それでも私は── 作:次作エヴァはきっと鬱エンド
過去を見失い。
今が解らず。
罪があるのみ。
大変お待たせしました
小学生の頃、車に轢かれたことがある。
クラスメイトにお母さんを馬鹿にされたことが悔しくて、怒って、下駄箱で喧嘩をしたあと飛び出すように校門を出たところを──。
打ちどころが悪かった──なんてことはなかった。
非常に幸運なことに、数日ほど入院しただけですぐに日常生活に復帰できるほどの軽症だった。医師たちに身体が鋼でできているのではないかと疑われたくらい。
退院した私を出迎えた伯父夫婦は、目を逸らしながらおかえりと言った。
◆
妙に身体が硬いような印象。
そういえば、ここは知らない寝床だったか。
パチクリと目を覚まし、ごしごしと目を擦ることでぼやけていた視界を普段通りに戻す。そしておそらく普段通りでないのは、両脚。自分の意志で動かすことができないため、わざわざ手で掴んで動かさなければならない。
喉が渇いたし、お腹も空いた。
きゅるる、と控えめなお腹の虫が鳴り、私はお腹をさすりながら狭い部屋をキョロキョロと見回した。
相変わらずの独房のような狭い部屋。明かりは十分行き届いているから暗い印象は持たないものの、非情に簡素という印象は持つ。
ドアはロックされているから外に出られないし、こちらから連絡をする手段もない。特にやることもないため再び目を閉じる。
恐ろしいほどの静寂。自身の微かな呼吸音のみが聞こえる。
これからどうなるか。漠然と考えてみる。
原因は不明だが私はどうやら記憶喪失らしい。だから碇カノンという名前を忘れていたようだ。この場合は警察とかに行ってなんとかしてもらわないといけないのだろうか。だがこの施設での私に対する扱いは、丁重ながらもどこか刺々しい。敵視すらされている節がある。容易にスタッフたちと友好的になれるかどうか怪しい。変に刺激しないよう、大人しく従順な子でいるべきだろうか。
…………不安だ。
そして二度寝に突入する。
◆
次に目を覚ますと、なぜかさっきいた狭い部屋ではなく、トレーニングルームのような空間へ移動させられていた。あの例の台に拘束された状態で。
すぐ隣で誰かが私を見下ろしている。
「あ、碇さん。起きたんですね」
私がここに来てから一番コミュニケーションをとっている女性だ。華やかな笑みをこちらに向け、慣れた手付きで拘束具を解いてくれた。
女性の補助を借りながらゆっくりと上半身を起き上がらせる。
やはりと言うべきか、改めて見渡してもここがトレーニングルームであることは間違いなさそうだ。よくあるレッグプレスやショルダープレスなど、あまり筋トレに明るくないがひと通り器具は揃っているように見える。部屋の広さは大きめの道場くらい。
「いっせーのーでで移りますよー」
すぐ横に運んでてきくれた車椅子に、一緒に掛け声をかけて乗り移る。腕だけの力ではとても難しいため、腰と膝裏を支えてもらいながらようやく乗り移ることに成功する。
近いうちに自分でできるようになってもらいますからね、と言われ、少し恥ずかしげにはいと頷く。
「先日お伝えした通り、これから定期的に碇さんのリハビリを始めます。今日は脚をほぐすマッサージをメインにしますねー」
「あ、はい……よろしくお願いします」
スリッパを脱いで、裸足を差し出す。
病衣もふくらはぎくらいまで上げて、マッサージしやすいようにしておく。
そっと割れ物を扱うかのように手が私の右の太腿に触れる。
「何か感じますか?」
「特に……何も感じないですね……」
「なるほど。碇さんの身体はサルベージされたことによってかつての身体的障害が回復しています。ただ、身体は大丈夫でも碇さん自身が慣れていないので今のような状態になっています。なので日頃からたくさん刺激してあげることによって段々感覚を取り戻していくはずです」
「は、はあ……ちなみにそのサルベージって、何ですか?」
