それでも私は──   作:次作エヴァはきっと鬱エンド

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序 You are (not) repeating.
再会は虚しくて


 良いことはいくつかあった。でも、それ以上に嫌なことがいくらでもあった。

 

 伯父さんに怒られた日、私はむしゃくしゃきた感情のまま家出したことがある。なんの計画性もない、バカみたいな家出。どうして怒られたかは……よく覚えていない。ただ、私のお母さんのことを悪く言われ、我慢できなかったことは覚えている。

 自動販売機の下に落ちている小銭を見つけ、コンビニで買った安いグミが美味しかった。その後、結局空腹で力尽きたところを警官に保護され、家に連れ戻された。

 私はいったい何がしたかったのだろう。そう伯父さん伯母さんに怒られながら考えていた。ふたりがひっきりなしに私のお父さんの名前とお金のことを口にしていた。そして気づく。

 ああそうか、この人たちは私を預かる代わりにお金をもらっている。それが目当てなのだと。私という個人なんてどうでも良くて、私を預かっているというポーズをし続けたかったのだと。

 

 だから、『来い』と書かれた手紙が届いた私には、この家に留まる理由なんてなかった。

 

 ◆

 

 アスファルトが灼ける。

 暑すぎてどうにかなってしまいそうだ。セミが忙しなく鳴いている。普段なら行き交う人々の騒々しさにかき消されるだろう。でも、今は誰一人としてここら一帯にはいない。なぜなら警報が発令されているからだ。電話も電車も止まり、私は立ち尽くしている。

 熱い。汗びっしょりだ。少し休もう。

 近くの階段に座り、私は封筒から一枚の写真を取り出す。

 その写真には高そうな車をバックに、女性がセクシーポーズを決めている。胸の谷間に矢印をさし、わざわざ『ここに注目!』と書かれている。

 

「……変な人」

 

 こんなことで興奮するのは男の子だけだ。私がこれを見て抱くのは、持たざる者の劣等感だ。

 待ち合わせ場所まではまだ距離がある。あと二駅分ほど歩かなければならない。

 最悪だ、こんな時に待ち合わせなんて。そう内心で思っていると、戦闘機が一機、低空飛行で私の頭上を飛びすぎていった。突風が私のスカートを捲りあげ、咄嗟に手で押さえる。恥ずかしさに赤面するが、そもそも誰もいないため下着が見られることはない。

 杞憂だ。しかし突然聞こえた爆音が私の意識を切り替えさせた。

 

「えっ!」

 

 さっきの戦闘機のものだろう。他にも何機も集まり、何発もミサイルを撃っている。

 爆風がなんども私を叩き、飛ばされないように電柱にしがみつく。

 一条の閃光が、その内の一機を貫いた。バランスが崩れ、回転しながら私のすぐ近くに墜落した。

 ビル群の隙間から、巨大な黒い影が現れた。白い仮面を被る、大きな影だ。私の口内が乾燥し、舌が張り付く。逃げないと。そう判断できたが、恐怖で足が動かない。影は大きくジャンプし、墜落した戦闘機を踏み潰した。

 至近距離での爆発に、私の身体は軽々と吹き飛ばされてしまう。

 

「あうっ!」

 

 背中から地面に落ち、意識が一瞬明白する。怪我は運のいいことにない。走れる。

 私は急いで立ち上がり、その場から逃げようとしたその瞬間、一台の車が華麗なドリフトを決めて私の前に現れた。助手席のドアが開き、運転席に座る、サングラスをかけた女性が口を開く。

 

「乗って!」

 

 命令口調のような、鋭い声に私は何も考えずに車に乗り込んだ。

 影が迫る。巨大な足で踏み潰される寸前、アクセル全開でその場から離脱する。影は逃すまいと手を伸ばすが、突如現れた紫色の巨人にタックルされ、体勢を崩した。

 その間にも車は遠ざかっていく。

 

