いつだって遅れる、遅刻野郎。
何度も何度も遅れを取った。気づくのが遅かった。遅くて、遅すぎて、間に合わなかった。
大切な人たちの死に目。もっと早くに辿り着くべきだった事実。知らなきゃいけなかった真実。
痛くて痛くて苦しくて、生きるのを諦めそうになった。殴られた時。蹴られた時。刺された時。怒鳴られた時。暴言を吐かれた時。
でも、その瞬間の痛みはほとんどなかった。
俺の体質が俺を生かした。全部が遅れてやってくる。痛みも遅れてやってくる。独りじゃ耐えられない痛みは、いつも遅れてやってきた。
痛かった。痛くて痛くて終わりが来るのを望んだ。今すぐ終わって欲しいと望んだ。
でも、いつだってその痛みは独りじゃない時にやってきたんだ。助産師さんといる時。先生と話す時。親友と遊ぶ時。友人たちと学校にいる時。
独りじゃ耐えられなかった。でも、その痛みはみんながいたから乗り越えられた。耐えて、生きようと思えた。
みんなが支えてくれた。みんなが理解してくれた。みんなが、俺を、俺と、一緒にいてくれた。
痛みは消えた。痛みは消えるんだ。いつかは、どんな痛みも消えてくれる。消してくれる人たちが、俺の周りにはいた。
守ってくれた存在が、俺にはいた。
そんなことを後から思い出す。
俺は遅刻常習犯。
いつだって遅れる遅刻野郎。
でもさ、そんな遅刻癖も許してしまう人たちが周りにいるもんだから、きっと明日も遅刻する。ダメだな、こりゃ。一生かかっても治んないわ。
でも、どんなに遅れても絶対追い付いてみせるよ。
俺は最後まで諦めない。
最後の最期まで、絶対諦めない。
もうちょっとだけ、待っててくれな。
友人A。
俺の、たった一人の親友。
誰かが道路を挟んで反対側に立っている気がした。俺は振り返った。そこには待ち人がいた。
俺はお前の名前を呼んだ。
俺の声は車の音に掻き消された。
俺はもう一度お前の名前を呼んだ。
お前は応えなかった。
いつもならお前はこう応えただろう。
「また遅刻かい」
遅刻常習犯の俺を見て、また遅れたのかと言うだろう。いつもそうだった。いつもそうやって、お前は笑ってくれた。
「遅れて悪かったな」
俺もそう言って、いつも笑った。
そこにはいつものお前はいなかった。まるで赤の他人を見るような顔で、お前は俺を見た。
道路とそこを走る車が俺たちを遮った。車が通り過ぎる一瞬の後に見えたのは、お前の背中だった。
お前は俺に背を向けて歩き出した。
会おうと言って待ち合わせたはずなのに、お前はそこから去っていこうとした。
「待てよ!」
俺はお前の名前を叫んで呼び止めようとした。
お前の耳には届かなかった。
俺は走り出した。お前の背を追って。
何かを決意した顔。俺はそんなお前に追い付けるのか。今度こそ遅れずに、笑い合えるのか。
お前は走った。何かから逃げるように。後ろを追う俺から? それとも、俺の後ろに迫るだろうあいつから?
追いかけてやろうじゃねえか。
追われてやろうじゃねえか。逃げて、逃げ切ってやる。あいつなんかには捕まらない。
時刻はもう夕暮れ時。空には月が上り始めていた。影が濃くなって闇に溶けていくのはあっという間だった。
どこかでイヌの鳴き声が聞こえた気がした。
月明かりの下、俺たちは走った。
切り株のある小学校、光が点滅する角のコンビニ、終電間近の駅、何かが潜みそうな地下通路の入り口、春には桜が咲く公園、廃病院が見える坂の下、花束が添えられる道路。
俺たちはどんどん追い越していった。
行き先は、新しい病院。お前が退院したばっかりで、俺が父親の後輩と出会った場所。知らなきゃいけなかった真実を、知った場所。
俺はお前を追った。お前は一度も振り返らなかった。いつもは振り返って俺が後ろにいるのを確かめてくれた親友。今回だけは自分のために、まっすぐ走っていく。
俺は、そんなお前の背中を追い続けた。
夜の道に、三つの足音だけが聞こえていた。
頭が痛かった。あいつに叩かれ続けた頭が。
背中が、腹が、頬が痛かった。あいつに殴られ続けた場所が熱を持って痛かった。
腕が、足が痛かった。ちぎれそうなくらい強く握られた腕と足には、痣だけじゃなくて切り傷もたくさん残っていた。
痛かった。死にたいと思うほど。
父さんだと思っていた存在に傷つけられるのが、とても痛かった。
走りながら俺はその痛みを思い出す。身体中が痛かった。
でも、その痛みの数だけ俺は生き延びてきた。生きて欲しいと守ってくれた誰かがいた。
俺は走った。親友の後ろを走った。
いつだって遅刻して、誰かの後を追う。
待ってくれてる誰かの後ろ姿を追って、俺は生きてきた。そんな気がする。
それが、俺の生き方だった。そんな気がする。
それでいいんだって思ってた。誰かの後が自分の居場所なんだって思ってた。
でも、そんな居場所だって先をいく人が作ってくれたものだったんだ。助産師さんや母さん、先生、警察官のおっちゃん、同級生たち、そして親友。みんな、俺がそこにいるのを認めてくれたから居場所を作ってくれたんだ。
俺は、そこにいてもいい。俺は、生きていてもいい。そういうことは、きっと下を見ていたら気づかないこと。前を見て、前の人の想いを受け入れて、受け止めたから気づけるんだ。
俺は生きていてもいいんだ。どんなに痛くたって、どんなに苦しくたって、その先を信じて手を伸ばしてもいいんだ。
先を生きてくれた人の跡を追って、俺は生きる。誰かが残してくれたものを追って背負いながら、俺は生きる。
生きて欲しいと願ってくれた人たちがいたから、俺は生きてこれた。だから今、自分の足で立って走ることができるんだ。
誰かを追い越すとかじゃねえんだよ。
自分のいく人の道は一本しか選べない。そんな道で競争してどうなるんだ。
俺はいつだって遅れてきた。遅れたからこそ見えたものだってあった。人の死に様、人の生き様。それは、これから自分がどうするかっていうヒントを秘めたメッセージだ。
追い越したら前しか見えないんだよ。一人きりで前を向くしかない。
希望を持って? 正義を信じて?
俺はそんなものだけを手に生きていけない。
俺は、強くない。
誰かがいるから、みんながいるから生きていけるんだ。多分、俺も誰かのために生きて欲しいと願うことができるんだ。
なあ、みんな。俺、今度は自分で選ぶよ。
今度こそ、遅れずに選べるよ。
生きることも、死ぬことも、自分の足で選べる。これは俺が自分で出した答えなんだ。たくさんの人からもらったヒントから辿り着いた、俺の答え。俺は走る。
俺は、最期まで走りきる。
親友の背中に間に合うように。
なあ、親友A。
お前の考えてること、解るよ。
もう、時間がないんだよな。
わかってるよ。
同窓会の案内状、持ってるだろ?
俺も持ってるよ。
今度は遅刻しないからさ。
一緒にいこうぜ。
お前一人でなんて、いかせないから。
できれば、できればなんだけどさ。
親友A。
お前にはこれからも生きて欲しい。
そう願うのは、ただのワガママ、だよな?
『ボクも君に同じことを願うよ。
遅刻常習犯。ボクの、親友。
君に生きてもらいたい。
でも、きっとその願いは叶わないんだね。
なら、一緒にいこう』
ミンナガマッテル