それでも私は──   作:次作エヴァはきっと鬱エンド

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鋼鉄のガールフレンドを履修しろください。
3Dモデルを作って躍らせてみたりとか他にも色々浮気していたから遅くなった。

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前回のあらすじ
大きくなった同世代。心も身体も子供のままの私。


無我

 カノンは俯くだけで、マナの自己紹介に反応を示すことはなかった。

 

「とりあえず中に入ろっか。風邪ひいちゃうからね」

 

 中に招き入れるマナはすたすたと奥へ進む。

 施設内部はシンプルな間取りで、広めの玄関のすぐ近くに男女に分けられたトイレがあり、その奥には部屋の扉がいくつか並んでいる。向かいの壁には掲示板のようなものが設置されていて、様々な連絡事項などが記載された紙がピンで留められている。

 そしてその横に大広間に続くであろう少し大きいダブルスライドドアがある。

 今歩いている通路の突き当りに曲がり角があったが、そこに向かうことはなく、マナに連れられるままひとつの部屋に入った。

 中はひとり用のホテル部屋くらいの広さだった。床に敷かれた布団だけで半分ほどに満たないほどのスペースが埋まり、さらに壁に向かった小さな机と椅子やクローゼットで、部屋が非常に狭く感じられる。

 

「こんな狭い部屋でごめんね。他にも部屋はいくつかあるんだけど、そこは仕事で使う用なんだ。でもお布団を畳めば少しは広くなるから!」

 

 カノンは許可を求めるようにマナを観察し、マナの頷きを確認して部屋の中に入ると、ふらふら部屋の隅に移動して小さくなってトウジの家と同じように膝を抱えるように座り込んだ。

 

「お布団でちゃんと寝るんだよ? いつも朝は私早く起きるんだけど、カノンちゃんはどうする? 一緒に起こしてあげようか?」

 

「…………」

 

「うん、無理はしなくていいからね。起きたい時に起きればいいよ。何かあったらいつでも私の部屋に来ていいから。場所はすぐ隣だからわかると思う」

 

 不意に接近すると、カノンはビクリと肩を揺らしてより一層小さくなった。マナはそんなカノンの頭にそっと触れ、「おやすみ」と呟いた。そして背中を向け、静かにドアを閉める。

 足音が遠ざかり、すぐ近くのドアが開いて閉じる音が聞こえるまでカノンは耳を澄まして聞いていた。

 マナは自室でごそごそと物音を立てることなくさっさと眠りについたようだった。

 カノンは時折小さく身動ぎするだけで一切物音を立てることはなかった。暗くなった部屋で、無意味に床を見ている。ただそれだけ。

 そうして朝が来た。

 

 ◆

 

 霧島マナの朝ははやい。

 目覚ましは貴重な電池を使うものなので基本使わない。時計はひとつだけで、この部屋にはない。ゆえに己の体内時計に従って起床する。

 ベッドからのそっりと起き上がり、寝間着姿のまま自室を出て洗面所に向かう。カノンの様子を確認するべきかと目を擦りながら一瞬考えたが、起きたいときに起きてくれればいいと自分が言ったので、彼女の自由にさせることにした。とはいえ昼にはちゃんと確認しようと決める。

 最低限の水で顔を洗い、寝癖を丁寧になおす。そうすると鏡の前にはパッチリとキマった立派な女性が映る。

 

「うん」

 

 あとはいつも通りに軽く朝食を済ませ、着替えも済ませて仕事の身支度が完了した。

 エプロンを身に着けている。2、3体ほどのミニキャラが刺繍されていて、料理をするためのものではないらしい。

 大きなダブルスライドドアを開けば、明らかにマナのためとは思えない幼児サイズのものが多く配置された大部屋が姿を現す。

 小さな椅子。小さなテーブル。おもちゃ箱。十数人分のロッカー。幼児向けの装飾などなど。

 カーテンを開き、朝の光を室内に迎え入れる。

 マナは保育士である。資格はない。

 訳あってこの村に住むことになり、いつの間にかこうなっていた。だからこの施設はあくまで借り物だが実質マナの家といえる。与えられた建物の規模でいうとトウジの同じくらいであり、村にとって重要度の高い役職に就いている。

