逆風少女 作:ichiro_nu
ミラス帝国はここ100年でその勢力を急速に拡大した新興国家である。そんな新興国家でありながらも大陸で一番の支配領域を誇るまでに成長した理由の一つとして挙げられるのが俺も所属する帝立ミラス学園だろう。
ここは軍を指揮する士官を育成する将兵科や貴族の護衛を主任務とする騎士を育成する騎士科、優れた魔導師を育成する魔法科、内政を行う官僚を育成する政経科、その他にも商業科、医療科、建築科、等々……あらゆる専門教育を施している帝国肝いりの教育機関である。
国に関わる機関で規定の年数働く事を条件に学費は格安、成績優秀なら無料にもなる。そのおかげで身分を問わず全国から人を集めて優秀な人材を育成して来たのがミラス学園だ。
歴史ある由緒正しい周辺国様達は、「庶民から人を集めるなんて、帝国は人不足」とか「身分という物を理解していない野蛮国家」だとか色んな事を言っているが、現在の帝国の発展具合と周辺国様達の状況を考えればどちらが効率的で有効なのかは言うまでもないだろう。
「アイ、何ボーっとしてんのよ」
「……ん? ああ。リンか」
肩の辺りで切り揃えた栗色の髪をさらりと揺らしながら現れた少女の名はリンシー・レルゲン。
初等学校1学年の時にたまたま隣に座って居た少女が彼女だ。それ以来、腐れ縁で付き合いがある彼女もこのミラス学園への進学を希望し、見事合格。そうして俺達の縁は今も順調に腐っていっている。
これは余談だが、うちの地元の初等学校から同じ年に2人もミラス学園に合格者が出たという事で当時は少し話題になったものだ。
「いや何、ちょっと右腕が動かなくてどうしたもんかと」
「え!? ちょ、ちょっと大丈夫なの!」
何やらワタワタと慌て出すリン。何か出来る事は無いかと思いながらも何も出来ずに居るといったところだろうか。
「さっきの教練で怪我したの?」
「まあね」
俺の右肩を激しく打ち付けたリリルラスの攻撃は今も俺の体にしっかりとダメージを残していた。
右腕が動かない中運動服から制服に着替えるのには中々苦労したものだ。
「いやー、痛みは全く無かったから平気かなと」
「それ感覚なくなってるんじゃないの! 大変じゃん!」
そう言われれば、さっきから右腕の感覚が全く無いような気がする。あれ? なんか突然怖くなってきたな。
え? ほんとに何も感じないわ。歯医者でした局所麻酔を受けた時みたいな変な感じだ。何も感じてないんだけどね。
「……ちょっくら医療部に行ってくる」
「ええ、さっさと行ってきなさい」
俺は動かない右腕をプラプラとぶら下げながら目的地へと歩くのだった。
「休み時間の内に帰って来なさいよー」
お前は俺のオカンか。
☆
ミラス学園は史上最大規模の教育機関だと言われている。多様な専門教育を施す施設であるため、その規模は非常に巨大である。そのため、全ての科が1つの土地に集まっているわけではなく、帝国各地に散らばって存在している。
商業科は商業の盛んな都市に、農畜科は一次産業が盛んな都市に、といったように各科の特色と合致する地域で校舎を構えている。
そんな中、俺とリンが所属する騎士科は皇帝が住まう都市、皇都に存在している。騎士の本分は貴族・皇族の護衛である事を考えると、将来の主となるであろうお方が多く居るこの都市に校舎を構えていることは不思議でないだろう。だが、この校舎は騎士科の人間だけが使っている訳ではない。騎士科の実技訓練では多くの怪我人が出る。そんな人間を丁度いい教材としているのが医療科の学生達と言う訳だ。
「あ、どうも」
「やあ、ラン君。今日はどうしたのかな」
医務室で出向かてくれたのは医療科の知り合いの先輩だった。
「ちょっと腕の感覚がなくなって動かなくなっちゃったんですけど」
「うん、それは大事だね。何でそんなに落ち着いてるかかな……」
「あはは」
先輩は「そこでちょっと待ってて」と言葉を残して部屋を出ていった。恐らく医療魔導師を呼びに行ったのだろう。
「ふう……」
取り敢えずベッドに腰掛けさせてもらうことにしよう。
医務室に備え付けられた4つのベッドの内、1つは誰かが使っているみたいで、カーテンが引かれている。この学園に仮病で授業を休もうなんて軟弱者は居ない(居たとしても定期考査をクリア出来ずにとっくにこの学園から去っている)ので、体調でも悪くなった人間が居るのだろう。
なんて事を考えていたのは、使用中のそのベッドがたまたま目に入っていたからだ。目に入ってしまっていたのだ。
「なッ!?」
「……?」
使用中のベッド。
閉じられたカーテンが勢いよく開けられたその向こう側に居たのは俺の右腕をこんなにした張本人、リリルラス・フォン・スピッツであった。
だが、彼女の服装が問題だった。
(なんて格好してやがる!)
