おかしい。書いても書いても詩乃とイチャコラできない……どうして……(現場猫感
階段を駆け上がる。
三人と別れたオーリは、上を目指してひたすらに階段を駆け上がっていく。一段上る度に圧し掛かってくる重圧を感じながらも、駆け上がる速度が衰える事はない。一階、二階と瞬く間に駆け上がり、八十五階に達した所で足を止めた。
「来たか」
「来ましたよ」
開けた空間。大回廊のように天蓋や柱に装飾などはない、シンプルな造りの大広間。その中央に、整合騎士第一位であるベルクーリ・シンセシス・ワンが佇んでいた。その装いは双子を除くこれまでの整合騎士とは違い、全身鎧ではなく青い胸当てに手甲と具足。その下には東域風の前合わせの衣にズボンを穿き、左腰に無骨な長剣を佩いた最強騎士の戦闘形態だ。
その姿を認めて、オーリは背負っていた槍を右手に持った。そしてそのままゆっくりと、自然体のまま近づいていく。
「全員倒してきた……ってわけじゃ、なさそうだな」
「全員生きてますよ。誰も殺しはしませんでした」
「そうかい」
彼我の距離は十メルほどだろうか……ベルクーリもオーリも、一度踏み込めば瞬く間に潰せる距離で、オーリは立ち止った。
「オレが斬るのはお前さんだけだ。後は気絶でもさせて、牢屋行きだな」
「あぁ、後の事については心配してません」
腰を落とし、剣の柄に手を掛けたベルクーリの言葉に、オーリは笑った。嘲笑うわけでもなく、虚勢を張るわけでもない、自然な笑い。歴戦の猛者であるベルクーリですら見た事のない――…全てを、勝って生き残る事も負けて死ぬ事も、あらゆる覚悟を備えた、透明な笑み。
惜しい。本当に惜しいと、ベルクーリは思う。才を持ち、鍛錬に努め、賢も権もある。その上で自ら戦いに赴く勇を持ち、ここに至ってベルクーリも持ちえない領域の心まで持ち合わせた男。そんな男を斬らねばならぬという事実が実に惜しかった。
「お前さんが騎士なら良かったんだがなぁ……」
ベルクーリ自身も、今の世界の在り方に対して疑問を抱いていないわけではない。今のままではダークテリトリーとの全面戦争に入った時に、余程の鬼札でも無ければ人界を守り切れない可能性が高いことを承知している。故に、オーリという存在に可能性を見た。ベルクーリが整合騎士長という立場でなければ、諸手を上げて彼に協力していただろう。
「……そうだ。騎士長閣下」
「お前さんの上司でもねぇのにそんな呼び方すんな。普通でいい」
「お断りします……それで僕の目的ですが、変わりました」
「ほう?」
「――…最高司祭を、討ちます」
オーリの言葉と共に、互いの纏う《闘気》が高まり、ぶつかり合う。一歩も動かず、武器もぶつけていないのに、床も壁も天井すらビリビリと震える。互いが譲らぬ、譲れぬ覚悟と決意を乗せた《心意》が、大きなうねりとなって大広間に充満していく。
ピキリ、と部屋の何処かが軋む音。それが合図となり、二人は踏み込み、彼我の距離は一気に縮まった。ベルクーリの剣の間合いであり、オーリの槍にとっては近すぎる距離。居合いの如く鞘から抜き放たれた一閃を、槍の柄で滑らせるように受け流す。同時にオーリの身体が下に沈み込み、器用に槍を回転させた後に石突がベルクーリの喉へと向かう。
「器用な奴だな」
紙一重で石突を躱し、返す刃が再びオーリを捉える。それをその場で跳び、身体を回転させる事で避けつつ、足を伸ばした後でベルクーリの頭上へと踵を落とす。が、ベルクーリは曲芸紛いの一撃に反応し、オーリに体ごとぶつかる事によって回避して彼を吹き飛ばした。