 第3村の大人はほぼ全員が働いている。働かざる者食うべからずだ。そのため子供たちはどうしても放置されがちになってしまう。親の仕事を手伝ったりケンスケから勉強を教わったりできる子はいるが、幼児はそう簡単にはいかない。ゆえにそういった幼い子供の面倒を見る場所の存在が必要不可欠なのだ。

 千人ほど暮らしている村とはいえ、子供の数が少ないのは村の問題に留まらず人類全体の問題にもなる。今や人類は絶滅の危機に瀕していて、コア化した大地の浄化と奪還に等しく速急に解決しなければならない。

 現に村だけでなくヴィレも結婚と子育てを推進していて、ある程度の手当も出る。

 今の子供たちはニアサー後に生まれてきたことになる。マナたちが生きている間に、子供たちに昔の世界を取り戻してやれるかはとても厳しいと言わざるを得ない。それでもミサトを初めとして少しずつ少しずつ青い地球を取り戻すべく戦っているのだ。

 大部屋を掃除して迎え入れる準備を整えたマナは再びカノンの部屋の前に立つ。時刻は九時前。そろそろ起きても良い頃合いだ。

 

「カノンちゃん起きてる〜?」

 

 軽くノックをして声をかけるが返事はない。もう一度ノックしようかと思ったが、寝ているかもしれないし、起きていたらしつこく思われるだろうからやめておいた。

 ケンスケからは過度に干渉しすぎないようにと言われている。年下とのコミュニケーションに手慣れたマナにカノンを託したのは最善の対応だっただろう。

 

「いつでもいいからね」

 

 ドアから離れ、そろそろやって来るであろう子供たちを待つべく施設の外に出る。

 すでに太陽はのぼり、働きに向かう人たちが遠くにちらほら見える。肉体労働でも男性にも負けないくらい動けると自負しているが、こちらはこちらで以外と肉体労働なのだと知ったのは、この職と居場所を与えられてすぐのことだった。

 緩やかな丘を上ってやって来た親子をマナは笑顔で出迎えた。

 

「おはようございますー!」

 

「ええ、おはようございます。今日もこの子をお願いできますか?」

 

「はいもちろん」

 

 そう言って女性から預けられた子供たちをひとりひとり中へと案内していく。

 いつもはだいたい十人に満たないくらいだ。幼児と言っても0歳児が預けられることはあまりない。基本的に親が付きっきりになって育児をするからだ。それは前述したこの村の体制が理由である。さすがのマナも追加で0歳児を複数人預かるのは責任を取れる範疇を超えてしまう。

 ゆえにだいたい2、3歳児くらいの子が多く、常に問題がないか気を張らなくていいからマナも請け負える。

 今日はこれくらいかな、とドアを閉めて中に入る。ちらりと視線をやるが、カノンは部屋を出た様子はまだない。

 大広間に子供たちを入れ、荷物をロッカーにしまわせ、手洗いうがいをさせる。その後席につかせ、朝の会を始める。

 

「はい、皆おはようございます」

 

 おはよーございます! と元気いっぱいの返事にマナは深く頷き、つつがなく朝の会がいつも通り進み、お遊戯の時間になる。この時間帯は特にマナが特に注意深く子供たちを監視しておかなければならない。

 ものの取り合いになりそうなら仲裁に入るし、危ないことをしようとしていたら急いで止めに入る。ひとりでいる子を見かけたら相手をしてあげたりなど。

 非常に疲れる業務だが、やりがいはとても感じている。子供たちに関わるのは楽しいし、幸せだ。

 そうしてヴィレがどこかから持ってきて与えられたピアノを弾いて皆で歌を歌う。ちなみにマナはピアノが上手ではないため簡単なものしか弾けない。だがそれでも良い。ハイレベルなものは求められていないし、子供たちが楽しく歌えることができればそれで良いのだから。

 昼になると、昼食の時間だ。

 ニアサー以前のような潤沢な食料は第三村にはないため、子供たちも多少の影響は受けてしまう。とはいえ飢餓に陥るほどではない。それに子供たちは大切な未来だ。手を抜く理由などどこにもない。