「ごみんね、ちょっち遅れて。状況が状況ってのもあるけど」

 

 陽気にそう言って、女性はサングラスを外した。その顔を見て、私は誰なのかすぐに理解した。なぜか女である私にセクシーな写真を送りつけてきた人。

 

「えっと……葛城ミサトさん、ですか?」

 

「そうよ。あなたは碇レイちゃんよね?」

 

「あ、いえ……私はカノンです」

 

「いやぁ、ちゃんと見つけられて良かっ…………ええ⁉ カノン⁉ もしかして双子だったの⁉」

 

 葛城さんの驚いた様子で問い詰められる。

 

「私、名前変えたんです。今はカノンって名乗ってます」

 

「あり? でも資料には……まあいいわ。本人であるならそれでよし」

 

「あの、さっきの大きな怪物は何なんですか?」

 

 脳裏に思い浮かぶあの戦闘。この人に拾われていなかったらどうなっていたことか。想像するだけでも怖くなる。

 

「ああ、黒い方は敵、紫のは味方よん。詳しいことは後で話すわ」

 

 後ろを振り向き、怪物の姿を捉える。紫の巨人は一方的に攻撃され、最後はエレベーターのように地面ごと地下に消える。

 さらに、周りに飛んでいた戦闘機も離脱し始める。

 

「あれ? みんな離れていってますね」

 

「――まずい! 顔を引っ込めてショックに備えて!!」

 

 葛城さんに頭を強引に下に向けられる。刹那、目を開けているはずなのに、すべてが真っ白に見えた。割れた音が耳をつんざき、爆風が車体を軽々しく持ち上げた。

 上下左右の感覚、すべてが狂った。ぐわんぐわんと痛む頭。顔が葛城さんの豊満な胸に押し付けられ、呼吸ができないこんなのが原因で死ぬのなんてご免だ。なんとか脱出することに成功し、葛城さんの様子をうかがうと……。

 

「ローンがまだ残ってるのに……。もう、イヤ」

 

 と涙目になっていた。

 さすがに同情する。可愛そうだとも思った。

 車を降りて、車体を起こす。なんとか目的地に到着すると、移動式リフトで車ごと下に移動する。葛城さんからパンフレットを渡される。

 

「このパンフレット見といてね」

 

 表紙には大きくロゴが描かれている。

 

「ネルフ……? お父さんが……ここで……」

 

「特務機関NERV。ここがあなたのお父さんが働いてるところよ。お父さんのこと、嫌い?」

 

 パンフレットに書かれた内容を読みながら、私は考える。お父さんのことは……そもそもよくわからない。小さい頃にお母さんが死んで、それからは今までずっと預けられ、何も音沙汰がなかったから。

 

「よく……わからないです。どうして今頃私を呼んだのかが疑問ですけど。葛城さんはわかりますか?」

 

 会ったところで、互いにギクシャクしそうな気もするが、それはわからない。

 

「会って、直接訊いたほうがいいわね。あと、ミサトでいいわよ」

 

「……はい、ミサトさん」

 

 急に開けた空間に出てきた。下を見下ろすと、なぜか緑にあふれていた。ここは地下のはず。光も外にいる時と全く変わらない光量だ。

 

「す、すごい! これは何ですか?」

 

「私達の秘密基地、ネルフ本部よ。世界再建の要……人類の砦となるところよ」

 

 

 どれだけ長い時間歩いているのだろう。私が「まだですか?」と尋ねると、「もうすぐよ!……たぶん」と後半を濁す。これはどう考えても迷子になっていて、それを私に悟られないように必死に誤魔化しながら進んでいる状況だ。

 どう見ても適当に乗り込んだエレベーターに私も追随する。もはや、何をしているのかもわかっていなさそうだ。ミサトさんの顔が物語っている。

 不意に、エレベーターのドアが開いた。そこには一人の金髪の女性が立っていた。目の下の泣きぼくろが目立つ。

 

