10月の最後の日。涼の両親の家の完成を知らされてから、少しずつ運んでいた藍子と木綿季の荷物は全て前日までに新居へと運び終えて、その日から2人は両親と住む事になった。
ストレアはALOにてユイと同じナビゲーションピクシーとして活動できるまでに復旧したが、それでもまだ不具合はあるらしくユイと一緒にネットワークの海を漂いながら成長と復旧、改善を繰り返している。後は涼のPC内に有ったVR教材を勝手にやったらしく、何故か『大剣……いいっすね……』とトリップしていて涼と詩乃は若干引いていた。当面の目標は等身大で活動可能になり、ALOにアカウントを作って冒険をする事らしい。
「この2、3週間がすげぇ濃かった……」
「お疲れさまって言うべきかしら」
翌日の11月1日土曜日。少し遅めに起き出した涼と詩乃は朝昼兼用の食事をした後で家事をこなしてゆっくりと部屋の中で過ごしていた。具体的にはソファに座った詩乃に涼が膝枕をしてもらっている体勢である。
「……詩乃に膝枕されるのって、実は初めてか」
「そうだったかしら? 桐ケ谷君とのあのデュエルの後は……してないわね」
「あの時はホントにすみませんでした……」
「今更でしょ。SAOからずっと心配ばかりかけられてるんだから」
「ホントすみません……」
申し訳なさそうに目を伏せた涼に、詩乃が優しく微笑んでその頭をゆっくりと撫でる。初めて心配をかけられたのがSAOの時であり、それが死と隣り合わせのデスゲームと言う超ド級のモノだった。事実として詩乃は心労で倒れたのだから、涼としてもこれは謝罪一択である。
生還した後も、一時期詩乃は涼の病室から学校に通っていた。涼も生還したばかりの時はデスゲーム内での事に責任を感じていた事もあってあまり気を回せなかったが、父親との会話で折り合いを付けた後は彼女と向き合う事を決めた。後悔しないために生きようと思ったのもこの時だったが、互いに告白する覚悟を決めるまで2カ月ほど掛かったのは似た者同士と言う他ないだろう。
そして告白をしあった直後に、涼はまた事件に首を突っ込んだ。仲間であったキリトの依頼で電脳空間に囚われていたキリトの恋人のアスナ救出に手を貸しただけだったが、涼が単独で行く事を看過できなかった詩乃は同行を申し出た。結果的に彼は仲間に道を作る事に終始し、救出は成功。後で話を聞けばアスナを含めて300人ほどが囚われており、もしもの話だがその中に涼が含まれていたらと思うと詩乃はぞっとした。
普通ならトラウマになっていてもおかしくない体験をしても尚、最愛の人はそれをプレイする事は止めない。詩乃は別にフルダイブが危険だとかそんな思想を持っているわけではないが、どうして彼がそこまでフルダイブゲームを楽しめるのかが疑問だった。
別に現実から逃避したいわけでもなく、仮想世界に憧れがあるわけでもない。ならば何が彼をそこまでフルダイブゲームへと駆り立てるのか……一度尋ねてみた事がある。
『切欠はそうだなぁ……小学校入る前か直後くらいにアニメや漫画を見て、もし今と違う世界を生きてたらどんな自分になっていただろうって考えた事かな。現代社会とは違う世界……それこそファンタジーや近未来、SFだっていい。違う世界に自分が居たらどんな風に生きているだろうか……そんな事を考えたのが切欠。
まぁそれからは別に普通に生きてたけど、フルダイブ機器の話を聞いてこれならって思ったんだ。アバターの姿は自分ではなくても、そこには確かに自分が居る。教材はゲームじゃないけどそれでも普通に生きてたら小学生のガキが車を乗り回すなんてしないし、それこそ日本刀で戦ったりもないわけで、そういうのが楽しいってのは確かにある』
『要は自分の可能性を自分で確認したいんだ』と言う涼の言葉に、詩乃は納得したし理解もした。現実ではとてもリスキーで選択できない事も仮想世界なら出来る事が多いのは事実だし、VR教材などは将来の為の予行演習などにも利用できるだろう。普通なら出来ない事が出来るというのは詩乃も楽しかったし、病気が完治する前の藍子や木綿季が終末期医療の一環としてフルダイブゲームをしていた事もあって否定できる材料はない。
それでも、また彼が事件に巻き込まれるのではないかと気が気ではなかったので、なるべく一緒のゲームにダイブするようにはしているのだが、ストレアの事を聞いた時は愕然としたものだ。
