それでも私は──   作:次作エヴァはきっと鬱エンド

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お待たせしました。
終章開始。
テーマはSTAND BY MEです。

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そういえば、基本誤字すごいので誤字報告助かってます


EVANGELION:+0.01 STAND BY ME
苦痛


 ザク。ザク。ザク。

 死んだ大地を歩く。

 ここにはプラグスーツ姿の三人しかいない。水もない。食料もない。厳密には適当なコンビニとかに転がっているが、ずっと昔に期限が切れている。数年なら非常時だからと許容するが、十年以上となると流石に手は出せない。なによりコア化しているから無理だ。

 アスカとレイは水だけで十分だし、数日ほど断水しても耐えられる。ただしカノンはダメだ。カノンはまだ水と食料を摂取しなければならない身体だ。

 このままだと良くて三日。なるべく早く救助してもらわなければならない。それについてはすでにアスカが手を打っており、L結界密度の高くない、リリンが侵入できる合流地点まで行けばいい。

 ただしこのペースでは少々遅い。

 理由は明白で、アスカがカノンを背中に抱えたまま進んでいるからだ。

 

「あんた、ここからは自分で歩きなさい。私の背中で十分休めたでしょ」

 

 小さい公園のベンチにカノンを座らせ、強気にそう告げた。

 燃え尽きたように項垂れ、何の反応も示さないカノンに忘れかけていた怒りが再燃する。

 レイはそんなふたりをすぐ脇でぼんやり観察している。

 

「こいつの首根っこを掴んで引き摺ってでも歩かせなさい」

 

「それは命令?」

 

「命令よ」

 

 カノンに近づく。レイはカノンの手を握り、ゆっくりと立ち上がらせた。

 

「行きましょう」

 

 しかしうんともすんとも言わず、その場から歩きだそうとしない。木のように動かない。

 

「碇さん、行きましょう」

 

 そう言ってもう一度しっかりと手を握り直し、レイが引っ張る。すると、倒れないように脚を前に出したようにしか見えない動きではあったが、ともかく自力で歩いた。

 

「歩けるのだったら最初から歩けっての。行くわよ」

 

 隠しもせず舌打ちをしたアスカはレーダーに視線を落とし、歩き始める。

 すぐに住宅街がアスカたちを迎える。住民は当然存在せず、しんと静まり返っている。元々何色だったかわからない赤い車や、電柱、コンテナなどが異常重力によって浮き上がってゆっくりと回転している。

 それらに一切注意が向くことなく三人は無言のまま進む。かつては河川敷だった、今は大量の土砂によって埋め立てられた平野。見る影もないショッピングモール跡地。支柱が崩壊し、視界の向こうまで横向きに倒れている高速道路。枯れた花畑。

 こんな光景、とっくの昔に見慣れている。

 だからどうした。なにかコメントをしてやればいいのか。「これ、あんたがやったのよ」なんて言ってしまえば、またカノンがめそめそ泣き始めるだろう。

 そんな無様を見るのも苛つく。無駄なエネルギーを使いたくない。それにレイも自発的にこちらに何かを働きかけたりしないから気楽ではある。

 セカンドインパクト後は常夏だった日本も、ニアサー、サードインパクトの影響でさらに地軸の傾きがずれ、四季が狂ってしまった。

 今日が暑すぎず、寒すぎずの気温で良かった。とアスカは思う。もしそうでなかったら、カノンの生命維持に支障が出るから。当然プラグスーツに生命維持機能があるとはいえ、限界はある。

 さっき公園で手首の機能維持状態をチラ見したが、徐々に機能が低下してきている。あと半日くらいでアラートが鳴るだろう。そこからもうしばらくは耐えられるだろう。

 

「……無駄な心配よ」

 

 それまでに合流できる予定だ。

 いちいちカノンを心配してやる必要なんて無い。アスカはふたりに聞こえないように小さく舌打ちした。

 等高線のように表示されるレーダーを見つめる。歩き始めた時と比べると、L結界密度が明確に低い地域にいる。まだリリンが防護服を着用していても接近できない地域ではあるが、合流地点ならば防護服前提で安全である。

 

「あと半日くらいで着くわ。待たせる訳にはいかないから、急ぐわよ」

 

 少しペースを上げるアスカ。

 レイも同じようにペースを上げ、手を引かれるカノンも上げざるを得なくなる。

 ずっと遠くから見えていたあるものの横を、ようやく通り過ぎる。ビルほどの大きさの赤い十字架。撃破されたエヴァインフィニティのL.C.Lが急速に凝固したものだ。

 見上げると壮観だが、アスカからするともう見慣れたオブジェクトだ。チラ見すらせずスタスタと後にする。

 数時間ほどぶっ通しで歩き続け、一度カノンのために休息を取る必要があると判断した。後ろを振り返ると、明らかに疲れが溜まって顔色が悪くなり始めている。汗もかいているようだし、きっと補給も必要かもしれない。