オーリはその勢いに逆らう事なく吹き飛び、追撃で振るわれる斬撃を一回転して避けて足から床に着地。互いが再び視線を交わす。
「流石ですね」
「それはこっちの台詞だ。何だあの技は……ダークテリトリーの拳闘士やら、暗黒騎士ですらやってる奴を見た事ねぇぞ」
「別に技じゃないんですがね……動くままにやってるだけですよ」
ベルクーリが剣を振りながら改めてオーリを見やる。槍で剣の間合いに
八十階にいるはずのアリスにも自分を超え得る才を見ていたが、彼女と歳が近いはずのオーリにもそれを見せつけられた。
「なるほどな……なら、オレは奥の手を使わせてもらうとするかね」
「そうです、かッ!」
オーリが大きく後ろへと跳び、槍を振りかぶる。着地した瞬間に投擲された槍は、空気を斬り裂くような音を響かせて――
「……それが、奥の手ですか」
ベルクーリに届く前に、彼が剣も振っていないのに両断された。
「オーリ……お前さん、何処で勘付いた?」
その光景を見ていたベルクーリが、流石に冷や汗を隠せずに問う。彼が言った奥の手とは、彼の持つ神器《時穿剣》の《武装完全支配術》である。その剣の銘の通り、それは時間に作用する力を発揮し、先ほどオーリが投擲した槍を両断したのは、彼が振るった斬撃が振るわれた後にもそこに残っていただけの事。
「そこだけ見え方が違ったもので……で、そこがさっき僕を追撃した斬撃が通った場所だなと思って試しただけですよ。閣下の支配術はおそらく……斬撃を何らかの方法でその場に保つ。設置された斬撃は基本的には不可視ですが、ほんの少し陽炎のように揺らめいてもいる」
「おいおい……それだけでそこまで見抜くとか、本当に普通じゃねぇぞ」
歴戦の猛者が素直に驚愕を表に出した。流石に《時間》を操っているという事実までは届いてはいないが、それ以外の話は正答であったからだ。ただ、斬撃を設置した後の揺らめきを初見で看破した相手は今まで居らず、目をしっかりと凝らして見なければその差異などベルクーリですらわからない。戦闘中にそれに気が付いて、そこまで考えが行きつくのは異常だった。
「しかし、唯一の武器を投げたのは失敗じゃねぇか? 悪いが、術を使う暇なんざやらねぇぞ」
『剣を持つ者』と『丸腰の者』が相対すれば、余程の実力差が無い限り『剣を持つ者』が勝つだろう。先程の攻防や《時穿剣》の支配術を見破った目や洞察力を考え、ベルクーリはオーリの実力が自分に並ぶものだと確信していた。その上で、武器の有無は彼にとっては大きな痛手のはずであり、幾らか凌げたとしてもやがて自分が勝つだろうと考える。
それは確かに、まともに考えればその通りで。
相対している男がマトモではない事を、ベルクーリは本当の意味で理解していなかった。
「武器なら、見せたじゃないですか」
そう言って、無手のままオーリが構えた。両手は拳を形作るわけでもなく、指を曲げた状態はまるで獣の爪のように。右手を前に突き出し、左手は顔の横に置いて、腰を落とす。
ダークテリトリーの拳闘士の構えでは決してない、見た事のない構えにベルクーリは警戒を強め。
「――…エンハンス・アーマメント」
静かに呟かれたその式句に目を見開き、オーリの身体から立ち昇った《蒼》に戦慄する。
「な、何も持ってねぇのに――…《武装完全支配術》だと!?」
その変化は、ベルクーリもよく知る支配術の物だ。しかし彼の常識や経験の中に、『自分の身体でそれを行う』と言う物は存在しない。拳や足は確かに相手を攻撃する武器として使える……自分の五体が武器という考えもあるし、ベルクーリも先程オーリに対して当身を行ったりもしている。ただそれでも、大前提としては『自分の身体』であり、決して『武装』ではない。もしも、呼吸するように自分を武器と認識している人間が居るとするならば。
