宵闇に紛れる隊服、顔を隠すための頭巾。刃に映る月明かりで眩ませ、一瞬の隙をつく。
人間は斜めの動きは追いづらく、眩ませた隙に斜めに移動して頸を撥ねる。
これが陸ノ型 鏡花水月だ。
「...凄。」
倦怠感で仰向けになる哉恵に、楓哇は賞賛の気持ちで胸がいっぱいだった。もし此処が誰もいない色鮮やかな花畑だったとしたら、彼女は快哉を叫んでいた事であろう。それ程までに楓哇の心は快いものだった。
「...私はお前を許さない。」
「なのに、あーしの幸せを願うん?」
「...来世のお前と今のお前は違うから。」
哉恵の顔は楓哇には見えなかった。だが、微笑が口角に浮かんでいる事が口振りから受け取れた。
「...そう。」
楓哇もまた、唇を剃り返して笑った。その端から消えていく様を、哉恵が見る事は無かった。
「あ〜あ、楓哇死んじゃった。」
一難去ってまた一難。安堵する間もなく、鬼が空を飛んで舞い降りた。
「哉恵ちゃん!!」
驟雨に抱えられたカナエは、彼女の腕を振り切って哉恵の元に駆け寄った。鬼の登場に一切反応を示さない哉恵の姿に、カナエは魁柱を重ねていた。
(呼吸、はある。熱が酷い...肋骨が折れてる...他にも怪我してる所はある.....けど、生きてる。)
ほっと息をつく間もなく、カナエの背中に悪寒が走った。血の匂いがした。振り向くと、驟雨が自身の腕を引きちぎっていたのだ。
「血は返す...安らかに眠れ、楓哇。」
その顔は今にも泣き出してしまいそうで、鬼というよりは人間のするべき顔だった。
「...水の匂い。冷たい。氷、と雷雨の匂い。んー...君も足りんな。良い水なんやけど。」
驟雨は踵を返した。
「......友達に、なれたかも。」
人間らしさを見せたあの横顔を思い出しながら、蝶は氷に優しく触れた。
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「...お館様?」
哉恵が下弦の弐を撃破してから二週間が経った。彼女は今、藤の花の家紋の屋敷で療養生活を送っていた。藤の花の家紋の家は、昔鬼殺隊に命を助けられた恩返しとして無償で彼等の手助けをしてくれるのである。
「そう。哉恵ちゃん十二鬼月を倒したから柱に昇格するじゃない?だから今度の柱合会議で、お館様と柱の皆さんと顔合わせしなきゃいけないって、悲鳴嶼さんが。」
「悲鳴嶼さん...って、カナエを助けたって言う岩柱の?」
「そう!」
お館様...という存在、哉恵は前々から聞いていた。鬼殺隊をまとめる当主であると。そんな人物に会うと考えると、哉恵の胃は締め付けられるばかりだ。
「姉さん!次の任務があるんじゃないの!?」
ドタドタと音を鳴らして襖を開けたのは、カナエの妹、胡蝶しのぶ。医学に精通している彼女は、哉恵の体質を解析する為に此処に泊まっていた。
「もう終わらせたわよ?ほら、また眉間にしわ寄せてる。しのぶは笑顔が似合うと姉さん思うな〜。」
「ちょ、頬っぺ触らないで、やめてって姉さん!」
微笑ましい姉妹のやり取りを背景に、哉恵は思考の海に飛び込んでいた。
下弦の弐との戦闘時、高熱とは思えない程の動き。何時もよりも身体は軽く、そして倍以上に強かった事を目覚めた後に自覚した。その事を話したカナエに、質問という名のお叱りを食らった事は言うまでもない。泣きじゃくるカナエの対処は、二度としたくないと哉恵は心に強く刻んだ。
「そもそも!なんで辛い物食べたらあんなに熱が上がるんですか貴方は!」
気付けばしのぶの怒りの矛先が哉恵に変わっていた。あの姉には勝てなかったようだ。
しのぶの言う通り、原因はそれだった。しかしそれはまだ分からない事だらけ。原因と結果の間、その過程は未知の領域だった。
