それでも私は──   作:次作エヴァはきっと鬱エンド

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前回のあらすじ

思い知る。
私は誰にも求められていないと。


モラトリアム

 エヴァンゲリオンは複数機いるという。

 私が専属となっているエヴァンゲリオンは初号機らしい。頭頂部の長い角が特徴的で、紫色のカラーリングに緑のアクセントがある、鬼のようなデザイン。

 初号機に乗り、人類を滅ぼそうとする敵と私が戦っていたなんてとても信じられない。だが、そのエヴァの実物が目の前にある以上、私はすでに常識に従って判断できるような世界にいないことを自覚させられた。

 ヴンダーの壁を突き破って中に侵入してきたエヴァは、私を誘うようにその手を僅かに広げた。

 破片や煙などが一旦落ち着き、はっきりとエヴァを視界に捉えることができる。

 初号機……ではなさそうだ。

 紫色のカラーリングで、角があることは共通しているものの、サブカラーが濃い水色で、目元のデザインも微妙に異なっている。

 零号機や弐号機とも違う。

 とはいえ、そもそもとしてエヴァがやって来るとは思わなかった。ただ、この機体の中にはパイロットがいて、先程の呼びかけはその人物によるものなのだろう。

 

『碇さん、その手に乗って』

 

 セリフに少し違和感を覚えはしたものの、気に留めることなく私は車椅子を進めようとした。

 

「ダメよ、カノンちゃん! ここにいなさい」

 

 命令口調の鋭い声が横から聞こえ、ハッと振り向く。

 そこには同じく破壊された隣の部屋で、残骸の上に立つ艦長が私とエヴァを睨みつけていた。片方だけ割れたサングラスから覗く瞳には、非常に強い眼力がこもっている。その手には、私の首に装着されているDSSチョーカーの起爆スイッチを制御するコントローラーが握りしめられている。

 今にもスイッチを押すぞと言わんばかりの姿勢だ。

 どうやらエヴァの侵入によってパネルが破壊されたことにより、隣の部屋との境界がなくなったようだった。

 私は艦長さんのサングラスをも射抜くつもりで睨む。

 

「私はいらない子なんでしょう? さっき何もしないでいいって言ったばかりじゃないですか」

 

「しかし、身柄は私たちで保護します」

 

 あまりにも身勝手な言い分に、ついに我慢の限界を迎えてしまう。

 

「保護……?」

 

 目が覚めてから今日まで、何もわからないことだらけだった。肝心なことは何も教えてくれないし、ここにいる皆はどこか違う世界にいるようで、私は浮き立っていた。

 昔この人と暮らしていたなんて記憶はない。だからこそ関係をゼロから構築することができる。構築した結果、それはマイナスとなった。これまでのやり取りからも、優しさなんてとても感じられなかった。

 襟を千切らんばかりに引っ張り、首元のDSSチョーカーを見せつけながら吼えた。

 

「これが保護ですか? 誰も私の話を聞いてくれない! 皆が私のことを憎むような目で見てくる! 私の命は艦長さんの指先ひとつで簡単に消されるッ! こんなの、脅しによる監禁じゃないですか!! 私はこんなところにいたくないですよ⁉」

 

「……っ」

 

 空に浮かぶ軍艦たちからの一斉射撃。

 狙いは初号機に似たエヴァ。

 ゴン、という激しい発射音とともに砲弾が次々にエヴァに向けて放たれている。だがエヴァはそれらを無視して私の決断と、行為を待っている。

 

「エヴァは味方なんですよね? どうして攻撃するんですか⁉」

 

「だからこそよ! ネルフのエヴァはすべて殲滅します」

 

「……ここもネルフじゃないんですか?」

 

「私達はヴィレ。ネルフ壊滅を目的とする組織です」

 

 ヴィレ。また知らない情報。

 ネルフとは使徒から人類を守護するために存在する組織であると聞かされている。そこに私も所属していたと。

 ではこの状況はいったいどういうことだ。前提知識のない私からすると、世界を守ろうとしているネルフにヴィレが攻撃している。つまり、ヴィレは悪なのではないのだろうか。

 まだそこまで結論を急ぐ必要はないかもしれないが、そう捉えられてもおかしくない。

 やはり、何もかも足りていない。

 私が艦長……ひいてはヴィレを信用する要因がなにひとつ見当たらない。

 なおもエヴァへの攻撃は続いている。そうしているうちにまた新たなエヴァが姿を現した。単眼で、黄色がメインカラーの機体。おそらく零号機だ。

 零号機は初号機らしきエヴァの側に寄り、両肩に装備している白く厚い衣を靡かせながらバリアらしきものを展開して砲撃を防ぎ始める。

 

「私を呼んだんです。私はこの人を助けたことがあります。これだけは絶対に間違えてません!」

 

