血反吐を吐きながら、Mr.6はパイプ椅子に座り込んだ。その目線の先には、Mr.10。
「ようやく、二人きりだな。えぇ?」
もう喋るだけで腹が痛い。
一体何をどう鍛えたらあんなパンチが打てるというのか。
もう二度と喰らいたくない。
だが、その願いはMr.10がようやく絞り出した引きつり笑いに否定されることになる。
がらがらと瓦礫が崩れる音。
その音の主が誰かなんて、それこそ見なくてもわかる。
「まじかよ……」
絶望しながら振り返ったMr.6は更に絶望することになる。
バリバリと音を立てながら拳のテーピングを剥がし取ったシャッパは、懐から金属製のメリケンサックを取り出したのだ。
「それはよ、反則だろ」
シャッパは一息で鼻から血の塊を吹き出すと、メリケンサックを拳にはめ込みながら答える。
「ボクシングなら反則じゃろうが、もうこれは喧嘩じゃ」
息は荒く、鼻と口からは血が滴っていた。余裕がない。
シャッパは二、三度それを握り締めながら更に続けた。
「久しぶりじゃのう、拳に気を使わんでええ喧嘩は」
だが、そこに笑顔はない。
「おれはずっと喧嘩のつもりだったんだが……」
シャッパはMr.6の軽口に付き合わない。
『節足ノアユミ!!!!』
今度は両腕で顔面を完全にガードしながらステップを踏む。
もうパンチを食らうわけにはいかない。
たとえ見切れなくとも見切る。
『蛤割りジャブ!!!』
モーションの小さい左からのジャブ。
すんでのところで首をひねって躱す。
拳をかすめた肌にしびれるような熱さと肉の焦げる不快な匂いが漂う。
『
右からフックが飛んでくる。
やはりすんでのところで躱したが、シャッパの狙いはそれではなかった。
『エルボー!!!』
本命の肘攻撃がMr.6の顔面を襲う。
フックを躱すために回転を始めていたMr.6の左目付近を肘が掠める。
直撃は免れた。
『ロック&リバースナックル!!!』
回転の勢いを利用してMr.6が裏拳を振るう。
しかし、シャッパもそれをスウェーバックで躱した。
頬に鋭い痛み。
「切れたか」と、シャッパが呟く。
だが、Mr.6はそれを喜べない。
先程の肘攻撃によって、左目の上部がぱっくりと切れている。
そこからとめどなく流れる血が、左目をぼやけさせていた。
そのスキをシャッパほどのボクサーが見逃すはずもなく。
『反則・ストンプ!』
Mr.6の左足を思い切り踏みつける。
左足なんて何回でも踏ませてやる。
だが、その次のパンチを貰うわけにはいかない。
Mr.6はシャッパの視線を追った。そして、それが下半身に向かっているのを確認する。
まじかよ。
彼は本能的に両手で股間を守りに行った。
だが、それを嘲笑うように、右拳が腹に向かう。
「そこまでは堕ちとりゃせんわ」
『
モンハナシャコの魚人であるシャッパ全身全霊の右ボディが炸裂する。
相手を浮き上がらせるような貧弱なものではない、殴った相手を浮き上がらせるのは威力を逃す素人のやり方。
シャッパほどの手練になれば、その威力のすべてを相手の肉体に負わせることだってできる。
Mr.6の体がくの字に曲がる。
口からは血と胃液が噴水のように吹き出し地面を汚し、出してばかりの口と鼻は空気を取り込むことを忘れ、思い出したように息を吸おうとしたときには、胃液が逆流して器官を犯す。
彼は陸で溺れていた。
そして、溺れる彼は振りかぶるシャッパに気づかない。仮に気づいたとしても、何も出来ない。
その後頭部に、鋼鉄付きの右拳が振り下ろされる。
『反則・ラビットパンチ!!!』
全体重を乗せながら、シャッパはMr.6の後頭部に右拳を振り下ろした。
ハンマーどころの騒ぎではない、それを食らうくらいならハンマーくらい何発でもうけていいとすら思わせる。
地面に叩きつけられ、意識が飛びそうになる。
大いに手応えがあったのだろう。シャッパは拳をおろしながら呟いた。
「せめて、喧嘩じゃないところで会いたかったのう」
だが、Mr.6はまだ死んではいなかった。
ようやく呼吸を思い出し、吐き出せるものをすべて吐き出した彼は、弱々しく伸びる右手でシャッパの足を掴んだ。
「やめろ」と、シャッパは頬から流れる血を拭いながら言った。
「殺したいほど憎んじゃおらん」
それを振り払おうとした時、スネに鋭い痛み。
Mr.6がそれに思い切り噛み付いたのだ。
小さくうめきながら、シャッパはそれを振り払った。
そして這いつくばるそれに向かって右手を振り下ろす。
地面が揺れたと思うほどの衝撃。
Mr.6はなんとかそれを躱した。コンクリートの貼られた工場の床がひび割れる。