 

「あそこで少し休憩よ」

 

 目をつけたのは、複数の自動販売機が横並びになっているちょっとした休憩スペースだ。

 ベンチは破損しているから使えそうにないので、仕方なくカノンを地面に座らせる。するとバッテリーの切れた人形のように項垂れる。

 目は虚ろで、疲労もだいぶ溜まっているようだ。数回休憩を挟んだとはいえ、二日ぶっ通しで歩き続けたからそうなるのも仕方ない。

 と、カノンの手首からピッピッと電子音が鳴る。バッテリー残量が限界に近づき、プラグスーツの生命維持機能が大幅に低下している警告だ。

 エヴァの呪縛によってL結界に耐性はあるが、アスカやレイほどではない。身体がコア化するなどといったことは起こらないはずだが、体調不良くらいは起こるかもしれない。よくよくカノンを観察すると、ただ虚ろなどではなく、意識も朦朧としている。

 アスカは、急がねばと少し焦りを感じた。

 また背負ってやらないといけなさそうだ。合流地点まではあと少し。頑張ればいける。

 そう考えて早速休憩の終了を通告しようとしたその時、遠くからエンジン音が聞こえた。それは間違いなくこちらに接近してきて、やがてアスカたちを眩い光で照らしながら直ぐ側で止まった。車だ。

 運転席のドアが開き、人が降りる。

 生身ではなく、全身をオレンジの防護服に包んでいる。顔は逆光でよく見えない。しかしその声は、聞き慣れたものだった。

 

「悪い。遅くなった。大丈夫か碇?」

 

「こんなところまで来なくても、もうすぐで合流地点に行けたのに」

 

「まあまあ。碇がいるって聞いたからには、そりゃあ早く会いたくなるもんだよ」

 

「当の本人はこんなだけどね。乗せるの手伝って」

 

「了解」

 

 気さくにアスカと会話をする男らしい人はカノンに近寄るとひょいと持ち上げた。

 

「うん、碇も全然変わってないな。あれ? ちゃんと飯食ってるのか? エヴァパイロットの待遇がこんなのはいただけないなぁ」

 

「こいつ、ネルフに寝返ってたのよ」

 

「なんか色々事情がありそうだな。その辺りは移動しながら聞こうじゃないか」

 

 眠りに落ちたのか、それとも意識を失ったのか、男にされるがままカノンは車の左後方席に詰め込まれる。そして三人目を見て、男は驚き半分で言った。

 

「よく見たら綾波じゃないか。いるならいるって最初に言ってくれればよかったのに」

 

「こいつはファーストじゃないわ」

 

「あー……なるほどね。さあ、君も乗った乗った」

 

「ええ」

 

 我が物顔で助手席に乗り込むアスカ。右に後部座席にレイが乗り、車は発進した。舗装されていない悪路を進むのに特化したオフロード車が、小刻みに揺れながら進む。弱い人は車酔いになりそうだが、三人は特に問題なさそうである。唯一酔いそうな人物は眠っている。

 

「あれだろ? 二日前のものすごい戦いでヴィレと逸れた感じだろ?」

 

「そうよ」

 

「離れててもおおよその観測ができたくらいだったよ。空を埋め尽くすあの忘れられない輪。もしかしてフォースインパクトでも起こっていたのか?」

 

「その通り」

 

「で、俺たちが生きてるってことは、アスカたちが止めたと」

 

「厳密には違うけど、その認識で合ってるわ」

 

「そうか……」

 

 窓から外を眺めると、富士山と同じくらいのサイズの超巨大物体──黒き月が横たえている。

 とっくに赤くなった世界の光景に見慣れていた男──相田ケンスケも思わず感嘆の声を漏らす。

 

「こいつがまんまと騙されてトリガーにさせられたのよ」

 

「碇が? なるほどね。そりゃこうもなるか」

 

 バックミラー越しにカノンを見る。

 死んだように眠るカノンの頭部はレイの膝の上に置かれている。

 

「……自業自得よ」

 

「しばらく療養が必要だな。ちょっと栄養状態含め色々良くないから、ひとまずトウジに診てもらおう」

 

「ええ。あと、着いたらミサトに連絡したいから無線使わせて」

 

「いいぜ」

 

 そうしてまるで夫婦の会話のように他愛のない感じで起こったこと、カノンの動向をひと通り話した。

 ケンスケはしばらく無言になり、そして口を開いた。

 

「ミサトさんもミサトさんだし、碇も碇で悪いところがあったんじゃないかな? あとアスカはもっと素直になるべきだった」

 

