目の前が霧や霞で遮られている。
たんたんたん。
廊下を走る音がする。
トントントン。
部屋をノックする音がする。
音がする。何処からか音がする。
何処から? 何処から。何処からか。
頭がぼんやりとする。
目は開いていて、閉じている。
まるで夢の中。
起きているのに眠っている。
眠っているのに起きている。
まぁるで夢の中。
起きながら夢を見ている。夢の中で起きている。
夢の中で夢を見ている。覚えているのに思い出せない夢を見続けている。
頭がぼんやりとする。
体は現実の中。心は未だ夢の中。
心は現実の中。体は未だ夢の中。
あいつが俺に見せていた「家」は偽物だったんだ。家の外装も、少ししかなかった家具も、全部幻。
まるで夢が終わるみたいに、それはあっさりと俺の目の前から消えた。きっかけは、多分俺が真実を知ったこと。あいつが俺の父さんじゃないって知ったことだと思う。
なあ、みんな。俺の住んでた家ってどんな風に見えてたんだ?
『きみ、空き地でダンボールの中で暮らしてたんだよ。
誰かがくれたダンボール。その中にタオルを敷いて、くるまって。小さなすてられた猫みたいだった。
雨には濡れなかったけど、あそこには家があったんだね』
なあ、みんな。俺って、あそこにいた時どんな風に見えてたんだ?
『あそこには先生しか入れなかったんだ。ボクたちじゃ入れなかった。
本当は、いつだって君をあそこに帰したくなかった。ガリガリに痩せて、いつだってケガだらけで。
同じ教室にいる友だちなのに、なんでこんなに違っちゃうんだろうって思ってた。なんで何も出来ないんだろうって、いつも悩んでた』
みんなには、あいつのことどう見えてたんだ?
『君の「父さん」はボクらには見えなかったよ。いつもね、君が助産師さんって呼んでた人が遠くから見てたんだ。先に進めなくて苦しい顔してね。
先生があそこには鬼がいるって言ってたよ。本当に住んでたんだね、鬼が』
始めからあの場所には何もなかったんだ。
俺の父さんも。家も。思い出も。
泣きながら立ち尽くす俺の目に、ポストへ突っ込まれた手紙が映った。
「友人Aからの手紙」だった。
ちっげえよ!!! ばぁーーーか!
友人A。お前からの手紙はとっくの昔に届いていたんだ。同窓会の案内が来る前に。
ただ、結局のとこ俺はそれにずっと気づかなかった。気づいたのは一年後だ。
ま、いつものことだろ。
そう、いつものことなんだ。
俺がぐだぐだノロノロ遅れるのは、いつものことなんだよ。だって俺は遅刻常習犯なんだから。みんなが俺を振り返ってそう呼
んでくれるみたいに、俺はいつも遅刻する。
産まれる時だって遅刻したさ。だけど、今はそれでよかったと思うんだ。
俺は普通に考えれば母さんと一緒に死んでた。母さんと一緒に、あいつに屋上から突き落とされて死んでた。産まれる前に。
遅れてでも産まれて来れたのは幸せなことだ。生きて産まれて来れたんだから。
ほら。遅刻するのも場合によってはいい方へ傾けるだろ?
ごめんごめん! ちゃんと遅刻しないように気を付けます! わざとじゃないんだって!
ああ、だからさ。その時も思ったんだよ。友人Aは俺が遅れるのを見越して、早めに約束の時間を言ったんだってね。
友人Aとは一番付き合いが長いんだ。俺の扱いも慣れてる。俺がいつ手紙に気づくのかも大体予想できるんだよ。
俺が、いつ約束の場所へ来るか。それも予想できる。
『わあ、すごいねえ』
これぞ親友の成せる技!
つまりさ、俺と友人Aの間ではもう約束は成立してたんだよ。いついつの何時にどこで会おう。その手紙は俺の部屋、小学校の宿直室のファイルにもちゃんと綴じてある。
遅れても忘れないのが遅刻常習犯の正義。
じゃあ、家と思ってた所にあるポストに入ってた手紙は何なのか。空き地に残ったポストに投函された手紙という紙切れ。
手紙の中の話し方は俺の親友とは違う。別人だ。でも内容は同じ。宛名も俺宛の手紙。
誰からの手紙だと思う?
あいつだよ。あいつが俺への手紙を見たんだ。
「同窓会の案内、来たか?」
「何人か、もう先にいってる奴らもいるらしいぜ」
「どうせお前は遅刻するんだろ」
「同窓会の前に、さいごに1回会えないか?」
友人A、覚えてないか? 思い出さないか?
お前も同じ内容の手紙を俺に寄越したんだよ。
あいつは俺に届いたお前からの手紙を真似したんだ。理由なんて決まってる。これで最後にするつもりなんだ。
俺にはもうあいつが作った牢屋は見えない。あいつが何をしてきたのか、あいつが何なのか知ったんだ。だから、逃げられる。あいつから。俺には生きてきたこの桜ヶ原があるんだから。
それに、あいつだってずっと追いかけられるわけじゃない。この桜ヶ原に居続けることは不可能だ。
あいつは余所者。俺たちの桜の姫と七不思議が黙っていない。
あいつはやらかしたんだ。桜の下で罪を犯した。
バツヲアタエナケレバナラナイ
バツヲウケサセナケレバナラナイ
あいつは、今度こそ逃げられない。
もう外へも戻れないし、内を逃げ回ることだってできない。
ナナフシギノトリデハフッカツシタ
崩れていたはずの「砂時計」が甦った。七不思議は復活した。
あいつの逃げ場は、もう、ない。
だから焦ったんだろうな。最後の最後で俺を罠に嵌めようとした。でもあいつは俺をよく見てこなかった。
俺の「遅刻癖」を知らなかったんだ。バカだよなぁ、ほんと。父親って呼ばせといて、全く子のことは見ていない。あいつにとって俺はずっとただの「獲物」だったんだ。目の前にある、手の出せない獲物。
ヨダレをだらだら流しながら待っていたんだろうな。待ちきれなくて他の獲物に手を出すくらい。
ここでやっと、一番最初の話に戻ってくる。
時間は「今」。
「遅刻常習犯の遅刻予告」へと戻ってくる。