桜ヶ原小学校同窓会へようこそ   作:犬屋小鳥本部

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その続き「泥を被っている出席番号2番」表

盗みをする人は悪い人だ。

理由があっても盗むという行為は悪いこと。俺はずっとそう言われて育ってきた。だから泥棒は悪いやつ。

 

盗みを繰り返す人は汚れている人だ。

盗むことが悪いとわかっているのに繰り返す。盗むことがやめられない。

そんな人は、悪いということに慣れてしまっている。

悪いことをその手で繰り返す度に、手は汚れて染まっていく。その汚れがきたないと感じることさえ忘れた心なんて、どれだけ穢いものに慣れてしまっているんだか。

だから、盗みを繰り返す人はきたないやつ。そうに決まっている。

 

そう、思っていた。

 

 

 

 

 

 

俺の母さんの話だ。

俺の母さんは心筋梗塞で亡くなった。それなりに高齢だったし、よくある話だよな。その時の話だ。

 

 

 

その夜はいつもとなんにも変わらない夜だった。雨も降っていない、月もそこそこ綺麗に見える夜。

いつもと同じ夜。

父さんは自治会の会合で家にはいなかった。もちろん、俺もいない。

家にいたのは母さんと飼い犬の柴犬だけ。名前は柴。

柴犬は勇敢だから一人でも大丈夫ですって、母さんは父さんに言った。その柴犬は母さんの足下で尻尾をブンブン振ってた。

うちの柴は母さん大好きっ子。少しはその愛情をこっちにも分けてくれって、父さんの方が嫉妬するくらいの懐きっぷり。

それでも番犬としては有能だったから、父さんは母さんのことを柴犬に任して家を出た。

 

家には母さんと犬一匹。

 

母さんはいつもと同じように風呂に入った。いつもと同じように。

柴もいつも通りリビングのケージで母さんが出てくるのを待っていた。お気に入りのクッションに顎を乗せて、母さんを待っていた。

 

目を閉じて、母さんが自分のことを呼ぶ時を待っていた。「まて」をしていたんだ。

母さんは、風呂に入ったまま出てこなかった。

 

柴の耳がピクリと動いた。鼻がひくりとふくらんだ。何かの気配を嗅ぎとった。

何者かが家に入ろうとしている。自分のテリトリーである家に、誰かが小汚ない靴のまま土足で上がろうとしている。犬にはそれがわかった。

柴犬は犬の中でも警戒心が強い犬種らしい。あんな顔でも。だからというわけでもないけど、犬は自分の大切なものを盗もうとする泥棒の気配を察知した。

柴の大切なもの。それは母さんだった。

 

柴は吠えた。吠えたてた。

来るな。入ってくるな。

勇敢に、主人を守ろうと誰かに向かって声をあげた。

それでも誰かはズカズカと家の中にも押し入ってきた。泥を被って汚れた姿。その姿にも怯まずに、犬は声をあげ続けた。

そいつが向かった先は風呂場だった。母さんがまだいるはずの風呂。

 

風呂の扉を開いた時、母さんは。

母さんは。風呂に入っていた。

風呂に、浸っていた。

柴の声が家中に響いていた。

それなのに、母さんは指先さえ、瞼さえピクリとも動かさなかった。

母さんは眠っていた。二度と目覚めることのない眠り。つまり、永眠。つまり。

死んでいた。

 

心筋梗塞で、母さんは亡くなった。風呂に入っている間のことだった。

 

いつもと変わらない姿で、母さんは最期の時を迎えた。

 

 

 

死んだら体の中にあったはずの魂は何処へいくんだろう。いつ、体を離れるんだろう。

魂の中にはきっと心も入っているんだと俺は思ってる。そうじゃなきゃ、死んだ後も心が体に残ってることになるだろ? じゃあ、心は最後に何処へいくんだよ。

心はきっと、魂と一緒にあの世へいくんだ。魂が心を連れていくのか、心が魂に引かれていくのか。それはわからないけど。

 