「は?」

 

 容赦のない食い気味なアスカを躱すように続ける。

 

「照れ隠しは俺には通用しないよ。言いたいことを言えずにお別れなんて、この世界じゃよくある話だからな」

 

「…………」

 

 見えてきたのは、これまでとは打って変わってまた奇妙な場所だった。ちょっとしたビルくらいの高さの真っ黒な柱が一定の間隔を開けて何本も整然と並んでいる。ただ水平に並んでいるのではなく、非常に広い区画を覆うように見える。距離が離れていても全体を俯瞰できないくらい広い。

 さらに柱と柱の間には何らかの薄紫色の膜が張られている。その膜の向こう側は赤くない。明らかにL結界の影響を受けていない。言い方を変えればL結界を弾いているのだ。

 ケンスケはその膜に接近すると、躊躇いなく突っ込む。あわや大事故が起こったりすることはなく、にゅっ、と車は受け入れられ、中に入る。

 中は村と呼べる集合帯が形成されていた。レトロ感のある仮設住宅群が、申し訳程度の電灯でほんのりと照らされている。深夜だから仕方ないが、外を出歩いている人間はほとんどいない。数人の警備隊とすれ違うくらいだった。

 車は迷いなくそこそこの大きさの建物の横に止まった。

 

「着いたよ。碇と綾波をトウジに一旦預けて、俺とアスカは帰ろうか」

 

 ドアを開け、運転席から降りたケンスケは後部座席からカノンを抱きかかえる。

 そして建物に入ろうとすると、ちょうどガラガラとドアが開き、のそりと白シャツ姿の男が出てきた。痩せ型で、好青年がそのまま大きくなった容貌。しかし大人の余裕が見え隠れしている。

 男は気さくに手を上げた。

 

「おうケンスケ、待っとったで」

 

「悪いなぁトウジ。話した通り碇と綾波を預かってもらっていいか? あと碇だけ念のため軽く診察してもらえると助かる」

 

「わかった。開けとるからすぐにでも診よか」

 

「頼んだ」

 

 ケンスケから丁重にカノンを受け取るトウジ。と、ここで訝しげな表情を浮かべてカノンをまじまじと見下ろす。

 

「こりゃあかんで。抱くだけで平均体重より低いのがわかるわ。栄養失調の疑いもありそうやから、血液検査もしといたほうがええ」

 

「その辺は任せるよ。じゃあ俺とアスカは帰る。明日改めて伺うからよろしく」

 

「おうよ」

 

 アスカを連れて車内に戻ったケンスケは、静かに去っていく。

 

「今日だけ悪いけど患者用のベッドで我慢してくれ。明日ちゃんと用意するさかい」

 

「ええ」

 

 トウジの後ろを着いて歩くレイ。

 中に入り、電気をつける。短い渡り廊下の向かいを曲がると入院によく使われる白いベッドが複数台並べられている。

 そのひとつにカノンを横たわらせると、すぐにトウジは診療器具を取りに部屋を出る。

 

「そのプラグスーツ脱がしといてくれんか? わしはそれの構造知らんからな」

 

 こくりと頷いたレイは廊下へと消えたトウジを視線で見送り、カノンへと向き直った。

 数日も身に着けたままだったから、いくら超高性能のスーツだとしても狭苦しさはあっただろう。手首のボタンを連続して押すと、プラグスーツのぴっちり感がなくなり、一気にぶかぶかになった。

 裏の首筋から割るようにして上半身の前半分と後ろ半分を分ける。黒髪の長髪を巻き込まないようにゆっくり首部分からゆっくりと脱がしていく。むわっと中で濡れた汗が……というのがないことがプラグスーツの高性能なところ。長期間身につけたままでもなるべく着心地を損なわないように出来得る限りの仕組みがなされている。

 あとは簡単で、脚の部分からズルズルとずらしていくだけだ。そして最後に足がプラグスーツから完全に離れて完了だ。

 脱がしたものは適当に隣の台にかけた。

 裸体となったカノンは明らかに肉付きが悪く、腹部も非常に薄く、肋骨が浮いているのがよくわかるくらいだった。特に意味なくぼんやりと見ている間に診療器具を運んできたトウジが帰ってくる。

 

「おう。ありがとう。せやけどそれじゃあ寒いやろうから掛け布団をかけような」

 

 今さっきプラグスーツをかけた台に器具を乗せ、その次に掛け布団をかけてやった。聴診器を手に取り、自分の両耳にイヤーピースを入れ、先端に伸びる円形の膜型をカノンの胸に当てる。

 

「んー、平気そうやな」

 

