2020年の艦娘戦記・改 〜艦娘誕生と日本〜 作:シベリアの騎士
ジャージを着た木津は二人の少女を連れ、鎮守府の駐車場にやって来た。木津の車はただのコンパクトなファミリーカーだ。銀色の車を見て、響が意外そうな顔をする。
「司令官、車持ってるんだね」
「そりゃね。営外者だし、無いと不便」
車に乗った三人は鎮守府を出て、適当に木津は衣料品店へ向かう。後席に座った二人が街の様子を見てやけにはしゃいでいる。
「すごいね響ちゃん、建物がみんな大きいよ!」
「そうだね。あとぜんぶ灰色。木も煉瓦も無い」
「あっみてみて、真っ白で正面がガラス張りだよ、あのお店! あと光る青い看板。特別なお店なのかなあ」
「牛乳瓶のマークってことは、ブランド牛乳専門店なのでは」
そりゃコンビニだと木津は突っ込みたくなったが、この二人の生まれた時代を考えると微笑ましいというか、どちらかというと切なくなった。
衣料品店に入り、運動用の服と普段用の服を選ぶように木津が言うと、吹雪があっと声を上げた。
「司令官、わたし達持ち合わせがありません」
「ん?まあそうだろうね」
「そうなんです」
「だから、選ぶだけでいいと言ったでしょ。私が買うから」
ええー、と吹雪は狼狽える。ここは響のフリーダムさを借りるしかない。ちらりと目を合わせると、響がしっかりと頷いた。
「この借りは戦場で返す・・・・・・」
「だれだお前」
数分後、腰の引けた吹雪を押し切るように服を選ばせ、いよいよ試着の時が来た。試着室のカーテンに響が手を掛ける。
「もういいかーい」
「ちょっと、絶対開けないでね!?」
「吹雪、どうしてわたしと同じ駆逐艦なのにそんなにも」
「覗くのも駄目!」
響が諦め、ややあってからカーテンが開いた。おずおずと吹雪が姿を現す。白いセーターと膝ぐらいのスカート。真っ黒なストッキング。
「どうですか、司令官」
木津は頷いた。
「いいと思う」
「えーと、他には」
戸惑う吹雪に木津は逆に戸惑った。
「他って、例えば」
「その、何と言いますか。おしゃれ、とか。大人っぽいとか」
「あー、なるほど」
十秒ほど経ってから、木津は簡潔に答えた。
「冬っぽい」
響が怪訝な顔で木津を見上げる。
「ねえ。司令官ってもしかして芋おん」
言い終わる前に響の首に木津の手がかかった。凍り付く響に無表情な木津が問いかける。
「クビになりたいか」
「艦首落ちるのは、ちょっと」
ともあれ、吹雪の服が決まり、次は響の番となった。試着室から聞いた事の無い歌が聞こえてくる。
「Расцветали яблони и груши」
「怪しいからやめろ」
「Поплыли туманы над рекой」
駄目だ、日本語が通じない。木津はセーラー服に戻った吹雪に話しかける。
「ねえ、あれ何語?」
「ああ、ロシア語ですね」
「なんで分かるんや・・・・・・」
呆れる木津に反し、吹雪が少し悲しそうな顔をして試着室を見つめる。
「司令官、響ちゃんがなぜ不死鳥と呼ばれていたかご存知ですか」
「いや」
「実はですね、響ちゃんは何回か大破したのですが、ことごとく蘇ってついには終戦を迎えたのです。その間に、響ちゃん含め四隻いた特三型駆逐艦は全て沈みました。あの子だけを残して」
突然かなり重い話を聞かされ、木津は黙って吹雪の言葉を待った。
「そして生き残った響ちゃんは、賠償艦としてソ連に引き渡され、Верныйと名を変えたんです」
「ヴェールヌイ?」
「信頼出来る、という意味なんだとか」
「信頼、か」
響に抱き寄せられた時の事を思い出し、木津は無意識に頭を掻いた。あの優しい感覚に浸されるような心地。信頼出来ると言ってくれた響は、あの時何を思っていたのだろう。
ロシア語が止んで、試着室のカーテンが揺れた。
「待たせたなっ」
試着室から現れた響の姿は、奇抜という他はなかった。
「ど、どこにそんな服が?」
「しべりあ・・・・・・」
モコモコとした毛皮の様な黒い帽子が銀髪の頭を包み、真紅のマフラーが真っ白なコートの上で鮮烈な輝きを放つ。コートの間からは黒のカッターシャツが銀のボタンを煌めかせ、同じく黒のスラックスが下へ伸びている。
「やあ、同志諸君。わたしはあの腐れ深海棲艦共に12.7センチの血の味キャンディをばらまいてやるつもりだ。たとえ奴らが人の姿に化け、便所に隠れていても必ず見つけ出してプレゼントしてやる」
