それでも私は──   作:次作エヴァはきっと鬱エンド

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前回のあらすじ
カノンチャンとアヤナミレイが一緒にお風呂に入った!(目そらし)


気のせい

 ネルフでの生活スタイルにはだいぶ慣れた。

 もう迷子になることはほとんどないし、ペレット食に対しても心の中で文句を言わなくなった。

 私の当面の目的は記憶を取り戻すこと、そしてエヴァを知ることだ。今の私はあまりにエヴァに対して無知である。本当は戦う意志なんてないが、ネルフに滞在させてもらっている以上はやれと言われたことはやらないといけない。そこに私の気持ちは介在しない。

 食事も衣服も場所も、無償で提供されているわけではない。何もせず、ただ与えられるだけで生きているわけではない。

 これは契約だ。生活を担保するかわりに敵と戦えという契約。

 今朝は少し、寝覚めが悪い。

 あまり気乗りしないテンションのまま何気なくベッドから起き上がる。

 

「…………あれ?」

 

 頭が回っていなかったから気づくのに遅れたが、普段以上に脚をうまく動かすことができる。そのまま意識して前に踏み出し、まだ寝ぼけた声で呟いた。

 

「……歩けるじゃん」

 

 しかしながら数歩しか進めず、バランスを崩して倒れてしまう。以前なら誰かの手助けがなければそこから起き上がれないのだが、スムーズに成功した。

 私の脚はもう間もなく完治する。本当にただ使い方を忘れていただけのようだ。本当ならばここで喜ぶべきなのだろう。だが私はそうできなかった。

 直近に控えているであろうエヴァに関する出来事にやや憂鬱になってきている。

 私だけが平和ボケしすぎていて、周りとの乖離が怖い。だから早く記憶を取り戻してこの環境に真に馴染みたい。

 私が起きたことを察知したのか、壁から着替えの制服やら朝食やらが即座に出現する。順に朝の支度を済ませ、部屋を出た。

 ……が、すぐに戻った。

 特に何かをやりたいという意志が湧かないのだ。別に渚君とのリハビリの時間まではだいぶ余裕があるからいいや、なんて考えてもう一度ベッドにインする。

 今のこの気持ちは……そう、勉強をせずにテスト当日を迎えた学生の心境だ。上手く自分の心を表現できたことに満足感を得られた。

 だからこのすっきり感のまま二度寝に突入する。

 

 ◆

 

 嫌な夢をみた。

 私はアスファルトの上で死んだように倒れる、重傷の私を見下ろしている。これはまるで、天へと上る魂が、死んだ肉体を見下ろしているかのような構図だ。

 これは……なんだ。

 到底受け入れられない状況に、私はパニックに陥る。

 よく見ると私の肉体は中学生のものではなく、おそらくもう少し幼い……小学生低学年ほどだ。

 頭を掻きむしりたくなる。こんな記憶は知らない。だがあまりに既視感がありすぎる。その矛盾がシナプスを弾けそうなほど活性化させる。

 だがそれに到達点はない。なぜならそのような記憶、私にはないのだから。

 だからこれは……この惨劇は……なんだ?

 

 ◆

 

「……くん、碇くん」

 

 呼びかけが聞こえ、私は跳ねるように身体を起き上がらせた。

 肩を揺すってくれていたのだろう、心配そうな顔で渚君が私を見つめている。

 

「え、ぁ、あ……ごめんなさい」

 

 汗をかいたわけでもないのに、胸の気持ち悪さが強く残っている。

 

「大丈夫かい? 時間になっても来なかったから様子を見に来たんだけど……」

 

「あぁ……」

 

 壁時計を見やると、日課となった彼とのリハビリの時間をとうに過ぎていた。衝動的に寝てしまったから、起きる時間のことを考えていなかった。

 渚君に謝りつつベッドから足を降ろす。

 

「今日はどうする? 気分が優れないのならなしにしようか?」

 

