グランドライン前半には、フクザツナ海流というものが存在する。
それまでの海の常識をすべて否定するように入り組んだ海流は、時には迷宮のようだとも例えられる。
その先にあるとされる『ポツネン島』は、小規模な無人島だ。僅かな水脈があるのみで資源に乏しく、人が住む価値がない。かつては住民がいたという話もあるが、フクザツナ海流のせいで外部からの交流がなく滅んだとされている。
海賊も海軍も興味を持たぬ島、ポツネン島。
そのような島は、違法な物資を製造する隠れ蓑としてうってつけだった。
「いやーこれはこれはMr.6様にミス・マザーズデイ様! お待ちしておりましたよ!」
手をもみながら彼らを出迎えたその背の低い中年の男は、バロックワークス、フロンティアエージェントのMr.10だった。
脂ぎった禿頭に狭い肩幅、鍛えられていないのにぽっこりと出た腹がいかにも不健康な風を見せている。
「ご苦労さん」と、Mr.6は手短にそう言った
「あんた少しは体に気を使いなよ、カーチャン心配だよ」
その後ろから続くミス・マザーズデイはMr.10の風貌をジロリと見やってそういった。
しかし、そうなじられてもMr.10はニコニコと気色の悪い笑顔を浮かべたままだった。
「お前らはそこで待ってろ」
Mr.6は『どこでもライブ号』の乗組員たちにそう言った。
「爆破に巻き込まれちゃロクなことにならねえぞ」
彼は目の前にある工場を眺める。
無人島にはとても似合わぬ巨大な工場。その最も目立つタンクには大きく『B.W』とペンキで書かれている。
その工場で生産していたのは、世界政府によって製造・所持が禁じられている『ダンスパウダー』だ。
アラバスタ王国の王政と国民を切り離すのに必要不可欠であるその粉を、まさか外部から購入するわけにはいかない。そんなことをすればふっかけられるに決まっている。原材料が銀であることも関係して『ダンスパウダー』は非常に高価で取引される。
故にバロックワークスは、このポツネン島に『ダンスパウダー製造工場』を作り上げたのだ。海賊も海軍も興味がないその島は、それをするのにうってつけだった。
「しかし、本当にやるのですか?」
『工場長』Mr.10がハンカチで脂汗を拭いながら言った。
「やるさ、それがボスからの指令だ」
一歩工場に踏み込みながらMr.6は続ける。
「この工場は役目を終えたんだ。爆破するほかないだろうよ」
☆
もう機能していない工場というのは、たとえそれがつい最近まで稼働していたとしても、とてつもない空虚感を生み出すものだ。工場というものは、稼働しているときこそが生きているのだから。
「ミリオンズはもう避難させてるのか?」
工場の中心地に向かいながら、Mr.6はMr.10に問うた。
完全自社生産の工場なのだ、当然その従業員もバロックワークス社員でなければ意味がない。故にポツネン島にはウイスキーピークのようにビリオンズによる町もあった。
その工場を爆破するというのだ、ミリオンズを避難させるのは当然のことだろう。
「はい、すでに近隣の島に避難させていますし、希望者はウイスキーピークに向かいました」
「そうか」
「『何もない島』も人手不足だからね、そっちにも送ったほうが良いとカーチャン思うよ」
もう少し歩いたのちに、今度はミス・マザーズデイが問う。
「ところで、ミス・チュースデイはどこにいるんだい?」
ミス・チュースデイとは、この工場における『工場長秘書』の役割をしていたエージェントだ。
「ああ、彼女はすでにこの島を出ましたよ」
「……そうかい」
今度はMr.10が言う。
「もったいないとは思いませんか」
「何がだ?」
「この工場ですよ」
トタンづくりの天井を指差しながら続ける。
「『ダンスパウダー』を製造できるノウハウをこのまま失うのは惜しいと思うのですが……『ダンスパウダー』だけではなく、武器工場としても稼働させれば更に稼げますよ、ちょうど『ねじまき島』の工場が閉鎖して需要はあるはずなんです」
それは一側面から見れば正しい意見だった。むしろ、金を生む粉である『ダンスパウダー』を生産する手段を自ら破壊するということのほうが理に適っていない。
だが、Mr.6は強くそれを否定した。
「我社の目的は金儲けじゃねえんだ。それよりもこの危ない橋からうちの存在がバレることをボスは恐れている。正しい判断だろうな。それに、この工場を破壊しないといけない明確な理由もある」
そして彼は振り返ってMr.10と向き合う。
「いくら儲けた?」
Mr.10はキョトンとした表情を見せた。
「儲け? 儲けなどありませんよ」
ミス・マザーズデイは腰を落とす。
「大したもんだな、その見た目で野心を隠した」
「カーチャン知ってるよ。ミス・チュースデイとはこの島で必ず落ち合う手はずだったんだ。あんたを確実に始末するためにね。それがいないということは……」
