●わたしたちは、先に進みたい
朝田詩乃は考える。
どうやって愛しい人との関係を進めようか、と。
通常で考えれば告白して、告白を受けて恋人になった。
互いの親も公認で同棲し、更には同じ学校にも通わせてもらっている。
この人生にレールが敷設されているのなら、後はそのまま結婚という駅まで一直線だろう。
幸いにして恋人は自分を愛してくれている。それは他人の目から見ても明らかなほどに。
何気ない日常での小さな喜びや楽しみを共有して、少し悲しい事や辛い事を分かち合う。
やっている事は夫婦であるのは確かだけど、社会的にはまだまだ自分達は恋人止まり。
婚約者という立場は彼と互いの親に承認してもらっているけど、法律的な保証は何もない。
ならば、もっと確かな繋がりが欲しいと思う事は、少なくとも詩乃にとっては当然の帰結であった。
「どう思う?」
「確かに、悩ましい問題よね」
学校の食堂に併設されたカフェテラスで、詩乃は友人の明日奈に相談を持ち掛けた。
自分が繋がりを持つ中で彼女は唯一の彼氏持ちなので、その関係の相談は大体彼女に行う。
「涼君が基本的に真面目で誠実なのは疑いようがないから、別に今のままでもちゃんと責任はとると思うけど」
「そこは疑ってないわ。 どっちかと言えば、これは私の我儘だもの」
「我儘って言うと?」
「涼が私を大切にしてくれてるのはわかるんだけど、求められているのかなって」
詩乃の言葉に明日奈は何か思う所があったのか『あー』と声を出した。
脳裏に蘇るのは、SAO内で時に自身を犠牲にしてまで他人の和を重んじた彼の姿。
そのおかげと言ってしまうのは彼女としては業腹だが、組織運営を助けられたのも事実だ。
借りをまだ返せていないな、と思考して頭の片隅へと置いた。
「求め方を、わかってない?」
頭の中で降って湧いた答えをポツリと口にする。
言葉にしてみてから考えると、そう考えれば辻褄が合ってしまう事柄もある。
普通の交渉や、コミュニケーションでは目的がある。それに向かえばいい。
誰かの為であっても自分の為であっても、彼はまず目的ありきだった。
そして、それを達成できるだけの信頼を築ければ満足しているのではないか。
足りないと相手が求めれば応えるだけの度量もある。
――…彼からそう言う話をしてきたことがあっただろうか?
「男同士だと割と遠慮が無いと思ってたけど、同性相手は気安いのは確かよね」
「えぇ、桐ケ谷君とは結構バカして遊んでるし」
ドリンクバーでドリンクの配合実験と称してくだらない事をしていたのは記憶に新しい。
食べ物、飲み物を粗末にはしてないが、それでも二人とも楽しそうにしていた。
そう言う意味では、詩乃の恋人は彼にそういう関係性を求めているということではないか。
「……あぁ、なるほど」
詩乃の脳裏に、天啓のような閃きがあった。
自分の恋人は沼――…いや、この場合は海と形容した方が良い存在。
寄せては返す波の様に相手と自分の距離感を量り、大抵を受け入れる深さを持っている。
同時に、自分を理解しているから相手をよく見てどれだけなら大丈夫かを確認するのだ。
「何か思いついた?」
「そうね。突破口とも言えないけど」
彼が全霊で愛しても大丈夫だと思ってもらえる事。それが詩乃が行きついた結論。
そう考えれば、桐ケ谷和人は桜川涼が全力で戦っても尚勝ち越せない好敵手。
自分でそう結論を出しているのか、無意識なのかは知らない。
ただ、彼にとってはそうなのだろう。だからあんなにも気安い。
「求められるより、このまま結婚する方が難易度低いってどう思う?」
「普通逆なんだけど、そこが涼君の難儀な所って事よね」
「えぇ、ホント。私がこんなにも求めてるのに。
私が大事だからこそ、涼は私を必要以上に求めない」
桜川涼は、朝田詩乃を愛しているからこそ、強靭に己を律している。
全てを曝け出して、離れていくのが怖いから。壊してしまうかもしれないのが怖いから。
「今だと違う目もあるものねぇ」
「彼女達が来た事はまぁ……良い事ではあると思ってるのだけど」
「まぁ居なかったら今頃、休みの日はずっと二人と会えない事になりそうだものね」
「コメントは差し控えさせていただきます」
明日奈の言葉に詩乃はそっと視線をそらした。
彼女が言った事が一番可能性が高い事を一番理解しているのは詩乃だからである。
ぶっちゃけて言えば、藍子と木綿季が居なければGWに勝負をかけていた。
「桐ケ谷君とはどうなの?」
「んー……家族の説得次第、かな?」
「そう……明日奈」
「何?」