ペラペラと物騒な演説を始めた響が右手を突き上げる。
「さあ今こそ粛清の時だ!ypaaaaaaa」
「やかましいっ」
木津の恐ろしく速い手刀が響の脳天に叩き込まれ、彼女は我に返る。
「すみませんでした」
(信頼は出来ても、油断は出来ん奴だった)
二人の服の支払いを済ませ、木津達はとりあえず店を出た。
「とりあえず、私の家に行くよ。君たちを着替えさせなきゃ」
そう車に向かいながら木津が告げると、にわかに二人の艦娘は色めき立った。
「司令官のお家ですか!楽しみです」
「独身女性の部屋ですよ、吹雪さん。楽しみですねぇ」
「リアクションに困る振り方やめてくれないかな」
「吹雪・・・・・・冷たいね」
響の台詞を聞いて、なんか見られて困るもの置いてないよな、と木津はなんだか不安になった。
⚓
官舎は鎮守府から車で十分もかからない所にある。見た目には少し小さいマンションと言った感じで、民間人が見ても軍の建造物だとは思わない。木津は家賃も安く、それなりに便利な官舎が気に入っていた。だが便利なのは、あくまでも一人暮らしには、である。
だからころころしたのが二人も一気に増えると。
「吹雪、もう少し司令官にくっついてもいいよ?わたしが広くなるから」
「誰の家だと思ってるんだ。ベランダに干してやろうか」
「わ、わたし炬燵から出ますね」
リビングの炬燵で三人。どうしてこうなった。着替えるだけのはずだったのに。
「響、今日はどこか行きたい所とかないの?何が悲しくてこんな独り身用の部屋の炬燵に寄せ集まってるんだ」
炬燵を見るなり飛び込んだ張本人にお伺いを立ててみるが、響は背中を丸めたまま首を振る。吹雪がほんとに炬燵から出ようとしたので木津がそれを止める。
「あたたかい」
「ベランダに行こうか。今日はいい天気だぞ」
「司令官、外は雪が降ってます」
吹雪が生真面目に答えた。
「そんな響はきっとシベリアの大地を気に入るだろう」
「あー、ワタシ日本語ワカラナイネ」
木津は諦める。まあ、吹雪もなんだかんだ炬燵を楽しんでいるようだし、無理に外にいく必要もない。艦娘にとっては、ここすらも既に外界なのだ。
「あ、ウィスキー置いてある」
響が目ざとく部屋の隅にあったガラス瓶を指差す。ラベルには『響』の文字が輝いている。木津のおとっときだ。
「君、未成年でしょ」
しかし響は既に炬燵から這い出し、瓶を取った。すぐ炬燵に飛び込んでくる。
「すごく歳上だよ。ねえ、飲もうよ」
「まだ昼だぞ」
とりあえず、夜になってからねと木津はお茶を濁す。素直に引き下がった響が、こんどはゲームをしようと言い出した。また部屋の隅にあった奴だ。
「チェスをしようよ、司令官。わたしと吹雪がチームね」
「ん、まあ。いいよ」
そして木津と響達は、白と黒の駒を並べ始める。響が手を挙げた。
「それじゃ、先手はこっちね」
「まあ、いいけど」
白いポーンが二マス分、木津の方へと歩み寄って来た。それは手を繋ぎに寄り添おうとしている訳ではなく、お前を殺すと刃を突きつけているのである。
木津も黒のポーンを二マス進め、正面からぶつからせる。これでお互い動けない。
「司令官、割と好戦的だよね」
響がボソリと呟く。
「まあ、そうかも。頭使いたくない」
吹雪が苦笑いして、次にナイトを上げてきた。黒のポーンを守りつつ自陣の駒を外へ動かすという、丁寧に指そうとする吹雪らしい手だ。どうやら二人は交互に指すつもりらしい。
そうこうしている内に、戦局はポーンの戦死を皮切りとする肉弾戦に移る。木津は出来るだけクイーンを相手の駒に同時に効かせるように戦った。白陣営の二人は出来るだけ一つの駒で二つの駒を守れるように戦った。結果として、駒数に劣る黒陣営のビショップが相手のクイーンを討ち取り、なだれ込むように木津が勝つ。
「やっぱり、強い駒が残った方が勝つよね」
響が悔しそうに指でポーンをこねくり回している。木津は澄ました顔で返した。
「強い方が勝つのさ」
「ちっ」
吹雪がむくれる響をたしなめるのを見ながら、木津はチェスを片付ける。それを手伝い始めた吹雪がふと呟いた。
「どうして人は名前をつけるのでしょうか。ポーンとか、ルークとか。色々な物に」
「どうしたんだ、急に」
哲学めいた吹雪の言葉に木津は眉をあげた。
「いえ、人間しかしないなと思って。物を作って、名前を付けて。文明もそうやって何かを作ることで進んで来て・・・・・・。もし名前という概念がなければ、私達なんて影も形もなかった気がします」
