これは幼い頃にしたごっこ遊びだと。
遠い町へやって来た。幼馴染みの子と一緒に。
町をさ迷った。知らない町だった。
二人で手を繋いだ。一緒にいれば恐くないと言って手を繋いだ。
ふ、と。何かが横切った。何かが何処かを横切った。
追いかけた。追いかけた先には神社があった。古い神社だった。古すぎて、朽ちていた。
その場所には神さえもいなくなったように思えた。
祀られるべき神が去った神社には何がいるのだろうか。何もいないのだろうか。
誰も訪れなくなった神社には何が残されたのだろうか。何も残されないだろう。人はそこに神がいたことさえ忘れる。そんな人に神が何かを残すとは到底思えない。
いや、信仰を忘れた人に対して神が唯一残すであろうものがあった。呪いた祟りといった忘れものである。
神さえも忘れたそれは、誰かに見つかることをただただ待ち続けていた。
神社を見つけた。古い神社だった。
鳥居に続く道に子どもがいた。二人に気づいた。目が合った。
「遊ぼう! 遊ぼう!」
彼は笑顔で言った。
「お願いだ、一緒に遊んでくれ!」
彼はすがるかのように二人に言った。
絶望に染まった小さな黒い目が、二人を見つめて微かに輝いた。希望を見つけたように輝いた。
二人はそれに気がつかなかった。二人はまだ子どもだったから、それに気がつくことができなかった。
二人は首を縦に振った。いいよ、と彼に言った。
彼は大喜びで指を鳥居に向けた。鳥居を潜った先にある神社に指を向けた。
「あそこで遊ぼう」
鳥居を潜った。そこから先は神の領域のはずだった。だが何もいなかった。神すらもいなかった。
「やめようよ」
二人のどちらかが言った。どちらも言ったかもしれない。
彼は執拗に言い続けた。
「お願い、一緒に遊んで。お願い、ここで一緒に遊んで」
彼の言葉は最早遊びの誘いではなかった。助けを求めているとしか思えない声音だった。
二人は神のいない神社などで遊びたくはなかった。
「アソボウ。アソボウ」
カレの声が聞こえた。彼はその声に怯えていた。
二人にはその声がどこから聞こえているのかわからなかった。声を発しているカレを、二人は見つけられずにいた。
そのうちに彼はとうとう泣き出してしまった。どうにもこうにもいかなくなってしまった二人は、彼ラと神社の中で遊ぶことにした。
「何して遊ぶの?」
「おにごっこだよ」
彼ラは遊んだ。神社の境内を走り回った。
時間を忘れるほど、遊び回った。
追いかけた。追いかけられた。
追いかけられた。追いかけた。
走った。走った。息が切れるほど。息が止まるほど。走った。
刻は既に逢魔が時。
鬼が腹を空かし、獲物を追いかけ始めた。子どもは追われた。鬼から逃げようと、必死で逃げた。神は見向きもしなかった。
それを知るのは彼とカレだけだった。
彼ラはおにごっこをした。二人の両親が呼びに来るまで、終わることのない追いかけっこを続けた。
「もう帰らなきゃ」
二人は神社から出ていった。
鳥居を潜る時、後ろから彼の声がしたようだった。
「待って、置いていかないで」
後ろからカレが、鬼が、子どもをつかまえたようだった。
「ツーカマーエタ」
神社の何処かで何かが落ちる音がした。
彼はどうなったのだろうか。
おにごっこでは鬼役に捕まれば鬼になる。彼は、どうなったのだろうか。鬼に捕まった彼は、どうなってしまったのだろうか。
ほんの些細な記憶である。
その後何年も思い出すことなどない、些細なことだった。思い出さなくてもいいはずの記憶だったはずだ。忘れていればよかったはずの。
しかし二人は思い出した。何故だ。
二人の目の前にかれが現れたからだ。
誰だ。
彼だ。
夢の中で一緒に遊んだ彼だ。
彼なのか。
あの時の彼なのか。
本当に、そうなのか?
