はてさて、そのような夏の夜の話でございました。彼は一体何処へ消えてしまったのでしょう。
あるはずのない店で魅せられた品の数々。彼にはどのように見えたのでしょうか。
おや、知ったような口をきくなとあなた様は申しますか。
死者を愚弄するなと。ふむふむ。
おかしいですね。私は一言も彼が亡くなったとは申しておりません。彼が既にこの世にはいないと決めつけているのはあなた様ではございませんか。
それとも。彼がそのまま命を絶ってしまったというエンディングを、あなた様は望んでいるのでしょうか。そちらの方が夏の話としてはおもしろいと。
ケンケン
よいでしょうか。私はあなた様に楽しんでいただくためにこのような話をしているのではありません。
あなた様が今立っているこの道。この蒸し暑い夜。この月さえ眠りそうな丑三つ時。この、
ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ
五月蝿い蛙の鳴き声。
どこかで聞いたような話ではございませんでしょうか。
何処かへ、いってしまいたくならないでしょうか。
カチカチカチカチチクタクチクタク
今宵は長い夏の夜のようでございます。
今一度、私の語りに耳を傾けてはいただけないでしょうか。
なあに。ほんの少し、現ではない世界へ足を踏み入れるだけでございます。
ケーン
チク、タク、チク、タク
チク、タク、チク、タク
チク、タク、チク、タク
チク、タク、チク、タク
とある公園にて現れる夜店。実はそれを出しているのは何を隠そうこの私めでございます。
本来ならば彼方のお山の麓に相方であるけものとともに一軒の食堂を営んでおるのですが、なにぶんこのご時世。毎日仕入れや仕込みをして利を得ることは存外に難しいのでございます。
私めらは相談し、満月と新月の宵は別の地にて店を開こう。そのようなこととなりました。
機会がございましたらお探しくだされ。何処かでうどんを売っている屋台が見つかるかと。
私めは本来、細かい細工を施すのを得意分野としております。相方は少々雑な部分がございまして。
ですから、件の店に置いてあるものも自慢の物ばかり。いや、趣味を兼ねた仕入れ品もございましたか。
金魚の形を模した飴細工。キラキラ光りそうな金平糖たち。水に浮かべられた水風船。鈴の形に焼かれたコロリと鳴りそうな焼き菓子。それと、いなり寿司。
どれも自慢の逸品でございます。
ケンケン
多少値が張ってしまっても、仕方がないでしょう?
それでも欲しがる方々は多くおります。そう、彼もそんなお一人でした。
彼を見つけたのはある満月の夜のことでした。今日のように蒸し暑い、真夏の夜でございます。
私めは縁の深い公園にて店を出しておりました。まあ、何と言いますか。丑三つ時であったのです。その時分は。
人でなければ堂々と諸手を振って歩けるのですが、あいにく彼は人様でした。気づいてはおらぬようでした。彼は周りからじっとりと見つめられていたのです。
人ならざるモノたちから。
ええ、ええ。丑三つ時とは夜の住人が騒ぐ時間でございます。
現の世界から
カチカチカチカチチクタクチクタク
在らざる夢の世界へ、
くるくるサラサラくるくるサラサラ
歯車がいれかわるのでございます。
世界の主役は化け物たち。人ではございません。
ですから、彼は周りからじっとりと見つめられていたのですよ。まるで真夏の蒸し暑い夜のように異様な熱気を伴って。
公園の入り口にぽつりと立つ彼を見た時、私めはこう思いました。
「嗚呼なんと
ケケッ
うまそうな獲物がいるものだ」
ケンケン
私めが彼に声をかけたのは助けるためでも何でもありません。そこに獲物がいたから、声をかけた。それだけなのです。
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」
彼は熱心に商品たちを見ておりました。
知らぬことですが、彼にも思うことがあったのでしょうねぇ。
特にお気に召されたのが飴細工でございます。今にも游ぎ出しそうな飴金魚。ほら、これでございます。愛らしいでしょう?
