それでも私は──   作:次作エヴァはきっと鬱エンド

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前回のあらすじ
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鬼の書 急

 世界は酷く、澄み渡っている。

 青く燃える心臓。

 血管が破裂せんばかりに巡る血液。

 青の世界。

 私の世界は、青い。

 どこまでも綺麗で、呑み込まれてしまいそうだ。

 再起動した初号機を私はゆっくりと起き上がらせた。

 初号機が緑ではなく青く発光を始め、ゆらゆらと焔が揺れる。

 

 ゆらゆら。ゆらゆら。

 私はだあれ? あなたはだあれ?

 わすれないで。わすれないで。

 私は……私達は、碇レイ。

 

 顎の拘束具を砕き、無音の咆哮を放つ。

 威嚇ではない。

 ただ。

 お前を殺すと伝えるためだけのものである。

 それが合図となり、使徒がノーモーションで帯をこちらに射出した。

 その速度は通常の反射神経ではとても視界に捉えられない。

 私に到達するまでの時間はコンマの世界だ。

 ──しかし。

 

「『ゼルエル──絶壁よ』」

 

 前面に翳した私の掌から超高密度のA.Tフィールドが展開されたのと、それに使徒が直撃したのは全くの同タイミングだった。

 ジオフロント全体を激しい轟音が叩きつけ、虚ろなソラに稲妻の亀裂が走る。

 そしてA.Tフィールドはあらゆる物質を通過させない絶対の壁となり、使徒の攻撃も例外ではない。

 帯が潰れてドス黒い粘液状の物体がどろりと広がってA.Tフィールドを覆う。どういう原理かは不明だが、そのまま粘液とA.Tフィールドを接着させ、伸びていた帯を縮めて使徒が身体を肉迫させてくる。

 超至近距離のなった使徒が仮面の奥の眼孔を瞬かせて光線を放つ。

 しかしこれも私のA.Tフィールドが完全に防ぎきり、同心円状に波紋となって幾重にも波動が広がった。

 

「『レリエル──虚構よ』」

 

 切断されていた左腕を伸ばせば切断面から眩い燐光が溢れ、一瞬で腕の形となって肉体を補う。

 そして拳を握りしめ、光の腕を変化させる。複数の立方体で輪を作り、光線を打ち切った使徒の正面へ展開。

 鋭い風切り音が発生し、輪は外回りに一回転だけした。その力を一点に集中させることで、爆発的な加速を一方的に与える。

 未知の現象に反応が遅れた使徒を遥か後方まで吹き飛ばした。

 

「────────ぁぎぃ、──……ぁ」

 

 白く溶けていく。

 私のすべてが、ゆっくりとエヴァに蝕まれていく感覚。

 自分の肉体の先端部分がわからなくなっている。足先、指先、頭頂。どこからどこまでが私なのかを見失う。

 輪郭を失い、肉体を失い、自己を失う。

 私を定義するものは果たして何なのか。

 でも、まだ終われない。

 この敵から綾波を救い出すまで、絶対に終わらない。

 極限まで色の抜けた幻想世界。

 ひび割れのような吐き気を催す光景の最奥に、青い魂の輝きを見る。

 

「『ラミエル──極光よ』」

 

 我が眼から放たれるは破滅の光線。

 まだ立ち上がれていない使徒へと真っ直ぐ伸びる。

 咄嗟にA.Tフィールドを張るが、破壊する必要すらなく、それごと使徒を押し潰すほどの光圧で灼く。

 一方的な暴力による制圧。

 反撃の糸口……その思考する暇すら与えない。

 私の魂は昇華する。

 身体が熱い。

 青く。蒼く。さらに碧く。

 初号機により深く入り込んでいっているのを感じる。

 後戻りできない片道を全速力で駆け進んでいる気分だ。

 この先は地獄? それとも天国?

 いや、そのどちらでもない。

 そんなの、私にわかるはずがないのだから。

 私の動かない脚の代わりに初号機が歩く。

 頭頂に頂く、白い光の輪。

 天使にでもなったつもりか。

 知らない。

 勝手に初号機がそうなっていっているだけ。私の知る由ではない。綾波を救うために必要な変化だというのならば許す。

 なんなら天使らしく翼でも生やしてみせるがいい。

 この戦いの後、私がどのような生命になってもいい。ヒトですらなくなってもいい。その覚悟は決して揺るがない。

 世界の存続?

