それでも私は── 作:次作エヴァはきっと鬱エンド
レイが頑張ってます
誤字報告、とても助かってます
赤の十字が屹立する。
遥か高く。なお高く。
天蓋を貫き、宇宙へ届かんとどこまでも伸びる十字。
広大な大地を血色に染める。
生存者、なし。
生物、なし。
これぞ、未知に手を出した愚者の末路。
その対価は、死。
◆
法律違反ギリギリの速度で愛車をぶっ飛ばしたミサトは、肩で息をしながらヤクザの殴り込みのような面持ちで作戦会議室に駆け込んだ。
風呂中に報告を受けて十分としばらく。
髪はまだ完全に乾ききっていなかったが、それを気にする余裕なんて誰にもなかった。
「エヴァ4号機と第二支部が消滅って、どういうこと?」
まず、努めて冷静にミサトは情報の詳細をリツコに尋ねる。
「言葉通りの意味よ。完全に消えたわ。ついさっきね」
淡々とした報告だったが、それゆえに事の重大さを思い知らされる。
エヴァを失うのはそれ即ち使徒迎撃の駒が失われることを意味する。
さらにそれだけではなく、第二支部もろとも巻き込んだ。
当然そこにいた職員は死亡。
周辺地域にも壊滅的な被害が出たことは容易に想像できる。
直接関わったわけではないものの、ネルフが一般人を巻き込んで大災害を引き起こしたというのはあまりに後味が悪すぎる。
「Tプラス十。グラウンドゼロのデータです」
そう言いながらシゲルが手元のタブレットをささっとスワイプした。
すると招集された職員たちが囲むデスクの中心に、事故の瞬間の生データを三次元映像化したものが表示される。
円形の平面から、突如荒波のように激しい凹凸が浮かび上がって同心円状に広がっていく様子が映されている。
「……酷いわね」
「A.Tフィールドの崩壊が衛星から確認できますが、詳細は不明です」
マコトの追加報告が入る。
「やはり4号機が爆心か……うちのエヴァ、大丈夫でしょうね?」
ミサトはそう厳しくE計画責任者に問いかけた。
ネルフ本部でこれの二の舞になってはならない。人類絶滅の理由が、自ら開発した兵器の大爆発だなんて馬鹿げた理由は絶対に許されない。
しかしこれに答えたのはマヤだった。
クリップボードをぎゅっと胸元に抱きながら、少し強気に返そうとする。
「4号機は……!」
それ以上続きが語られることはなく、リツコが強引に横槍を入れた。
「エヴァ4号機は、稼働時間問題を解決する、新型内蔵型のテストベットだった……らしいわ」
断定しない曖昧な表現にミサトは片眉を吊り上げる。
「らしい……? もしかしてあなたも知らなかったの?」
「まあね。北米ネルフの開発状況は私にあまり開示されてなかったのよ」
「なによそれ」
エヴァに関して一番知識のある人間と問われると、誰もが脊髄反射で名を呼ぶほどの権威のある科学者に満足に情報を与えずにほぼ独自に研究を行っていた。
ミサトの中では疑問が尽きなかった。
間違いなくリツコの介入……少なくとも適度にアドバイスや指摘を挟むべきだ。それを無視してまでする理由が果たしてどこにあるのだろうか。
先のバチカン条約やら、国同士の水面下の利権争い。
何事も上手くいかないわね、と難しい顔をする。
「知っているのは……」
そうぽつりと言葉を漏らしながら顔を上げ、ある人物を思い浮かべる。
あの人ならきっと何かを……もしかすると事のあらましをすべて把握しているかもしれないと静かに瞼を下ろした。
◇
静かな司令室。
発令所では第一種戦闘配置が指示されたような慌ただしさだが、ここは違う。
この空間に存在するあらゆるものが、司令室そのものが孕む異質さに、無用意に音を発することができない。
冬月はぴしっと直立姿勢を保ったまま、作戦部から提出された事故のデータを確認しながら口を開いた。
「エヴァ4号機。次世代型開発データ取得が目的の実験機だ。何が起こってもおかしくない。しかし……」
司令席に座り、机にいつものポーズで肘をつくゲンドウにちりりと目をやる。
ゲンドウは微動だにせず、静かに報告に耳を傾けている。
無駄なことか、と冬月は思った。
こんな報告はただの格好に過ぎない。
確認でしかない。
しかしこれも冬月の仕事。
少し渇いた唇のまま、報告を続ける。
◇
