時は少しだけ遡る。
戦場である峡谷から東に離れた位置に布陣する、ダークテリトリー軍第二陣の最後方。皇帝ベクタが居る物には見劣りするものの、それでも十分に豪奢な四輪馬車の二階席に、暗黒術師ギルド総長のディー・アイ・エルが肌も露わな衣装を纏い、腕組みして立っている。
「――…第一陣の亜人混成部隊、押されているようです。敵の消耗は殆どありません」
脇に控えていた黒衣の伝令術師が、主を見上げて告げた言葉にディーは眉をひそめた。
「消耗が無い? 亜人どもは敵も満足に殺せんと言う事か?」
「いえ、どうにも敵の後方から歌が聞こえ……それによって敵兵を癒しているとしか」
「そのような術式、聞いた事もないが……」
報告してきた術師に目を向けるが、相手もそれしか言いようがない。しかし現実に敵兵の消耗が抑えられている為、その回復の力の強さによってはディーがベクタへと献策した『後方からの術式集中斉射による敵主力殲滅』が失敗する可能性もある。
主力である整合騎士を排除する前にその原因を取り除かねばと、苛立ちを隠せない声でディーは問う。
「どうやら敵一陣の最後方に術者が」
「それは整合騎士か?」
「いえ……楽士のような装いらしく、到底戦う者には見えないと」
「人界は楽士すらその様な高度な術式を使えると言うのか……」
不快気に口元を歪め、ディーは思考を回す。術者を排除するのは確定事項であり、その方法を考える。術式の集中斉射は整合騎士を屠る為の手段なので今は使用できない。飛竜という航空戦力を持つ暗黒騎士達は、未だ他の整合騎士が控えている状況で動かしては勝率を下げるだけになる。
最前線を眺めながらディーは自身の手札の中で切るべき札を模索し、告げる。
「《ミニオン》を出せ。コマンドは《七百メル飛行》、《地上に降下》、《無制限殲滅》だ」
ミニオンとは、暗黒術師ギルドで生み出している魂無き異形の使い魔だ。簡単な指示をこなす事しか出来ず、一体作成するのに多くの資源と長い時間が必要だが、ディーの中では亜人達よりも貴重な戦力だ。しかしここで出し惜しみして、皇帝ベクタの不興を買う事の方が恐ろしいと判断したのだろう。
「その距離ですと、皇帝陛下側近のレオ様も巻き込みかねませんが……」
「あのシャスターを下したディオ様と同格の実力と聞いている。ならばミニオンなど物の数ではないし、ミニオンの詳細は説明済。それよりも優先されるのは術者の撃破だ」
ディーはそう言い切り、伝令術師も『は』と頭を下げた。
「数は如何なさいますか? 現状孵化済みのミニオン八百体は全て運んできておりますが」
「全てだ。惜しんでは私の策が成らん」
「了解しました」
伝令術師の返事を聞き、ディーは厳しい目で戦場を見つめた。彼女の目的であるアンダーワールド全土の支配と、公理教会の本拠地に秘匿されていると言われる天命無限彼の術式による不老不死。それらを成し遂げる為にはまず、この戦争に勝利して皇帝ベクタが求める《神の巫女》を献上し、皇帝の位を受け継がなければならない。
その為の一手である献策もそうだが、下準備であるこの作戦も失敗は許されない。最大の障害である暗黒将軍シャスターがまだ健在である為に、しくじればそちらが手柄を上げる可能性が高いからだ。故に貴重なミニオンの出し惜しみもしない。成果を上げて戦に勝ち、巫女を捕らえて皇帝位を受け継げば何もかもが手に入る――…そんな甘美な戦慄に、ディーは身を震わせた。
***
「暗黒術師どもが動き始めたか……」
ダークテリトリー軍の第二陣左翼に布陣する暗黒騎士団。それを束ねるシャスターの意識が後方の動きを察知した。動き出した原因はおそらく、敵兵の数がほとんど減っていない事による焦りと言った所か、と彼は分析する。
