達する。

 

これなら発症まで時間がかかるし、個人差もある…と、思う。

 

じゃあ、父さんたちが発症して末期になったのが早かった理由は?

 

「一定量以上」が条件なら。

溶けているウィルスの、濃度。

濃い水を飲んだから、一気に末期症状までいった?

 

ちょっと待て。

なんか引っ掛かってる。

 

発症の条件が「時間」とか「数」だとしても、現に一昨日よりも前から発症はしてたんだろ?

それって。

 

「もっと前からウィルスが水に溶けていた?」

 

俺の出した「答え」はこうだった。

 

汚染源が他にあった。

一昨日のガラス容器じゃなくて、もっと前にウィルスは水に流れ出していたんだ。

それはじわじわと町の飲み水に、畑の水に溶けていって、最終的には町の人たちの体に入ってしまった。

 

でも、体にコップ一杯程度入るくらいじゃ発症はしなかった。

一杯、また一杯とごくごく飲めば飲むほど「それ」は体に溜まっていく。

でも、発症する数のウィルスが体内に入るまでは無害だったんだ。

 

例えば、そう。

花粉症ってそういうやつだよな。

ある量までいかなければ花粉症にならないってさ。

 

時間が経つにつれてそれまで飲んだ水も増えてきた。

体内に溜まったウィルスの数も多いだろう。

だから、「一定量以上」になる人が出てきた。

 

あのウィルスの症状は二段階ある。

初期症状と末期症状。

初期症状は風邪っぽいくらいの些細な症状。咳とかな。

末期症状はその咳が酷くなって、血を吐き出す。そして

 

死に至る。

 

この二段階の症状も、体内のウィルスの量によって変わる。

一定量以上で初期症状が出る。更にその上のラインの以上の量で末期症状が。

今までは 末期症状レベルの量までいく人はいなかったんだ。血を吐いたなんて話、小さな町じゃ大ニュースなんだぜ?

 

でも、追い討ちがあった。

一昨日のガラス容器だ。

あれにはきっと、濃い濃度のウィルスが入っていたんだ。

だから、近くにいた父さんはあっという間に末期症状で。

町を水が巡りきるまでにはたくさんの水が追加される。汚染された水もそこそこ薄くなるんだ。だから、その大本の工場の水は一番濃い。その水道の水を三人は飲んだんだ。

当然発症も早い。

 

今までとは比べ物にならない濃度のウィルスが入った水を飲んだ人たち。

元々ウィルスが体内に入っていたせいで、末期症状になるのもあっという間で、あんなことになってしまった。

 

それに、俺は気づいたんだ。

 

夏休みになってこの町に来た俺も、感染しているんだって。

水、飲んでいたからさ。

 

俺にはワクチンが必要だった。

それに、この町以外の人でも感染して初期症状になっている人が近くの町でいるんだってさ。

 

専門団体の人たちが来た。

俺は、あの子を起こして一緒にこれからのことを話した。

 

俺は、父さんが残した切符で帰ることになった。

 

あの子は、ワクチンを作るために団体の研究所へ連れてかれることになった。

 

父さんや母さんや、町の人たちだったものは全部焼却しないといけないそうだ。

エボラ出血熱もそうだもんな。

そんなことを言ったら、団体の若い人が驚いて、そんなことよく知ってるね、と言った。

 

 

 

 

俺は自分の荷物をリュックに背負った。持っていけるだけの遺品と、あの子がくれた思い出の贈り物を両手の鞄に詰め込んで、父さんが住んでいた家の鍵を閉めた。

 

何か、忘れ物はないか?

???

何か、大切なことがある気がする?

何だろう?

何か、引っ掛かっている。

 

俺は、元の町の家に着くまで気づけずにいた。

がたごと がたごと

俺はたった一人で電車に乗っている。

 

 

 

 

 

俺を誉めた、あの団体の若い人が町から出る電車に乗る直前まで見送ってくれた。

その時、個人的な連絡先を君なら特別にって言ってメモに書いてくれた。

後日、といっても家に着いて次の日に電話がその人からかかってきた。

その人はまず、自分が団体を辞めたことを俺に告げた。

それと、自分の兄があの町で小学校の先生だったことも。多分、俺たち四人を怒った、あの時まっすぐ家に帰れと言った人だと思った。面影が似ていたな。

 

 

 

元の町に帰った俺を待っていたのは、誰もいない家だった。

俺はその夜、一人で泣いた。

 

もう九月に入って学校も始まっていたけど、しばらく落ち着ける所で休んだ方がいいっていうことで、俺は母さんの実家へ行くことになった。

 

 

 

がたごと がたごと

電車に揺られながら、俺は父さんのノートを開く。

ページには、あの町に行った初日にみんなで撮った集合写真が挟まっている。

みんな笑っている。

みんな笑っていたんだ。

たった一夏の思い出。

俺の、大切な大切な思い出。

 

 

 

団体を辞めた人、兄さんと呼ぶぜ。兄さんはあの町の調査した事実を教えてくれた。

まず、生存者はやっぱり俺たち二人だったこと。

ウィルスは水路だけでなく、水路からとった水を使用していた畑も汚染していたこと。

あの工場の偉い人が、何ヵ月も前に失踪していたこと。

あとは大体俺の考え通りだった。

 

俺は兄さんに気になることを聞いた。

まず、あの子は元気かということ。

兄さんは沈黙した。

実は、あのウィルスは致死率が異常に高いため発症途中で治るなどあり得ないそうだ。

団体はあの子からたくさんのデータをとって、「今後」に「役立てる」つもりらしい。

つまり、実験体だ。

せっかく生き残ったのに?