低い唸り音の響く、配線が複雑に繋がれているコンピュータールームのバックヤード。
自前のパソコンとUSB接続して秘密裏に情報を探っていた加持は、腰を低く落として胸ポケットからたばこを一本取り出した。
ジッポで火を点け、ゆっくり、ゆっくりとタバコの煙を吸い込む。
身体の中が灰色の空気に満たされ、循環し、落ち着きを得る。
たばこを指で挟んで一旦口元から離し、白い煙を吐き出す。
それは瞬く間に循環用のファンにとぐろを巻いて吸い込まれてしまった。
そして、ぽつりと呟く。
「本当に事故なのか……?」
◆
米国ネルフ第一支部から、十字柱に磔にされた黒の巨人が姿を現す。
柱に何本ものワイヤーがぴんと張り、大型輸送機のエンジンを噴かす轟音とともに垂直になる。やがて宙に浮きあがった巨人――エヴァ3号機。
起動はしておらず、静かに佇んではいるものの、その異様な光景は壮観である。
まるで、処刑場へ輸送される罪人のよう。
問題がないことを確認したパイロットは、管制塔に報告して輸送を開始する。
目的地は第三新東京市ではなくネルフ松代基地。
なんでも、そこで起動実験を行うそうだ。
零号機は本部内で行ったというのにこの扱いの差はいったい何か。
一度は失敗したものの、それでも再起動実験は同じ場所で行ったという。
明らかにおかしい。別の場所に設備や人員をわざわざ移動させるのは無駄なコストがかかるだけだ。そしてそのコストも決して低くない。
何か……何かあるのでは……?
秘密裏に進行している、何かが。
パイロットはそんな疑問を、靄を払いようにかぶりを振った。与えられた仕事は、3号機を無事に松代に届けること。
それ以外考える必要はない。給料はそれなりに高いし、世界を守る一端を担っているのだ、誇りらしき誇りも持っているつもりである。
レーダーが前方に暗雲を観測する。
肉眼でも確認できるほどの黒く大きな雲が奥の方に遠く広がっている。
それに雷が時折光っているのも見える。
出発前から気象レーダーでこれの存在は認識している。
少し揺れるだろうが、輸送に問題はない。それに上からも必ず届けるよう念を押されている。
同乗しているスタッフたちに機内放送で注意を呼び掛けたパイロットは、前進を続けるのだった。
◆
「おばちゃん! これ三つや!」
そう気前よく鈴原くんが指をさしたのは、サイダー味の棒アイスだ。
中学校の近くにこんな店があるとは知らなかった。
私と鈴原くんと相田くんが放課後にやってきたのは、民家と一体になった駄菓子屋だ。
鈴原くんがもう一度「おばちゃん! これ三つ欲しいんやけどー!」と声を張ると、奥の方から「はあ~い」と間延びした返事が返ってきて、老齢のおばあさんがテレビのリモコンを持ったままレジに立った。
絶対テレビ観てて気づかなかったな……と私たちは内心で確信する。
チャリン、と小銭をぴったりトレーに落とした鈴原くんは棒アイスを私たちに配った。
「ありがとう〜」
「おう! 当たりやったらええな!」
店を後にして帰路につく。
ひぐらしの鳴く夕暮れ。
赤く彩られた街の景色を眺めながら、私はアイスの袋を破って中身を引っ張り出した。
その辺のスーパーにもよく売られている普通の水色の棒アイスだ。
「まさか、碇がついてきてくれるとは思わなかったよ」
ふと、私の隣を歩く相田くんが調子のいい声で言った。
「だからヒカリは呼ばなかったんだね。買い食いするなんて聞いてたら、私だってついて来なかったよ、たぶん」
下校しようとしていた私にふたりが声をかけてきたのが事の始まり。
怪しさが半端なかったが、別に悪意があるわけではなさそうだったから渋々オーケーしたら、こうなった。
買い食いは学校で禁止されてはいないものの、ヒカリはあまりいい顔をしない。ヒカリほどではないが、どちらかというと私も否定的な方だ。
なんだか不良がするような印象を抱いていて、どうも好意的に受け止められない。
「騙したのは悪いと思ってるけど、なんだかんだ碇も楽しそうにしてるじゃないか」
「え? 私そんな顔してた?」
「ああ」
ぺろりと舌でアイスの端を舐めれば、ひんやり冷たい。
暑さと徒歩とで少しばかり疲弊していた私の身体がみるみる癒やされていくのが感覚的にわかった。
