それでも私は── 作:次作エヴァはきっと鬱エンド
「着いたわよ」
私は買い物袋をぶら下げながら、ミサトさんが鍵を開けるのを待った。
「ささ、入って」
「あ、はい。お邪魔します」
そう言って中には入ろうとするとなぜかミサトさんが私の行く手を阻む。
「……いい、カノンちゃん? ここはあなたのお家なのよ。お邪魔しますかじゃないでしょ?」
「……ただいま」
なんだか恥ずかしい。歯が浮く。そんな様子を受け取ったのか、ミサトさんは微笑みながら。
「なんだ、可愛いところあるじゃない。お帰り」
と快く迎え入れてくれた。
「ちょっち散らかってるけど……まあ大丈夫デショ」
ミサトさんに促されるがままに家に入ると、そこには地獄がすでに顕現していた。ゴミ屋敷。足の置き場がないレベルだ。絶望的。およそ人間の住めるところではない。つまりミサトさんは人間ではない?
「待っててね。今食事の支度をするから」
家に帰ってくる途中に寄ったスーパーで買った買い物袋を机の上に置く。これで卓上スペースはほぼ埋め尽くされた。
「悪いけどそれ、冷蔵庫に入れといてもらえるぅ?」
ミサトさんがインスタント食品を電子レンジに突っ込んでタイマーをかける。上着を脱ぎ散らかし、自室に消える。
「はい」
私が持つ袋にはセット買いしたビールがたっぷり。指差された冷蔵庫を開けると、インスタント食品、おつまみ、そしてこれでもかと詰め込まれたビールの山があった。
まさに不健康の権化。そのくせになぜかあのスタイル。美人。まったくもって神様はなぜこんなにも酷い仕打ちを行うのだろうか。もっと私に乳をください。同年代の女の子達との格差に苦しみたくはありません。
「あの、あっちのは何ですか……?」
自室で部屋着に着替えているミサトさんに訊く。もしかしたら今私が開けている冷蔵庫がサブで、あっちの冷蔵庫がメインなのかもしれないからだ。それだとしてもビールの占める割合が笑えないが。
「ああそれ? 気にしないでいいわよ。たぶんまだ寝てるから」
「寝てる……?」
冷蔵庫の中に誰かが住んでいるのか? いやいや、ここは地獄だ。常人には理解できないことだってあるかもしれない。そう私は自分を納得させる。
チーン、と電子レンジの軽快な音が鳴り、インスタントオンリーの偏った夕食が始まる。
「ンっンっンっ。ップハーーーッ!! くぅーーーッ!! やっぱ人生、このときのために生きてるようなもんよねぇ」
「はあ……」
オヤジ臭い。生活水準が低く、救いようがない。まだ若そうだが、これじゃあ将来が心配だ。とはいっても私はミサトさんよりも年下だ。私の推測なんて当てにはならない。
「どうしたの? 食べないの? インスタントも結構イケるわよー」
「あ、いえ、こういうの、慣れてないんです」
するとミサトさんはガンッ! とビール缶を机に叩きつけて私の前に身体を乗り出した。
すでに酔っているのかもしれない。
「ダメよ! 好き嫌いしちゃあ!」
「そういうわけではなくて、あの……」
怒られるのかと思いきや、ミサトさんはにんまりと笑顔になる。
感情の起伏が激しい人だ。
「楽しいでしょ。他の人と食事するのは」
きっとこの人だと良い意味でも悪い意味でもこの家は賑やかになるのは間違いなさそうだった。他人との……上司との同居。普通に生きてきたならば間違いなく経験できないこと。
私は少しだけ、嬉しかった。
食事を済ませ、ゴミを袋にまとめる。ついでだから何日前のかもわからないゴミも回収した。異臭は放っていないが、これ以上の放置は私が看過できない。
「ミサトさん、明日掃除しましょう」
「え? 別に大丈夫でしょ。生活に困ってないし」
ビールのお代わり――たぶん四本目――を開け、テレビで漫才を見ながらソファーにだらしなく寝転がって寛いでいる。
これで美人を維持できるなんて世界はなんて理不尽なのだろうか!