それから、自分達の頭上をまるで闇が翼を得たかのような漆黒の人造怪物が一斉に飛び立っていく。ぬらりと光る皮膚に、異形の頭部。剣のように鋭い翼を持ち、ごつごつの盛り上がった無骨な筋肉を持つ怪物であるミニオン。
シャスターは暗黒術師たちの成果の中でも、この異形の怪物の事を殊更嫌悪している。この魂無き怪物によって齎される凄惨な光景が、戦いと呼べる物ではないからだ。魂を持つ者同士がぶつかり合い、多くの悲しみと憎しみを生み出すのだとしても、その中でも綺麗な物が芽生える。薄皮を張り重ねていくように気が遠くなるような遅々とした歩みであっても、和平へ向けて進んでいけるはずなのに、あの怪物はその何もかもを破壊してしまう。残るのは悲しみと憎しみだけの光景で、暗黒術師……もっと言えばディー・アイ・エルの自尊心を満たす結果だけしか残らない。
「しかしな、ディー・アイ・エル……お前が考える程、人界軍は甘くない」
特に整合騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワンはこの戦場に集う誰よりも長く生き、最強であり続けた男だ。そんな男が空からの脅威に対して何の手も打っていないという事が既にあり得ないのだと、シャスターは信頼している。
そして、そのベルクーリが認めた存在が人界軍にいるだろう。最高司祭の名代として現れた少女から感じ取れた才覚は、歴戦の暗黒将軍をして戦慄に足るモノだ。確かに自分やベルクーリと比べて経験は足りないだろうが、その差はもしかしたらこの戦争の中で埋まってしまうかもしれない。
「そうなった時……」
化ける。
シャスターはこの直感を半ば予言であると思っていた。最高司祭アドミニストレータとの対峙の際に少女は何も出来なかったと悔いていたが、それは違うのだ。整合騎士団を突破し、最高司祭へと対峙するだけでも偉業。剰え討伐した上で生き残る事は奇跡に等しい。
彼はアドミニストレータの力量を正確に把握しているわけでは無いが、ベルクーリから伝え聞いたものを加味して考えた結果、少女達がカセドラルを突破した際の条件は自分と暗黒騎士団の精鋭でもってしても達成不可能であると結論付けた。
それを成し遂げた者達が居る人界軍は、数だけでは決して計れない。前線の衛士を癒す術者もそうだが、それだけではない事は明白だ。加えて整合騎士団も人界軍に居るとなれば、総合的な戦力は互角と言えるかもしれない。
ただ、不安要素は存在する。
皇帝ベクタと共に降臨した三人の暗黒騎士……いや、あれらを暗黒騎士と言って良いか、シャスターは迷った。実力の確認という事で手合わせした、二刀を操る暗黒騎士の実力は本物である。ついでに言えば、殺さぬように十分に手加減をされ、それでも完敗だった。《心意》を用いた一刀は見せなかったものの、それ以外の全ては見せて尚、暗黒将軍に手加減をするほどの存在。彼らが暗黒騎士というのであれば、自分達は暗黒騎士
そんな三人が、戦場となれば手加減なく戦うだろう。自分が知る最強の男を比較に出しても勝敗が見えない三人の暗黒騎士……レオ、ディオ、ロッドと名乗った男達と、皇帝ベクタ本人。暗黒将軍ですら底が見通せないイレギュラーだけが、この戦いの不安要素だ。その内の一人が今亜人達を率いて第一陣に居るが、まずはそこを超えられるかどうか。
超えられれば良し。超えられなければ……
「せめて俺が巫女を確保するしかない、な」
その時になれば暗黒将軍は、暗黒術師総長とはまた違う理由で同じ目的を目指す決意を固めるのだった。
◇
「ユージオ」
第二陣にて腕を組み、極限まで集中を高めていたベルクーリに呼ばれ、ユージオは彼の方を見た。ベルクーリはユージオに視線を向けず、真一文字に結ぶ口から語りかける。