「でもどうして鈴原くんはアイス奢ってくれたの?」
「ん? ああ、せやな。えっーとやな……」
前を歩いていた鈴原くんは私の質問に歯切れの悪い返事を返す。
そして誤魔化すようにガリッとアイスに齧りつく。
「妹の調子が良くなったって素直に言えばいいのにな」
「え?」
「何を言うとんのやケンスケ! 余計なこと言わんでええんじゃ! あほ!」
照れ隠しに罵倒した鈴原くんは、さらに私たちから前へと足早に歩く。
私たち三人の接点は、間違いなく妹さんの怪我だ。あまりいい出会い方とは言えないが、それでも今ではこんなにも良くしてもらっている。
まだ一度も顔を合わせたことすらない相手。
お見舞いに行くべきなのか、否か。
正直怖いという気持ちが強い。大怪我をさせた張本人と会うなんて、そう簡単には思えないだろう。
ぶらぶらと歩いているうちに、私たちは流れるように山方面の階段を登っていた。
着いたのは、ちょっとした大きな倉庫。長年放置されていたせいか、遠目で見ても廃れているのがよくわかる。
錆びついて穴も空き、もはや意味のなくなったフェンスを潜ろうとするふたりを私は呼び止める。
「ちょ、ちょっと……こういうのは駄目なんじゃない……?」
「大丈夫やセンセ。ここはいろんな奴の溜まり場になっててな。それにこういうのも楽しいやろ?」
にかっと白い歯を見せつける関西弁の男子はそう言うと慣れた動きでフェンスを潜り抜けて中に入っていった。
それに相田くんも猫のようにするりと続く。
「えぇ……」
「ほら、碇も」
フェンスの切れ端を持ち上げて穴を広げてまでくれると、どうも断りづらい。
ミサトさん、ごめんなさい……! と心の中で十回ほど頭を下げて、制服に引っかからないように細心の注意を払いながら私も穴を潜った。
倉庫と言っても、手前側にバスケのグラウンドが広がり、その奥に倉庫があるという構図だ。
どこに転がっていたのかわからないバスケのボールを拾ってきた鈴原くんが、アイスを口に咥えながら遊び始める。
私と相田くんは奥へと進み、段差に座り込んでアイスを食べる。
どうやらここは本当に駄弁るためだけの場所のようで、シャッターの降ろされている壁側には色々と物が放置されていた。主に漫画や雑誌で、俗に言うエロ本なるものも混じっているのが見えた。
瞬間、私は記憶を消し去って見なかったことにして、勢いよく頭を振って前に向き直った。
その様子を一から全て見ていた相田くんは苦笑混じりに肩をすくめた。
そして口を開いて何かを発する前に私は低い声で言い聞かせた。
「私は何も見てない。相田くんも何も見てない。わかった?」
じろりと睨みつけると、相田くんは白い顔をしながら何度も首を縦に振った。
「そ、そうだな。碇の言うとおりだな。俺たちは互いに何も見ていない。うんうん」
「ん、よろしい」
ボールをバウンドさせるリズミカルな音が聞こえる。
バスケについて私はよく知らないが、鈴原くんの動きが初心者のものではないというのは見ていてわかる。
ぼんやりと遊んでいる様子を眺めているとこちらに気づいたようで、手を振って声をかけてきた。
「お前らもやらへんかー?」
「いや、私はやめとくー」
「俺もパス。あまり汗はかきたくないからなー」
「ちぇっ」
つれへんなぁ、と呟いてアイスを齧る。
体操服を着ていたら考えたかもしれないが、さすがに制服のまま運動はしたくない。
それに汚れるし。
「ところで……碇は時間、大丈夫なのか?」
「ん?」
「いやほら、いつもだいたい放課後はネルフに行ってるからさ」
「ああ、そのことね」
私は今朝ミサトさんに言われたことを思い出しながら答えた。
「大丈夫だよ。最近ミサトさんたち忙しいっぽいから、あんまり私たちに割く時間がないらしくて。だから今日はオフなんだー」
私とアスカに難しい顔をしながら事情を説明していたから、あまり簡単な事情ではなさそうだ。
どうやらしばらくこの状況が続くようで、ひとりでゆっくりする時間が取れると私は喜んでいた。
「それって、3号機が日本に来るからじゃないのか?」
「3号機……?」
完全に初耳な単語に、オウム返しをする。
私は弐号機までしか知らないのだが。