 端からそんな大きいものを背負えるようなヒトではないことは、私が一番良く理解している!

 大義名分よりも、目先にある私の欲しいものを優先する!

 だから綾波は、絶対助ける──!!

 

「『──極光よ!!』」

 

 薙ぎ払うように縦方向に光線が走る。

 その射線上にいた使徒のA.Tフィールドを豆腐のように切り裂き、胸を胸骨ごと破壊してコアを露出させる。

 そして使徒のさらに後方、ドーム状の壁にまで威力が減衰されることなく到達し、灼光と轟音と爆風がジオフロントを蹂躙する。

 数秒遅れて衝撃波が私のもとにも届き、一度薙ぎ倒された木々が二度目の死を恐れるように宙を飛び回っているように見えた。

 

 行きなさいカノンちゃん! 誰かのためじゃない!! あなた自身の願いのために──!!

 

 ああ、そうだ。そうだとも。

 私は進む。進撃する。

 使徒はすでに満身創痍。私の一方的な苛虐に、もはや立ち上がることすらできなくなっている。

 仮面の奥の瞳は私の何を見ているのだろう。まだ立ち向かう勇気の光? それとも怯えの光? どちらにせよ私にはわからないから意味がない。

 ついに使徒の側まで徒歩で寄った私は、使徒の顔面を渾身の力で殴り潰した。体液が飛び散り、それらが私の顔にかかった。

 ビクン! と使徒の身体が大きく跳ね上がり、大ダメージの感触を得る。

 その裏で私自身の存在証明も崩れ去る。

 前方から後方へと突き抜けていく鈍色の虹の光線に無限に貫かれる。

 

「は、ァ──ぅ、ギ────、……」

 

 皮膚を通り肉を通り、骨も細胞にさえ届く。

 タンパク質が分解されて組織間の結合が維持できなくなる。

 溶ける。溶ける。溶ける。

 私の肉体がL.C.Lに滲み、消える。

 それでも私の魂はここに健在である。

 碧く輝く、尊き篝火。

 

「ああッ! ああアアアアア──……ッッ!!」

 

 この魂だけは絶対に汚されない。まだ汚されてやらない。この後──綾波を助け出したあとなら、いくらでも陵辱していい……からッ!!

 ……から、耐えろ!

 

 そう。耐えるのよ碇カノン。

 私も私のすべてを使ってあなたを支える。

 だから──絶対に勝って!!

 

 初号機から伸びる崩壊の手を、誰かが防いでいる。

 でもそれはいつまででも防げるわけではない。

 さっさとケリをつけないと、私もこの子も限界を迎える。

 …………いや。

 とうに限界などとっくに昔に迎えていたか。

 

「『アラミサエル──相縁(あいえん)よ』」

 

 右腕を高く振り上げ、コアに触れる寸前まで振り下ろす。

 掌を広げ、不可視の(かいな)をコアへ潜り込ませる。

 途端、形容し難い未知の感覚が五臓六腑に染み渡る。

 不快感や狂うほどの痛みではなかった。

 ほんのり暖かくて、母親の子宮内で羊水に包まれるような。

 ただそれだけ。

 それと同時に何もかもがどうでもよくなる脱力感に襲われる。直前まで私を犯されていたすべてから解放され、救済を感じ取った。

 このまま委ねてしまいたい。

 どこまでも沈んでいきながら眠ってしまいたく──。

 

 違う!

 カノン! あなたはそこに行くだけじゃない!!

 そこに行って、綾波レイを助け出すの!!

 

 泡になりかけていた意識を再集約させる。

 

「ハ、────ぁ、っ!!」

 

 まだコアの表層から少し沈んだに過ぎない。

 最深部へはまだまだ遠い。

 心を燃やせ。私の魂は使徒のコアなぞに取り込ませてなるものか。

 水銀の海に潜り込むような自殺行為。飛び込むが最後、二度と戻ってこれない。

 いいや。いいや!

 戻ってきてみせる。せめて綾波だけでも、絶対に戻らせる。

 そして届く。コアの最奥。

 光の腕がそこに存在する二重のコアに爪先が触れた瞬間、声が聞こえた。

 

「──ダメなの。もう、私はここでしか生きられないもの」

 

 いったい何を言っている。

 そんなところで生きられるはずがない。もし生きることができるとしても、それはヒトとしてではない。

 だから私の方こそダメだ。

 

「綾波っ!?」

 

「いいの、碇さん。私が消えても代わりはいるもの」

 

 代わりはいるもの。

 脳髄にその言葉だけが何度も反復する。

 本当にそうだろうか?