 この時マナは同時に食事の躾を行ったりする。汚い食べ方をしていたら注意し、お箸を正しく使えていなかったら持ち方を教えたり。

 食事を終えたあとはおやすみの時間である。

 どうしても食事後はうとうとする子が多いのと、寝ている間に食器などの片付けが行える利点がある。

 

「はーい、皆おねんねのお時間だよー」

 

 てきぱきと全員分の敷き布団を並べると、吸い込まれるように子供たちは次々と自分から潜り込む。

 眠りが浅い子には付き添って子守唄を歌い、穏やかな吐息を確認すると、大広間を離れた。

 カノンの部屋を訪れ、ドアをノックした。

 

「カノンちゃん、起きてる?」

 

 再びノックをするも、反応がない。

 本当にまだ寝ているだけかもしれないが、起きていてマナの呼びかけを無視している可能性もある。

 無理に部屋に押し入るのはよくない。自分から何かアクションを起こしてくれればこちらも動きやすいのだが、悩ましい。

 カノンを引き取った以上、寝床や食事を与えるだけであとは知らんぷりなどといったことは絶対にしないつもりだ。寄り添って、心の傷を癒やしてあげたい。

 とはいえ無計画に今日を迎えてしまったのは事実だ。カノンの心身を詳しく把握していなかった。そこは反省点である。

 

「私の仕事が終わったら、一緒にお風呂に行こうか。昨日お風呂入れてないでしょ? 仮設の公衆浴場があるの」

 

 裸の付き合いをすれば、少しでも心を開いてくれると期待して。

 今はこれ以上カノンに話しかけるのは控えることにした。静かにドア前から去り、子供たちが起きた後の用意をする。ここからは普段通りの業務だった。

 しかし今日だけ少し違ったのは、お昼寝時間が終わって子供たちが遊び始めてしばらくすると、突然ひとりの子がカノンの手を引いて大広間に連れてきたことだ。

 

「あれ? どうしたの?」

 

 マナは予想外のカノンの登場に驚きながら尋ねた。

 

「えっとね、おねえちゃんがひとりでいたから、あそぼうって連れてきた」

 

 連れられた本人は変わらず上の空で、魂が抜けたように子供に手を引かれるがままになっている。呼びかけに答えることはなく、このままだと皆も扱いに困ってしまうだろうと考えた。

 

「ありがとう連れてきてくれて。でもね、お姉ちゃんは心の病気で疲れちゃってるの。だから、そっとしておいてくれると嬉しいな」

 

「それっていつなおるの?」

 

「うーん、皆が優しく話しかけてくれたら、いつか治ると思うよ」

 

「うん、わかった」

 

 子供からカノンを引き取り、子供用の椅子を急いで用意した。このまま部屋に戻してやったほうがいいかもしれないと考えたが、本当にひとりっきりにしてしまうのはなんの解決にならない。無理のない範囲で多くの人と触れ合ってほしい。純粋な子供たちと過ごしてほしい。

 

「ごめんねカノンちゃん。こんなことになっちゃって。とりあえず今日だけここにいてくれるかな?」

 

 返事が返ってこないことを承知したうえで耳打ちし、カノンを座らせた。

 見知らぬ少女の登場に皆はおもちゃあっちのけで興味津々とばかりに近寄ってくる。「だあれ?」とか「あそぼう!」などといった言葉を投げかけられるが、カノンは予想通り俯くだけだ。良くも悪くも純粋な子どもたちは、それだけで半数以上が興味を失って別のことを始める。

 子供たちがカノンに何か良くないことをしてしまわないかがマナは気がかりだったが、子供たちの面倒を見るのに手一杯であまり意識を割くことができなかった。しかしそれらはすべて杞憂に終わり、全く動こうとしない動物園の動物を観察するようなシュールな光景になっていた。

