青春の空模様 作:ペトリコール
僕には自慢の彼女がいる。
腰まで伸びたベージュ色の髪に、リボンで結ばれた特長的なサイドテール。
何時も優しくて柔らかな笑顔で僕の名前を呼んでくれる、これ以上は無いと断言出来る程に素敵な彼女だ。
ほんと、僕なんかと付き合ってくれている事が奇跡みたいで、今でも夢じゃ無いかと思うほど。
…そんな彼女が居るのに、何で僕は…──
「ごめんね……でも、好きなの…。だから…お願い……」
──…こんな裏切る様な行為に、駄目だって言えないんだよ…ッ!
ゆっくりと顔が近付けられて、されるがままに唇を押し当てられられる。
そんな最中に僕は、彼女と付き合う前の事を思い出していた……
「やっばぁ…、ちょっと遅れちゃった……!」
学校までずっと走っていたせいで荒くなっている息を整えながら、上履きに着替えて廊下を走る。
まだ始業式も始まっていない学校はもの凄く静かで、聞えるのは上履きが廊下と擦れて鳴らす音くらい。
誰かとすれ違う事も無く、目的地だった生徒会室前に着いた僕は、走っていた勢いをそのままに扉を開いた。
「おはよーございます!」
肩で息をしながら顔を上げると、生徒会室にはまだ2人しか人が来ていなかった。
僕に気付いた2人の先輩の内1人は呆れたように肩を竦めて、もう1人はひらひらとこちらに手を振って挨拶を返してくれた。
「まったく…、学校が始まるその日から遅刻なんて…。遅れないようにって昨日メールしたでしょう?」
「うぅ…、ごめんなさい…」
「まぁまぁ、そんな怒らんどいてやりぃよ。しぐっちも反省してるみたいやし、ね?」
なんだか2人のやり取りが、子供を叱る母親と、子供を庇う父親に見えて、クスッと笑いが溢れた。
いつもの席に着いて、鞄から腕章を取り出して着ける。着けた腕章には『生徒会役員』と言う刺繍が施されている。
「あれ? そう言えば、まだ2人しか来てないんですか?」
「えぇ。生徒会としての自覚が足りて無いわね…」
綺麗なポニーテールを揺らして、綾瀬先輩は溜め息を吐く。
「久しぶりの登校なんやし、準備とかで戸惑っとるんやない? 実際えりちも、寝癖を治さずに走って来たんやし♪」
「ちょっ、希ぃ!」
ニヤニヤとしながら綾瀬先輩を揶揄うのが希先輩。
2人は僕が所属している生徒会の会長と副会長さんだ。
「せーんぱい? まだ少し寝癖がついてますよ?」
「えっ? やだ…、どこ…?」
「嘘です♪」
「なっ……!」
揶揄われた事に気付いて、綾瀬先輩はぷくーっと頬を膨らませて、僕のことを割と強めに揺さぶる。
正直、全然痛くも無ければ怖くもない。ただただ先輩が可愛いだけだ。
「もー、あんまりえりちの事を揶揄ったらあかんよ?」
「は〜い♪」
めっ!と僕のことを叱る希先輩も一切怖くない。ただ、見惚れそうになるくらい可愛いだけだ。
2人の先輩との久々な会話に花を開かせていると、ゆっくりと生徒会室の扉が開いた。
誰かと思い、視線を送ると…
「おはよう、綾瀬さん。それに東條さんと、時咲くんも」
「おっ、おはようございます…!」
「おはようございます、理事長先生」
「はよーです!」
やっぱり希先輩の敬語って、いつ聞いても慣れないな〜。なんて事を考えながら、生徒会室に入ってきた理事長先生の方を向く。
「ふふっ、みんなが元気そうで何よりだわ♪ …ところで、あとの3人はまだ来てないのかしら?」
「すみません…。先ほどメールは送ったんですけど、まだ返信が来てなくって…」
「綾瀬さんが謝る事じゃ無いわ。それに、久しぶりの登校なんだもの。きっと準備に戸惑っているんじゃ無いかしら?」
希先輩も理事長先生も、なんとなく雰囲気が似てるからかな。同じ事を言っている。
…ちょっと笑っちゃったけど、別に馬鹿にしてる訳じゃ無いんですよ? だから希先輩? 机の下で脚を小突かないで下さい、死んでしまいます。
「それで、先生が来たって事は、始業式の準備を始まるって事です?」
「それもそうなんだけど、その前に……貴方達に伝えないといけない事があるの」
真剣な雰囲気に、思わず背筋が伸びる。それは先輩達も同じみたいだ。