 

 

風呂の中に沈んだ母さん。その体の中にはまだ魂はあったのかな。

あったんだろうな。

だからその誰かは母さんがある風呂場へとやって来た。

 

そいつは泥棒だった。泥を被った、な。ついでに盗っ人で盗人だった。土足で俺の家に上がり込んで、柴犬にワンワン吠え立てられても出ていかないこそ泥だった。

何を盗みに俺の家にやって来たか。俺の母さんを。人身売買じゃなくって、ちゃんとした盗みだった。

母さんの体から魂を盗んだんだ。

 

そいつの正体はなんと、死神だった。死を運ぶ死神。

生きている人のところへ死を運ぶんじゃない。死んだ命をあの世に持っていくのがそいつの役目だった。

 

犬は吠えた。

連れてかないで。持っていかないで。

大好きな母さんを連れてかないで。

犬は鳴いた。

 

父さんが帰ってきたのは、そいつが盗み去った後だった。

 

 

 

犬はずっとないていた。鳴いて、泣いて、母さんがもうこの世にはいないって父さんに教えていた。

父さんも泣いた。声が枯れるくらい。でもそれは犬とは違う意味合いでだった。

 

母さんは風呂に浸かりながら亡くなったんだ。うちの風呂は追い焚きシステム。だから、さ。

だから。

母さん、亡くなった後も風呂の中で追い焚きされていたんだ。

酷い話だろ?

止める人もいないから、父さんが帰ってくるまで延々と追い焚きが繰り返される。

水は渇れることなく補給され続ける。加熱され、湯へと沸かされ続ける。

中にある遺体と共に。

ぐつぐつグツグツ、母さんの体は焚かれ続けた。

そうするとさ、人の体はどうなると思う? ヒトもブタもニワトリも、同じなんだよ。その時は、たまたま、具材がヒトだっただけで、さ。ヒトのスープが出来上がるんだ。

ヒトが、母さんが、煮込まれていた。それを父さんは見てしまった。

泣いても泣いても母さんは戻ってこない。いや、戻ってくるべきじゃない。

煮込まれて膨張してしまった体に魂は入るべきじゃない。

だからさ、母さんの魂は盗まれてよかったんだ。追い焚きされる前に器から抜き取られて、苦しい思いをしなずにすんだ。

 

 

 

父さんも言っていたよ。あんな姿になるまで意識が少しでもあったら、自分だったら死にたくなる。死なせて欲しいと望んでしまう。

動けない体の中で、ただ自分の体が追い焚きされていくのを待つだけ。そんな時間、死を待つことより苦しいよ。

助けられなかったことは辛いだろうな。でも、母さんが最期にそんな思いをするくらいなら、死を自分から欲してしまうくらいなら、中身だけでも盗まれたことは幸いだったんだろう。俺はそう思ってる。

きっと、父さんもそう思ってくれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

この終わりに納得しないやつがいた。

あの柴だ。

 

母さんを突然盗まれた柴は、母さんの遺体が浴室から運び出される時でさえ吠え続けた。ちゃんとした救急隊員の人や近所の人にも警戒心を顕にして、あいつは声の限り叫び続けたんだ。

遺体が火葬を終え、仏壇に線香の煙がたなびく頃には柴はケージから出てこなくなった。

食べる量もかなり減って、散歩も家の周りをぐるりと一周する程度になった。

明らかに元気を失った柴を父さんは酷く心配した。ぐでんと脱力した体勢で毎日寝てばかりの柴。まだ若いのに毛づやも悪くなった。

この子さえ自分を残していくのだろうか。父さんは不安で溜まらなかった。

それまで懐いていないように感じていた犬が、自分の最後の家族となってしまった。そう考える度に父さんの目からは涙が溢れ落ちた。

そんな父さんを見ながら、柴は目を閉じてあの日のように顎をクッションの上に乗せていた。クッションにはまだ、母さんの匂いが残っているようだった。

 

 

 