もみもみとリズミカルに私の太腿をほぐす女性の穏やかな顔を見下ろす。
女性は薄っすらと目を瞑り、どこか遠くに意識を向けるように口を開く。
「サルベージっていうのは、エヴァに取り込まれた人を現実世界に引き戻す作業です。一般的には沈没船とかの引き上げ作業を指す言葉なんですけど」
「取り込まれたって……私、そのエヴァっていうものに何かされたんですか?」
「された……というより、した……ちゃうかな」
「えっと……?」
「本当はこのまま何も思い出せないで、ここでずっと管理されるほうが皆も碇さんも幸せやねんけどな」
「?」
明らかに不穏な発言ではあったが、その声には何とも言えぬ辛さが滲んでいるように感じ、私は反射的に発しようとした言葉を寸前で飲み込んだ。
このトレーニングルームは比較的に広いが、今は誰も利用していないようだ。そこに私たち二人だけがいるとなるとなんだか沈黙が辛くなってしまうが、だからといって私から何かを話しかけるような積極性はなかった。と終わろうとしたが、聞きたいことが山のようにあることを思い出した。
「あの……」
「ん?」
手はマッサージを続けながらこちらを見上げる。
「その、結局のところ私って今どういう状態なんですか? ここがどこなのかもわからないですし、私がどうして記憶喪失になっているかもわからないんです。それに……ちょっと言い難かったんですけど、皆の視線があまり……その……」
「…………」
女性は僅かに視線を反らした。
「あの?」
「碇さんの思っている通り、碇さんのことをよく思っていない人はたくさん……いえ、ほぼ全員です。ですがそんなことになっている理由を私からは話せません。近々艦長から説明があるはずなので、それまで待っていてください」
サングラスをかけ、冷ややかに私を見下ろしたあの人の姿が脳裏をよぎる。
第一印象は……正直なところあまり好ましくはない。
「そんなに話せないことなんですか?」
「それは……そんなことはない、んですけど、そう簡単なことじゃないんです」
これ以上食い下がると不快感を抱かれるだけになるだろうから、この話題についてはもう触れないでおくことにした。
「お姉さんも私のことをそう思ってるんですか? 仕事だから仕方なく私の相手をしてくれているだけで」
女性は数秒ほど無言でマッサージを続ける。
少し、指に力が入ったように見えた。
「まあ、ないと言うと嘘になりますよ。でもだからといって責める資格は私達にはないんです。それどころか本当は感謝しないといけない。だから、その板挟みにあってどう対応すればいいかまだはっきりできない……というのが私の気持ちです」
「感謝、ですか」
過去の私がしたであろう悪行を、今の私が記憶喪失だからという理由で容易に裁けない。だから誰も私を直接非難することができない。
ではたった今耳にした感謝とは、いったい。
悪人に見出す感謝とは。
これも同様に安易に深堀りしてはいけなさそうだったから、口を噤むことにした。
マッサージは続く。
足の甲と裏をググ、と指の腹で圧迫し、脹脛を入念に揉み、そのままゆっくりと足の付根に向けて進んでいく。
そして丁度付根の少し手前の部分で。
「ぁ、ん」
ほんの微かだが、何か気持ちのいいものを感じた……様な気がした。
私の声に反応した女性はさっと顔を上げ、驚きの混じった表情を見せた。
「今……感じました……?」
ぱちりと目が合う。
そっと視線を外し、私は自分の脹脛のあたりに手を伸ばして触れてみた。そのままスス、と流れるように太ももへと移る。
……確かに、感じてるとは明確に断言はできないが、微かにピリピリとした感覚が肌の表面を傳う感覚を得た様な気がする。
すかさず自分の手で同じように数度ほど試したあと、口を開いた。
「たぶん……はい。ほんのちょっぴりではあるんですけど、たぶん感じることができました」