「どんな結果になっても、ぶつからないとその結果すら出ないわ。
かつての私は、結果すら出さない事をとても後悔した」
詩乃の真剣な目は、明日奈が見た事の無いほど冷たい眼差し。
桜川涼と出会い、想いを告げられず失った場合の彼女がそこに居る。
「自分の出来るだけをして、ありったけを込めてぶつかれたなら、悪い結果は出ないわ」
「そう、かな?」
「その輝きは、貴女も見ているはずよ?」
「輝きを見ている……?」
「藍子と木綿季は今を全力で生きて、貴女にもぶつかっているはずだけど?」
詩乃の眼差しは、先ほどの冷たさが嘘のように優しい。
そんな彼女の言葉に、明日奈は自分が彼女達を気に入った理由が分かった気がした。
彼女達がとても眩しかったのだ――…かつてあの輝きを、自分も持っていた気がしたのだ。
「そうね……わたしも、頑張らなきゃね」
「さて、それじゃあ帰りましょうか」
「ふふ、そうね詩乃のん。今日はありがと」
「こっちも、お礼を言わなきゃいけないわね」
二人は笑いあう。 この得難い友人に出会えた事に感謝しながら。
●わたし達の兄さんと義姉さん/ボク達のおにーちゃんとおねーちゃん
明日が待ち遠しいと思い始めたのは、いつからだろうか。
わたし/ボクは考える。
かつては考えなかった。今この瞬間を生きる事に必死だったから。
ある日、主治医の先生がおじさまを連れてきた。
彼は言った。『君達が治る可能性のある治療法がある』
ただそれはあくまでも可能性だけの話だ、とも言った。
わたしは『はい』と答えた。
ボクは、答えられなかった。
わたしが答えられたのは、自分に忍び寄る影に気づいていたから。
もしわたしがそれを振り払えたのなら、木綿季にも希望を示せると思ったから。
ボクが答えられなかったのは、突然現れたその希望が怖かったから。
もしその希望に裏切られたら、おねーちゃんより早く死んでしまうと思ったから。
そして、治療は成功した。
経過の観察は必要だが、わたしの身を蝕んでいた病魔は打倒されたと言っていい。
その結果を受けてすぐに、双子であるボクへの治療も開始された。
後からギルド『スリーピング・ナイツ』のメンバーにもおじさまから交渉があったと聞いた。
皆、結果的に完治か、悪くても病状に大きな改善が見られた、との事だった。
そんな皆のヒーローであるおじさまは『君達のご両親に間に合わなくてすまない』と言った。
本当に申し訳なさそうに、唇を噛んで謝っていた。
忍び寄る死に怯えなくて良くなった入院生活。
リハビリと並行してALOにダイブしている。
ギルドメンバーは二人以外もう病院にはいないから、ALOでも会う機会は減った。
代わりの楽しみは月に一度は必ず来てくれるおじさまとのお話。
行った事の無い海外でのお話や、そこでの出来事を面白おかしく話してくれる。
そして一緒に奥さん……おばさまとも来て話をしてくれた。
『私には一人息子が居るのだけどね』
おじさまは、自分の息子の事を話す時はとても誇らしげだった。
そしてぽつりと『ソードアート・オンラインで今も戦っている』と言っていた。
どうして戦っていると思うのか、聞いてみた。
『私の……私と妻の子供が、誰かの苦境に手を拱く筈は無いと思っているからね』
やっぱりおじさまは誇らしげにそう言った。
その時からだと思う。わたし/ボクが、その人の事を気にするようになったのは。
ある日、息子がSAOから生還したとおじさまが言った。
やっぱり最前線で戦っていたよ、とも言っていた。
そして、君達を引き取ろうと思っているがどうかな、と聞かれた。
先生以外で自分達に会いに来てくれるのはもう、おじさまとおばさまだけになっているのはわかっていた。
だから、差し伸ばされたその手を取る事に抵抗はなかった。
『私の息子が、君達の兄になるのかな?』
兄という存在はわたし/ボク達にとって未知の存在だ。
でも、それが気になる人なら喜ばしい事でもある。
『会いたいな』
おじさまは必ず会わせると約束してくれた。
それからはどんなベッドが良いとか、外で生活するための話になった。
経過は順調で、退院についてはもう確定事項になった頃、その人は来た。
婚約者という人と一緒に来て、それは聞かされてなかったから驚いた。
話してみればとてもいい人。
婚約者の人は少し人付き合いが苦手そうだったけど、その人の事がとても好きなのはわかる。
この人達が暮らすところで一緒に暮らすのかぁと思った。
「今思えば、新婚夫婦の家に居候するようなものだと分かるよ……」
「兄さんと義姉さんはちょっと時間あればすぐに手を繋ぐし」
