小学校のすぐ近くに住むお婆さんが亡くなったらしい。つい先日のことだよ。
そのお婆さんは神様を信じていたんだって。いや、別に人がどんな神様を信じて宗教に入り込むなんて自由だと僕は思ってるよ。
どんな宗教だってさ。結局、人が弱くて助けて欲しいと望んでいるから『神様』に救いを求めるんだよね。『神様』っていうものにすがるんだ。
「助けてください」
「助けてください」
ってね。
それ自体は悪いことじゃないよ。
誰だって、弱い部分はある。僕にも。君たちにも。
でも、すがって頼りきって全てを委ねるのは違うんじゃないかな。自分の生きる全てを『神様』に委せちゃうのは、違うんじゃないかな。
そのお婆さんは、ある宗教に盲信していた。神様は、猫の形をしていた。
ねえ。みんなの中で猫が好きな人、どれくらいいる? 犬が好きな人は? 何でもいいんだ。鳥でも、馬でも、ハムスターでも。その動物たちに何をどれくらいしてあげられる?
出会ってから命が尽きるまで寄り添ってあげられる? 彼らに尽くせる?
お婆さんは、小さい頃から猫が好きだった。でも、飼うことはできなかった。ずっと。ずっと。でも、どうしても側にいたかった。
今なら猫カフェに行くなり、何らかの方法で触れ合えるだろうね。そういう施設とかは昔はなかった。
お婆さんは成長して大人になった。近所には猫カフェなるものができた。好きな猫に癒しを求めて通い詰めた。それでもまだ足りない。もっと猫たちといたい。もっと猫たちと触れ合いたい。近くにいたい。
そんな時に宗教の勧誘に会った。
偶然にもその宗教の神様は猫だった。猫神様だった。ネコサマだったんだ。
お婆さんは神様に心酔した。盲信した。家族や親戚や知人が止めるのも無視して「神様、神様」と猫にすがった。
他の信者はこう言った。
「もっと神様に尽くしなさい」
「もっと神様の為に尽くしなさい」
別に、特別なことじゃないと思うよ。他にもそういうことをしている人はいると思うし。
でも、近年その行為がどういう結果を招くか専門家の人たちが声をあげ始めた。知識を持つ関係者が意を唱え始めた。具体的な事例や数値を示して、その考えを広め始めた。
その行為は間違っている。良くない。そういう考えをね。
お婆さんは、野良猫たちに餌を与え始めたんだ。自分で飼いもしないのに。
野良猫たちにとってはおいしいごはんをたくさんタダで手に入って幸せだね。時にはあたたかい毛布も置かれるよ。水も川とか水溜まりとかの汚い、泥水を飲まずに済む。
楽だね。幸せだね。
雨に濡れずに済む屋根さえないけど、痛い注射もしないし、子どもを作れなくするように去勢もしない。うるさいと言って声を奪うこともしない。
自由に生きられる。好きに生きられる。勝手気儘に生きられる。何も押し付けられない、自然のままに生きられる。
なんて幸せだろう。
野良猫にとってはそうかもね。
でも、お婆さんのその行為がどんな結果を生むと思う?
簡単に言うとね、野良猫が生きやすくなる。つまり、たくさん子どもを産んで増える。
お婆さんは猫が増えて嬉しかったかもしれない。
野良猫に餌を与えることは良いことだ。どんどん与えよう。もっと食べてもらおう。どんどん増えてもらおう。
自分はネコサマに尽くしている。
そんなわけないよ。
ちゃんと飼育されない野良が増えるっていうことはリスクが多い。僕も専門家とかじゃないから詳しくは知らないよ。でもね、例えば野良犬が増えたらどうなるか想像できるでしょう?
