「すべて、長い夜の夢だったよ……」
ああ、体が崩れ落ちる。
ようやく、ようやくだ……ローレンス、君のいるところに行ける。
そしてさらばだ、優秀な狩人よ。
君は月の魔物に屈するのか、それともあれすら狩ってしまうのか。
だが、この身を蝕むゴースの呪いから解き放ってくれた君だ。きっと狩りは成就するだろう。
君は生き抜くと良い。君にはその権利と義務がある。
ありがとう、狩人よ。
■
医療と退廃の街、ヤーナム。獣の病に冒された街で最初の狩人。
ゲールマンはついに本当の死を迎えた。
だが、次に彼が目覚めた時は広大な草原にいた。
空はどこまでも青く青く。草はのどかに生い茂っている。
鳥は鳴き、風は青臭く心地よい。
彼は地面に尻をついて座っている状態で目覚めた。
「ここは……なんと美しい空だ」
ヤーナムの青ざめた血の色の空ではない。
陰鬱な曇りでもない。悪夢のようにおぞましい晴れでもない。
ゲールマンは生まれて初めて本当の空を見た。
「これが天の国なのか。いや、私にそのような所など行けるはずもない。
とすれば、ここもまた悪夢なのかね?」
ゲールマンはゆっくりと起き上がった。
軽い。まるであの最後の戦いの時のようだ。
左足は義足のまま、しかし服は普段着の黒い狩り装束によれた帽子。
あのときのマントとトップハットではない。
武器は……ある。自分の中にしっかりと葬送の刃、あの隕鉄でできた神秘の大鎌の存在を感じる。
二連装の銃も……ある。
「ともかく、行かねばな」
ここは崖下のようだ。崖の上に行ってみよう。
ゲールマンはハッとかけ声をあげるとその老体に見合わない軽快さで崖をひとっ飛びに超えた。
「あーっ!」
目の前に少女がいた。装いは青いシャツに黒いスカート。しかし何より……獣の耳と尾がある。
獣の病の罹患者か。
「ぼうしドロボウなのだ!アライさんの帽子を返すのだーっ!」
しゃべった……だと?ゲールマンは誰より獣の病、人が獣に堕し理性をなくす病を見てきた。
狩人とは、獣に墜ちた者を狩る者。ゲールマンは最初の狩人だ。
あまりにも多くの末期患者を『弔って』きた。
その啓蒙と経験から解る。
常であれば、これほど獣化すればしゃべることなどできないと。
と、すればこれは常の者ではない。
慎重になるべきだ。漁村の虐殺を繰り返したくはない。
「すまないが君……この帽子は私のものだ。
私がずっと持っていたものなのだよ……何かの間違いではないかね?」
わずかに殺気を出して構える。
アライさんと名乗った少女はびくりと一瞬怯え、後ずさった。
「むーっ……た、たしかにアライさんの探してた帽子は白いやつだったのだ……
ごめんなさいなのだ。勘違いだったのだ」
ぺこりと頭を下げて心底申し訳なさそうに謝る少女を見てゲールマンは驚いた。
自らの非を認め、謝れる!こんな事は獣の病の罹患者にはできない。
いいや、ヤーナムにおいては健康な者でさえ何人ができることか。
そも、人にそんなことができるものなのか。
「そうかね、誤解が解けたようでなによりだ。ところで君……アライさんだったかね?
すまないが私はここがどこだか解らないのだよ……どうも迷い込んでしまったらしい」
ゲールマンは驚きを隠し、さらに踏み込んで見ることにした。
獣の特徴を有しながらしっかりと理性のある者。
好奇心がうずき、啓蒙がささやく。もっと探求するべきだと。
呪われて、たっぷりと後悔したというのに、好奇心は止められない。
なぜなら彼もまたヤーナム野郎だからだ。
「迷子なのか?ここはさばんなちほーなのだ!ええと……何のフレンズなのだ?」
「フレンズ?私はゲールマン。ヤーナムという場所から来たのだが」
「やーなむちほー?うーん……知らないのだ。ゲールマンというフレンズも知らないのだ……
それにしても変なフレンズなのだ!
