それでも私は── 作:エヴァキャラのボディラインはすこ
人々は日常を享受する
土曜日。
それは学生にとって何よりも至福の響き。学校のない約束された自由。
しかしネルフに籍を置く者たちにとって、そんなものは関係のないことだ。たとえ一週間が土土土土土土土であろうともだ。
もちろん、これはエヴァのパイロットにもあてはまる。
カノンたちのシンクロテストは滞りなく終わり、そのまま流れるように戦闘訓練へ移行し、これも同じく予定通り終わった。
朝に「特に深い理由はないけど、今日は全力でダラダラしたいぃぃ……」とカノンが珍しい主張をしていたが、ネルフによって決められたスケジュールはこなさなければならず、アスカに半ば強引に連れられることになった。
しかしいざプラグスーツに着替えたカノンは、普段通り真面目に取り組んだ
それにしても珍しい、とミサトは思い返す。
「どうしたの、ミサト」
リツコに呼ばれ、ミサトはゆっくりと顔を上げた。
ふたりといつものオペレーター組は、乗り込んだ移動用列車で初号機の修復作業フロアの脇に敷かれたレールに沿って移動する。
比較的静かなモーター音を鳴らし、ランニングほどの速度で乗客を運ぶ。
「え? ああいや、朝のカノンちゃんが珍しいなーって思ってたのよ」
「ダラダラしたいって言ったこと? そんなことを言い出す理由なんて、決まってるじゃない」
リツコが小さく鼻で笑う。
「え、なに?」
しかしミサトは目を丸くして問うた。
「わからないの?」
「え」
「え」
「……え?」
それきり長い長い沈黙が流れた後、リツコはマリアナ海溝より深くため息をついた。
「はあ……カノンちゃんをあなたに預けたのは間違いだったかもしれないわね。ミサトのだらけきった生活態度がきっと彼女に伝染したのよ。まだ軽症で済んでるけど、このままだといけないわ。いっそのこと私の方で引き取ろうかしら」
「え、いやそれは割とマジで困るワ」
「家事ぐらいできないと……この先辛いわよ? 別にいつまでもあの子たちと住むわけじゃないでしょう」
非常に耳に痛いことを容赦なく告げられ、ミサトはぐぬぬと口をすぼめる。
事実としてカノンに家事をほとんど任せているのは事実だし、金のやりくりすらすべてではないものの、任せてしまっている。いつの間にか、あの家の主人がミサトではなくカノンに交代しているのだ。
「カノンちゃんが来て、ミサトの生活態度はむしろ悪くなった気がするわ」
「やめて。私死んじゃう」
それにこの車両にはオペレーターたちも乗っている。リツコの容赦ない言葉責めは公開処刑に他ならない。
蛙の潰れるような声を喉奥から絞り出し、誤魔化すように頭を振って台座に横たわる初号機を見る。
「ところで……初号機、本当にぼこぼこにされたわねえ」
リツコはわざとらしく驚いてみせた。
「露骨に話題を変えてきわね。まあ、あれだけ大質量の使徒を受け止めたもの。むしろ大破で済んだのは幸運よ」
「……こんなになるまであの子は頑張ったのね」
「僕が言うのも何ですけど、こうも損傷が激しいと作戦運用に支障が出てます。バチカン条約、破棄していいんじゃないすか?」
マコトは率直な意見を述べる。
ここでマコトの言うバチカン条約とは、エヴァの運用に関する制限を設けるものである。事細かく表記されているが、メインとなるのは一国のエヴァ保有数を三体にまで制限するという一見するとリスクしかない条約だ。
特に日本は使徒殲滅という何よりも優先すべき使命がある。そのためにはエヴァは多ければ多いほど良い。特に前回のような作戦では三体でギリギリだった。もしももう一体いればもっと作戦の幅は広がっていたし、カノンの短いようで長い苦痛を少しでも緩和できていたかもしれない。
「そうよねえ……。制限されちゃあ稼動機体の余裕なんて皆無よ」