「何やってるのミサト。あまりにも遅いから迎えに来たわよ」

 

「ごめーん、まだ不慣れで迷っちゃったわ」

 

「……その子ね。例のサードチルドレンというのは」

 

 私の方を見て、女性は意味深なことを口にする。何のことかさっぱりわからないが、とりあえず自己紹介をする。

 

「初めまして。碇カノンです」

 

「……改名したんですってね。初めまして。私は技術一課E計画担当博士、赤木リツコよ。よろしく」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「さっそくで悪いのだけど、お父さんに会わせる前に、あなたに見せたいものがあるの。ついてきてもらえるかしら」

 

 案内されたのは、薄暗い通路だった。金属の床。見えにくいが、両脇には水がある。よくわからないが、赤色に見える……?

 突然、電気が点く。

 何度も瞬きして慣れたあと、改めて前を見ると、そこには巨大な鬼の頭部があった。

 

「うわあああっ⁉」

 

 あまりに驚きすぎて、私は尻もちをついてしまう。赤木さんとミサトさんが隣にいるのに、醜態を晒してしまった自分が恥ずかしい。

 ミサトさんに起こしてもらい、今一度鬼と向き合う。よく見ると、これはさっき見た巨人だ。というより、巨大ロボット?

 

「何ですか……これは?」

 

「汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。その初号機よ」

 

 赤木さんがすらすらと説明する。私には人造人間なんて言われてもロボットにしか見えないし、これがさっきまで怪物と戦っていたと思うと……。

 

「………………これが……お父さんの仕事ですか?」

 

「――そうだ」

 

 帰ってきた返事は、ミサトさんでも赤木さんでもなかった。鬼のまた上、そこにガラス越しに私を見下ろす男の影があった。

 メガネをかけ、髭をはやし、ヤクザ映画に出演していてもおかしくなさそうな外見の男。

 

「……お父さん?」

 

「久しぶりだな」

 

「う、うん」

 

「…………」

 

「お父さん……?」

 

 それ以上何も言われることはなかった。

 お父さんに対して、どう接したらいいのかわからない。そもそも、どうやって人と会話したらいいのかわからない。ずっと家でも事務的な会話しかしなかったから、自分から話を切り出すことができなかった。

 訊きたいことなんてたくさんある。今まで何してたの? どうして私を預けたの? どうして私の改名を快諾したの? 私のこと、どう思ってるの? なんて。言葉が喉まで上がってきているのに、どうしても吐き出せない。

 その様子を見ていたお父さんが口角を上げる。

 

「――出撃」

 

「出撃? レイは怪我しているんですよ⁉ ……! まさか!」

 

 ミサトさんが狼狽しながら私を見る。

 私はその意味がわからなかった。何もお父さんに話しかけられない自分が嫌になって俯く。

 ミサトさんに肩を捕まれ、私は顔を上げる。

 

「えっと……ミサトさん?」

 

「カノンちゃん、あなたがこれに乗るのよ」

 

 鬼……エヴァを一瞥する。鋭い眼はまるで私を睨みつけているようだ。

 

「すみません、よく……わからないです」

 

「エヴァに乗って、使徒と戦ってもらいます」

 

 赤木さんに説明してもらっても、頭のどこかでわかりきっている流れを否定したがっていた。

 

「冗談だよね? 違う理由があって私を呼んだんだよね? まさかこのためだけになんて……」

 

「このために呼んだ。エヴァに乗って使徒と戦え」

 

「嫌だよ……さっきの怪物と戦う? ……無理に決まってるよ! 私は……私はそんなために来たんじゃない!」

 

「…………」

 

 声を荒げて、必死に否定する。お父さんに久しぶりに会えたのに、何がどうなっているのか全くわからない。なのに半ば強引にこのエヴァという乗り物に乗せられるのは、嫌だった。

 ここに来たら、今までの私から変われるかもしれない。そう思ったのに。

 