病気が増える。野良の数が増えれば増えるほど、彼らの間に感染症が流行りやすくなる。彼らの間で止まらず、中には他の生き物、人にも感染する病気がある。それは、もしかしたら犬から人に感染する狂犬病のように恐ろしいものかもしれない。狂犬病は人が死ぬ病気だよ。しかも、致死率が高い病気。
ちゃんと飼育されていれば予防接種みたいにワクチンを打てる。でも、数も居場所も把握しきれない野良猫にそんなことできない。
数が増える。餌が確保されているなら大きくなりやすい。成長した猫は発情して妊娠して出産する。仔猫は餌をもらって大きくなる。一回に産まれる仔猫は一匹や二匹なんかで納まらない。その仔猫たちは大きくなって発情する。それが繰り返される。もう、その地域にどれだけ飼われていない猫がいるのか判らない。
縄張りを汚す。猫って糞や尿の臭いが強いらしいんだよね。野良は自分の縄張りが『自分の家』になるから、そこらじゅうでトイレをしちゃう。誰も片付けない。猫トイレがあるはずもない。自分の猫じゃない。片付けないから、糞がそこらじゅうに残る。マナーなんてないよ。だって、彼らは野良なんだから。
死体が増える。数が増えれば死ぬ数も増えるよね。寿命でなら仕方ない。でもね、野性動物の死亡理由にはもっと多いものがある。
事故だよ。ロードキルって言われるかな。道路に飛び出して牽かれるやつ。
牽かれた死体は業者に連絡すれば回収してくれるよ。連絡しなかったらそのままなんだろうな。ずっと、そのまま。
避ければいいけど、その死体を更に牽く人もいるかもしれない。人の死体だって何度も牽かれる、牽く人だっているんだから。
死体が転がってて気持ち悪いと思う? 迷惑だと思う? 可哀想だと、思う? 数が増えて、死体も増えたら、きっとそんなの日常茶飯事になるんだろうな。段々麻痺して、その光景が『当たり前』になっていくんだろうな。
そんなの、絶対嫌だけど。
知識のない僕が言えるのはこれくらいかな。詳しい人ならもっと色々教えてくれるかもしれない。
こういうことを防ぐために市や町は対策を取らないといけない。その一つとしては、手っ取り早く野良猫を捕獲すること。『捕獲』された猫たちがどうなっているかなんて…ねえ? あんまり考えたくないよね。
それと、野良猫への餌やりを止めさせる。
当然、野良猫たちに餌をやっていたお婆さんも役所の人たちに注意されたらしいよ。
…結局、最期まで与え続けたそうだけど。
さて。
僕たちの町で開かれる猫たちの集会。三日月の夜に、猫たちがまって開かれる集会。そこでは『獲物』と呼ばれるモノが毎回連れてこられる。
そして、連れて来られた獲物は化け猫裁判長の下に判決を下される。
「これは善か」
「これは悪か」
良いか悪いかを裁かれる。
良ければそのまま帰してもらえる。僕らは幸にもこちらだった。
じゃあ、悪かったら?
「こいつは悪いひとだ」
猫たちがそう思ってしまったら?
野良猫に餌を与え続けたのは悪いことだとは思う。でも、いつの時代だってそんな人はいたはずだ。猫が餌を食べている姿はかわいい。かわいいからもっと食べさせたくなる。
それに、ほら、やっぱりさ。お腹が空いているんだと思うと可哀想な気持ちになるんだよね。こんな小さい猫が、って。自分と同じように生きているのに、って。
それは同情でしかないんだけど。
本当に猫のことを思うんだったら、最期まで。死ぬまで家で世話をして、家族として暮らすのが一番の選択だと思うよ。
そうできない人だって多いんだろうけど、それを間違いとは言えないんだよね。飼えない家は多いから。
お婆さんのこともね。可哀想だと思うんだ。
別に悪いことをしてたわけじゃないと思う部分もあるよ。人として弱い生き物を守ってあげたいって思うこと、僕にもあるからさ。
ほら。これも同情でしかないよね。
そのお婆さんがしてきた野良猫に餌を与えるっていう行為は、多分猫たちにとっては『いいこと』だったんだと思う。
「こいつは良いひとだ」
そう思われていたんだと思う。
その時までは。
お婆さんには最近癌が見つかったらしい。それも、末期癌。もう治療も何もできないくらい酷い状態。
すごく痛くて辛いらしいけど、お婆さんは病院にいるのを断った。誰もがこう思ったんだろうね。家族のいる家で生涯を終えたいんだろうな、って。
でも、実際は違った。
家には野良猫が餌を求めにやって来る。ネコサマにごはんをあげなければ。お婆さんはそう思ったんだ。
もうお婆さんはこの世にいないから、本当のところどう思っていたかなんて誰にもわからない。もしかしたら、お婆さんの心のどこかで家族に会いたいって想いもあったのかもしれない。
可哀想なお婆さん。
そして、あの夜がやってきてしまった。
『猫ノ集会』が行われた、お婆さんの最期の夜が。
『にゃ~お』
それはそれは酷い有り様だったらしいよ。
夜が明けて。お婆さんのいるはずの部屋に家族の人がやってきて。お婆さんだったモノが部屋中に散乱した様子は。
お婆さんはもう一人では動くことさえ出来なくなっていた。もう、猫たちに餌を与えられなかったんだ。
今まで散々猫たちに餌を与えてきたお婆さん。
もうあげられない。じゃあ、猫たちはどうすればいい。散々期待させといて、もう貰えないなんて。
こいつは悪いひとだ! こいつは悪いひとだ!