ぷりぷりと不満を口にし、マコトに同意した作戦部長はぐちゃぐちゃになった両腕、潰れた足首などの交換の様子を諦観する。
エヴァの修復コストはバカにならない。超法規組織だからこそ国からある程度の税金を頂戴しているが、それだけではまったく足りない。
ネルフのさらに上に位置する組織による資金援助は必須となっている。
エヴァはロボットではなく人造人間であるため、張り付けられた装甲板の下には普通の人間と変わらないような骨や筋肉組織に覆われている。
それらを接合し、ヘイフリック限界を迎えないように調整するなどといった作業は非常に労力がかかる。
「今だって初号機優先での修復作業です。予備パーツも全て使ってやりくりしていますから、零号機の修復は目処も立たない状況です」
初号機を一瞥したマヤが苦々しい顔をしながら現状を告げる。
「条約には、各国のエゴが絡んでいるもの。改正ならまず無理ね。おまけに5号機を失ったロシアとユーロが、アジアを巻き込んであれこれ主張しているみたいだし、政治が絡むと何かと面倒ね」
面倒ね、とリツコがもう一度繰り返す。
「人類を守る前にすることが多すぎですよ」
後輩は静かに愚痴をこぼした。
◆
……我ながら、らしくないことをした。
そう私は自責の念を強めながらぎゅっと目を瞑った。
土曜日に家でだらだらしたいと主張したことだ。
不意にやる気をなくしてしまう現象に襲われてしまったのだ。
しかし私は学生ではありつつも、一応は軍人なのだ。出自からも、その辺りの規則には厳しいアスカに一喝入れられるともう抵抗なんてできるはずもなかった。
屋上でひとり、私はS-DATでいつもの曲を聞く。
ごろり寝転がると、太陽の光によって適度に温まったコンクリートの地面は存外に心地よかった。
それに軽やかなそよ風が私の前髪をふわりと撫で、全身に脱力感が巡る。
「ふあぁぁ……」
大きなあくびをひとつ。
まだ放課後になったわけではないので、当然この後授業の予定はある。
寝るわけにはいかない、と自分に言い聞かせた途端、先日の恥ずかしすぎる一幕を思い起こしてしまい、私は頭を抱えて静かに悶絶する。
それにしても、今の私が聴いている曲は私の心情や、外の雰囲気とはまるで似合わない。なんだかそれだけではないような気もするが、今の私にはわからない。
このふわふわした思考を拙い言語能力で頑張って表現するならば――。
聴き飽き――。
不意に閉ざしていた視界がさらに暗くなった。
雲はまばらにしか浮いていないはずだ。薄っすらと瞼を持ち上げると、確かに大きな影が私に落ちている。
が、違和感。
なんだかその影はだんだんと大きくなってきているのだ。
と、考えているうちにイヤホン越しでも聞こえるほどの大声量で逼迫した誰かの声が聞こえた。
「どいてどいて――!!」
「……へ?」
落下物。
だというのは一瞬で理解した。
親方、空から女の子が! なんて冷静な感想を口にする余裕なんてまるでなかった。ネルフで鍛えられた反射神経を総動員して弾けるように起き上がるだけで精一杯。
そして。
ダイビングするほどの勢いで、吸い込まれるように私へと一直線にパラシュートを広げながら衝突した。
「へぶっ!」
狙って私にぶつかってきたのではないか? と疑ってしまうほど正確な軌道だった。
私達はもみくちゃになって再び地面に倒れ、私の上に乗っかかる形で跨った。
「いっててて……」
被っていたであろうヘルメットが頭からずれ落ち、硬い音が鳴る。
妙に豊満で弾力のある物体が顔面に押し付けられているせいで、私の視界は真っ暗だ。
未知との遭遇、と評するべきか。これほど温かみのある柔らかい感触を私はこの人生で一度も味わったことがない。
しかしながら口も鼻も押し付けられているため、呼吸もままならない。
私が懸命にもぞもぞと身じろぎしていると、その人物はややくすぐったそうに身体を起こした。
