逆風少女 作:ichiro_nu
1-1 その少女、逆風につき
物心ついたころから人には見えないものが俺には見えていた。
それはアストラル系モンスター紛いの非科学的な霊的存在ではない。そもそもアストラル系モンスターは普通に見ることが出来る。専用の装備や正式に鍛錬を積んだ聖職に身を置くもの以外は普通に触ることはできないが……
話が逸れたが俺はあるものが昔から見えた。
それは『流れ』。
空気の流れ。
目を大気に向ければ当たりの空気が線を引いている様に見えた。風の強い日なら普通の人間でも肌感で風向きを感じることは難しい事ではない。しかし、俺は一見無風の日でも大気を構成する気体が動く僅かな流れが見えた。
水の流れ。
川の流れは上から下へ流れるものだ。しかし、目を川に向ければ大きな岩から川底の小石、生えている水草などにぶつかった水はわずかな乱流を作り、様々なうねりを俺に見せた。
人の流れ。
高い所からこの国のメインストリートに目を向ければ、人気店の前で流れは留まり、不人気の店の前ではスムーズに人は流れる。それを見ていれば人々がどこに注目して歩いているのかもなんとなくわかる。
魔力の流れ。
人に目を向けてみればその身に宿す魔力の循環を見ることが出来る。一般的に魔力は体外に放出されても目に見ることはできない(ただし、常識外の魔力量があればその場の光を歪める事でその揺らぎを認識することが出来ると言われている)。人は魔力を常に身体を循環させており、俺は少し
そして、運、精神的な勢い、戦いの趨勢の流れ。
そんな文字通り目に見えないような流れまで俺はなんとなく知覚することが出来た。
・・・
「次! Bクラス、アイナス・ラン!」
「……はい」
おっと、考え事をしていたら俺の名前が呼ばれたようだ。
名前も知らない別クラスの2名によって行われていた練習試合はいつの間にか終わっており、訓練場の試合スペースは空になっている。
俺の名前を呼んだ教師は学生に対して普段から高圧的な態度をとることから嫌われている奴で、例に漏れず俺もあまり好きではないが、ここで反抗する意味も何もないので素直に返事をしておく。
見学席から立ち上がり、訓練用の木剣が10本程納められた木箱から適当に1本を引き抜く。
さて、なぜ俺が今になって17年も付き合ってきた自身の人とは少し違う特徴についてつらつらと考えているのか。
その理由は……
「Aクラス、リリルラス・フォン・スピッツ!」
「はい」
彼女だ。
リリルラス・フォン・スピッツ。
この帝立ミラス学園、第一学年の首席生徒。
光の加減によって深い青色にも見える髪は肩甲骨の辺りまで伸び、スレンダーな腰つきは見る男どもを振り返らせる程のスタイルだろう。
だが、その顔の右眼には眼帯が覆っている。晒された緋色の左眼は対面した相手を刺し殺すかのように鋭い。
加えて制服からちらりと見える首元にはナイフで切られたかのような切り傷が伺える。
異様。その一言に尽きるだろう。着飾ればこの国の皇女殿下にも負けないであろうルックスの少女はこれまでどのような過酷な人生を送って来たのか。他人には想像することすら出来ない。
だが、そこではない。
俺はそんな異彩を放つ少女を初めて見た時、驚愕した。
何故、そんな状態で生きていられるのか、と。
彼女を取り巻く”風”は全て彼女の正面から強かにぶつかる様に吹いているのが見えた。
その風は所謂人生の風向き。運の風向き。”つき”と言っても良い。風と表現しているが、それは感覚的に知覚できた”つき”の流れを実存するものに置き換えただけだ。
俺が見て来た帝国一と呼ばれる商店の創業者、国の要職についているような政治家、巷で話題の凄腕ハンターと呼ばれるような人間はこの風が背中を押すようにして吹いていた。
そして逆に、全く売れない商店の店主、失職寸前の政治家、次の日に見なくなったハンターなどにはリリルラスと言う少女と同じように向かい風が吹いていた。
だが、彼女がそれらの敗者たちとも違う点があった。
それは、その風の圧倒的強さ。
