それでも私は──   作:次作エヴァはきっと鬱エンド

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前回のあらすじ
主人公死亡

とりあえずアマプラで3回シンエヴァ観た
やっぱアダムスの鳴き声好きすぎる


死してなお

 発令所にいる面々は、最悪の状況に総毛立った。

 主モニターには、首の折られた無残な初号機が映し出されていた。

 オペレーターたちを始めとして、ゲンドウと冬月を除いた全員が数秒間呆然と立ち尽くしてしまった。

 使徒が勝鬨をあげる。

 敵を討ち果たした歓びの咆哮に、それぞれが我に返った。

 

「パイロットは心肺停止状態! プラグの強制射出は、射出方向が山に遮られているため不可能です!!」

 

 マヤはそう鋭く報告をしながら、稲妻にも負けない手捌きで絶えず入力を続けて初号機へのアクセスを試みている。

 初号機の損傷は致命的。

 ロボットではなく人造人間であるため、生体部品が利用されている。そのため、頚椎を破損したというのは生物で言う死と同じだ。

 フィードバックを軽減するためになるべくシンクロをこちら側で抑えていたが、それでも『死』というフィードバックは想像を絶する。

 パイロットの脈はなく、すでにプラグスーツの生命維持装置が起動して心臓マッサージを始めている。

 発令所の高所では、危機的状況にも関わらずいつもの姿勢を崩さないゲンドウがいる。

 ゲンドウはゆっくりと口を開いた。

 

「可能だとしても、プラグの強制射出は許可しない」

 

 ゲンドウとカノンの不仲は周知の事実であるが、死に直面している娘に対しても微動だにしない父の在り方に、発令所にいる誰もが嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

 道具はどこまで行っても道具といったところか。

 現場は刻一刻を争う状況だ。

 カノンの心拍が停止してからすでに三十秒ほどが過ぎてしまっている。蘇生によって戻ってくる兆しはない。

 心肺停止状態が長ければ長いほど蘇生が困難になる。更にその間、脳に酸素が行き届かないため、奇跡的に息を吹き返したとしても、障害が残りかねない。

 以前の戦闘で子宮機能を失ったカノンからはもう何も奪わせたくない、と矛盾した望みを抱くオペレーターたちは、両の拳を強く握りしめた。

 

「――シンクロカットもダメだ。今初号機のA.Tフィールドが失われると、使徒によって修復不可能なダメージを受ける。それだけはなんとしてでも避けなければならない。ゆえに、ダミーシステムを起動させる」

 

 恐ろしく冷静な判断、と言わざるを得ない。

 完全に心を無にしているからこその正解を導き出せる胆力は、司令だからこそとしか言いようがない。

 だがそこに父親としての人間性は皆無。

 まだ全容が明らかにされていないダミーシステムを起動させることに抵抗があるが、この状況では一秒でも早くカノンを初号機との繋がりを立たなければならない。

 声を揃えて「はい」と返事したオペレーターたちは、シンクロ接続をカノンからダミーへと即座に切り替える。

 使徒は圧し折れた初号機の首を絞め続け、指が装甲を突き抜けて肉に深く食い込んでいる。

 カノンはまだ息を吹き返さない。

 懸念はカノンの心肺停止状態だけではない。

 首が折れた状態の初号機が、果たしてダミーシステムを起動させたとしても問題なく活動できるかどうか。

 ……恐らく難しい。

 これは零号機出撃の必要がありそうだ。

 どうやら信号を受け取ったらしい初号機の眼に再び輝きが灯る。

 使徒以上の凶悪な咆哮を轟かせると、グググ、とバネのように膝を曲げた脚で使徒の腹部を激しく蹴り飛ばした。

 人間による操縦ではないため、フィードバックによる痛みなどは一切受け付けない。このダミーシステムを起動させた初号機を殺すには、電源が切れるか、物理的に潰す他ない。

 ゆっくりと初号機が起き上がる。

 しかしながら、首がおかしな方向に傾いているその立ち姿は不気味としか言いようがない。

 ゲンドウは勝利の確信とともに口の端を吊り上げた。

 隣で静かに立つ冬月もひとまずはといった面持ちだ。

 

