それでも私は── 作:次作エヴァはきっと鬱エンド
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YOU ARE (NOT) FAKER.
厳重拘束、監視
ずっと、ずっと空を見上げる。
星々はそれぞれの輝きを放ち、遥か天蓋を美しく彩っている。
……ただそれだけ。
私はその景色を無感動に見上げている。
誰もいない浜辺。リズミカルに押し寄せる静かな赤い波。それがお尻のあたりまで波の足が伸びてきて、じんわりと砂に染み込んで消える。
ずっとそれの繰り返し。特にやることはなかった。だからここで時間を無為に過ごすことで、暇を潰していた。
ふと、立ち上がろうとした。でも長い間動かしていなかった身体はまるで言うことを聞かず、鉄の鎖で縛り付けられたようにビクともしない。まあそれならそれでいいやとあっさりと諦めようとしたが、それでも鉛のように重い身体を無理に起き上がらせた。
なぜそうしようとしたのかは自分でもわからない。なんとなくそうしたいという思いが湧き上がったから。
浜辺を歩く。のんびりと、歩き方を思い出すような足取りでふらふらとどこまでも進む。
目的地も、そもそも目的もない行動。しゃりしゃりとした砂の感触が足裏から伝わる。打ち上げられたワカメやらで時々面白おかしく遊び、満足したら歩行を再開する。
右手は海。左手には陸地。私はその境目を進んでいる。
いったい、いつから私はこのような状態になっているかは忘れてしまった。ただ、私という生物がこの星に生きることを許されている事実だけははっきり理解している。
果たして誰が、あるいは何が許可したのか。ふと後ろを振り返れば、そこには無限とも言える誰かの足跡があった。しかし間もなく波や風にあおられてそれらは消え、まっさらな浜辺に戻る。
ああ。
ここまでだ。
ここまでだったのだ。
私が今まで進んできた道のりは。そんな啓示に似た直感。
途端、だらりと身体の力が抜け落ちた。受け身すら取れずにその場に崩れ落ちる。
私という自我は辛うじて存在する。だがもう進めない。どれだけ頑張っても、ここまでしか進めないのだ。
何かが足りない。私を助けてくれる、何か──誰かが足りない。でもここには私しかいない。
そもそも他人という概念は私が消し去った。人間とは私である。単一個体を指す。
だからまたここで終わる。
やり直しだ。
ゆっくりと薄れ始める意識。
もう何度目かすらわからない。そうして繰り返して、繰り返して。結局は駄目だったと痛感させられる。
──そうしていると、私ではない誰かの足音が聞こえた。
ザク、ザク、と私よりはっきりと砂浜を踏みしめる音。とても力強い音。やがて私のすぐ横でその音が止まった。
「──私がやるよ」
誰、だ。
眼球を必死に動かしてその正体を視界に入れようとする。
「ゆっくり休んで」
頭を撫でられる。
髪の毛を触れられている感触は無かった。直接頭皮に触れられているような。
ああ、それもそうだ。
とうに私の身体はミイラのように干からびているのだから。もはや骨と皮しかない身体はあっという間に塵になっていく。
重さを失った魂はどこへともなく去るのみ。
私は最後の力を振り絞って、託した。
あとはお願い、と。
◆
私はすでに死に体だったミイラの最期を看取ると、代わりに歩き始めた。
誰にも到達できなかった世界。
予測不可能、何が待ち構えているのかわからない世界。
未知。
恐怖は無いといえば嘘になる。だって知らないものにひとりで立ち向かうなんて、簡単にできることじゃないから。
ならば逃げ出してしまえばいい。何もせず、ここで死ぬまでだらだらしていればいい。誰も私に干渉してこない、静かで穏やかなここで永遠に過ごすのだ。
悲しみや苦しみのない、幸せな世界。
楽しみも喜びもない、不幸せな世界。
果たして私は何を求めているのだろうか……というのは曖昧にしたい自分の心の現れで、たぶんはっきりしているのだと思う。ただ、それを自分自身でそうだと強く肯定してやることができないだけ。
しばらく歩いていると突然、黄金の霧が勢いよく眼前に広がった。前方から一気に押し寄せてきて、後方へと突き抜ける。
反射的に両腕を顔の前に持ってきたが、何らかのダメージなどは特になかった。なんだったのだろう、と首を傾げつつ前を向いた時、私はありえないものを見た。
