それでも私は── 作:次作エヴァはきっと鬱エンド
あまりに騒々しい音に私は耳を塞ぐ。
辺りに間に合わせで組み立てられた鉄骨やら機械やらが鳴らす音が脳まで響く。
「すごくうるさいですね……」
ゴゥン……と絶え間なく鳴っている。
私には一切わからないが機械がたくさん並べられ、そこかしこに配線コードがばら撒かれていて、足に引っかかりでもすれば大惨事だ。
ここは第五使徒を倒した場所。その死骸を検査するため簡易的につくられた施設だ。たった数日でここまでの設備を整えるのはとても手のかかる作業だっただろう。
「はい、これ被っといてねん。安全第一よ!」
「わかりました」
ミサトさんに渡されたヘルメットを被るが、サイズが大きくて目元が隠れてしまう。斜めに傾けたり顎にしたベルトでうまくバランスを取ろうとするが効果はなく、数秒に一度は手でヘルメットを押し上げないといけない。
「すみません、ひとつ小さいサイズはありませんか? ちょっとこれ、大きいです」
もう諦めた。いちいちヘルメットを上げるのが面倒になってしまった。すでに私の視界は閉ざされ、ナビゲート役としてミサトさんの服の端を掴んでいる。
「あー……ごみん、大人用サイズしかないから無理っぽい。まあでも動き回らなければいっか! それに可愛いわよ」
「え、あ、はい。ありがとう……ございます……?」
「連れ回すのは危険だからリツコのとこにでも行こうかしら」
ミサトさんが歩き始める。私もなるべく注意しながら進む。手を頭にあけ、ズレないように押さえるのだ。でもそれだと少ししたら腕が疲れてしまい、またヘルメットが下がってしまう。 しかしミサトさんの「階段よ」とか「段差に気をつけてね」などといった注意喚起のおかげで比較的スムーズに移動することができた。
自動ドアのようなものはなく、ポツンとリツコさんはひとり、パソコンに向き合っていた。急造施設のため空調は完備されておらず、この部屋だけ少し暑い。
「……予想外だったわ。カノンちゃん」
私の姿をディスプレイの反射でとらえたリツコさんは、こちらを振り向くことなく突然話を切り出した。
「え……?」
「私はあなたが家出すると思っていたの。でも違った。MAGIの予想も、時々外れるものね。……まあこの話はおいておきましょう。それより使徒が見たいんですってね」
「問題はありましたけど、私が倒した使徒ですから。……たぶん、自分の目で直接見たいっていう好奇心からきてますが」
「ふふ。そんなものよ。結局のところ、誰もがそうよ。使徒に興味津々ですもの。私も含めてね」
そう言いながら目にも止まらぬ速さでキーボードを叩いている。私も学校でパソコンに触れる機会はあるが、人差し指でゆっくりとキーを確かめるように打っている。まるで何十年と向き合わないとリツコさんの領域に達することはできないだろう。
やがてカッコよくエンターキーを押すとピーと音が鳴り、三桁の数字が表示された。それを私とミサトさんが食い入るように見つめる。
「これが敵さんからわかったことかしら?」
「見ての通り、解析不能を示すコードナンバーよ」
「つまりわけわかんないっこと?」
「でも、使徒の遺伝子が人間のものと99.89%一致していることがわかったわ」
「……それってエヴァと同じじゃない」
はやくも私はダウン。遺伝子なんてことを言い始めたら何もわからない。言葉でしか知らないからだ。現在も死体を分解中の現場をぼんやりと眺める。
台座に乗せられコアの破片が降ろされてきている。そしてお父さんが冬月副司令と姿を見せる。声をかけようとしたが、あっという間に私の目の前を通り過ぎていった。
私がよく見えなかったからもしれないとズレたヘルメットを上げながら思う。……いや、これは都合のいい言い訳だ。呼んだところで何を話そうかなんて考えてすらいなかったのだ。
「ん……?」
間近で見るために手袋を外し、ぺたぺたとコアに触れている。その手に私は違和感を覚えた。
「爛れてる……?」