女性用制服の前のボタンは全て開けられており、殊更大きい訳ではないがしっかりとその存在を主張する胸を抑える白いブラと腹部に巻きつけられている包帯をばっちり目撃してしまう。
「アナタ……」
「わ、悪い!」
どう考えても不注意にカーテンを開けた向こうが悪いのに何故俺が先に謝罪を述べているのか。言いようの無い理不尽を感じ無くもないが、男として正しい行為はこれであろう。
(ん? あいつ、さっきの教練で怪我してたか?)
それは彼女の胸部を巻く白い布……ではなく、腹部に巻き付けられた白い布に対する疑問だった。
「右腕は大丈夫だった?」
「え? あ、おう。ちょっと動かないけど、医療魔導師か
何とかしてくれるだろ」
「そう」
どうやら彼女は俺の心配をしてくれていたらしい。てっきり、彼女の素肌や下着を見てしまったことに対する追求の言葉が飛んでくると思ったが、どうやら特に気にしていないようだ。
「スピッツ……さんも怪我したのか?」
俺が彼女を呼び捨てに出来なかったのには理由がある。
フォン。
名にその一言が付くということは領地持ちの貴族である事を示してる。この学園に在籍する間は全ての生徒は皆平等の『学生』という身分として扱われる。そのため、本来なら俺は同期の彼女に対して目上の人間に対する対応をする必要はない。
けれども、騎士科に所属する俺は将来貴族と関わる可能性が非常に高い。今は良くとも将来的に目を付けられるような態度を取るのは良い手とは言えないのである。
なんなら様付けしたいところだ。領地を持った貴族なんてのはそうそう居るものではないからな。
「リリルラスで良い。家名で呼ばれるのは慣れてないから。後、敬称も要らない」
「あ、そう? それは助かるね」
とは言え、楽に話して良いと言うのならそっちの方が良い。丁寧な言葉遣いが出来ないと言う訳ではないが、丁寧な言葉遣いというのは気疲れするのだ。騎士志望とはいえまだ学生なんでね。
「怪我はしてない。これはサラシ」
「サラシ……か」
「うん。それじゃ、私はこれで」
「おう」
ゆっくりと制服のボタンを上まできっちり留め、部屋から出ていった。俺は特に何も言う事はなく、彼女が部屋から出るのを見送る。
「サラシねぇ……」
確かにサラシの下に傷は無かったのだろう。だが、僅かに見えた肌に残る数多くの傷跡。刃物で斬られたような物、火傷の跡のような物、化膿した傷が治癒した跡等。
彼女の身体はおよそ貴族令嬢のものとは思えなかった。
そして、彼女が巻いているサラシの位置。騎士志望の女性が動き回るのに邪魔になると言う理由で大きな胸を押さえつける為にサラシを使用する事は時々聞く話である。しかし、彼女がサラシを巻いていたのは胸ではなく腹だ。腹にサラシを巻く理由は1つ。
斬られた腹から腸が出ないようにするため。
そんな対策をしている彼女は一体何なんだろうか。常在戦場の信念を表しているものなのか、それとも腹を斬られることを想定しないといけない状況なのか……。
(そりゃ、一筋縄でいくような人生とは思えないしなぁ)
あいも変わらず吹き荒れる彼女の"風"。やはり何度見ても今生きている事が不思議な位だ。
「おまたせ、ラン君」
まあ、取り敢えずは俺の怪我を治してもらわないとな。
「あ〜、こりぁ……千切れた神経を繋げるときちょっち痛いけど我慢してね?」
「……まじすか」
クソ痛くてめちゃくちゃ泣いた。