顔はしわくちゃだし、足も片方が棒みたいなのだ!すごく背も高いのだ!」
ここでさらにゲールマンに激震走る。
もしやこの者は老人を見たことがないのか?そしてフレンズという単語がどうも人間を指す言葉に近い感じがする。
ここはどうやら全く常識が通用しない場所らしい。素晴らしい!なんと探求しがいのあることか!
そして啓蒙がささやく。
もしやここは遠い未来で、人が全て獣と化すも獣性を克服した場所なのでは?
獣となるも人の理性を保つ。それがゲールマンの友ローレンスの目指した「獣の抱擁」だ。
たしかかなり良い被験体『恐ろしい獣』が出来たのは覚えている。
それが完成し、普及したならばあるいは……
待て、落ち着け。慎重に調べるのだ。
「君は老人を見たことがないのかね?年を重ねて老いたものだ。
人は皆、長く生きればこうなるのだよ」
「よくわからないのだ。
けものは長く生きるとよぼよぼになるけど、フレンズは長く生きてもそうはならないのだ」
老いず、獣性を克服した者。もしやフレンズとは上位者かそれに近いものなのだろうか?
「なんと……そうかね。親切にありがとう。
ところで君、私はどうやら君の言うところの迷子になってしまったらしい。
ヤーナムとは勝手がまるで違う。すまないが、いろいろと教えてくれると助かるのだが……」
彼女を逃がしてはならない。もっとよく知らねば。
ローレンス、君は「獣の抱擁」にたどり着いたのか。
それとも、彼女がそこに至るための貴重な手がかりなのか。
しかし、いつまでも引き留めてはおけないだろう。何かこちらも報酬を出さねば。
「そうだ、これをあげよう。君の求めているものとは違うが、これも帽子には違いあるまい」
ゲールマンは自らの内から「よれたヤーナム帽」を取り出してアライさんに渡した。
ぱあっとアライさんの顔が明るくなる。
「わーい帽子なのだ!これできっとボスとしゃべれるのだ!ありがとうなのだゲールマン!」
アライさんは帽子を大切な宝物のように掲げて抱きしめる。
それはとても純粋な少女のように見えた。
やはり獣性を克している……!
「それで、すまないが……」
「迷子なのだ?アライさんにおまかせなのだ!
アライさんはこれからボスの所にいくからついてくるのだ!」
ボス、か……まとめ役がいるならば話が早そうだ。
このアライさんという少女は純粋だが、いささか短慮なところがある。
それもまた、少女というものなのだろうが。
枯れた草原をアライさんが走って行く。
空はどこまでも青く高く、のどかな風景が地平線まで開けて見える。
やはり、ここはまるで楽園のようだ。素晴らしいじゃないかね?
「ああ、少し遅れるかも知れないが、気にせず行きたまえ」
「ゲールマンは足が遅いフレンズなのだ?!早く来るのだ!」
かなり遠くにアライさんがこちらを振り返っている。
「なに、直に追いつく」
ゲールマンはハッとかけ声をあげると滑るように移動した。
古狩人の秘儀「加速」である。
「のだっ!不思議な走り方をするフレンズなのだ……」
「老いたとて、私にも一芸くらいあるということだよ」
ゲールマンはアライさんの目の前に一瞬で現われた。
加速の業とは霞の如く姿を消して驚くべき速さで移動する。
これも、古い血が成せる技だ。
なにしろゲールマンは上位者を狩り尽くしその血を体に取り入れてきたのだから。
「ゲールマンはかけっこが得意なフレンズなのだな!よーし競争なのだー!」
まるで春のような暖かい日差しの中、草いきれの風に吹かれて孫ほどの少女と駆け抜ける。
ゲールマンの頬に、自然と笑みが浮かんでいた。
あるいは、それはあり得たかも知れない未来への憧憬だろうか。