「オーリ……! お前さんは、どれだけ……!?」
自分という存在を、軽く見ているというのだ。
「行きます」
静かな声が、はっきりとベルクーリの耳を打ち、何の音も無くオーリが駆けだした。それを迎え撃つためにベルクーリが剣を構えようとする。
遅い。
自分の動きが緩慢である事に、ベルクーリは驚いていた。見えるオーリの動きは先程と変わらないというのに、自分の動きだけがとても遅い。何故だと思考する。目ではオーリの動きを追えるのに身体が付いてこないこの状態を、彼の《武装完全支配術》の効果かと疑うが結論など出ようはずもない。
その間にもオーリはベルクーリに近づき、不可視の斬撃を潜り抜け、ゆっくりとした動作で彼の腹に拳を当てた。
「ゴッハァッ!?」
拳が当てられた後に一瞬の間があり、直後にベルクーリの腹部に襲い掛かったのはすさまじい衝撃だった。巨大な大槌を腹部に向かって振り抜かれたような衝撃が襲い掛かってきて、苦悶の声とともに空気が吐き出される。それでも、戦いを知るベルクーリは思考を止めない。止めない思考が、現状がマズいと結論を出す。
凄まじい衝撃だった。普通に殴りつけられるよりも遥かに強く、腹の中に重りを捻じ込まれるような一撃だった。それだけの一撃を繰り出されても、
まだ、拳は当てられたままだ。
「ウオォォォォォオオオッ!!」
喉から無理やりに叫びを絞り出し、ベルクーリが剣を振るう。それを剣の間合いの内側に潜り込んで滑る様に避け、今度は左脇腹から衝撃がきて
「……とんでもねぇのを、ここに連れてきちまったか? オレぁ」
不敵に笑い、剣を片手で構えたまま殴られた部分に触れれば、左脇腹の方はやはり骨が折れていたが、腹の方がこぶし大に陥没している。
今までベルクーリの支配術を見た相手は、遠距離で勝負を仕掛けてきた。それは戦術として正しく、彼自身も『それでも自分に勝てばそいつが次の騎士長だ』と笑って言うだろう。それでも、少しの寂しさを感じるだろうとも彼は思っていた。持っているもの……持っていなくとも高め合った先の全部を出し尽くして戦い、勝敗を決したい。勝てば嬉しいだろうし負ければ悔しいだろうが、それでも剣士としての冥利に尽きる。
そしてここに、自身の完全支配術を見て尚、踏み込んできた上にこうして損害を負わせた男がいる。とんでもない奴だと思うのも本音だが、お前のような相手を待っていたとも、ベルクーリは思うのだ。
「お前さんの支配術は、どういう理屈だい……?」
「僕が言うと思ってないでしょう?」
「思っちゃいねぇが、聞きたいのは本音だからな」
「……僕だって全部理解しているわけじゃないですが、どうも僕には封じられた記憶という奴があるらしいので、支配術で無理やりその記憶の一部を引き出しているだけです。それも、戦う為の記憶という奴を」
「記憶を、封じられている……? お前さんにそんな事をする奴がいるってのかい?」
「さぁ? 思い出せないので何がどうしてそうなったかなんて、僕だって知りたいですよ」
オーリの言葉に嘘は無いと、ベルクーリは直感的に思った。確かに自分だって《時穿剣》の事を全部わかるかと言えば違うし、自分自身の事すら心の片隅では疑っている。それと同じ苦悩が彼の顔からは滲み出ており、だからこそその言葉に偽りが無いだろうと判断できた。
(なら、オレが遅くなってるってのが、間違いなのか? 坊主が馬鹿みてぇに速くなって、オレが追いつけてねぇだけじゃねぇのか?)