「何で私と居ない時に限ってそういう引きを見せるのかしらね……」
「これは俺にはどうしようもないと思うんですよ詩乃さん」
「頭ではわかってるの。でも、SAOみたいなのはもう嫌なの」
詩乃の表情が悲し気に歪むのを見て、涼は彼女の頬に手を添える。
「ごめんな、詩乃。これからも心配かけたりするかもしれないけど、これだけは約束するから。この命が終わるその時まで、お前の傍にいるって」
「……私の全部をあげたんだから、当然よ」
『ストレア、どうかしましたか?』
『マスターと奥さんがリビングでイチャついてるのを見て、生きるのって辛いって思った』
『そんな事で生きるのが辛くなってたら、これから大変ですよ?』
◇
そんな風に2人でゆっくりと過ごしていた夕方。
「イチャついているであろうお兄ちゃんとお義姉ちゃんの部屋にボク、参上!」
玄関が開く音が聞こえたと思えば、木綿季が勢いよくリビングに駆け込んできた。少しニュアンスを変えた呼び方は昨日からのもので、彼女なりの変化のつもりなのだろう。
「昨日の今日なのに来たのか木綿季」
「わたしも居まーす」
続けて藍子が、申し訳なさそうに手を合わせながら入ってくる。
「藍子、木綿季を止めるはずの貴女が何で……」
「すまないね、私も居るんだ」
「2人の母も居るわよー」
「お邪魔しますね、詩乃。涼君」
後に続いてぞろぞろと涼の両親と詩乃の母親までが入ってきて、一気に賑やかになる。部屋の住人である二人は茫然と家族を眺めて、数秒で再起動を果たした。
「お義父様にお義母様に母さんまで……?」
「まって、昨日一緒に晩ご飯食ったよね? 陽菜乃さんも一緒でしたよね?」
「だからですよ、涼君。今度はこっちでみんなと一緒に晩ご飯にしようと思って」
「私が誘ったのよ。貴方達、結局来年3月一杯までこっちで二人きりだーって言うから」
「言ったね。言ったけどそれが何でこっち来て晩ご飯食べるって話になるの?」
げんなりとした表情を隠さずに涼が問えば、まぁまぁと父親が宥める。両親達にしてみればやっと自分の子供に会えたのに晩ご飯一度だけと言うのはあまりにも寂しいのだ。特に詩乃の母は色々あったから、少しでもちゃんとしたコミュニケーションを娘と取りたいとも思っていた。向こうに居た時は何だかんだとバタバタしていたから、ようやく落ち着いたこのタイミングを逃す事など考えられない。
「それに藍子と木綿季はこっちが思ってた以上に貴方達に懐いちゃったし、どんな生活をしていたかちゃんと見てなかったから一度はね?」
「実際に見ないと分からない事もあるというので、こうして訪ねてきたわけだ」
「筋が通ってない事も無いから拒否しづらいんだよなぁ……」
「……流石に泊まらないですよね? 来客用の布団とかないですよ?」
「そこまではしないわよ~。でも詩乃ちゃんがどれだけ成長したかは見たいかしら」
30代後半とは思えないほどの若々しい涼の母がにやり、と意地悪く笑う。そんな表情でも様になってしまう美貌は相変わらずのようで、詩乃は色々と諦めたように溜息を吐いた。
「お題は何ですか?」
「お題って言うほどじゃないわ。たまには一緒に作りましょうってだけよ」
「えぇ……いいですけど」
花嫁修業の時を思い出して、流石の詩乃も複雑そうな顔をして呟いた。指導を受けていた時からずっと涼の母の手際を見てきたが、一介の専業主婦の手際ではない事は明白だった。料理にしても、それ以外の家事にしても、何なら大抵の雑事においては万能と言うべき手際の良さを発揮する。
しかもその手際の良さは感覚的なものではなくて、ちゃんと理屈がある。その理屈は様々な事に応用が利き、詩乃もそれを学んだおかげで色々な事をしても尚、涼との時間を取れているのだがそれでも、この義母の領域にまでは遠い。
「それに良い機会だから、藍子と木綿季の料理も食べたいのよね」
「わ、わたし達もですか?」
「お義姉ちゃんやおばさまの料理とボクらの料理を一緒に並べるとか晒し者になるよ……?」
「大丈夫よ藍子ちゃん、木綿季ちゃん。味よりも誰が作ったかが重要なんだから」
「という事で涼、お父さんと一緒に2時間くらい時間潰してきなさい」
「それは良いけど、詩乃や藍子達に変な事教えないでくれよ? 母さん……」
息子の懇願に笑って返す母。あ、これは絶対に言う奴だと涼は確信したが、自分の肩に手を置いた父を見れば『諦めろ』と悟り切った表情をしていた。
