すとれあ「はったおすぞ」
《カーディナル》という聞き覚えの無い名前に、オーリはどこか懐かしさを感じた。ただ、それは人の名としてではなく、何かもっと違う事で聞いた覚えがある。
「そうか。お主は他の外の人間と同様に、記憶を制限されておるんじゃったな」
考えこもうとしたオーリに掛けられた少女の言葉は、彼にとって棚上げしたはずの疑問を再び目の前に突き付けた。勢いよく立ち上がり、衝動のままに少女の胸倉を掴み上げようとして、ギリギリのところで彼は踏みとどまる。
「……どういう、事だ」
「そのままの意味よ。お主は元々この世界……《アンダーワールド》の住人ではない。何の為かは知らぬが、外の世界よりこの世界に連れて来られた《外界人》じゃ」
可憐で老成した声が紡ぐ言葉を、オーリは到底受け入れる事は出来ない。しかし、そう考えれば自分への違和感にも、今まで感じていた焦燥にも、何もかも説明がついてしまう。
元々自分が居た世界ではないから、積み上げたはずの『自分』と言う物を失ったように感じていた。この世界……《アンダーワールド》の常識ではない事を平然と実行できた。そして今、この世界最大の権威である《公理教会》に刃を向けている。
「故に、わしはお主をここへ連れて来たんじゃがな。教会最高司祭を……《アドミニストレータ》を討つために、セントラル・カセドラルを登るお主を」
「……僕は、討つために登っていたわけじゃない」
「いや、討たねばならんよ。お主がこの世界に生きる全てを守るというならばな」
何を知っているのだ、とオーリはカーディナルを見据えた。彼が組み上げたのはあくまで世界の状況と、整合騎士の状態から組み上げた推論に過ぎない。故にこんなに強引に事を進めても、あくまで最後は『最高司祭との問答』を目標にしていた。そして、その結果として自分の命を差し出しても構わないと、そう考えていたのだ。
それが崩されるとするならば、それは彼が『最高司祭を殺さねば世界が終わる』と断ずるほどの何かが無ければならない。そしてカーディナルは『討たねばならない』と断言した。彼にそれを決意させるだけの何かを持っている……そう考えざる得ない。
「――…聞かせてください、賢者カーディナル。貴女の知る所の、最高司祭の全てを」
「元よりそのつもりで呼んだのじゃ。可能な限り手短に済ませるが……長い話になる」
「間に合うのであれば、ご随意に」
そんなに掛からんわい、と言いながら杖が振るわれ、テーブルの上に紅茶の入ったカップとソーサーが現れる。ふわり、と漂ってきた香りは、デュソルバートとの戦闘を終えたオーリの中に残っていた強張りを緩めてくれる。
「さて……お主は、考えた事があるか? 何故このアンダーワールドにおいて、皇帝や貴族と言う支配階級が存在するのか」
「それが必要だったから……と考えるのが普通ですが、僕はそもそも人口に対して貴族が多すぎると考えていました。ならば、社会の維持としての必要から発生した物ではない……」
「そう。今の支配階級を生み出したのは一人のアンダーワールド人……当時は《クィネラ》と名乗っていた、今の最高司祭アドミニストレータその人じゃよ。尤も、教会が出来た時から、最高司祭は奴一人だけじゃがな」
何度目かわからない衝撃がオーリを襲った。教会は三百五十年ほど前からあると記されており、その時から最高司祭だった存在が存命である事にも驚いたが、その人が今の歪な……そう感じる事も、オーリが《外界人》であるからだろうが……支配体制を生み出したという事実に目を剥いた。
「……自身の支配を盤石にするために封じた……という事ですか」
「そう。……クィネラと言う女は、当時千人ほどに達していた住民達を支配していた数件の領主家の内の二つが、政略結婚のような事を行って生まれた。天使のような愛くるしい容姿と、今まで生まれたアンダーワールド人の中でも最大級の利己心を持って、な」
「利己心……」
「本来のアンダーワールド人には持ち得なかった物じゃ。悪性とも言うべきそれを持ち込んだのは、最初にこの地に降り立った四人の《外界人》の内の一人」