十数メートルほど先に、ふたりの少女がいたのだ。
「────」
自分以外の人間の存在に私は久しぶりに感動を覚えながら接近しようとするが、ふたりからただならぬ空気を感じた。
しばし凝視して様子を窺ったが、私の足は無意識に動いていた。
「何やってるの!!」
なんと、片方の少女がもう片方の少女の上に馬乗りになって首を絞めていたのだ。
私は高く砂を蹴り上げながら走り、その勢いのまま馬乗りしている少女に体当りした。
「う、ぐっ……!」
急いで首を絞められていた方の少女の意識を確認すると、特に呼吸は乱れておらず、生死に異常はなさそうだった。
ちょっと無表情なのは怖いが。
私の体当たりの直撃を受けた少女は低い呻き声をあげながらふらふらと立ち上がった。死んだ魚のような目で私を見ると、ゆっくりとこっちに向かって歩き始める。
「……なんだ、君も生きてるんだ。誰かは知らないけど、ここは私が望んだ世界。だから誰もいらない」
今にも壊れてしまいそうな虚しさを漂わせた表情。長い黒髪をゆらゆらと揺らす様は不穏さを強調させる。
たぶん、話し合いは通じなさそうだなと思った。どうしようもなく心が廃れている時に、人の言葉なんて素直に受け取れる余裕があるはずもない。
ここでどれだけ少女を諭そうとしても逆に苦しめるだけになるだろう。自分の一方的な思想を張り通したがっているのだから、その衝動をなるべく受け入れてやるしかない。
私は両腕を大きく広げた。そして少女の到達を待つ。
向こうは両腕を前に伸ばし、私に接触した瞬間、躊躇いなく無防備を晒していた私の首を絞め上げ始めた。
「ぐ、ゥ……ぎぃ」
手抜きなど一切せず、本気で殺しにきている。
呼吸を奪われ、私は必死に少女の手を掴んで離させようともがく。
少女はこちらを見もせず、ずっと俯いている。
「死ね。死ね。死ね。皆死んでしまえ。誰もいなくなってしまえ。誰も私に優しくしてくれない。私を愛してくれない。そんな人たちはいらないんだから」
ふるふると震えているのは私と彼女、どちらの腕なのだろう。
目が充血し、視界がぼやけ始める。首から上が熱くなって、頭頂からゆっくりと冷たくなっていく。
私にこの少女は救えない。
なぜなら少女にとって、ここが終着点だからだ。これが未来であり、物語の終わり。ハッピーエンドかバッドエンドかというと、それは私にはわからない。
だってこれは、少女なりに足掻いて手に入れた報酬なのだから。
とはいえ私もここで大人しく殺されるつもりはない。力づくで抵抗すればこの腕を強引に退かし、そして逆に殺すこともできる。
だがそれをしない。
私はぐい、と少女の身体を強く抱き寄せた。
「何をっ!?」
少女の身体は私とだいたい同じ体格だった。違うところといえば、私より鍛えられているところ。
女の子らしい柔らかさを残しつつ、筋肉の主張が感じられた。
そして全く同じところは、命の鼓動に力がないことだ。
首を絞める力が少しだけ弱まった。呼吸をする僅かな余裕を取り戻す。
「…………」
「何で……何で今さら優しくするの!! 後戻りできないところまできてしまって、もう、そんなの欲しくないのに……ッ!!」
「…………」
「離して! 殺すよ!? 本当に殺すよ!? あ、ははは!! 私、一番たくさんの人を殺した人間なんだから。だから一人くらいどうってことないんだよ!?」
しかし威圧しようとするほど絞める力が弱くなっていっている。
その事実に気づき、少女は苦しそうに嗚咽を漏らし始めた。
私は澄んだ目で同じ高さにある少女の目を見つめる。
「…………」
「何か言って! 何でもいいから! 怒ってもいい! 呪ってもいい! だから、お願い……お願いします……私を見捨てないで……忘れないでください……」
ついに手が私の首元から完全に離れる。
ずるりと力なくそのまま崩れ落ち、地面に膝をつく。そしてしまいには啜り泣きを始めた。
隠そうとしない嗚咽。情けなく泣きじゃくる姿はとても胸を締めつけられた。
救いようのない結末。
これは、可能性のひとつ。
どのような道筋を辿ってここに至ったのかは訊かない。
その苦しみを共有されても、私には解決できない。SFチックに過去への逆行をさせられれば結末を変えることができるのかもしれないが、当然私にそんな力はない。