思考は一瞬。ならばどうするという答えは、握る愛剣が指し示していた。
「……こんな時に試したい事が出来るなんざ、昔に戻ったみてぇだな」
「奥の手を切って、まだ成長する気ですか。化物過ぎますよ」
「切欠はお前さんだ。自業自得だな」
「僕を連行したの、閣下ですよね?」
「ならオレの徳だな」
二人は軽口を叩きあい、笑いあう。その様は年が離れているだけの友人のようで、今まさに殺し合いをしているという空気感は一切ない。互いが互いを嫌いではなく、むしろ気が合う部類だ。出会いが違えば、今頃酒でも飲みかわしながら他愛もない世間話から世界の未来まで、様々な事を話し合っていたかもしれない。
でも、そんなものは仮定に過ぎず、今の現実はこうなっている。
「行きますよ」
「よっしゃ来い」
オーリの纏う《蒼》が更に高まり、ベルクーリの《闘気》がそれに呼応するように高まっていく。再び音も無く、オーリが踏み込んできた。先程は対応できなかった動きに、今度はベルクーリが食らいつく。
「いきなり動きが速くなりましたね……ッ!?」
「オレの神器はな、《時穿剣》ってんだ。時を、穿つ、剣って書く」
「時……斬撃を設置した理屈も今の加速も、時間を操作している?」
「ご明察だ。今のオレぁさっきより
ベルクーリが口の端を吊り上げて笑う。時間操作による加速など、試した事も考えた事も無い。オーリという圧倒的な機動力を持った男と相対して、初めてその可能性に思い当たった。そして今その力を行使して、その長所と短所を同時に実感している。
ベルクーリ自身は足が遅い方であるし、その剣技も一撃必殺を突き詰めたものであるために、暗黒騎士が扱う連続剣に翻弄される事もあった。連続剣に対抗するために今の支配術を作り出し、それはそのまま相手の機動力を奪う結果にもなった。しかし、今目の前に居るのは斬撃の檻を気にする事も無く、圧倒的機動力で自分を翻弄して見せる。
ならば、自分が速くなればいいと至極単純な結論に達して、時に干渉する時穿剣の力によって自分を加速させた。その代償も至極単純な物。
「キツそうですよ閣下。速度落としたらどうです?」
「ハッ! お前さんも同じだと思うがなぁ!」
オーリは鼻から、ベルクーリは口の端から血を流す。方や自分の身体に支配術を使うという前代未聞の行動で自分の身体に損傷を蓄積させ、方や自分の時間を加速させるだけなので肉体がそれに付いていけずに悲鳴を上げている。しかし今それを止める事は出来ないのは、お互い分かりきっている。先に少しでも緩まった瞬間に、相手に打倒されるのが目に見えているからだ。
オーリが緩まればベルクーリに斬って捨てられ、ベルクーリが緩まればオーリの拳が急所を打つ。
自分の天命を賭けた消耗戦であり我慢比べに入ったが、それでも互いが攻撃の手も、その速度も緩めているわけではない。オーリは剣の間合いの内側に潜り込み続けて攻撃を繰り出しているし、ベルクーリもそれを牽制しつつ隙あらば斬撃を繰り出し、オーリの首を狙っている。
(まだ《強化》の内に決着をつける。腕一本……で済めばいいか)
(三倍で押し切れねぇとなると勝つにゃ……《アレ》しかねぇか)
齎された膠着は、互いにこれまでとは別種の覚悟を決めさせた。ある程度の損耗は覚悟の上であったが、それでも二人はなるべく自身が五体満足で……次に戦う事も考えていたのだ。オーリはこの後に最低でも最高司祭との戦いが控えており、ベルクーリは他の侵入者を捕らえる為の戦いがある。少なくともここで大幅に戦闘力を落とすわけにはいかない。
しかし、今のままでは両方共倒れになってしまう。オーリとしてはそれでも問題はあまりないが、それに甘えてベルクーリに《武装完全支配術》の第二段階である《解放》を使われてしまえば、そのまま敗北するだろう事は確信に近い予想として成り立つ。
ベルクーリはもっと深刻で、オーリの拳が効いている上に思い付きの無茶のせいで、時穿剣の《解放》を使う為の天命がギリギリなのだ。決断をするための猶予は一刻も無く、後一撃でも攻撃を受ければ即座に解放は使用不可となり、それはこのまま三倍速で動いても同じ事。
(……悪いな、オーリ。今からオレは、手前の何もかもを否定するような事をする)
だからこそ、決断は即時。
(何をする気……)