「ごめんね……気分が悪いってわけじゃないの。ただなんか憂鬱っていうか、やる気が起きなくて……」

 

「今日が初訓練の日だけど、それもやめておこうか?」

 

「ううん、私の都合で欠席なんてできないと思うからちゃんとやるよ」

 

 やや俯きながらも、それだけはと意志を表明する。

 熱はない。身体の倦怠感もない。これはただの気持ちの問題。

 渚君は隣に座り、そっと私の背中に触れた。

 

「らしくないね。何か嫌なことでもあったのかい?」

 

「嫌なこと……嫌なことではないと思う。そんな特定のことじゃなくて、もっとふわっとした……この場所というか、空気が私に合わないような気がして、それで……」

 

「どう合わないのかな?」

 

「わからない。でもなんだか怖い。綾波さんがいい人なのはなんとなく分かるんだけど、住む世界が違う感じ。お父さんも同じ。たぶん渚君も。普通の、戦いの知らない私には理解できない考えに追いつけない。追いつきたくないって思ってすらいる」

 

 もやもやをとにかく考えつくままに言語化しているからきちんと伝わっているかわからないが、私なりに努力した。

 本当はここから抜け出して、もっと安全で平和な、どこかの施設に保護されたい。そこで一般的な日常に戻りたい。

 ここには私服はないから可愛いのとか、ショッピングモールに行ってお買い物とかがしたい。あとは普通に美味しいものが食べたい。自分で料理するのもいい。

 これがホームシックというものだろうか。家のことは思い出せないけど。

 

「そうか」

 

 渚君は深く頷き、優しく背中を撫でてくれた。それだけでなんだか恐怖が微かであるが和らいだ気がした。

 何日もリハビリを共にしたからわかるが、この人は邪な気持ちでスキンシップをしたりはしない。年頃の男の子であるからにはそういったものに少なからず興味があると思うのだが、まるで聖人のように穏やかだ。

 

「確かに碇君にはこの世界は合わないと思う。当然さ。住んでいた世界が違うのだから。ただ、嫌なことでもやらなければならないときだってある。それはわかるよね?」

 

「うん」

 

「気づいているとは思うけど、君はエヴァに乗れるからここにいるんだ。以前もそうだった。エヴァに乗ることで価値を見出され、仲間や友達がいた」

 

「それってつまり、私がエヴァに乗らなかったら、私の価値がなくなるってこと?」

 

「……残念ながら、今の世界ではそうだね。他者に施しを与える余裕なんてないのが現状だ。だから自分の力を証明し続けないといけない。でも大丈夫、僕が碇君を全力で手助けするよ」

 

 そう言って、渚君はポケットから預けていた音楽プレーヤーを取り出して差し出してきた。

 

「……」

 

 心が豊かでないと、他人のために何かをすることはない。

 これまでふたりで積み上げてきた信頼関係。手助けするというのなら、本当に手助けしてくれるのだろう。

 ピアノの連弾というコミュニケーションで培った連携。阿吽の呼吸。

 お父さんとは違って、この人なら信じられる。

 

「……わかった。私、頑張ってみる」

 

 ◆

 

「渚君、やっぱり嫌。千歩譲ってもこれだけは嫌」

 

「わからないな……。これが危ないものだったりするわけじゃないのに」

 

「あーなるほど、前の私は心を殺してたんだねわかったよ」

 

 断固拒否と言わんばかりに腕でバツ印を作って不思議そうに首を傾げる渚君に突きつける。

 ロッカー前。渚君に差し出されたそれを私は許すわけにはいかなかった。受け取ったら最後、何かを失いそうな気がしたから。

 当然これは受け入れなければならないことである。頭ではちゃんと理解しているのに、身体は拒絶の姿勢を崩さない。

 

「プラグスーツを着るのがそんなに嫌なのかい?」

 