「違うわ! レイはもういないのよカノンちゃん!」

 

「……レイっていう人を私は助けたんですね。今知りましたよ。それに、いないって言ってもここにいるじゃないですか」

 

「……」

 

 艦長は無言で私を見る。

 そこにどのような想いがあるかはわからないし、どうでもいい。ただこの瞬間、ヴィレと私との間の亀裂が決定的になった。

 艦長からの弁明も釈明もない。

 

「やっぱりだ。本当のことは教えてくれないし、嘘をついてまで私をここに閉じ込めたいんだ。──こんなところ、願い下げです」

 

 心は決まった。

 私は私が助けた人を信じることにする。

 車椅子を進め、崩れた床でなんとか体勢をキープしたまま手の上へと移動する。その間、艦長は何の干渉もしてこなかった。

 

「碇さん!」

 

 背中に届いたサクラさんの声に、私は振り向いた。

 

「勝手もいいですけど、エヴァにだけは乗らんでくださいよ! ホンマ勘弁してほしいわ……」

 

 その声には切願が入り混じっていた。私には真意を推し量ることはできなかったが、失望と落胆もあったと思う。

 船内に侵入していた手が離れ、私を落とさないように大きな指で覆われる。

 それから目的地に到着するまでに何が起こったのかを私が知ることはなかった。

 

 ◆

 

「逃がすな、コネメガネ! 壱号機は必ず仕留めろ!!」

 

 アスカは弐号機へのケイジに向かうべく廊下を全力で走りながら、通信機で同僚に言葉を荒らげた。

 

「合点承知っ!」

 

 同僚──マリは威勢のいい返事を返し、準備万端の8号機を出撃させる。ピンクのカラーリングに複眼の機体は、ハンドガンを装備している。

 現場からやや離れた位置に登場した8号機は、武器を構えてカノンを確保した壱号機が姿を表すのを待つ。

 そして予想通り悠々と晒した壱号機。その頭を狙い、トリガーを引き絞る。

 ドン、という発射音とともに弾丸が放たれる。寸分の狂いもなく、吸い込まれるように命中し、次の瞬間には頭部が跡形もなく粉砕されるだろうとマリは確信した。

 しかし、まるで未来予測をしているとしか思えない驚異的な反射速度で壱号機が身を引いたのを見て、目を丸くした。

 弾丸は角を掠め、少量の火花を散らすだけに留まった。

 

「生物の域超えてるにゃ⁉」

 

 思わず驚きの声を上げるが、すぐに意識を切り替える。流石は本命と言われるだけのことはある。Mark.9といい非常に厄介なエヴァだ。

 どちらにせよ、もっと距離を詰める必要がある。今度は反応すらできないほど近づいて。

 背中に接続されている電源ソケットをパージし、壱号機に接近を試みるためヴンダー上を走る。

 壱号機と視線が交差する。その眼から戦意の類いは感じられない。あくまで今回の襲撃目的はカノンの奪取だからか。

 走りながら再度照準を合わせて二、三と連射するも、素早くカバーに入ったMark.9の放つA.Tフィールドによって阻まれる。

 そのままMark.9がやや前斜姿勢を取ると、首に巻く衣が生物のように蠢いてロケットへと変形した。

 ロケットに壱号機が張り付くのを見てマリは獰猛に牙を剥く。

 

「逃がすか!」

 

 敵の離脱手段はロケットしかない。ならばMark.9さえ潰せば、あとはヴンダーと弐号機で確実に壱号機を仕留めればいい。

 即座に狙いを壱号機からMark.9へと変え、トリガーを引く。

 すると今度は不思議なことに、A.Tフィールドの感触もなく頭部が弾けた。恐らく壱号機を守るために集中させていたのではないかという憶測を立てるが、これを速やかに放棄して目標に集中する。

 頭部破損という重大なダメージはパイロットにもフィードバックとして届いているはずだが、特にそれらしきひるみなどはない。

 

「やっぱし『アダムスの器』か⁉」

 

 今度はプラグ周辺を吹き飛ばす。そうすれば確実に停止するはず。

 しかしマリが仕留めに入る前にブースターに点火し、爆発的なスピードで壱号機と共にヴンダーから離脱していく。

 

「挨拶くらいしてけおらァー!」

 

 破れかぶれの射撃が命中するはずもなく、僅か2秒ほどで豆粒サイズになるまで距離を離されてしまった。

 一方、壱号機に破壊された壁から外に出てヴンダーの艦長──ヴィレの総司令葛城ミサトは高々とチョーカーのスイッチを掲げていた。スイッチはまだカノンに装着されたDSSチョーカーが通信範囲内であることを示している。

 まるで彫像のように動かないミサトの背中に、リツコが言葉を鋭く投げつける。

 