その決意を、ベルクーリの纏う闘気の色が変わった事でオーリは知覚した。自身にとって苦々しいものを呑み込んだような
ベルクーリは既に剣を振り上げている。しかし、予測できる剣の軌道は自分を捉えていない。なら何を斬るつもりでと思考を回し、彼自身が言った彼の神器の特性を思い出した。
「ベルクーリィッ!!」
「ははっ! やっと呼び捨てやがったなオーリッ!」
ベルクーリ・シンセシス・ワンの《武装完全支配術》は時間を操り、斬撃を残す。いわば未来へと斬撃を飛ばすという事になるだろう。しかし未来は不確定であり、当たる場合もあればオーリのように見切って当たらない存在だって出てくる。故にそれは脅威ではあるが絶対ではない。
対して、絶対に当たる物とは何かを考えた時に、オーリが思ったもの。自分では決して変えられない……いや、それを変えられる存在など、決して存在し得ないと思っている物。
「アンタは過去の僕を――!」
「あぁ、だからオレはこの《解放》をこう呼ぶんだ」
深紅の血飛沫が、大広間を赤く染め上げる。
「……オーリ」
ベルクーリと、オーリの視線が交錯する。
「僕の、勝ちだ……!」
ベルクーリの《記憶解放術》が使用された瞬間、オーリは彼の剣を持つ手を渾身の力を持って殴りつけた。ベルクーリの剣技は一撃必殺の物であり、正面から素手では到底受け止められるものではない。されど回避は無意味……今の自分が避けようとも過去はそこにある為に意味が無い。ならば最後は剣の軌道を変えるしかない。
言うは易く、行うは難しい。そんな事を簡単に許すような騎士ならば、そもそも最強の名を冠する事などあり得ない。オーリの渾身の一撃でようやく剣戟が多少逸れて……過去のオーリの左肩を斬り飛ばした。
「まだ、やりますか?」
左肩を押さえながらのオーリの問いかけに、ベルクーリは首を横に振った。時穿剣自体の天命はまだあるが、自分の忌避していた技を繰り出してそれを凌がれた。自分自身の天命は限界に近く、後の戦の事を考えれば己が死ぬわけにもいかない。
「オホォ……いけません。いけませんよォ騎士長殿」
大広間に突然響いた第三者の……鉄皿をフォークで力任せに引っ掻くような、耳障りな声に、二人は同時に視線を走らせる。やけに丸っこく、真ん中の膨らんだ胴体に冗談のように短い手足。首が無く、肩に直接丸い頭が乗った、人型をしているが人とは思えない奇妙な体躯。
着ている服は目が痛くなるような極彩色で、右が真っ赤で左が真っ青。はち切れんばかりに膨らんだ衣服は金色のボタンで辛うじて止められている。上半身も下半身も、靴まで同じ色彩の服に身を包み、丸い頭には毛が一本も無く、代わりと言うように乗っているのは金色の角ばった帽子。
肌は異様に白く、丸い鼻に弛んだ頬、紅い唇が左右にニタリ、と大きく裂け、目は半月上に細長く、笑っているように上向きの弧を描いているが、覗く眼光は恐ろしく冷たい。
「てめぇ……元老長、チュデルキン……! こんな所まで何の用だ……ッ!?」
ベルクーリの表情が一気に険しくなり、オーリは呼ばれた役職に目を見開いて驚きを示す。彼の目に映っているのはある意味純粋で、悍ましい極彩色の塊――…その
「いやいや、最高司祭猊下の為に命尽きるまで戦うのがアナタ達の存在意義ですよねェ? 死にかけの脱走者一人と、刺し違える事も出来ないのですカァ?」
「オレぁ全部出しきって……それこそ《裏》まで使って負けたんだ……! 手前ェみてぇな俗物が……男の戦いに口を出すんじゃねぇ……!」
「ホッ! ホホォーッ!」
チュデルキンと呼ばれた小男は、キシキシと人のものとは思えない甲高い笑い声を振りまいた。勢いよく両手を叩きながら飛び跳ねる様は、その服装も併せてまるで道化のようだが、この存在はそんな和やかなモノでは一切ない。
やがて鞠のように、チュデルキンの身体が飛び跳ねたかと思えば、ベルクーリに向かって跳ぶ。普段であれば鼻歌交じりに避けられるであろう物は、疲労した今では避けられずに『ぐっ』と呻き声を上げてベルクーリが床へと倒れた。
「脱走者相手に正々堂々なんていう甘々な事をしておいてェッ! 何を言っているんですかねこの糞騎士はァッ!!」
倒れた騎士長の頭を踏みつけながら、チュデルキンが奇声を上げた。何かを叫んでいるというのはわかるが、言葉の意味の一切がオーリの中に届かない。
何をしている?