Mr.6がパイプ椅子を振り上げる。
「ミス・チュースデイからの密告で、お前さんが『ダンスパウダー』を横流ししてたことはもうバレてんだ。始末するタイミングが悪かったようだな」
Mr.10の怯えた表情を見ながら続ける。
「どうしてお前のようなロクに戦闘能力のない人間にナンバーを与えたと思っている? こういうときに手間取らないためだよ」
それが振り下ろされようとした寸前、Mr.10はその脂ぎった顔で微笑みを作った。
「バカどもが」
次の瞬間、腰を落としていたミス・マザーズデイが何者かに『殴られて』吹き飛んだ。
さらに彼女を吹き飛ばした男がMr.6のパイプ椅子を受け止める。
その様子を満足げに眺めながら、Mr.10が続ける。
「この私が、そうやすやすとやられるものかね」
それは魚人だった。
真っ青な顔に真っ赤な上半身。パッチリとした目に、額からは触覚らしきものが二本伸びている。
目が痛くなるほどカラフルなマーブル模様のタンクトップが、鍛え上げられた二の腕に不自然にマッチしていた。
両の拳をテーピングテープでガチガチに固めたその魚人の名はシャッパ、モンハナシャコの魚人にして、魚人ボクシングの四階級チャンピオンでもあった。
Mr.6は考えるよりも先に動いた。
受け止められたパイプ椅子を振り切り、今度はそれをシャッパに『パス』する。
それを目くらましにしながら椅子ごと蹴りぬく算段だ。
『ロック&ドロッーー』
『
だが、その考えは痛みとともに不発に終わる。
シャッパは自慢の右ストレートで、Mr.6をパイプ椅子ごと撃ち抜いたのだ。
地面に強かに打ち付けられた彼は、まだどこも折れていないことを確認しながら体勢を整えた。
だが、シャッパは追い打ちを狙うようなことはなく、トントンと小さくステップを見ながらMr.6を待つ。
「貴様らが私を抹殺しに来ることなど予想しているに決まっているじゃないか」
Mr.10がニタリと笑っていた。
「横流しで得た金で遊び呆けていると思ったか? 君たちに対抗すべく用心棒を雇ったんだよ。この素晴らしい金のなる木を、みすみす手放すものか」
立ち上がったMr.6に向かってシャッパが距離を詰めた。
『栄螺割りストレート』
ストレートを狙う。
だが、今度はMr.6も抵抗する。体を回転させることでその威力をうまく逃す。
『ロック&チック!』
その回転の勢いのままハイキックを狙う。
だがシャッパはスウェーバックでそれをかわした。
その空振りによって、Mr.6は無防備な姿を晒す。
「しまっーー」
『
今度は左腕からの小さなパンチがMr.6の顔面を捉える、だがその威力は絶大で、彼は意識が飛ばぬように気を強く持つだけで精一杯だ。
そして、連撃を防ぎきれない。
『
右下から振り上げられた拳は、やはりMr.6の顎を強かに撃ち抜いた。
縦の回転では体を回転させて逃げることも出来ない。彼の体は浮き上がり、工場の瓦礫の山の中に音を立てながら消える。
シャッパは突然振り返り、姿勢を低くした。
一度殴ったミス・マザーズデイが立ち上がった気配を察知したのだ。
『地獄特訓スパイク!』
飛び上がったミス・マザーズデイは拾った瓦礫をスパイクする。
だがシャッパはそれも躱す。弾丸と同等のスピードを持つ彼女のスパイクをである。
そのまま距離を詰めるシャッパに、彼女は抵抗する術がない。
『アンボイナレバー』
がら空きの横腹にレバーショット。
うめき声を上げながら体を折るミス・マザーズデイに、彼はもう一歩踏み込んだ。
『イモボディ』
突き上げるような右アッパーがミス・マザーズデイの腹部に直撃した。
とてもではないが耐えられるようなものではない、彼女は乾いたような声を上げながら、両手で腹部を押さえ前のめりに倒れた。恐らくその口の周りには粘ついた血の塊があることだろう。
「よし、もう良いだろう」
Mr.10は今までとは打って変わったように強気な口調でそう言った。
「後は港に停泊してる雑魚どもを蹴散らせばこの工場は私のものだ」
だが、がらがらと崩れ落ちる瓦礫がその言葉を遮る。
「おい、ミス・マザーズデイ」
瓦礫の山から現れたMr.6は、口の中の血を吐き出しながら続ける。
「少し休んでていいぞ、そいつはおれがやる」
体はボロボロだ。
まだ視界が揺れているし、胸は痛い、恐らく肋骨にヒビでも入っているのだろう。
だが、ここで倒れるわけにはいかぬ。
この稼業、格下に舐められたら終わりなのだ。
「やれ」と、Mr.10はMr.6から距離を取るように後退りしながら言った。
無防備に歩いて距離を詰めてきたシャッパに対してMr.6が呟く。
「随分と、目がいいんだな」
「シャコじゃけえのう」
意外とバリトンなボイスでシャッパは答えた。