「彼女を初号機より優先して奪取したという事は、トリガーとしての可能性がまだあるという事よ! ミサト! DSSチョーカーを!」

 

 それでもミサトはトリガーに指をかけたままで、動じることはなかった。

 そして──。

 甲高い電子音が鳴り、同時に通信範囲外に出たことを示す『OUT OF RANGE』が表示された。

 時間切れ。

 カノンをネルフに奪取された。ミサトは高く掲げたままだった手を下ろし、無言で空を眺める。

 なぜやらなかったのか。とリツコは糾弾しなかった。普通に考えると、ネルフにカノンを奪われるのなら殺してしまったほうが人類のためになるのだ。

 しかし……いや、だからこそ。リツコは何も訊かなかった。

 ただ起こった事実と結果に対して忠実に動き始める。

 

「副長より通達。追撃不要。各位、損傷個所の応急処置と艤装作業を再開」

 

 艦長の背中は、14年もの時が停止していた少女の言葉に打ちひしがれたかのように、ひどく小さく見えた。

 

 ◆

 

「!」

 

 ふと意識が戻ると、私はきれいなベッドで寝かされていた。

 眠気は少し残るが、直近の記憶を思い出しながらゆっくりと上半身を起き上がらせる。

 エヴァというロボットの手に乗せられて、ヴンダーから連れ去ってもらった……はず。急激な慣性を受けたのが最後に覚えていることだ。そこからの記憶がないということは、おそらく手の中で気絶してしまったのだろう。

 なにせ空の上で攻撃を受けながら離脱して距離を取ったのだ。少々私への影響が荒々しくなっても仕方のないことだろう。

 部屋は何もない無垢の白で、広さはそれなり。インテリアやデジタル機器は一切なく、あるのは部屋の外へ続くドアと、天井の照明と、一面のガラス窓と、そして──。

 

「……?」

 

 部屋の色に不釣り合いなほど真っ黒なぴっちりスーツを着込んだ少女が微動だにせず直立している。

 水色のショートヘアで、紅い瞳が私を見ている。表情は全くの真顔で、なんと声をかければいいかわからない。

 それは向こうも同じなのか、一向に話しかけてこない。もしかして無口な子なのかと思い、ならばと日常で話しそうな差し障りのない言葉をなんとか絞り出して投げかけようとしたその瞬間。

 

「こっち」

 

 とだけ少女が言った。

 そして私の返事を待たずにすたすたとドアへ向かう。たった一言だったが、おそらくあの時の声と同じだったから、この人こそがレイなのだろう。

 

「え、あっ」

 

 などと狼狽えている間にも少女は部屋から出て行ってしまう。

 動こうにも脚がまだ思うように動かないから、ついて行くことができない。

 

「ちょ、ちょっと待って! レイさん!」

 

 咄嗟に名前呼びをしてしまったが、こうでもしないと戻ってきてくれないと思った。

 少しすると足音が近づいてきて、少女が部屋に戻ってきた。

 

「なぜついてこないの?」

 

 きょとんとした顔で不思議そうに尋ねてくる。

 私は掛ふとんをめくり、両脚に触れながら言った。

 

「私、脚が動かないの。だから車椅子とかがあったら欲しいなーって思うん……だけど……」

 

「ないわ。ジオフロントに行けばあるかも」

 

「ジオフロント? でもそこに行くにはここから出ないとだから……」

 

「取ってくるより行ったほうが早いわ。だから──」

 

 そう言うと少女は私の方に接近してきた。

 何をするのか分からないからジッとしておく。すると、膝の裏と背中の下にそれぞれ腕を伸ばし、私の身体はひょいと抱きかかえられた。

 

「ほあっ⁉」

 

 いわゆるお姫様抱っこをされた。

 まさかそうなるとは全く予期できなかったから、思わず変な声を出してしまう。

 この細い腕のどこにそれほどの力が宿っているのか。落ちてしまわないように両腕を首にまわす。

 

【挿絵表示】

 

「お、重くない?」

 

「問題ないわ」

 

「ホントに?」

 

「ええ」

 

「無理してない?」

 

「あなたが暴れなければ」

 

「あ、はい」

 

 その一言で、私は素直に大人しくしていることにした。

 私という荷物がある状態でも特に不自由な様子なく歩き始め、部屋を出る。長い間人がいなかったのだろうか、廊下は手入れがされていないらしく、埃が溜まっていたり、壁には所々ヒビが入っていたりする。

 エレベーターを降りて、施設を出る。とはいっても外に出るわけではないからそのまま表示盤の案内に従って突き進む。

 そうして着いたのは、ずいぶんと錆びたケーブルカーだった。ドアは壊れたのか元からなく、中に入る。

 

「そこの長方形のスイッチを押してくれるかしら」

 

「うん」

 

 言われ通り操作パネルのスイッチを押すと、ガコン、と車体が一度大きく揺れた。

 