ものすごい感動、というものは残念ながらなかった。私の脚は正常であると認識しており、それが今この瞬間まで続いていたのだから、当然の感覚として受け取っただけなのだ。
「良かったですね碇さん! この調子でリハビリを続けましょうね。このマッサージの方法なども教えます。そうしたら近いうちに以前のように歩けるようになりますから」
「そうですね。お姉さんのおかげです」
「お姉さんだなんてそんなそんな。碇さんにははやく元気になってほしいだけですから」
あ、この人は好きになれそうだな、と思ったのはこの瞬間だった。
屈託のない笑顔を向けられるのは目覚めてから初めてのことだったから、少しチョロくなっているのかもしれない。という自覚もある。
そしてふと、背中に誰かの視線を感じた。
ゆっくりと振り向くと、トレーニングルームの出入り口で壁に寄りかかったまま腕を組み、こちらを見ている少女がいた。
ブロンズの長髪。目元はキリッとしていて蒼い目。モデルにも負けないほどのスレンダーな全身を真っ赤なツルツルした質感のスーツで包んでいる。
見たことのないデザインの服が気になっていると、少女は機嫌を悪くしたのか、私にも聞こえるように「チッ!」とあからさまな舌打ちをし、踵を返して消えた。
「…………」
私、なにか悪いことをしたのだろうか。
したといえば、人の服装をジロジロ見てしまったことだろうか。何かのコスプレにしか思えなかったから気になるのは仕方ない。
「大丈夫ですよ碇さん。たぶんあれ怒ってないですから」
「え、怒ってないんですか? 間違いなく怒ってますよあれ。あとでちゃんと謝りに行ったほうがいいんじゃ……」
「そんなことしたら怒られますよ、きっと」
「えぇ……」
地雷の位置がよくわからないから、ひとまず言う通りにしておいたほうがよさそうだ。
「脚の改善は見受けられましたが、手や腕の方はどうですか? 以前は軽度の麻痺があったと診断書にあるのですが」
視線が腕に移り、私は自然と目の前で腕を動かしてみせた。
ぐるりと一周させ、手のひらを開いたり閉じたりをし、そして指を曲げたりもする。特に脚と同じ症状はない。軽度の麻痺なるものも違和感はない。
私の様子を職人顔でしばらく眺めていた女性は、真面目な顔で大きく頷くと今度は私の腕を掴んだ。
脇の部分から手首を超えて指先まで触診していく。視線で問われ、私は「問題ないですね」と伝える。
元より軽度の障害であったことが幸いしたのか、腕に関しては完治と言っていいレベルと判断をしてもらえた。
「今日はこのあたりにしますか? 治ってきていることは確認できましたので、明日から本格的にリハビリを始めようと思うんですけど」
脳内で日程について考えているのだろうか、女性は軽く天井を見上げながら私にも聞こえない独り言で指で何かを数えている。
「私って結局のところ何したらいいのかわからないですし……だからといって何もしないのはちょっと暇なので、お姉さんさえ良ければ、もう少し付き合ってほしいです」
「了解っ。私も時間は問題ないので、それじゃあ無理のない範囲で続けましょうか」
陽気に答えた女性はすくっと立ち上がった、その瞬間。
私たちの和やかな雰囲気を砕くようなけたましい警報が、トレーニングのスピーカーから突然流れ始めた。
明らかに聞いたことのない警報だが、何やら緊急事態が発生したのだとは瞬時に理解できた。
咄嗟に女性に状況を聞こうとして顔を持ち上げると、混乱しきっている私とは対照的に、気を引き締めた顔をしていた。
『ネーメジスシリーズの接近を確認。全艦、第二種戦闘配置! 補給作業を中断し、乗員移乗を最優先!』
警報が止むと同時に、男の人の声が流れる。
言葉を聞き取ることに問題はなかったが、そのほぼすべてを理解することはできなかった。
ただ、戦闘、という言葉だけは身体全体が質量のある重さとしてのしかかってきたのをはっきりと感じた。