 次に両手でカノンの顔を掴み、親指で両の目元の下を少し下に引っ張ってまぶたの裏を露出させる。そこを凝視したトウジは短く唸った。

 

「やっぱな。貧血気味やわ。……ちゃんと飯食えてなかったんやな」

 

「何をしているの?」

 

 突然、レイがそう質問してきた。

 レイには裸のカノンをべたべた触っているだけにしか見えなかったのだ。

 

「なんや、こないなことも知らんのか? 身体に異常がないかとか調べてるんや」

 

「そう」

 

 聴診器を戻し、次は数十センチのゴムの紐と、アルコールを染み込ませたガーゼを手に取った。二の腕あたりを紐できつく縛り、肘の内側を人差し指でなぞり、ぷっくりと浮き出た血管の位置を把握する。ガーゼで丁寧にその周辺を拭き、そして注射器を手に取る。慎重に針の先端を血管に合わせると、静かに刺した。

 すると自然と血が注射器内部に溜まっていき、トウジが十分と判断したところでゆっくりと針を抜いた。それと同時に絆創膏を貼り付ける。

 

「今のは?」

 

「血を調べるんや。そうすると健康状態がわかる。調べるのは後回しやけどな。一旦はこれでよしや。カノンもめっちゃ熟睡してるようやし、病衣だけ着せてあとは休ませよう。お前もそこのベッド使うとええ。プラグスーツは脱ぐか? 病衣もう一着持ってくるけど」

 

「私はこのままでいい」

 

「ほうか」

 

 テキパキと手慣れたスピードでトウジはカノンに下着と病衣を着せた。

 

「そいじゃおやすみ。朝になったら起こすからゆっくり休んでくれ。お疲れさん」

 

 そう言ってトウジは診療器具を持って、電気を消し、白衣を揺らしながら部屋から出ていった。

 静かな夜に、虫のさえずりだけが聞こえる。木製のドアの隙間から入り込む空気の音。

 与えられたベッドに小さく座っていたレイは、もぞもぞとカノンの元に移動した。特に深い理由があったわけではない。あまり眠くなくて、暇だっただけ。ベッドに腰掛け、静かな吐息を立てて眠るカノンを見下ろす。

 レイがカノンと面と向かって最後にコミュニケーションを取ったのは、酷く落ち込み、ネルフ内を幽霊のように歩いているのを見かけたから危険と判断してプレハブハウスに連れ込んだ時だ。

 終始悲観的な言葉を述べ、苦しそうな顔をさらに苦しそうにし、終いには諦めたような雰囲気で出ていった。

 その表情があまりにも……あまりにも無だった。綾波も自身が無表情であることを自覚しているが、そんな彼女でさえ見ていられないほどだった。だから彼女を引き止めてまでこんな言葉をかけていた。

 

『あなた、死にそうな顔をしてるわよ』

 

 今もそうだ。今寝ているこの瞬間も。

 全然穏やかに見えない。唸ったりしている様子はなく普通に見えるが、どうも直感が違うと語る。言葉などでは表現できない、感覚的なもの。

 中途半端に終わってしまったが、フォースインパクトは発動された。渚カヲルを排除することにも成功した。碇ゲンドウの計画通り。部下であれば喜ぶべきことでは?

 カノンがここまで苦しんでいる理由がどうしてもわからなかった。

 いつしかレイはカノンの手を握っていた。

 

「温かい」

 

 すぐに手を離す。無意味な行動だ。これで何かが起こるわけではない。

 さっさと自分のベッドに戻り、あまり眠くはないが目を閉じた。

 

 ◆

 

 何かに顔を触れられている感覚があった。しかもそれは濡れている。さらに何度も何度も触れてくる。

 ゆっくりとカノンは瞼を持ち上げると、至近距離に二つの影があった。ひとつは犬。もうひとつは1、2歳児程の幼児。エリザベスカラーを首に巻いた犬は、カノンの頬を追加で二回舐めると元気に吠えた。

 すると、

 

「こらっ! 犬はそっから先入ったらあかんぞ!」

 

 という声とともに脇の白カーテンが開き、男がベッドの横に立って幼児を腕に抱きかかえた。

 

「気ぃついたか。分からんか? ワシやワシ! トウジ、鈴原トウジや。ほんまに久しぶりやの、カノン」

 

 カノンは状況を飲み込めていないようで、無表情でトウジを見上げたままだ。

 まあええかとペンライトの光をカノンの両目に当て、瞳孔の開閉が問題ないか光を左右に振る。

 

「まあ多少事情は聞いとるが、けったいな話でよう分からん。とにかく元気そうで何よりや。どや? もう動けるか?」

 