「大丈夫なのこれ?」

 

「問題ないわ」

 

 揺れは一度だけで、その後は普通にケーブルカーが降り始める。地下鉄のような暗闇をしばらく進んだところで突然、景色が一気に開けた。

 そこは見たことのないほど荒れ果てた広大な土地だった。地表は逆三角形型でくり抜かれた空洞で、その下に建造物が確認できる。だがそれも何かに抉られたかのように大きな穴が空き、隣接する巨大な池は血色の液体(おそらく固体)で満たされている。

 想像を絶するような激しい攻防があったのか、地面にはクレーターが目立つ。

 ──青空の下にて佇む、灰の都。

 ようやくケーブルカーが目的地にたどり着き、私たちはそこから降りてさらに進む。

 まずは見たことのないような長距離エスカレーターを下る。ざっと目算でも100メートルはあるだろう。

 

「そういえばなんだけど、名前を……聞いてもいい? 下の名前しか知らなくて」

 

「私の名前はアヤナミレイ」

 

「以前の私はなんて呼んでたの?」

 

「知らない」

 

 適当な返事だなあと思いつつも、ならばと顔を上げる。

 

「……じゃあ綾波さんでいい?」

 

「ええ」

 

 綾波さんはこちらを見下ろすことはなかった。

 ただ超至近距離で綾波さんを見ることでわかることがあった。

 それは、まるで陶器のようにすべすべの白い肌であること。女性の100人中1000人が羨む美貌なのは間違いない。成長期の子供はニキビや肌荒れに悩まされるなどといったことがあるが、まったくの無縁だろう。

 どのような手入れをすればこの完璧に近い肌を手に入れられるのだろうか。

 顔が良くてスタイルも良くて、ちょっと無愛想なところはあるけどそれも良いところとしてとらえればこれが本物の美少女というものなのだろう。

 長い長いエスカレーターが終わり、通路を歩く。

 コンクリートの壁にはネルフのロゴが刷られているが、執拗にその部分を破壊したような銃痕が目立つ。というより壁や天井、床も激しい銃撃戦の痕跡がある。

 

「ここでものすごい戦闘があったの?」

 

「ええ。ネルフ内での紛争があったわ。その結果、ネルフとヴィレの全面戦争に発展した。それは今も続いている」

 

 私が眠っていた14年もの間に、どうやら本当に様々なことが起きたらしい。それはもう確定的だ。

 

「ねえ綾波さん、少し休まない? ほら、ここまでずっと私を運んできたから腕とか疲れたでしょ? そこに……ちょっと壊れてるけどベンチがあるから休もうよ」

 

 そう言いながら私が指したのは、休憩所らしき空間。らしき、と表現したのはその面影がもう殆ど残っていなかったからだ。破壊された自動販売機などから辛うじて推察ができた。

 ベンチは中央に隣り合わせで二つ並んでいる。だがひとつは跡形もなく壊れているので使えるのはもう片方のみだ。

 

「問題ないわ。碇さんは軽いから、目的地に着くまでなら休憩は不要よ」

 

「そうなの? ちなみにあとどれくらい?」

 

「約十分」

 

 結構長い時間私を抱えているが、(基本無表情だからわからないが)まだ余裕のありそうな顔だったから、変に疑ったりせずに信じることにした。

 エヴァのパイロットというのは操縦だけ上手ければいいものだと思うのだが、どうやら肉体面でも鍛えられるのか。私もパイロットだったらしいから、脚さえ完全に復帰すれば実はそれなりに運動ができたりする……のかもしれない。

 私の提案した休憩所の真横をスルーし、綾波さんは歩を進める。

 廊下が終わり、今度は高所を進む。足場の幅は五メートルほどあるから余裕はあるが、そこから落ちれば落下死は免れないほどの高さがある。

 錆び……ではなさそうな血色に変色した鉄の床。

 ここは果たしていったい何の場所だったのだろう。記憶のない私には見当もつかない。

 少し歩くと、下の方から音が聞こえてきた。正確には、近づいたことによって音が聞こえるようになった。

 それは音楽だった。誰かがピアノを演奏している。ここでそのようなことをする人がいるとは驚きだ。

 物珍しさから、私はちょっと綾波さんにお願いをして縁側まで移動してもらう。

 なるべく重心をずらさないように、綾波さんの負担にならないような態勢を維持しながら足場の下を見下ろした。

 確かにいた。

 グランドピアノを構え、その周囲は自分で掃除でもしたのか、地面はほとんど真っ白だ。そして人の高さほどの木がグランドピアノのすぐ横に植えられている。

 そこで呼吸をするかのように演奏する少年が、ひとり。人間というのは第一印象が外見……つまり容姿や身だしなみで決まることが多いという。

 私が少年に初めに抱いた感情は、完全性だ。生物としての完全性である。

 無のように白い髪。遠くからでもよくわかる整った顔立ち。明らかに日本人ではない。ピアノを弾くその所作には育ちの良さが滲み出ている。さらに音楽に明るくない私でも、この演奏が非常に上手であることがわかる。演奏が終わり、不意に少年は腕を下ろす。そして私達の気配に気づいたのか、こちらを見上げた。