すぅ、と体温が上がり、目が見開かれる。まるで試合前にアスリートがする武者震いのそれだ。
無意識的にそうはなったが、何をすればいいのかわからない私は助けを求める目で女性を見た。すると、「大丈夫。大丈夫ですから」とぽんと頭を撫でられた。
「安心してください。私が碇さんを必ず守りますので。……といっても私が直接何かをすることはないので、大人しくしているだけですけどね」
てへ、と可愛らしく舌を出したのは、この人なりに私を落ち着かせようとしてくれた形なのだろう。
さっと変わった緊迫した面持ちで私の乗る車椅子のグリップを掴み、トレーニングルームを後にする。
この施設の全体像は何も把握できていないが、結構広いことが予想できる。通路は細く長く続いているし、入り組んでもいる。部屋も、小部屋と、艦長と会った場所のような、ある程度の人数が集まって何かしらの作業をする大部屋を複数見かけている。
私の知る限り日常ではお目にかかれないような最先端技術を利用しているっぽいが、それ以上の推測は今はできない。
通路を行き交うスタッフたちは、見るからに雰囲気がピリピリしている。時折私を見る人もいるが、特に無反応でそのまま小走りに去っていく。
戦闘、と警報では伝えられていたが、スタッフたちの体格を見る限りとても屈強とは言えない人たちが大多数を占めている。
ではこれから何が起こるのか──。
「着きました! ここで待機してやり過ごしましょう」
私たちが駆け込んだのは、先程のトレーニングルームよりふたまわりほど小さな、学校によくある保健室くらいの大きさの部屋だった。
とはいっても本格的な医療機器が備わっており、どちらかというと医務室と捉えるほうが正しそうだ。
「戦闘とはいっても私たちにできることはありません。戦闘員じゃないので。でもここにいたら何かあったときにすぐに治療できます」
医療機器の点検を始める女性を尻目に私は頷く。
「なるほどです」
「たぶんよくあるやつなので、これまで通り、当該区域からの離脱になるでしょうね」
「離脱? 離脱でしたらこんなところでのんびりしてないで、はやく外に行ったほうがいいんじゃないですか?」
「あー。そういう心配は大丈夫です。この施設そのものが移動をするので!」
「ん……? ここって建物じゃないんですか?」
特に深い理由も根拠もない憶測はどうやら違っていたようだ。
何らかの軍のような組織であることは間違いないから……という流れだったのだが。となるとこの施設一帯が巨大な何かとなると、無難なのは巨大船だろう。そして戦闘などと言う不穏なことも放送されているので、巨大戦艦と言ったほうが正しいか。
……いったい何と戦うのだろう。
「すみません、そういえば戦闘っていうのは何と戦うんですか? 私の知らない間に日本が外国と戦争をしているとか……ですか?」
女性は点検をする手をピタリと止めた。
ゆっくりとこちらを振り向き、私に鳩が豆てっぽうを食らったような顔を見せた。
数秒ほどの硬直後、再起動した女性は諭すように口を開く。
「いえ、そういうんじゃないんです。国とかそんなんじゃなくて、人類の存亡をかけた戦いなんですよこれ。それで今襲ってきているのはきっとネ──」
少し関西っぽい訛りのある返事を最後まで聞き取ることはかなわなかった。
突如。
それほど強くはないものの、床に押し付けられる重力を感じた。車椅子の手すりを握り、正体不明の重力に耐える。
これが何を意味するのか私には分からなかった。敵から攻撃を受けたのかと思ったが、そうだとしたら強い衝撃が襲ってくるはずだ。それがないということは、別の何かが起こっている。
女性はあからさまに度肝を抜かれた様子で、高い声で叫んだ。
「え、飛ぶん⁉ まさかヴンダーで倒すん⁉」
少しすると身体にかかる力から解放され、ふと軽くなって一瞬だけ浮き上がる感覚になった。