「ここ、音ノ木坂学園は…──
「「「…えっ?」」」
理事長の発言に、首を傾げて顔を合わせる僕達。
ゆっくりと言葉の意味が纏まって来て、ぽかんと開いたままだった口が漸く動いた。
「「「ええぇーーーーえぇっ!?」」」
▽▼ ▽▼ ▽▼
「これにて、第59回、音ノ木坂学園始業式を終わります。担任の教師の指示に従い、退出してください」
マイクに向かう綾瀬先輩の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、小さな溜め息を漏らす。
「…廃校、かぁ…」
全校生徒の前で、理事長先生が廃校の件について話す姿を見て、やっと本当の事なんだと実感が湧いた。
学費の免除があるからと言う理由で入学した学校だったけど、無くなると聞かされると…生徒会や部活で思い入れの沸き始めていた事もあって、少し喪失感を感じる。
「それにしても、綾瀬先輩…大丈夫かなぁ…」
音ノ木坂が廃校になると聞いて、一番ショックを受けていた綾瀬先輩。
前に尊敬している祖母さんが音ノ木坂に通っていたと言う話をちらっと聞いた事がある。祖母さんの母校が無くなるって聞かされて、どんな気分だったんだろうか。
それに、先輩は責任感が人一倍強い。生徒会長と言う立場に責任を感じて、廃校を阻止しようと無理をするかも知れない。
「しぐっち?」
「えっ? あっ、希先輩…どうかしました?」
「それはこっちのセリフや。ぼーっとして、どうかしたん?」
「…綾瀬先輩が無理しないか不安で…」
「それを止めるのがウチらの仕事なんやけどね。まぁ、しぐっちの気持ちは良くわかるで〜」
前科持ちやからね…と、そう付け足す希先輩。その瞳には先輩らしからぬ不安が映って見える。
「確か、今年は綾瀬先輩と同じクラスなんですよね? ちゃんと監視してて下さいね?」
「りょーかいや。ウチに任しときぃ!」
やっぱり、希先輩は頼もしいなぁ。僕も見習わないと…。
生徒達が全員退出したホールをぼんやりと眺めていると、生徒会メンバーに集合の声が掛けられた。
少し離れていた僕と希先輩は駆け足で呼んだ先生の元へ向かう。
「始業式のお手伝い、お疲れさま! 特に時咲くんは疲れたでしょう? 力仕事ばっかりを任せちゃってごめんね?」
「いえ、力仕事は男の役目ですから。明後日の入学式の準備でも、遠慮なく頼って下さい」
「それは頼もしいわね♪」
先生からの労いの言葉に、緩みそうになった頬を引き締める。
「さて、生徒会の活動が本格的に始まるのは明日からです。部活に入ってる子は両立するのが大変かもだけど、あまり遅刻はしないように。本当にキツい時は連絡してくれたら休んで良いからね?」
確か、僕が入部している弓道部は来週から活動を再開するはず。取り敢えず今週は生徒会に専念出来そうだ。
「まだ色々話さなきゃいけない事はあるんだけど、もうすぐチャイムが鳴っちゃうわね。別に急ぎって訳じゃ無いし、続きは明日話す事にしようかしら。それじゃあ、解散」
その言葉で、メンバーの内3人が楽しそうに雑談をしながら壇上から姿を消した。
あの3人は始業式が始まるギリギリまで来なくって、準備を手伝ってくれ無かった3人だ。せめて綾瀬先輩と希先輩に謝罪の一言くらいあっても良いのに…。
「希、時雨。ちょっと良いかしら?」
「ん〜?」「どうかしました?」
「今日のお昼休み、生徒会室まで来てくれないかしら?」
「ウチは平気やで。しぐっちは?」
「僕も大丈夫っす。廃校の件について、何か話があるんすよね?」
「…えぇ。詳しくはお昼に話すわ」
ひとまず解散。ホールを出て、2人に手を振りながら廊下を駆け抜ける。
確か僕のクラスは2-1だっははず。“はず”と言うのは、始業式の準備が忙しかったせいでクラス分け表をしっかりと見れていないからだ。
「確か穂乃果が同じクラスってのは見れたんだけど…、知り合いが多かったら良いなぁ……」
…それと、
少しだけ頬が熱くなって、気恥ずかしさを誤魔化そうと一気に階段を駆け上がる。
「あれ? 時雨くん?」
「えっ?」