「それってあれでしょ? 水着みたいなぴっちりスーツなんでしょ? なんでエヴァに乗るのに恥ずかしい格好をしないといけないのさ⁉」

 

 思い起こすは綾波さん。特に着替える理由がないから常にプラグスーツを着用しているからその姿を頻繁に目にしていたが、あれは羞恥心を酷く刺激する。

 

「なんでって言われても……これがエヴァに乗るのにとても重要な装備だからだとしか。こう見えても時代の最先端の技術が使われているんだよ?」

 

「これが? ホントに?」

 

 渋々とプラグスーツを受け取って、伸縮性や表面の質感、さらに首の部分を広げて中を覗き込む。

 見た感じ、渚君の言った通りただのぴっちりスーツではないことがひと目でわかった。まず、襟部分が硬い。おそらくステンレス製……いや、樹脂製か? ぐるりと空洞が一周していて、複雑なブロックが張り巡らされている。

 基本的な裏地はスクール水着のようなシンプルな伸縮性のある素材、だけではなく、それなりに硬さと厚みが感じられた。

 背中に逆三角形の……パック? がくっついていて、開け方がわからない。カンだとこれが最先端技術がふんだんに使われていそうな気がする。

 そして思ったのが、このスーツは非常にぶかぶかである。

 これを……私が着るのか。

 喉がゴクリと鳴った。

 

「ああ、ぶかぶかなのは問題ないよ。着たあとに手首のボタンを押せば、中の空気が排出されて肌に密着するから」

 

 膝の上にひとまずプラグスーツを置き、車椅子の背もたれに全力でもたれる。

 苦悩。問答。

 何がどうなっても結局これを着ないことには何も始まらないのだが、それへの踏ん切りがついていなかった。ちょっとわがままが過ぎているとは理解している。渚君を困らせたくないというのもある。

 碇カノンならば特に気にすることなくこれに着替えていただろうが、私は違う。しかしながら、エヴァに搭乗することで何かを思い出すきっかけになるかもそれない。

 その可能性がある限り、結局私は拒否することができない。

 

「……もう、わかったよ。着替えるからちょっと外で待ってて」

 

「うん、待ってるよ。着替えにくかったら僕を呼んでね。手伝うから」

 

「呼ばないからね」

 

 そして渚君は去り際に、

 

「あ、ちなみにプラグスーツは中に下着とかなしだからね」

 

 と言い残した。

 

「えっ」

 

 つい振り返るがそこにはもういない。

 下着が駄目ということは、裸になってからプラグスーツを着ないといけないのか。スクール水着の場合でも下にサポーターを着用しているのに、それすらなしというのか。

 驚きというかショックというか、もうどうにでもなれ精神で制服をすべて脱ぎ、下着も脱ぎ、生まれたままの姿になる。

 プラグスーツを目の前に掲げ、どうすればいいのか思案する。首の穴しかないのだが、どう考えても胴体が通るほど大きくないし、伸縮性があるわけでもない。

 しばし悩み、ついにヘルパーを呼ぶのもやむなしとなったとき、適当に触れていた襟の左右と背中のバックパックらしき部分に不自然な窪みの線を発見した。

 それぞれをグッと割るように力を入れると、パカッと前後に別れた。穴が二つある状態だ。

 

「あ、なるほど」

 

 バックパック部分の穴に右脚、左脚の順に入れ、全身をプラグスーツ内に収める。その後に首の穴に頭を通す。これが正しいプラグスーツの着用方法だろう。そして最後に手探りで手首のスイッチを見つけてそれを押した。

 その瞬間、

 

「ひゃわっ⁉」

 

 しゅー、と次第に空気が抜けて密着すると思っていたが、シュッ! と一瞬で抜けたことに思わず驚きの声を上げてしまい、ふと鳥肌が立って身悶えする。

 腕や腰などを動かし、変な突っ張りなどがないことを確認する。下着なしだと色々と擦れて気持ち悪くなる懸念があったが、実際に着てみると特にそういった印象はなかった。ちゃんとその辺は考えられているらしい。