そこからのカーディナルの話は、教会が語る創世記よりも生々しい人の営みだった。四人の外界人……《原初の四人》は二組の夫婦となり、それぞれの家で男女四名ずつ、計十六名の養育を始めた。やがて成長し、育てられた子供達は恋をして、八組の夫婦となりそれぞれに農地と家を持って独立していき……《外》はそれで実験の第一段階が終わったと言わんばかりに、死と言う形で原初の四人を外の世界へと帰還させた。
そこからアンダーワールド人は増え続け、四人の中の一人が持っていた悪意も着実に伝えて、それを宿した人が小規模な村や町の領主として君臨し始めた。数十年の時を経て、その結晶として生まれたのが、後に最高司祭となる少女、クィネラ。
「クィネラは剣や神聖術、歌や織物、あらゆる分野に天稟を示した。どのような職を与えられても立派に務め上げるだろうと、皆に思われておった。それ故に……当時、子供に天職を割り振っておったクィネラの父親は、彼女が街に働きに出る事が惜しくなった」
「典型的な、子を親の所有物としか見ていない人間だった……という事ですか」
「いや、ただ愚かな……愚かな執着にすぎんよ。父親はいつまでもクィネラを手許に置いておくために、娘にかつて存在した事のない《神聖術の修練》という天職を与えた」
ありそうな話だと、オーリは思った。現在の上級貴族が天職を与える権限を持っていれば、そういう輩が出てくる事など容易に想像できる。
「それからクィネラは、屋敷の奥まった部屋でその知性を存分に発揮して神聖術の解析を始めた……神聖術を構成する式句の意味を解析し、とうとう《
「……もしかして、今僕らが使っている式句は」
「そうじゃな。クィネラが編み出し、発展させていった物じゃよ。それまではごく基本的な術だけで十分じゃった……生活を便利にするだけの、な。その術を、命ある者を傷つける攻撃術へと発展させたのは、まぎれもなく奴じゃ」
カーディナルが紅茶を一口含んで喉を潤し、再び口を開く。
「お主は、神聖術を行使する力量がどのような時に上がると思う?」
「……妹が言うには、魔獣やダークテリトリーの先兵……そうか、生き物を殺せば」
「その通り。生き物……ダークテリトリーの尖兵や魔獣だけでなく、そこらの森に居る無害な獣を殺すだけでも、力量を上げる事が出来る……その仕組みに、クィネラは十一の時に自力で気が付いた。だからかの……夜な夜な家を抜け出しては、セントリア周辺の野獣を殺戮し続けた」
「十一の少女が……」
その光景は、恐怖でしかない。自分の力量を上げる為だけに、獣を殺戮し続ける少女。寒気を感じた腕をさすり、紅茶を口に含む。未だ残る温かさが、感じる寒気を和らげてくれるようだった。
「殺戮された獣は、世界によって補充はされる。だから毎夜、クィネラは殺戮を行えた訳じゃが……それを続けていき、彼女の力量も際限なく上がっていく。式句の解析も進み、クィネラは天命回復や天候予測と言った、当時の民にとっては奇跡に等しい術も操れるようになった。となれば、人々が彼女をどう扱うかは明らかじゃな」
「……神の子。あるいは聖女。そう崇め奉った……」
「そしてその頃か――…奴が底無しの支配欲を完璧に満たす為に、神の名を騙ったのは」
「それが、公理教会の始まり」
その通り、と幼き賢者は語る。
「当時の民は例外なく、クィネラをステイシア神の祝福を受けた巫女だと信じた。父親以下の領主達に『神のために祈る場所が必要だ』と言って、すぐに今のセントラル・カセドラルの原型となる白大理石の建物を建てさせた……尤も、当時は敷地も小さく、三階建ての高さしかなかったがな」
「それから、父親以外の他の領主家に神の名の下に爵士を与えたのが、今まで続いている皇帝家や貴族の始まり。神を信じているのならば、神の名の下に授けられた地位には従わざる得ないから……」
「という事じゃな。そして、クィネラが二十代半ばになった頃、奴はいよいよ美しく、塔はいっそう高くなり、何人もの弟子も持っておった。各地の村にも似たような白い塔が建てられ、支配体制は盤石になりつつあった……だが、それが奴の不安を煽った」