「敵の第一陣に、オレでも勝てるか怪しいくらいとんでもない奴が一人いる。ファナティオ達の救援に行ってくれ」
「わかりました。その、とんでもないって言うのは」
「恐らく、ストレアが言ってたベクタの従者って所か……こっちにゃ三女神の力を持った嬢ちゃん達と、その従者の力を持った嬢ちゃん達まで付いてきてんだ。あっちに居ても不思議はねぇ」
その言葉にユージオは頷いて、第一陣が居る最前線へと駆け出していく。彼は部隊を率いず一人であり、その戦力は上位整合騎士並。こういう場合に出すにはありがたい存在であり、ベルクーリ自身が今この場を動けない以上、信頼できる存在に頼るしかない。
ベルクーリがここを動けない理由は、大門崩壊前にその手前の空間に時穿剣の《武装完全支配術》で設置した無数の斬撃を維持しているから。横幅百メル、奥行き二百メル、高さ百五十メルの空間の中に三百以上の斬撃を設置した《斬撃空間》を維持するのは、最強最古の整合騎士であるベルクーリをもってしても至難である。
しかし、それを維持しなければならない理由がある。それは彼我の保有する飛行戦力の差であり、人界に無くてダークテリトリーにある《ミニオン》が理由だ。広範囲の対空防御という意味ならシノンも、彼女が持つ管理者権限込みで可能であるが、彼女はベクタ周りに対する切り札だ。
ミニオンについては、アドミニストレータも作成していたという話もあったが、その作成方法は彼女の死と共に喪失。カーディナルがカセドラルの九十階付近にある外壁に据えられていたミニオンを発見したが、それらは所有者変更が出来なかった事からそのまま処分された。
駆けていくユージオを見送って少し、ベルクーリの知覚が《斬撃空間》に入り込む存在を認識した。自分の予測が外れなかったという安堵と、ようやく来たかという思いを隠し、ベルクーリは口元に太い笑みを浮かべる。
感じる気配は、暗黒騎士が駆る飛竜の命ある気配ではない。泥のように冷たい、作られた物の魂無き気配。何度も感じ知っているミニオンの気配だ。
「たっぷり用意してやがったか……」
空間に入り込んだ数より、それに続く数の方が多い。しかしそれならば限界まで引き込めば済む話だ。それだけ大きな空間に斬撃を設置し、今の今まで動かずに集中し続けたのだから、その程度を待つのは問題ない。
遥か上空でストレアとアリスが峡谷内のみならず辺りの空間神聖力も根こそぎ使い果たしてくれれば、この場での残りは暗黒騎士だけとなる。それを第一陣が撃破できるのなら、第二陣は無傷でダークテリトリー軍の主戦力である暗黒騎士団と拳闘士団を迎え撃つ事が叶うのだ。
ただ、ベルクーリは自身の出番がその先にあると認識していた。門が崩れた時からストレアも感じていた、《虚無の心意》。凍てつくようなその気配の持ち主が、ベルクーリの騎士としての勘を刺激し続けている。
この存在を、必ず断ち切らねばならない。
自分達が望む未来に仇なす存在であると、ベルクーリの全てが確信していた。故にこれだけは、アンダーワールドに生きる者が斬らねばならない。全部を外から来た少年少女におんぶにだっこでは、まったく格好悪いのだから。
そう思いながら、ベルクーリは地面に突き立てていた時穿剣をゆったりとした動作で引き抜き、大上段に構える。全てのミニオンが彼の設置した斬撃の結界の中に飛び込んできたのを知覚した瞬間。
「――…斬ッッ!!」
裂帛の気合と共に振り下ろせば、前方の上空に無数の白い光条が立体的な格子を描いて瞬いた。続いて奇怪な断末魔の悲鳴が大合唱のように響き渡り、ミニオンのどす黒い血の雨が敵第一陣へと降り注ぐ。突如降り注いだそれによって、亜人達の陣に混乱が起こった。
