帰還者学校での涼の評価は、『優秀な問題児』という物である。学業において成績自体は上中下と分けるなら上の部類に入るし、授業態度も問題ない。しかし突発的に無断欠席があったかと思えば、国の機関や警察から『それうちで仕事してた奴だから単位お願いね(意訳)』と言う文章が届いたりしている。
それについては一つ上の和人も似たようなものであるが、その上で入院沙汰になっていたりなど、教師陣に入ってくる話のスケールが一々大きいのである。
「はい、お疲れ様」
職員室から出てきた涼を、廊下で詩乃が出迎える。
夏休みの最終週、彼は欠席分として追加された課題の提出に来ていた。家から近い為、学校に来る事は苦痛ではないがオンラインの提出ではダメなのか、と思わなくもない。
ただ、カウンセリングなどの絡みもある為に一概に否定する事も難しい。なので甘んじて登校して課題を提出し、教師からは軽く近況について聞かれて、今から帰る所だ。詩乃は付き添いであり、帰る前にはスーパーに寄って買い物をしていく予定である。
「何食べたい?」
「詩乃の料理なら何でもいいけど……肉も捨てがたいなぁ……ピーマン安かったら肉詰めでも作るか」
「なら、他に野菜買って残ってる素麺は冷やし中華みたいにしましょうか」
楽しみだ、と笑いながら二人は校門を出る。今日で夏休みに学校に来る用事は無くなり、数日後の始業式まではフリーである。次に何かあるとすれば、九月の連休に姉妹をキャンプに連れて行く事だろう。
「身体の調子はどう?」
「SAOの後より遥かにマシで、ようやくアンダーワールド前に戻ったくらいだな」
「そう……」
詩乃が涼の手を握っていたのを、両腕と全身で腕をからめとるような姿勢に変える。まだ残暑厳しい夏ではあるが、二人がそれで暑がる素振りは見せない。お互いに少し頬を赤く染めて、はにかむ様に笑いあうにとどまっている。
「色々買い置きして作り置きして、残りは家で過ごしましょうか」
「トレーニングくらいは許して……」
「それは良いわよ。ただし、ちゃんと端末は持って行ってGPSは付けておく事」
わかった? と問う詩乃にわかってるよ、と涼は答える。
旅行から帰った後でストレアにアプリの件を話せば、やはり『こやつらヤベー奴じゃな?』と言った顔で一時間程度で組んでくれた。ついでに生体センサーのプログラムも手を加え、オーグマーとスマホに同時連動で、ネットワークに繋がっている限りリアルタイムで詩乃に情報が届く。
更には相手のスマホカメラの映像を取得でき、それも見る事が出来る。流石に必要な機会はないだろうとストレアは思うが、兄と義姉の強い要望であるなら仕方ないと付けた。兄は自分のプライベートが丸裸になりつつあるのに気づいていながらこれだ。『どうかしてるわー』と心配するのも仕方ないのだが、次の瞬間には『まぁこの二人だしなぁ』と納得していた。
遠くない未来にストレア製アプリの存在が明日奈にバレ、彼女に凄い勢いで強請られる未来をストレアと言えども演算できるはずはなかったが、それは割愛する。
「というかアイツ、それに加えて今身体がどんな状態かを映像化する奴も作ってんだよな」
「生体センサーが集める情報を基にして、体の状態をリアルタイムに映像化……本人は『この際だから兄貴を実験体にします』って言ってたけど」
「実際、俺がトレーニングしてる時はストコマ使ってでも映像記録して、データ解析と照合やってるしな。ランニングは流石についてこないけど、室内トレーニングの時はずっと」
「ストレアの将来が迷走してない? トレーナーでもやるのかしら?」
データを集める事に何の意味があるのか、詩乃にはイマイチ理解できない。
ぶっちゃけて言えばストレアにとっても、涼の肉体データは有意義であれど使うかと言われれば首を傾げざるを得ない。『あれば何かに使えるかも』程度の意味しかなく、何か意味を付けるとしたら、アプリのアップデートをするのに必要かな? くらいだ。
「まぁ何であろうと、アイツがやりたいって言うならデータくらい取らせるさ」
ただ、意味をあまり見出せないながらも行われるデータ収集に涼は付き合っている。どうせトレーニングはするのだし、それに違う意味があった所で身内の中で話が済む。ストレアに対して恩も家族の情もあるから、この程度の事なら引き受けても問題ない。
「それにアイツ自身、何がやりたいかまだ決めきれてないだろうしなぁ」
「なまじ、何でも出来るのも問題ね」