そしてMr.6は差し出された右腕に絡みついた。
切れ切れにながらなんとか呟く。
「右腕……もらったぁ」
それの意味するところを理解し、シャッパは青ざめる。
神からもらったこの右腕、そう簡単にくれてやるものか。
シャッパは絡みつかれたままの右腕を持ち上げた。当然それに絡みついたMr.6も持ち上げられる。
そして、振り下ろすようにそれを床に叩きつけた。
だが、それは空振り。
Mr.6はそれが振り下ろされる寸前に着地。
「もういい……」
彼は低い姿勢を取りながら言った。
「お前のパンチは見切れない……だがもう良い……我慢すればいい……その代わり、お前の腕を貰う」
シャッパはMr.6の狙いを想像する。
組み付くつもりだ。
組み付いて倒し、関節を狙う。
それは、あまり素晴らしい発想とは言えなかった。
この稼業を始めてから、そうやって自分を倒そうとしてきた人間や魚人は腐るほどいる。
だが、それは机上の空論である。
すべての人間は、自分に組み付くより先に拳の餌食になってきた、パンチを貰ってでも組み付きに行くなどただの理想論、出来っこない。シャッパ自身だって、そんなことはしたくない。
だが。
額の傷を拭うMr.6をみやりながらシャッパは考える。
この男ならやりかねん。
パンチを何発もらってでも、組み付いてきかねない。
Mr.6が動いた。
低い姿勢。
シャッパはそれを受け止めるために腰を落とした慣れぬ体勢をとった。
だが、Mr.6は組み付かなかった。
むしろ右足を振り上げ、シャッパの頭を狙ってきた。
「お前のパンチなんて二度と喰らいたくねえよ」
この人間、ハッタリかましやがった! と、思う頃にはもう遅い。
『ロック&チック!!!』
体重をかけたそれがシャッパの頭を捉えた。
グラリ、と、シャッパの体が揺れる。
『ロック&ミドル!!!』
『新鮮・栄螺割りストレート!!!』
追撃のミドルを狙ったMr.6の動きに、シャッパが的確なカウンターを合わせる。
ミドルキックがシャッパの脇腹にめり込み、カウンターのストレートがMr.6の顎を捉える。
だが、シャッパのそれは体勢が抜群ではなかった。勿論それでもとんでもない威力なのだろうが、すでに完璧なものを経験済みなMr.6には物足りない。
しかし、Mr.6のミドルキックも勝負を決めるほどのものではない、気合で立ってはいるがすでに体はボロボロ、踏み込むだけできしむ痛みが彼を襲う。
Mr.6はジャケットを脱いでシャッパに放り投げた。
シャッパは全神経を集中することに努めながら冷静に判断する。
パイプ椅子ごと振り抜いたあれがまだ脳裏にはあるはず、故に、ここは裏をかくだろう
これは躱すべきだ。
ステップで躱したその先にはパイプ椅子を振り上げたMr.6。
判断は正しかった。
『栄螺割りーー』
カウンターを合わせようと体勢を取るが。
突然、視界が赤く染まる。
顔面に吹きかけられた、口の中の血を。
一瞬だが、視界を封じられた。シャッパ自身の強さを支える視覚を奪う。
シャッパは顔を拭わない、それこそが相手の思うつぼ。
わずかでも視界が晴れれば、自分の目ならば問題ない。
「ガァァァァァァァァ!!!」
身の危機を感じた彼はなりふり構わぬ全力の右フックを放った。
当たらなくともいい、かすりさえすれば時間は稼げる
そのとんでもない速度のそれは空を切った。空気が焦げる。
ぼやける視界の中にあったのは、Mr.6の背中だった。
『スイート・チン・ミュージック!!!』
背中越し、シャッパの顎先にサイドキックが打ち込まれる。破裂のような打撃音が工場内に響き渡った。
シャッパの意識が飛んだ。しかしまだ倒れない。
「まだ倒れねえのかよ」
もううんざりといった風に吐き捨てた。
それに反応するかのように、意識のないはずのシャッパが右ストレートを打ち込んだ。
だが、Mr.6はそれを躱し、伸びた右腕を掴んでシャッパを担ぎ上げる。
そして、シャッパを担ぎ上げたまま回転を始めた。
風が巻き上がり、工場の屋根がきしむ。
そしてMr.6はシャッパを放り投げた。
『F6!!!』
遠心力によって体が伸び切ったシャッパは着地することが出来ない。
彼はそのまま顔面から床に叩きつけられた。
シャッパはゴムボールのように跳ね上がり、再び受け身を取れぬ形で落ちる。
だらんと伸びた手足が、彼の体から力が抜けていることを表していた。
「頼む……」と、Mr.6はパイプ椅子に倒れるように座り込みながら祈るように言った。
もう無理だ、もう動けない。
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