 

あの子にはもう会えないだろう。そう、言われた。

あの子はつれていかれてしまった。

あの子は、もういなくなってしまったんだ。

 

俺は気落ちしたままもうひとつだけ聞いた。

△△企業って知ってますか?

もしかして、失踪したその人がウィルスを流していたとか?

兄さんは首を横に振った。

失踪したその人は発見されたらしい。工場の中で。

工場の一番奥にある、大元の水を汲み上げて溜めておくタンクの

 

中 に

 

沈んでいたそうだ。

腕には注射器で刺された痕。

 

え?ぅえっ!

俺は思わず吐きそうになった。

直感的にわかってしまった。ただ、受け入れたくなかったから、兄さんに聞き返した。

 

あのー、その人、感染してます?

感染してました?

あー、そうですよねー。

いやー、知りたくなかったかなー、俺。

 

あー、そうですよねー。

 

オブラートに包むと、俺たちその人のだし汁(血だよ、血)飲んでたんだよなー。

出てきてたのヤバいウィルスだったけど。

はははははは

はぁ…

 

兄さんからもこれには苦笑いしか返ってこなかった。

しばらく水はコンビニでミネラルウォーター買うことにした。根本的な解決ではないと思うけど。

 

あと、俺が名前を出した△△企業。

兄さんはそれが理由で団体に見切りをつけたって言った。

△△企業が作った団体が、今回俺が世話になった団体。兄さんがいた団体だったんだ。

大きい企業だし、別にいいと思うだろ?

 

実はさ。父さんが調べていたんだ。

ウィルスの出所。

△△企業だって。

 

△△企業はあの父さんの勤めていた工場、感染源になってしまった工場のスポンサーだったんだ。

俺はそれをすっかり忘れていた。

団体の人が「△△企業から来ました××団体です」って紹介してくれた時に気づくべきだった。

 

はっきり言って、自作自演だったんだ。

 

工場のお偉いさんが邪魔になったから、変なウィルスを着けてタンクに沈めた。

それに工場が気づきそうだったから、ウィルスがたくさん入ったガラス容器を水路の飲み水に溶かした。

工場だけ変な病気が流行ったら、町の人たちに怪しまれる。なら、町ごと病気にさせてしまえ。

運悪く生き残った子供がいたら、遠くへやってしまえ。どうせ覚えていないだろう。

ワクチンの材料が手に入ればなんてラッキーだ。

 

あいつら、人の命をなんだと思ってるんだ。

 

兄さんもそう怒って抜けてきたんだってさ。

 

 

 

 

俺さ。思うんだ。

思い出はきれいなままであるべきだって。

 

どんなに嫌で汚くて酷い終わりを迎えても、大切な過去の思い出はずっとずっと、宝箱や宝石箱の中身みたいにキラキラ輝いていて欲しい。

きっとそれが、辛くて挫けるような時のエネルギーになってくれる。

 

ただし、これは過去の思い出のこと。

 

今、大きくなった俺は、二度とあんなことが起こらないように必死に現実にすがり付いてカッコ悪くも足掻き続けている。

大学に進学して専門的な知識を身に付けた。

そして、父さんと同じように水質調査を主とした専門分野で働いている。

 

過去は戻らない。いなくなった人たちは、もう二度と戻らないんだ。

 

それを知っているから、俺は後悔しないように大切なものにすがり付くんだ。

失ってからじゃ遅い。

 

あの後で俺は兄さんから貰ったワクチンを打った。だから、もうあのウィルスで発症することはない。

生かされているんだよ、俺は。あの子に。

あの子の血からつくったワクチンに。

 

 

 

父さんや母さんやたくさんの人に守られた。

あの町の出会いに助けられた。

あの子に生かされた。

 

みんな、みんないなくなってしまった。

守れたはずのあの子も、いなくなってしまった。

みんなと過ごしたある日の夕暮れのように赤く染まったあの夏は、たくさんのものを持っていってしまったんだ。

でも、ここに残ったものもある。残してくれたものがある。

 

 

 

 

 

俺はこれから生きていく。

貰ったものを握り締めて、限りある命を燃やしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、まあ、そんな風に思って生きてきたわけだ。

結構まっすぐな人生をおくったつもりだぜ?

でもさ、やっぱりあのスポンサー△△企業は未だに潰れてないし、世界でも真実が隠された事件ってたくさんあるだろ?

悪者が正しい真実を隠してのうのうと生きてる。

 

 

 

だからさ。

俺、「紹介状」を送ったんだ。ここに来る前に。

一足先に「学校七不思議」の話を一つ目だけ聞かせてもらってた俺は、あの兄さんにこの桜ヶ原のことを話したんだ。

一部だけだけどな。

 

 

もし、兄さんに覚悟と復讐心があったら。

あの企業の奴らは俺たちの町で裁かれるんだろうなぁ。

 

ああ、ざまあみろ。

あの子と父さん、母さん。

そして、あの町のみんなのかたきだ。

 

 

俺は心底嬉しそうに笑うのだった。




『伝染性吐血症害』

あの夏の夕暮れのように
全ては真っ赤に染まっていった

キラキラ輝く宝石みたいに
記憶の中に仕舞われた美しい思い出たち
いつまでも変わることない宝物

嗤って水に毒を注ぐ悪者たち
水は全てをさらって流れていく
悲鳴は赤く染まっていく

絶対絶対忘れない
俺の赤い夏休み
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