 わたしと目が合った……ような気がした。遠くて分からないが、そんな気がした。さすがに遠距離で突然声を大にして会話を始めるのは失礼だろうから、ひとまずはこの場を離れることにした。会釈でもしておけばよかったかもとちょっぴり後悔する。

 次にやってきたのは室内で、照明も全く無いため視界が非常に悪い。

 しかし綾波さんはまるで暗視ゴーグルでもしているのかと疑いを持ってしまうほど迷いなく進む。

 およそ30メートルほど進み、右折。数歩歩いたところで綾波さんは足を止めた。

 

「ここ」

 

 途端、照明が一気に明るくなった。

 眼前にはグラウンドほどの巨大な半円のドームが聳えている。そのドームには何やら制御柱のようなものが複数突き刺さっていて、明らかに湯気ではなさそうな白い煙が絶えることなく発生し続けている。

 それのせいなのかは不明だが、若干生物の腐ったような臭いがする。嫌悪感を覚えるほどではないが、あまり好きではない。

 

「これは……?」

 

 このドームの中に何かが保管されているのだろうか。表面には『13』と刻印されていて、おそらく番号のことかと思われる。

 

「──エヴァだ」

 

 低い低い男性の声が聞こえた。

 発生源は私のちょうど目の前。少し上の位置。

 二メートルほどの段差の上に、40代後半、もしくは50代前半の男性が立っていた。

 前の開けた黒いスーツに身を包み、威圧感と毅然たる態度を滲ませている。顔立ちを窺いたいところだが、両目はバイザーで隠されているため分からない。

 式波さんの眼帯のときは不思議に思ったから訊くことができたものの、この人の場合は訊くことすらできない雰囲気を纏っている。

 

「エヴァンゲリオン第13号機。お前とそのパイロットの機体だ」

 

 男性がそう言うと照明がさらに追加され、スポットライトのようにもう一人に当てた。

 姿を現したのは、ついさっきまでピアノを弾いていた少年だ。少年はちらりとこちらを見ると、薄っすらと笑みを浮かべる。

 

「時が来たらその少年とこのエヴァに乗れ。話は終わりだ」

 

「え、あ、はい」

 

 とても端的に私に指示を残した男性は、背を向けるとさっさと姿を消した。

 大人の人だったし、なんだか怖そうだったし、おそらく偉い人なのかな、なんて呑気なことを考えていたら少年もいなくなっていた。

 

「さっきの人って誰なの?」

 

「ネルフの総司令よ。それにあなたの父親でもある」

 

「ええっ⁉ あの人が私のお父さん?」

 

 私が驚きの声を上げたのは、非常に無愛想だからだったのではなく、実の娘に14年ぶりに再会したというのに何の言葉も投げかけてくれなかったからだ。

 さっきはあくまで上の人との会話ではあったが、「久しぶりだな」くらいでもいいから一言声をかけてくれてもいいのではないか。

 どちらにせよ、まずは改めて話をしたい。もしかすると、もう一度会ったら態度が激変して柔和なものになっているかもしれないし。

 

「綾波さん、あの人のところに連れて行ってくれない? ちょっと話したいこととかがあるんだけど」

 

 そう言うと、綾波さんの顔が初めて無表情からほんの少しだが崩れた。

 

「……腕が疲れてきたわ。先に車椅子を探しましょう」

 

「ああごめんなさい! そうだよね! わざわざ運んでもらってるのにわがままだったよね。車椅子の方を先にしよ!」

 

 私がお姫様抱っこをする立場だったらきっと五分ももたなかったろうが、綾波さんは数十分ももちこたえてみせている。

 即座に私のお願いを取り下げて車椅子の確保に移る。不気味なエリアを抜けて、またよくわからない通路を進む。壁はガラス張りになっていて、その向こうには大量のロボットの手と思われるものがレールにぶら下がって運ばれている。何かの製造中なのだろうか。

 意外と目標物ははやく見つかり、長い間ずっと放置されていた一室にホコリを被った状態で車椅子が数台安置されていた。

 ふたりで協力してホコリを払い、ようやく座れるようになった。綾波さんに座らせてもらおうと行為に移るが、存外に雑すぎるフォローをされた結果、車椅子にお尻をバスケットボールのようにダンクされる形になってしまった。

 

「いたっ」

 

 ぎし、と車椅子の骨がなり、わずかに残っていたホコリが舞う。

 