何故ここに。
それは、彼の顔をして言った。
「マタ、イッショニアソボウヨォ」
オニゴッコノツヅキヲシヨウ。
それは二人に言った。
二人は覚った。それは彼ではないと。
二人は逃げた。かつての彼のように。
逃げて、逃げて、再びあの町に辿り着いた。古びた神社を探した。色褪せた鳥居を探した。
忘れていた何かを探した。
後ろからはカレの足音が聞こえていた。
二人は振り向かなかった。振り向いてはいけなかった。
おにごっこで鬼役に捕まれば鬼にされる。人ではいられなくなる。
後ろからカレの足音が二人を追いかけてきていた。
夢の中で彼が叫んでいた。
助けて。助けて。置いていかないで。
お家に帰りたい。パパとママに会いたい。
助けて。置いていかないで。忘れないで。忘れてしまわないで。
ここにいる。ずっとここにいるんだ。忘れないで。置いていかないで。
彼は泣いていた。
あの後、彼はどうなってしまったのだろうか。二人が振り向くこともせずに別れた彼は、最後にどうなったのだろうか。
その彼の後ろには、何がいたのだろうか。
それは、人だったのだろうか。
二人は未だに思い出せないでいる。あの時、自分達は何人で遊んでいたのだろうか。三人? 四人?
記憶を辿りながら二人は折れそうな鳥居を潜った。その先の境内には。
その先の境内には、古びた神社はなかった。とうとう崩れ落ちてしまったのか。それにしては全く何も残っていない。本当にそこに神社があったのだろうか。狛犬さえも残っていなかった。
後ろからはカレの足音が聞こえていた。近くはなかった。遠くもなかった。
二人は奥へ進んだ。そこには大きな穴が開いていた。自然に開いた穴だろうか。それにしては大きすぎる。人が掘ったものだろうか。神の仕業だろうか。それとも化け物の?
後ろからは人ならざるものの足音が聞こえていた。
二人は穴の中を覗きこんだ。
深い穴だった。
深く暗い闇の奥に、二人は見た。
そこには彼が、幼いままの形で横たわっていた。
二人が一緒に遊んだ、あの日の彼だった。
彼の顔はカレと同じだった。同じなのだ。今二人を追いかけてきているカレが、彼の顔を真似たのだ。
彼の首は、腕は、脚は、奇妙な方向に曲がっていた。
二人は逃げた。おにごっこの鬼に捕まらないように。
逃げながら、後ろを気にしながら生きた。彼ラのおにごっこは何年も続いた。
二人は逃げきれたのだろうか。逃げきれなかったのだろうか。
彼は最期までカレから逃げきることができなかった。
一緒に遊ぼうと言った彼は何故カレとおにごっこを始めてしまったのだろう。カレは始めから遊びのごっこ遊びをするつもりなど全くなかった。カレがしたかったのは鬼が人を狩る「鬼事」だったのだ。
だが人の子供はカレを、鬼を恐れた。畏怖し、避けようとした。だからこそ遊びの場を神社の境内に指定した。神に救いを乞うた。そこでならきっと助かると信じた。
しかし彼は忘れていた。荒廃した神社の何処に神がいるというのだろうか。人に忘れ去られた神は彼を守らない。忘れたのは人が先だ。それさえも人は忘れてしまった。
神を奉っていたはずの境内はもはやただの土地だ。いくら鳥居を潜ったとしても、その先には何もいなかった。空虚になった其処には誰も住まない。
神は消え去った。
己を忘れた人の子に神は何を思ったのだろう。何も思わなかったかもしれない。神なのだから、何も思わなかったのかもしれない。
だがそれは残ってしまった。神さえも消えるその時にそれは残ってしまったのだ。
カレは、其処にのこってしまった。
カレは何なのだろう。鬼か。化け物か。祟りか。呪いか。その全てか。
それは神の忘れものとしてその場に残されてしまった。
腹を空かしながら、カレは人を見た。どこかうらめしそうな目をしながら、カレは見た。
寄越せ寄越せと、カレの目が語っていた。
腹がへった。お前の×を寄越せ。際限なくそれは空腹を訴えた。神からも忘れ去られたそれは人を、喰った。人の×を喰らった。
彼は見つけてしまったのだろう。目が合えばそれは彼を認識した。彼もカレを認識した。
彼は恐れた。恐怖し、一人になりたくなかった。カレに背を叩かれることを恐れ続け、ひたすらに逃げた。
まるでおにごっこのようだった。
遊びの中に人ならざるものを引き入れてはいけない。遊びで済むはずがないのだから。
彼はそれさえも忘れていた。
「鬼さんこちら」
呼んではならない
「手の鳴る方へ」
手を叩いて呼んではならない
何故わざわざ人は自ら鬼を呼ぼうとするのか。鬼と人とでは遊びの範疇が異なる。遊びのつもりでも、片方は遊びではないのだ。
人はそれすらも忘れてしまったのか。
ネエ、アソボウヨォ!
後ろからナニカの足音が追いかけてきている。
其処には誰かの忘れものだけがのこされていた。