「このまま殲滅戦に移行。パイロットの心肺蘇生は継続だ」

 

 状況は有利となった。

 ゲンドウは密かな安堵とともに指示を出す。

 

「あの……」

 

 その時、オペレーターのひとりから茶を濁すような言葉を投げかけられた。

 

「なんだ」

 

 ゲンドウが鋭く返す。

 その男――シゲルは困惑を隠せない顔で続けた。

 

「いや……おかしいんです」

 

「何がだ。きちんと説明しろ」

 

 視線を下のシゲルへと落とす。

 

「は、はい! すみません」

 

 注意されたシゲルは、今一度自身の操作パネルと主モニターを何度も見返す。

 そして、やはりわからないといった顔で仰々しく報告した。

 

「ダミーシステムは……初号機側で拒否されています。なので現在、ダミーシステムは起動していません」

 

「……………………なに?」

 

 ……発令所の誰もが動きを止めた。

 粘度の高いどろりとした空気がゆっくり、ゆっくりと場を満たす。

 ここで初号機がダミーシステムを弾く要因は何一つない。あるとすれば、こちら側の入力ミスしかない。だがこの緊急時であろうともそんなミスは絶対にしない。それがこの発令所にいる者たちの責務なのだから。

 だからこそ、おかしい。

 初号機が自力で動き始めたことの説明ができない。

 ……そして悟る。

 

「……暴走か」

 

 これはカノンの初戦、第四使徒に頭部を貫かれたあと、初号機の暴走が発生した時と酷似している。

 とりあえず戦闘続行であることは変わらない。

 であれば何も問題はない。

 しかしその考えすらも、マヤの悲鳴じみた報告にかき消された。

 

「暴走ではありません!! 初号機はパイロットによって操縦されています!!」

 

「――――――」

 

 今度こそゲンドウですら完全に黙ってしまった。

 ダミーシステムではなく。

 暴走でもなく。

 あくまで、カノンが初号機を操縦していると結論が出ている。MAGIのお墨付きで。

 こればかりはゲンドウも疑いを持たずにはいなかった。

 なぜならカノンは今、心肺停止状態で実質死んでいるのだ。

 死人が意思を持って活動できるはずなどない。それを確認する方法はただ一つ。

 

「プラグ内のモニターを映せ」

 

 速やかに命令は実行され、主モニターにオーバーレイ表示でカノンの様子が写し出される。

 そこには確かにカノンがいた。

 ただそれだけで、やはり死んでいる。

 一定のタイミングでプラグスーツによる心肺蘇生が行われ、小柄な身体がビクンと跳ね上がる。

 本当にただそれだけだった。

 MAGIの推論に間違いがあったようだ。なるべく人間に近い思考をするようプログラムされたものだから、何らかの変数が作用してズレが生じたのかもしれない。

 どちらにせよメンテが必要にはなりそうだと考えたところで、違和感に気づいた。

 カノンの両手が、しっかりと操縦桿を握っているのだ。

 細い指は固く握り締められ、鋼の意思を宿したかのようにピクリとも動じない。

 たまたま指が引っかかっているだとか、そういうのではない。間違いなくカノンが自分の力でそうしている。

 腕に力が込められるのを見た。

 肩、胴、脚へと命の熱が伝播するのを見た。

 そして――。

 ――遥か古い岩石が動くが如く。

 ――全身を使って命を脈動させ。

 ――尽きた少女の身体は起き上がる。

 初号機の首を肉塊が覆い、ボコボコと肥大化する。それが弾け飛ぶと、折られたはずの首が元通りになる。

 

「なんて再生力だ……」

 

