俺は病院に行った。すこぶる健康体だったけど。
真新しい建物は人を吐いては呑み込んでいく。その病院は、実は俺が産まれた場所じゃなくてその後移動した新しい方だった。
助産師さんが亡くなる前に移動して、新病院となった。旧病院はまだ取り壊しが行われてなくて、そのまま廃病院として残ってるらしい。医師や看護師はほとんどそっくり連れてった。中には入れ替えもあったみたいだけど、そこら辺は当人の自由。施設が大きくなるに伴って人員も大幅に増やされたみたいだった。
ここだけの話だけど、そんな大掛かりな人事異動なんだから人の一人や十人や何十人、は言い過ぎか。とにかく行方をくらましたって気がつかないもんなんだよな。いなくなった分、補充されてるんだから。
俺の知りたい行方不明事件とは関係ないんだけどさ、そういうのってほんとよくある話なんだよ。
一つの村が消えた。村人全員が一夜にして失踪した。そんな、話。
ちょっと気にして、すぐに忘れるだろ?
だって自分と関係ないんだから。
関係あったら無関心じゃいられない。
俺の行方不明事件だってそうだよ。これが俺自身に関係してるから必死になってたんだ。
いなくなったのが俺の知り合いだった。犯人が俺の父さんかもしれない。次にいなくなるのが、俺の身近にいる大事な人かもしれない。
だからこそ必死になって終わらそうとした。
じゃなきゃ俺もほかの同級生と一緒になって、その時山場を迎えてた砂時計の解決に尽力したさ。
とにかく、以前より大きくなったらしい新しい病院。俺が産まれた旧病院じゃなくて、新しい方。そっちに行けって助産師さんは俺に遺した。
到着してすぐに向かったのは受付。入り口入ってすぐ正面。
何て言ったらいいかわかんないからしばらくうろうろしてた。ほんっと、無駄な時間だった。
そしたら後ろから肩を叩かれた。あの時ほどビビったのは三回くらい。振り向いたらそこにいたのは、怪奇オタク、お前だった。
「なんでこんなとこにいんの」
「メール送っただろ」
「メール?」
「眠りウサギ」
「ああ」
眠りウサギが入院してたのはその病院だったんだ。怪奇オタクは毎日見舞いに来てたらしい。
ホントウニ?
さあね
俺はその時、怪奇オタクと会った。それは事実だぜ。
だから俺はそいつに手帳のこと、助産師さんのことを話した。そしたらさ、そいつ、一番最後のページを開いてこう言ったんだ。
「名前書いてあるじゃん」
確かにそこには一人の名前が書かれてた。俺はそれまで全然気がつかなかったんだけどな。
でもさ、俺思うんだよ。そこに名前が書かれてたの知ってても、誰の名前かわかんなかったから無視してたんだろうなって。
俺、ずっと助産師さんのこと「助産師さん」って呼んでたんだ。手帳に書かれてた名前は初めて聞く名前だった。
「あの人、××さんって名前だったのか」
「知らなかったのか?」
「ああ」
今まで知らなかった。でも、知らなくていいことだった。彼が自分で自分の名前を俺に教えなかった。それって、知っても知らなくても変わらないってことなんだと思う。
おいおい、みんな。軽蔑しないでくれよ。
そもそも俺たちだって名前で呼んでるやつの方が少ないだろ。信頼してそいつのことをわかってるから変な呼び方をする。
友人Aに遅刻常習犯。眠りウサギに怪奇オタク。どれも親しいから呼ぶんだよ。気に入ってるぜ? この呼ばれ方。
自分が特別だって思えるんだ。
俺にとって彼は「助産師さん」なんだ。特別な助産師さん。大切で、大好きだった助産師さん。
もし名前を教えてもらっててもさ。俺、多分彼のこと助産師さんって呼び続けると思うんだよな。
彼もその仕事に誇りを持っていた。多分、仕事のことを聞いて小さい俺は思ったんだろうな。
「じょさんしさんってすっげえ!」
俺が助産師さんって呼ぶのを、彼は嬉しそうに応えてくれた。
助産師さんの方はって言うと、俺のことは大抵「きみ」「ぼく」「ぼうや」って呼んでた。小さい子どもを呼ぶ呼び方だよな。
俺はそれが嬉しかった。
父さんには「お前」とか「鬼子」だぜ? 名前以前に人として見られてなかったんだよ。
助産師さんは俺を子どもとして見てくれた。小さな人として、守られていいんだよって思わせてくれた。
これって、大きいだろ?
名前なんて呼ばなくても呼ばれなくてもよかったんだ。相手が自分を見てくれればそれでよかった。ただ、それだけなんだよ。
俺にとっては、な。
いくつか疑問が残る。
眠りウサギは本当にその病院に入院していたのか。
遅刻常習犯と助産師さんの関係は何なのか。
そんな、話。