「涼、こういう事で私達男は女性には絶対勝てんぞ」
「恐ろしく実感籠ってる発言やめよう?」
「良いから行ってきなさい。今5時前だから7時ね」
涼の母が男2人をリビングから押し出し、しばらくしてイイ笑顔で戻ってくる。
「じゃ、料理しながら娘達が気になる涼についての暴露話しまーす」
「えっ? あの、おばさま? 兄さんに無断で言っていいんですか?」
「藍子は真面目ねー。でもいいのよ、だって私の息子だもの」
「無駄よ藍子。お義母様は涼に対しては無敵なんだから」
「お兄ちゃんの扱いがこの時点でわかるのが凄いね……」
「じゃあ対抗してこっちは詩乃の昔話しまーす」
「母さん!? お義母様のノリに染まらなくていいから!?」
「意外と聞かないからそっちの方がボク興味あるかも」
「確かに、兄さんと会った後の事しか聞いてないもんね」
「そうか、本人のリアクションが見れる分そっちが有利……!」
「有利不利とか無いですからねお義母様!?」
いつも泰然としていた義姉が振り回されるという珍しい光景を見ながら、姉妹は互いを見合って笑う。再び訪れた新しい生活が、今までよりも賑やかになるのだと確信しながら。
◇
2時間は帰ってくるなと念を押された男2人は、とりあえず着ていた服がお互いジャージだった事もあり、走っていた。とはいっても、ジョギング程度のペースから突如全力疾走になったりランニングになったりと、緩急の激しい高負荷トレーニングではあるが。
「30分ついて来れるようになったか。2年のブランクは戻ったようだな」
「今日……走る事に、なるとは……おもわな、かったけど……」
公園に立ち寄って額の汗を拭う父親に対して、全身から汗を拭き出させてベンチに座っている涼。彼はジャージの上着を脱いで半袖のシャツ一枚の格好だが、そこから立ち昇る湯気が今の状態を雄弁に物語っている。
「にしても……前から聞きたかったけど、俺にトレーニングしてる理由って何さ……」
「最初は護身だのなんだのが理由だったが、フルダイブ技術が登場してから少し変えた」
自販機で買ったスポーツドリンクを息子に渡しながら、父親は彼の問いに答える。
「涼、フルダイブ環境が現実の肉体に与える影響について考えた事は?」
「……考えた事はあるよ。SAOクリア直後だと衰え以外も現実の動きで違和感があったし」
思い出すのはある程度リハビリを終えた後で、トレーニングを再開した時だ。SAO前よりも衰えた筋力で、以前と変わらないレベルの重りを持った時に持ち上げられた事が始まりだった。その日は少しでトレーニングを切り上げたのに筋肉痛はすぐに襲い掛かってきて苦しんだのを覚えている。
「一説によれば、肉体にあるリミッターが弱くなっているという話もあるが、だからこそ現実でもある程度鍛える必要はあると私は思っている」
「体を壊さないようにって事か」
「それに、護身の理由も消えたわけじゃない。鍛えておけば対応できる事も多いからな」
父親が語るのは現実で起こったVR絡みの事件についてだ。それは主に仮想と現実を混同した人間が暴れたりと言った、フルダイブ技術が世に出る前からもあった問題ではある。ただ、その犯人達は生身でそれほど鍛えていないのに重量物を振り回していたなどと言う報告もあるという。
「フルダイブ技術はまだまだ新しい物だ。故に混乱もあるし、問題視する者も可能性を見出す者もいる。私はお前が囚われた経緯からあまりいい感情は持っていないが、この技術が持つ可能性と言うのも知っている。故に私は、お前に備えさせる事を決めた」
父の言葉に、涼はなるほどと呟く。先に送られてきたあのソフトもその為の物だと理解したのだ。通常のフルダイブゲームでは痛みは伴わない。しかし、
涼の今までの経験からしても有り得ない事が有り得ないのだから、その備えに対して拒否をする事など無く、むしろその必要性を理解した。そしてそれが自分の大切な人を守る事にも繋がっているのだと察したのだ。
「詩乃は、俺が守る。俺が用いれるモノ全部使っても、必ず」
カチリ、と何かが噛みあった音が2人にだけ聞こえた。ただ、涼はその音を全く意識せずに聞き流して、父親は僅かに目を見開いた程度の反応しか示さない。でも、その音の意味を父親は良く知っている。自分の内からも他人の内からも何度も聞いた音と同じなのだから。