「綾波さん、もう少しだけ優しくしてね?」

 

 少しも申し訳無さそうな顔をしていないが、

 

「ごめんなさい」

 

 とちゃんと言えただけよしとしておくことにする。

 よくよく見れば錆びがあったりするも、無視はできるし手入れさえすれば問題ない。

 

「先に部屋を案内するわ」

 

 私の背面にまわり、グリップを掴んだ綾波さんはそう言った。

 お姫様抱っこされていたときは前を見るために首を曲げなければいけなかったが、今はそんなことは不要だ。押されるがままに進み、たどり着いたのはとある一室。

 中は非常にシンプルな造りで、家具はたったふたつ。安っぽいベッドと丸椅子のみだ。壁は白で床は暗い赤。天井はグレーで、照明のシーリングライトたちがほど良く部屋を明るくしている。

 目がつくのは、壁掛け電話とドア横にある電子錠らしきもののみ。

 生活するには困らなさそうだが、気になる点が三つ。

 

「綾波さん、これって食事とかお手洗いとか、あとお風呂もどうすればいいの?」

 

「食事は時間になったらそこの壁から出てくるわ。トイレはこの部屋を出て突き当りのところ。お風呂は大浴場しかない。また今度案内する」

 

 この部屋は本当に必要最低限のものしか揃っていない。これだとテレビや雑紙などといった娯楽にはあまり期待出来なさそうだ。

 などと考えている間にもいつの間にか綾波さんは姿を消そうとしていた。何の気配を感じさせないで消えようとする堂々っぷりに驚きつつ呼び止める。

 

「綾波さん、ちょ、ちょっと」

 

「なに?」

 

 ちらりとこちらを振り向く綾波さんの姿はまるでポーズを取る雑誌モデルのようだった。

 

「その、これから私は何をしたらいいのかな……って」

 

 すると、さも当たり前のように返事が返ってくる。

 

「碇司令の命令に従えばいいわ。あとは知らない」

 

「知らない? なら逆に綾波さんは暇なとき何してるの?」

 

「何も」

 

「何も……?」

 

「ええ。命令があるまで待機してる」

 

 とても失礼なことだが……人形のようだな、と思ってしまった。

 誰かからの指示を待ち、それ以外は何もしない人形。私のお父さんだという碇司令にとっては非常に使い勝手のいい部下だろう。

 フィギュアのように可愛い少女。性格がミステリアスなところも相まって、学校だったらものすごい人気が出ること間違いなしだ。

 と、ここまで考えていると、自分もヴィレでは人形になりかけていたことを思い出す。

 艦長さんの場合はリハビリ以外は何もするな、が命令だったから人形ですらなかったのかもしれない。

 もしかすると私は綾波さんのことを言えない、もっと低俗な存在に成り果てていた可能性があった。

 そう考えると、綾波さんに抱いた感想はあまりに非常識すぎた。

 

「さようなら」

 

 反応のない私を見て話が終わったと判断したのか、綾波さんは今度こそ何処かへ行ってしまった。

 呼び止めることはしなかった。

 今日だけで色々なことがありすぎた。情報が錯綜していて整理ができない。本当はこのまま司令官に会いに行きたいのだが、今日のところは諦めることにする。明日、改めて行動しよう。

 食事の知らせは唐突だった。壁の一部が外側にスライドし、戻ってくるとトレーに乗せられたカラフルなペースト状の食事が提供される。

 味は普通。空になったトレーをあった場所に戻すと、数秒ほどで勝手に回収された。

 今から部屋の外を出歩く気分ではないため、もう寝ることにする。

 車椅子から自力でベッドに移る。

 ベッドはやや硬く、背中にもふもふ感があまりないのが気になって仕方がない。もうちょっといいものを要求したいところだが、それを誰に伝えればいいかわからない。司令官だろうか。

 DSSチョーカーの違和感を思い出し、少しだけ首筋を掻く。ついでに沿うように指先で一周してみたが、接合部がまったくわからない。艦長はDSSチョーカーを外すことはないなどと言っていたが、そもそも一生外すことができなかったりしないだろうか。さすがにそれは悪い方向に考えすぎか。

 そうしているうちにも、瞼がどんどん重くなって、目を開けていられなくなって……。

 

 ◆

 

 夢を見た。

 しかし痛くて怖かったから内容なんて覚えてない。

 

 ◆

 