 人間にはそれぞれに個性があり、たとえ双子であっても例外ではない。綾波の言葉の真偽に触れるほど余分な思考は割けない。

 だから、そこにある──私が見ている事実を叫んだ。

 

「違う! 綾波は綾波しかいない!」

 

 そうだ。

 今まで触れ合った綾波こそが真実であり、感情の機微、あるいは成長を一番近くで見た。

 もし綾波ではない綾波が現れたとしても、私は見分けられる。

 私が知っているこれまでを信じるのだ。

 

「だから今、助ける……!!」

 

 天使の輪は白から赤へと急変し、そのサイズをじわじわと広げる。

 初号機の胸部拘束具も割れ、内部で命の胎動をしていたコアが姿を現す。

 物理法則を無視し、天使の加護もないのに宙へ浮上していく。使徒もそれにつられる形で共に浮上する。

 初号機の節々から溢れ出る光の奔流が、幾重にも別れて天使の輪だったドス黒い円の中央へと吸われていく。

 別の空間へと私と初号機の何かが吸われている。

 だが今はそんなことどうでもいい。

 潜在的な力が溢れるのを感じる。

 際限なくそれのすべて、ありったけを込める。

 先程までは片手だったのを、今度は両手を翳しながら、遥か遠い記憶から呼び起こした権能を重ねて行使する。

 喉を使い潰すつもりで咆える。

 なるべく必要以上に使徒のコアを削り取らないように最新の注意を払いながら円柱型の空洞を生成する。

 その先に見える。

 2つ目のコア。彼女の眠る魂の鳥籠。

 もはや初号機の操縦すら覚束ない。

 さらに深部へ潜り込もうとすることへの抵抗か、一向に腕を伸ばせない。前方からの身体を灼く虹の光線。すでに虹ではなくなり、青と黒と、若干赤の混じったものへと変化している。そしてその光量、抵抗力は段違いに上がっている。

 もう操作レバーを握りしめる力すら尽きそうだ。

 

「────ォ、……あ、ァ」

 

 さっきから連れ人の気配を弱く感じる。

 それに私自身も限界へのカウントダウンを始めている。

 初号機の操縦を断念。ホールドして操作レバーから手を放す。前のめりになって操縦席にしがみつきながら前進を開始する。

 

「く、……そ……!」

 

 脚を動かせないからとてつもなく遅い。

 だからといって腕の力だけでも到底難しい。

 下半身を引きずるようにしながらゆっくりと前進する。

 

 もう少し、だ……よ!

 脚は……私のを貸すっ、からっ!

 

 連れ人も息が絶え絶えだ。

 呼吸は浅く、目の焦点も合っていない。

 それでも私に力を与えんとじわりと私の身体に融合する。

 瞬間。

 巨大な異物を挿入されたような強烈な圧迫感に打ち震えた。

 

「──ガ」

 

 しかしすぐに全身に浸透し、懐かしい感覚が脚に宿る。肉体はすでに失っているからこの身体は精神体……と言うべきだろうか。この場限りの火事場力。

 ともかく、これで楽に進める。

 楽とはいっても前方から押し寄せる光線は勢いを増すばかりだ。

 腕が壊すくらいの覚悟で這い進み、足腰に力を入れて踏ん張る。

 呼吸なんてとてもできない。

 ぐにゃりと歪む視線の先に、闇色のドームの中央で膝を抱いて丸くなっている綾波の白い背中が見える。

 

「綾波っ!!」

 

 私の声に気づいたのか、雪のように白い髪を揺らして私を見上げてきた。

 その赤い瞳は、何を語っているのか残念ながら私にはわからなかった。

 でも、今やるべきことだけははっきりしている。

 囚われの綾波を覆うドームは明らかに異質な雰囲気を放っている。闇よりさらに闇の色。

 ヒトにとって未知の領域。

 私はそこに無遠慮に突撃すべく力を振り絞って前進するが、境界面との間に絶大な斥力が働くようにまるで接触できない。

 目と鼻の先にあるというのに、その先へ行くことのできないむず痒さと苛立ち。

 

 ──届け。

 

 私達の心の声が強く重なる。

 あともう少し。ほんの少しだけ進むことができたら私達の勝ちだ。

 勝つために私は自身の何もかもをかなぐり捨ててここまでやってきたのだ。その場凌ぎの、自分をそれっぽく納得させるためだけの安っぽい覚悟を決めて。

 今更捨てることなんてできない。

 綾波を助けるまでは、絶対に。

 

「ぉ、ぉぉおおおおおお……──!!」

 

 行け、行け、行け!!