 唯一、突然カノンがすすり泣きを始めたことだけは手放しで放置できなかった。反応が返ってこないことなど百も承知で「どうしたの?」と訊く。

 子供たちもいきなり泣き始めたと言うものだからなおさらわからない。とにかくこのままこの場に置いておくのは良くないから、手を取って部屋に帰らせておいた。

 その後はいつも通りだった。夕方くらいには仕事を終えた親たちが迎えに来て、それが誰もいなくなるまで続く。いなくなったあとも、片付けや村人から搬入されている食料などの整理などをしなければならない。

 すべて終え、溜め込んだ疲れを息に乗せて吐き出したのが夜の19時。今から夕食の準備をしなければならない。カノンの分も忘れないようにしないとね、とふんわり思い出しながら台所に立とうとした時、インターホンの鳴る音がした。

 

「はーい!」

 

 この時間に来客なんて珍しい。

 特に今日、そういった予定はなかったはずだ。台所から玄関に移動し、閉めていた鍵を開けてドアを開ける。

 

「あら、こんな時間にどうしたの?」

 

 マナよりひとまわり小さい少女がとても不機嫌そうに立っている。顔はそっぽを向いている。手にはビニール袋。

 

「ん、これ。ケンケンが持って行けって」

 

「アスカ」

 

 ビニール袋を受け取り、中を見るとタッパに入れられた豚汁が入っていた。ついさっきできたものなのだろう、まだ温かい。

 

「それだけ。……あいつは?」

 

「あいつって……カノンちゃん?」

 

「それ以外にないでしょ」

 

「うーん、そうだねぇ……。ずっと静かにしてる。話しかけても口を開いてくれないの」

 

「ふん、そんなこったろうと思ったわ」

 

 大げさに鼻を鳴らしたアスカは「それじゃ」とさっさと踵を返して帰ろうとする。マナはその手を握った。

 

「待って。せっかくなら会ってあげてよ。友達なんでしょ?」

 

「友達ぃ? 別に友達でもなんでもないわよ。今も昔も。それに霧島さんがちゃんと面倒を見てるならそれでいい」

 

「どうせ戻ってもやることないんだからいいじゃん。ほら、入った入った」

 

「ちょっ⁉ 腕引っ張んな! このナルシスト!」

 

 勢いに任せて中へと連れ込むマナ。不意を突かれた招きにアスカは完全に拒絶することができず、結局なし崩し的にお邪魔することになった。

 

「ちょうど今から夕食するところだったから手伝ってくれない?」

 

「は? なんで私が手伝わないといけな」

 

「これとこれ。この器に豚汁入れといて。あそうだ。アスカも食べる?」

 

「いらない。あと勝手に決めるな」

 

 そう言ってぶつぶつ小声で恨みつらみを吐きながらも器を受け取ってしまったアスカは、素直に用意を進める。

 てきぱきと豚汁以外の惣菜を別の皿に盛り付ければ完成だ。

 マナとカノンの分をそれぞれのトレイに乗せる。台所から移動して、カノンの籠もっている部屋の前に立つと、アスカはいっそう不機嫌そうな顔をした。

 

「……チッ」

 

 落ち着かない足で床を数度前掻きする。

 マナはそんなアスカを一瞥した後、ノックをして中に入った。今度は遠慮なしに声掛けもしなかった。

 ベッドに寝転がる姿はなく、岩のように部屋の隅で小さくなっていた。体育座りで膝を抱え、頭を俯かせている。

 ふたりが入ってきた瞬間、ビクリと身体を震わせはしたがそれきりだ。

 

「ほらカノンちゃん、ご飯食べよう。アスカも心配でわざわざ来てくれたんだよ?」

 

「はあ⁉ 捏造するなバカ!」

 

 ちゃぶ台の上にふたり分のトレイを置き、マナはカノンの前に座った。

 そっと手を伸ばし、少し冷えたカノンの手を包み込む。

 

「みんな心配してるんだよ? 落ち込んだままだと何もできないよ? ご飯食べて元気になろう?」

 

「こいつは何もしたくないのよ。生きたくも死にたくもない。どっちの勇気もないただの抜け殻よ」

 

 刺々しい横槍に少しムッとしたマナは、振り向いてコメントをする。

 

「……アスカは妙にカノンちゃんへの解像度が高いね」

 