「うーん、名前ねえ。確かに物に意味を込めたり、情報を生み出したり残したりするのは人間だけかもね。動物が壁画を彫ったとかいう話は聞いたことないし」
折りたたみ式のチェス盤を畳んで、吹雪がチェス盤を元あった場所に置いた。
「司令官のお名前は、どのような意味なんですか?」
「え、なんだったかな。聞いたことない」
そうですか、と少し残念そうに吹雪が笑った。吹雪も自分の名前の意味を知らないらしい。だが気にする必要は無い。分からなくともそれは在る。
喋っている内に、いつの間にか響が机の上に軍艦ゲームを置いている。
「これ面白そう」
「いやめっちゃめんどくさいよそれ」
「ええ~やりたいやりたい」
駄々をこねながら既に響がボードや軍艦の名前の書かれた札を取り出している。仕方ないので、木津は響と吹雪が軍艦ゲームを広げる間、ジュースとお菓子を取りに炬燵を出た。
十分後、ボードの上では破天荒な海戦が繰り広げられていた。日本が九州勢力と北海道勢力の南北に分かれて戦争をするという物騒極まりないルールで、第二次世界大戦頃の軍艦が一斉に首都を目指す。
「行けるッ。同志達よ、空母赤城に続け!」
「響ちゃん、空母が突出するのはまずいよ」
「大丈夫、旗艦は吹雪だから」
「なんで!? 駆逐艦が旗艦やるの?」
「良くあることさ」
「ええ・・・・・・。沈んじゃうよう」
北海道陣営の響はノリノリである。木津はとりあえず神通を旗艦とした夕立、綾波、雪風の水雷戦隊と、瑞鶴と加賀に高雄と熊野を加えた空母機動部隊を編成した。
(なんかすごい無茶苦茶だけど、案外楽しいな)
木津はその二個艦隊を東京へ向けて太平洋側から進攻させた。響は吹雪を旗艦とした十隻の艦隊で迎え撃つ。
「ホントにこんな海戦あるのかなあ」
吹雪が最もな事を言うがこれはゲームだ。楽しんだ者勝ちである。
「じゃあ、交戦ね。取り敢えず空戦からかな」
木津が機種ごとの戦闘力と機数、サイコロの目を加味した戦闘結果を出す。
「制空権は北海道側が取ったみたいだ。って、どんだけ空母入れてるんだ!?」
空戦と同時に偵察も終わり、お互いに艦隊の内訳を発表する。北海道陣営には赤城の他に六隻の空母が含まれていた。響がにやりとする。
「こいつらの艦載機を順番に飛ばさせる。織田信長戦法だよ」
「そう・・・・・・」
結果、夜まで逃げ回って空母を夜戦で沈め、普通に木津が勝った。ちなみに丁寧に吹雪だけ沈めなかった。ううむと響が唸り、ポテチを齧る。
「航空戦力が足りない」
「正気かおまえは」
また木津と吹雪がボードやら札やらを片付ける。
「なんだか眠くなってきちゃった!」
そう言って響はうつ伏せになり、首まで炬燵に埋まった。
「おい、そこのこたつむり。この後は出ないのか」
「特に予定は・・・・・・ぐう」
「そう。ま、好きにしなさい。私もあまり外は好きじゃないから」
「うん」
時計を見るとまだ昼の三時だった。眠くなる頃合かもしれない。戦いで疲れているはずの吹雪は、特に眠そうでもなく響の自由っぷりにおろおろしている。
「吹雪ももっとのんびりしなさい。ただでさえ私達の仕事は過酷だよ」
「そうですね。響ちゃんを少し見習います」
「それはやめて」
「あっはい」
しばらくこたつむりを眺めながら、二人でジャンクなティータイムと洒落こんだ。ポテチとチョコレートクッキー、ダイエットコーラを添えて。
「こんな甘い飲み物が有るんですね。ラムネより甘いです」
「砂糖は全く入ってないけどね」
「ああ、サッカリンですね!」
「いまどきサッカリンは歯磨き粉くらいだよ」
不思議そうに吹雪がコーラを見つめ、一口飲む。
「今の人達は、これをいつでも飲めるんですよね?」
「・・・・・・うん、そうだよ」
木津はその時の吹雪の顔を忘れないだろう。本当に優しい笑顔で彼女は、「良かった」とだけ呟いた。
⚓
土川直文中将は、土曜日の休日を楽しんでいた。日本人としては少し高めの背丈と、短い黒髪。穏やかそうな面持ちで特に目立つ容貌ではない。街を歩いていても、誰もまさか横須賀鎮守府の司令長官とは思わない。
そんな人物がサブカル系のアニメを映画館で観てたりするものだから、もし彼の命を狙ってる者がいたとしたら日本のサブカル侵食率の高さに辟易したかもしれない。
映画館から満足そうに出つつ、いつものメモ帳に何かを書き込む。