 届け、届け、届け!!

 私のすべて、すべてを叩き込みながら叫ぶ。

 助ける。

 ただその一心。

 私と連れ人の想いは完全に一致している。

 もし私だけだったら無理だったかもしれない。どれだけ立派な願望を掲げても実力が伴っていなければ、それはただの口先だけになってしまっていた。

 でも、この人と一緒ならきっと大丈夫。

 

 ありがとう。

 私を信じてくれて。

 一緒に突破しよう。呼吸を整えて、心をシンクロさせよう。

 

 もう意味のない、呼吸というリズムをとるためだけ動作をする。

 大きく息を吸い、胸を膨らませる。

 落ち着いて吐き。薄っすらと瞼を持ち上げる。

 

「『いくよ』」

 

 巨人の手で押さえつけられるような重い抵抗を受けながら、ゆっくり手をドームに突入させる。表面はどろりとした粘性の高い液体でできていて、それさえ突破すれば中は驚くほどしんと静かな暗闇だった。

 そしてたった数メートル先に彼女の姿を捉える。

 

「綾波、手をっ……!?」

 

 呼びかけようと口を開いた途端、口内に入り込んできた未知の物質に喉を潰された。

 この空間に存在するあらゆるものが私にとって劇物。綾波はなんともないようだが、私には一刻の猶予もない。どれだけ強い意志力があっても身体を壊されてはどうしようもない。

 肌が爛れ、真皮をも引き剥がし、内側の皮下組織が晒される。

 猶予は数十秒ほど。

 これ以上はどう足掻いても持ちこたえられそうにない。

 筋肉が硬直して思うように腕を伸ばせない。

 麻痺だから伸ばせないのではない。腕はほぼ思いのままに動かせる。だからこの空間のせいなだけだ。

 私がもっと気合を入れて、頑張れば届く。

 一秒がとてつもなく長く感じる。その分だけ受ける地獄の時間も長く感じる。でも待てる。私が本当の意味で死ぬまで待てる。その自信だけはあった。

 だから私は限界の限界まで尽くす。

 冷え切った手は温もりを求めるように真っ直ぐ伸びる。

 助けるために。

 そして呼ぶのだ。

 

「『来い……!!』」

 

 ピクリと白い身体が震える。

 身体が完全に私の方に振り向く。

 しばし目元を伏せて憂うような素振りを見せ、次に私を見上げる。

 久しぶりに見る彼女の顔は、今にも消え入りそうなほど弱々しかった。

 私は耐えかね、心の赴くままに咆えた。

 

「レイ!!」

 

 最後のひと押し。

 潰れた喉を更に潰してふたつの音をぶつける。

 ひしゃげたようなひび割れた声になってしまった。

 初めて呼ぶ綾波の下の名前は、私の旧名と一致しているはずなのにどこか違うと感じた。

 その理由は、私と綾波ではレイ(・・)という名前の重みが違うからか。

 

「────!!」

 

 綾波が大きく目を見開く。

 どんな葛藤を頭の中で繰り広げているかは知らない。

 どうして助かろうとしないのかもわからない。

 でも、私が必死に求めることで助けてほしいと思わせることはできる。

 昨日、私が助けられたように。

 ゆっくりと綾波の腕が持ち上がり、伸びてくる。

 私はそれを、『助けてほしい』という自己主張であると受け取った。

 これに応えるために、私はここに来た!