「あれ? 知らないのか? いきなり起動実験込みで、米国から押し付けられたって噂だ。ま、末端の搭乗者には知らなくていい情報なんだろ? なぁ、誰が乗るのかなぁ?」
ぐいぐいと私に顔を近づける相田くんの顔は、完全にスイッチの入った軍オタのそれだ。
身体を遠ざけながら、私は牽制した。
「知らないよ……そもそもそんなこと聞いてないし」
しかし諦めんとばかりに食い下がってくる。
「いいなぁパイロット! 俺にしてくんないかなぁ!」
「私に言われてもねぇ……ミサトさんに頼んでみるとか……?」
私自身もよくわからないまま当たり障りのないことを言う。
相田くんはなるほど! と至って真面目な顔をする。
パイロットの選出について一切知らないし、別に知ろうとも思っていない。結局私はお父さんが司令官だからという理由だけで選ばれたナナヒカリなのだから。
アイスはすでに食べ終え、私と相田くんはハズレだった。
「トウジ、そろそろ帰ろうぜ」
「おう、せやな」
最後の一口を大きく齧りついた鈴原くんが棒とにらめっこをして、
「ちっ、ハズレかいな」
と毒づいた。
◆
同時刻、ネルフ直上施設を眺める少女がいた。
先日、日本に不法入国を果たしたエヴァ仮設5号機のパイロット。
整然と並ぶ集光ビルの受け止める光は赤白く輝いていて、一際強い存在感を放っている。
少女は鳥が大群をなして空を飛んでいるのを無言で見ている。
……自分の目的のために、大人を巻き込むのは気が引ける。
◆
黒より黒く。
闇を呑む闇。
静かに現れた巨大なモノリスたちがゲンドウを囲むように現れる。
ここはゼーレとの会議場。実際にこれらのモノリスがここに存在しているのではなく、あきまでホログラムで出力されているに過ぎない。
重々しい雰囲気に場は包まれ、ゲンドウはゼーレのモノリスたちが語り始めるのを待つ。
「――先に、エヴァンゲリオン5号機が失われ、今、同4号機も失われた」
ゼーレの長の威厳に満ちた発言から始まる。
「両機の損失は、計画の遂行に支障をきたしますが」
ゲンドウが苦言を差し込むが。
「修正の範囲内だ。問題はなかろう」
と別の構成員に一蹴される。
「エヴァ3号機は米国政府が是非にと君に差し出した。君の国の政府も協力的だ」
「最新鋭機だ、主戦力に足るだろう」
「使徒殲滅は現在も遂行中です。試験前の機体は信用に足りません。零号機修復の追加補正予算を承認頂ければ」
要求を示すがこれも――。
「試作品の役割は終わりつつある。必要あるまい」
軽くあしらわれる。
「左様。優先すべき事柄は他にある」
「我らの望む真のエヴァンゲリオン。その誕生とリリスの復活をもって契約の時となる。それまでに必要な儀式は執り行わねばならん。人類補完計画のために」
「……わかっております。すべてはゼーレのシナリオ通りに」
そうゲンドウが低く告げると、モノリスたちは姿を消した。 暗転していた会議場はブルースクリーンに戻り、先程までは写り込んでいなかった冬月が姿を見せる。
「……真のエヴァンゲリオン。その完成までの露払いが、初号機を含む現機体の勤めというわけだ」
考えを巡らせるゲンドウに冬月が口を開く。
「それがあのMark.6なのか? 偽りの神ではなく、ついに本物の神をつくろうというわけか」
月面基地で建造中だった新たなエヴァンゲリオン。
こそこそと隠れるようにしているところから察するに、裏があると考えるべきだ。
人類補完計画。
人を捨て、新たな生命体へと生まれ変わる究極の儀式。
あの弐号機ですら本命のエヴァンゲリオンではない。
「……ああ。初号機の覚醒を急がねばならん」
「そのためのあのふたり、か」
◆
3号機受け入れの準備は進む。
そのフローチャートの一部としてある処理が実行された。
「なんで私の弐号機が封印されちゃうのよ!」
不満を顕わにするアスカはマヤとリツコにそう叫んだ。
背後ではコアユニットが取り外され、エヴァンゲリオン封印格納地下式サイロ(IPEA管轄区域)へと拘束された弐号機がクレーンで下ろされていく。
地面では分厚い鉄製のゲートが開かれ、弐号機をゆっくり呑み込んでいく。
「バチカン条約。知ってるでしょ。3号機との引き換え条件なの」
リツコが説得しようとするが、アスカの怒りはまるで収まらない。
