その警官のおっちゃんは、初めて会った時にはまだまだ若い若手の警官だった。と言っても、小さかった俺は顔も上げられなくてさ。覚えていたのは声と手。それだけだった。
父さんに怯えて動けなかった俺を家の外に出してくれたのは、恩師のあの先生。先生はあの日、父さんと向かい合って言い争ってた。俺のために、マジギレしてくれた。
だから、その間に同行してた警官が俺を外に出した。それが、若かったあのおっちゃん。
暗い押し入れの中でうずくまってた俺の手を握って、引いて、玄関へ一緒に歩いて行って。
それから。
それから、後ろから響いてた父さんの怒鳴り声が聞こえないように俺の耳を塞いでくれた。外に出て、手がガサガサに荒れているねって言いながらハンドクリームをたっぷり塗ってくれた。おとなしくしていた俺の頭をそっと撫でて、いい子だねって言ってくれた。
そうだ。そうだった。
何で今さら思い出すんだろう。
何でずっと忘れていたんだろう。
「ありがとう」の一言さえ言えずに、時間が過ぎてしまってた。俺は大人になって、おっちゃんの髪には白髪が目立つようになった。
俺は、また遅れてしまった。
大切な人に感謝を伝えることも、最期を看取ることもできずに涙した。こんな自分が悔しくて、ほんと、嫌になる。
俺は、ただ無駄に時間を使ってきただけなんじゃないか。無意味にただ立って生きているだけなんじゃないか。遅れる時点で、約束の意味さえないんじゃないのか。
そう、思う時がある。
違う。ほんとはずっとそう思ってる。
でもなおんないんだ。この体質も、癖も。
俺は一生遅刻常習犯なんだ。
遅刻し続ける、愚か者なんだよ。
浮かび上がった「父」の文字を見て、俺は思い出した。あの父さんのことを。
酷い仕打ちをしてきた父さん。それでも、唯一の家族なんだって理由をつけて受け入れようとした。結局理解できなかったし、理解されずにこのまま終わるんだなって思いながら、家を出た。
おっちゃんの示す「父」は誰のことなんだろう。おっちゃんは誰のことを伝えようとしたんだろう。
死の間際に遺したメッセージ。これは、おっちゃんをこんな目にあわせた犯人のことなのか?
どの「父」だ。誰の「父」だ。
違うんだよ。おっちゃんは「俺に」メッセージを残してくれた。俺ならわかると、俺だったら気づくと信じて残したんだ。
だから。「父」は俺とおっちゃんが共通して知っている人。
おっちゃんは、父さんと面識があった。
あの日、俺を外に出したあの日に、先生とおっちゃんは父さんをしっかり見ていた。
この行方不明の怪異を起こした犯人は、父さん。
「いい子だ。よくできました」
おっちゃんの優しい声と一緒に、皺の刻まれた大きな手が俺の頭を撫でた気がした。
振り向いたけど、そこには誰もいなかった。