彼は金魚に魅せられたかのように、あの暑い中ただひたすら見つめ続けておりました。
私が見つけた彼の様子をお教えいたしましょう。汗は地面に水溜まりを作り、服は雨にでも濡れたかのようにびっしょり。目は血走って真っ赤。唇は逆に真っ白。走ってもいないのに息は荒い。顔は真っ青。腕には鳥肌。
彼はそのような状態で金魚を見つめ続けていました。
私めは手元にあったいなり寿司を頬張りながら見ておりました。おや、失礼。
お分かりでしょう? あなた様も人なら。
程度が過ぎた暑さ寒さの中では、命が手から滑り落ちやすいのでございますよ。そんな落ちた魂と肉体を好んで貪る化け物もたくさんいる。
ご存知でしょう?
ケーン
生きているからこそ魂と肉体を伴ってそれは「命」と言えるのです。生きていなければただのなにか。
ゴゾンジデショウ?
彼はかろうじてなにかではございませんでした。その時まではかろうじて、ね。
ほらほらカチカチほらほらチクタク。時間は刻一刻と刻まれる。彼の時間は残り僅か。
それなのに彼はじぃっと私めの揃えた品々を見つめるのです。
私めは尋ねました。
「何をお買い求めで?」
わかっておりますとも、彼が何を求めているのか。
理由はどうであれ、彼は心から求めるものと出会ってしまったのでしょう。
彼は焦点の合わぬ目で私めを見、そして一つの品を指差しました。
「これを」
声はガラガラに渇れておりました。まるで我ら一族のように。そして、ぶるぶると震える指で飴金魚を示したのです。
私めは答えのわかりきっている問いを彼に投げ掛けました。
「代金はこれほどですが、旦那、お持ちで?」
そう、飴金魚は一匹これほどでお売りしております。お高い? お安い? 彼は仰いました。
「そんな金、持っているはずがない」
ええ、ええ。わかっておりましたとも。人にこの価値が解るとは思っておりません。
ケンッケンッ
ですから、私めは最初から売るつもりなどなかったのです。
しかし彼は往生の間際にも関わらずそれをねだりました。今それを手に入れても、あちらには持っていけぬというのに。
何のことかと? 彼は欲しい欲しいと諦められなかったのです。
しかし彼はもう。
私めが品を入れ換えていたのにも気がつかず、とうとう手持ちの財布の中をすべて差し出しました。
どうでしょう。この飴金魚は全財産と引き換えにしてでも手に入れる価値があると、くぅん、あなた様はお思いになられますか?そんな価値、ないでしょうね。
しかしそれでも私めは彼にこれを売ることはできませんでした。この飴金魚の価値は一両。一両なのです。
私めが代金として欲しいのは小判一枚。それ以上もそれ以下もいらないのです。あの金色に輝く古き貨幣。
どうです? 払えないでしょう?
人の世にはもう出回っていないはずの金ですから、当然彼も持っていません。払えるはずがないのです。
しかし、なんと! 彼はどうしても欲しい。何としてでも欲しいと言うではありませんか!
目の前に並べられた「商品」を指差して!
ケーンケンッ
なんともあわれな!
その指差す先の品々は、既に他の買い手が持っていってしまいました。私めは代わりに木の葉をそこへ置いて差し上げました。
しかし彼はその事にすら気がつかないのです。
ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ
ゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコゲコ
蛙の声がその夜も五月蝿く響き渡っておりました。満月の、いつにも増して蒸し暑い夜のことでした。
彼の目は、もう見えてはおりませんでした。
私めが化かさなくとも彼の時間は底に着いていたのです。
ぱくり。私めはまた一ついなり寿司を頬張りました。
ならば、と。私めは一つの提案を彼に出しました。
「でしたら、あの地下通路を通った先にある花畑へお使いにいってはもらえませんでしょうか。そこにいる女の子にこの菓子を渡してもらいたいのです」
帰ってきたときに、駄賃としてこの飴金魚をあなた様に差し上げましょう。そう言って桃の形をした饅頭を一つ、よく目立つ真っ赤な包み紙にくるみ彼に渡しました。
ほら、あの地下通路でございます。
彼は頷き、先程までなかったはずの道をいき地下通路へと入っていきました。
後のことは知りません。
どうせ戻っては来れぬのですから。
ですが、欲しいものが手に入るかもしれない。その希望が目の前に垂らされているのですから、足取りは軽かったでしょう。
ケーンケン
これにてあの夜の話は終いでございます。
あなた様も彼と同じ道を辿りたくなければ、早々に帰路へとお着きなされ。
しからばごめん!
どろん
その蒸し暑い夏の夜に残されたのは、狐に化かされた人の子であった。
これが、件の「夜見世」の話。