彼らは突如降り注いだそれがミニオンの血であると理解したのだ。ミニオンの血には弱い毒性が含まれており、病を呼ぶと言われている。だからこそ、戦いの最中にあって無防備にその血を受けた事で、混乱が生じた。
***
「はっ……はっ……」
飛竜に乗り、空間神聖力を枯渇させんと術式を紡ぐアリスの顔は青褪めていた。その原因は、今にも暴発しそうなほどに圧力を高め続ける術式――…ではない。一因ではあるが、術式は原因ではない。
「すと、れあ……」
「……アタシは知ってたよ。今アンタが思っている事……人界に生きる人も、ダークテリトリーの亜人も、
ストレアは意図して、冷酷に言葉を発した。アリスは聡い為に、下手に慰めようが誤魔化そうが、すぐに真実にたどり着ける。だからこそ先に答え、突き放すように告げる。
アリスと同じような状況になっているのは、ストレアだって変わらない。命達の最期の恐怖や悲哀、絶望と言った感情は平等に彼女達の心を苛む。しかし、ストレアはそれでもやり遂げなければならない事がある。多くの命を奪い、今の死の数倍……いや、数十倍にもなるだろう死を撒き散らし、数多の悲しみも恐怖も絶望を生み出してその全てを背負ったとしても。
共に術式を紡ぐアリスや、彼女を愛するユージオ。友であるメディナや可愛い後輩だったロニエ達。ヴァルゼライド家でよく働いてくれたアグルや他の衛士や使用人達。他にもたくさん、彼女にとって大切だと思える人達がこの世界にいる。その人達の為に、他の命を奪ってまで未来を繋げるのだと。
「辛いならそっちの術式を渡して。ここまでくればアタシだけでも出来る」
「……いえ……やるわ。貴女だけに任せるなんて、絶対いや」
アリスの言葉は、ストレアを慮っての否定だった。
「死んでいく命全部、貴女にだけ背負わせるなんて……出来るはずないじゃない」
「アタシには背負う義理も義務もある。その辺りは今更だよ」
「それでも、私は貴女が友達だと思ってる! 友達の背負う物を少しでも軽くしたいって思うのは、間違いじゃないでしょう!?」
彼女の強い口調に、ストレアは面食らったように目を丸くした。アリスが自分を友人だと言ってくれる事に関しては嬉しくもあるが、それ以上に疑問がある。友人と言えるような……彼女にとっては兄とキリト、アスナとシノンのような関係性を築いてきた覚えがない。参考にしている関係は親友であるが、相手の為に死を背負うなどというのはただの友人の関係性ではしないだろう。
だから、ストレアにはアリスの心境が分からない。気安い関係性を築いているという認識はあっても、アドミニストレータ戦で彼女を庇ったと記憶していても、彼女はアリスではないから、何故そうなったかを知る事が出来ない。
《力》を使えば恐らくわかるだろう。しかしそれは無粋だとも思っていた。ストレアが魂を得てから……それ以前に、兄を見ていて学んだ事は
「アタシは、アンタを友達と思った事はない」
「ストレア……」
「嫌いだった」
術式を制御しながら、ストレアはアリスを見た。感情の一切を削ぎ落とした能面のような無表情を浮かべた彼女は、表情と同じように感情の一切を乗せない言葉で続ける。
「ずっとユージオの心の中に居た《アリス・ツーベルク》が嫌いだった。記憶を失って、何も思い出せなくても彼に想われてる《アリス・シンセシス・サーティ》が嫌いだった。全部を思い出して、彼と結ばれたアンタが、今は嫌いだ」
「それ、は……」
目の前の少女に抱いていた印象とはかけ離れた、どろどろとした感情の奔流。ストレアは努めて感情を出さないように言葉を紡いでいたが、自制だけではどうしようもないほどに溢れる感情は本人ですら持て余す物だ。