だから救わない。救えない。
「私、何が間違ってたの……? 頑張ったのに。一生懸命頑張ったのに」
うわ言のように呟く少女に口を開く。
「そんなの、私にはわからないよ。だって、君が何をしてきたかなんて知らないから」
「────」
絶句、というのはこのような顔のことを言うのだろう。
あらゆる感情の抜け落ちた顔でこちらを見上げ、その後、失意の念にぐったりと俯いた。
「私、行くね?」
「……どこに?」
「私の物語の終わりに。どこなのかはわからないし、どう行くのかもわからない。でも諦めずに足掻いて足掻いて、時々誰かの力も借りて進み続けたら。きっと辿り着けるはずだから」
少女の横を通り抜ける。
ずっと仰向けに倒れる赤い少女の横も通り抜ける。
私の居場所はここではない。もっと違う、別のどこかだ。
砂浜の砂が突風に一粒残さず消し飛ばされ、海は失せ、ソラは墜ちる。
「ああ…………そんな『強さ』が私にもあったら、こんな終わりにならなかったのかな」
ゆっくりと顔を持ち上げた過去は、そう悔しそうに儚い笑みを浮かべながら心情を吐露したのだった。
◆
カラカラカラ。
カラカラカラ。
何か軽い音が断続的に鳴っている。
小さな車輪の音……だろうか。
深いまどろみから這い上がるように意識が浮上し、底に沈んだ眠りからゆっくり、ゆっくりと目を覚ます。
生まれて少しの赤子のような気分で瞼を開き、世界を見る。
見るという行為そのものが懐かしすぎるせいか、視界が弱くなっている。
なんだか赤い下敷き越しに見ているような。凝視すると、視界の隅に何かの数値やらが集中している。
「心肺機能は正常です。四肢の麻痺は……まだ不明です。サルベージからしばらく経っているので時間の問題かと……はい、目は開いています」
特に何も考えずに起き上がろうとするが、身体がビクとも動かない。
触れられている感覚から察するに、金属質のバーが手首を巻き込んで腰と、足首にそれぞれ降ろされていて拘束具の役割をしている。
「え……? え?」
まるでわからない。
唯一動かせる首から上を左右に振って、周囲の状況を把握しようとした。
カプセル型のとても狭い部屋? の一室に私はいるようだ。私を拘束するベッドが部屋の大部分を占めていて、四隅には軍人のような暗色の服を着た男の人がそれぞれ立っている。彼らは私に向けて銃口を向け──
「ひっ!」
状況を理解した私は、その場から逃げるべく身体を暴れさせた。
しかし拘束具は過剰なほど頑丈で、びくともしない。
死ぬ? 殺される?
何か罪を犯したような記憶はない。目が覚めた途端に殺されるなんて理不尽な状況になっている経緯すらわからない。
何もわからない。何もわからないまま、終わってしまうのか。
「暴れないでください! すみません、一旦銃は下げてください」
明らかに男の声ではない、ソプラノの声。
ハッとして声のした方向を向くと、怯える私を見下ろす女性がいた。
女性と言ってもおそらく二十歳前後で、まだ少女らしさを強く残している。
水色のスカーフを首に巻き、黒いベレー帽を被っている。焦げ茶色のロングヘアで、前髪は左右に分けている。ほんの若干だけ垂れ目になっていて、やんちゃそうな面影がある。
泣きそうになっていた目元をそっとハンカチで拭ってもらう。
「大丈夫。大丈夫ですから。この人たちは絶対に撃ちません。だから安心してください。ゆっくり深呼吸して」
言われるがままに、落ち着きを取り戻すべく深呼吸をする。吸い込んだ空気は透き通ったような味がした。
そうして数度繰り返す内に、ようやく落ち着けた……と思う。どうしてこれほど厳重に拘束されているのかということ以外は。
「一応私の言葉は理解できるようですね」
そんな当たり前すぎる独り言を遠く聞きながら、視線だけを動かして女性に問いかけた。
「あの……ここはどこですか?」
「……言葉も話せるようです。意識に問題はなさそうです」
女性はどうやら私の状況の確認と、それを通信機で誰かに報告しているようだった。
狭い一室は高速で移動を続けている。おそらくレール上を電車のように走っている……のだろうか。
いや、そんなことよりも。
今の状況になっている経緯を──
「えっと……何があったんだったっけ……」