「お父さんは私に死ねっていうの⁉」

 

「……座っていればいい。それ以上は望まない。説明は赤木博士から受けろ」

 

「嫌だよ……どうして私なの……」

 

「他の人間には無理だからだ。お前がやらなければ人類すべてが死滅する。人類の存亡がお前の肩にかかっているのだ」

 

「そんなこといきなり言われても……無理だよ……!」

 

 周りで作業をしていた整備員たちが私を見ている。見ないでほしい。今すぐここから逃げてしまいたい。頬を熱いものが伝い、私は俯いてしまった。

 

「……そうか、わかった。お前は必要ない。……帰れ」

 

「――――――――」

 

 お父さんの『帰れ』という言葉が頭の中で何度も反復する。帰りたい。帰れと言われたから帰ろう。あの家に帰る? 私のことを想ってくれない人たちのところに?

 お父さん、ミサトさんと赤木さんが何かを話しているが、私には何も聞こえなかった。

 ただ、言葉にできない虚無感が私を襲っていた。

 ふと、スライドドアが開いた。ふたりの医師がタイヤ付きのベッドを運んでいる。寝かせられているのは、ひとりの少女だった。

 薄い水色の髪で、陶器のような綺麗な肌。身体中に包帯が巻かれていて、とても元気には見えなかった。私の隣まで運ばれる。

 私はそれを、じっと見ていた。

 

「レイ、予備が使えなくなった。もう一度だ」

 

 レイと呼ばれた少女は弱々しく「はい」と返事をすると、呻きながらも立ち上がろうとし始める。

 なんて……なんて情けないのだろうか、私は!

 私が乗らないと拒絶したから、私の旧名と同じ名の少女が無理をしようとしている。

 でも、でも、だからといって私の意思が容易に揺らぐことはなかった。この人は私なんかよりも遥かにこのエヴァというものを知っているはずだ。だから、素人が乗るよりマシだ。そんな人任せな考え。

 そして突然、部屋全体が大きく揺れる。使徒の攻撃による衝撃であることを私は知らない。

 天井からぶら下がる電灯が大きく揺れ、少女のベッドは倒れてしまった。

 私は咄嗟に駆け寄り、倒れる少女を抱き上げる。声をかけるが、反応できないほどの痛みに苦しんでいる。

 

「…………」

 

 この瞬間まで人任せなことを考えていた私が恥ずかしい。私よりも酷い状態の子が私の代わりに戦うなんてやっぱり……。でも、私は戦いなんて……っ。

 

「カノンちゃん、私達はあなたを必要としているの。なんのためにここまで来たの? お父さんにあそこまで言われて黙って帰るつもり?」

 

「だって……」

 

「だっても何もないわ。あなたが乗らなければその子がまた乗ることになるのよ」

 

「だって……そんな……っ」

 

 何のためにここまで来たのか。それは、自分が変わるかもしれないと思ったから。そして、もう私が生きているかわからないあの家に戻るのが嫌だから。

 何を言えばいいのかなんてわかりきっている。舌を動かして、口を開いて、それを吐き出すだけの簡単なことだ。

 

「乗らないのならぐずぐずしてないで帰れ!」

 

 お父さんの言葉。上から一方的に押し付けるような物言いに、私は反抗期の子供のようにムキになってしまった。

 私は少女を抱えながらお父さんを見上げた。お父さんは薄ら笑みを浮かべていて、私が今から言おうとすることがまるでわかっているみたいだ。それが気に食わないから、自分でも驚くほど大きな声で言ってみせた。

 

「――乗るよ! 私が乗ればいいんでしょう⁉」

 

 きっとこんなに大声で叫んだのは生まれて初めてだった。お父さんが僅かに驚いた表情になったのを見て、ああ、これで少しは変われるかな、と思った。




これまでの死んでいるような自分とはさよならしたかった。ただそれだけだった。
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