 脱いだ制服を畳んでロッカーに仕舞い、鏡の前に立ち、そっと触れる。

 

【挿絵表示】

 

「やばいね……」

 

 スクール水着は学校が定めたものだからそこまで違和感なく着ていたが、このプラグスーツは、よくわからない組織が開発したロボットに乗るためのものという特殊性がある。

 それは非日常的であり、だからこそ強烈な違和感を覚え、羞恥に震える。

 身体のラインはもちろん、胸の凹凸もくっきりと出ているではないか。それに、無地でいいのにわざわざよくわからないデザインも付け加えているからなおさらである。

 こんな格好で人前に出るのか? 恥ずかしすぎて死にそうだ。トマトのように顔が赤くなっているのが鏡を見なくてもわかる。

 覚悟を決めて、私は車椅子とともに更衣室を出た。

 すぐ側では渚君が壁にもたれかかりながら、下を向いて目を瞑っていた。

 

「終わったんだね。どうかな? そのプラグスーツは合ってる?」

 

 私の姿を見て、顔色一つ変えない。

 それは安堵すべきなのか悲観すべきか。どちらかというと前者だろう。

 太もものあたりを摘んだりして問題ないことをアピールしてみせる。

 

「まあ……合ってる。終わったらすぐ脱ぐからね!」

 

「わかったよ。ならはやく終わらせようか」

 

 車椅子を押してもらい、シンクロテストなるものをするために目的地へ向かう。

 まず初めにやってきたのは、操作室だ。壁の一面にはびっしりコンピューター類が並べられ、さらにガラスの向こう側はオレンジ色の液体で満たされた巨大プールがある。そこに斜めに刺すように細長いカプセル状の物体が浸かっている。

 

「碇君にはあのエントリープラグの中に入って、エヴァとのシンクロテストをしてもらうよ。それから実際にエヴァに乗って仮想訓練することになる」

 

「う、うん。でもあのエントリープラグ? っていうのにどうやって入ればいいの?」

 

「ちょっと待ってね」

 

 そう言って渚君はささっと、コンピューターを操作すると、ガコン、ガコン、とエントリープラグがプールから引き上げられる。そして真ん中のあたりが開いて口を開けた。

 ここからでは遠くてよく見えないが、やや大げさなシートがあるのがわかる。

 

「仮想訓練までならパイロットひとりでもできるよう簡略化、オートメーション化されている。今のネルフはこれが一番手っ取り早いパイロットの育成方法さ」

 

「渚君もこの方法で訓練したの?」

 

「いいや、僕はこんなことしなくても大丈夫だよ」

 

「なる、ほど?」

 

「部屋を出て左に進んだら、あとは標識に従えばいい。具体的な指示は僕が出すよ。……あ、まだ歩けないんだよね。シートに座るときは助けが必要になるから、やっぱり僕と一緒に行ったほうがいいか」

 

「ああ、いや、大丈夫だよ。それくらいならできると思う。頑張ってみる」

 

「そうなのかい? 僕の助けが必要そうだったら呼んでね」

 

 わかったよ、と首肯して操作室を出る。指示通りに左に進むと、エントリープラグらしきイラストと、その下部に矢印が描かれた壁を発見する。

 さらに奥に進み、目的の部屋を発見し、中に入る。中は部屋という様式などではなく、すぐ目の前にスライドドアが三つ並んでいる。

 それぞれの上部にはランプがあり、私はひとつだけ緑色に点灯していたドアの方を選ぶ。

 ドアを開くと、10メートルほどのボーディング・ブリッジのような通路が伸びていた。その通路をも抜けると、ようやく先程操作室から目視していた光景が目の前に広がった。

 地面はやや錆びた鉄板で、ジェットコースターの乗り場のように、左手にエントリープラグが斜め向きに聳えている。思ったよりエントリープラグは大きかった。ハッチは開いていて、私が座ることになるであろうシートを覗くことができる。