ストレアは、その感情を死ぬまで隠し通すつもりだった。事実として、ストレアの中に渦巻いていたコレに気付いていた存在はただ一人……兄であるオーリだけだ。彼は妹の想いを黙認して、好きにさせていた。想いを向けていた相手がユージオであるので、相性などの心配は一切なく、唯一問題があるとすれば彼の身分だけ。その身分にしても彼の剣才であれば北帝国の大会でも上位……ともすればオーリ自身とストレアをも下して四帝国統一大会に進み、整合騎士にまで行けば……途中で負けたとしても、一代爵士だが少なくともストレアを嫁に出しても問題ない爵位はある。妹の幸せを考えるならばそれでいいと考えていたのだ。
諸々の事情でその計画はご破算になり、ユージオはアリスをその両腕で抱きしめる事になったが。
「でもそれは、いい。ユージオの想いは知ってたから、その本懐が遂げられたなら喜ばしい事なの。だからお祝いだってしたし、二人の北行きを提案した。誰かに相談なんて出来ない胸の中のこれを、どうにかする時間が欲しかったから」
一つ息を吐く。
その時間で、整理を付けたつもりだった。兄を救うという目的と、兄が目指した未来を繋ぐという目的の為に進むつもりだった。アドミニストレータやカーディナルのように《フラクトライト》に干渉して削除しなかったのは、実を結ばない想いすら大切なものであると学んでいたから。成就する事の無い想いを抱える事を選んだ家族を、ストレアは知っていたからだ。
「アンタはもう、アタシが欲しかったものを持ってる。その上で、アタシの責任まで取るつもり?」
本当なら、アリスに言うつもりなど無かった。言った所で八つ当たり以外の何物でも無い事を、彼女自身が理解していたから。全部自分が決めた事で、アリスには何の関係もない。ただ、その決断を取られるのが嫌だった。もう自分にはその覚悟しか残ってないのにと。
「そんなこと……そんなことない、けど……」
「ならこの話は終わり。集中できないなら制御を渡して――」
言いかけたストレアの視線の先で、幾重もの白い光条が煌めいた。それはベルクーリが設置した武装完全支配術の斬撃《空斬》の発動を示し、読み通りに敵の航空戦力であるミニオンが現れて一網打尽にした証だ。
そこから敵軍がどういう動きをするか、ストレアは二通りの予測を立てていた。敵主力である暗黒騎士団と拳闘士団が出てくるのか、暗黒術師たちが術の射程に人界軍を捉える為に出てくるのか。
前者の可能性は低い。敵も馬鹿ではないので、人界軍の戦力を把握するための偵察などを放っている。そして未だ後ろに控えている人界軍第二陣にいる整合騎士の数くらいは把握しているはずだ。
ストレアの予測を肯定するように、人界軍とダークテリトリー軍の第一陣同士が混線を続ける場所に、ダークテリトリー側から新たな軍勢が統率の取れた動きで接近してくる。金属鎧の輝きは見えず、軍勢の中に亜人……姿形からしてオーガの軍勢であろうと予測できるものがいる。ならばあれは暗黒術師とオーガの混成軍だと、ストレアは看破した。
「アリス、そっちの術式はもういい。後はアタシの仕事だ」
有無を言わせない強い口調に、アリスは顔を伏せて従った。自身が制御していた術式……自分達の頭上に展開していた、直径五メルの鋼の球体……内側に晶素でガラスを張り、鏡にしていた物を解く。
球体の中から現れたのは、数えるのも億劫になるほどの数の光素だ。その全てを……アドミニストレータやカーディナルさえ制御できそうにない数の光素を、ストレアは自身の特異性によって御する。AIとして生まれた彼女は、後発的に手に入れた自身の《フラクトライト》を演算装置に見立てる事が出来る。光量子を用いたコンピューターとして魂を運用すれば、途方もない数の光素を制御するための演算能力を得る事が出来る。