「修理中の零号機にすればいいじゃない!」
「弐号機のパスは今でもユーロが保有しているの。私達にはどうにもできないのよ」
努めて落ち着かせようと具体的にマヤが説明を付け加える。
一国のエヴァ保有数を三体まで制限されている弊害がここに現れてしまった。
アスカがエヴァに乗って経験した実戦はたった二回。対してレイとカノンはその倍に匹敵する。
だからこそ、ふたりに引けを取らないほど……いや、独壇場になるくらい戦績をあげてやろうと意気込んでいた。
のに。
「現在はパイロットも白紙。ユーロから再通知があるまでは大人しくしてなさい」
両の拳に力が入る。血が流れる寸前まで爪が皮に深く食い込む。
抑えきれない怒りはすぐにでも爆発しそうだった。
しかしそんなことをしても意味はない。
すでにパイロットでなくなった少女が癇癪を起こしたところで、何も変わらないことはわかりきっている。
規律と理性を重んじる空軍に所属していたからこそ、アスカは自己を落ち着かせることができた。
しかし、どうしても納得はしきれなかった。
「……私以外、誰も乗れないのに」
アスカが伏せ目がちにそう言うが、リツコは冷徹に返した。
「エヴァは実戦兵器よ。全てにバックアップが用意されているわ。操縦者も含めてね」
「…………」
ぐうの音も出ない。
リツコの方が一枚も二枚も上手だ。
世界を守る仕事に失敗は許されない。あらゆる状況に対応できるように予備を用意するのは当たり前だ。聞けば、カノンも初めはレイの予備として父に呼ばれたという。
深い地下に格納されていく弐号機を目で追いかける。特徴的な角までも完全に見えなくなるまで見届けたアスカは、
「そんな……私の世界で唯一の居場所なのに」
と悲痛な呟きを漏らした。
その後必要な事務処理を済ませたアスカは、どすどすと大きく足音を踏み鳴らしながらロッカーに向かうべくエレベーターの前に立った。
帰る。もう帰る。
今すぐにでも帰りたい。
帰って、枕に向かって喉が枯れるほど叫びたい。
そんな気分だった。
急ぐアスカとは裏腹に、のんびりとした速度でエレベーターがアスカのいる階まで降りてきた。
チーン、と軽快な音が鳴り、ホームドアが開く。
「……!」
アスカは中にいた人物に目を見開くが、すぐさま表情を強張らせてずかずかと中へ足を踏み入れた。
ふたりを乗せたエレベーターは緩やかにホームドアを閉め、下降を始める。
アスカはカゴ室の後ろで、腕を組みながら壁にもたれかかる。
同乗者――綾波レイはドアの前で直立不動状態だ。
「…………」
「…………」
何も語る必要なんてない。
ロッカーのある階まで降りて、荷物を回収してそのまま帰る。
しばらくの間ネルフに来ることはなくなる。しかしいけ好かないレイと顔を合わせるのが学校だけになると思うと清々する。
とはいえ先日渡された食事会は例外だが。
だから、レイの方から何の前触れもなしに突然話をし始めたのには驚きだった。
「……エヴァは自分の心の鏡」
跳ねるように壁から背を離したアスカは即座に反応した。
「なんですって!」
レイはこちらを振り向くこともせず淡々と言葉を続ける。
「エヴァに頼らなくていい。あなたには、エヴァに乗らない幸せがある」
まるで皮肉のような物言いはアスカの逆鱗に触れた。
「偉そうなこと言わないで! エコヒイキの癖に! 私が天才だったから、自分の力でパイロットに選ばれたのよ! コネで乗ってるあんたたちとは違うの!」
胸に手を当てて思い出すのは血反吐を吐くような努力の日々。
挫けそうになっても誰も手を貸してはくれない。己を鼓舞し、褒め、ここまで戦い抜いた。
勝ち取った名誉。アスカが堂々と誇れる功績。
「私は繋がっているだけ。エヴァでしか、人と繋がれないだけ」
「うるさいッ! あんた碇司令の言う事は何でも聞く、おすまし人形だからひいきされてるだけでしょ⁉」
喚き散らすアスカに物怖じせずにレイは否定の言葉を投げつけた。
「……私は人形じゃない」
その一言は、アスカのすでに突破しそうだった怒りのゲージを一気に吹き飛ばすのに十分すぎた。
カッと頭に血が上る。
「人形よ! 少しは自分を知りなさいよ……!!」
激昂したアスカは衝動のままに手を振りかざした。
不愉快。
不愉快!