その後緩やかにそれは治まり、平常に戻った。
「これって大丈夫なんですか……⁉」
私は焦りのままに尋ねた。
「大丈夫……だとは思います。葛城艦長が勝算もなしにヴンダーを発進させないでしょうし」
「ヴンダーってなんですか⁉」
「この艦のことです。ヴンダーは空を飛べるんですよ!」
それって宇宙◯艦ヤ◯トですよね⁉ などというツッコミを入れたい気持ちをぐっと堪え、ひとまずは飲み込むことにする。
そんな馬鹿なことを言える状況ではない……はずだ。
しばらく息を潜めている間にも、数度ほど大きな衝撃が部屋全体を揺るがした。
果たしてどんな戦いが繰り広げられているのかは何も分からないが、ただ非常に激しいものであることはわかる。
そうして私の恐怖心を薄れさせようと女性がヴンダー(どうやら空を飛ぶ戦艦らしい)の簡単な説明をしている内に、
『状況終了。担当員はこれよりヴンダーの損傷箇所の修復に移れ』
との艦内アナウンスが入った。
◆
「──さて。今まで放置気味で悪かったわね。これまでのあなたについてと、これからのあなたの処遇についてに説明をします」
この面会室を隔てるガラス板の向こうで、パイプ椅子に座る短髪の金髪女性からそう告げられた。
前日の出来事から一夜明けて呼び出されたわけだが、非常にフラットな口調で淡々と話が始まる。
金髪女性から少し後ろに離れた位置で、艦長がキャップを目深に被り、腕組みをしながら壁にもたれかかっている。
昨日からお世話になっている女性は私の横に立っている。
場の空気があまり良くないのは直感で悟った。
「まずこれは確認なのだけれど。あなたは本当に記憶喪失なのね? 以前の記憶は何ひとつ覚えていないのかしら」
「あ、はい……すみません。私がどこで何をしていたのかは……何も覚えてないです」
「そう。では私たちのことも覚えていない?」
「はい……ごめんなさい」
「謝らなくていいわ。仕方ないもの」
ハキハキと会話を進める女性は次に手元のデバイスを操作した。その瞬間、ただのガラス板だと思っていた壁の一部が通常の液晶パネルのように暗転し、複数のウィンドウを表示させた。どれも動画や写真がメインで、どうやら過去の私が登場しているようだ。
それは、学校で授業を受けている風景や、友達と何気ない会話をしている場面、さらに下校しているところなどといった日常を写したものだった。
私の知らない私……。
何とも言えぬ感覚だ。私と同じ背丈の人物が私の容姿を真似して演じていると言われたほうが納得できる。
そして次は先程の日常とはガラリと変わり、普通に生きていればまず身に着けないようなぴっちりスーツを纏う私が映された。
誰かから説明を受けて威勢よく返事をすると、小走りで金属の床を走っていく。その後を追うようにカメラも追う。映像の中の私が立ち止まったのは、巨大な鬼の顔の前だった。首から下は赤い液体に沈んでいて、動く気配はない。
「え……何これ」
巨大……ロボット。
場面が変わり、街の夜。
点々と光るビルは実は普通のビルではなくて、超巨大な重火器が内蔵されていたり、ミサイルなどを発射したりする特殊な建造物だった。
地面の一部が口を開け、身体をロックされた状態で地下からロボットが搬送された。
夜闇に鋭い眼光を迸らせ、ロックが解除されると同時にだらりと前のめりになり、眼前にいる巨大な敵に向かい始める。
「これがあなたの出撃の記録、その一部よ」
「……え? これ……え? ロボット……戦ってるのって、もしかして私がこれに乗ってるのですか?」
「そうよ」
「────」
溜めのない肯定に言葉を失う。
この人たちは私を騙そうとしているのではないか? そんな疑いを抱いてしまうほど、見せられたものは受け入れがたいものだった。
巨大ロボットが巨大な敵と戦う? 私がぴっちりスーツを着て、そのロボットに乗って戦っていた?
アニメやマンガの世界の話ではないのか?