(まさに時代の縮図だな。映画という物は)
戦争が始まった途端、めっきりバトル物は流行らなくなった。それだけで土川は笑いがこみ上げてくる。
(次に私達は何を望むだろうか。異世界物でもあるまい。充分今の世界はぶっとんでいる)
艦娘、とんだパワーワードだ。公文書にはなんと記せばよいのだろう。後世の軍人がその文字を見た時、笑うだろうか。しかし彼女達は生きているし、そして戦局の鍵を握ってもいる。
土川はテナントビルの二階に上がり、喫茶店に入った。窓際の席に座っていた男がこちらに手を挙げる。
「来たか、直文。まだ五分前だぜ」
「そういうお前はいつから居たんだ?よほど暇なんだな」
男の向かいに座りながら、土川は笑った。男は「バカ言うな」と手を振る。
「小説家は生きるのが仕事さ」
「誰でもそうだ。生きる為に生きる」
「そりゃ仕事じゃない。生きるだけで仕事になり得るのが作家だ」
生きる為に生きるというのは、いつだったか木津が言っていた言葉の改変だ。シンプルだが、故に普遍的な思想だと土川は気に入っている。
土川は昔なじみのこの友人と、時々こうやって喫茶店で雑談する。小説を書き始めたのもこの友人の影響だ。公務員である土川は作家にはなれない。だからこうして東と語り合い、その作品に少しでも参加しようとしているのだ。
東夕路と言えば割と有名な作家だ。ペンネームは使っていないあたりが、めんどくさがりの彼らしい。
「今日も面白い話、聞かせてくれ。ミリタリーもんは書かないけどな」
「俺がミリタリーな話をしたことがあるか? 覚えがないな」
土川は注文を聞きに来たウェイトレスに紅茶を頼み、話し出す。
「そうだな、じゃあ今日は少し変わった話をしよう」
「いつもまともじゃない。どうぞ」
「どうも。俺はつい今しがた、アニメ映画を観てきたんだ。そこでは平和な世界が繰り広げられていた。取るに足らない学生の日常、ありそうであり得ない青春の風景だった」
コーヒーを啜りながら東は相槌を打つ。土川は続けた。
「もしもだ。軍艦の生まれ変わりの少女が居て、そいつが軍艦並みの戦闘力を持っていて、戦意があったら。お前戦わせるか」
「なんだそりゃ」
東は眉を上げた。煙草に火を点ける。煙と共に言葉を吐き出す。
「戦わせないね」
「ほう」
土川も煙草を吸う事にした。紅茶はまだ来ない。
「そりゃそうだろ。人の姿で生まれたなら人として生きるのが筋だ。軍艦並みに強くてもだ」
「ファンタジー嫌いのお前らしいな」
東は首を振る。
「違うよ。見合わない物が嫌いなんだ。そいつが戦う理由がない。力を持つ理由もだ。じゃあなんでもう一度軍艦の姿で現れないんだ?」
「ふむ」
それもそうだと、土川は納得しかけた。だが、一つの詭弁とも取れる反論が頭に浮かんだ。少し頭の中で吟味し、面白そうなのでぶつけてみる。
「逆に、その姿である事が、勝つ為の最適解だとしたら?あるいは、そういう場合はあり得ると思うか?」
「なんだ、やけにこだわるな」
まだ艦娘の存在は公にはしていない。土川は「だってそういうの流行りじゃないか」とはぐらかす。実際には、流行ったのは結構前のことだ。東はサブカルに疎いから問題ない。
「戦いだけが勝つ為の力じゃない、って事か。敵は噂の深海棲艦と考えていいのか?」
「それでいい」
さすがに旧友は話が早い。東は煙草をゆっくりと吸い、吐き出した。
「・・・・・・対話、かな」
土川の目が穏やかに細められた。紅茶はそろそろ来そうだった。
⚓
休日が終わり、月曜日が来た。木津は横須賀鎮守府地下のオペレーションルームにいつも通り出勤している。業務が始まる前に皆ここに来て、上番ブリーフィングを受けてから小隊単位で勤務を交代する。吹雪と響はまだ仕事が決められておらず、外来で待機させられていた。なので、ここには居ない。
オペレーションルームは体育館くらいの広さがある。それだけのスペースがあっても、艦船や航空機とのやり取りのための通信機材、護衛艦を指揮する為のコンソール、事務仕事用のパソコン数台が並べられているとかなり狭く見える。
オペレーションルームという正式な呼ばれ方をすることは、まず無い。指揮室とか海軍内では呼ばれている。というのも、米軍が日本に駐在していた頃は、新しいシステムは何にでも横文字で名前がつけられていたからそうなった。
結局、日本人には日本語が一番馴染むのだ。