不愉快……!!
しかしその一発が甲高い音を鳴らすことはなかった。
「……!」
既のところでこちらを振り向いたレイがぱしっ、とアスカのビンタを左手で受け止めたのだ。
アスカが驚いたのはそれだけではない。
レイの左手には大量に貼られた絆創膏。
それで気づかないアスカではない。レイに数日前に食事会の招待状を受け取ったから、これが何の怪我であるかなど考えるまでもなかった。
それになにより……。
「……ッ」
自分の左手はせいぜい二枚程度の絆創膏。
自分より、たくさん努力している。
敗北。
あの人形に、敗北。
耐え難い屈辱だった。
アスカは俯き、顔を歪める。
「ふん……人形の癖に生意気ね」
そして醜い自分に嫌気がさす。
エレベーターが目的の階に着いた。
ホームドアが開き、アスカは入ってきたときと変わらない態度でずかずかとカゴ室から出る。
どうやらレイはまだ降りないようだ。
いったいどこに行くのかはアスカの知るところではない。
……が、一瞬だけ足を止めたアスカはドアに寄りかかって開閉を阻害する。
「……一つだけ訊くわ。あのもやしをどう思ってるの?」
レイはきょとんとした顔で返す。
「もやし……?」
「もやしと言えばカノンのことでしょ!」
「碇さん?」
「どうなの?」
数秒ほど考える素振りを見せて、返ってきた返答は、
「……よく、わからない」
だった。
「これだから日本人は! ハッキリしなさいよ!」
「……わからない」
伏せ目になったレイはカノンへの想いを表現するために懸命に言葉を探す。探しながら、口にする。
「ただ、碇さんといるとポカポカする。私も……碇さんにポカポカしてほしい。碇司令と仲良くなって、ポカポカしてほしいと……思ってる」
これが、口下手なレイにできる精一杯の表現だった。
「……わかった」
「それに……」
「まだあんの?」
「大切なこと教えてもらった。生きているふりをするのをやめる……だから私は、人形じゃなくなった」
「あっそう」
と無愛想に相槌を打つとかぶりを振り、長髪を靡かせてアスカは去った。
ドアは閉まり、レイを乗せてさらに下降していく。
怒りは収まらないが、透かしを食らったような気分だった。
相変わらず屹然と歩きながらアスカはひとり愚痴を漏らした。
「ほんっと、つくづくウルトラ馬鹿ね! それって、好きってことじゃん!」
◆
「くあぁ〜〜! 終わったぁ〜〜!」
ペンペンのような声を出した私は、終わらせた宿題から一秒でも早く遠ざかるために後ろに倒れ込んで床に寝転ぶ。
ふたりと遊んでいたこともあって、宿題に取り組み始めるのが遅くなってしまった。
上半身を起こし、ノートを閉じて机の箸に追いやる。そしてコップに残っていたホットココアを飲み干す。中身は結構時間が経っているからすでに冷えている。
このまま予習に移行できればなお良しなのだが、どうもそんな気分にはなれなかった。
というのも――。
「楽しみだなぁ、食事会」
つい先日綾波さんに手渡された封筒を手に取り、中の手紙を読む。
もうこれで十回ほどになるが、綾波さんの書く文字はキレイで、私なんかより女の子らしい。
「でも綾波さんの料理って大丈夫かな?」
練習しているのは知っているし、日に日に手の傷が増えているのも知っている。
でもその成果……料理を私は一度も口にしていない。
不安は尽きないが、そこで私があれこれ口を出すのは違うだろう。
人とあまり関わろうとしない綾波さんが勇気を出して誘ってくれたのだ。自分の力で成功させたいと考えているはずだから、まさに余計なお世話というものだ。
頬杖をつきながら上の空になった私は、ぽつりと不意に思ったことを口から溢した。
「……お父さんも来てくれたら嬉しいな」
もしかしたら。
もしかしたら、お父さんとの距離を詰められるかもしれない。お父さんを知ることができるかもしれない。
そんな微かな期待を抱きながら。
ゆらゆらと……
ゆらゆらと揺れる人影
私はあなたを見ている
ずっと見ている
あなたはだあれ?
しばらく下地作りが続いてましたが、次でようやくサビに突入できそうな気が……!
それではまた次回!