その証明として、全ての光素は彼女達の頭上数メルの所で円環を描き、巨大な光帯となる。それを為したストレアの瞳には、赤ではなく虹色の輝き。それは戦場を見渡し、敵を見定めた。
「撃って薙ぎ払ったら、すぐに第一陣の所に降下して。ヤバいのが居る」
「……色々聞きたい事はあるけど、わかった」
アリスの返答を聞いて、ストレアは鼻を鳴らした。この話はもう終わりだというように、彼女はアリスから視線を切る。
「――…《ディスチャージ》!」
大規模な術式であろうとも変わらない、短くて単純な式句。それを唱えた瞬間に起こった変化は劇的だった。
円環を形作っていた光素がその中心へと集束し、一つの光の玉を生み出した。光素を覆っていた鋼の球体よりもなお大きいその玉より、光の柱が大地へと……ダークテリトリー第一陣の居る場所へと突き刺さった。
それだけではない。その突き刺さった光は第一陣の亜人混成部隊を薙ぎ払い、返すように移動してオーガと暗黒術師の部隊まですら全て薙ぎ払って、消えていく。後に残ったのは、光の通った軌跡の形に抉れ、赤熱化……いや、ドロドロに融けたマグマのみ。
「……《
呟いたストレアの声には、何の感慨も浮かんでいなかった。
◇
凄まじいまでの光の一撃が降った時、駆けていたユージオも流石に足を止めた。その一撃がどこから来たのかを一瞬だけ考えて、自分の知る気配がした為に再び駆け出す。
程なくして辿り着いた最前線だった場所で見えたのは、散り散りになって逃げていく亜人の軍勢。そして、その軍勢と人界軍の間に立つ、大槌と大盾を携えた漆黒の鎧を纏った暗黒騎士が一人。
騎士の周りには、不自然なまでに空間が広がっていた。半円状に騎士を囲むように衛士も、ファナティオですら立ち、一定の距離から近づかない。
「歌が止んだ、か」
風に流れて聞こえてきたのは、暗黒騎士……レオの呟きだ。確かに、ユナの歌は止んでいた。それは歌う必要がなくなったからかユージオにはわからないが、歌う事によって前線の衛士全ての傷を肩代わりしていたのだから、今人界軍で最も疲弊しているのは彼女だろう。休む意味でも歌をいったん止めるのは当然だと考えた。
そんな彼らをレオは眺める。値踏みをしているような視線は決して愉快なものではないが、下級とは言え整合騎士三人をそれぞれ一撃で屠った実力は本物だ。目の前でそれを目撃し、殺された三人を部下にしていたファナティオは、彼を射殺さんと憎悪が籠った目で見ている。
そんな中で、ユージオは一歩を踏み出した。途端にレオからの視線が強まり、圧力すら発生させているかのような力を感じる。騎士長が『とんでもない』と評した事は間違いではなかったと、ユージオは青薔薇の剣を抜いて腰を落とした。
レオも大盾を構えて大槌を握りしめる。油断も傲りも全く感じられない、ともすればあの《ソード・ゴーレム》のように人間味の感じられない動き。それは洗練された戦士の動きだとユージオは直感した。少なくとも、その動きが染みつくほどに戦い慣れていると理解した。
故に最初から全力で駆けた。レオは一拍遅れて駆けだし、その大槌を振り上げる。巨大なそれが小枝のように振られる速度は確かに速いが、ユージオはそれよりも速い剣とこの数カ月訓練をし続けたのだ。速さには目も身体も慣れている為に、相手に向かいながら体を捻り、大槌を躱してその内側へと入り込む。
それと同時に、青薔薇の剣は水色の光を湛えた。その剣を後ろへと引き絞るような構えは、三連重撃の片手剣ソードスキルの《サベージ・フルクラム》。ルーリッドへ向かう前に、親友であるキリトから餞別であり宿題として教えられた、《アインクラッド流》と彼が名乗った剣術の秘奥義の一つ。
「セアァァァァッ!!」