突如として私の中でこの人たちに対する警戒度が跳ね上がった。ただでさえ何も知らない今の私は、非常に嘘の情報を刷り込ませやすい。仮に事実だとしても、この人たちが一般人ではないことは間違いない。
「何か思い出したかしら?」
驚きはしたものの、そこから記憶が刺激されるようなことは起こらない。
首を横に振ると、女性はこれといった反応はせずに、さらに映像や画像を見せながら説明を続けた。私がどんな女の子で、どんなことをしていたのか。ネルフという組織に所属していて、そこでエヴァという巨大な人造人間のパイロットとして、人類を滅ぼそうとする使徒と戦っていること。
私の脚が不自由なのも戦闘による後遺症(実は他にもあったらしい)で、さらにはパイロットであることが世間にバラされて人間不信に陥ったこと。しかしそれでも戦うことを選び、その結果、私がニアサードインパクトなるものを起こした。
やはりあまりにも現実離れした事実だったが、説明が非常に上手だったのでおおよその理解はできた。
「現在、初号機は本艦の主機として使用中。ゆえにパイロットは不要です」
ワニのような頭をしたヴンダーの機体がパネルにワイヤーフレーム表示され、分解されていく形で腹部がアップされる。
「あなたの深層シンクロテストの結果が出ました。シンクロ率は0.00%。仮にあなたがエヴァに搭乗しても起動しません」
いくつかの色を帯びたラインが調和を取れずにゆっくりと波打っている。そして0.00%という数値が確かに表示されている。
「良かったですね、碇さん」
すぐ横の女性が安堵とともにそう言うが、いまいち実感がわかない。
「は、はあ……」
シンクロ率というものがゼロであることに何の利点があるのかわからないが、とりあえず悪くはない意味だろうから素直に受け取っておくことにする。
「……とはいえ、先に突如12秒間も覚醒状態と化した事実は看過できません。ゆえにあなたにはDSSチョーカーを装着させてあります」
金髪女性が変わらぬ声色で説明を続ける。
次にパネルに表示されたのは、どうやら私の首に装着されているらしいチョーカーのようだ。チョーカーの中身は、正方形に固まった奇怪な無数の記号たちが列を為して循環している。
「これは……なんですか?」
「私たちへの保険。覚醒回避のための物理的安全装置。私たちの不信と、あなたへの罰の象徴です」
「罰……?」
突然危険な言葉が並べられ、私は黒いチョーカーに触れながら言葉を反駁した。
「エヴァ搭乗時、自己の感情に呑み込まれ、覚醒リスクを抑えられない事態に達した場合、あなたの一命をもってくい止めるということです」
「それって……私が死ぬってことですか?」
「否定はしません」
「────…………」
もう一度チョーカーに触れる。
初めに触れたときは変なの、なんて思っていたが、とんでもない危険物だったのか。
これはただのチョーカーなどではない。私を縛りつける首輪だ。
肌に張り付いているような見た目だが、単なる質量ではない、もっと別の精神的な重みを感じた。
わからない。わからない。
いきなり不信とか罰とか言われてもわからない。だって、そのニアサードインパクトというものもろくに知らないのだから。私が起こしたらしいが、『今の私』にその記憶はない。だから謂われのない冤罪だ。
──なんてことを言って通じるような雰囲気ではない。
すでに三人は私の出方を窺うような素振りを見せている。ここで変に暴れたらそれこそ本末転倒だ。
でも、それでも。
……圧倒的情報量と、突きつけられた残酷な事実を受け入れられるほど私は強くない。
「ぁ、ぇ……、っ」
いつの間にか病衣の袖を濡らしていることに気が付き、隠すように急いで目元を拭った。
「ご、ごめんなさい。ちょっと……その……。ぅ」
「…………」
死というのは、こう、老衰などで穏やかに諭されるものではないのか。あるいは突然死。
なのにこれは何だ。私の命がこの人たちに握られている現実は。
落ち着こうとすればするほど感情が大きく揺れ、不安定になってしまう。
私は勢いのままに、なおもこちらを見向きもせず微動だにしない艦長に話しかけた。
「艦長さん、これって現実なんですか? 私、わからないです。なんにもわからないです。このチョーカーを外してください……。お願いします……なんでもしますから……」
しかし艦長は口だけを動かした。