ラッパが鳴り、君が代が流れた。君が代が止んだら課業開始のラッパが鳴る。本来なら課業開始と終了のラッパの時は、国旗の掲揚と降下があるので動いてはならないのだが、指揮室など任務に支障があるような場所では例外が認められている。
いつもなら、この後木津は自分の指揮用コンソールに付いて、哨戒などをしている自分の担当艦を指揮するのだが・・・・・・。
「木津少佐、土川司令からお電話です」
事務机に座っていた女性隊員からの言葉で、木津の一日は激動を迎えた。最近はよく土川司令の部屋に行くことになるなと思いながら、木津はてくてくと鎮守府の廊下を歩く。
別に鎮守府だからと言って、豪華なシャンデリアが天井に何個もついていたり、床に赤い絨毯が敷き詰められていたりはしない。蛍光灯の光に、床に埋め込まれたような感じのグレーのカーペットだ。
このカーペットは雨天でも滑りにくいという理由と、短靴と呼ばれる制服用の革靴や、半長靴と呼ばれる野戦服用のブーツの独特な黒い跡が付くのを防ぐという目的で敷かれている。
歩く時に踵が床に擦れると、黒いマジックペンの線のような跡が付くのだ。これがまた取れにくい。なにか行事がある度に下っ端の若い隊員が、メラミンスポンジでカーペットの無い床を磨いているのをよく見かける。
土川の部屋のドアを叩き、入室する。そこには既に吹雪と響が居た。二人とも幼さの残る顔を固く引き締めて、木津を振り返った。吹雪が敬礼する。響も続いて優雅に敬礼をしてきた。
「司令官、おはようございます!」
「おはようございます、司令官」
「だれだおま・・・・・・、いや。おはよう」
あまりにもしれっとした響の敬語に突っ込みかけ、木津も返礼しながら出来るだけ涼しい顔を繕う。たぶん失敗している。
机の前に立った木津に、土川も立ち上がる。
「おはようございます、土川司令長官。木津少佐、参りました」
「おはよう。今日呼んだのは他でもない、この二人の艦娘の事だ」
土川は木津達に座るよう言った。部屋の角にある談話用のソファに三人は座り、土川も向かい合ったソファに座る。例によって、正方形のテーブルにはポットとカップが置いてあった。
土川がポットのコーヒーを注ぐ。吹雪が代わろうとして、土川が首を振った。
「自分で淹れたコーヒーは自分で注ぎたいものだ。特に、招いた者に対してはな」
四人の前にカップが置かれ、土川がようやく切り出した。
「木津少佐、君は艦娘総司令官となった。これからは私の直属の戦術単位として活動してもらう。端的に言えば、私が戦略を担当し、任務を与えるからその通りに戦ってもらうと言う事だ」
木津はコーヒーを一口飲んだ。正直、味どころではない。吹雪は熱かったのか冷ましては少しすすりを繰り返している。
「戦術面では、指揮運用科であった君に存分に力を発揮してもらう。その為に必要なインフラ、体制、要望事項は積極的に挙げること。我々はこれから未知の戦いに足を踏み入れる。戦うためのルーティンを確立するのも君の任務という訳だ」
「分かりました。いつから動く事になりますか」
木津が質問すると、響がカップを置いた。空になっている。土川も空のカップを置いた。
「まず、明日からは領海内で演習に入ってもらう。たった二人の艦娘で出来る事は無い。いま、海軍は総出で深海棲艦捕獲に乗り出そうとしている。艦娘を増やし、艦隊を編成するまでの間は艦娘の運用と特性の掌握に務めてくれ」
木津は頷いた。妥当な決定だろう。これからは艦娘との真の付き合いが始まる。身が震えるのを感じた。
「それと、木津少佐には専用の執務室を用意させてもらった。そこが、君の『鎮守府』だ」
かくして、木津少佐の新たな日常が始まった。
⚓
「ここが、我々の鎮守府ですか・・・・・・!」
改造した会議室を丸々与えられ、吹雪が感嘆の声を上げる。木津も驚愕のあまり、ドアに短靴の角をぶつけた。裸足なら小指がひしゃげていたかもしれない。
「すごいね。もう内線電話もあるよ。こりゃこき使われるね、司令官」
「う、うん。なんだか凄いことになってしまった」
旧会議室は元々椅子や机を置いてあった倉庫の小部屋と、ミーティングスペースの二個構造になっていた。倉庫側も大量の椅子や机を収納していただけはあり、広めのワンルームマンション程のスペースはある。もはや小さい指揮室であった。指揮室にあるのと同じ型のコンソールまで置いてある。