「もう、そんなにがっつかないでよー」
窮屈さから解放された私は大きく口を開けて呼吸を再開した。
背中の痛みに顔を僅かに歪ませながらも、学校にパラシュートで飛び込んできた人がいったい何者なのか把握しなければならない。そして先生に報告、と考えた。
しかし。
「…………」
はっと息を呑んだ。
なんと、どれだけ屈強な人かと思えば、制服姿の少女だった。
しかしその制服は私と同じものではない。赤と緑のチェックのスカート。
私より身長は高そうだ。シュッとした顔立ちに、猫のような目。少し赤みがかったブラウン色のツインテール。
纏う雰囲気は大人の女性のようで、コスプレした大学生なのではと疑ってしまう。
そして同時にあの感触はこの人のたわわに実った胸部だったようだ。
コンプレックスが加速した私は、一秒の間に十回ほど呪詛を内心で少女の胸に唱えた。
数秒ほど私と視線を交差させていたが、すぐさま私から身体を退けると四つん這いになりながら何かを探すような素振りを見せ始めた。
「メガネメガネ……」
「メガネなら左ですよ……?」
少女は私の助言に素直に従って身体の向きを変える。
「ありがとうねー」
と、とても気さくな返事が返ってくる。
間もなくメガネを見つけた少女は、それを耳にかけてこちらをちらりと振り返った。
「ああごめん、大丈夫?」
彼女のキャラは一気に理知的なものになり、失礼なのはわかっているが、無言で見詰めてしまう。
その間に少女のスカートのポケットから飾り気のない呼出音が鳴る。少女は屋上に広げられたパラシュートをくるくると纏めながらポケットから通信機を手に取り、電話に出た。
てっきり日本語かと思えば、驚くほど流暢な英語で通話を始めた。
時々知っている単語が混じるばかりで、ほとんどを私には理解することができなかった。
しかし何か不愉快なことを言われたのか、くるくると纏めていたパラシュートをバサッ! と大きく振り回す。
その後も英語での通話は続き、つつがなく終了した。
どう話しかければいいかわからないままおどおどしていると、こちらにちらりと目を見やった少女が四つん這いのまま私の方に接近してきた。
「え、ちょ、ちょっと……」
なんてたじろぐ私に鼻の触れそうになる距離まで接近すると、徐ろに私の首元をなぞるようにして顔を這わせて鼻をひくつかせた。
驚愕と緊張で金縛りにあったように私は上半身を起こした姿勢のまま硬直してしまう。
ごくりと生唾をのみ、眼球だけを動かしてその動きをじっと見る。
もし男の人に同じことをされたら間違いなく叫ぶだろうが、同じ女だ、そのあたりは問題なかった。
ほんの数秒の出来事だったが、まるで無限に引き伸ばされたような感覚だった。
満足した少女は次に薄っすらと目を細め、私を間近に見据える。
そして。
「君、いい匂い。L.C.Lの香りがする」
ぼそっと耳元で囁かれた。
「えっ?」
眼前の少女は品定めするかのように次いで私の頭頂から足先までさっと見下ろした後、低く続ける。
「……君、おもしろいね」
「え? え?」
すると少女はこちらに右手を差し出してきた。
そこには衝突したときに私の手元から飛んでいったのだろうS-DATが握られていた。
「ありがとう……ございます……?」
私が遠慮がちに受け取ると、
「じゃ、この事は他言無用で! ネルフの子猫ちゃん」
ささっとパラシュートを腕に引き寄せると非常口から颯爽と姿を消してしまった。
嵐のように訪れ、あっという間に去っていく。
どうしてL.C.Lやネルフのことを知っているのかと遅れながら疑問に思ったが、それよりも――、
「……名前、聞き忘れちゃった」
と溢した呟きは、青々と広がる空へと吸い込まれていった。
◆
ネルフにはちょっとした休憩所がある。
両サイドに自動販売機が並び、その間にベンチがある。喫煙所はここのすぐ脇だ。