「先日も言ったように、私がそれを外す許可を出すことは決してありません」
「…………私はこれから、何をすればいいんですか? 何か皆さんのお手伝いをすることになるんですか?」
「サルベージによる身体的障害の改善は確認できたので、引き続きリハビリに励みながら記憶も思い出していきなさい。それ以外に関しては、あなたはもう何もしないでいい」
「何も?」
「ええ、何も。基本的には彼女の指示に従いなさい。──少尉、この子に官姓名を」
「はい!」
少尉と呼ぼれた女性は畏まった返事をすると、脇に挟んでいたバインダーを前に移動させ、ぺこりとお辞儀をした。
「えっと、今更ですが碇さんの管理担当医官、鈴原サクラ少尉です。よろしくです」
「は、はい」
「さっきパネルに映ってた、碇さんの友達の妹です」
ほら、このジャージの格好をしたいかにもって奴がお兄ちゃんです、なんて解説を付け加える。
確かにパネルに映っているジャージ姿の男の子と私はそれなりに仲良さそうに見える。だがそれよりも非常に気になった点があった。
「妹? 姉じゃなくて……ですか?」
どう見たって鈴原サクラという女性の外見は中学生ではない。確かに童顔ではあるものの、それを考慮したとしても二十歳は迎えていておかしくない。対してジャージの男の子は中学生。
矛盾が生じている。明らかに年齢差がある。
「はい、妹です。へへへ」
とますます理解できない私の顔を見て照れくさそうに鼻をかく。
「いったい何が……」
「──あれから14年も経ってるってことよ、もやし」
そう私の疑問への回答を述べたのは、誰でもない新たな人物の声だった。
弾かれるように顔を上げた私の視界の奥、艦長がもたれ掛かっている壁際のドアからいつの間にか姿を見せていた少女がいた。
トレーニングルームで一瞬だけ顔を合わせ、舌打ちをされたことは記憶に新しい。
その時と変わらぬ赤いぴっちりスーツに身を包み、暗赤色のパーカーを羽織り、両ポケットに手を突っ込んでいる。
よく見るとスーツには補修の跡らしき赤いガムテープが所々巻かれている。それに目元は何だかやさぐれているようにも見える。その双眸ははっきりと私を捉えている。
そういえば、この少女も先程の記録映像に出ていた。
記録によると彼女も私の友達だったようだが──。
顎をしゃくりあげると彼女は舌打ちをした。
「……本当に私のこと、忘れたのね」
「……ご、ごめんなさい」
なよなよした私の物言いに辟易したのか、少女はポケットから手を出し、ドカドカとやや大げさに足音を鳴らしながら私に接近してきた。そして私達を隔てるパネル前で大きく拳を振りかぶり──。
……コツン、と軽くパネルを小突くに留まった。
そしてそのままゆっくりと力の入っていた拳が開かれ、ポケットへと戻っていった。
てっきり全力で殴りかかってくるものだと思いこんでしまった私は、呼吸を止め、沈黙を続けながら彼女を見上げる。
「私は式波・アスカ・ラングレー。セカンドチルドレンで、エヴァ弐号機のパイロットをしているわ。昔はあんたとミサトと私で同居していたんだけど」
「ミサト……って?」
「ん」
顎で後ろを指した先には、未だ姿勢を崩さない怖い面持ちを維持している艦長が。
「…………ホントに? というより式波さん……見た目が14年前と変わってない、よね?」
サクラの身体が成長したのが14年も経っていたからというのは納得も理解もできた。だが式波さんはどうだ。記録と全く姿が変わっていない。というより、成長が止まっているとも言える。
それこそ、お伽噺にある不老が相応しい……。
またこれは私にも同じことが言える。
「エヴァの呪縛」
「呪縛……? その左目の眼帯は?」
「あんたには関係ない」
物を言わせない強い口調に、私はそれ以上の追及をする勇気は湧かなかった。
「──ふん。もう満足よ。それじゃ」
最後にそう言い残すと、式波さんはそそくさとドアの向こうに消えてしまう。
結局式波さんの人となりを把握することは叶わなかったが、少なくとも記憶を失った私とのファーストコンタクトとしてはそれなりに会話することができたと思う。
それでもやはり一方的な失望を感じずにはいられなかった。もし私が記憶喪失ではなかったら、なんて考えたりもするが、今となってはどうしょうもない。
「当時あなたが操縦していた初号機内はすでにすべて探索済みです。結果、発見されたのはあなたと……なぜかこれが復元されていたわ。検査の結果、問題なかったため返却します」