「しばらくは一緒に過ごしていたんだから、嫌でもだいたいのことはわかるわよ」

 

「十年以上も前なのに?」

 

「……」

 

「ふーん……」

 

 なんとも言えぬ納得顔で会話を終わらせると、ちゃぶ台ごとカノンの前に移動させた。

 そして堂々と対面に座ると、マナは何食わぬ顔で食事を始めた。

 

「ごめんね、カノンちゃん。ちょっと急かすようなことを言っちゃったね。別に急がなくていいから、いつか前を向けるようになるといいな。ただし私はたくさんアタックするけど。あとで一緒にお風呂に行こうね。アスカも一緒だよ」

 

「⁉」

 

 マナに喋らせると色んなことが勝手に決められる。

 完全に彼女のペースに呑まれているアスカはイヤイヤ期の子供のように否定するが、右から左に簡単に流される。

 結局最後まで微動だにしなかったカノンを前にもりもりと夕食を平らげたマナは、「また用意するからね」とお盆を下げて一旦部屋から出た。

 しばらく部屋に残されたふたりの間には、重い空気が流れる。

 アスカは我が物顔で数歩歩き、壁にもたれかかって腕組みをした。そして薄く目を瞑って視線を伏せる。

 

「──あんた」

 

 その声には怒りや喜びといった感情は含まれていなかった。

 長いため息を吐き、視線をカノンへ向ける。

 

「いつまでもうじうじしてんじゃないわよ。気持ち悪い」

 

「……」

 

「……つまんないわ、あんたといると。何にも返してこない。人形ごっこしてるみたい。今のあんた、ファースト以上に人形よ。もうただの骨」

 

「……」

 

「……フン、やっぱ帰る」

 

 ここまでコケにしてもカノンは何も言い返さなかった。超温厚な彼女だが怒る時は怒る。それすらないのは、アスカからするとあまりに意気地なしだった。

 不機嫌が頂点に達したアスカは舌打ちまでした後、最後に一言残してやろうかとカノンの横で膝までついたが、「……くそっ」と断念してのそりと立ち上がった。

 部屋を出ようとしたところをちょうど戻ってきたマナと対面してしまう。

 

「どうしたのアスカ」

 

「帰る」

 

「え、これから一緒にお風呂に行くって」

 

「帰るから。それはあんたが勝手に決めたこと。私は知らない」

 

 明らかにこれ以上はふざけてこの場に留まらせられないほど機嫌を悪くしているのを察したマナは、しぶしぶ横にずれて道を譲る。

 ずんずんと通ったアスカは、振り返りもせずにさっさと施設から出ていってしまった。

 

「やだやだ。あんなにストレス溜める生き方してたら老け顔になっちゃうわ」

 

 やれやれと両肩を上げたマナは皮肉の込めたコメントを呟いた。

 

「アスカが帰ったのはもう仕方ないから、ふたりでお風呂行こっか」

 

 そう言って再び部屋を出て少しすると、着替えなどが入っている手提げバッグを持って戻ってきた。

 そしてカノンを立ち上がらせて一緒に歩き、玄関で靴を履かせて外に出た。

 すでに太陽は地平線に沈みかけていて、黄金色の光が村全体を淡く照らしている。一時間もしないうちに暗くなるだろう。丘から見下ろす村の光景はとても印象的で、平時のカノンであれば足を止めて見入っていたかもしれない。

 手を引かれるままに丘を下り、旧式の列車が何両か連なっている場所についた。窓の部分は隙間なくカーテンが降ろされていて、列車の上部に空けられた隙間から明かりと湯気が漏れていることから、改築して風呂として利用していることがわかる。

 

「あーよかったよかった。時間はまだ大丈夫そうだね。村の区域ごとに一時間しか使えないルールだからさ。さ、早く行こう!」

 

『女湯』とシンプルな風呂に入る女子が絵本テイストで描かれている看板のドアを手動で開き、中に入る。

 中身は車両そのままで、片側の座席をすべて取り外して代わりに脱いだ衣服などを入れる籠を収納する棚が配置されている。

 ちょうど中年の女性が数名ほど風呂から上がってタオルで身体を拭いているところだった。マナはカノンと一緒に邪魔にならないように少しだけ離れた位置に移動して豪快に服を脱いだ。