 

『シートに座れそう?』

 

 スピーカーから渚君の声が聞こえた。

 

「頑張る。これくらいできないとお父さんに何言われるかわからないし」

 

 腕に力を入れて、私は車椅子からゆっくりと立ち上がった。

 肘掛けに両手をつきながらエントリープラグの方に身体の向きを変え、数度ほど呼吸整え、軽く勢いをつけて手を離した。たった数歩の出来事だが、久々の冒険のような気持ちだった。寄りかかるようにエントリープラグに張り付き、持ち手などを利用して時間をかけて中に入り、もぞもぞと身体を動かしてようやくシートに座ることができた。

 シートと言ってもよく目にする普通の椅子などではなく、脚は垂直に下ろすのではなく前に伸ばし、左右の肘掛けあたりに前後にずらすことのできそうな操縦桿がある。シートそのものはSFチックな構造で、灰色。背もたれは僅かに後ろに傾いている。お尻や背中に触れるクッションはふかふかではないが、しっとりとした質感。それでいながら衝撃の吸収性能もあるように見える。

 エントリープラグ内はやや閉塞感がある。奥行きが結構あって、ちょっと怖くなる。

 

『うん、ちゃんと座れたようだね。じゃあエントリープラグを閉じるよ』

 

 そのアナウンスと同時に、ゆっくりと開いていたハッチが閉じていく。それと同時にプラグ内に淡い明かりが灯る。やがて完全に密閉された。

 非常に低い音が、滲むように鳴っている。

 突然、プラグ内にオレンジ色の液体が下から注入され始めた。

 これから何が起こるのかわからない私はパニックになり、責めるように叫んだ。

 

「渚君! こ、これ何⁉ 私溺れちゃう!!」

 

『心配しないで。それはL.C.Lといって、ただの液体じゃない。普通に呼吸をするように取り込めばいいよ』

 

『そんなこと言ったって……!』

 

 身体が無意識に逃げようとするが、そこまで私の脚は反応は回復していない。あっという間に腰までL.C.Lに浸かってしまう。温度は生温かった。

 そのままお腹、胸、首……と水位が上がったところで私は目一杯空気を肺に送り込み、目を瞑った。

 ついにプラグ内が完全にL.C.Lで満たされた。

 静かな時間。

 生温かったはずのL.C.Lから確かな温もりを得、浸る。

 やがて息が続かなくなって、暴れるようにL.C.Lを口内に含んで飲み込んだ。呼吸ができないという先入観から手で鼻と口をふさぐも、意味はなかった。

 しかしなぜか溺れる感覚はなく、飲むのではなく確かめるように小さく取り込む。

 そうすると、自然と呼吸ができていた。

 

『落ち着いたかい?』

 

「うん、すぅ──……、うん。落ち着いた」

 

『じゃあシンクロテストを始めるね。その後続けてエヴァでの戦闘訓練をしてもらう。僕がサポートするから安心して』

 

「うん、わかった」

 

 低い唸り音が身体の芯に響くほど重くなっていく。

 同時に、プラグスーツを通して肌に直接静電気みたいなのが帯電する感覚に震える。

 意識は深く、深く。より深く。太陽の決して届かない深海のさらに底へ。

 呼吸が浅くなる。必要最低限の量に落ち着く。死体だと勘違いされてもおかしくなさそう。

 ……そして、峠を超えた感覚。

 心身の負荷が一気に解放される。

 まるで光を目指して海底から海面へと上るよう。

 そうして自意識が完全に静寂となったとき、唐突にノイズに呑まれた。

 

 ◇

 