「私が嫌なんです! いいですね? これじゃあ貰い手がないですよ?」
「………………はい、お願いします」
最低限だけ片付けると、まるで一部だけキッチンにオアシスが出現したかのような落差にミサトさんが唖然とする。
私は鼻を鳴らす。
「私のレベルは中学生以下……?」
「……否定はしないです」
「お風呂、湧いたから先に入ってきなさいな。……うっ、私は中学生以下」
涙目のミサトさんを尻目に私はそそくさと浴室に去る。適当なパジャマを漁り、服を脱ぐ。
吊るされたミサトさんの下着が私の劣等感を煽る。私にも未来はある。悲観は……しない。はい。
そう考えながらお風呂のドアを開けると、目の前で見たことのない生き物が身体を激しく震わせた。大きさは私の足の付け根ほど。水しぶきが私にかかる。
「きゃああああああああああああ!!」
カーテンを開け、ミサトの前に全力でダッシュする。
「ミミミミサトさん! あれ、あ、あれ……!」
私が指をさした妙な生き物が遅れて出てくると、私を一瞥し、ふたつめの冷蔵庫のスイッチを押した。するとスライドドアが開き、その中へと消えてしまった。
「ああ、彼ね。温泉ペンギンのペンペンよ。セカンドインパクト前はたっくさんいたらしいわよー。……それより前、隠したら?」
「――――ぁ」
女の人同士だからよかったものの、もしこの場に男の人がいたら、私は間違いなく羞恥のあまり倒れていた。
右手で胸を、左手で股を隠してすごすごとミサトさんの視界から消えた。
◆
「碇カノンです……。お父さんの仕事の都合でやって来ました。よろしくお願いします……」
たくさんの人から注目を浴びるというのはいつまで経っても慣れない。私は歯切れの悪い自己紹介をする。たぶん第一印象は……普通に思われているかな。
そばかすの男の子が私を品定めするかのような目で見ている。そしてなぜかうんうんとひとりで頷いている。私の自己紹介が気に食わなかったのかな。
「じゃあ碇さんはそこの空いてる席に座ってもらいましょうか」
「はい」
私が席に座ると、周囲を見回してある人を探した。ファーストチルドレン、綾波レイ。ミサトさん曰く、透明な人だという。ふたつ左の席。綾波さんは肘を付き、顎を乗せて窓の外を眺めている。
病院では……というよりまだ会話すらしたことがない。いったいどんな人なのだろうか。……気になる。授業が終わったら話しかけてみよう。
先生が授業の趣旨からしだいに離れていき、いつの間にかセカンドインパクトの話に移行してしまう。なんだか子守唄を聞かされているようです、ついうとうとしてしまう。
皆の様子を窺うと、それぞれが好きなことをしていた。寝たり、遊んだり、おしゃべりしたり。そんな中でも綾波さんはずっと変わらずだった。
私のパソコンに、メッセージが送られてきた。ウィンドウを開くと、『あなたがロボットのパイロットって噂、本当? y/n』と表示された。私の胸がどくんと鳴ったのを感じる。昨日の爆発事故。そしてその翌日に転校してきた私。何かあると思われるのは仕方のないことだ。でもどうしよう。ミサトさんには守秘義務とかでいろいろ言われたが、パイロットであることを公表してはいけないとは言われていなかったような気がする。だからといっておもむろにはいそうですと答えるのもリスキーだ。
ここは一応『no』と……。
――いや、そもそも答えるのにこれほど時間をかけているという事実がなによりも『yes』である証拠だ。
否定したとしても後々面倒なことになるような気がして、『yes』と返事した。
「「「えええええええええええ!!」」」
まさか共通メッセージにされていたのか、クラス全員が驚きの声を上げ、授業中にも関わらず席を立ち上がって私のもとに殺到する。
「ねえねえ、どうやって選ばれたの?」「ロボットの中ってどんな感じ?」「必殺技とかは?」「テストとかは?」「怖くなかった?」
「えーっと……」
私は聖徳太子でも何でもない。ちょうどチャイムが鳴り、委員長らしき女の子がなんとか最後に起立と礼をさせ、授業は終わりとなった。
語り終えた先生は満足そうに教室を去る。