他にも、およそ基本的な隊本部としての物品は全てあった。コーヒーメーカーまで置いてある念の入れようだ。
隊本部側の部屋には、ホワイトボード、情報指定区分ごとのノートパソコン。文書用バインダー、シュレッダー、ブリーフィング用のプロジェクター。
指揮室側の部屋にはコンソールの他に通信用ヘッドセット、各種無線周波数に対応した通信機器。内線電話、日本軍統合情報システム端末。他にも様々な用品がある。この先大所帯になる事を予測させられた。
「なんだかワクワクしてきましたね!」
無邪気な吹雪に「そうだね」と肯定し、木津はその前向きさにあやかることにした。
とにかく仕事を始めなくてはならない。まず木津は二人の艦娘の装備を全て確認する所から始めた。
「持っている装備、あと妖精とやらを全て出せる?」
響が口を手で覆い、頬を赤らめて目を逸らした。
「わたし達を無力化して、どうするつもり・・・・・・」
「まじめにやれ」
指揮官モードの木津に冗談は通じなかった。吹雪と響は粛々と全武装を床に出現させていく。妖精はどうやら一人当たり十人居るようだ。乗組員と整備員に別れているらしい。
「妖精に装備のリストアップを頼めるか?」
「分かった。頼んでみる」
響が妖精と目を合わせただけで、妖精は頷き、何かを木津へ手渡してきた。タブレット端末である。
「これは驚き・・・・・・」
木津が苦笑すると、吹雪も唸った。
「私も知りませんでした。こんなのあるなんて」
「売れそう」
「こら!」
吹雪と響がコメディしている間、木津は黙々とタブレットのリストを閲覧する。どうやらこれは、人間側から妖精に仕事をさせるために機能するコミュニケーションツールでもある様だ。
『総資材:燃料892、弾薬947、鋼材1000、ボーキサイト445』
『装備:12.7mm連装砲×2、61cm三連装魚雷×2、九三式水中聴音機×2、九四式爆雷投射機×2』
これがどの程度充実している状態なのか、基準すらも分からない。スペアが無いように見えるが、その点は大丈夫なのだろうか。
「これ、予備とかいらないの?」
吹雪に聞いてみると、要らないとのことだった。壊れる心配はないらしい。さすが超兵器だ。
戦ってダメージを受けた場合は、『入渠』という措置を指示すればいいようだ。ただ、修理するのは艤装であり、艦娘そのものに対してトーチで穴を塞いだり、ボルトで頭を締め直したりする訳では無い。
同じく『補給』も、あくまで艤装の弾薬や燃料の補給であり、艦娘が弾丸を食って油を飲む訳では無い。
「そうだよね?」
木津がなんとなく不安になって響に尋ねると、あからさまに響の顔が曇った。
「司令官、正気でいらっしゃいますでしょうか」
「おまえ営倉行きな」
「それだけはご勘弁を」
なんとなく木津はイメージが掴めて来た。あとは習うより慣れろだ。
「案ずるより産むが易し、だな。いけそうだ」
「司令官、産んだことあるの・・・・・・?」
とりあえず木津は、なぜか備え付けてあった竹刀を響の背中の襟に突っ込んで、司令官用のデスクに座った。響は竹刀が抜けずじたばたしている。
「竹刀が冷たい! 吹雪。こ、これ、抜いてっ」
「何故こんなものが・・・・・・。えい」
「んっ!? もう少し丁寧に・・・・・・。背中に擦れて痛かった」
とりあえず、明日からの演習に向けてもっと艦娘について調べなくては。そうして木津は艦娘総司令官の第一歩を踏み出すべく、タブレット端末に指を走らせるのであった。
⚓
木津達が新鎮守府で戦いの準備をするころ、四隻の護衛艦が鎮守府近海を哨戒していた。
旗艦は護衛艦くろがね。ヘリ搭載護衛艦である。このヘリは対潜水艦戦闘と救難任務を兼務しており、常に発艦出来るようにされている。
そのくろがねを対潜護衛艦しろがねと、汎用護衛艦はがねが固めている。水中から現れる深海棲艦を確実に狩るための編成だった。しんがりを務めるのは対空護衛艦こがね。深海棲艦の航空戦力が近海に現れたことは無いが、念のためだ。
その念のためが、功を奏した。こがねの対空レーダーが飛行物体を拾ったのだ。
「スキンペイント(敵味方識別装置応答なしの航跡)探知、方位220、距離245マイル。機数多数判別不能。針路040、速度380ノット、高度2000フィート。」