 集中する。

 スコープを覗き込む。

 私に超長距離射撃のセンスなどない。

 機械によってすべて制御されているから、私はディスプレイが発射のサインを示した瞬間にトリガーを絞ればいい。

 ……だったはずなのに。

 灼け消えて平たくなった山で、私は発射姿勢をとる。

 G型装備が壊れ、マニュアルで射撃しなければならない。そもそも私は射撃なんて行為するしたことがない。エヴァに乗り始めたことで、間接的に銃を手に持ち始めたくらいだ。無茶にもほどがある。

 無謀。馬鹿げている。不可能。

 そんな文字が脳裏で赤く光る。

 ……が、ここでやらないわけにはいかない。私の行為は、人類が生き残るか否かの命運がかかっているのだから。

 覚悟? そんなものはいらない。私のあらゆるすべてをこの一射に注ぎ込むのみ。

 ──使徒が超高出力の光線を放つ。

 私の頭部に直撃……するより前に、綾波さんが前に躍り出た。装備した盾を構え、私が照準を合わせるための時間稼ぎをする。

 しかし盾は十数秒で融解し、ついに綾波さんは己の身体を盾とした。

 そしてようやく照準が合い、すでに引き金にかけていた指を引き絞った。

 

 ◇

 

 腕が引き千切れてもいい気持ちで操縦桿から抜こうともがく。

 だが溶接されたかのように両の腕はビクともしない。ダミーシステム用のサポーターが私の動きを制限しているのだ。バイザーから強制的に見せられる様子は地獄だった。

 一方的に破壊……いや、捕食される3号機。

 死に物狂いで叫び、抵抗しても凶暴性に目覚めた初号機を止めることはできなかった。

 お父さんは人でなしだ。人殺しだ。3号機のパイロットである鈴原君を殺そうとしている。

 腕を引き千切り、内蔵を食い破り、頭部を殴り潰した。

「とまって!」とか「やめて!」なんて言っていたけど、最後の方はもう、意味をなす言葉を発することすらできていなかったと思う。

 そうして取り出されたエントリープラグが握りつぶされる瞬間を、私は見ていることしかできなかった。

 初号機とのシンクロはとっくに切れていたのに、まるで自分が握り潰したかのような感覚が手に残った。

 そして鈴原君の死亡報告を聞いた瞬間、私はあとで死のうと考えた。

 

 ◇

 

 ターミナルドグマで、私は無抵抗のカヲル君を殺した。

 手には血に濡れた肉の感触がまざまざと

 

 ◇

 

「────ッ!! ッ゛⁉」

 

 激しく脳が揺さぶられたような酔い。

 血が沸騰しかけたが、大丈夫だったようだ。

 

『大丈夫かい?』

 

「…………」

 

 今のは……いったいなんだ?

 もしかして私の記憶の一部なのだろうか。視点は明らかに私だったし、記憶の中で操縦していたエヴァは初号機だった。

 エヴァに触れたことで、それらを僅かながら思い出したのか? きっとそうだろう。だがなんだ……? 私自身が妙に腑に落ちない、理由が説明できない違和感があった。

 特に私が渚君を──。

 

『碇くん、聞こえるかい? 気分が優れないのなら中止するよ』

 

「あ……うん。大丈夫。ちょっとくらっとしただけ。もう平気だよ」

 

『本当に? もし危険だと思ったらすぐに言うんだよ』

 

「うん」

 

 痛みを感じたとかではない。

 ただの目眩に似た何か。ただのフラッシュバックだったのだろう。

 

『シンクロ率は……十分。ハーモニクスも正常。これなら何も問題はないね。碇くん、なにか違和感があったりしない?』

 

「特にないよ。強いて言うなら、なんだかちょっと心がふわふわする感じ」

 

 もう少し具体的に言うならば、第三者によって私の身体が操作されているような感覚。主導権は私にあるが、若干の介入が入ってくる、みたいな。

 プラグ内は私には理解できないデータがいくつかのディスプレイでオーバーレイ表示されている。

 

『ちょっと今から仮想映像を投影するから、前方をよく見ていてほしい』

 