気合と共に、右からの水平の一閃。それは大盾によって阻まれ、火花を散らす。しかし剣は止まらずに軌道を変え、上へと盾を弾き飛ばすように動く。自身よりも身長の低い少年が繰り出した攻撃の予想外の膂力にレオは歯を食いしばるが、堪らず盾が上に弾かれた。
斬り上げた勢いでユージオは大上段に剣を構える。相手が大槌と大盾を引き戻すまでに斬れると、秘奥義が動かすままに剣を振り下ろした。そんな彼の視線の先で、レオは大槌と大盾から手を放す。何をするつもりだという疑問の答えは、甲高い金属同士がぶつかり合う音。
「なん、だって……!?」
武器を手放したレオの両手が青薔薇の剣の刀身を挟み、受け止めている。
「冷や汗ものだな……これが整合騎士の実力、という事か」
剣が湛えていた光が、受け止められた事によって消失する。それはそう言うものである為にユージオは動揺しなかったが、剣を動かそうとして戦慄した。
両手で挟まれているだけの青薔薇の剣が、ピクリとも動かない。押そうが引こうが、前にも後ろにも上にも下にも動かない。
次の瞬間ゴッ、とユージオの腹部に衝撃が走り、身体が『く』の字に折れる。下を向いた目が見たのは、腹部にめり込んでいる漆黒の鎧に包まれたレオの足だ。剣を受け止められて動きが止まった一瞬を狙い撃たれ、しかしユージオは剣を手放す事はない。腹部から足が離れ、今度は横から再びの衝撃が来る。
「ほう、離さないか」
少しだけ感心したような声は、ユージオには届かない。その間にも左右から間断なく衝撃が襲い掛かってくるからだ。その一撃は重くて鋭く、そして全く容赦がない。受け続ければ確実に死ぬであろうと容易く予想できるものをユージオは剣から手を放す事無く受け続ける。
この暗黒騎士を、ここで確実に無力化するために。
「エン、ハンス……アーマメン、ト……」
蹴撃の嵐の音でかき消されそうなほどにか細い声。しかしそれでも、彼が唱えた術式は世界に聞き届けられて発動する。
青薔薇の剣に魔法陣が浮かび、異変を察知して剣から離そうとしたレオの両腕を、剣から伸びた氷の茨が拘束した。それを引きちぎろうとレオが力を籠めれば、巻き付いた茨に瞬く間にひび割れが走る。しかし引きちぎられるよりも早く、新たな茨がレオの腕を、胴を、足を拘束していく。
「……これは、《武装完全支配術》と言う奴か」
拘束されていく最中にあって、レオの声は冷静だった。冷静に状況を分析し、観察するように攻撃を受け続け、深刻なダメージを負ったユージオを見ている。
「貴方は、一体……」
「私は《アリス》という少女を求めている」
唐突にレオの口から出た名前に、ユージオは目を見開いて彼を見た。その反応でこの少年がアリスの関係者である事を確信したレオは、任務を遂行するために
アドミニストレータと戦った時よりも、ユージオは得た力を鍛え上げたつもりだった。武装完全支配術を鍛え、記憶解放術も十全に使えるように鍛錬していた。だからこそ、今目の前で起こっている光景が信じ難い。
レオの全身を覆う氷の茨に、一瞬で罅が入った。以前の支配術はファナティオに破られかけた事はある。しかしそれでも、こんな一瞬で全てに罅が入る事はなかった。精々が徐々にひび割れていく程度だったのにも関わらず、レオは一瞬でその全てに罅を入れた。
驚愕しながらも、ユージオは青薔薇の剣を咄嗟に引き抜き、後ろへと跳躍する。それと同時に、レオを拘束していた氷の茨が全て砕け散り、暗黒騎士は傍らに落とした大槌と大盾を拾い上げる。
「お前に聞きたい事が出来たぞ、少年。加減を間違って殺す前に、《アリス》について吐いてくれるなら殺さずにおこう」
あの時に相対した《ソード・ゴーレム》以上の絶望が、戦場に降臨した瞬間だった。
ゆーじお「どうやって勝てと?」(震え声