結局あの事故のことは誰にも話していない。あれだけ印象強い登場だ、わけありと私は判断した。
あの人が果たして悪い人か良い人かと問われると、私は首を傾げる。
別に私を傷つけようとしたわけではなかったし、妙に近いスキンシップも悪意があるようには思えなかった。
しかし、あれのせいで私のS-DATが接触に不調をきたし、うまくカセットが再生できなくなってしまった。
これを考慮すると僅かに『悪い人』に傾く。
学校終わりにネルフへと直行した私は、水筒のお茶がなくなったから補充するべく休憩所へ向かう。
私の中学校は登下校中の買い食いを禁止にされてはいない。
もし禁止されていたとしても、別にコンビニや道端にある自動販売機ではなくネルフのならばいいだろう、というなんとも曖昧な判断をしていたかもしれない。
などとどうでもいいことを考えながら、私はベンチに座ったまま指を顎に当てながら自動販売機とにらめっこをする。
売っているのがお茶だけではなく、炭酸やカフェオレ、野菜ジュースなどと実にそそられるラインナップだ。
お茶と牛乳以外は滅多に飲まない私にとってはとても魅力的であるのは言うまでもない。
今日ぐらい……いいかな?
自然と口の端が緩む。
いやいや、ジュースを買って飲んでいるところをもしアスカにでも見られたら「ちょーだい!」と要求されること間違いなしだ。
そのまま全部飲み干されそうな予感すらある。
ゆえに、ここは無難にお茶を……と腰を上げようとした瞬間。
「ほれ」
と、知っている人の声が背後から聞こえ、同時に冷たい何かを頬に押し付けられた。
「ぴゃ⁉」
なんて甲高い声が短く喉から飛び出した。
不満げに後ろを振り向くと、私の背後には加持さんが立っていた。
「よっ。どうだい? たまにはデートでも」
「えー?」
あまりに直球な誘いに私は訝しみながら加持さんを見上げる。
「デートってそんな……私たち、年離れてますよ?」
「ノープロブレム。愛に年齢なんて関係ないさ」
そう言うと私の手の上に手を重ね、ぐい、と顔を寄せてきた。
これ、デジャヴュだ。
と学校での出来事を思い出す間にも加持さんの顔がさらに近づいてきて――。
「うわあああああ⁉」
と今度こそ廊下まで響かんばかりに悲鳴を上げた。
しかしそこから何かしら変化が起こることはなく、加持さんは私の耳元で呟く。
「冗談だよ」
「……ミサトさんに報告します」
冷酷に告げる。
「え、そいつは困る。殺される」
「どうぞ殺されてください」
「こいつは手厳しい。これでチャラにしてくれないか?」
ミサトさんが絡んできたら面倒なことになると悟ったのか、大人しくなった加持さんは懲りたいたずら小僧のような顔をしながらさっき私の頬に当てたであろうコーヒー缶を差し出してきた。
だが私は両手を前に出して拒否を主張する。
そしてぴしゃりと言った。
「りんごジュース」
「え」
「りんごジュース買ってください」
「あ、ああ。わかったよ」
頑として譲らない私の態度に、苦笑いを浮かべながら加持さんは自動販売機に向きなおる。
その後ろ姿を見ながら、ラッキー、と思う私なのだった。
加持さんにデートという建前で連れてこられたのは、ジオフロント内にある畑だった。
結構な広さで、人ひとりがすべてを見るには少し割に合わないほどだ。
作業服に着替えた私と加持さんはその中に入っていった。
「草むしりを頼めるか?」
「はい」
この後シンクロテストの予定があるものの、時間に余裕はある。
勉強をして時間を潰そうと思っていたが、たまにはこうして農作業に勤しんでみるのも悪くはないだろう、と快諾する。
軍手をつけ、腰を落として雑草をなるべく根っこから抜くように意識して手を動かす。
こういう地道な作業はどちらかというと好きだ。なぜなら無心でできるし、ぼんやりと考え事をしながらでもできるからだ。