それでもクラスメイトたちは私に首ったけで、どう頑張っても抜け出せそうにない。
綾波さんに話しかけたいが、できない。
とはいってもこれ以上何かを言うと守秘義務に違反してしまうかもしれない。
「えっと……私もよくわからないの……ごめんね」
「――なんや、偉そうにしてても結局なんも知らへんのやな。パーなんちゃうか?」
明らかに私をバカにする言葉が、背中に突き刺さった。声のした方を振り向くと、ひとりのジャージ姿の男の子がドアにもたれてながら私を睨んでいた。
「あー鈴原! あなた一週間も無断で学校を休んで――」
「じゃかあしい! 黙っとれ!!」
もしかして私、不良に絡まれる? 委員長の言葉を遮り、ガタガタと机を押し退けて私の前に立つ。そして目の前で力強く机を叩いた。
「ひっ」
「転校生! ちょっと顔かせや」
どう釈明してもこの鈴原という子から逃げられそうにない。明らかに私に怒っている……。何をしたのかは全くわからない。初対面だというのに。
強引に手を引かれ、私は校舎裏へと連れて行かれる。鈴原君の後ろにあのそばかすの子がついてきている。
「なあ、確認するけどお前はあのロボットのパイロットなんやな?」
「……うん」
「そうか……ならしゃあないな」
眼の前に迫られる。次に瞬間、私の身体は浮いていた。どさりと地面に倒れ込み、擦りむいた両肘と、鼻につーんと冷たい痛みが私に何が起こったのかを教えてくれる。
……私は今、殴られた?
鼻に触れると、鼻血が出ている。
……痛い。
「すまんなあ転校生。わしはお前を殴らないかん。殴らな気がすまへんねや。女やからとかそんなんも考えられん程にな」
「トウジ、流石に殴るのは……!」
「わたし、なにか悪いことした、の……?」
知らず内に涙が流れる。
まさか鼻血が出るほどになるとは思っていなかったのだろうか。泣く私を見た鈴原君が一瞬身じろぎする。しかしそれでも私の胸ぐらを掴み上げる。
「謝るからぁ! 苦、しい……!」
「っ!」
すぐに突き放され、また私は背中をうつ。
「……よう聞けよ。わしの妹はなあ。お前が暴れたせいでビルの破片の下敷きになったんやで! 今入院してて、看病できるんはわししかおらん。もし妹の顔に傷でも残ってみぃ。絶対許さんからな!」
「――――」
知らなかった。私はずっと、私自身のことしか考えていなかった。使徒を倒した先にある、人々を守る使命。それを見て見ぬふりをしていた。……いや違う。そもそも考えてすらいなかった。
私が戦うことで間接的な被害を減らすことはできるが、直接的な被害を考えていなかった。
「ごめん、なさい……」
「泣いたら許されるんちゃうからな! これから足元よう見とけよ」
踵を返して鈴原君ともうひとりが私から遠ざかっていく。私はただ、その場で弱々しく泣きじゃくるしかできなかった。
あの時、私がもっとちゃんとエヴァを操縦できたら被害をもっと減らせたはずだ。そんな当たり前の事実を突きつけられた。
私はなんて馬鹿なのだろう。
「碇さん⁉」
名前を呼ばれて顔を上げると、委員長が血相を変えて走り寄ってきていた。
「碇さんが鈴原君に連れていかれたって聞いて来てみたけど……鼻血が出るほど殴るなんて最低ね!」
ポケットからハンカチを取り出し、私の鼻にあてる。
「委員長さん、これは私が悪いから……。鈴原君は悪くないの。だからじ、自分で……」
「そんなの関係ないわ! なんであっても暴力はだめなの! あとヒカリでいいわよ。立てる?」
「あ、ありがとう、ヒカリ」
肩を借りて立ち上がる。ハンカチを押さえ、制服についていないかを確認する。裾に少しだけ滲んでしまっている。
「あ! 血がついてるわね。急いで水で流しましょう! あと保健室にも……」
「ヒカリ、やっぱり自分で……」
「委員長ではなく、一人の人間として泣いてる子を見過ごせないのよ」
「……ありがとう。私も、カノンでいいから」
「じゃあ行きましょうカノン」
「う、うん」
ヒカリに連れられて私は歩き始める。顔がヒリヒリと痛い。でもそれ以上に、心がどうしようもなく痛かった。
次、シャムシエル戦