トゥルルル…
俺がこの電話箱の話を聞いたのは、ちょうど俺自身が高校生になった頃。
俺が進学した学校は、合併校だった。昔からある校舎、校章、制服は古くて、周辺の人たちにとってはとても馴染み深い物。
でも、さすがに古すぎて生徒が少なくなってくる。とうとう全校生徒だけでやっと一部屋埋めれるくらいの数となってしまった。
校長先生はお世話になった人たちに深く頭を下げて、比較的近くにある別の学校と合併することを生徒たちに伝えた。教育方針も、合併する学校と相談して二校分、ちゃんと残して存続していく、と。
俺が入学したのは、合併してほんの数年しか経っていない時だった。
最上級生はセーラー服、ブレザー、学ランを着ている人たちが混ざっていた。つまり、その学年は学校が分かれていた時の最後の入学生だったわけ。
俺は入学式の日からブレザーを着て、ネクタイを締めていたから、なんというか、世代の違いを少し感じていた。
次の年からは、もう、学ランもセーラー服も着ている人はいなくなる。
そう思うと、一つの時代が去っていった様に思えたんだ。
電話ボックスの話は先輩たちから聞いていた。
二つ上の先輩も、一つ上の先輩も知っていた電話ボックスの話。
中にはやってみたっていう人もいた。それは同級生だったり、先輩だったりもした。
もちろん、俺もその中の一人だっていうのは言わなくてもわかるかな。
みんな、気になるオトシゴロってやつだったんだよ。だれかのコイバナを聞いてみたい。
ただね。誰も自分のことは言わないの。あくまで自分のコイバナは秘密。
だって恥ずかしいじゃない。
だから別の誰かの話をする。話をしたい。
「じゃあ、こんな話はどう?」
そう言って、俺たちは誰かが話したコイバナを披露する。こんな話を聞いたんだよ、って。
ちょっとだけ不思議な話がいいかな。それとも大人っぽいやつ? ただただ純粋に人を好きになる話なんかもいいかもね。
ただ、どんな話だとしてもこれだけははずせない。
誰も聞いたことがない話。
自分だけが特別に知っているんだぞっていう話。
そんな話を、俺たちは欲しがっていた。
俺がその電話ボックスに入っている話を聞いたのは、高校の先輩や後輩、同級生たちからだ。
でも、そのボックスについて聞いたのは本当に身近な人からだった。
何処にあるか。
どう使うか。
何に注意しないといけないか。
そんなのは恋の話と関係ないことなんだ。だから、コイバナしたいだけなら気にしないし気にならない。聞きたいのはコイバナ。
誰かが聞いて、その話を回せばOKってわけ。電話なんてしなくてもいいんだよ。
でも、たまに。こんなやつがいたりする。
「その電話ボックスって、今でもあるの?」
電話ボックスから新しい話を引き出したい人。
「そんな電話、あるわけないじゃん」
件の電話ボックスの話を信じない人。
「もっと詳しく、教えて」
恋話ではなく、電話ボックス自体の話に興味を持った人。
それと、
「どういう風に、その電話ボックスって使うの?」
聴くんじゃなくて、話したい人。
トゥルルル…
トゥルルル…
俺の手にある受話器から、呼び出し音が聞こえ始める。
まあ、まずは二つ、話を聴いてみてよ。
『花屋で見つけた夜』
「もしもし? こんなんでかかるのかよ。
期待してねえけどよ。
×××の近くにある電話ボックスからかけてる。
…別に話すことでもないけどさ。話したい相手もいないから、ここで言わせてもらう。
オレのコイバナってヤツだ。
くそ。らしくねえぜ。
聞きたくねえなら、とっととそこから出ていきやがれ。
行かねえのかよ。
じゃあ………最後まで聞いてくれよ?
俺んちの近くには花屋があるんだ。しかも、その花屋ってぇのがあんまよくねぇ場所に立っててさ。
病院と、墓地と、火葬場。そいつらに近い場所に、その花屋はあった。
花屋の前を通って中を覗くと、そこにいんのは昔からの古株数人と毎回違った店員たち。すぐ辞めちまうんだよ。理由なんて決まってんだろ」
「もしもし? こんなん聞いてる奴、いねえだろ。
いないだろうから話すんだけどよ。
俺がガキの頃からある花屋で、ずっと働いてる奴らは俺のことも覚えててくれてさ。
そういう奴らは嫌いじゃねえよ。
俺って、こういうのだからさ。学校でも馴染めねえの。さすがに不良グループには入んねえし、喧嘩だってしねえよ。
でもさ。時々授業サボったり、タバコを一本ちょろまかして吸ったりはする。悪いことだってわかってるぜ。
誰でもワルくなりたい時だって、あんだろ?