ひどい火傷をした跡のようなものが見えたのだ。私が知る範囲ではお父さんがそんな怪我をしただなんて聞いていない。
「何してんの? カノンちゃん」
「わっ!」
突然ミサトさんに肩を掴まれ、私は猫にも負けないくらい高く飛び跳ねた。大きくズレたヘルメットが落ちてしまう。その音に気づいたお父さんが私の方を振り向き、目が合う。しかしすぐに私から視線を外した。
「ぁ……」
胸が痛い。私自身の弱さもそうだが、お父さんにまるで相手にされなかったという事実がなによりも辛かった。やっぱり私のことなんてただの部下でしかないと思っているのか。
「……悲しいわね」
肩に触れられたまま、ミサトさんがぽつりと呟く。必要以上のことを言わない優しさが嬉しい。
「……はい。まあこれは私とお父さんの問題なので。それよりお父さんの手、火傷の跡みたいなのがあったんですが知りませんか?」
「そうなの? いつも手袋してるから知らなかったワ。リツコは?」
今度は他の解析を進めているようだ。まるで指を独立した知能のように動かしながらリツコさんは流暢に語った。
「あれはこの前行った零号機の起動実験の時ね。失敗して、さらにエントリープラグの緊急射出も不安定だった。その後、碇司令が自分でハッチをこじ開けてレイを救い出したの」
「へぇ〜、あの碇司令が意外ねぇ〜」
「でも、どうしてそこまでしてお父さんは助けたんですか?」
「……さあ、わからないわ」
……知っているのは本人だけということか。
やがてコアの確認を終えたお父さんたちがどこかへ消えてしまった。その間私のことを一切見向きすることすらなかった。
より一層お父さんの私への態度の理由がわからなくなってくる。
果たして私は、お父さんと仲を修復することができるのだろうか。
◆
常夏である日本の体育の授業にはプールがある。セカンドインパクト前は四季があったらしいが、地軸が傾き、季節は固定されてしまった。
今日は私たち女子がプールの日だ。男子とは交代で外で球技をしている。休憩中の男子たちから刺さる視線が恥ずかしい。
プールとは己と他者の身体を比較されてしまう、もしくはしてしまう場である。大人びた身体へと徐々に変わっていく年頃、気にならない人はいないはずだ。すでに体型が女性のものとなっている人もちらほらいる。私? あはは、何を言っているのやら。発展途上だから焦る必要はない。ないから。絶対に。
「クロールとか平泳ぎとかどうでもいいと私は思うの。ようは泳げたらいいんだし」
25メートルを泳ぐテスト。終盤、もはやクロールの原型を留めていないレベルになりながらも私は泳ぎきった。先生は訝しむ目をしながらチェックをつけている。ぎりぎり合格だ。
私の次の人たちがすいすいと泳ぐさまを見ながらヒカリに愚痴をこぼした。
「何を言ってるの。泳げないからってそんな言い訳通用しないわよ」
「プールで遊びたいのになんで泳がないといけないのさ……」
座学ならば自分の出来は他人にそう公開されることはない。しかし水泳となれば皆に見られる中泳がなければならないのだ。私にとっては地獄のような時間だ。
「そういうものなの」
「辛い」
テストが終わり、残り時間は自由行動となった。私とヒカリは隅の方でぷかぷか浮かんでだらだらしている。
こうしてだらけていると、何もかもがどうでも良くなってきてしまう。エヴァのこと、お父さんのこととかも全て。このまま水に浮かんだまま眠ってしまいたいほどだ。
ベンチの方では綾波さんがひとりで座り込んでいる。どこを見るでもなく、ぼんやりどこかを眺めている。
名前順だから綾波さんのテストでの出番は早かった。私とは違い、綺麗なフォームを保ったまま25メートルを泳ぎきった。タイムは平均よりほんの少し速いくらい。別にとてもすごい結果を残したわけではない。でも、どうしても私は羨ましいと思ってしまう。これはどちらかというと嫉妬に近いものだろうか。私以上に私のお父さんと仲が良く、エヴァに関しては先輩だ。なんだか私の存在意義が薄れそうな気がしてしまうのは否定できない。
……そんな綾波さんって普段何をしているのかな?