 部屋には時間を知るものがないから、何時に起きることができたのかわからない。一応睡眠はそれなりに取れたとは思う。

 そしてやはりというべきか、ちょっと背中が痛い。これはベッドに慣れるしかないのか。

 ふと頭を持ち上げると、すでに食事が提供されていた。そそくさと車椅子に乗り移り、食事を済ませると次に提供された制服などで身支度を整える。

 好奇心で壁掛け電話を使ってみるが、どこにも繋がっていない。おそらくどこかからこちらへの一方通行。

 今日やることは大きくふたつ。

 司令官に会って話をすることと、リハビリをすることだ。前者は当然として、後者も手を抜いてはならない。何もしなければ、脚は動かないという認識が改めて脳に上書きされ、二度と歩けなくなりそうで怖い。しかしながらリハビリをする場所を私は知らない。そもそもそんな場所があるのかわからないし、あったとしてもひとりでできるかとなると怪しかったりする。だからできれば綾波さんにも手伝ってくれると嬉しいのだが。

 ともあれこの部屋を出ないことには何も始まらない。

 錆びのある車椅子を進ませ、部屋を出る。ちなみにこの車椅子は電動ではないため、自力で車輪を回転させなければならない。

 ついでにヴィレで渡された、音楽プレーヤーも携帯している。はっきりとは思い出せないが、これには大切な思い出が詰まっていることだけは覚えている。だから持ち運ぶことにした。

 ネルフに来て薄々勘づいてはいたのだが、人が全くいない。私の知る限りたった三人しかいない。たったそれだけの人数でこのネルフという巨大な施設を管理、運用できているのだろうか。

 

「……そんなわけないよね」

 

 散策すれば、施設内の荒れ果てた箇所は明らかに放置されていることがわかる。

 崩壊した壁。何かの飛行物の残骸。何の用途で使用されていたか私にはわからない機械の墓。整理されていない道具など。挙げだせばきりがない。

 だがすべてが静止しているわけではなく、現在も稼働を続けている場所もあった。昨日はレールで運ばれる巨大なロボットの手たちを見たが、今壁ガラスの向こうで、兵器の骨組みであろう機械類が大量に運ばれている。ここは……兵器の製造工場地帯だろうか。

 凝視しても人はいないため、おそらく完全にオートメーションになっている。オートメーションといえば、先の食事の提供などもきっとそうだろう。

 14年という長い空白期間でどれほど技術が進歩したのか私にはわからない。そういう専門家ではないし、空飛ぶ戦艦なんて科学の結晶のようなものが存在している時点でもう私の理解の範疇を超えている。

 リハビリ用の部屋でなくてもジムとかでもいいから、と願いながら散策すること体感で一時間ほど。さすがに腕が疲れてきた。明日は筋肉痛だなと確信をしてすぐ脇の隅の方に車椅子を寄せた。そのまま身体の力を抜き、しばしの間だけ目を瞑って休憩することにした。

 あまり遠くまで離れすぎると今度は部屋まで帰れなくなって迷子になってしまうなんてことは避けたい。さすがに道中に案内図くらいはあるだろうと楽観視していたが、残念なことに見当たらなかった。迷子になったことを他の人に知られたくないという恥じらいがあるのだ。

 まだ道はだいたい覚えているがそろそろ……といった具合。もうちょっとだけ散策しようかな、とひとときの休憩を終えて目を開いた途端、

 

「──おや、眠っていたのかと思ったよ」

 

 超至近距離。

 サッカーボールひとつ分くらいの距離まで顔を近づけ、私を観察していたと思われる少年がいた。

 

「!!」

 

 驚きのあまり、声すら出すことができずに身体をビクリと大きく跳ね上がらせることしかできなかった。その様子を見た少年はくすりと笑みを漏らす。

 

「面白い反応をするんだね君は。驚かせてしまったようだね。すまない」

 

「ううん、大丈夫だよ……」

 

 つい恥ずかしい反応をしてしまった。この人から見た私の顔は絶対にトマトよりも赤くなっている。と想像するだけで恥ずかしさが重なってしまう。

 あわあわしてどう次に繋げればいいかわからない私に少年は続けた。

 

「ところでこんなところで何をしていたんだい? 君の部屋からはだいぶ遠いところまで来たようだけど」

 

「リハビリがしたくて……その……そういうのができる場所を探してたの」

 

「ん? 君は昔ネルフに所属していたはずだ。なら場所はわかると思うけど……あ、確かにネルフ内部構造もあれから少し変わったから、迷うのも仕方ないね」

 

「そういうわけじゃなくて、私、記憶喪失だからここのことわからなくて」

 

「────そうだったのか。なら、今度からどこかに行く時は誰かが同伴したほうがいいね」

 

 本当は散策している間に誰かに会うことができれば、その人に案内してもらおうともこっそり考えていた。

 できればコミュニケーションのとったことのある綾波さんが良かったが、そんな贅沢を言ってはいけない。

 この少年はおそらく私と同じ年と見ていいだろう。そういえば私は何才で中学生何年生だろう? 少年の服装は、ヴィレで見せられた過去の学校生活ビデオで見た男子の制服と同じだ。だから同じ学校の生徒だったことがわかる。