 むくりと身体を起こしたカノンはゆっくりと部屋を見回した。

 病室であることを理解したことで満足したのか、それ以上の思考を止めて俯く。

 朗らかに微笑んだトウジはカノンをベッドから立ち上がらせ、出勤していた看護師と協力して中学校時代の女子用ジャージを着せる。そしてジッパーを首元まで上げてやる。

 

「行けそうやな。ほなら家に行こか。腹も減っとるやろ。外はちょっと寒いで〜」

 

 部屋を出てエントランスに向かう途中でレイの姿があった。レイはしゃがんで先程カノンの頬を舐めていた犬とにらめっこをしている。

 と、別の看護師が声をかけてきた。

 

「先生、その子、着替えたくないそうですよ」

 

「ま、そのままでもええやろう」

 

「あとタミフルがもう無くなりそうです」

 

「分かった。分配長に相談しとく。すまんが今日はこれで上がらせてもらうわ。ほな行こうか」

 

 トウジに連れられるまま歩くカノン。木造の建物を出ると陽の光を浴び、思い出すように外を眺めた。

 オレンジ色の夕日は昨日までのようにただ赤い世界を写しておらず、別のものをカノンに届けた。

 多くの人がいた。現代的な街とは遠くかけ離れていて、時代に逆行した昭和チックな印象が強いが、確かに人々が済む空間がそこにはあった。

 車両専用のレールが円形の地面ごと音を鳴らしながら回転する。

 人々の暮らし。営み。生がここにある。

 

「ここ、不思議。人がいっぱいいる」

 

「なんや、人混みは初めてか。ここはあちこちの生き残りが集まった集落の一つ、第3村や。千人くらいで暮らしとる。あれが食べもんの配給所。週三回、日を決めて配っとる」

 

 トウジが視線を向けた先では、数十人程が並んでチケットと交換して順番に食料などを手に入れている様子が窺える。

 

「先生、こんにちは」

 

 三人の前を通ろうとした妊婦の女性が声をかけてきた。

 

「おお、松方さん。もうすぐやったな。無理したらあかんで」

 

 松方と呼ばれた女性は大きな腹部を優しくさすりながらレイとカノンを見た。

 

「先生、その二人? クレーディトから預かったって子」

 

「まあそんなもんや。よろしゅう頼むわ」

 

「うん。それじゃあ失礼します」

 

「おう」

 

 女性が立ち去るや、レイは疑問を口にした。

 

「クレーディトってなに?」

 

「クレーディトっちゅうんは、ヴィレが作った支援組織のことや。支給だけやのうて、この村と他の村との交易も手伝うてもろうとる。ワシらの村だけじゃ、とても生きていけんさかいな」

 

 近くに積まれているコンテナにそのクレーディトと思われるロゴの塗装がされていた。次にレイは線路に沿って歩く、腹部の膨らんだ動物を見つめた。

 

「あれは何? 犬と形状が違う」

 

「うん? あれは猫や」

 

「猫?」

 

 列車の下に潜り、うすまくまり、大きくあくびを一つ。妊娠している。それに腹部の大きさからして、出産が近い。

 レイは膝をついて猫を覗き込む。

 

「猫見んのも初めてか? 車輌の下を根城に十匹ぐらい住んどる。ここじゃ犬や猫もおるだけでうれしいもんや」

 

 ついにトウジの家に到着する。昔のような現代風な一軒家などではなく、やはり昭和時代に逆行したかのような平屋。表札は少し錆びていて、スズハラの下に『急患のときは右の呼び出しボタンを押スこと』と赤文字が刻まれている。

 

「ここが、古いながらも楽しい我が家や。一軒家で贅沢させてもろうとる」

 

 村の医者という重要性の高い仕事に従事しているトウジは良い待遇を与えられている。この家がその一つだ。

 トウジは、威勢よく引き戸を引いて中に入る。

 

「ただいま! すぐ晩飯の支度するからな」

 

 どたどたと靴を脱いで上がるトウジ。

 

「おいおい待たんかいな。流石に土足で上がるんはなしや。ちと待っててくれ」

 

 何食わぬ顔でそのまま上がろうとした綾波を止めたトウジは、すぐに雑巾を持ってきてプラグスーツの足裏を拭かせた。

 カノンはというと自発的に靴を脱ぐことはなく、放置しておくとずっと玄関で立ち尽くしていそうだったので、仕方なくトウジが靴を脱がしてやって家に上げた。

 案内されたのは古風な居間。畳敷きで、やや狭い。居間というより和室だ。中央にはテーブルがあり、そこに60代前半と思われる男が胡座をかいて座り込んでいた。

 

「オヤジさん、少しこのふたりをここに置くことになりました。よろしゅう頼みます」

 

「うむ。さあ、こっちに来て座りなさい」

 