「自分の眼の届かない所で、自分と同じ過程を辿る存在が現れる事を危惧したんですね」
うむ、と可愛らしく……本人にそんなつもりは一切無いだろうが、カーディナルが頷く。それから語られるのは、《禁忌目録》が定められた理由。クィネラが自身の優位性を失わない為に生み出されたその法は、第一項には公理教会への忠誠を書き、第二項には殺人行為の禁止が記されているのは、オーリも知っている。というより幼少時に何度も何度も読まされて、暗唱できる程度には憶えていると言った方がいい。
明文化する事によって明確に規則として発生させ、教会への忠誠と植え付ける事で反発を抑止し、殺人を禁止して神聖術の力量を上げないようにした。そうして教会……いや、クィネラにとって都合のいい道徳観念で縛りつつ、生活における問題の発生原因を排除していった。何も考えず、ただそれだけに従って生きれば問題無いように仕向けて行った。
「……そんなの、ただの地獄じゃないか……」
手で口元を押さえて、吐き捨てるようにオーリが呟いた。支配者の都合のいいように世界が、文明が形作られるのは当然の事だ。しかしその中で生きる者の思考を、意思を奪い取っていくのは生きとし生ける者が住む世界ではない。無機質な牢獄のような、ただ生かされているだけの地獄と変わらないではないかと。
「しかし、それは始まりに過ぎんのだ。オーリよ」
賢者が続きを語っていく。
クィネラは齢三十、四十を超え、やがて上昇を続ける塔の最上階に籠り、神聖術の解析に没頭するようになる。彼女が求めたものは更なる神聖術の境地――…それは神の領域と呼べる物。己に与えられた最後にして絶対の限界である《天命》を克服する事。
《不老不死》――…権力者ならば一度は夢見たかもしれない、禁断の御業。
その御業を解き明かそうと、クィネラは必死に解析を続けた。天候を操る術すら得た彼女であっても届かぬ領域へと手を伸ばし続けた。五十を超え、六十を超え――…かつての神々しささえあった美貌も衰え、歩く事すら困難になり、ついにはこの世界で一番高い塔の最上階にある豪奢なベッドの上からも動けなくなっても。
「日々確実に減ってゆく天命を見ながら、あやつはあらゆる式句の組み合わせを検証し、唱え続けた。確率で言えばあり得ない事象に挑み続けた。そして……」
「その狂気は、確率すら超越してしまった」
「……いよいよ命旦夕に迫り、些細な怪我一つや病に撫でられただけで死ぬような、狭間の時。奴は禁断の扉を開いてしまった――…全ての神聖術の式句が記された箱を、開いたのだ」
見せてやろう、とカーディナルが杖を掲げ……その動きを止める。
「……ここに誰かが向かっている? いや、これは……」
賢者の眼がオーリを見た。いや、正確にはオーリの左胸にある服のポケット……その視線を感じて、そのポケットに何を入れていたかオーリは思い出して、取り出す。
取り出されたのは、薄紫色のロザリオだった。公理教会の紋章ではない、ストレアが自分で作ったというそれはかつて、彼女がオーリへと手渡したお守りだ。
「――…それを目印に、何者かがここへ来る」
カーディナルの声と同時、ロザリオが強烈な光を放った。
◇
「おう、座れや兄貴。当然床に」
「あの、ストレア。口調」
「あ゛?」
「はい今すぐにでも」
本気でブチギレているストレアの据わっている目を見て、オーリは床に完璧な正座をした。
ロザリオが光を放って砕けた後、オーリとカーディナルの前に現れたのはストレアとキリトとユージオ。三人はオーリの姿を確認した直後、カーディナルには一切目もくれずにそれぞれ一発ずつオーリの顔を殴り飛ばした。特にユージオの一撃が、拳に全体重が乗っていて一番痛かったと、後にオーリは語る。
「アタシ達に相談も無しにいきなり連行されて整合騎士を一人撃破した? 何してんのこの馬鹿兄貴はさぁ。複数人で当たれば生存確率が上がる事くらい解るよね? 解れよ。それに妹と友達ほっぽって一人だけで挑むとか自殺かな? 自殺するならアタシに言ってよ。その首刎ね飛ばしてアタシも責任取って処刑されるからさぁ」