やれやれ、と妹の将来を心配しつつも、二人は寄り添って歩いていく。当の妹が見たら『アタシをダシにしてイチャついてる。訴訟』と言っただろうほどに、互いを想い合いながら。
◇
基本的に涼と詩乃は、家で特にやる事が無ければくっ付いている。それは春夏秋冬、季節が廻ろうとも変わらない。それほどまでに、二人にとってはこうする事が自然なのだから。
それに影響を受けてか、藍子と木綿季も涼と詩乃に対しては割と距離感ゼロでくっ付いてくる。ストレアも自分から行くことは少ないが、家族からのスキンシップを拒む事はない。本人以外が認めている親友からのものは、断固拒否の構えを崩していない。
夏休み最後の数日を家の中で過ごす事を決めた二人。無論誘われれば出かけはするが、自発的に出る事は用事が出来なければ無い。
そんな日の中の昼食後、リビングでのんびりといつものようにくっ付きながらテレビを見ていた時に、涼は眠たそうに目をこすった。
「眠そうね」
珍しい、と思いながら詩乃が問いかけると、『あぁ……』と気の抜けた返答。どうやら本当に眠いらしい、と内心で彼女は驚いていた。小学生の頃は散々遊んだ挙句に電池が切れたように寝落ちる事もあったが、こちらに来てからそう言う事は無かった。
いつもどこか、気を張っていたのだろうか? そんな事を考えつつ、詩乃は座っていたソファの隅に移動し、自分の膝の上に涼の頭を乗せた。その行動に抵抗する素振りも無く、彼は大人しく横になり、膝の上に頭を乗せる。
「……本当に寝た」
膝枕をして数秒後、静かに涼は寝息を立て始める。昼寝をする事は確かにあったが、それは自分に付き合ってに限ってだったように詩乃は思う。記憶を辿っても、入院時ですら彼女が見舞いに行った時は起きていたのだ。
そんな彼が今、自分に対して無防備な姿を見せている。そんな事実に気が付いた詩乃は、寝顔を見ながら微笑みを浮かべた。
入院していた時の寝顔はもう、ずっと見ている。ただ眠っているだけで、何の表情も浮かばないあの寝顔を詩乃は嫌いだった。そのまま、自分の知らない場所に行ってしまうのではないかという不吉な物だったから。
たまに見る、一緒に寝ている時の寝顔は好きだ。幸せそうな顔の時は自分も嬉しくて、苦しそうな時は抱きしめれば和らぐ。そんな変化のある事が、彼が生きていると実感できたから。
今見ている寝顔は、詩乃にとっては悪くない。何処か安心しきったような、無防備な寝顔は彼女にとってとても愛おしい。桜川涼が、朝田詩乃に対してどれだけ心を開いているかわかるから。
アンダーワールドで魂まで深く繋がった影響だろうか、以前にも増して詩乃は彼の存在を感じ取る事が出来るようになった。家の敷地内であれば、何処に居るのかすらわかるようになっているのは些かおかしいのでは? と疑問を持ったが、詩乃はすぐに気にしない事にした。
何か不都合があるわけでもなく、涼に聞けば彼も同じようなものであると言う事なので、喜ぶ理由しかなかったからだ。ただ、詩乃のそれは涼相手にだけ適用されるものであるらしく、涼とストレアが持つ能力ほどのものではない。
その能力で、詩乃は彼が心底安心している事を把握していた。それがわかるだけでも、詩乃にとっては値千金の力である。『わからない』と言う事は必要な場合もあるかもしれないが、それでも詩乃は愛する人の全てを知りたいとも思っている。
だからこそ、この力に対しての忌避感は無かった。あるとすれば打ち明けた時に『嫌われるのではないか』という不安があった事だが、それは涼も同じような力があるという話をされた後で受け入れられて、もう存在しない。その夜は凄かったらしいが。
「どんな夢を見てるのかしら……」
起こさないように、愛しい人の頭を撫でる。少し癖のある髪は、今は夏なので短く切り揃えられている。ちょっと気持ちいい……そう思いながら。
「……詩乃……」
蚊の羽ばたき程の小さい声が、しっかりと彼女の耳に入ってくる。夢の中まで自分と一緒なのかと嬉しく思い、現実でも一緒なのにと少し拗ねる。そうしていれば、彼の顔が少しだけ苦しそうなものに変わった。
「……ごめん……ごめんな……」
何に対して謝っているのやら、と呆れたような顔をして、詩乃は彼の顔を覗き込む。謝罪の対象になるような事は数多くあったが、全てに対して彼からの謝罪は既に受け取っている。何か疚しい事があるのかと考えるが、そんな事があれば今の詩乃が勘付いていないはずはない。