 ぐしゃっとしたまま籠に突っ込もうとしたが、他人の目が気になるのか、最低限それっぽく軽く畳んで改めて籠に入れる。その間一分と少し。

 かかしのように棒立ちしているカノンのジャージをジッパーを下ろし、インナーを脱がせてブラジャーのホックを外す。そして男子小学生のイタズラでやるズボンずらしのように勢いよく二段構えでズボン、パンツと下ろしてすっぽんぽんにした。

 

「────」

 

 さ、行くよ。と口にしようと今一度カノンを視界に収めたところでマナは一時停止した。

 肉付きが明らかに足りていない。もともと少食だってせいでこうなったと言われても受け入れがたいほどだ。悪い意味で腰が細いし胴が薄い。少し手の大きい人が両手でカノンの腰を掴んだら指先がつくくらい。第3村が発足された当時の、特に栄養失調の酷い子供ほどではないがそれを想起させた。

 アスカは健康体でありながらあの抜群のスタイルだが、カノンは不健康でかつ小さい。よくアスカがもやしと言っていたが、これでは枯れたもやしだ。

 本人が拒否するのなら無理に食べさせる必要はないと考えていたが、考えを改めなければならないかもしれないと思いつつ、マナはカノンの手を握って湯船が設けられている車両へ移動した。

 一般家庭にあるものより五倍ほど大きい湯船。一、二人でなく五人以上が入ることを想定しているからこの大きさである。

 カノンをバスチェアに座らせ、身体を洗う用に設置されているプールから桶でお湯をすくい、頭から浴びせた。背中にくっついた黒髪をまとめて前面にやり、ボディーソープを泡立てて染み込ませたタオルで背中からゴシゴシと洗う。

 元々垢なんて目立たない陶器のような肌だったので、さほど時間はかからない。右腕、左腕、腋下をさっさと洗い、次はバスチェアごと前を向かせる。

 再び髪を後ろにさっとやり、首から順に足先まで丁寧に洗った。

 桶のお湯を浴びせ、泡を流す。

 

「いつもカノンちゃんって髪のケアとかってどうしてるの?」

 

 もう一度、今度はゆっくりと頭からお湯を浴びせる。頭頂から毛先までゆっくり撫でるように手櫛を数度。そしてシャンプー液をなじませて空気を含むようにわしゃわしゃとすると泡立ってきたので、それを髪全体までゆっくり広げていく。この時、指の腹で頭皮を洗うことで爪先で頭皮を傷つけてしまわないように意識する。

 十分洗えたところで、雑にならないようしっかり時間をかけて泡をお湯で流す。

 

「うん、いいでしょう!」

 

 座りっぱなしのカノンの身体が冷えてしまわないうちにささっとマナも自分の身体を洗い、カノンを誘導して湯船に浸からせた。

 床にお尻をつき、マナは中年男性のように「あ゛〜」と声を漏らす。もちろん他の人がいたら我慢していた。カノンもこの気持ちよさには無反応を貫くことはできなかったようで、「ほ……」と微かに可愛らしい声を出していた。

 夜は暗く、外で鳴く鈴虫の声が聞こえてくる。

 湯気に満たされた車内でふたりの肌の赤みを増している。カノンは少し瞼を下ろし、ぼんやりと反対側の壁を視界に収めている。頬の力は緩み、全身が脱力しているのがわかる。

 無表情なのは変わらないが、少しでも安らいでくれていることがマナには嬉しかった。

 隣り合うふたりだったが、マナはさらにカノンの方に近寄った。それも腰が接触するほどに。しかしカノンは拒絶などといった反応は示さない。

 だからなのか、マナは唐突にこんなことを口にした。

 

「──私、スパイだったんだ」

 

 僅かにカノンが顔をこちらに向けようとしたが、誤差のような角度しか回転させるだけでそれ以上は期待できそうになかった。

 

「今はもう違うよ。昔の話。私がカノンちゃんと同じくらいの時」

 

 思い起こす、14年前の記憶。

 