あー、じゃなくて。
その、近所の花屋の話な。
俺の家族は花が好きで、家にはいつも何かしらの花が生けてある。
この花はこういう花言葉。あの花はああいう花言葉。親父がプロポーズの時に贈った花束はあれとあれが何本だから、こういう意味。おふくろが誕生日に贈った花束はあれが何本だから、こういう意味。
昔から、花に囲まれて育ってきたと思う。
恥ずかしいとかウザいとかじゃなくて、俺はそれを自然に受け入れてた。単純に花がキレイで、いい匂いがして、すごく落ち着いた。
でもよ。そんなのって普通、他人に話さないじゃねえか。
俺は花が好きです~。この花はこういう花言葉なんです~。
そんなこと言ったらドン引きだろ。
だから、俺は誰にも話さなかった。
あの兄ちゃんが来るまでは、な」
「もしもし? よく飽きねえで聞いてられんな。
その兄ちゃんは、いつの間にかその花屋に勤めていた。
また新顔か。思ったのはそんだけだった。
またすぐに辞めるんだろ。そう思ってた。
立地がら、その花屋の配達先ってのは大体決まってんだよ。病院、墓地、火葬場。どれもお得意さんだ。
だから、配達の担当になる新顔は病んでく。耐えきれなくなって、すぐに辞める。
別に花が悪いってわけじゃねえよ。もちろん、辞めた奴らも悪くねえ。
でもよ。花ってえのは、本当だったら癒すもんじゃねえのか。
生きてる人の疲れた心とか、体とかを癒してくれる。病んだ人を力づけてくれる。死んだ人を飾って、送って、浄めてくれる。
花って、そういうもんじゃねえのか。
だから、花のことで不幸になるってえのは残念だ。
俺は、初めて花屋で語った。
ちょっとへこむことがあって、割り切れないことがあった日だった。
それを静かに聞いてくれてたのが、あの兄ちゃんだった」
「もしもし。
まさか、本人が聞いてるってことはないよな。
その兄ちゃんは十夜って名前だった。花が好きで、よく俺に新しい品種のこととか、名前の由来なんかを話してた。
俺は…
いつも聞いてないふりをしてた。
だって恥ずかしいじゃねえか。
十夜は本当に楽しそうに笑って話すんだぜ? もう、花が好きで好きで大好きですー、って感じで話すんだぜ?
こっちが照れちまう。
ああ、ハイハイ。そうですよ。
俺は十夜に惚れちまったんですー。
これでいいかよ。
ったく、ガラじゃねえぜ。
十夜は真面目に仕事してて、辞めることもなくちゃんと出勤してくる。
店主のじいちゃんも、奥さんのばあちゃんも十夜のことを信頼してて、なんか別の仕事まで頼んでる時さえあった。ん? これって信頼してるっていうのか?
欠点と言えば、遅刻しやすい。俺みたいにサボんないんだから、可愛いもんじゃねえか」
「もしもし。
あー、今朝も十夜は遅刻ギリギリだったわ。
マジかわいい。
午後から学校サボってうろついてたら十夜に怒られた。怒った顔もかわいい。
やべえ。俺、いつから十夜にベタ惚れになってた?
好きすぎてつらい。
いやいや、俺ってそんな趣味だったんか。
くそ。十夜がかわいいのが悪い。
進路どうするか聞かれた。
まだ決めてないって言ったら、じゃあこの花屋で働けば? って言い出した。じいちゃんもばあちゃんも顔見知りだし、何より花が好きだろ? って。
そんなの考えたこともなかった。
でも、十夜が言ってくれるならそれもいいかもなって思えた」
「もしもし。
誰にも、言うなよ?