『まぁ、ちくちくと昔の事を突いてはいるけどね』と苦笑し、これからはそれを控えておこうとは思う。無駄に罪悪感を突く必要も無いし、もう彼女の中でも消化した物だ。彼に原因があるのならばともかく、心配させられた事件の殆どは彼は巻き込まれ……大別すれば被害者である。
その事件の中で解決に奔走したり、危険な事をしていたのは詩乃目線では
「……謝っても、許してあげない」
眠っている愛しい人の耳元に顔を寄せて、彼だけに聞こえるように囁く。
「私が死ぬまで傍に居て、貴方が死ぬまで私の事を愛してね」
並の男が聞けば、言葉に込められたその『重さ』で潰れてしまいそうなものだが、彼女がそんな言葉を聞かせるのはこの世界では一人しかいない。そして、聞かせる男はそんな重さで潰れる事など無いし、何なら彼女と同じくらいには『重い』と断言できる男だ。
和人と明日奈をして『スイッチの入った二人と一緒の空間に居たくない』と言わしめる、愛の超重力場を生み出すのだから然もありなん。それを見てパルパルする義妹が居るらしいが、嫌な方向で将来有望である。
その言葉から堰を切ったように出てくる重い愛の言葉。唯一、そんな言葉を投げかける相手にさえ、寝ていなければ投げかける勇気が湧かないような言葉。
自分の心の真っ黒な部分を垂れ流すような言葉を、ただ出るままに紡いで晒していく。ただ一人にも聞かせられない、朝田詩乃の
あぁ、こんな事を考える私は、なんて恐ろしい。
自分自身でも恐れるほど感情。自分の裡から発露するそれを、果たして愛と呼べるのだろうか。詩乃は自問自答するが答えなど出るはずがない。
「……やっと言ってくれたな」
寝言ではないはっきりとした言葉に、詩乃は息を呑んだ。膝の上に乗せた涼の頭が動いて、その黒い瞳が彼女を捉える。ただ真っ直ぐに向けられた瞳には、安堵の色だけがあった。
「な、起きて……い、つ?」
「少し前。寝たのは事実だけど、寝てから一時間は経ってるぞ」
詩乃がテレビに視線を向ければ、いつの間にか番組が変わっている。それは見ていたバラエティの次の番組だったなと思い出せばなるほど、一時間程度は過ぎていたらしい。
驚愕で動けなくなっている彼女に対して、涼は起き上がって抱きしめた。驚愕から復帰した彼女が逃げ出さないように、両腕に力と意志を込める。
「ごめんな、詩乃。俺が心配ばかりかけて、詩乃を不安にさせた」
「不安なんて……」
「俺に言い出せなかった、俺への言葉。それを受け止められると思わせられなかった、俺の落ち度だ」
自身の裡を見せて尚、共に居てくれると信じてもらう事が出来なかった。彼が寝言で謝っていたのはその事なのだと、詩乃は直感する。自身と彼の間にだけある共感が、彼に夢として自分の内の感情を知らせたのだと。
それに気が付いて、自分を抱きしめる腕を彼女はぎゅっと握る。
「……どう、思った?」
恐る恐る出た問いかけは震えている。能力は今使えていない。『わかる事が怖い』と拒絶しているからだろうと、考える余裕すらない。
「嬉しいよ」
だからこそ、そう言われた時の衝撃は計り知れなかった。自分の感情の事を理解して尚、そう言ってくれる彼に対する愛しさと困惑が綯交ぜになった感情。それを涼はすぐに察知する。
「これは強がりでも見栄でも何でもない。そうしたいと思えるほどに愛してくれてる事を、俺は心の底から嬉しいと思ってる。それと同時に、そんな詩乃に受け止められないと思われている自分に腹が立つ」
「そんな事……これは私の勝手な」
「それを勝手な想いにしないのが俺の義務だよ。出来ていないのならそれは俺の責任だ」
優しい口調の中には、涼の自身への怒りが渦巻いている。
詩乃はそれは違うと思うと同時に、
(やっぱり私、酷い女だ)
独占欲が強いという自覚が、詩乃にはあった。愛する人が自分の事だけを考えてくれる状況に、とても心が満たされるという自覚もあった。それでも、愛しい人が自分の心の一番重く、黒い部分を受け止めようとしてくれて、それが出来ていないと自分自身に怒る姿に嬉しいという感情を抱くとは思っていなかった。
『重すぎる女みたいじゃない……』と言ってしまえば、『うっそだろおめぇ気付いてないの? マジか?』みたいな顔をストレアがしただろう。重い女であるという自覚くらいは詩乃にもあるが、ここまでなどとは夢にも思っていない。ただし彼女以外は知っているものとする。
「……ねぇ、涼」
「何?」
だから、今は酷い女で居よう。そんな風に詩乃は思った。
受け止めてくれるというのなら、遠慮する必要はない。ずっとは難しいかもしれないが、今この時だけは酷く、我儘な自分で。