オーリは、自分自身がそんな上等な存在では無いと思っている。人界でも有数の地位に立って生きてきたが、その地位に居るならばして当然の事しかしていないと思っている。領地に居る領民を慈しみ、人界に住まう存在の平和と安寧のために働いて、友と呼べる存在と切磋琢磨しつつも友誼を結んで、誇れるように生きてきた。
ベルクーリ・シンセシス・ワンという整合騎士は、オーリにとっては敵であったとしても尊敬に値する傑物である。自分などよりも人界を憂い、実際に戦ってきた男である。そんな男が今、自分との戦いで満足に動けないまで疲弊している所を現れた理解不能の存在に足蹴にされて耐えている。
それはかつて見た、友であるメディナへと向けられた理不尽に似ていた。
「猊下がお目覚めになったら、騎士どもは片っ端から再処理決定ですよゥ!」
その元老長の言葉が、オーリが唯一理解できたものだ。ふざけるなと、叫ぶ事はしない。しかし、このまま見過ごす事などあってはならない。
ベルクーリがオーリを見て、目を見開いた。彼が何をする気なのかを理解できたのだろうが、足蹴にされて何も発する事が出来ない。
チュデルキンは何が楽しいのか、嗜虐的に口元を歪めていて、そもそもオーリの事など眼中に入っていない。いや、その怪我では自分に何もできないだろうと高を括っているのだろう。先程までのオーリならそうだったのだから、この男の判断が間違っていたわけでもない。
「まぁこれくらいにして、眠っといてもらいましょうか。システム・コォォォオゴォッ!?」
高らかに式句を唱えようとしたその口に、何かが捻じ込まれる。それは口だけでなくその奥の喉すら塞ぎながら、ベルクーリの上から道化を吹き飛ばして引き剥がした。
「ここまでとは、思ってなかった」
その身体から《黒》を立ち昇らせて、ゆっくりとオーリが床に転がったチュデルキンへと歩いていく。吹き飛ばされた彼はその身を起こそうとするが、何かに押さえつけられたようにピクリとも動けない。
何が起こっているのか、ベルクーリの目にははっきりと見えていた。オーリの身体から立ち昇る黒い心意が巨大な腕となり、力任せにチュデルキンの身体を押さえつけているのだ。そして元老長の口元に飛び込み、その詠唱を妨害しているのは、自身が斬り飛ばしたオーリの左腕。心意の腕が、床に落ちていた左腕をチュデルキンの口元に捻じ込んで弾き飛ばし、その上で押さえ込んでいるのだ。
「ここまで腐っていたとは……思いたくなかった」
チュデルキンを押さえ込む圧が高まり、その床にひび割れを作る。普通であればそれだけで圧殺され、光となって世界に還るだろうものを、幸か不幸か彼はその
オーリの声は平坦なものだった。怒りも何も感じられない、ともすれば冷徹にも聞こえる声だが、ベルクーリはそれが
竜の逆鱗に、チュデルキンは触れたのだと理解せざる得なかった。
「《システム・コール》」
式句を告げる。何をする気だと見れば、チュデルキンの喉に捻じ込まれた左腕が赤く輝く素因……《熱素》へと変換されている。変換された数多の熱素は、心意の腕の圧のせいで全てチュデルキンの体内、口内や喉の奥へと押し込められるのを見て、何をする気なのかベルクーリもチュデルキンも理解した。
「オ――」
「《バースト・エレメント》」
一瞬だった。
紅い光が迸ったかと思えば、轟音とともに垂直に炎の柱がそびえ立ち、熱波を大広間全体にまき散らす。じりじりと身を焼く熱波の向こう、炎の柱の中で一瞬だけチュデルキンの影が映ったかと思えば――…焼け落ちて消えていく。
熱波が治まり、チュデルキンが居た所が黒い焦げ跡だけになった頃。
「オーリ!」
黒い服の剣士が大広間に飛び込んでくると同時に、オーリは床に倒れ伏した。
◇