俺自身、あいつに言うつもりはねえんだからさ。
誰かに言ったとこで、誰にも理解なんてしてもらえねえよ。こんな恋話。
絶対、どっかが間違ってる。変なんだよ。
でもさ、十夜が相手だったら俺は素直になれる。俺、あいつが好きなんだ。
男同士だけど、今まで出会ったやつらの中で、唯一俺を理解してくれるやつなんだよ。
俺、あいつを困らせたくないから、絶対に言わねぇ。
だからさ。
ここだけの話なんだって思って聞いてくれよ、誰かさん。
俺、花束を抱えて笑ってる十夜が誰よりも好きなんだ。
好きなんだよ。
ごめん」
「もしもし。
俺の好きな人には、付き合ってる人がいるらしい。そのこと聞いた時、なんだそうなのかって思った。
最近やけに幸せそうに笑ってるからさ、聞いてみたらそういうことだった。ああそうなのかって思った。
失恋って言っちゃそれまでなんだろうな。
でも、俺にとっての十夜は十夜のまま変わんねえよ。今までみたいに花に囲まれてさ、笑っててくれりゃあそれでいいんだ。
その、彼女さんには嫉妬するけど普通の恋愛が一番なんだ。
これでよかったんだよ。
少しだけさ。思うんだよ。ちゃんと好きだって告白しとけば、よかったかなぁ。
そうすりゃ、俺だって、俺にだって、少しくらい可能性があったかなぁって」
「もしもし。
来月、俺、社会人になる。卒業して、近所の花屋に就職するんだ。
じいちゃんもばあちゃんも歓迎してくれた。親父もおふくろも喜んでくれた。
何より、十夜が笑ってお祝いを言ってくれた。春から、一緒に働けるんだって。
彼女とはどうなんだよ。
なあ、その後どうなったんだよ。
俺はあいつに聞けずにいる。ただ、その彼女さんは、十夜の住むアパートの隣の部屋に越してきた女だってことだけ情報を手にいれた。
幸せにやってんならそれでいいか。
俺も大人になったよな。
春になれば、俺も大人として、同僚としてあいつの隣に立つんだ。
そんだけで、充分だよな」
「もしもし。聞いてくれよ。
頼む。誰か、聞いてくれ。
十夜の彼女さんが、死んだって。
どうして、なんでそんなことになんだよ。うまくいってたんじゃねえのか?
聞いたら、殺されたって、同じアパートの、十夜をストーカーしてた女に、刺されたって。
俺、知らねえぞ? あいつをストーカーしてた女がいたなんて。
なんで、話してくれなかったんだよ。なんで、なんで、俺に言ってくれなかったんだよ。
俺だって、俺だって、もう、ガキじゃねえんだぞ?
十夜のためだったら、釘バット担いでその女のとこに乗り込むくらいしてやらあ。
……ああ、そうか。
その彼女さんも、俺と同じきもちだったんだな。
それじゃ、しょうがねぇよなあ」
「もしもし。
俺の恋話、最後だ。
俺、十夜が好きだ。好きだった。
同じ男で、年上で、最後には彼女さんもできてたけど。
でも、好きなんだ。
十夜は、明日を最後に花屋を去る。俺んちの近所にあった花屋。そこで俺はあいつと出会って、恋をした。
笑って、何よりも花が好きだと言ったあいつに、恋をした。
最後まで、あいつには言わなかった。
きっと、どんだけ時間をかけても叶わない恋だったんだ。だから、言わなくてもいいんだよ。
笑ってくれよ、十夜。お願いだからさ。あんたの一番好きな花だったんだろ? 彼女さん。
花の名前を持ってる彼女さんのことを話すあんた、すごくよかったよ。すごく、輝いてた。
そんな十夜のこと、俺、好きなんだ。
これ、聞いてくれたやつも、サンキュな。いねえと思うけど。
じゃあな。俺の好きな人。
俺の、初恋の人」
がしゃんと音を立てて、誰かは受話器を置いた。
電話ボックスの中は、雨なんか降るはずもないのになぜかしっとりと濡れていた。
足下には、ドライフラワーとなってしまった、二つの小さな花束が隣同士に置かれていた。
それは、誰かが外へ出ようと扉を開いた瞬間に吹き込んだ風によって、粉々に崩れ落ちた。
残されたのは、色違いの二本の細いリボンだけであった。
リボンが何色であったかは、日に焼けてもうわからない。