人の手によって改装されたジオフロントでも、まるで地上にいるのと大差ない。
超巨大な換気システムによって風を感じることができるし、不意に顔を持ち上げれば遠くに見える湖はとても美しい。
人工の明かりに反射した水面がきらきら輝く。
足元に溜めた雑草を小道に置いた私はその光景にうっとりしながら見詰める。
そして気づく。
私の鼻にこびりついたある匂いに。
くんくんと鼻先をひくつかせ、ついにその正体を暴く。
「……土の匂い」
土に汚れた軍手を顔の前に出し、私は胸いっぱいに匂いを嗅いだ。
人の作り出した擬似的な自然。
しかしながら、私はこの土地が『生きている』ことを瞬時に理解した。
……この感覚を、私は如何なる手段で表現することができない。
ただ、土色の軍手を見下ろすことしかできなかった。
「…………」
「もうへばったのか? 給料分は働いてもらうぞー」
そんな私を見た加持さんは額の汗を拭いながら陽気に言った。
「給料……? ああ、さっきのりんごジュースのことですか? さっきはデートって言ってたのに。加持さんはもっと真面目な人だと思ってました」
私は呆れながらそう言った。
デートに誘ってやることが草むしりとは……なんとも拍子抜けだ。
「はは、大人はズルいくらいがちょうどいいのさ」
「確かに加持さんはズルい人ですね。ところでこれは……スイカですか?」
「ん? ああそうだ。可愛いだろう?」
私が見ているのは、丸々と実った大きなスイカだ。
「オレの趣味さ。何かを作る。何かを育てるってのはいいぞ。色んなことが見えるし、わかってくる。楽しいこととかな」
私たちは小道を挟み、互いに背中を向けながら作業を再開する。
「辛いことも……ですよね」
「辛いのは嫌いか?」
私の手は止まった。
「……嫌いです」
「おお、ずいぶん素直だな。じゃあ楽しいことは見つけたか?」
「それは……まあ」
ミサトさんの家でのなんともない……とは言えない、主に私があれこれ運営していることや、学校で友達とふざけ合う日々。
……楽しい。
告白すると、楽しい。
嫌なことは確かにあったが、それでも楽しい記憶を薄れさせるほどではない。
「いいことだ。辛いことを知っている人のほうが、それだけ他人に優しくできる。これは弱さとは違う。カノンちゃんはどうだい?」
「それは……わかりません。加持さんこそどうなんですか?」
「オレか? オレは……そうだな、オレもわからない」
「なんですかそれ、ズルいですよ」
「これが大人だ」
「むぅ」
そう言われると、それ以上何も言えない。
作業を再開させようと雑草を摘んだとき、不意に加持さんが訊いてきた。
「葛城は……好きか?」
「え?」
再び手が止まる。
後ろを振り向くと、先程までのふざけた態度ではなく、いたって真面目な顔で私を見ていた。
「家ではびっくりするくらいぐーたらでどうしようもないですけど、まあ……好きといえば、好きですよ」
やや照れが混じり、私は加持さんから視線を逸らしつつ答えた。
「そいつはよかった」
と呟き、ゆっくりと言葉を続ける。
「葛城を、守ってくれ」
それは、重みのある言葉だった。
「え?」
「それはオレにはできない、君にしかできないことだ。頼む」
「はい」
私は即答した。
ここは変に誤魔化したり、生返事をしてはいけない場面だと思った。
「ありがとう」
表情を崩した加持さんに、私は追撃した。
「その代わりスイカをひとつ頂きます。いいですね?」
「……君も一歩、大人に近づいたなぁ」
葛城家ではその日の晩、食後のデザートとしてスイカが振る舞われたのだった。
◆
ネルフによって、チルドレンたちの通う学校は常に監視されている。
しかしながら教室内で起こったことすべてまではさすがに把握することはできない。
その辺りはカノンとアスカから学校の話を聞くことで補完しているのだ。