そう金髪女性から伝えられると同時に目の前のダッシュボードから勢いよく棚が飛び出し、その中にはビニール袋に包まれた黒い直方体の物体が入っていた。
促され、そっと直方体を手にする。よく観察すると、イヤホンケーブルが接続されていることに気づき、これが音楽プレイヤーであることを理解した。
刹那、脳が焦げるような微細な刺激を感じ取った。おそらくこれは……私にとってすごく大切なものだった……と思う。
「その反応……何か思い出したかしら?」
「ほんの少しだけですけど。これが大切なもので……誰かに一度預けたことがあった気がするんです」
預けた、というより自棄になって投げ出した、のほうが合っているかもしれない。
「なるほど。記憶は完全に欠落しているわけではないようね」
記憶の断片からさらに何かを思い出そうと集中し始めようとしたその時、遠くで爆発音のような轟音が鳴り響いた。この面会室に強い衝撃波などは届いていないが、ただごとではないことは明らかだった。
壁に設置されていた内線のブザーがすくさま鳴り始め、艦長は即座に受話器を手にした。
「私です。……二機も? ええ、わかったわ……本命のお出ましか」
「え? え? 何かまた新しい敵が来たんですか?」
一気に場の雰囲気が差し迫ったものへ変質したことを感じ取った私は、向こう側にいるふたりに問いかける。
するとこの部屋からではなく、どこからかわからない、テレパシーのような声が私の耳に届いた。
『──碇さん、どこ』
「!!」
その透き通った水色の声に、私は確かに聞き覚えがあった。
……繋がる。パズルのピースたちがひとりでに一つになるかのように。今、思い出しかけていた記憶の断片が、形のあるものになったのを自覚した。
この声を私は知っている。
この声の主の顔や名前はまだ思い出せないが、私はこの人のために命をかけたことを思い出した。
あれは……あれは……、残念ながら思い出せない。……そうだ、助けるため。何かから助けるために命をかけたのだ。
「知ってる……! 私、この人知ってます! 私を呼んでいます!!」
ほんの一部だが、初めて明確に記憶を掘り起こせたことに半ば興奮しながら私はパネルの向こうのふたりに必死に訴えかけた。
だがその反応はあまりに冷たいものだった。
私の方を見向きもせず、ただリモコンの操作でパネルの透過を停止させ、私との視覚的接触を遮断したのだ。
「え……? どうして……?」
パネルに触れ、その向こうにいるふたりに細い声で問うた。だがもちろん声が聞こえてくることはなかった。
「どうしてこんな酷いことをするんですか? 私、ほんの少しだけですけど、やっと記憶を思い出せたのに……」
ふたりですら私のことを避けようとしているのだろうか。艦長は昔私と暮らしていたというのならば、それなりに絆があってもおかしくないはずだ。
なのにこれは……この冷めたやり取りは……なんだ?
『──碇さん、どこ』
再び聞こえる。
間違いない。
「碇さん!」
サクラさんの差し迫った声も、もはや遠くの雑音に感じる。
ここの人たちは私に冷たい。
一方的にすべてを押し付けてくるし、そして私の話なんてこれっぽっちも聞いてくれない。
いつの間にか固く拳が握りしめられていて、自分が怒っていることに気づいた。このままだと何も好転することはなさそうだった。比較的好意的に接してくれるサクラさんには申し訳ないが、この先を考えると、ここで我慢をするのは悪手だと思った。
どう状況が転ぶかなんて私にはわからない。
しかしながら、今より悪くなることはないはずだ。
「──ここだよ!!」
ソラに向け、私を探し求める声に応える。
瞬間。
すぐ横の壁が砕けた。
コンクリート片が部屋の中に飛び散り、大量の煙を巻き上げる。
思わず片腕を顔の前に突き出し、入り込んできた強風に吹き飛ばされないようにもう片方の腕で車椅子にしがみついた。服も髪も激しく靡く。
壁に空いた大穴から、巨大な手が侵入してきた。
その外には青々とした空が広がっている。しかし、軍艦たちが点々と空に浮かんでいるという奇妙な光景だった。
そして。
ぬっ、と姿を見せたのは、ついさっきまで説明を受けていたエヴァンゲリオンというロボットの頭部。
──そのエヴァは。
──紫の鬼だった。
安らかな再会とならんことを
それではまた次回!