◆
ぐびぐびとビールを飲み干しているミサトさんを尻目に、私はソファーにだらしなく寝転がってテレビを眺める。
「あー美味い! 私定年迎えたらドイツに永住してビールに生きるわぁ!」
「はいはい、それまでにアル中になって死なないように祈りますよ」
「あら、私を誰だと思ってるのかしら? そうやすやすと死ぬわけないじゃないの〜」
かかか、と下品に笑いながら手慣れた動きで六本目のビール缶を開ける。本人が幸せそうだからいいが、一日十本を超えるようになったら必ずリツコさんに相談すると心の中で決めている。
十時を過ぎ、そろそろ寝ることにする。テレビの主導権を譲ろうとしたが、「私も寝るわぁ」と酒臭い息を吐きながらミサトさんはその場で下着姿になった。ブラジャーが少しズレている。服は自室に投げ込み、へらへら笑っている。
私は目を手で塞ぎ、見て見ぬふりをする。あまりにもだらしなさすぎてこっちが泣いてしまいそうだ。同居人といえども私がいる目の前でこんなことをされるのはいろんな意味できつい。
「ミサトさん、着替えくらい自分の部屋でしてくださいよ……」
「女同士なんだから問題ないでしょー。そりゃあカノンちゃんが男の子だったらさすがに、ね? あ、そうだ。あとこれこれ」
一度自室に入ったと思いきや一瞬で出てきたミサトさんの手にはカードがある。ネルフの職員カードだ。これは……。
「今度新しくなるから、レイのカード渡しといてくれる?」
「あ、はい。わかりました」
受け取り、私は綾波さんの顔が印刷されたカードをまじまじと見つめる。相変わらず人間離れした容姿の人だ。
「あらーん? レイちゃんに一目惚れ? いいんじゃない? そういう世界だってありっちゃありよん」
「そ、そんなんじゃないですから!」
酒が入って上機嫌なミサトさんは私をからかう。別に私はそういう趣向はないから日呈してそそくさと部屋に退散した。
綾波さんは明日、零号機の起動実験があるらしいからその前にはやめに届けに行こう。携帯端末から住所を確認する。これでも私もネルフの職員だから、綾波さんのプロフィールを知る権限くらいはある。さすがに住所となれば申請が必要だが、あっさり通る。
場所はマンション。歩いていける距離だ。昼くらいに家を出ても十分間に合うだろう。
私はS-DATにイヤホンを繋げ、リピート再生に設定する。これは以前お父さんから譲り受けたものだ。以降暇があればずっと聴き流している。
私はあまり集中して聴かない。聴き流すという行為に意味があるのだ。これによって、私は『無』に存在していないという認識ができるからだ。
布団をかぶり、目を閉じる。
……明日はいいことがありますように。
昼に出るとは言っても私の起床は早い。ミサトさんを起こし、朝食を食べ指せてネルフへ送る。掃除をして、宿題をしていたら昼になった。
気分的にカップヌードルを食べ、家を出る。太陽は頂点に昇り、あまりの暑さに私は「げぇ」と呟く。零号機の起動実験には余裕がある。
じわじわと照りつける太陽と、目玉焼きができそうなほど熱いアスファルトに熱され、綾波さんの家に着いたときには汗がびっしょりだった。
インターホンを押す。壊れているのか、音が鳴らない。もう一度押してもならなかったから今度はドアをノックする。
「綾波さーん?」
……返事はない。もしかしてもうネルフに行ってしまった? もともと綾波さんの行動原理にはミステリアスなところが多かったが、まさかこんなにはやく出かけるとまでは予想できなかった。しかし、取っ手を掴んで回してみると鍵はかかっておらず、ドアが開いた。
「ええ……」
セキュリティがあまりにも甘いのではないか。これじゃあ泥棒が好き勝手に入れそうで心配だ。
「入るよ……?」
玄関口には靴がある。ということは家にいるということだ。これが予備の靴という可能性もあるが。部屋はあまりに殺風景なものだった。壁はコンクリート丸出しで、家具と言えるものは数えるほどしかなかった。ベッドの上には包帯が散乱している。意外に綾波さんって雑な性格だったり?
……棚の上にある眼鏡に目が止まる。
「…………」
これは間違いなくお父さんの眼鏡だ。レンズが少し割れ、歪曲している。私は無意識にそれを手に取り、実際にかけてみた。視力の悪くない私にはボヤけるだけで、特に大した意味はなかった。
ガチャリ、と音が聞こえた。玄関のドアからではない。その近くのドアからだ。眼鏡をかけたまま目を凝らすと、人が立っていた。恐らく綾波さんだろう。
「あ、ごめんなさい。勝手に上がっちゃっ……⁉」
眼鏡を外し、綾波さんに謝ろうとしたが、なんと裸にバスタオルを首にかけるというとんでも状態だった。そして私が咄嗟にとった行動は、もう一度眼鏡をかけることだった。これならボヤけてしっかりと見えることはないと判断したからだ。しかしそれはハズレだったらしく、私に近づくと手を伸ばし、眼鏡を外した。
膨らんだバスタオルが目に飛び込む。それにシャンプーのいい匂いがする。
…首を振り、私は一歩下がる。すると足が落ちていた包帯を踏んでしまい、滑らせてしまう。そして勢いのまま綾波さんの身体に抱き付き、床に押し倒してしまった。
「――――――」