これは、ミサトの仕事のひとつである。
車を走らせながら、ミサトは助手席に座るリツコに視線を振りながら言った。
「変わったわね、レイ」
カノンの話によると、自分から挨拶をするようになったのだという。それに、これは推測ですけどと前置きをしながら、料理の勉強を始めていますねとも言っていた。
あまりに劇的な変化だ。
ミサトは心底感心した。
「そうね。あの子が人のために何かをするなんて考えられない行為ね。何が原因かしら」
リツコは手元の手紙を不思議そうに見ながら呟く。
裏面には『赤木博士様江』とど真ん中に丁寧な細い字で書かれている。
「愛、じゃないの?」
「まさか。ありえないわ」
そう言いながらリツコは手紙をかばんにしまった。
間もなくリツコの自宅の前に着くと、リツコを降ろす。
「カノンちゃんを引き取る件、あれ、場合によっては本気よ」
車から降りたリツコはいたずらっぽい笑みを浮かべながら唐突にそんなことを言い出した。
「え、マジ?」
「大マジよ。これでも私なりに心配しているのよ?」
「私を?」
「カノンちゃんに決まっているでしょう」
「ア、ハイ。カイゼン、シマス」
片言で強引に話題を切り上げたミサトは誤魔化すようにアクセルを踏み込み、リツコの前から去っていった。
冗談と思っていたのに、現実味を帯びていたカノン引き取り案件に内心冷や汗だらだらだ。
ちょっと真面目になんとかしなければならないかもしれないと危機感を覚えながら帰宅。
玄関にはアスカの靴しかなく、まだカノンはネルフにいるのだと思われる。
「たっだいまー!」
汚く靴を脱いで……。
「おっと」
きちんと揃える。
小さな意識改革だ。
「あれ? 早かったわねミサト」
「すぐ本部へとんぼ返りよ。風呂と着替えに戻っただけー」
今日の業務が終了したわけではなく、すぐにまたネルフにリツコを拾って帰らなければならない。
はーつっかれた、とため息を吐きながら部屋に向かおうとして――。
「おおっ⁉」
どういうわけか、キッチンにアスカが立っているではないか。
下着姿にエプロンというなんともラフすぎる格好で、卓上にたくさんの調味料を並べてダシの味見をしていたようだ。
上半身を逸らし、キッチンへ身体を向けたミサトはわざとらしく手を口に当てて言った。
「あっら〜これはこれは〜、アスカもカノンちゃんに料理ご馳走するのん?」
するとアスカは目に見えて動揺を見せ、卓上に広げた一式を隠すように覆い被さった。
しかし、それだけですべてを隠せるはずもなく、努力した痕跡がよく見える。
「え⁉ ち、違うわ! これは……えっと……女の子……そう、ヒカリよ!」
苦しい言い訳にミサトはくすくすと笑う。
「レイといいアスカといい、急に色気づいちゃって」
「何よ! えこひいきと一緒にしないで!」
「んーそうね。レイにはもっと遠大な計画があるようだし〜?」
「何それ……?」
ちらりと興味を示したアスカが視線だけミサトに向ける。
「碇司令とカノンちゃんをくっつける、キューピットになりたいみたい……よ?」
ジャケットの内ポケットを探ってリツコと同じ、レイに渡された手紙を取り出してアスカに差し出した。
「手作り料理で皆と食事会! という作戦らしいわ。ストレートな分、これは効くわよ」
手紙にはきちんとレイの直筆で『弐号機パイロット様江』と書かれている。
「ほんと、あの親子を仲良くさせるのは骨が折れるわね」
「あの女がもやしのために?」
「サプライズなんだから、あの子にはバラしちゃ駄目よ?」
ウィンクをするミサトを見て、ムスッとしたアスカは手紙を勢いよく奪い取る。
「話すわけ無いでしょ! この私が!」
その指には絆創膏が巻かれていた。
ミサトは微笑ましげに口角を緩めた。
作戦は近づいてきている
もうすぐであのトラウマ回が……
さてさて、どうなるでしょう
それではまた次回!