怪奇オタクは自分のついでだって言いながら、手帳を奪って受付に行った。
俺は病院になんて来たことがなかったから、どうすればいいか全くわからなかったんだ。ほら、俺の父さんってあれだから。
何か受付の人と話して、あいつは奥に入ってった。入院してる人の病室がある方だ。それで、ぼんやり見送ってた俺のとこに一人の医者がやって来た。
「××君だね。あっちで話そうか」
そう言って、飲食スペースに俺を連れていった。
当然俺はその人なんて全く知らない。胸に付けてる名札を見ても、どこにだってある名字だった。
その人は、俺を二人掛けのテーブルに座らせといてカウンターの方へ歩いていった。
戻ってきた時にはコーヒーとココアがその人の手に増えていた。
「どうぞ」
彼の前にはコーヒーが。俺の前にはココアが置かれた。初対面で、俺は知らない人にココアを出された。
甘いココアは子どもの頃からの俺の好物だった。
カップの中から立ち上る湯気と匂いに俺は驚いた。驚いて、彼の顔を見た。彼は笑って言った。
君はココアが好きだって聞いていたんだ。
「どこまで知っているんだい?」
「いや、その、なにも」
「じゃあね、君は何を知りたくてここに来たんだい?」
助産師さんと同じような、ゆったりとした話し方だった。熱いココアはテーブルに置かれたまま冷めるのを待っていた。
何から言ったらいいのかわからなかった。全部、知りたかった。全部聞きたくて、口にしたくて、頭が真っ白になった。口は開いたけど、声にならなかった。言葉は出て来なかった。
そんな俺を見ながら、彼は白衣を脱いでイスの背に引っ掛けた。ぴしっとしたシャツとネクタイをした彼は、まだ若く見えた。座りながら、
「今日はもうあがりなんだ。時間は気にしなくていいよ」
そう笑った。
よく笑う人だと思った。病院に勤めている人ってみんなこうなのかって。でも、次の一言で俺の頭は完全に凍った。
「僕は君のお父さんの後輩なんだ」
父さんの、後輩。
まさか。あの父さんが病院勤務? あり得ない。
だって。
だってだって。
だってだってだって。
とうさんはあんなにおれをなぐったじゃないか
俺はてっきり、彼は助産師さんの知り合いだと思ってたんだ。それか、母さんの方の。
当然だろ。父さんと病院が結び付くなんて思いもしなかった。でも彼は確かに「君のお父さん」と言った。
「高校、とかの、ですか」
彼は一瞬驚いたみたいだった。
「本当に、何も聞いていないの?」
「はい」
彼は目を瞑った。何かを考えているようだった。
ぬるくなり始めたココアを俺は啜った。まだ少し、熱かった。
「うん、わかった。全部、始めから話そう」
彼はそう言って、コーヒーを一口啜った。
知りたかった話が明らかになる。知りたくなかった話が明らかになる。
俺は目の前の彼に夢中だった。周りのことなんて聴こえないくらいに。
だから、ほんの少しだけしか距離が開いていなかったのに気がつかなかった。知り合いが自分の後ろを横切って、病院から出ていこうとしていたなんて。
オメデトウ
ソノヒハ、カレノタイインノヒ
俺は知らなかった。
俺は気づかなかった。
なんでだろう。
俺の中の、ナニカが人とずれていた。
俺は、遅刻常習犯。
人に遅れ続ける、遅刻野郎。
お前は彼に会釈した。
彼は笑って手を振った。
ただ、それだけのことだった。
話は同時に進行している。
出席番号6番、友人Aの話をもう一度読んでもらいたい。
彼はこの病院に入院していて、遅刻常習犯がやって来たこの日に退院していった。
遅刻常習犯は彼に気づいていなかったのである。