一日一日と柴は痩せ細っていく。とうとう水さえ飲まなくなった柴はケージからも出られなくなった。

父さんは寝るときもケージの側に布団を敷いて、柴から離れなくなった。離れてしまえば母さんの時みたいに持っていかれてしまう。そう思ったのかもしれない。

なんとか点滴だけでもさせよう。そう考えながら、父さんの目蓋は閉じられていった。

 

 

 

その夜、家に二回目の泥棒がやって来た。母さんの時と同じように泥にまみれた盗っ人だった。

そいつはまたしてもずかずかと土足で家に上がり込んだ。今度は何を盗むつもりだと思う?

犬だよ。柴犬の柴をそいつは連れていこうとしていた。

今度は誰も吠えることがなかった。静まり返った夜の家の中を、そいつは足音もさせずに歩き回った。

ケージの中で伏していた柴をそいつは見た。

母さんを失ったと同時に生きる気力までなくしてしまった可哀想な犬。病気なんてしたことがない健康で若い犬だった。それなのに、その時そこにいたのは痩せ細って立つことすらできない老いた犬だった。

 

やって来たそいつはそんな柴を盗もうと手を伸ばした。

 

 

 

父さんは目を覚ました。突然、起きなくてはいけないと感じ、無理やり意識を引き戻した感じだった。

しまった。うたた寝をしてしまった。

父さんは柴のためにずっと起きているつもりだった。でも疲労が積もって眠ってしまったらしい。

慌ててケージの中を覗くと、そこにはいつも通り柴がクッションを枕にして横になっていた。父さんはほっと息をついた。でも次の瞬間、背筋を寒いものが走った様に目を見開いた。

触ってもいないのに同じ空間にいるだけで、「生き物」か「剥製」かっていうことはわかってしまうんだろうな。

そこにあったのは硬くなった犬の死骸だった。

父さんが恐る恐る触れたそれは冷たくて、もう命の温もりなんて感じられなかった。

 

父さんは泣いた。母さんを盗まれたくなくて必死に吠えたあの日の柴みたいに。

誰だ! 誰が柴を連れていった!

返してくれ。その子をかえしてくれ!

誰も、応えなかった。

 

柴が最後の家族だったんだ。

父さんにとって。

だから、もうがむしゃらに家中を探した。いるはずもない生きている柴の姿を、父さんは探し回った。

もちろんいるはずないよ。柴は死んだんだから。

 

 

 

 

 

 

でも父さんは見てしまった。

玄関から誰かと一緒に出ていこうとしている柴の姿を。

 

 

 

 

 

 

「柴!」

 

父さんは声の限り叫んだ。戻ってきてくれという願いと一緒に。

それと同時に、一人と一匹の姿を父さんはよく見た。

 

柴の首にはケージの中の体と同じ首輪がされていた。そこから伸びるのは母さんがいつも使っていたリード。散歩に行く時には絶対使われる、柴のお気に入りのリードだった。

それを手にしているのは泥で汚れた泥棒の手。

そいつは頭から爪先まで泥まみれだった。一見、ふざけてるように見えるかもしれない。子どもの悪戯みたいに思えるかもしれない。でもそいつは、犬を盗もうとしてる盗っ人だった。

 

「柴」

 

父さんはもう一度呼んだ。今度は静かに、息を吐き出すかのように。

誰にも聞こえないくらい小さな声だったんだ。それでも、ゆっくり歩みを進めていた目の前の柴は立ち止まった。

そして父さんの方を振り返って、鳴いた。

 

「わん」

 

母さんが生きていた時によく聞いた、元気な柴の鳴き声だった。

 

父さんの目から涙がボロボロと流れ落ちた。

逝ってしまう。あの子がいなくなってしまう。妻のあとを追って、逝ってしまう。

そう思ったら、もう涙は止まらなかった。

 

 

 

父さんは泥棒に言った。

 

「お願いだ、もう、なにも持っていかないでくれ」

 