意識の無いオーリの口に霊薬を流し込みながら、俺は近くに倒れていた男を見た。青い軽装の鎧を纏った大男で、青みを帯びた鉄灰色の短髪をしている。
「アンタは……」
「あぁ……お前さん、オーリのお仲間かい?」
男の問いに俺は頷いた。そっちも血を流して倒れてはいるが五体満足であり、見える範囲で大きい怪我と言う物も無い。どうやら自分で術を行使して治療をしているらしいので、俺は彼に対して術を使うのを止めた。
「アンタが、アリスが言ってた整合騎士長でいいのか?」
「あぁ、ベルクーリってんだ……まぁ、負けちまったがな」
「そうか」
意識を失ったままの親友を見て、俺は溜息を吐いた。持っていた槍が無くなっている事や、そもそも左肩から先がない事を見れば、こいつが無茶苦茶した事は容易に察する事が出来る。ともすればストレア以上に
SAO時代も『HPが残るなら腕の一本程度なら安い』と、何度も犠牲にした事はある。普通なら左右のバランスを崩して動きのクオリティが落ちたりするのに、こいつはそれを感じさせずに、後で何食わぬ顔で《回復結晶》を使用して復元している所を何度か見た。
「なぁ、ベルクーリ……さん」
「呼び捨てで構いやしねぇよ。その焦げ跡の事だろ?」
起き上がれる程度に回復した男が、俺の視線を読み取って答えてくれた。今俺が居るオーリの横から十メートルほどの所にある黒い焦げ跡。おそらくは熱素による攻撃の跡だが、他に術式を使用した形跡が見えない上に、オーリにここまでの威力を捻りだす権限レベルは無かったはずだ。
「自分の不甲斐ない話はあんまりしたくねぇんだがな……」
そう前置きして、彼はオーリとの戦いを話してくれる。彼、ベルクーリ・シンセシス・ワンとの戦いは正々堂々とした立ち合いだった事は、何となくわかる。ベルクーリを見てもそう言う卑しさと言う物が感じられず、話している今でもオーリに対する敬意が見て取れた。
問題は、決着がついた後。
チュデルキンという、元老長の肩書を持った奴……ベルクーリ曰く俗物が二人の決着に水を差し、動けないベルクーリに暴行を加えた。
「野郎の蹴りなんざ屁でもねぇが……オレも全力を出し尽くした後じゃ抵抗も出来なかった。それがなんつーか、こいつの逆鱗に触れちまったんだな」
「あー……」
その光景を想像すれば、こいつがキレるだろうなぁと思ってしまった。オーリは元々、騎士長に対しては悪い感情を持っていなかった。正々堂々と戦った後なら尚更、敬意を持っていてもおかしくない。そんな相手が無抵抗で暴行を加えられたのであれば、俺だってキレるだろう。しかも動けない時を狙われて、というのが揃って役満だ。
「そんで、奴さんは自分の左腕を素因に変えて解放した……斬り飛ばされた腕だけでも、これだけ鍛えられてるもんなら人一人焼き尽くせるくらいの神聖力には出来る」
マトモじゃねぇ考え方だがな、とベルクーリは視線を床に落とした。それが悔いている表情に見えて、俺は何も言う事が出来ない。この人は本当にオーリと戦えてよかったと思って、負けたとしても言い訳一つも無く満足していた。その終わりに水を差されて、拭ったのが勝者であるオーリだというのは許せない事……なのだろう。
「……アンタはどうするんだ?」
「どうもしねぇよ。オーリはオレに勝った。勝った奴の道を塞ぐことは出来ねぇ……」
「なら、俺達と――」
「それも、出来ねぇ」
首を横に振ったベルクーリに、俺は問う。
「オレは、三百年かけても《壁》を超えられてねぇからだ」
壁……まさか、彼は《右目の封印》の事を知っているのか? 湧き上がる疑問のままにその事を問えば、頷きが返って来た。その目に俺やオーリを映して、どうしようもないほどの羨望を浮かべている。