 虹、モノクロ、ノイズ、と順に前方から波が急速に駆け抜けた後、突如さっきまではなかったはずの光景が広がった。

 市街地。

 ビルなどのリアリティはあまりなく、ポリゴンで生成されたデータの景色であることはすぐにわかった。

 そしてすぐに気づいたのは、私の視点が非常に高いということだ。高所恐怖症を自覚している訳では無いが、ふと見下ろすと、地面までの距離にゴクリとつばを飲む。

 

『それが実際にエヴァに乗ったときの視点だ。操作方法を説明すると、今握っている操縦桿はあくまで補助的なもので、基本的に自分の思考がそのまま反映される。だから、歩くことを考えるとそれをエヴァが読み取って歩くんだ。ちょっと歩いてみて』

 

 てっきり操縦桿を適当に奥に押し込めば進むと思っていたが違うようだった。

 歩くことを考えろ、と言われても難しい。普段そのようなことを考えているか? などと考えていたら突然視点が上下に揺れて前に進んだ。

 

「え、今ので歩いたの⁉」

 

 歩き出したはいいものの、速度はゆっくりだし、どうやって止めればいいかわからない。出鱈目に操縦桿を動かしている間にもエヴァは進み続け、そしてビルに突っ込んで小さなポリゴンを大量に撒き散らした。

 当然エヴァも倒れる。倒れる、という私の反射的危険察知からか、受け身だけはとってくれた。

 あくまで仮想だからか、若干の衝撃が届いただけで私へのダメージはない。

 

『しばらく基礎訓練をする必要がありそうだね。ひとまず自在に走り回れるようになるまで頑張ろうか』

 

「先が長くなりそう……」

 

『きっと大丈夫だよ。記憶はなくても身体はよく覚えているはず。すぐに慣れるさ。とりあえず立とうか』

 

 そうだね、と相槌を打って地面に倒れたままのエヴァを起き上がらせようとした、その時。

 

 ──カノンちゃん、立ち上がって!!

 

 そんな鋭い声がどこかからか聞こえた。

 

「!!」

 

 女性の声だった。渚君の声ではない。

 なんとなくヴィレの艦長の声に似ていたような気がする。……いや、気のせいだ。艦長はあんなに切羽詰まった声を出したりしなさそうだし。

 一度失敗して尻餅をついてしまったが、二度目で立ち上がることに成功する。渚君の指示通りに歩き始め、一時停止し、左に曲がったり後ろに下がったりを繰り返す。

 指示が出された瞬間に私はその通りに動いているはずだが、エヴァ本体への出力にほんの少しだけラグを感じてしまう。これを訊いてみたら、どうやらシンクロ率というものが関係しているという。名称だけでもなんとなくわかる。しかし高ければ高いほどいいというものではないらしく、高シンクロ率時にダメージを受けてしまうと、私に返ってくるフィードバックの重みが大きくなるという。

 そのせいで私は大怪我をしたことがあるらしい。

 

「なんだか旗あげゲームみたいだね」

 

『余裕そうだね。なんならレベルを上げるかい?』

 

「あ、ごめん。なんでもないです」

 

 渚君の言った通り、身体がエヴァの動かし方を思い出したかのように次第に動きがスムーズになっていくのがわかる。

 確かに思考を読んでエヴァは動いている。操縦桿はどちらかというと、無意識の動作の受け皿のようなものだと考えている。レースゲーム中にカーブに合わせて身体を傾けてしまうのと同じ道理だ。さらに操縦桿には複数のボタンがあり、これはすべて覚えるのに少し時間がかかりそうだ。

 

『うん、やっぱり順調だね。軽くランニングして、次にダッシュをしてみようか』

 

「わかった」

 

 歩けるのならランニングもそこまで難しくはない。気にするべきは、エヴァは非常に巨体なため、周りの建築物を破壊してしまわないように意識しなければならないことだ。歩く度にアスファルトが割れるのは……うん、こればかりは仕方ない。渚君も何も言ってこないし。