 マコトが畏怖の混じった掠れ声で呟く。

 前回は手首だった。

 今回は、首。

 生命活動に関わる部位だ。

 そこを再生させるのは、人の業ではない。

 首をゆっくりと回して動作確認を終えた初号機が、地面に張り付いて警戒する使徒を見下ろす。

 深い深い呼吸を繰り返す初号機と使徒の間に長い沈黙が流れる。

 カノンは固く口を閉ざしたまま一切動じない。

 そのまま緊迫した状態が一分ほど続いたところで、ついにカノンが動き出す。

 上半身を限界までのけぞらせ、胸を膨らませる。

 紫の鬼はその動きに同期する。

 腰を沈ませ、一秒後の爆発に備える。

 直後、

 爆発。

 カノンの音のない雄叫びが、通信を通して発令所を白く震わせた。

 

【挿絵表示】

 

 ◆

 

 ゲンドウと冬月は戦闘を再開した初号機を静かに見守っている。

 使徒さえ殲滅できればそれでいい。

 ダミーシステムが起動できなかったのは遺憾だが、それはまた別の機会にすればいい。

 そんなこと(・・・・・)よりも。

 そっと顔を寄せてきた冬月が、やや緊張した面持ちで尋ねた。

 

「――碇、どっちだ(・・・・)?」

 

 ゲンドウは答えなかった。

 ただいつも通り膝をつき、口元を手で隠す姿勢を保っている。

 だが、隠した口元は歓喜に震えていた。

 

 ◆

 

 猛進する初号機を受け止めんと使徒は四本の手を大きく広げる。

 特に危険なのは、肩から伸びる二本の腕。

 あれに触れられると、分泌される青い粘液によって生体部品にダメージが入る。

 いくら首を自己修復してみせた初号機でも、無限に再生とまではいかないはずだ。

 当然、パイロットへのダメージは考慮していない前提での話である。

 勢いを殺すことなく加速力をそのままぶつけられた使徒の身体は高く宙を舞った。

 市街地に落下し、あたりの建物を薙ぎ払いながら大量の土埃を巻き上げる。

 立ち上がる暇すら与えず初号機が再び使徒に肉迫し、全身を使って身体を地面に押さえつける。左の脇で首を掴み、両脚で下半身をガッチリと挟む。

 逃れようと暴れる使徒は初号機の背中の装甲などをガリガリと削りながら抵抗するが、それでも逃れられない。

 空いた右腕をうなじに伸ばし、生理的嫌悪感を刺激する粘液に躊躇いなく手を突っ込む。

 瞬間、青い侵食が神経を皮の内側を這いずりまわりながら肩へ向けて侵攻し始める。

 それでも臆することなくエントリープラグの周囲にこびりついている粘液を強引に取り除いていく。

 しかし、突如として初号機が不自然に身体を大きくのけぞらせた。

 カノンの心肺蘇生のタイミングにシンクロしたのだ。

 晒された致命的な隙を使徒は見逃さず、四本の腕を使って初号機を引き剥がして遠くへ投げ飛ばす。

 

「……、ッ」

 

 カノンの心臓はまだ動かない。

 まだカノンは死んでいる。

 だが止まらない。止まれない。

 たとえどんなことになっても動き続けるという絶対の決意がある。生物学的な原理は一切不明ではあるものの、この一点だけは譲れない。

 アスカを絶対に助ける。

 そのために屍となってもこのか弱い身体は動くのだ。

 しかしながら、そろそろ戻ってこないと本当に死んでしまう。

 肉体はとうに酸素不足による硬直が始まっている。それでも加速度的に酸素を消費するカノンの肉体は悲鳴を上げている。

 ぎこちない動きで操縦桿を握りなおしたカノンは、硬直に抗うように吼えながら初号機を駆る。

 先程の絡みでプラグ周りの粘液はほとんど除去できた。

 あとは勝手に緊急射出してくれればベストだが、自力で引き抜いてやる必要があるかもしれない。

 おそらくすでに信号は送られているのだろう、プラグが小刻みに振動してはいるものの、先端が僅かに出ただけで、射出までは叶っていない。まだ粘液の残りが滑りを悪くしてしまっている。