 少しずつ、少しずつ手と手の距離が縮まっていく。

 指先が触れそうになったその瞬間、最期の火事場力で一気に腕を伸ばし、救いを求める手をしっかりと握りしめた。

 そして、なけなしの根性で綾波を力任せに闇の監獄から引きずり出した。

 驚くほど滑らかに私の胸元に飛び込んできた彼女の反対の手には、私の部屋から持ち出したであろうあの音楽プレーヤーがしっかり握られていた。

 私の動きにリンクして、同時期に初号機が二重コアの最奥を摘出する。

 それと同時に使徒の身体がL.C.Lとなって爆散──するはずが、完全に爆散することはなかった。途中で巻き戻るように一箇所に集まり、使徒ではなく巨大な綾波の身体を形成した。

 

「……ありがとう、綾波さん。色んなこと、本当に感謝してる」

 

 脱力した綾波さんの身体をいっそう強く抱きしめた私は許しを乞うように囁く。

 どくん、どくんと衣服を纏っていない綾波さんから素肌越しに感じる生の鼓動は、私が私の意志で、納得できる形で助けられた証だ。

 アスカの時のような半端な助け方ではない。

 あの後悔を繰り返さないことができたのだ。

 

「ごめんなさい。何もできなかった……」

 

 そんな謝罪の言葉を、真っ直ぐに受け取った。

 

「いいの……これで。これでいいの……」

 

 ああ、良かった。

 連れ人も極度の限界状態から解放されて静かに微笑んでいる。

 綾波さんの身体が透けるように初号機に溶け込んでいく。

 私の想いに応えた初号機の目覚めた力は、徐々にジオフロントだけでなく地上へと到達する。

 ネルフ本部の直上を破壊し、反転した重力によって瓦礫がゆっくりと宙へ遡る。

 ジオフロントと地上を繋ぐ巨大な空洞が開く。

 無から出現した赤の輪は、現世を侵食するかのように広がっていく。

 初号機は紫の鬼ではなく光の巨人と化し、ついさっきまで身体から溢れていた光の奔流が六対の翼を形成する。

 その姿は天使などではなく、堕天使に近い。

 エヴァ初号機という人造人間が命を得て、世界の理を超えた新たな生命として再誕する。

 代償として、古の生命は滅ぶ。

 

 歓喜せよ、美しい霊の降臨だ。

 天から遣われし使徒と交わりて、神の座を臨む。

 自然の乳房を吸った黄金の稲穂は、天上の楽園にて蒼い風にあおられる。

 ただひとり、ソラへの挑戦者として見上げる我を讃えるがいい!

 悪人の我は、枯れた桜色のバラでできた道を裸足で征く。

 血に塗れた足跡は歓喜の印となる。

 いつかはそれが、地に還ると知っていても。

 

 世界の終わりが開始される。

 わたしと初号機を爆心地として、莫大なエネルギーが収束し始めている。

 綾波さんを助け出せたことに安堵した私は、安息の眠りにつくべく重くなってきた瞼の動きに従う。

 綾波さんも私と触れ合っている安心感からか、しだいにうとうととし始める。

 眠ろう。眠ってしまおう。

 私達は頑張った。ジオフロントまで侵入した強大な使徒を倒したのだ。あとの回収処理などはすべてミサトさんたちがやってくれるはず。

 そして──。

 不思議なものを見た。

 ジオフロントの天蓋から音もなく降り注ぐ、赤い尾を引く流星。

 覚醒めようとしていた私を、寸分の狂いもなく貫いた。

 

「────ハ」

 

 魂を縫い付けられたような、重い衝撃。

 使徒のコアへ侵入するときに比べれば痛みは遥かに軽い。だが激痛であることに変わりはない。

 同時に、取り返しのつかない一撃を受けたことを悟った。

 覚醒めようとしていた碧い魂の篝火は恐ろしい勢いで鎮火される。

 肉体を溶かされ、魂となった私の存在をさらに希薄にさせる、強烈な眠りへの誘い。

 声が──聞こえ、る……。

 ヒトとしての……思考、存在を停止──させられる……直前。すぐ耳元で──声が、聞こえた。

 

「碇さん……!!」

 

 耳に妙に残る……聞き慣れた声。

 いつの日か、これに似た声で子守唄を聞かされたことがあったような。

 ……誰の声だっただろう?