「……記憶の継続性は怪しいです。後ほど本人から直接ヒアリングを行ったほうがいいかもしれないです」
通信機を耳から離すと、女性は私の顔の真上に位置するパネルディスプレイを操作して、内側を鏡のようにしてみせた。
そこに映るのは、ひとりの少女の顔。
その首元には見慣れないチョーカーが巻き付けられていた。
真っ黒で、正面には二本の赤く太い線が横に入っている。ほんの少しだけ盛り上がっていて、それがただの飾りではないことがわかる。
皮膚に触れている感覚としては、布や皮などのような柔らかさはないが、柔軟性を持つ硬さは有している。
「これが誰か、わかりますか?」
数秒ほどディスプレイに映る顔をまじまじと見つめた私は、ぽつりと言った。
「えっと……これが私……ですか?」
◆
どこかに到着したようで、ストレッチャーと一緒に運び出された私はされるがまま連れて行かれる。
銃口を向けられることはなくなったが、まるで犯罪者を護送する人のように私から目を離すことは決してない。
少し複雑な気分だ。
あれこれと訊きたいことが山ほどあるのだが、そのような空気ではないことは肌感でわかる。
私が運び込まれたのはドーム状の空間だった。首の可動範囲が制限されているためすべてを見渡すことはできないが、かなりの広さがある。
壁には蜘蛛の目のようにシンメトリーに配置された丸い窓があり、外はどうやら赤いようだ。少なくとも夕焼けの赤ではなさそう。では何かとなると私にはわからない。
そして何より驚くべきは、見たことのないような機械類で満たされていることだ。ドームの天井から下に伸びる太い背骨のような鉄骨から足を伸ばすように複数のアームが伸び、その先端にシートが備わり、人が座っている。
とりあえずここは……私が寝覚めたここは、一般的な場所ではないことがわかった。
矢継ぎ早にやってくる報告を聞きながら、手元の電子デバイスを素早く操作してスタッフが作業をしている。
拘束台の移動を終えると、ベレー帽の女性は全体を見渡せる高い位置で腕を組んで立っている女性に話しかけた。
「検体、BM-03、拘引しました」
「了解。拘束を解いて」
抑揚のない返事と指示に従い、女性は私を拘束していた器具を解除した。ガシャン、と音を立ててバーが上がり、身体が自由になった。
「下がっていいわ」
起き上がっていいのだろうか。数秒ほどの悩んだが、大丈夫だろうと判断して徐ろに身体を起こそうとした。
しかしその瞬間、明らかな違和感に気づいた。
「え、あ、あれ……脚、が……?」
動かない。
というより、感覚がない。
それになんだか腕も動きが鈍い。特に指先は細かい動きができない。
なんだこれは。拘束されていたから身体が少し痺れているだけなのか? それにしては限定的すぎるし、症状に違いがあるのがおかしい。
となると、私には何か病気があるのだろうか……?
何度か脚に触れて擦ってみるが、まるで何も感じられない。怖いくらいに。まるで存在が死んでいるかのようだ。
だが上半身を起こすことはそこまで難しくない。掌を台について、ゆっくりと起き上がらせた。
先ほど指示を出した女性が地位の高い人なのだろう。赤い軍服を羽織る立ち姿から漂う雰囲気は、とても強そうだった。ここからだと斜め後ろからしか見えないのが残念だ。
「……?」
そして何やら私に視線が向けられていることに気づく。
ふいと視線を向けると、スタッフたちが私を見ているようだった。
確かに部外者である私が来たのだから奇異の目で見られるのは仕方ないのかもしれないが、それだけではないような気がした。
なんというか……憐れみや憎しみといった、あまり良くない感情の色味が混じっているよう。
比較的若そうなピンク色の髪色の女性はあからさまに私を睨みつけている。
私……あの人にすごく迷惑なことをしてしまっていたのだろうか。
……圧倒的アウェイ空間。
それがこの場所の印象だ。
「碇……カノンちゃんでいいのよね」
女性はすぐ横に立っている短髪の金髪女性に確認するように尋ねた。
「そうね。物理的情報ではコード第三の少女と完全に一致。生後の歯の治療跡など身体組織は、ニアサー時を100%再現しているわ」
「じゃあ身体的障害は? サルベージ時にすべて修復されたはずよね」
「ええ。その通りよ。でも脳がまだそれを認識できていない可能性が高いわ。根気強くリハビリをすれば、自然と日常生活を送れるようになるでしょう」