 痛みによる怯えといった本能のデメリットはないものの、心肺蘇生による身体の震えという致命的な弱点を抱えた状態での戦闘はあまりにも不利。

 さらに、時間をかければかけるほどカノンの蘇生の可能性が低下する。もし蘇生に成功したとしても――。

 使徒も初号機の狙いは完全に熟知している。そのためにどんな動きをしてくるのかも予想できる。ならばその対策も立てられる。

 つまり今ので終わらせられなかった初号機に勝ち目は低くなった。

 だがやる。必ずやりきる。

 そのために、死してなお動いているのだから。

 自由自在に伸縮する二本の腕が迫る。

 高シンクロ状態のカノンはそれらを華麗な足捌きで回避して最接近を図る。

 しかし大ジャンプでその場を離脱され、使徒を捉えることができない。

 そしてまた、心肺蘇生による硬直が初号機を襲う。

 次の瞬間、逆に使徒に右手首を掴まれる。

 急速に侵食され、肩口まで迫る。

 普通なら振り解くべく抵抗するべきだが、初号機は逆に使徒の手首を掴み返した。

 そして眼をより一層輝かせると、最後のチャンスとばかりにひときわ大きな咆哮を轟かせて力任せにこちらに引き寄せた。

 その圧倒的な膂力に使徒の身体が浮き上がり、激しい衝突音とともに黒と紫がぶつかり合う。

 下顎に力を入れ、そのまま渾身の力を込めて掴んだ腕を引きちぎる。

 夥しい量の体液と悲鳴を浴びながら、紫は残された時間で速やかに行動に移る。

 怯んだ使徒の首に左腕を回して再度固定。

 錆びついた機械のように動かなくなってきた右手を根性で動かしてうなじに突っ込ませる。

 指先に触れた硬い感触を頼りにプラグを引き抜き、遥か遠方へ投げ捨てた。

 途端、初号機は糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。

 アスカを助けるという目的はここに達成せしめられた。

 だからもうこれ以上死体が動くことはない。

 今度こそカノンの小さな身体はぴくりとも動かなくなった。操縦桿からも手が離れ、操縦席に静かに斃れる。

 その顔は、どこか満ちたようにも見えた。

 ……だが、これで使徒が倒せたわけではない。

 使徒は完全にエヴァという存在とは離脱しており、パイロットがいなくなっても活動が止まるわけでもない。

 初号機が倒れる。

 目の光を明滅させ、やがて消える。

 使徒は恨みのこもった視線を向ける。

 残された三本の手を手刀として構える。

 狙いはすべて首一択。

 折るのではなく、切断。

 確実に殺すために。

 どこまでも引き伸ばされる時間。

 ほんの一瞬の出来事が、まるで永遠の極限まで飛ばされたかのよう。

 迫る。

 鋭い先端が初号機の首を今度こそ狩らんと触れる、まさにその瞬間。

 再び初号機に命が灯る。

 目に光が宿る。

 赤。朱。紅。

 展開されたA.Tフィールドとの激しい接触が、黄金の火花を撒き散らしながら辺りの空間を強打する。

 衝撃波に市街地は薙ぎ払われ、二体を中心に小さなクレーターが形成される。

 思わぬ防壁に阻まれた使徒の指は激しく損傷し、痛みに苦悶の声を漏らす。

 その間に使徒のA.Tフィールドを中和。間髪入れずに速やかな立ち上がりとともに強烈なアッパーを食らわせる。

 使徒の身体が数メートルほど宙を舞い、背中から激しく落下する。

 その上から身動きが取れないように覆い被さった初号機は、悪魔的な暴力で頭部を破壊。その後、捕食した。

 

 ――第九の使徒、ダミーシステムを解放した初号機によって殲滅。

 ――碇カノン、心肺停止から八分二十五秒後に蘇生を確認。

 ――これにて、作戦終了。

 