「あー……あのお二人ですからねぇ」
藍子と木綿季は、中等部のキャンパス内で珪子相手に愚痴っていた。
兄となった涼も、義理の姉となる予定の詩乃も自分達を気にかけてくれるのは知っている。
兄に至っては自分の仲間にも声をかけて、こうしてすぐに友達と言える人も出来た。
決して過保護ではなく、暖かく手を差し伸べてくれる、あの時のおじさまを思い出す兄。
「でも、涼さんも良いお兄ちゃんしてるんですね」
「ちょっと厳しい所もあるよ。体力作りとかストレッチとか」
「まぁおかげで、わたしは体力ついた気はします」
「詩乃さんはどうです?」
「詩乃おねーちゃんは優しいよ。でも怒ると怖い」
「え、詩乃さん怒らせたってどういうことです?」
「木綿季が兄さんの膝の上に座ってたんですけどね……」
「あっ」(察し
「結局詩乃おねーちゃんがおにーちゃんの膝の上に乗って、ボクがその上」
「それは涼さんにとって拷問なのでは……?」
珪子の疑問に二人は笑うしかない。
実際その後、涼は正座もしてないのに足が痺れていた。
「まぁでも、ボクもおねーちゃんも、二人にはとっても感謝してるんだ」
「わたしと木綿季をちゃんと家族として見てくれる。
寂しくならないように、きっちり心を砕いてくれますから」
「ALOでも、とっても格好良かったしね!」
だから、わたし/ボク達は、二人が大好きなのだ。
●あなたに捧げるわたしの想い
蒼い閃光が、まるで流星のように煌めいて消える。
死を前にした最後の走馬灯だと思ったけど、口元に感じたポーションの感触が裏切った。
『大丈夫か?』
HPが徐々に回復して、死が遠ざかるのを感じれば余裕が生まれた。
倒れているわたしを抱きかかえているのは男の子だ。
彼の向こうに、今まで私に襲い掛かっていたモンスター達が光となって消えていく光景と、無数に地に突き刺さり立つ様々な武器の数々が見えた。
『キミ、は…?』
『ただの通りすがりだ。 まだ全快には程遠いからもう一本渡しておく』
そう言うと彼は自分が持っていたポーションをわたしに渡して、振り向きざまに一閃。
背後に忍び寄っていたモンスターを倒した後で、まだ近くに居た残りを掃討していく。
『すごい……』
その背中がとても大きくて、頼もしくて、言葉が思わず出た。
見た顔はどう見ても年下で、本当なら年上のわたしが頑張らないといけないのに。
彼の背中を見ていると、その背にずっと守られていたくなってしまう。
それではいけないと自分を叱咤して、ポーションを飲み切って立ち上がって彼を追いかけた。
追いつく頃には見える範囲のモンスターは全て掃討され、わたしと一緒にここに来ていた人達も疲れたのかへたり込んでいた。
その中で幼馴染のエーくん……プレイヤー名はノーチラスがわたしに駆け寄ってきたので自分を助けてくれた彼について聞く。
『あぁ、血盟騎士団でも有名な攻略組だよ。 オーリってプレイヤーは』
『オーリ……』
呟いた名前には、自分でも信じられないくらいの熱がこもっていたように思う。
仮想世界の中なのに、それが本物だと本能が理解できてしまうほどの熱。
それが、わたしの恋の始まりの記憶。
わたしを焦がし続ける、初恋。
また同じ夢を見て、目を覚ます。
ALOで明確に振られてから、結構な頻度で彼と出会った時を思い出す。
失恋の衝撃というのは、どうやら話に聞く以上の事だったらしい。
机の上で眠っていたので一つ伸びをすれば、身体から音が鳴る。
机に置かれているのはノートとペン。
ノートには、SAOから生還した直後から書き溜めた歌の歌詞が書かれている。
よくもまぁ、自分の中からこれだけのものが出てきたと感心するくらいの量。
SAOがわたしに齎した経験は、本当に多岐に渡る。
極限の状況は、人間の綺麗な所も汚い所も見る事の出来る坩堝。
その中でも一際輝く一等星の中に、オーリ君はいる。
わたしは生還した後、学校には戻らずに歌の道に進む事を決めた。
父には随分と心配されたり説得されたが、わたしが折れないと分かると協力を申し出てきた。
今行っている研究を、わたしの活動に生かしてほしいという話。
わたしはその研究が実用段階に入るまで、作詞と作曲の毎日だ。
「貴方に絶対届けるからね、オーリ君」
これはわたしの復讐だ。
わたしを振った憎い男の子へ、わたしの想いを捧げる復讐。
返却不可の完全な押し売り。 彼女さんも思い続けるのは構わないと言っていた。
「わたしを甘く見ないでよね」
フラグをへし折ったのに自己修復するならどうすればいいんでしょうねぇ……