オペレーターの言葉に、艦長は怪訝な顔をした。太平洋側からスキンペイントなど聞いたことがない。今時、どこの国もまともに電波収集機も飛ばせていない。しかも低高度と来た。一昔前なら亡命くらいしか考えられないが、来るとしても日本海側か北方だ。対応は早かった。
「深海棲艦だろう。対空戦闘用意。他艦にも伝えろ」
その飛翔体はどんどんとこがねへ向かってきていた。深海棲艦だ。間違いない。
航空自衛隊が掴んでいればスクランブルを掛けているはずだが、低高度となれば最悪レーダーが掴んでいないこともある。しかも、深海棲艦の航空機はとても小型で、航空機用の遠距離レーダーでは『ゴミ』として処理しているかもしれない。自衛は必要だ。
かくして、日本領海内において初めて、深海棲艦との対空戦闘が勃発したのである。
⚓
木津達の居る『艦娘鎮守府』の内線電話が唐突に鳴った。タブレット端末で妖精達に指示可能な事項を確認していた木津が、受話器を取る。
「艦娘鎮守府、木津少佐です」
「ああ、土川だ。今吹雪達は出撃可能か? 横須賀鎮守府近海を哨戒中のくろがね艦隊が深海棲艦の航空戦力と交戦状態になった」
木津は驚く。まさか航空戦力とは。しかし、吹雪達は対空用の武装を持っていない。
「出撃は可能です。しかし、対空武装がありません」
「ふむ。なら、敵の航空母艦を叩こう。羅針盤とやらで敵の位置は分かるんだったな」
「はい。では、出撃させます」
「頼んだ」
電話が切れる。吹雪が表情を固くした。
「出撃ですか」
「そうだ。鎮守府近海を哨戒中の艦隊が対空戦闘に入った。君達には敵航空母艦を叩いてもらう。位置は分からないから、深追いはするな」
「分かりました。出撃します」
吹雪と響が部屋から走り出る。木津は指揮室に移動し、指揮用コンソールに着いた。ヘッドセットを付け、ディスプレイをセットアップする。
「さて、やりますか」
ディスプレイには、こがね達と深海棲艦航空戦力のシンボルが光っていた。必ず叩き潰してやる。
吹雪と響は太平洋側へと飛び出し、海上を猛スピードで滑っていた。急がねば被害が大きくなる。
「羅針盤はこっちを指してるね。急ごう」
響が腰の羅針盤を見て、吹雪に方向を指し示した。
「そうだね。護衛艦、無事だといいけど」
二人の無線に、木津から通信が入る。
「『響雪隊』へ、こちら木津。敵母艦の位置が分かった。座標送る」
旗艦である吹雪の持つタブレット端末に、敵母艦の位置が表示された。妖精によって指揮室のコンソールが改造され、吹雪達の『妖精タブレット』と連携できるようになっているのだ。
「ありがとうございます、司令官。あと少しで到達します」
「分かった。戦闘の支援は任せて。あまり出来ることは多くないけどね」
吹雪は通信に微笑む。司令官が見てくれている、それだけで心強いと感じた。たとえ出来ることが無くても、こうして繋がっている。艦だった頃では夢のまた夢だったのだから。
「吹雪、あれ、母艦じゃない?」
響の言葉を聞き、視線を水平線に戻す。深海棲艦を視認。空母型は二隻いる。人型が少し崩れたような、人型ではない異形の空母だ。護衛艦は駆逐二隻。敵艦視認を木津に報告し、吹雪は主砲を構える。
「一気に潜り込もう。最大戦速」
「了解。魚雷発射準備しとくよ」
「分かった。対空警戒を怠らないでね」
響が親指を立てる。なんだかんだ言って、冷静な響は頼もしい。全く浮き足立ったところがない。
敵艦隊もこちらに気付き、直衛機がこちらに飛んでくる。
『敵艦載機、四機だ。落とせるか?』
「やってみます!」
響雪隊が対空射撃を実施するが、連装砲ではうまく当たらない。前にきりさめを守った時も、魚雷は潰せたが艦載機は落とせなかった。機銃があれば話は別だが、装備の中には無い。
「バァァルカンッ!」
響、迫真の対空砲火。しかしやや大きい弾が二つ飛んでいくだけである。木津がヘッドセット越しに苦情を言った。
『響、うるさい。耳こわれる』
「ていうか機銃じゃないでしょ!」
「勢いは大事だよ。ところで司令官。艦載機は落とせそうにない。このまま突っ込んでいい?」
コンソールの前で木津は唇を噛んだ。敵の数は四。艦載機のオマケ付き。どう考えてもまともに戦えるわけがない。
「いまくろがね艦隊が対空戦闘を終えた。援護を要請してみるから、少し距離を取っていてくれ」
木津は内線電話を取り、指揮運用科のコンソールに電話をかけた。くろがね艦隊指揮官宛だ。ちょうど付いているのは同期の佐官である。というか、指揮運用科は今の所同期しかいない。一期目しかまだ存在していないからだ。