「ネルフにスパイしようとしてたの。ほら、なんとなくわかるでしょう? ネルフが使徒だけじゃなくて、外部組織からの干渉に対しての防衛もしていたこととか」

 

 当時のネルフは絶大な権力と力を保有していた超法規組織だった。その気になれば国家転覆ができるし、やりようによっては故意的にサードインパクトを引き起こして全人類を抹消できた。

 もちろん政府は動向を監視していたが、それでもネルフの持つ情報量と技術力には劣る。裏を突かれたりですべてを掌握することは不可能だった。

 情報戦を仕掛けようものなら、世界でトップの頭脳であるMAGIに瞬殺される。世界中にあるネルフ支部たちのMAGIレプリカを総動員すればしばらく拮抗させることができるかもしれないが。

 ゆえに物理的に内情を探るしか無い。そこを戦略自衛隊だったり政府だったりがスパイとして、霧島マナや加持リョウジを送り込むことになったのだ。

 しかしそこに予期せぬ誤算があり、

 

「私がいざこれからって時にカノンちゃんがエヴァパイロットであることが晒されちゃったから、ネルフのセキュリティレベルが一気に跳ね上がって計画が中止になっちゃった」

 

 ひとりのジャーナリストが碇カノンの正体を世界に暴露したことで、すべてが狂った。

 当然本人は酷い鬱状態に陥り、ネルフによって厳重に保護される。そして二度とこのようなことが起こらぬように電光石火の早さでセキュリティの見直しと強化がされた。

 そうなってはもう、すでに内部深くまで浸透できてている加持リョウジですら身動きが取りにくくなっただろうし、マナは第一歩を踏み出すことすらできなくなった。

 

「カノンちゃんをターゲットにして接触しようとしたの。あの二人とは違って、肉体的にも精神的にも付け入る隙が多かったから。あと、おそらく(・・・・)碇ゲンドウの娘であろうあなたが何も知らないはずがないからね」

 

 作戦会議時に説明はされていた。

 式波・アスカ・ラングレー。綾波レイ。碇カノン。

 ホワイトボードに貼り付けられた、街中で撮影された三人の盗撮写真。

 バチカン条約により、一国のエヴァ保有数は三機までという縛り。そして三人のこれまでの動向と校内での様子を考えるとエヴァパイロットであることは予想できた。

 その中でも、まず式波アスカは接触候補から真っ先に除外された。あれは生粋のエリート。そう仕上げられた少女だ。動きを間違えるとすぐに看破される可能性がある。

 次に綾波レイ。ネルフの秘蔵っ子。情報があまりにも少ないため除外。

 逆に碇カノンは極めてターゲットに相応しい。なにせ碇ゲンドウの娘であり、まだ一般人の感覚が抜けていない。そして普段の様子は周囲に無警戒。身体能力は平均より少し下。精神年齢も、いい意味でも悪い意味でも純粋な中学生だった。唯一の懸念点があるとすれば、小学生高学年から中学入学までの記録がちぐはぐなところ。間違いなく改竄があったのは明らかだが、その詳細が不明であることのみ。そこが碇カノンを碇ゲンドウの娘ではないのではないかという疑いを抱く理由である。

 

「それで諦めて引き上げようとしたところで……ね」

 

 ニアサー。

 それからは怒涛の毎日。大地から滲むように、大地を赤く染めながら次々と姿を現すようになったエヴァインフィニティを駆除する非日常。大義名分を得た外部がネルフに対してすべての情報の開示を求めて拒否された結果、強行突入されることになる。そして繰り広げられる戦闘の中、どさくさに紛れてサードインパクトが引き起こされてしまう。

 あれはネルフとネルフ内部から蜂起したヴィレ、そんな事情を知らない外部というカオスのような三つ巴合戦だった。

 マナは対エヴァ・使徒を想定して建造された巨大ロボットのパイロットとして戦闘に参加したが、ネルフから放出された、バチカン条約に真っ向から喧嘩を売るような大量のネーメズィスシリーズによって一瞬で破壊された。そして圧倒的な力の差を思い知らされた。