 しかしビデオでこの少年を一度も見なかったはずだ。

 少年は物珍しそうに私が乗る車椅子を観察しながら尋ねてきた。

 

「君の過去の戦闘データは見させてもらっているよ。僕はてっきり初号機からサルベージされた時に障害も完治したものと思っていたんだけど、違ったかい?」

 

 私達の視線は共に動かぬ脚に向く。

 サルベージされたから治る、という話はヴィレでも聞いたが、その原理を私はまだよく理解できていない。

 

「身体の方は確かに治ってるらしいんだけど、脳がまだそれを認識してないって。だからリハビリをして感覚を取り戻さないといけないってヴィレの人に言われたんだ」

 

「なるほど……理解できたよ。なら僕がそのリハビリを手伝ってあげよう」

 

 ひとつ頷いた少年は屈託のない笑みで嬉しい提案をしてくれた。私にとってはこの上なく助かる。

 話していて思うのだが、初対面だというのに非常に心待ちが軽くコミュニケーションが取れている。

 私は人見知りな人間だから、ファーストコンタクトを取る際は聞き手側に立つというか、あまり話そうとはしない。

 しかし少年と話していると、自然と言葉が引き出される。等量の会話のキャッチボールができている。

 

「ありがとう! あの……えっと……」

 

「僕はカヲル。渚カヲル」

 

「わ、私は碇カノンです。これからよろしくお願いします」

 

「うん、知ってるよ。……カノン……カノンか」

 

 表情をスッと悩み顔に変え、数度ほど私の名前を口にする渚君。

 しかしすぐに元通りになって口を開く。

 

「さっそく今からリハビリをしようじゃないか。なに、僕はモラトリアムの間は基本的に暇だからね。ピアノを引いて時間を潰す毎日だったよ」

 

 渚君の見た目は子供だが、纏う雰囲気や話し方がすごく大人びている。どういう育ち方をすればそんな人間になれるのか不思議でならない。そして私が同じようになれるとも思えない。

 記憶喪失とはいっても、これまでの他人との会話からは性格のギャップなどは特に指摘されなかった。きっと前の自分も、ことあるごとにおどおどするような人間だったのだろう。

 ……少し、思い出した気がする。確か私は、こんな暗い性格を改善したいからエヴァに乗り始めた。エヴァに乗ることで改善する、というのは直接的なものではなく、副次的なものだったはず。

 どう副次的に結びつくのかまではまだ思い出せない。

 どちらにせよ、エヴァに乗ると決断したことによって人生が大きく変わり、今の私がいる。

 記録は残っている。過去の私が何をし、どんな戦績をあげ、どんな怪我を負ったのか。だがそこに感情は記録されていない。

 当時の私は何を感じた。何に喜び、何に苦しんだ。

 そういった部分を私は思い出したい。

 

「君のことをもっと知りたいな。碇カノン君」

 

 男の人にこれほど積極的に入り込まれるのはあまり慣れてない。たぶん顔が赤くなるのは隠せていると思うが、緊張して心臓がバクバク打っているのは隠せていない。胸に手を当てなくても音が聞こえるほどなのだ。

 もしかして渚君にも聞こえてる? まさか気づかないふりをしてくれている? 「もしかして緊張してるのかい?」などと言われてしまったら私は恥ずかしさのあまり息を引き取ってしまうだろう。

 ……さすがにそれは杞憂だと信じたいところ。

 何とか心の平穏を保ちながら会話を継続する。

 

「前のことは知らないから、話せることはあまり少ないと思うよ?」

 

「大丈夫さ。話してるうちに碇君の人となりがわかってくる。それにもしかしたら何か思い出すきっかけになるかもしれないだろう?」

 

「うん、そうだね」

 

 案内するべく車椅子のグリップを渚君が掴む。

 私の知らない道をぐんぐん進む。

 ヴィレに比べてネルフはすごく人が少ないけど、渚君も綾波さんもいるからとても楽しく過ごせそうだ。

 ただ……。

 司令官に言われたことを思い出す。私はこの人とエヴァに乗ることになる。きっとエヴァに乗って、人類を滅ぼそうとする使徒という敵と戦わされる。

 以前の私はそんな非日常に自身を捧げていた。今の私には、正直なところ戦いと言われてもピンとこないし、寧ろ戦いはあまりしたくない。

 だが『私』は戦っていた。ならば私にもできると信じたい。

 ……きっと渚君もさっき言った通り、私にとってもこの時間はモラトリアムなのだろう。

 今やるべきことに目を向けよう。

 まずはリハビリだ。

 エヴァの操縦方法は知らないけど、たぶん、脚が動くようにならないとそもそも乗れないと思うし。




孤独こそ、少女の弱さ。
知らぬ罪に泣いてしまうから。

それではまた次回!
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