(最近聞いたのは……あの時の詩乃ちゃんだったな)
自分の中の渇望や信念が、自分の肉体や精神と噛み合う音。と父親が勝手に思っているそれはいわゆる感覚的なモノであり科学的な確証は一切無いし、普通なら聞く機会など無い音だ。涼と詩乃の場合は、互いが互いの為にその全てを用いる事を決意したが為のものだと、彼は理解している。
詩乃の場合は、涼の為に自分の全てを捧げる覚悟だった。彼が目覚めるまで自分の時間をそぎ落とし、目覚めたその時の為に備え、目覚めた後は献身を持って傍に居続けるという愛。
涼の場合は詩乃を守り、幸せにする為の極まった決意だろう。彼女の献身と愛に応え、自身も彼女の為に全身全霊を賭して、
「若いというのは、眩しいものだな」
「……いや、息子の前でそう言う事言うの止めてくれない?」
「ははは、それもそうだが私も負けるつもりはない。まだ7時まで時間はあるから、一つ現実でも揉んでやろう」
「は? 今からやるの? ここで?」
「うちの庭でだ。後、互いに顔は無しだ。流石の私も女性陣に怒られるのは恐ろしい」
「あー、うん。それはすっげぇよくわかる……」
顔に痣でも作って戻ったら、女性陣は皆怒るだろう。元々多勢に無勢であるし、力関係上絶対に負ける話だ。だったらしなければいいのだろうが、それはそれだと2人は言う。
そんな感じで、両親の新居に向かう為に父と息子は2人並んで歩いていく。
「それはそうと涼、詩乃ちゃんとは最後まで行ったのか?」
「黙秘します」
顔面攻撃が早速解禁された瞬間であった。
◇
涼と父親が限界バトル(ガチ)を繰り広げ、時間通りに家に戻ればすでに料理が出来上がっていた。父親は家で着替えていたので、涼も戻れば手早くシャワーを浴びて汗だくだった服を着替えて戻る。
「おかえりなさい」
「あのー、詩乃さん?」
「お願い涼。今はこの状態の事には触れないで」
「アッハイ」
リビングの隅で両手で顔を隠し、体育座りで蹲っている詩乃。手で隠せていない所から覗く肌は真っ赤に染まっていて、何かを恥じらっているのは理解できた。涼が自分の母親へと視線を向けると、彼の母と彼女の母二人がぐっと親指を立ててくる。
「母さん達……?」
「後で涼君にも教えてあげますよ。詩乃の話」
「母さんやめて。ホントやめて。私を羞恥で二度刺すのはやめて……」
「正直興味ありますけど、という事は?」
「こっちも涼の暴露話しちゃった」
「うっそだろぉ……」
涼が床に手を付いて、四つん這いの体勢で項垂れる。どのエピソードを言われたかでダメージは変わってくるものの、詩乃の様子を見る限り結構なものと等価交換された様子である為、正直何を話されたか聞くのが恐ろしい。故に涼は詩乃の隣まで移動して座り込む。
「詩乃、一緒に地獄に落ちよう」
「それって私が二度目の話を聞くって事じゃない……!?」
「俺は何話されたか気になって仕方ないんだ……!」
「涼の話は後で私が話すから、それで手を打ちましょう?」
「……それしかないか……」
羞恥に染まった頬と涙目で訴えかける詩乃に、涼は瞬殺された。2人はがっくりと項垂れて溜息を吐く。
「藍子、木綿季。2人は家でもこんな感じだったのかい?」
「今日はまだマシですね」
「うん、キスしてないからね」
「2人とも、その話を詳しく教えて頂戴」
「「藍子! 木綿季! 絶対言わないように!!」」
思わぬ所から羞恥の刃で刺されそうになって、二人は声を上げる。既にそのリアクションが答えを言っているようなものであるとは、誰も言わない。
「やっぱり見に来て正解だったわ。2人のこんな姿なんて初めて見たし」
「詩乃はちゃんと涼君に甘えられているのね。良かったわ」
「親に同棲生活の内容がバレた……恥ずかしすぎる」
「私達が一体何をしたって言うの……」
「人前でイチャついてたじゃないですか」
「ボクらの目の前でもキスしてたしね」
「自業自得と言うか、流石に中学生の妹達の前でキスは止めなさい。教育に良くないぞ」
言葉の刃で既に心のHPがレッドゾーンに入っている2人は、もう返す言葉も出ないありさまだった。
「ほ、ほら義姉さん。早く食べましょう」
「お兄ちゃんも! ボクらも作ったんだからー!」
最年少の姉妹が、この場の唯一の癒しであった。
子供の頃の他愛もない失敗談を親に言われた時の恥ずかしさは異常。