「そのパンチも、シャコだからか?」
「そうじゃ、こう見えてもワシは魚人ボクシング四階級王者『
「心配すんな、そうにしか見えねえよ」
「ほうか……悪いのお、お前らに恨みはないんじゃが……こんな時代じゃけえ、金がいるんよ」
「まあ、それは良いよ、こっちもそれなりに理由ってもんがあるし。それに、今はロクな時代じゃねえ」
「すまんのう」
ぴょんぴょんとステップを踏み、シャッパが構える。
「せめて楽に眠らせてやるけえのお」
「プロ意識の高いこって」
シャッパが踏み込んだ。
姿勢の低いボディーを狙ったストレート。間合いが長く、当然踏み込みも早い。
だがMr.6は飛び上がるように跳ねて背後に回る。
『ロック&ソバット!』
背中を狙ったその蹴りは、振り返ったシャッパが両腕でガードする。
だが、その次もある。
『ロック&ドロップキック!』
今度は全体重を載せたドロップキックをガードの上から浴びせる。
さすがのボクシングチャンピオンも全体重を乗せた攻撃は防御しきれない。今度はシャッパが瓦礫の山に突っ込まれる番だった。
「あー、クソッ!」
瓦礫を吹き飛ばしながらシャッパが起き上がる。
「敬意が足りんかったのう」
二、三度目に見えぬシャドーパンチを繰り返す。
すると、あたりには何やら焦げ臭い香りが僅かに香った。信じられないことだが、シャッパのパンチが、空気をわずかに焦がしたのだ。
その男の二つ名『焼灼』の意味を知ったMr.6は表情を引きつらせる。
「やっぱり、本気でやらんとのう」
「あまり本気になられても困るんだが」
一撃返したからと言って、まだまだ五分なわけではない。
自分はやりたい放題にパンチを貰い、方や向こうは押し出されるように瓦礫に突っ込んだだけだ。
再び踏み込んだシャッパのパンチをなんとかかわしながら、Mr.6はパイプ椅子を拾った。
それを目にしたシャッパは一旦ラッシュを止め、見せつけるように右手を振った。先ほどパイプ椅子を殴ったのが意外と痛かったというアピールなのか、それとももう一度撃ち抜くというアピールなのかはわからない。
『節足ノアユミ!』
体を左右に揺らしながら、見たこともないステップで距離を詰めてくる。体の振りが巧みすぎてパンチがどちらから飛んでくるのか全く読むことが出来ない。
『イモボディ!』
死角からパンチが飛んでくる。
Mr.6はパイプ椅子での防御を狙うが、それは空を切った。
土手っ腹に激しく鈍い痛み。
シャッパはそれに手応えを感じていた。
顔面の打ち合いを嫌がってガードを上げた相手へのボディブロー。破壊的なパンチ力を持つ彼が徹底的にそれを警戒されてもKO勝利を積み上げることが出来た裏の必殺ルート。たとえ相手がフグの魚人であったとしても、一撃KOの記憶しか無い。
だが、Mr.6はそれを堪えた。口端から血と胃液の混じった泡を吹きながらも歯を食いしばる。
ロックンローラーと賞金稼ぎは、ハッタリと我慢と覚悟の稼業、来るとわかってる痛みに耐えられずに何がロックンローラーだ、何が賞金稼ぎだ。
人間が自らのボディーに耐えた事実に驚きながらも、シャッパは次のパンチを打つために体勢を作ろうとした。
しかしその時、ボディを打ち込んだ右腕に違和感。
見るとそれは、パイプ椅子の足に挟まれていた。
偶然か?
いや、偶然なわけがない。そのような偶然が起きるわけがない。
狙っていたんだ。
この人間の防御をかいくぐっていたと思っていた。だが、それは違う。
この人間は、自らの右腕をパイプ椅子の隙間に差し込ませるために、自らの土手っ腹を差し出したのだ。
マズイ。
来るであろうなにかに備えようとしたその時、今度はシャッパの土手っ腹に鈍い痛み。
Mr.6のつま先が、みぞおちにめり込んでいた。彼は思いっきりシャッパの腹を蹴り上げたのだ。
息が詰まる。自然と体がくの字に曲がる。
Mr.6の背中が見える。
自らの顎が肩にクラッチさせられたとしても、今のシャッパにはどうすることも出来ない。
Mr.6が小さくジャンプする。
『ロック&スタナー!!!』
尻餅をつくように地面に着地し、肩に乗せた顎に衝撃を与える。
シャッパは蹲って痛みに耐えた。
顎を撃ち抜かれるより先に相手の顎を、腹を撃ち抜いてきた。
それは久しぶりの顎へのダメージだった。
だが、いつまでも痛い痛いと泣き言を言っている場合ではない。
体勢を取ろうとしたシャッパが見たのは、目の前に建てられたパイプ椅子と、それに駆け上がろうとしているMr.6の左足。
『
シャッパの顔面にMr.6の右膝が叩き込まれる。
動きを止めた工場機械にシャッパが叩きつけられ、勢いのままその向こう側に消えた。
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