 オヤジさんと呼ばれた中年の男に促されるままレイとカノンはテーブルに座る。レイは正座。カノンは体育座りをしてすぐに視線を落とした。

 ふたりに自発的に会話をする意思はなく、どうやら男も同じようだった。トウジが鍋を別室から運んでくるまで妙な沈黙が流れる。

 

「えぃよっと。みんなお待ちどうさん。さあ、熱々のうちに食べるで!」

 

 テーブルに置かれた鍋はぐつぐつと煮えていて、熱せられた味噌汁の具が非常に食欲を唆る。いい匂いも部屋に充満し、トウジは待ちきれないとばかりに気持ちが顔に出る。

 テキパキと全員分の配膳を済ませ、お椀に味噌汁をよそう。

 いただきます、とトウジと男が口にして食事が始まる。美味しそうに味噌汁を口に運ぶふたりを観察するレイが、真似をするようにお椀を口元に運ぶ。ゆらゆらと湯気だつそれをしばし凝視してからようやく味噌汁を口に含む。

 

「どや、美味いやろ?」

 

「口の中が変。ホクホクする」

 

 レイは両手に持つお椀に視線を落とす。

 

「せや! それが『美味い』や!」

 

 次にトウジはさっきから石像のように全く動かないカノンに目を向け、焦らせないように優しく声をかける。

 

「カノンは食わんのか? 食いたくなったらいつでもええんやからな」

 

「ワシの娘は下ごしらえがしっかりできとるからな」

 

 男の自慢気な話に、トウジがそうやと深く頷く。

 

「ほんま、世界一の嫁さんや。会うたらびっくりするで」

 

 そこでちょうどタイミング良く玄関の引き戸が開かれ、女性の声が聞こえてきた。

 

「ただいま、遅くなってごめんなさい」

 

「おう、おかえり! 待っとったで! カノン、分かるか? ワシの嫁さんや。委員長やで!」

 

 ピク、とカノンの肩が大きく震えたのをトウジは見た。

 間もなく今のドアが開かれ、赤ん坊を抱いた女性が入ってきた。あの頃の少女が大人になった姿。ヒカリだ。

 佇まいは皆の委員長ではなくなっていて、慎ましい女性へと成長している。床に膝をおろし、レイ、そしてカノンを懐かしげに見つめた。

 

「連絡受けた時は信じられなかったけど、こうして目の前にいてもまだ夢みたい。久しぶりね、カノン。綾波さんも」

 

「違う。私は綾波じゃない」

 

 レイは即座に答える。すると、

 

「なんや違うんか? じゃあ──」

 

「そっくりさんや!」「そっくりさんね!」

 

 夫婦の楽しそうな声にびっくりした赤ん坊がぐずり始めた。大慌てであやすヒカリにぐいと顔を寄せたレイは、目を大きく開きながら問うた。

 

「何、これ」

 

「おう、ワシらの娘、ツバメや。かわいいやろ?」

 

「人なのに小さい。どうして小さくしたの?」

 

「なんや、赤ちゃん見るんも初めてか?」

 

「産まれたときはもっと小さいの。赤ちゃんはどんどん大きくなるのよ」

 

 レイはおそるおそる人差し指を近づけ、赤ん坊の頬に触れた。できたての餅のようにふっくらとした触感。そしてふわっと熱が指先から伝わってくる。ぐずっていたツバメが静かになり、つぶらな瞳はレイを捉えた。

 

「これが……可愛い?」

 

 心に強く感じた感情をどうにか言葉にしたレイに首が千切れるほどトウジが首肯する。

 

「せやろ? かわいいやろ? なんせワシらの娘やからなあ」

 

 トウジがそう言うとツバメがまた泣き始めた。

 

「ああっ。ごめんねぇ。大きい声出すからびっくりしちゃった?」

 

「すまんツバメぇ。泣かせてもうたかなぁ」

 

 そんな家族の幸せそうなワンシーンを見ていたカノンは静かに泣いていた。啜り声を上げることもなく、ただ彼らを見てぽろぽろと泣いていた。

 またもや玄関の引き戸が開かれ、誰かが入ってきた。

 

「お、大将のお出ましや」

 

 我が家のように自然な様子で部屋に入ってきた人物は、酒瓶を掲げて見せた。

 

「悪い。遅くなった」

 

 昨晩、レイカノンアスカを拾い、第三村に連れてきた男。相田ケンスケだ。

 

「「おおぉ!」」

 

 一升瓶を見て、トウジと義父が思わず喜び歓声を上げた。その声の大きさに反応したツバメが再び泣き出してしまう。

 すぐにヒカリがツバメをあやしつつ、口元に人差し指を当てるジェスチャーをした。

 