「私に、信じさせてみて。貴方が、全部受け止められるって事」
詩乃の言葉への返答は、重ねられた唇だった。
◇
夏休み最後の数日は結局、二人は一歩も外に出る事無く過ぎていった。
一緒の家に居るはずのストレアが隣りの涼の両親宅に避難してきた事から、両親も姉妹も『あっ(察し』状態である。
「さいしゅうしゅう は おたのしみ でしたね!」
「死ねェッ!」
「警告無し!?」
その筋で状況を知っているキリトが、始業式後にALOに顔を出したオーリを速攻で煽ればセメント極まる対応が返ってきた(残当
「で、実際の所は?」
「……流石にノーコメントで」
「シノンが真っ赤になって言葉を濁した時点でバレバレなのよねぇ……」
シノンはシノンで、アスナとリズに絡まれている。その横ではシリカらが興味津々と言った感じで視線を向けているが、高校生になったシリカはともかくとしてランとユウキに聞かせるわけにはいかない。
「こーぶーらーつーいーすーとー」(ド〇えもん声
「ギブギブギブギブ!?」
「何時の間にプロレスになってるんですかキリトさんにオーリさん……」
シリカが視線を向ければ、キリトがオーリにプロレス技を極められていた。まぁ煽れば何かしら返ってくるのが分かっていたのだから、自業自得ではある。程なくしてキリトがタップした為に解放し、オーリは彼を床に転がした。
「後日GGOな」
「何という追い打ち……」
「オーリさんはそれ、七月から言ってますけど……具体的に何をさせるんですか?」
「ん? あぁ、以前俺とシノンとラン達でギリギリだったボスがいるんだけどな」
「その奥のダンジョンを放置してたんですけど、最近情報サイトで似た所の情報が出てきまして……」
「いい機会だからキリ子ちゃん突っ込まそうかなと」
シリカの疑問にあはは、と苦笑するランと満面の笑みのオーリ。二人がそこまで言うと言う事は、確実にヤバいと言う事がキリトにはわかる。
「それ、十中八九ヤべー奴だろ!?」
「馬鹿め。十割ヤベー奴だ」
「余計ダメじゃねーか!?」
キリトが吼えているが、彼に拒否権はない。コンバートする際に荷物はALOのオーリ達の拠点で預かるし、何なら月額通信費は奢りである。後で稼がせるだけ稼がせるとはいえ、突っ込ませる事だけが罰ゲームなのでそれ以外は負担させないのが、馬鹿二人の間では不文律として存在していた。
ただ、それを差し引いても罰ゲームがヤべーというだけである。
「まぁその罰ゲームは今は良いんだよ。重要じゃない」
「ユウキさん? 俺にとっては重要ですよ?」
「そうだね。夏休みは結局、殆ど構ってくれなかった兄さんが問題だね」
「あれれー? 何か俺に飛び火したぞキリト」
「俺が原因なだけに、ちょっと言い辛いんだが……とりあえずざまぁ(笑)」
オーリはキリトへのプロレス技を続行する事にした。今度は逆エビ固めである。
「ミギャァァァァァ!?」
「でもさーお兄ちゃん。お義姉ちゃんのケアが最重要だって言っても、ボク達だって心配したんだよ? 何かご褒美があってもいいと思いまーす」
「九月の連休のキャンプ……」
「それは以前の約束の履行ですよね? なら、他にあってもバチは当たらないと思います」
ぐいぐい来る妹二人に、兄として何とも言えない感慨を抱く。具体的に言うと『たくましくなったなぁ……』という感じだが、直面している問題は中々に悩ましいものだ。
ぶっちゃけて言えば、連休以外の休みはキリトへの罰ゲームかシノンとのデートに費やす予定をしていただけである。しかし妹達の言い分にも一理あるのは確かだ。
心配をかけた補填と言われれば、二人と時間を取ったとは言えない。仲間内や救援に来てくれた生還者に対しては色々やって手打ちとなっているし、最優先の恋人も一先ずは満足はしてくれた。
両親は両親で『誠意とは言葉ではなく孫』と言い出し、シノンの母は『右に同じで』という始末。無敵すぎるので、一生かけても返済できない恩が更に返せない不具合だと、シノンと二人で頭を下げたのもいい思い出だった。
「というわけで! 今度の週末はボクらが貰うから! お義姉ちゃんにも言っとくから!」
「土日二日潰させてもらいますね」
「マジかー……まぁ仕方ないかー……」
「そう言いながら俺の背骨に負荷を掛けるのはやめろぉぉぉぉぉ!?」
両親ズ「世話も経済援助もある程度はする。安心して」
おり主「安心できる要素であるのは確かなんだけど、そうじゃない感が凄い」
しの「十八から仕込みます」
おり主「しのさん????」