そいつの足下にはポタポタと泥水が溜まっていく。そして、顔をあげて父さんに言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 」

 

 

 

 

 

 

 

父さんは独りになってしまった。

母さんも、愛犬も、息子も亡くし、たった一人で余生を生きていかなくちゃいけなくなってしまった。

可哀想な父さん。

 

その後、父さんは親戚の人にお世話されながら生活していたんだけどさ。時々、家の中を探し回ってないない呟く姿が見られたらしい。

泥棒に盗まれた。

そう言って父さんが探していたのは、きっと母さんや柴の姿だったんだろうな。もう、世界の何処を探してもあるはずのないもの。

父さんだって頭ではわかってるんだ。でも、最後にその姿を見てしまったから、まだどこかでっていう希望が心から捨て去れないんだろう。

 

 

 

大丈夫。いつかその父さんの前にも現れるよ。

黒い布を被って大きな鎌を持った死神じゃない。泥を被った盗人が魂を体から盗み取ろうと、父さんの目の前に現れる時がやってくる。

だから、どうかその瞬間まで大切に持っていてほしいと俺は思うんだ。

どんなに辛くても、その最期の瞬間まで懸命に生きてほしい。

 

 

母さんたちの分まで。

 

 

 

盗みをするやつは悪いやつだ。そう、それがどんな理由であったとしても、盗むやつは悪い。

盗んだものがどんなものでも、盗んだ元が誰であっても、盗みは盗み。それは悪いことなんだ。

 

だから、命を刈り取っていく死神は悪いやつ。いくら死「神」様っていっても、魂を盗んでいくのは悪いこと。

そう俺は思ってる。

これからもその考えは変わらないよ。

 

 

 

生きてることがどんなに辛くても、それから勝手に道を外させちゃいけない。外れるのか、そのまま真っ当に進んでいくのか。それは歩いている人次第だ。

母さんと柴の話はさ。ほんと言うと、父さんはその泥棒に感謝している部分もあったんだ。

見れた姿じゃなくなっていく自分の体の中に、息はしていなくても魂はまだある。心はまだそこにある。

そんなことになっていたら、死んだ母さんも見つけた父さんも、会わす顔がないんじゃないのか。

醜い最期の姿を、母さんはきっと見てもらいたくないと思う。誰だってそうだろ?

でも、そうなっちゃった。醜い姿になって最期を迎えてしまった。なら本人は、母さんはその場にいない方がまだ救われる。見られたのはただの体っていう器。本当の姿は、遺影の中みたいにいつも通り笑ってる。

そうならいいなって。

柴もそうだよ。まだ若い犬だった。元気に外を走り回って、うるさいくらい声をあげて、疲れたらすぐに寝て起きてまた遊ぶ。あんなヨボヨボの犬じゃなかったんだ。毛だってツヤツヤで、気持ちよくなってくるとすぐにゴロンと腹を出す。そんな愛嬌のある犬だった。あんなに犬っぽい犬、俺は他に知らない。

 

元気な人ほど、美しい人ほど、強い人ほど、賢い人ほど。「そうじゃない」自分を見せることは苦痛なんだ。こんなの自分じゃない。そう、自分で自分を否定してしまう。

人生の終わりがそんなのって、イヤだよ。イヤだよな。

 

 

 

生きてる時と生きてない時は見た目から全く違う。中に大切なものがあるか、ないのか。

つまり、中に魂が入ってるのか入ってないかの違いなんだけど。こいつ、生きてないな。こいつ、死んでるな。そういうことって一目でわかるもんなんだ。

 

うん、父さんも気づいたよ。

この泥棒、もう死んでる。って。

だから追いかけられなかったんだ。柴ももちろん気づいたさ。犬はそういうモノに敏感だから。だから追っちゃった。泥棒についていっちゃったんだ。

向かう先は母さんのいるところだから、さ。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、これで泥を被った泥棒の話は終わり。

「泥」棒だから泥を被せてみた、俺の話でした。

 

御後が宜しいようで。なぁんちゃって。

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