自分の額を兄の額に押し当て、至近距離で睨み付けるストレアの気迫に押され、オーリの視線が泳ぐ。彼の助けを求めるような雰囲気をキリトとユージオはひしひしと感じているが、今回のそれをくみ取る義理は一切ない為、無視して二人はカーディナルへと視線を向けた。
「すみません。えーっと……」
「カーディナル。この大図書室のただひとりの司書であり、そこで妹に説教されておるオーリに協力を申し出ていた者じゃよ」
「カーディナル……それってまさか」
「お主の考えている通りよ。無登録民キリト」
荒ぶるストレアと生贄のオーリは無視して、三人はカーディナルが改めて用意したオーリの時よりも少し大型になった丸テーブルの横にある椅子に座る。《システム・コール》の式句も無しに飲み物と用意していく彼女にユージオは目を見開いて驚き、キリトは逆に納得したように息を一つ吐いた。
彼が知るカーディナルの意味は三つある。一つ目は、現実世界のカトリック教会組織における高位の役職……枢機卿と日本語で呼ばれる物。二つ目は鳥の名前で、日本語では猩猩紅冠鳥と呼ばれる、全身に緋色の羽毛が生えている物。そして三つ目が――…茅場晶彦が開発したVRMMOゲームを運営する為の高機能自律プログラム。
このアンダーワールドの成り立ちからして、目の前の少女が名乗ったのは三つ目の意味としてのカーディナルだと、キリトは理解した。
「食事は?」
「ちゃんと食べてきたから大丈夫です。オーリの事が気が気じゃなかったけど……」
「ストレアがオーリに直ぐに追いつける手段があるって言うんで、まずは準備を整えて、自分達の体調を整えて……で、さっきの手段で来たからな」
「なるほどな……あれほどの使い手が、今までよく見つからなかったものじゃ」
ストレアを見て何か納得したのか、カーディナルが紅茶を一口飲んで一呼吸入れる。
「折檻はその辺にしておいてくれ。時間が無いと思っておるのは同様であろう?」
「……命拾いしたね、兄貴」
「お前は僕を殺す気だったの?」
ふん! とオーリの額に頭突きを食らわせてから、ストレアは立ち上がって用意されていた椅子に座る。妹の一撃を食らった彼は床に蹲って悶絶している。
「それで? 兄貴にはどれくらい説明したの?」
「最高司祭アドミニストレータがいかにしてその力を手に入れたか……の途中じゃな。主ら三人にも、同じ所まで搔い摘んで話そう」
そう言って、オーリに話して幾分か要点を見いだせたのか、彼に話した時よりもカーディナルは簡略化した話を三人に向けて語った。
「――…何も知らない所から
「それを知るお主も《外》からの……」
「兄貴やキリトとは毛色が全く違うけどね。というかカーディナル、
「知った所で何が変わるものか」
可愛く鼻を鳴らす幼賢者に、ストレアは苦笑を返した。話題に出たユージオは二人が何を言っているか、大部分が分かっていないので頭の上に大量の疑問符を浮かべ、キリトは真剣な表情で考え込む。
「《外》ってどういう……」
「んー……隠すつもりはないんだけど、言うには刺激が強すぎる話になる……」
「それ、今更じゃないかなぁ」
ストレアの説明にユージオは苦笑した。既に教会に反旗を翻しているのだから今更だと言う思いと、ここまで来て仲間外れにしないで欲しいと言う思いを込めて、彼はストレアを見つめ返す。やがて『降参だ』と言うように彼女は両手を上げる。
「この場合の外って言うのは、この《アンダーワールド》と違う世界の事。アタシとキリト……そして兄貴は、この世界で生まれたわけじゃない。この
その言葉の衝撃は、純粋なアンダーワールド人以外には分らないだろう。記憶を失っていようと、この世界と自分に差異を感じていたオーリはまだしも、ユージオはこの世界以外を知らない。出会った頃に言われていたら『そんな馬鹿な』と流していただろう事だが、そうするには彼にとって彼女達は大切になり過ぎた。
「違う世界って……それは、ステイシア神の居る《天界》とか……?」
「ある意味そうと言えるけど……違う。創世記に語られる神々は、神聖術を説明するための方便に過ぎない。この世界を作った存在は外で、ただこの世界に生きる人々を見て……自分が望む存在になるかどうかを、待っている」