「オペレーション、笹山少佐です」
「艦娘指揮室から木津です。笹山、頼みがある。うちの艦娘が航空母艦を叩こうとしているんだけど、直衛機が邪魔なんだ。援護してもらえないか」
「分かった。向かわせる」
「ありがとう」
「お礼はキスで」
「終わったら訴えてやる」
電話を切る。くろがね艦隊は被害は無かったようで、全艦が吹雪たちの方へ進み出していた。
『響雪隊へ。くろがね艦隊がそちらに向かっている。おそらく十分ほどで戦闘に参加できると思う。接近が可能になったら、艦娘化を狙ってくれ』
「分かりました!」
深海棲艦は空母と言っても、あまり艦載機を遠くから飛ばさないようだ。少なくとも艦が到達できないくらいの距離で飛ばすものだと思っていたが。
(空母なんて運用したことがないから、よく分からないな)
木津が敵空母のシンボルを見た時だった。無線越しに「ごほっ」という苦しげな声と、金属バットで何かを叩いたような衝撃音がした。
「響、被弾! 艤装中破ですッ。うわっ」
もう一度衝撃音。吹雪にも敵駆逐の砲撃が当たったらしい。木津は血の気が引いたのを感じる。なぜこの距離から当たる? 沈んだりしないか、逃げ切れるのか、色々なことが頭を巡る。
『死にたくないよ』
いつか携帯電話越しに届いた、友の遺した言葉。そんな言葉は、もう聞きたくない。ヘッドセットの向こうへ必死に呼びかける。たが通じない。無線が壊れたようだ。木津はコンソールを殴る。
吹雪達のシンボルが後退を始める。どうか逃げ切ってくれと木津は祈った。
海上では、吹雪が響に肩を貸す形で撤退が始まっていた。
「響ちゃん、大丈夫だから。絶対守るから」
苦しそうに呼吸する響が頷いた。腹部に砲弾を受け、嘔吐したのだ。怪我の概念がないと言っても、ダメージはある。吹雪は焦った。吹雪は直撃ではなかったが、破片と塩水を浴びて無線がだめになった。
背後から艦載機の音が聞こえた。蜂の羽音のような、低い獰猛な音だ。首筋が粟立つ。
「落ちろぉ!」
響を抱えながら、がむしゃらに連装砲を撃つ。一発が敵の艦載機を粉々にした。その報復か、残った艦載機が二人に向けて機銃を放ってきた。吹雪はとっさに響をかばい、背中に機銃弾を浴びせられる。肉を抉られるような鋭い衝撃が体を突き抜けた。声にならない呻きが漏れる。
「響ちゃん、無事・・・・・・?」
激痛に涙がぼろぼろ零れる。それでも吹雪は友人の身を案じた。
響が吹雪の手を肩から外し、頷いた。
「ごめん、吹雪。わたしは平気だから、逃げて」
吹雪の瞳が細くなった。響の腕を掴み、無理矢理肩に掛ける。
「絶対にそんな事しない」
「吹雪、離して。一人で進めるから。このままだと狙い撃ちだ」
「・・・・・・分かった」
海の上に二人だけ。司令官との繋がりも切れた。ただ死地に取り残されたという現実が二人を揺らす。
背後から駆逐艦が迫って来ている。二隻だ。空母の護衛をやめてとどめを刺しに来たらしい。しかもあれは、イ級ではない。もっと大きく、獰猛な外見をしている。
吹雪が主砲を構えた。響は魚雷を発射する用意をした。
「外したら、死ぬよ。わたしがとどめを刺す。牽制お願い」
「分かった。頼むね、響」
駆逐艦が、口を開く。砲門がこちらを見ている。負けてたまるか。
「撃ち方・・・・・・始めッ!」
爆炎と共に魚雷が飛び出し、海を駆ける。轟音と共に砲弾が飛び出し、駆逐艦の口をぶち抜く。怯んだ所に必殺の魚雷が抉り込み、駆逐艦二隻は鳴き声一つあげずに沈没した。あっけない。あの時代もそうだった。一瞬にして全て終わる。失われる。この時も。仲間になったかもしれない誰かを沈めた。
「ごめんね、助けてあげられなくて」
吹雪の囁くような独り言に、響は帽子の鍔を下げた。ちょうどくろがね艦隊が到着し、艦載機もろとも空母型を蹂躙している。
響は横目に吹雪を見る。吹雪の頬が濡れているのは、飛沫か、涙か。
「吹雪、戦いは戦いだ。助けるも何もない。それは向こうに失礼だ」
「・・・・・・」
俯く吹雪の肩に響はそっと触れる。
「でもまあ、次は他人の手は借りない。やるならとことん、わたし達でやり遂げるさ。納得のいくように。もう、人間に動かされるだけの兵器じゃない」
「うん」
戦いは終わった。響雪隊は帰投する。また雪が降っていた。闘いが終わる時、その時は、雪が降るのか、花が咲くのか。