封印を破れなければ、確かに騎士長と言えども最高司祭に剣を向ける事は出来ない。今この世界で、最高司祭に対して挑む事が出来る存在は俺とオーリの天然フラクトライト組と、ストレアとユージオ、アリスの《右目の封印》を破った三人。そして、最高司祭と同等の権限を有するカーディナルだけだ。彼の助力は諦めるにしても……
「……そう言えば、元老長が死んだって言うのに他の奴らが出てこない……?」
ふと、俺は大広間の先……扉が開きっぱなしで、曝け出されている上階へ続く階段に目を向けた。そこから誰かが降りてくる気配が無い。元老長、という言い方からすれば、元老という役職の存在が複数いても良さそうなもので、そいつらが襲い掛かって来そうなものなのだが。
「……ベルクーリ。アンタは他の元老って知ってるか?」
「いいや、オレが会った事がある元老院の人間はチュデルキンだけだ」
そう聞いて俺は少し考える。
カーディナルは、『整合騎士はその魂を直接操作されて作られる』と言っていた。なら、整合騎士よりも立場が上であるらしい元老が何もされていないとは考えにくい。いや、ひょっとしたら騎士よりも恐ろしい処置をされている可能性だってある。記憶だけを弄る以上の処置と言えば……
「……作り、変える?」
オーリが手紙で書いた推測のように人工フラクトライトを……人を何か別のものに作り変えられるとしたら、どうだ? 俺が知っている元老院って言うのは、王に対して助言したりする機関の事だけど、話に聞く最高司祭がそんな助言を聞き届けるなんてするだろうか? なら元老とは名ばかりに、何か面倒な仕事を丸投げしていたりするのか?
「おそらく、作り変えられているだろうな」
「起きたか、オーリ。随分無茶苦茶したみたいだな」
「そう言うな。最高司祭との戦いじゃ、温存してたお前に存分に無茶をしてもらうんだから」
「え、それ聞いてないんだけど。というか、アリスと俺が戦ったとか考えてないのか?」
「
起き上がりながら口元を吊り上げるこいつを見て、『御見通しか』と呆れの感情が沸き起こる。
「そっちが一段落ついてから来たんだよな?」
「あぁ。何とか……ストレアとアリスが回復中で、ユージオを護衛に残した」
「そこまでの負傷か……騎士アリスはどうなんだ?」
「《右目の封印》を破ったけど、今の所安定しているよ」
「嬢ちゃんが、か?」
ベルクーリに視線を向けて、俺が頷けば彼は『そうか……』と呟いて微かに笑みを浮かべた。その表情は何というか、子供の成長を喜ぶ親のように見えて、アリスが彼を小父様と慕っていたように、彼もアリスの事を娘のように思っていたのだろう事が理解できた。
「……もう、オレのような老騎士は消えるべきなのかもしれねぇな」
「それはダークテリトリーとの戦いを凌いでからにしてくださいよ、閣下」
「おう、オーリ。お前さんまた呼び方戻ってるぞ。オレに勝ったんだから呼び捨てで呼べ」
「えぇー……僕が勝ったって言うのに何で命令されてるんです……?」
沈んでいたベルクーリがオーリを揶揄いつつ、笑いを零す。対するオーリはジト目でベルクーリを見て、『まだ口じゃ勝てん』と溜息を吐いた。
きりと「今気が付いた」
すとれあ「何に?」
きりと「俺、体感二年以上アスナとイチャついてない」
すとれあ「お、おう……せやな……」
きりと「何で関西弁になったんだよ」
すとれあ「いや、アタシにどうしろと。それ言ったら、記憶ロックされてるとは言え、兄貴は詩乃と二十年近く触れ合ってないわけで……」
きりと「あっ」(察し
すとれあ「……治った後の事が急に不安になって来た。詩乃が暴走するよりも兄貴の方がヤバイかもしんない」
きりと「一週間くらい音信不通になったりしないよな……引き籠って」
すとれあ「藍子と木綿季の方に