「それは、どういう事なんだい……?」
無意識に自分の腕を擦りながら、それでもユージオはストレアから視線を外さない。
「これ以上は、ごめん。アタシの口からは言えない。でも信じて欲しい……アタシ達は決して、ユージオ達や皆を不幸にしたくてここに来たわけじゃ……」
「そこに疑いは持ってないよ。そうするつもりだったなら、君達にはいくらでも機会があった……特にオーリやストレアは、地位も権力もあった。でも、それを徒に、誰かを害する為に使った事なんて一度も無いのは、よく知ってる」
「ユージオ……」
「だから、うん……確かに驚いたけど、皆は皆だ。僕の大事な仲間……だよね?」
ユージオは不安げにキリトを見た。
「そこは言い切って良いんだぞ? ユージオ」
ははは、と笑いあうキリトとユージオ。その光景を見て、ストレアは目の端に少し涙を溜めて微笑む。
「ありがと、ユージオ」
「蟠りは解けたか?」
「はい、話の腰を折って済みませんでした」
「構わぬよ。主らも協力してくれるというならな」
「そうそう……オーリに一体何をさせようとして、ここに呼んだんだ?」
キリトは身を乗り出してカーディナルを見る。その眼に怒りはないが、友を巻き込んだ目的を問い質すような色がある。それを当然の物として幼賢者は受け取り、頷いた。
「先にわしの目的を教えておこう。わしの目的、と言うより行動原理は《狂ったメインプロセスを停止せよ》……それ一点のみ」
「あー……そう言う事なんだ。今の貴女達の状況って」
何か……いや、全てが納得できたかのようにストレアは頷いた。
「ど、どういう事?」
「最高司祭は今際の際で
ここまでは良い? とストレアはユージオとキリトを見る。二人は何とか頷き、カーディナルは感心したように笑みを浮かべた。
「そう。クィネラは神の権能を得たが故に、自分と同格の存在……カーディナル・システムという神の存在を許せなかった。そこで奴が考え付いたのが、それを自分に取り込んでしまう事じゃ」
「そんな事が出来るのか……?」
「出来たから、今こうなっているんだろうね。ただ、科学技術を何も知らないこの世界の人間がそこまでたどり着いた事は驚嘆に値するけど……流石に無謀だった」
「お主が居ると説明が楽じゃな……そう、奴はミスを犯した。システムを取り込もうと長大な神聖術を組み上げ、唱えた結果、そのシステムに与えられていた基本命令を自分の魂に……《フラクトライト》に書き換え不可能な行動原理として焼き付けてしまった。権限だけを奪うつもりが、システムと自らの魂を融合させてしまったのじゃ」
「な、なんだって……?」
理解が追い付いていないのか、呆然と呟くキリト。その横ではユージオが理解しようと頭を必死に回していた。
「要は人で無くなった……永遠に人界を支配できるようになったって話だろう?」
そんな中に、ようやく復帰したオーリが入ってくる。空いていた椅子に座り、まだ痛む頭を押さえ、彼はカーディナルを見た。
「焼き付いた基本命令も問題だよ。兄貴」
「そう。その基本命令とは《秩序の維持》……奴は、己が支配する人界を今のまま永遠に保つ事のみを欲する存在になった」
「いや、そこからこのカーディナルが生まれる理由って……」
「《魂の寿命》の話、キリトは覚えてる?」
「あぁ、百五十年ほどしか魂は記憶を保持できない……え、アドミニストレータは三百五十年くらい前から生きてるって話だよ、な? ならどうやって……」
「魂を弄った……その容量を確保する為に。そう考えるのが妥当だね」
ストレアの言葉をカーディナルが肯定する。
「いきなり自分の魂を弄ったわけではない。まず最初に奴が行ったのは……寿命とは別の理由からしていた、《禁忌目録》に反した罪人を使っての人体実験じゃ。何処を弄れば記憶を失い、感情を失い、思考を失うのか……そんな冷酷な実験を繰り返した」
神すら恐れぬ……いや、自身を神だと思っている存在の所業に、四人は肌が粟立つのを感じた。その所業を語るカーディナルも沈鬱な表情を作り……感情を押し殺した声で話を続ける。