「そう……良かったわ」
そこでちらりと僅かにこちらに顔を向けた。
女性はややごついサングラスをかけており、かつ無表情のせいで表情はまるで読めなかった。
「で、記憶喪失の方は?」
「それは不明ね。初号機覚醒時に確認された意識の混在が影響しているかも。記憶が戻るかどうかは今のところはなんとも」
「了解」
「なお、深層シンクロテストの結果は分析中」
「頸部へのDSSチョーカーは?」
女性は今度こそ身体の向きを少しだけだがこちらに向けた。
サングラスの奥の瞳に私がどう映っているのかはわからない。
「すでに装着済みよ、葛城艦長」
あまり聞き慣れない名称を理解するのに、数秒の時間を要した。
艦長と呼ばれているということは、ここは船内なのか。
そうしてぼんやりしている間に装着されているチョーカーから電子音が鳴る。
「ん? んん?」
その間にも金髪の女性がコントローラーを操作してアクティブに切り替える。
「作動正常。パスコードは艦長専用に」
そしてコントローラーは艦長に手渡される。
「了解」
ようやく一連の会話が終わったようだ。
用があって私がここに連れてこられたのだろうが、向こうから私に声をかけてくる様子はない。疎外感を覚えた私は、おずおずと口を開いた。
「あの……?」
一瞬、水を打ったように場が静まり返る。
断続的に飛んでくる通信連絡が場を再開させ、スタッフたちが仕事を再開させる。
私が気づかなかっただけで、タイミングが悪かったのだろうか。
「……碇カノンちゃん」
艦長は低い声で呼びかけてきた。
その名前がすぐに私のものであると理解することができず、反応が遅れてしまった。
「……あ、はい。ごめんなさい。それが私の名前なんですよね」
「ええ。少尉から話は聞いています。あなたの身柄は我々が保護します。以後、スタッフの指示には必ず従うように」
「わかり……ました?」
随分と一方的な命令だが、ここで変に反発する意味はなさそうので大人しく従うことにする。
「面会終了。彼女を隔離室へ」
「えっ」
あまりに呆気ない、面会とすら言えるかどうかわからないコミュニケーションを終了させられてしまった。
普通ならここから自己紹介とか、ここがどこだとか、私がどうして記憶喪失になっているかだとか、そしてこれからどうなるかだとかの説明がされるべきではないか。
艦長という一番偉い地位の人だから忙しいかもしれないが、これはあまりに不親切ではないだろうか。
だから、私が直近で思った疑問をひとつだけぶつけてみることにした。
「艦長さん、私のこの首のってなんですか? 外せないんですけど……?」
頑張ってチョーカーの端に指を潜らせて引っ張るも、まるで取れない。ピンなども触った感じだとどこにもないし、完全に外す手段が見当たらない。
ファッションとしても、黒いチョーカーというのはあまり受け入れ難い。
「それを外すには私の許可が必要です。そして私が許可を出すことは決してありません」
「……?」
よくわからないまま首を傾げる。
艦長の持つコントローラーの操作に連動して電子音が鳴ったから、このチョーカーには何らかの機能があるのだろう。
説明が足りないのではと思って食い下がろうとしたが、先程のベレー帽の女性にそこはかとなく横に入られる。
「さ、行きましょう碇さん。実は今警戒態勢中なんです。皆さんの邪魔をしないようにしましょう」
再び台座に寝転がるように促され、私は黙ってそれに従う。
すると連れてこられたときと同じように拘束用の金属バーが降ろされてまた全身を拘束されてしまう。
「どうしてこんなことするんですか? 私、別に暴れたりしないですけど……?」
「念の為ですよ」
「……?」
念の為だとしてもここまで厳重にする必要はないと思うのだが、果たして真意はどこにあるのか。銃を持った男の兵士たちも、銃口をこちらに向けることはなくなったが、一瞬たりとも目を離さないとばかりの凄まじい眼力で私を見下ろしている。
不気味な処遇だが、なんとなく私が一般的な扱いをされていないことは理解できた。
ストレッチャーに乗せられた私はそのままそそくさとその場から連れ去られる。比較的廊下の広さは確保されているため、通行に支障はなさそうだ。ただ、すれ違うスタッフの人に見られるのはなんだか恥ずかしかった。