「シーッ!」

 

 ◇

 

「なにしてるの?」

 

 トウジたちのいる部屋の暗い隣の部屋。

 授乳を始めたヒカリの隣にレイが立っている。トウジの陽気な歌声が漏れ聞こえている。

 

「赤ちゃんは、お乳を飲んで大きくなってくの」

 

 レイは自分の胸を見下ろし、下から支えるように手を当てた。

 

「そっくりさん。あなたにはまだ無理よ」

 

「……わからない。綾波レイなら、どうするの?」

 

 レイはオリジナルの綾波レイではない。綾波レイ自体がクローンではあるが、この個体はヴィレ、あるいは世界と戦争をするために量産された綾波シリーズの一人に過ぎない。

『綾波レイであれ』と義務付けられて活動していた個体はネルフの管轄区域から大きく離れてしまっている。ゆえにネルフからの指令を受け取ることができない。

 何をすればいいかわからなくなったレイが自分で精一杯考えた結果が、『綾波レイならどうする』という自問だった。

 

「あなたは、綾波さんとは違うんでしょ? だったら、自分で思ったことをすればいいの」

 

 一蹴されるかのようなシンプルな回答。

 レイの瞳が見開かれる。弐号機との戦闘時、パイロットも似たようなことを言っていた。

 沈黙する。

 自由への不安がレイの中で渦巻く。

 そしておずおずと尋ねた。

 

「違って、いいの?」

 

 ◇

 

「久しぶりだな、碇。相田だよ。相田ケンスケ」

 

 大人になったクラスメイトは、涙の跡が残るカノンの隣に座り、昔と変わらない落ち着きのある声で語りかけてきた。

 トウジは歌唱を止めると、カノンをケンスケと挟み込むようにしゃがみ込んだ。

 

「そや、ケンスケや。お前を助けてくれたやっちゃ。ワシらもこいつのサバイバルオタクぶりに、随分と助けられた。こいつがおらんかったら、ワシらもとうの昔に野垂れ死にや」

 

 カノンは膝に顔を埋めてしまった。ふたりは黙って互いに視線を交わす。

 すると、カノンのこれまでの態度に我慢できなくなった義父が一升瓶を床にドンと置き、カノンを叱責した。

 

「カノンちゃん! 無口はいい。だが出された飯は食え。それが礼儀だ!」

 

「まあオヤジさん。無理に飯に誘ったワシもいかんかった。今日はそっとしといたってぇや」

 

 トウジが宥めて場を鎮めようとするが、止まることはなかった。

 

「しかしトウジ君。これだけ貴重な飯をもらっといて一口も食わんとは、失礼にも程がある!」

 

 襖がさっと開かれてヒカリが居間に戻ってきて、眉をきゅっと顰めて声を抑えつつ父を宥める。

 

「お父さん、ツバメが起きるわよ。さ、後片付けして、布団敷きましょ。ほらあなた、そっくりさんとカノンちゃんの分も」

 

 するとケンスケが立ち上がり、なおも顔を上げないカノンを見下ろして言った。

 

「いや、碇は俺が引き受けるよ。その方がよさそうだ」

 

 ◆

 

 目覚めた直後に目にした人々の営みがすっかり静まり返った夜。鈴虫の鳴き声が涼し気に響き、ちらほらと家の灯りが見える。

 月明かりはかつての第三新東京市とは比べ物にならないくらい綺麗だった。

 カノンはどこに向かっているかもわからないケンスケの後ろに着いて歩く。

 経年劣化したアスファルトがそこかしこでひび割れ、その隙間から雑草が伸び伸びと生えている。今や意味をなくした標識などにも蔓が絡まっている。

 

「意外だったろ。トウジと委員長が結婚したのは。中学のときはケンカばっかしてたもんな。まあきっかけは、ニアサードインパクト。その後の苦労が二人の縁結びだ」

 

 村から少し離れた場所へと歩くふたり。

 

「碇、ニアサーも悪いことばかりじゃない」

 

 赤い燐光に身を包んだ送電塔が、不気味に回転しながら浮かんでいる。

 綺麗な月明かりを落としていた月には、ネルフの高所からカヲルと一緒に見た時と同じで格子状の赤い模様が浮かび上がっている。

 

「俺のところで預かってもいいんだけど、日中は基本仕事だからいないんだ。アスカはきっと碇に強く当たってしまうだろうから、俺よりも適任の人を紹介するよ」

 

 やがて見えてきたのは、トウジの診療所より少し小さいくらいの施設。それでも今日見た村人たちの家と比較するとずっと大きい。さらに清潔感もあるように見える。

 

「ここの人は今の碇にはぴったりのはずだ。きっと碇も気に入ると思う」

 