「初期の実験に供された人間のほとんどは、人格そのものを喪失し、ただ息をするだけの存在になり果てた。アドミニストレータはそんな彼らの肉体と天命を凍結し、カセドラルに貯蔵した。そんな非道を繰り返して、奴は魂の操作技術を向上させて……やがて魂の寿命、容量の限界が来る。その時に行おうとしたのが、年の頃が十程度の……茶色の瞳に、同色の巻き毛、痩せっぽちの女子の魂を乗っ取るという悪魔の儀式……魂の記憶の統合を意味する《シンセサイズの秘儀》じゃ」
口から出た少女の特徴に、キリト、ユージオ、オーリは目を見開いて目の前の幼賢者を見た。
「そして、それは成功した。成功してしまったのが、アドミニストレータの過ち」
「何でだ?」
「全く同じ存在が、同一の時間と空間に二人存在する。アタシなら
「詳しいな……その通りじゃ。奴から分かたれたわしは、その顔を0.3秒ほど凝視した後で、ようやく取るべき行動……すなわち《狂ったメインプロセスを停止せよ》と言う行動原理のままに、奴を最高レベルの神聖術で消去せんとした」
「えーっと……つまり、最高司祭とカーディナルさんは、元々一つ……?」
ユージオの疑問に、カーディナルは心底不満そうな顔をしつつも肯定した。その表情は心の奥底から最高司祭を嫌悪しているという感情がありありと読み取れ、思わず四人は苦笑する。
「まぁ、結果としては現状の通りわしは負けて、奴が手を出せぬ領域であるこの大図書室に逃げ込んだ……今から二百年ほど前の話じゃ」
「二百年……って、それだとカーディナルさんもその、魂の寿命って奴が」
「あぁ、そうじゃ。アドミニストレータによって取捨選択されていたとはいえ、更に長期間の記憶を保存する余裕なぞ、わしには無かった。そこで一先ずの安全を確保したわしが取り掛からねばならなかったのが、己の記憶を整理する作業じゃ」
「せ、整理……?」
「そう。失敗の許されない……万が一の為の複写すらない直接編集じゃな。もし作業中に僅かなミスや事故でも起きれば、わしの意識は消えておっただろう」
自身の存在そのものを賭けたそれに、彼女は何とか勝ったと言えるだろう。自分に焼き付いた記憶の大半――…クィネラであった時の記憶全てと、アドミニストレータとなった後の記憶の九十七パーセントを消去して、カーディナルは何とか容量を確保したのだから。
「ほとんど、全部……」
「アドミニストレータを抹消するには、恐ろしく長い時間がかかる事は容易に想像できた。それに、重要であるが替えの利く情報はここにごまんとある……まぁ、わしはもう産み育ててくれた親の顔も、毎夜眠りについたベッドの温もりも、好物だった甘焼きパンの味も……全て消し去った。今のわしは一切の人間的情緒を持たぬ、その目的のみを完遂する為の機械、と思えば良い」
「……そんなの、悲しすぎる……」
俯き加減のカーディナルの代わりに、ユージオは無意識にその瞳から涙を流した。記憶を操作する事は、その人間を殺す事だという友の考えは、ユージオも理解できる。ならば、今目の前にいるこの少女は、最高司祭を討つためだけに自分と言う人間の殆どを犠牲にしたのだ。しかも今のその少女の顔に浮かんでいるのは……とても、とても深い寂しさだったから、それが殊更ユージオには悲しく感じられた。
「ユージオ……」
「……話を戻そう。わしと言う邪魔者を生み出した事で、アドミニストレータは己のフラクトライトをコピーする事の危険性を強く認識した。しかし、溢れかえった記憶のせいで自分の魂に高い負荷がかかっている事は変わらん……そこで奴が取ったのは折衷案とも言える、編集しても危険性の低いごく最近の表層的な記憶のみを消去して最低限の容量を確保し、新たに記憶される情報を極力削る事にしたのじゃ」
「削るって言っても、記憶ってのは否応なく溜まっていくもんだろ?」
「それは過ごし方にもよるじゃろ。一日中、自分のベッドから動かずにひたすら瞑目し続ければ……」
「刺激によって溜まる記憶は最小限になる、か。なら次は……最高司祭の業務の代行を誰かにさせたりもした?」
「そう、自身に忠実にして強力な手駒にな」