猫たちはそう言っただろう。
その瞬間、お婆さんは猫たちにとって用済みになっちゃったんだ。
猫の裁判長が出した判決はただ一つ。
『有罪。よって死刑』
最期の最後にお婆さんが猫たちにできたことは、『自分』を餌にすること。自分の体を猫たちにくれてやること。
お婆さんは、その夜、猫たちに体を喰われて死んでいった。
証拠は何もないんだけどね。
でも、噂だと本当に酷い状態だったらしいから…「人間の仕業じゃない」ってことなんじゃないかな。
家族の人たちは泣き崩れていたそうだよ。悲しくて? それもあるだろうね。でも、何よりこんな最期を身内が迎えてしまったという情けなさで胸が一杯だったんだろうって、僕は思うな。
情けない。恥ずかしい。よりにもよって自分の身内が。こんな不気味な亡くなり方をするなんて。
変な宗教に手を出したばかりに。
野良猫になんて餌をやったばかりに。なにがネコサマだ。恥ずかしい。
人が亡くなって嬉しいと思わなくても、最期にこんな風に思われるのは嫌だね。思うのも、嫌だけど。
でもさ、現実にはそんなことたくさんあるでしょ。
ねえ、もう少しだけ、逝ってしまった人を顧みてあげようよ。
たったひとりで最期を迎えた人たちに、同じ「ひと」として別れの言葉を送ろうよ。
僕は、遠くから形だけのお婆さんの葬列を見て思う。
猫に有罪とされてしまったお婆さん。腹を、腕を、足を、全てを、信じて愛した猫たちに喰い千切られ息を引き取ったお婆さん。
最期はきっと、痛くて、寂しくて、淋しかっただろうお婆さん。
最期は、何を望んだだろう。
神様、お願いです。神様、お願いです。ネコサマ、お願いです。
痛いまま死にたくない。苦しいまま死にたくない。
体を喰っても構いません。ネコサマの一部になれるなら。神様の一部になれるなら。
ですが、痛いのは嫌なんです。苦しいのも辛いのも、嫌なんです。
神様、お願いです。
幸せな夢を見たまま、静かに眠りにつかせてください。
ネコサマの夢を見たまま、眠らせてください。
聞いたこともない、聞こえるはずのない声を聞いた気がする。
神様、お願いです。
お願いです、神様。
神様、神様、ねえ神様。
誰もが一度はしたことのある懇願が、三日月の輝くあの夜に響いただろうか。いいや。そんなの、誰にも聞こえなかった。
だって。だって。お婆さんの最期の夜は罪が裁かれる夜だったんだから。
ネコサマによって、ひとが捌かれる夜だったんだから。
その夜、お婆さんの部屋からは不思議なことに物音一つしなかったらしい。
誰かの悲鳴はもちろん、猫の鳴き声だって聞こえない。
誰だって、最期は苦しいのも辛いのも痛いのも嫌だよ。
それは、有罪無罪なんて関係ない。
生きていれば誰だって、そう思うんだ。生きているからこそ、そう思うんだ。
だからこそ。最期は逃げ切れない死から目を背けて、神様なんてものにすがろうとするんだろうね。
そこんとこ、どうだろう?
ねえ?
ネコサマ?
「にゃ~お?」