 ◆

 

 何も見えない。

 世界は暗闇に覆われ、私の身体は指先ひとつ動かせない。

 

「……、ぅ゛」

 

 痛い。

 身体中が痛い。

 何もできない。

 左腕の感覚がない。

 ……いや、そもそも左腕がない。

 脚も……右脚の付け根から先の感覚がない。

 何か……べっとりとした液体に私は濡れている。

 お腹もやけにすーすーと空気が通り抜ける。

 いったい、何が、どうなって。

 わからない。

 ただどうしようもなくいたくて、もうすぐで死ぬことだけはわかる。

 ここはどこ、

 わたしはなぜ、

 いま、どうなっている。

 ことばがはなせない。

 のどを血がぎゃくりゅうして、溺れそうになる。

 

「ぉ゛、ご」

 

 きおくがぐちゃぐちゃで、あたまがどうにかなりそう。

 わたしはいったい……、

 おそろしいほどしずかなばしょ。

 ピッピッとおとがきこえる。

 

「…………てくれ」

 

 だれかのすすり泣く声が、かすかにきこえた。

 みみに血がたまっているせいか、濁っていてよくきこえない。

 そんなことよりも、はやくわたしをどうにかしてほしい。

 はやく楽にしてほしい。

 いますぐにでも、殺してほしい。

 殺、して……!!

 

「……#してくれ、##」

 

 わたしは醜く喘ぐ。

 ごぷりとくちから血があふれる。

 溺れる。

 脳が赤くとける。

 どろどろになって、なにもかもがわからなくなる。

 

「##まで####った#、##……」

 

 死にたくない。

 殺して。

 死にたくない。

 殺して。

 死にたくない。

 殺して。

 死にたくない。殺して。死にたくない。殺して。死にたくない。殺して。死にたくない。殺して死にたくない殺して死にたくない殺して死にたくない殺して死にたくない殺して死にたくない殺して死にたくない殺して死にたくない殺して――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死にたく、ないよ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は残された生命力のすべてを注いでそう叫んだ。

 それが泣きじゃくっていた人物に聞こえたのかはわからない。

 どうせ発せられたのは濁りきった泥水のような声だ。

 だがその人は私の言葉を正確に聞き取ったようだ。

 ゆっくりと、優しく頭を撫でられたような気がした。

 

「……わかった。お前がそう望むのなら」

 

 その声を最後に、私の記憶は閉じた。

 

 ◇

 

「ッ!!」

 

 ――今のは、何。

 私は額に大量の脂汗を滲ませながら顔を上げた。

 咄嗟に手足に触れて無事であることを確認する。

 あんなのは知らない。

 あれほどの痛みは、エヴァに乗っていても味わうことのない壮絶なものだった。

 もちろんあれは私の記憶ではない。あれがもし本当なら忘れるはずがないし、あの時に間違いなく死んでいる。

 というより、

 

「ここ、どこ?」

 

 確か私はエヴァに乗っていたはずだ。

 プラグスーツを着ていたはずなのに、なぜか中学の制服を着ている。

 使徒と戦っていたはず。

 使徒と戦って、それでアスカを救おうとして……でも失敗して、首、を。

 

「ウっ……」

 

 一瞬でその時の感触を思い出し、今更のように息苦しさが蘇る。

 激しくえづき、喉元までこみ上げてきた吐瀉物をなんとか強引に飲み込む。

 苦い味に顔をしかめる。

 首を振れば、ふかふかのシートに座っていることにようやく気づく。

 暖かな夕陽の光が窓から差している。

 独特の匂いもする。

 ここは……電車の中だ。

 状況が未だ掴みきれていない私は現実との乖離に顔に手を当てる。

 

「私、死んだ……? それでここは、どこかに行く途中……?」

 