虹がかかったような気がした。
私の右手は綾波さんの胸を鷲掴みしている。……目が合ってしまう。嫌悪感を剥き出しにするわけでもなく、ただ私を見つめている。
頭の中が混乱する。どうすればいいのかわからなくなっていると、「どいてくれる?」とだけ言われた。
私は再起動し、猫のように飛び退いた。手に残る感触は、間違いなく私のものより大きかった。綾波さんは立ち上がると、私がいるのに何一つ気にしない様子で服を着始めた。
「……あなたはどうして来たの」
「ええっとね……ミミサトさんから渡されて! ……そう、新しいカード! 新しくなるからって、それで来たんだけど返事がないし……ドアも開いてたから………………勝手に入って……ごめんなさい」
「カードは?」
「これ、だよ」
怒っているようには見えなかった。謝ってもそれに対する返事はなかった。ポケットから取り出したカードを渡すと無言で受け取る
「今日は起動実験なんだよね? 私も行っていい?」
「好きにすれば」
「う、うん」
普段から反応の冷たい返事が少し苦しかった。その後も一緒にネルフに行ったが、その間にやはり会話はなかった。この前はそれが心地良いと感じていたが、今回は……心地悪かった。私のことをどう思っているのか、まったくわからない。何度か尋ねようとは思っても、結局気まずくて話しかけられなかった。嫌われてしまったのではという怯えがある。綾波さんは感情の隆起を態度で示さない人だから、余計に気になってしまう。このままでは駄目だとは思いつつも、つい惰性で更衣室までついて来てしまった。
もちろん今日は私がエヴァに乗る理由がないのでプラグスーツに着替えることはない。ネルフに来たからついでに訓練する、だなんてことを突然言ったとしてもリツコさんたちがその用意をしなくてはならないから、今日は起動実験だけ見届けたら帰ろうと決めていた。……宿題もまだ終わっていないし。
「……あの、綾波さん!」
自動ドアが開き、綾波さんが中に入る。振り向き、私を見る。
無言で別れるなんてどうしてもできなかった。これでは昔の自分と何も変わっていないからだ。
「……なに?」
「その……頑張ってね。私も……見てるから」
とはいっても咄嗟に思いついた言葉はこんな程度でしかなかった。
「…………ええ」
自動ドアが閉まると、私はこの気持ちが自分でもわからないまま、走ってコントロールルームへと向かった。
◆
そこにはお父さんがいた。考えてみれば当然ではあるが、この前無視された記憶が心を傷つけている。お父さんは私がいることになんとも思っていない様子だ。
「これより零号機再起動実験を行う。レイ、準備はいいか」
『はい』
ガラスの向こうには肩を壁に拘束された零号機が立っている。この前はこの拘束を壁ごと破壊して暴走したという。はっきり言って心配ではあるが、私は綾波さんの成功を信じる。
「第一次接続開始」
お父さんの指示に、リツコさんとマヤさんがテキパキと作業を始める。グググ、とメーターが上昇し、エヴァとのパルス、ハーモニクス値を示すグラフが正常値になる。
「シンクロ問題なし。オールナーブ、リンク終了。中枢神経素子に異状なし。1から2590までのリストクリア。絶対境界線まであと2.5、1.3、1.1、0.7、0.4、0.2、0.1……ボーダーラインクリア。零号機起動しました。引き続き連動実験に移ります」
マヤさんのアナウンスが終わる。
ほっ、と胸をなでおろす。これで今度からは一緒に作戦に参加できるという安堵だ。私ひとりでは難しい敵でも綾波さんとなら……と。
だからあとでもう一度きちんと謝って、仲良くなろう。エヴァパイロットとして義務のような絆ではなく、普通に人同士で友達のような絆を作りたい。
突然備え付けの電話が鳴る。応じたのは冬月副司令だ。
「碇、未確認飛行物体が接近中だ。恐らく使徒だろう」
「……テスト中断。総員第一種警戒体制。零号機はまだ戦闘には耐えられないため待機。赤城博士、初号機は?」
「380秒で準備できます」
「よし、では出撃だ」
あっという間に段取りが終わった。もしお父さんが他人だったらそのスムーズさに感心していたところだ。でも、あの人はお父さんだから。
そしてようやくお父さんの方から私を見てくれた。
「どうした? はやく行け」
「……………………うん」
やっぱりどこまでも私のことは部下で、それ以外の何でもないのだろう。
エヴァに乗って戦う。私はそうミサトさんに意思表示した。だから私は戦う。でも見返りが欲しい。
今まで倒した使徒二体。撃破報酬としてお金が与えられたようだが、私はその額を確認していない。口座はミサトさんに管理してもらっている。別にそれに手を出さなくても問題なく暮らせるからだ。たからお金はそこまで求めていない。将来を考えたら必要ではあるものの、今の私に欲しいものはそんなものではない。
言葉だ。ありがとう、とか頑張ったね、とかそんな他愛のないものでも私はとても嬉しいのだ。
綾波さんとは違って、私には「頑張れ」の一言もない。
そういうところなんだろうな、と心の中で言い、私はお父さんに背を向けた。
ビンタイベは回避。綾波のお父さん質問にきちんと答えられたからね!