階段を駆け上がってクラスの方を向くと、窓から流れ込む微風に、山吹色のサイドテールを揺らす少女の姿が目に入る。
「あれ、穂乃果?」
「うんっ! 久しぶりだね!」
そう嬉しそうに笑みを浮かべてこちらに駆け寄る穂乃果。
僕と穂乃果は入学当初からのクラスメイト。
入学式で席が隣で、クラスでも席が隣だった事から良く話すようになって、僕にとっての数少ない友人の一人になってくれた。
男女関係無く仲良く出来る、クラスでも中心的な人気者だ。
「なんで教室に入ってないの? もしかして始業式に遅刻したの?」
「ちゃんと出たよ!? さっきまで保健室に居ただけで…」
「保健室って…、体調悪いの?」
「そうじゃ無いんだけど…。ねぇ、時雨くんっ!」
「わわっ!?」
急に肩を掴まれて顔を近付けられ、たじろく僕。そんな僕の事など気にせずに、穂乃果は話を続ける。
「廃校って本当なの!? 実はドッキリとかじゃ無いの!?」
「ほ、ほんとの事です…」
「やっぱり夢じゃ無かったんだぁ…っ!?」
なんか泣きそうになってる…。一体僕はどうすれば良いんだろう…。
「取り敢えず、教室に入ろうよ。もうチャイムが鳴ってから結構経っちゃってるしさ」
「うん…。うぅ……」
廃校になる事が相当ショックなのか、穂乃果の目尻には大粒の涙が溜まっていて、今にも溢れてしまいそうだ。
そんな穂乃果の手を引っ張って、教室の扉を開く。
「すみません、遅れました」
「おっ、時咲か。朝からご苦労さん。それで、後ろのはどうしたんだ?」
「さ、さぁ…? 取り敢えず席に着きたいんですけど…」
「窓側の空いてる席があるだろ? 窓側が高坂で、その隣が時咲だ」
「りょーかいっす」
今年も担任の先生は山田先生のようだ。
それに、穂乃果の隣の席っていうのも2年連続…。ここまで来たら、もう裏で先生達が仕組んでるとしか思えないんだけど…。
なんて事を考えながら、穂乃果と一緒に席に着く。
「ありがと…、時雨くん…」
「別にお礼を言われるような事じゃ無いけどね」
鞄を机に掛けて、引き出しに入っていたプリントに目を通しながら返事を返す。
1枚目には始業式での席順と進行が書かれてて、2枚目は四月の時間割。
最後の1枚は…クラスメイトの名簿? 普通は配られ無い筈なのに、なんで入っているんだろう? まぁ、クラス分けが見れて居ない僕にとっては有難いけどね。
そう思いながら、名簿に目を通す。やっぱり、全然知らない人ばっか…あっ、園田さんが居る。
それと…
「っ!」
三十人を越えるクラスメイトの名前の中で、一人の名前が僕には輝いて見えた。表現が子供っぽい? 良いじゃん、別に…。
だって──
「あっ…」
廊下側の席の1番前。
そこに座って、先生の方を向いている
「やった…! 南さんと同じクラスなんだ…♪」
ベージュ色のサイドテールが揺れる様に、息が苦しくなる程に鼓動が高鳴る。
身体の奥の方から、身体が燃えてしまいそうになる程の熱を感じた僕は、思いっきり机に頭を打ち付けた。
…ちょっと周りの視線が痛かったけど…。
「僕ってば、駄目だなぁ……」
中々引かない熱が愛おしくって、頬が緩む。
だって、
まだ、指で数えられる程度しか話した事の無い彼女に、僕は恋をしている。
寒い。
乱れた衣服も直さずに、裸足のまま外に飛び出した僕は、真っ暗な路地で蹲っていた。
「雨、降ってたんだ。」
前も見ずに、ただただ必死に走っていたせいで気付けなかった。
「…荷物も全部、置いて来ちゃったなぁ……」
明日出さなきゃいけない宿題、どうしようか…。
そんな事なんて今はどうでも良いのに。
どうにかして、気を逸らしたい。さっきの事を忘れたい。無かった事にしたい。
でも、それは無理だ。
唇に残るねっとりとした熱が、下半身を撫でるあの手の感触が、忘れさせないと身体を蝕む。
「…なんで、こうなっちゃったのかなぁ……」
打ち付ける雨水は冷たい筈なのに、何故か頬に熱い何かが筋を描く。
吐き気や嗚咽を必死に堪えながら、掠れた声を絞り出す。
「ごめんね…、ことり……」
遠のいて行く意識の中で、涙を流す彼女の姿が見えた気がした──…