 ガタンゴトン。

 ガタンゴトン。

 電車は行方も知らぬどこかへと向かっている。

 特に……これといって思うところはない。

 たぶんアスカのプラグを抜くことには成功した……はずだ。記憶が朧げだが、なぜか知っている。

 私は死んだはずなのに。

 まあでもいいや。アスカを救えたのならそれでもう満足だ。

 まだ死にたくはなかったけど、死が避けられないのなら、まあ、もう、いっか。

 ただひとつだけ残念なのは、もっともっとあの家で毎日を過ごしたかったなぁ、なんて儚い夢。

 どうしてか後悔に歯噛みしてしまう。

 小さな嗚咽を何度も漏らし、私は下を俯いた。

 

「アスカと仲直り、したかったなぁ……!」

 

 幾度となく熱い雫が床に落ちる。

 ポタポタと。

 ポタポタと落ちる。

 どこに向かっているのかわからない。

 いつ辿り着くのかもわからない。

 でもそれでもいいと思った。

 時が来るまで、こうして情けなく泣くのが今の私にはお似合いだと思ったから。

 

「……ごめんなさい」

 

「――――」

 

 誰かの声が聞こえた。

 弾かれるように顔を上げると、ちょうど向かい側の席に誰かが座っていた。

 小学生くらいの女の子だろうか。

 逆光で眩しい。それくらいしか全体像を把握できない。

 正体を確かめるべく近づこうとしたが、身体はその場に縫い付けられたかのようにびくともしない。

 私は必死に目を凝らしながら女の子から視線を外すまいとした。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。どうか、私をゆるして」

 

「君は……誰?」

 

 女の子は泣いている。

 手で何度も身元を拭いながら私に対する謝罪を口にする。

 心当たりのないことを口にする女の子を私は知らない。

 不思議と私はこの子に憐れみや慈しみなどといった感情を抱いていた。母性本能……いや、違う。

 もっと別の……それこそ、私の魂そのものが強く惹かれた。

 この子を癒やしてあげたい。

 この子を助けてあげたい。

 そんな想いが急に溢れた。

 

「謝らないで。どうしたの?」

 

 私はゆっくり、優しく問いかけた。

 

「ごめんなさい。本当はあなたじゃないのに。あなたが苦しむ必要なんてこれっぽっちもないのに」

 

 女の子とは相変わらず脈絡のないことを話し続ける。

 それを遮るべきではないと判断し、話したいだけ話させることにした。

 

「ゆるして。ゆるして。何もできなかった私を、どうか」

 

「…………」

 

「私はだめな子だから。弱くて、泣き虫だから」

 

 ガタンゴトン。

 ガタンゴトン。

 電車は女の子の自責の言葉なんて無視して進み続ける。

 どこまでも。

 どこまでも。

 

「……あなたはここで死んでおくべきだった。生きていても、辛いだけだから」

 

「そうなの?」

 

「うん」

 

「そうなんだ」

 

「……うん」

 

 女の子はまだ泣いている。

 私は慰めない。

 まだ慰めない。

 

「私は君のことを知らないから、正直あまり信じられないよ」

 

 だからこそ、思ったことを伝えた。

 

「それは嘘。だって、あなたは私のことを誰よりも知っているから」

 

「…………そうなんだ」

 

「うん」

 

「――でも」

 

 私の声に、女の子がようやく顔を上げる。

 やはり顔はよく見えない。

 少しだけ、悲哀に歪む口元が見えた。

 

「もし辛くても、これは私の人生だから。君にどう言われても進むよ。たくさん苦しむことは、エヴァに乗り始めて少しした時くらいに覚悟してるから。もちろん後悔だってすると思う」

 

 そうだ。

 私は他人に言われたことをただやってきただけの人間だった。

 だから、ここできちんと抵抗しなければならないのだ。

 

「どうして、そんなに強く――」

 

「――だって、生きてるんだから」

 

 私の口から、私のものとは思えない滑らかな言葉を私の意思で出した。

 

「――――」

 

 胸を張って言えるほどではないけど、私より小さな子の前だ、虚勢を張ってでも良いところを見せたほうがいい。

 電車が僅かにその速度を落とした。

 もうすぐで目的地に到着するようだ。

 女の子はすっと立ち上がった。

 両頬には涙の跡が煌めいている。

 

