今日は特別な日だからさ。
行儀よく椅子に座って、たった一本の蝋燭の火を消すんだ。そう、息を吐くみたいに。
暗い部屋。真っ暗で、真っ黒な夜の部屋。自分の手も足も暗闇に呑み込まれる。そんな錯覚さえ覚える部屋。
部屋の真ん中には大きなテーブル。それと、たくさんのキャンドルたち。それぞれに火を灯した、キャンドルたち。何本あるだろう。きっと三十本はあるはずだ。だって、それらの意味するものを自分はよく知っているから。
一本、二本。キャンドルの火が消えていく。
三本、四本。キャンドルがテーブルから姿を消していく。
残りはあと何本? 残った数を数えることには意味がない。消えていったキャンドルの数を数えないと、自分の番がわからない。
モウスグジブンノバンガクル。
どきどきドキドキ、心臓が焦り出す。そう、それはまるでタノシイパーティーの前夜のように。
自分の番まで、あと何本? 消えたキャンドルは戻ってこない。
周りをふんわりと照らし続けてくれた一筋の蝋燭の炎。キャンドルたちの中にいる、自分だけの特別な一本の蝋燭。
もうすぐ溶けてしまう一本の蝋燭。
役目を終えたそれらはゆっくりと沈んでいく。ゆっくり、ゆっくりと、沈んでいく。そして、さいごには誰しもが灯した火を消していく。
溶けた蝋は雨みたいに下を濡らすだろう。ポツリ、ポツリ。どこかの水溜まりみたいに真ん丸の形を作って蝋は固まるだろう。キシリ、キシリ。真冬の水よりも速く、温度を奪われて蝋は固まるだろう。
溶けてしまった蝋燭は再び固まっても同じ形にはなれない。同じ材料を使っても元の一本には戻ることがない。だってその蝋燭はもう終わってしまったんだから。
欠けてしまった部分は元の在りし形を覚えてはいない。
アツくてツメタい一本の蝋燭。そこに灯されたあかい炎。
燃えている。
燃やされている。
命が。心が。
体が。時間が。
どちらが。
どちらも。
蝋燭と炎。二つが揃ってこそ、それは一本の特別な蝋燭と呼べる。火が灯されている蝋燭という姿が、生きている姿を示している。
だから、今、生きている。蝋燭はテーブルの上で火を灯している。
キャンドルたちはまだ燃えている。
キャンドルの集団の中で、自分だけの特別な一本が他のものと一緒になって燃えている。
ああ、まだゆらゆらと揺らめいている。
目の前で、揺らめいている。
まだ蝋は溶けきっていない。まだ役目は終えていない。
きっと、まだ時間は残されている。
そう信じたいのは、まだやり残した未練があるからだ。ある、んだろうなぁ。
今日は特別な日だからさ。
行儀よく椅子に座って、その時を待つんだ。テーブルの上で肘をついたり、首を乗せるなんてことしないよ。
人が乗せられるほど大きなテーブルの上には、自分のために用意されたはずのない料理たち。まだ、ほんのりあたたかい料理たち。
ほら!
懐かしいだろ?
懐かしいあの味だろ?
覚えているか。覚えているだろ。
思わず涙が溶け出した。
目の前に座る客たちも舌を長くして待っている。
そうだ、今日は特別な日。
暗い部屋の中には七人の奇妙な客が囲む大きなテーブルが用意されていた。
一人は暗闇の中で更に黒いマントを羽織る影だった。影が椅子に座っていた。傍らには大きな鎌が立っていた。
一人は金髪で軍服を着た男性だった。制帽を目深に被って、目を閉じていた。長い足を組んでいるのが遠くからでもわかった。何か歌を口ずさんでいるようだ。外国語は自分には解らなかった。
一人は一つだった。椅子の上には、丁寧に砂時計が置かれていた。外側がほんの少し濡れているそれの中には、砂ではない何かが流れ落ちていた。
一人は長い長い蛇だった。椅子に巻き付く蛇だった。それも尻尾のない、終わりのない蛇。両端にくっついているのは頭だった。
一人はキツネとタヌキだった。一脚の椅子を半分こしながら座っていた。違う。よく見たらキツネの顔にはタヌキの模様。タヌキの耳はキツネの尖った耳だった。
一つはよく見えなかった。まだ、自分の目には見ることができなかった。
一つは何も座っていなかった。ただ、火の消えたキャンドルたちがそちらへ押しやられて逝くのを自分は見ていた。きっともうすぐ、自分も向こうへ逝くのだろう。
そして真ん中に飾られた桜の蕾が膨らむ枝。 懐かしい公園に住まう、桜だった。
みんな、新しい料理が運ばれてくるのを待っている。
ゆらりと蝋燭の炎が揺らめいた。懐かしい匂いと臭いが記憶を呼び起こした。キャンドルが燃える、蝋燭が燃えるそのにおいは、懐かしい友人たちのにおいがした。
ゆらりと、炎が揺らめいた。
炎の動きと一緒に七つの客たちの姿に影を作り出す。どこか見覚えのある客たち。
どこで? いつ?
ゆらり、と炎が揺らめいた。自分の意識も一緒に揺らめいた。それは今思い出すことではないらしい。
思い出せない。
それでいいか。いいんだな。
意識は再び部屋に立ち込める暗闇の中へと沈んだ。
テーブルに乗った蝋燭が、一本、寂しげに佇んでいる。そこに火はまだ灯されたままだった。
血が滴るステーキ。
骨まで煮込んだスープ。
脳が溶けるクリームパスタ。
腸が詰められたソーセージ。
どれもうまそうだ。手元には食器は並ばない。あるのは揺れる炎だけ。
ああ、どれも時間をかけていい味を出していそうだ。
だけどそこにはデザートがない。
甘いケーキがそこにはない。
今日は特別な日なのに、甘いデザートが食べられないんだ。甘い、夢みたいなケーキがまだ食べられないんだ。
料理が次々とテーブルに並ぶ。気づけばキャンドルの数が減っている。
ハヤク! ハヤク!!
眼を輝かせた客のひとつが急かしてる。
おまえも早くと、行儀悪くテーブルを叩き始める。
そうだ、早くしなきゃ。
だってもう、特別な日が来てしまったのだから。
蝋燭の火が揺れる。風がないのに揺れるのは何かが揺らしているからじゃなくて、それ自体が揺れているから。
ゆらりと揺れるそれは、誰かの心のような、魂のような、命のような光を放つ。
そういえば、いつから自分はこの部屋の椅子に座っていたんだろう。
ジブンハドコニイルンダロウ。
本当に今いるのは、椅子の上なのか?
今いるのは、テーブルの上じゃなかっただろうか。
だって、椅子は七脚しかない。
客は七つしかない。
自分には始めから座るための席は用意されていなかった。
だから、行儀よくその時が来るのを待つしかなかった。
アーア、オモイダシチャッタのね