 実際はもっと長いが、体感で30mほど進んだあたりからダッシュに切り替える。高い俊敏性が求められ、許容ではあるものの、やはりシンクロ率の影響で完全リアルタイムな動きはできない。

 全力ダッシュなんてどれほど久しぶりだろう。記憶喪失になる前の車椅子生活期間も含めるとそれなりの長さだったと思う。

 ──もっと、もっと速く走ったことがあったと思う。それこそ、音速に迫るくらい。あれは確か、宇宙から落下する使徒を倒すために走った……はず。

 両の手のひらにジクリとないはずの痛みが駆ける。

 

『今日はここまでにしよう。成果としてはとても素晴らしいものだ。明日からは武器の使い方をレクチャーするよ』

 

 ◆

 

 カヲルはシミュレーターを終了させ、エントリープラグのハッチを開く前に通告した。

 

「今からエントリープラグ内のL.C.Lを排出するから、肺のL.C.Lを吐いてね」

 

『えっ』という困惑が聞こえたが、特に補足することもなかったのでそのままハッチを開くボタンを押した。

 オレンジ色の液体が勢いよく排出され、少ししてから、口から同じ液体を吐きながらカノンがのそのそと姿を現した。激しく咳き込みながらL.C.Lを吐き出そうと四苦八苦しているようだ。助けに行くべきかと考えたが、ほどなくして自力で車椅子に座ってドアの向こうに消えた。すぐにこの部屋に帰ってくるだろう。

 碇ゲンドウが第13号機ではなくわざわざ壱号機のパーソナルデータを用いたことに、納得はし難いが理解はしている。彼はカノンに期待しているのではないだろうか。壱号機と干渉することによって、記憶を呼び起こすだけでなく、その先を。

 きっとそうに違いない。あれだけ家族に執着する男だ、カヲル自身の経験上、断言してもいいレベルである。

 本来の目的は達成できるかは未知数だが、記憶が戻る素振りは訓練中に多く見られた。エヴァの操縦にまだぎこちなさが見受けられるところを見ると、完全に記憶を取り戻したとは言えない。

 碇ゲンドウがひとまずカノンに求めることは、最低限エヴァを動かして戦闘ができるようになること。その責任がカヲルにある。

 いつの間にか数歩だけだが歩けるようになっているし、経過は順調と見ていい。

 

「この調子なら大丈夫そうだね」

 

 ドアが開き、車椅子に乗ったカノンがやって来た。

 全身だけでなく車椅子もびしょびしょに濡らしながら、ふくれっ面の様子だ。

 

「ちょっと渚君! もっとこう……なかったの⁉」

 

「というと?」

 

「あのオレンジのを吐くの、すごくしんどいんだけど! うえぇ……、喉が痛い……」

 

 そう言うとまだ残っていたのか、気持ち悪そうに腹部を抱えて数度咳き込む。

 さすがに人前で吐くことは我慢したようだ。全力顔で胸を強く叩いて呑み込む素振りを見せ、うっすらと目尻に涙をためながら睨みつけてくる。

 

「それは慣れの問題としか言えないね。でも以前の君も、慣れずに悪戦苦闘してたらしいよ」

 

「だめじゃん前の私……ということは今の私は絶対だめじゃん……。とりあえずびしょびしょで気持ち悪いから制服に着替えてくる! このプラグスーツ、着心地が良いのは認めるけど、やっぱり恥ずかしすぎて着たくない!」

 

 それは諦めて、とはとても口にできず、ぷりぷりしたカノンが部屋を出て行くのをニヒルなスマイルで見送るにとどめたカヲルだった。




どうして連続して挿絵を使ったのだろう……
カノンチャンの可愛さ、伝われ……!

改竄はない。
どれも真実なのだから。

それではまた次回!
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