 ここは公民館という認識のほうが正しいかもしれない。

 ぽつりと一部屋だけ灯りがついているのが外から確認できる。

 ケンスケは扉の前に立つと、軽く三度ノックした。

 はーい、と女性の声が聞こえ、次にサンダルを履く音が聞こえる。ガラガラ、と扉が開かれて中からひとりの女性が寝間着の姿で顔を出した。

 その女性はカノンよりもずっと年上で、紅葉のような赤いショートカットに、柔らかそうな薄緑の瞳。顎はシュッとしていて、人懐っこい猫のような口をしている。

 女性はカノンを見るや否や、黄色い声を上げた。

 

「うわぁ! すっごく可愛い子だね。アスカなんかと全っっ然違うよ!」

 

 寝間着で出るのはどうなんだ……とぼやいたケンスケは言葉を続ける。

 

「今朝相談した通り、やっぱりここに預けることにしたよ。トウジのところは碇にはきっと合わない」

 

「いいよいいよ。こんな大きな家をもらっておいて、たった一人はホント寂しくて」

 

 お前の家ではないんだけどな、またぼやく。

 

「これも伝えた通りだけど、今の碇は何もできない。仕事を手伝うこともできないけどそれでもいいか?」

 

「大丈夫。私の話を聞いてくれるだけでもすごく助かるよ」

 

「そうか。そう言ってくれて助かる。時々俺かアスカあたりが様子を見に来ると思うから、よろしく頼むよ」

 

「わかった」

 

 わしわしとカノンの頭の上に手を置いたケンスケは、

 

「じゃあな碇。ちゃんと良い子でいるんだぞ」

 

 と手をひらひら振りながら元来た道を帰っていく。

 ほどなく、おろおろはしないが身寄りの友達がいなくなったことに少なくとも静かに動揺し始めたカノンの瞳を女性は見た。

 

「君のような可愛い子が来てくれて嬉しいよ。ここで気の済むまでゆっくりしていていいからね」

 

「……」

 

「あ、そうだ。自己紹介がまだだったね」

 

 と女性は手を合わせた。そして年頃の少女のようなにこやかな笑みを浮かべ、元気に手を差し伸べた。

 

「初めまして。私は霧島マナ。よろしくね、カノンちゃん」




前書き挿絵を妄想解説すると、

カラオケボックスくらいの狭い空間。
特殊装甲22層と同じ構造のブロックで囲われてる。
中は真っ暗。一切の光なし。赤外線みたいなやつで24時間監視されてる。
保管位置は黒き月よりも地下。リリスのある場所より地下。急造した区画だからインフラもまだ大部分が構築中で、ほとんど全く人が来ない。実はたまーにスパイが侵入しようとするが、道中がきつすぎてこれまで誰も最深部まで侵入できたことがない。つまり道中で死んでる。
頻繁に天使の輪が出現(原因不明)。なんかやばい状況だから、使徒封印用呪詛文様を監視ルームから発動させて抑制する。するとだいたい消える。この時意識のないまますごく苦しむが、手のひらと足の甲を聖印っぽいので貫かれてるから悶えることしかできない。
なかなか消えない場合はさらに出力を上げることになり、血を流しながら激しく苦しむ。あまりの酷さに見てられないので、だいたいその時はモニターを切って、生体データだけを見ていることが多い。
たった半月であまりの頻度と対応スタッフの精神的摩耗から、監視開始1ヶ月で自動化された。以降、月1のシステムメンテナンス以外で監視ルームに来る者はいない。
ここ10年くらいで天使の輪が現れた(抑制を行った)回数が62,431回。うち強く抑制した回数が30,935回。
まだ起こったことはないが、反応が極大で抑制することできず、危機的状況と判断された場合は、

1.ブロック内部に仕込まれている核弾頭を起爆(期待薄)
2.液体窒素で内部を満たす(期待薄)
3.液体窒素を排出後、速やかに硬化ベークライトで内部を満たす(期待薄)

これでも事態が収まらない場合、ネルフ総司令の指示の下、最終手段として足元のハッチを開いてマントル直通トンネルへブロックごと落下させ、完全に消滅させることで破棄する。
地層の動きで擦り潰す案もあったが、万が一のため確実な方法としてマントル。
多くのスタッフは少女の保管場所すら知らない。どこかの施設に幽閉、良くて療養していると楽観的に考えている。

だと愉悦が捗るよね、という。だから矛盾点は無視してね。
正史ではQ冒頭まで初号機に溶けていたから、あくまでこれはただの妄想(かもしれない)絵ということで。
皆も好きに妄想していいよ。どうせこういうの好きでしょ。
―――――――――――――――――――
苦しい。ただただ苦しい。
それではまた次回!
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