ここは何らかの施設であることは予想していたが、最新の設備を備えているのは目的地に到着するまでによく理解できた。隅々まで清潔感が行き届いており、私の知らない機械などが目まぐるしく視界に入ってきた。
やって来たのは、鉄格子で区切られた独房だ。
出入りをする扉に南京錠のようなものはなく、代わりにカードリーダーがあった。
ベレー帽の女性は服の内に垂らしていたIDカードを出してそれにかざした。するとピ、と電子音の後にガシャン、と扉の開く音が鳴った。
「ストレッチャーごと中には入れられないので、一旦起こしますね」
そう言うと拘束具が再び外され、私はもう一度自由になった。
頑張って先ほどと同じように上半身は起こしたが、そこまでだ。下半身は一切の脳の伝令を受け付けず、石像のように動かない。
「……すみません、脚が動かなくて」
申し訳無さそうに謝ると、女性は「大丈夫ですよ」と小さく笑いながら答えた。
「私が運びますので、くれぐれも暴れないようにしてくださいね」
「え?」
聞き間違いかと思っている間にも私の背中と膝裏に腕を滑り込まされ、ひょいと軽々と持ち上げられてしまった。いわゆるお姫様抱っこというものをされ、私は赤面しながら口だけで抵抗した。
「お、重いですよ……!」
「これくらい大丈夫です。これでも軍人なので、この重さなら全然抱きかかえられますから」
「降ろしてください……恥ずかしい、ですよぉ……」
「ダメです。それとも男の人に代わってもらいますか?」
言われてチラリと視線をずらして銃を持つ男の人たちに向ける。
ちょっと雰囲気が怖いから、この人にしてもらったほうがまだマシなのは否定できない。
独房の中に入り、そこにあるベッドに寝かしつけられる。一応枕と掛ふとんはしっかりあるようで、安心して眠ることはできそうだ。女性は掛ふとんまで律儀に掛けようとしてきたが流石にそこまでは丁重にお断りした。
「移動用の車椅子は今日中に配布しますね。さっきのストレッチャー同様、拘束具はつけさせていただきますが。その両脚の麻痺は完治が可能なので、これから定期的にリハビリをしていきます。手も同様です」
このよくわからない状態の脚と手が治ると聞いて、私は安堵のため息を吐いた。
「よかった……リハビリよろしくお願いします」
「…………ええ。それでは私たちはこれで。しばらく警戒態勢が続くので、絶対に安静にしていてくださいね」
「はい、わかりました」
女性はうんと頷くと、私を置いて独房から出た。同時にロックのかかる音が鳴った。
これでもう、私がここから出ることは絶対にできない。誰かの許可がない限り何もできない。
誰かに自由を征服されるというのがあまりに非現実的すぎて、実感がわかない。こういうのを危機感がない、というのだろうが、目覚めてからの現在までを振り返ると仕方のないことだろう。
やがて独房の前から誰もいなくなった。
とても静かで、微かに聞こえる空調の音と、私自身の息遣いしか聞こえない。
途端に、もし誰も来なかったらどうしようという恐怖に襲われた。独房の広さは非常に狭く、今私が寝転がっているベッドがあとひとつあればそれだけでいっぱいになるほどだ。あとは流し台と、ベッド脇に設置されている簡易トイレのみ。
閉塞感に苦しめられるフェーズには陥っていないが、長時間放置されるとどうなるかわからない。
こちらから外部に連絡する手段は何もない。
「……怖いよ」
仰向けで、白い天井を見上げたままポツリと呟く。当然誰も反応しない。寂しくてちょっと泣きそうだ。でも小学生ではないから我慢する……そういえば私は年齢的に中学生なのだろうか? それとも高校生?
本当に何もわからない状態。ここがどこかわからないし、そもそも私が誰なのかもわからない。ここに人たちからは敵視されているような節があるし、何がどうなっていて、これから何をすればいいのかがわからない。
とにかく安心できる何かが欲しかった。
枕の上にある掛ふとんに手を伸ばし、温もりを求める。しだいに私の体温に温められたそれから、僅からながら安心感を得られた。
しばしもぞもぞと身じろぎをして一言。
「──寝にくいな」
寝返りのできない身体に、小さく悪態をついた。
カノンちゃんは監禁されました
本人にその自覚はあまりなし
それではまた次回!