それについて、哉恵はこう結論付けた。
「強くなれるなら、別に問題なくない?」
「あります!!」
しのぶはお気に召さないようだった。
「鬼殺隊は時に休む事も必要なんです!分かります?具合が悪いなら働かなくてもいいんです。休めるんです。大人しくしとくべきなんです!それなのに貴方ときたら、そんな体を引き摺って外に出て!挙句の果てに鬼と戦う!良いですか?熱があるなら下がるまで大人しくしておくんです!子供でも分かりますよこんな事。馬鹿なんですか貴方。馬鹿なんですか貴方!!ちょっと聞いてます!?」
「...善処します。」
「とにかく、辛い物を食べるのは禁止です。絶対ですからね!!」
「はい。」
心にも思っていない言葉を吐いた哉恵は布団に包まった。だがすぐに外気を浴びる事になった。
「何してるの哉恵ちゃん。柱合会議は今日よ?」
「...え。」
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(だから嫌だ...カナエと一緒にいるのは)
新調した隊服に袖を通した哉恵は、お館様の住まう産屋敷邸へと連れてこられていた。案内するのは隠。場所は秘匿されており、彼等無しでは此処へ辿り着く事は叶わない。
(面倒事も押し付けられたし...)
「君が新しい柱か?」
肩を落として歩いていると声を掛けられた。
隠に連れてこられた場所は、巨大な屋敷の庭と思しき場所。既に三人の男が横並びになっていた。
「...そうです。灑津幡哉恵と言います。」
「私は岩柱、悲鳴嶼行冥だ。」
哉恵が見上げる程の巨体を持ち合わせた柱、悲鳴嶼行冥。僧を思わせる数珠と、『南無阿弥陀仏』と書かれた羽織。そして盲目なのか、その目に瞳は無かった。
「お前が新しい柱か。かなり地味じゃねぇか。ホントに下弦の弐を倒したのか?」
「...」
次に声を掛けたのは筋肉質で派手な男。こちらもまた哉恵が見上げる程に大きい。
「お館様のお成りだ。静かにしろ。」
最後に陰気臭い男が口を開いた。派手な男は曖昧な返事をして屋敷に向けて跪いた。他の二人も同様。哉恵も同じように、屋敷に向けて跪く。
「よく来たね、私の可愛い剣士達。顔を上げなさい。」
襖の奥から現れたのは、肌の白い男。皮膚の白さは気質の良さを表すよう。彼が鬼殺隊当主、産屋敷耀哉。
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「おかえりなさい。どうだった?」
石階段を登り終えると、西日が痛いくらいに哉恵の目を刺す。昼間の柱合会議を終え、晴れて柱に就任できた哉恵は宛てがわれた屋敷へと向かっていた。屋敷の前では既に胡蝶姉妹が出揃っており、哉恵の帰りを待っていたようだ。
「...治療所の件、伝えてきた。
カナエに頼まれたのは、治療所の設立だった。今まで鬼殺隊員が怪我をした場合は、藤の花の家か一般の医療所での治療しか行く宛てが無かった。前者の場合、医療器具が揃っていない事もある為、状況によっては知識のある人間の元へ行かなければならない。しかし、後者の場合は鬼という存在を知らない人間である事が多い。何かと不便だった訳だ。
だからしのぶはこう思っていた。鬼殺隊専用の医療機関を作れば良いのでは無いかと。
「...態々ありがとうございます。氷柱様。」
「こちらこそ。」
深深と頭を下げるしのぶの横を通り過ぎた哉恵は、お腹を鳴らして屋敷の門をくぐる。緊張が切れたのか、膝頭から力が抜けて、水の中を歩くかのような足取りで家の敷居を跨いだ。カナエは哉恵を追うように敷居を跨ぎ、しのぶもそれに続いた。
氷柱、という言葉に、哉恵の頬は明らんでいた。