手駒……と聞いてキリトやユージオの脳裏に浮かんだのは、整合騎士。二人の『まさか』と言う驚愕を、カーディナルは肯定した。
「先も言った《シンセサイズの秘儀》……それを使って《フラクトライト》を作り変える。実験に使った後に凍結保存した人間達……特に《禁忌目録》と《公理教会》に疑いを持った存在は、例外なく高い能力を備えておった。むしろ、知力体力に秀でていたからこそ、疑いを持った……と言うべきかもしれんがな」
「……その人々を使って、作ったのか。整合騎士団を」
「その通り……騎士達の登場により、わしの奇襲が成功する確率は限りなく低くなった。そうして状況が変わった以上、こちらにも協力者が必要であり」
「そこに飛び込んできたのが、その馬鹿兄貴だったわけか」
ストレアの剣呑な眼差しにオーリは肩を竦めた。
「世界の支配者を相手に戦う気概を持ち、整合騎士に劣らぬ力量を持った存在……そして、この世界の存在でない事も含めれば、これ以上望むべくもない協力者候補ではある」
「候補?」
「――…改めて尋ねよう、オーリよ。お主はこれでもまだ、最高司祭を討たぬというか?」
カーディナルの問いかけを一身に受け、オーリは一度目を閉じる。考えるのは、自分が知っているこの世界の事だった。何も知らぬ子どもは元気に、そして楽しげに草原を駆けまわり、娘達は他愛ない会話に華を咲かせ、恋に頬を染める。母親たちは腕に抱いた子供に慈愛の笑みを注いで、父親たちは子供や家族の為に仕事に精を出す。
その裏側では、悪辣な貴族達が罪のない人々を苦しめて、互いに引き裂かれた者達も居た。それを許す事が彼には出来なくて、友となった少女の助けになりたくて、彼は動いたのだ。そんな世界の悲劇の一端に最高司祭が居るのは最早明らかになったからこそ、答える言葉は決まっていた。
「――…是非もない。最高司祭アドミニストレータ討伐に僕が必要だというのなら、存分に使うと良い。賢者カーディナル」
「言うと思った……」
兄の返答に妹が溜息を吐く。しかしそれを咎める気は彼女には無かった。ユージオの目的を考えるならばどの道、教会に反逆する事は決まっていたようなものなのだから。
「三人は……」
「付いてくるなって言葉は聞かないよ。兄貴」
「そうそう。ここまで聞いといて、お前だけ行かせるとか出来るかよ」
「それに、アリスの事もあるからね……彼女を取り戻すなら、戦うしかないってわかった」
言いたい事の反対意見を言われて、オーリは『仕方ない奴等だ』と微笑んだ。
「意見は纏まったようじゃな」
「あぁ。この四人で、協力させてもらう――…作戦はあるか? カーディナル」
「二百年ほど、温めていた物ならな」
茶目っ気を出して笑うカーディナルのその顔は、どうしようもなく人間だった。少なくともその顔を見た四人は、そう思うのだった。
◇
カーディナルから授けられた策は三つ。
まず一つ目は整合騎士を元の人間に戻す方法について。彼らは現在《シンセサイズの秘儀》によって記憶を奪われ、その空白に《敬神モジュール》という……記憶の繋がりを阻害する事で騎士の過去を封じ、教会や最高司祭への絶対の忠誠を強いる物を埋め込まれている。それは記憶を刺激してやれば解除できる可能性が高いが、それだけでは不十分であり、もう一つの鍵は奪われた記憶そのものを取り戻す事。これはアドミニストレータの居室……つまりセントラル・カセドラル最上階にある可能性が高いとの事だった。
二つ目は、二本の小さな赤銅色の短剣だ。十字架の長軸を尖らせただけのシンプルなそれは、カーディナルの一部を変換して造った物。これで刺された者はカーディナルとの間に切断不可能な経路が繋がれる。言ってしまえば、これを刺した相手に対してカーディナルが放つ神聖術は絶対に当たる事になる。対アドミニストレータ戦でこの短剣をアドミニストレータに刺す事が出来れば、そこからはカーディナルが引き受けると言った。
そして三つ目が。
「《武装完全支配術》?」
「そう。整合騎士達の戦闘術の基本……というよりは、奴らの強さの根源じゃな。己が持つ神器の記憶を引き出し、本来ならばあり得ない超攻撃力を引き出す」