 命からがら機体から脱出したマナは赤くなった大地を彷徨い、餓死しかけていたところをヴィレによって救出された。

 

「実は何度もカノンちゃんに近づきはしていたんだよ? ガードが固くて距離は離れていたけど。だから当時のカノンちゃんを私はそれなりに知っているつもり」

 

 近寄り過ぎたら覆面のボディーガードに悟られる。そのギリギリを攻めた接近。

 そのリスクを冒してでも得られるものは大きかった。彼女の性格。考え方。所作。癖。

 どれも心に付け入るのに重要なファクターだった。

 もしスパイだとかそんな役割なんてなくて。マナが普通のひとりの少女だったら。しがらみなく話しかけることができて、もっとはやく、中学生の時に良い友達になれていたのかな、なんて考えながら。

 

「いつかあの時のように戻って、ありのままのカノンちゃんとお話したいな」

 

 嘘偽りのないすべてを曝け出したうえで、マナは本心を伝えた。

 

「ごめんね。少し気を悪くする話をしちゃったね」

 

 時間だ。

 そろそろ次のグループが来る頃合いだろう。

 カノンを浴槽から出させて脱衣所に戻る。バスタオルで水気が残らないように全身を拭いてやり、ドライヤーなんてないから限られた時間で素早く髪を乾かす。

 持ってきた着替えに着替えさせて、新しくやって来た村人たちとすれ違うように列車を後にした。

 外はすっかり暗くなっていて、ぽつぽつと配置されている電灯だけが夜道の頼りになる。節電のため、この時間になると明かりを落として就寝し始める家がある。

 

「身体を冷やさないように、早く帰ろうか」

 

 もと来た道を戻り、丘を上り、施設に戻ってきた。

 

「ただいまー。歯磨きしてさっさと寝よ。明日も仕事だからね」

 

 ほかほかの身体のまま洗面所へ。

 予備の歯ブラシを与えるが、見事に鏡と無表情にらめっこをしていたから仕方なく歯磨きをしてやる。

 ここまで来るとカノンだけでなくマナも眠気に襲われる。瞼が下がり始めた様子を見て、眠気には勝てないのね、などと微笑ましく思いながらカノンをマナの自室へと連れてきた。

 自分の部屋でないことに気づいたカノンはしかし何の抵抗もしなかった。

 そのままされるがままに布団に寝かしつけられ、マナと身体をくっつけることになった。そもそもひとり用の布団だから仕方ない。掛け布団から身体が溢れないようにカノンの背中に腕をまわしてしっかりとホールド。向かい合う形で就寝する。

 

「おやすみ。明日はちゃんと起こすからね?」

 

 目が合う。

 傷心の彼女は何も言わずに静かに目を閉じた。

 今はまだそれでいいとマナは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「っ、……ふ……っ」

 

「うう……うっ、う……」

 

「ぃ、いやだ……ごめんなさい……。私、そんな……つもりじゃ……」

 

 声が聞こえて、マナは目を覚ました。

 まだ夜だ。

 腕の中で眠るカノンは、とても苦しそうに弱々しく頭を振りながら泣いていた。起きているのか? と思ったが、どうやらそうではないようだ。起こしてやるべきか悩む間にも寝言は続いた。

 

「しにたい……うっ、うう、ぅ……」

 

 大粒の涙は止まることなく枕を濡らす。

 ようやくちゃんと聞くことができた言葉がこのようなものとなってしまったことにマナは大きなショックを受けた。

 心に傷を負った人間はこれまでに何度か見たことがあるが、酷い部類だろう。なにせ背負わされているものがあまりにも別次元だから。

 

「みんな……わたし、が──」

 

 最後まで言い切る前にカノンを力強く抱きしめた。自分を見失って、放棄してしまわないように。

 寝言が止まる。起こしてしまったかもしれない。

 だが、しばらくすると痛いくらい抱きしめ返してきた。涙が服に染みてくるのがわかる。

 マナはカノンが穏やかな吐息を立てるようになってから、自分も睡魔に身を委ねた。




人の命を奪っても私の生は続く。
自己に問うのは罪の所在。
そして抜け出せない自罰。

それではまた次回!
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