店を失いそうな店主の風はそよ風の様だった。下手を打てば投獄されかねない罪を犯した政治家の風は干した洗濯物がバタバタとはためかすくらいの風だった。死を目前としたハンターの風は真っすぐに立っているのも難しいような強風だった。
だが、彼女の風はそんなものではない。
人が抗うのも不可能な、いや、それ以上に人なんてちっぽけな生き物は簡単に巻き上げられるのではないかと思えるくらいの風。もはやそれは風と呼ぶのも烏滸がましい。嵐だった。
そんな彼女が今こうして平気な顔をして俺の前に立っていることが信じられなかったのだ。
「双方構え……始め!」
教師が怒鳴りつけるようにして試合開始を合図した。
俺は剣を中段に構え、相手の出方を伺う。
(うっ……)
俺の目には流れが視覚的に見えている。
当然彼女を取り巻く風は今も見えており、対面してみるとその凄さを改めて感じる。彼女の風を傍で見ていると思わず目を閉じてしまいそうになる。
(凄まじいな……)
眼のピントをずらし、彼女を取り巻く風を
(これでようやっとまともに彼女を視るできるようになった。さてと……)
俺の戦闘スタイルは基本的に受けだ。相手の攻撃の”流れ”を読み、受け流してから自身の剣を叩き込む。また、相手から攻めてこない場合はこちらが”流れ”に乗って攻め込むこともする。
だがまあ、やっぱり個人的には受けの方が好きだ。
「……ッ」
スピッツは真っすぐに突っ込んで来る。
腕を下ろし、剣先を地面に向けたまま俺の方に駆けてくる。
(舐めているのか?)
基本的に攻撃は位置エネルギーも利用できる振り下ろしの方が力が入る。そして、切り上げる場合は重力に逆らないながら剣を振り抜かないといけないため振り下ろし程のキレは出ない。
それに相手は女性であり、筋力も男の俺よりも劣る。
そんな彼女が剣先を下ろしたままこちらに向かってきたのだ。
(細い腕に見えて、実は力自慢なのか? それとも足捌きで俺の隙をついて剣を当ててくるか? どちらにしても……)
俺はリリルラスの身体と剣の動きが生み出す流れを読み、軽く合わせて受け流す。彼女の攻撃は予想通り驚異的な威力は無かった。
流れ通りだ。
おそらく切り上げた刃を素早く切り返してそのまま振り下ろすつもりだ。
(だが、そうはさせない)
俺は自分の流れに従い、相手の剣を弾くために両手で握った剣を振る。
この流れに乗せれば相手の意表を突いた力の入れ方ができ、剣の軌道を大きく逸らすことが出来る!
だが……
「なっ!!」
リリルラスの剣と打ち合わせた俺の剣は押し負け、逆に弾かれる。
そのまま彼女の剣は俺の剣による影響なんてものともしないと言わんばかりにまっすぐと降ろされ、俺の右肩に吸い込まれるように落ちていった。
「グッ!?!?!?!」
「そこまで!」
有効打が決まり、教師が試合を止める。
俺は右肩に受けた衝撃から思わず剣を落としてしまう。
これがもし、練習用の木刀でなかったなら……右腕はそのまま切り落とされていていただろう。俺は骨なんて関係ないとばかりに彼女が腕を切り落とすシーンを幻視した。
俺は彼女の一撃に驚いていた。
しっかりと戦いの流れに乗っていた俺の身体に攻撃を当てたことも、俺に剣を落とすほどの威力でブチ当てたことも。
そんな試合の"流れ"ではなかった。
普段の学生相手の試合なら、実力不足で追いつめられることはあってもここまで想定外で、圧倒的で、流れに沿わない戦いにはならない。
負けるにしても流れというものがある。
今回の試合はその負けの流れにも沿っていなかった。
「ありがとうございました」
リリルラスは俺に礼をし、試合スペースから離れる。
「ラン! さっさと礼をせんか!」
うるさい教師が何か言っているが、今の俺には何も聞こえていなかった。
(……負けた? 俺は負けたのか?)
俺は彼女の強力な一撃によって全く動かせない右腕に視線を向ける。
(……恐ろしい女だ)
常に向かい風に向かって歩いていくその少女から俺は目を離すことが出来なかった。
彼女は見学席に向かって歩く。
ただそれだけなのに彼女には逆風が吹いており、そんな風など関係ないというばかりにリリルラス・フォン・スピッツは歩く。
こうして俺、アイナス・ランは彼女、リリルラス・フォン・スピッツ、風に逆らう少女に出会った。