 

 ◆

 

 終わりを告げる赤の世界は波が引くように晴れ、満月の夜が再開される。

 そして、ひときわ強く輝いて見える月光を背景に一体のエヴァが降り立つ。

 藍色のカラーリングに、黄色をアクセントとした神々しいボディ。

 光の輪を頂戴し、赤く光るバイザーが不穏な雰囲気を放つ。

 深い深い眠りについた初号機の元に降り立たんとする。

 新たなエヴァ、Mark.6のパイロット──渚カヲルは目元を伏せて地表を見下ろす。

 

「──さあ。約束の延長だ、碇レイ君」

 

 彼女の旧名を口にするカヲルは、強い意思を込めた声で言葉を繋いだ。

 

「今度こそ……たとえ君だとしても──幸せにしてみせるよ」

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とても暖かい、誰かの温もり。

 開けていた窓から入り込んでくる風が鼻先を撫で、僅かにむず痒い。

 鼻をむずむずさせたレイがゆっくり目を開けると、大好きな母が慈しむように自分を見ていたのに気づいた。

 

「あら。もう起きたの? お眠りさん」

 

 静かに微笑む母に、レイはもぞもぞと胸に頭をすりつける。

 

「起きてない。もいっかい寝るもん」

 

「そう。じゃあもう一回寝ましょうか」

 

 ベッドの中でくっつくように寝ていたレイと母。

 崩れかけていた掛ふとんを丁寧に伸ばし、母はレイの身体が冷えないようにかけ直した。

 今日は金曜日。

 明日は土曜日でその次は日曜日だ。

 レイは無意識に母の栗色の髪に触れ、そのあまりの艶に思わず感想を呟く。

 

「すごく、きれい」

 

「そう? 嬉しいわ。レイも私の血の方を強く継いでるから、きっと綺麗な髪になるはずよ」

 

「お父さんみたいにぼさぼさになるのは、や!」

 

「それもそうね。いつも言ってるのに身だしなみだけは中々整えようとしないのは悪い癖ね。レイにうつったらどうするのかしら」

 

「いや! いや! おひげぼーぼーになりたくない!」

 

「ふふふ! それはさすがに大丈夫よ」

 

 面白おかしく笑った母は、レイの頭を優しく撫でた。

 だんだん気持ちよくなってきたレイは、二度寝に突入しようとこくりこくりと船を漕ぎ始める。

 指でレイの頬を突つけば、ぷにぷにと柔らかく変形する。

 母はそれがとても面白く、同じくらい愛おしく感じた。

 

「レイ。私の子。私の可愛い娘。あなたはきっと美人さんになるわ。私と同じかそれ以上に。だから……人を大切に想うことのできる、優しい女の子に育ってね」

 

 レイに果たして今の言葉が聞こえていたのだろうか。恐らく聞こえていない。もう眠り始めたレイの耳にはほとんど届いていないだろう。

 しかし母はそれでもよかった。これからたっぷり愛情を注いで育てるのだから。

 たくさん褒めるだろう。

 たくさん叱るだろう。

 たくさん泣き、泣かされることもあるだろう。

 そういうのが子供を育てるというものだ。

 リスクだったりリターンだったり、そんな理屈めいた計算じゃない。

 原動力は、ただ愛という概念に帰結する。

 父と母で紡いだ愛の証。

 いずれふたりがこの世を去った後も子供は生き、番を得て新たに血を……命を繋ぐ。

 これは何の特別なことではない、生物としての本能に従った繁殖。それによる継承でしかない。

 だが人はそこにロマンや哲学、夢を見出す。

 ……未来。

 未来なのだ。

 母……碇ユイにとって、娘の碇レイは未来である。

 いくら研究の道を極めたとしても、人としての愛は誰にでもある。それはあの無愛想な父にもある。例外などない。

 ユイは子守唄を歌うことにした。

 特別でもなんでもない、みんなのよく知る子守唄。

 レイはすでに穏やかな寝息をたてて眠っている。

 顔を撫で、絹のような肌を指先で感じる。

 リズムに合わせ、レイの背中をぽんぽんと優しく叩く。

 ようやく離乳食も卒業したところではあるものの、やはりユイの乳に懐かしさを覚えているところがあるのだろうか。

 時々レイの口元が何かを吸うように窄めたりするような仕草が見受けられる。

 思わず笑みを漏らしたユイは、果たしてどちらが親離れ、もしくは子離れできていないのだろうと考えながら子守唄を続ける。

 と、ここで父……ゲンドウが帰ってきたようだ。

 玄関のドアが開く音が聞こえた。

 レイを起こさないようになるべくトーンを落としてで「おかえりなさい」と言うと、状況を察したゲンドウはユイと同じようにトーンを落として「ただいま」と返して寝室にやって来た。

 

「今レイが寝てるのよ」

 

 ゲンドウはユイの腕の中で眠るレイを見て僅かに顔を緩めた。

 

「……そうか。夕食はもう済ませたのか?」

 