「……あぁ、牢屋を出た後で戦った騎士が使っていた奴か。『エンハンス・アーマメント』で解放された……」
「そうじゃ。故に神器に匹敵する剣を持つ三人にはその武器の記憶に触れ……解放された姿を想起してもらう」
そんな会話の後で、キリト・ユージオ・ストレアの三人は椅子に座り、愛剣を膝の上に乗せたりあるいはテーブルに置いて目を閉じ、意識を集中させていく。
ただ一人、愛用の武器を持たないオーリは手持無沙汰となってしまうが、これはカーディナルも織り込み済みだったため何も言わない。
「鎖を変じたこれは……」
「出来ぬ、とは言わんが一度解放すればあっさりと壊れるじゃろうな。何せ神器でも一度使えば、しばらくは鞘に納めて回復させねばならんほどに天命を消耗する」
「ちなみに聞きたいのだけど、武装完全支配術以外……いや、以上の何かはあるのか?」
「それ以上の物をお主らが使うのは難しいが……そうさな、武装完全支配術には二つの段階が存在する。《強化》と《解放》……今三人に教えようとしているのは強化の段階の方。これは武器の記憶を部分的に呼び覚まし、新たに攻撃力を発現させる物」
「……なるほど」
オーリの脳裏に浮かぶのは、デュソルバートの弓の変化だった。『エンハンス・アーマメント』の式句を唱えた後に、彼の弓は炎へと変じた。あの弓が持つ記憶の一部が炎と密接に繋がっているのだろう……そう考えれば納得できた。
「そして解放とは、言葉通り武器の記憶全てを目覚めさせ、荒ぶる力を解き放つ事」
「三人がそれを使う事は?」
「まだ無理、じゃな。塔を登るまでの間に余程深く繋がればあるいは……後は時間を掛けねばなるまい」
「整合騎士は使ってくるだろうな……」
「荒ぶる力故に強力ではあるが、使い所も難しい。立ち回り方によっては封じる事も出来よう」
そんな会話を交わして黙り込んだオーリを、カーディナルは横目で見た。彼女には気になる事があったが、今のオーリに問うても明確な答えは返ってこないだろうと理解していた。
デュソルバートと戦った時にオーリが見せたあの光は、カーディナルをして知らない物である。完全支配術によるものであれば、その武器の周囲や地面に魔法陣が発生するがそれもない。剣術であれば光は武器に発生せねばならないが、あの光は彼の右手から発生し、全身と剣を包んだ――…まるで彼を守る様に、力を与えた。
(あえて言えば《心意》……しかし、今のこやつにそれほどまでの心意は感じられん)
解放された神器の一撃を両断するほどの力。自在に扱えればそれこそ対アドミニストレータ戦で大きな力になるだろうが、使った本人がよくわかっていなければ意味が無い。
(それに……消える際に光が形作ったのは、人の形)
光が消えた時に見えたのは、確かに人だった。彼を守る為に来ているのかは定かではないが……力を貸したのは事実であると考える。
そこでカーディナルは考察を打ち切った。せっかく得た協力者にそれ以上を求めるのは、自分でも高望みであると思ったのだ。それを抜きにしても、神器無しで整合騎士と渡り合ったオーリの実力は、この世界で上位に位置する事は明白。そして彼に並ぶ実力者であり、しかも神器に匹敵する武器を持つ者が三人もいる……当初の望み以上の成果は出ているのだから。
「よし、そこまでじゃ三人とも。その想起を持って導いた《剣の記憶》を元に、術式を組み上げる」
かーでぃなる「話が長い? ほっとけ」
おり主「まともに聞くと何日かかるんだこれ……」
すとれあ「一週間くらいじゃないかな……」
きりと「要点だけでも長かったからな……」
ゆーじお「機会があれば聞きたいなぁ、僕は」
かーでぃなる「……」
すとれあ「ちょっとときめいたな。この合法ロリ」
かーでぃなる「その言葉の意味は解らんが、とりあえずイラっとしたぞ」
すとれあ「ほう、二百年孤独だった自分の為に泣いてくれた彼の事を『ちょっといいな』とも思わないと?」
かーでぃなる「だから、わしに人間的情緒を期待するなと言ったじゃろ」
すとれあ「情緒なんて、他人と触れ合えば嫌でも目覚めるもんだよ。AIだったアタシが言うんだから間違いない」
かーでぃなる「ふんっ、どうじゃろうな」