「そっか。あなたは強いんだね」

 

「そこまで強くないよ。今のはカッコつけようとしただけだし、ついさっきは使徒に殺されたんだから」

 

「それでもだよ」

 

 女の子が徐々に白い波動となって霧散していく。

 私はその様子をぼんやりと見つめる。

 

「私はあなたではない。あなたは私の罪。……でも」

 

 白い光が車両内を満たす。

 女の子は私の名を呼んだ。

 そして、力強く、温かく、包み込むような声で続けた。

 

「応援しているから」

 

 陽だまりのような暖かさだった。

 私はゆっくりと目を閉じ、身を委ねる。

 そのまま、光はすべてを埋め尽くして――。

 

 ◆

 

 目覚めは恐ろしいほど穏やかなものだった。

 

「――――ぁ」

 

 嗄れた声が漏れる。

 微かに乳液の香りがする、病室だった。

 

「知ってる天井、だ」

 

 重たげに頭を左に向けると、リズミカルな心電図の音が鳴っている。

 まだ、意識が覚醒しきっていないようだ。

 目元を手で擦ってボヤけた視界から覚ます。

 生きていたことはとても嬉しいことだが、目覚めたことをまずは報告しないと。

 数時間、あるいは数日かはわからないが、皆に心配をかけてしまったのは確かだろう。

 ミサトさんやアスカ、それに起動実験に立ち会っていた人たちの安否が気になる。

 アスカはこの手で助けたからいいものの、他の人たちは特に心配だ。

 とにかく、まずは報告だ。

 大雑把にではあるものの、ナースコールのボタンの場所は知っている。

 確かベッドの脇にあるリモコンボタンを押せばよかったはず。

 身を少しだけ捩って探そうと右腕を伸ばす。

 

「……あれ?」

 

 ふと、強烈な違和感を覚えた。

 なんだか手……腕があまり言うことを聞かない。問題なく動くには動くが、実際の動作までにラグがあるというか、重いというか、痺れる。

 試しに拳をつくったりを繰り返してみたが、やは動きが鈍い。

 左も同様だが、幾分かはマシだ。

 

「……ああ」

 

 すんなりと納得してしまった。

 私が死んでいた時間がどのくらいなのかは知らない。でも、こうなるほど長かったのだと、納得してしまった。

 私は強がりだ。

 アスカと喧嘩をしたときも、皆を助けるためと綺麗事を並べて自分を強引に丸め込んでいた。

 だから今回もそれでいけばいい。

 この在り方を私は間違っているとは思わないし、仕方のないことだと思う。

 ややぎこちない動きだったが、なんとかリモコンを手に取り、ナースコールのボタンを押す。

 ボタンがオレンジ色に点滅し始めたのを確認してからそっとリモコンを枕元に置く。

 ついでに寝返りを打とうとごろりと身体を横に――。

 

「――――、ぇ?」

 

 どうしてかよくわからないが、寝返りが打てなかった。

 正確に言うと、身体が動かなかった。

 よく、わからなかった。

 脳が理解を必死に拒んでいる。

 掛ふとんをめくる。

 恐る恐る異変を感じた部位を病衣の上から触れる。

 確かめるようにぺたぺたと。

 すべてを余すことなく触れる。それだけでは満足できず、病衣を捲り、直接触れる。

 呼吸が荒れ、動悸が激しくなる。

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 間違いであってくれと強く願いながら、何度も、何度も。痺れからではなく、受け入れられないという震えが両腕に生じる。

 ついには我慢できなくなって、半狂乱になって殴打する。

 でもやっぱり間違いなんかじゃなくて。

 

「……そん、な」

 

 肩で息をしながら、私はだらり両腕の力を抜いて、掠れ声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………脚が、動、か」




カノンチャンはいっぱい頑張りました!

それではまた次回!
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