「いえ、まだよ。もう少しだけしてから用意しようと思っていたわ」

 

「もし疲れているのなら適当に私が冷凍食品をでも温めておくが」

 

「ダメよ。目を離したらあなた、すぐにだらしなくなるんですもの。ちゃんと私がやります」

 

「……わかった」

 

 的確に事実を突きつけられたゲンドウは大人しく引き下がることにした。

 しかしながら荷物だけさっさと自室に置いて手洗いを済ませると、すぐに寝室に戻ってきた。

 

「ん? どうしたの?」

 

 不思議そうにユイが小首を傾げる。

 

「いや……別に」

 

 そう言いながらもゲンドウはユイのすぐ真横に座り込み、眠りに落ちたレイの顔をまじまじと見つめる。

 その様子を見守っていたユイが口を開いた。

 

「これを言うと良くないかもしれないけど、レイがあなたの血を強く継いでなくて良かったわね」

 

 容姿はどう見てもユイに似ている。

 ゲンドウの遺伝子なんて少しも混じっていないようにすら見えてしまう。

 だがレイは正真正銘、ユイとゲンドウの間にできた子供であり、DNAでもそれは証明されている。

 

「そうだな。女の子なのに私みたいなだらしない男の血が強かったらどうなっていたか」

 

「それはそれで良いとは思うわよ。だって、あなたにも可愛いところがあるのだから」

 

「知らん」

 

「……レイがあなたの髭は嫌って言ってたわよ」

 

 ユイはゲンドウをからかいながら、綺麗に剃られたその顎に触れる。

 

「髭を伸ばすならちゃんと整える。伸ばさないならちゃんと剃る。私が何も言わなかったらジャングルみたいになってたわよ、絶対に」

 

「レイが自分から勝手に私に頬ずりするのが悪いだろう。それで笑いながらジョリジョリが嫌って……本当に嫌がっているのかわからないことを言う」

 

「でもそんなことしてもらえるのは本当に今だけよ。小学生になったらもうしてこないだろうし、反抗期にでもなったら今度はゴミを見るような目で見られる可能性だってあるんだから」

 

「……確かに」

 

 無条件で親の愛を受け取ってもらえるのはこの数年の間だけであることに、ゲンドウは唐突に焦燥感を募らせた。

 普段はレイの方からスキンシップをしてきているから何とも思わなかったが、ユイの言うとおりだ。

 今でさえ一緒にお風呂に入っているが、徐々に違和感を覚え始めて入らなくなり、やがては触れあうことすら避け始めるだろう。

 今、父親として何をすれば愛を注げるのかと考えたゲンドウの身体はすでに動いていた。

 いつもの就寝するときの動きでベッドに潜り込み、ユイとレイの真横まで近づく。位置としては、左からユイ、レイ、ゲンドウ。

 そしてゲンドウは腕を伸ばしてレイの頭の上を通ってユイの背中の後ろまで回す。

 男としてはやや頼りない腕だが、それでもユイはそれに身を委ね、ゲンドウに寄り添った。

 ふたりに挟まれたレイが一瞬だけ「うにゅっ」と呻くのを聞いて、つい口の端が緩んでしまう。

 ゲンドウはこの小さな命があまりに愛おしくてたまらなかった。

 見る度に本当に自分の娘かと疑ってしまうほど可愛いらしい容貌だが、しっかりと『私の娘だ』と胸を張って言える。

 もし男の子だったらレイではなくシンジと名付けていた。しかしどちらにせよ、ゲンドウは間違いなく等しく愛しただろう。

 なぜなら、父にとって子供とは未来そのものなのだから。

 真っ直ぐユイとレイを見つめるゲンドウは、優しい声で囁いた。

 

「お前たちは……私にとってかけがえの無い、何よりも大切な家族だ」

 

 ……だから、これからたくさん幸せになろう。

 そう、ゲンドウは強く願いながら言葉を続ける。

 それを聞いたユイは、幸せに満ち満ちた笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところであなた、汗臭いからはやく出てください」

 

「……わかった」




鬼に堕ちて、長い長い眠りにつく。
おやすみなさい。
また逢う日まで。

これにて破は終わりです。
次は急。
文章力だけでなく、挿絵のクオリティも上げたいですね。
なるべくエタらないよう(未遂あり)頑張りますので、首を長ゲフンゲフン……どうぞよろしくですー。

それではまた次回!
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