「現代教育の観点からすれば、気軽に正解を求めることはタブーらしい」
だがそれをしてしまう術式がある。
【神代回帰】。それはそういう術式だ。
発動すると、正解を求めることができる。──いや。正解の未来に確定する。
適当に振った拳が偶然相手の顎にヒットして運良く意識を奪えるように。
【神代回帰】という術式はそういうものである。確実に相手に勝てる未来を作り出す。だがそれは、術式同士が激突したときにお互いにひっかくことが致命傷に成りうる状態になるわけだ。
だからこそ──【神代回帰】同士をぶつけた時、勇者の優勢を揺るがない。逆転の1手になりえない。それはない。そもそも、勇者はそれを使わずとも最強なのだから。
そういうものだ。
いくら穴を運で埋めたとしても、途方も無い数の砂をまく必要があるのだ。穴を埋める前に振り切られる。
そして相手がその術式を発動すれば。
──鬼に金棒、である。
「本当に反則だよねぇ」
魔王の部下、リース・ゴーフェスはそう述べた。
彼女は術式専門の幹部である。魔王に対しての忠誠心はないが、研究者としての魔王への興味はある。彼女の目的は世界でも指折りの実力者たちが生み出した術式だ。【ノスタルジック・グレイ】も、【神代回帰】も研究の対象として求めている。
そして、ある程度の目安を付けていた。
「美しい比率さ。黄金率、とでもいうのかな?」コーヒー片手に、彼女はくすり。笑って述べる。「砂粒を完璧に誤差なく敷き詰めてたどり着ける域だ。まさしく神から賜った技能。天賦の才だ。只人には扱うことさえ難しい」
──才能というものは往々にして残酷であるものだ。多くのものの幻想をねじ伏せる。
心折れるものも多いだろう。世界で最強の戦士が最強たる所以は、圧倒的な身体能力に戦闘勘。それに尋常ではないほどの魔力量。そして──類まれなるほどの、魔力制御。
それを全て持って、尚研鑽を怠らず、最後まで諦めないものだからこそ──最強になったのだ。
だからこそ多くのものが勇者・フレンを最強だと考えた。こいつには勝てないと考えた。
──だが。
彼は勇者だが、正義の味方ではない。
彼は情けも容赦もしない。あくまで世界のために動いているからこそ正義のようにみえるだけであり──彼は、正義に味方はしない。
敵の敵なのだ。
──ふらり。少女が舞い降りる。月の香りを立ち上らせて。月の涙を携えて。月の夢を今、飲み込んで。
それを、勇者は見た。
村崎引裂の上半身は、ノスタリアの存在する領域で安置されている。下半身をなくしたが、心ではいないようだ。だがかなり危険な状態だ。
いつ死ぬかもわからない。
「──はれれ? はれれ? なんちゃって。ひさしぶり、勇者様」
「君とは二度と会いたくなかったよ。魔女」
魔女と呼ばれた少女は、ステッキを調子を確かめるように振り回しながら、勇者を見る。
──怨嗟の瞳だった。よく知っている。ああ、これは恨みの味だ。
彼女に恨まれる理由を、勇者本人がなにより解っていた。最強の心臓が音を立てる。きちり。ひとつ。きちり。ふたつ。
そして心を錆びつかせた。そうすれば、戦いに迷わないから。
「潔く死んでおけばよかったものを。わざわざ俺に殺されにきたか」
「──怖い目。嫌な目なの、それ」彼女はいう。「嫌なものは──なくさないと」
そして、術式が展開された。
魔女の手札の中で堅実かつ確実な札は、勇者の知る限り彼女の固有術式だ。
夢を塗りつぶす──非道の札。幼き少女が、穢された処女が抱いた諦観。彼女が望んだ世界の崩壊を、成し遂げることができるだけの力。
否定術式。
──【
純粋だった魔法少女は、不埒な魔の手に囚われた。
あるいはそれは、村崎引裂のあるかもしれない姿だった。
対して、勇者も己の切り札を切る。
「【神代回帰】」
「あはっ」
世界の法則が捻じ曲げられる。世界は彼に屈服する。全てが全て、勇者の勝利を演出するための装置に成り下がる。
「お前は殺す」
「ひどい人ね、貴方は。だから消しちゃう。こわいものは消しちゃうの」
踏み込んで、振った。冴えた剣技。少女のその身を容易く裂いてしまいそうな剣。
それに対し、魔女はステッキを這わせた。
──勇者の剣と、ステッキが拮抗する。
それは異様な光景だった。いくら中にレベルの高いものが封じられていたとはいえ、勇者の剣と真っ向から打ち合えるステッキなど信じられない。しかし現実、そうなっているのだから──魔女を知るものはその眉を顰め、そうでないものは惚けるだろう。それだけの自体に、当人である勇者は表情ひとつ動かさずに次の刃へ流れるように移行した。
だがそれも、ステッキは防ぐ。少女の矮躯に届くことを否定するかのように。
これこそが固有術式【
抱いた怨みの数だけその重みを増す。ひとつのちいさな怨みで21グラム。世界の全てを怨み、憎む少女が扱うとその重さは尋常ではない。
斬れない。そう悟った勇者は、ステッキを
勇者ですら斬れそうにないほどだ。だが、斬れないならばそれなりにやりようはあるのだ。内部に衝撃を響かせるなり、なんなりと。
柄での殴打が少女を叩いた。
「いたいっ!」
ひとつ、ふたつ、みっつ。ガンガンと頭を叩くと、少女がその度に悲痛な呻き声を上げる。
それを、勇者は無視した。殺すと決めたのだ。この程度で止まれるわけがない。これで止まるわけがない。ないのだ。
敵に容赦はしない。誰かを傷つけた人間はいずれ報いを受けるべきだ。
勇者はそんな報いの手段のひとつだ。
誰かが誰かを呪うように。誰かが誰かを悼むように。故に衝動に従うように。勇者は、どうしようもない人のために、誰かを殺す。
だから──ろくでもないのだ。こんな称号も、意味はないのだ。
「いたい、いたいよぉ」
毒色の波動が凪いだ。弾かれ、後ろに下がる体を、地面にめりこむほど強く足を打ち付けることで固定する。目に悲しみをにじませた少女が、ゆるやかにその魔力を放出した。
「……らしくなってきたじゃないか」
「……いたいよ……」
悲しみは地に落ちた。世界の全てを否定するように放たれた愛されない毒色が、【神代回帰】を侵食し、そして呑まれる。
今の世界を否定するものと、世界を味方につけるもの。
戦闘は未だ、始まったばかり。
あいにくと、頭のネジがトンでるもんでして。
「──殴られて痛い。蹴られて痛い。そりゃ当然っすよ。でもいただけないのは泣いて駄々こねてモノ壊すとこだ。何歳だお前。いつまでもガキみたいなことしてんじゃねーですよ」
既に戦線は崩壊気味だ。
──何故こうなったのか。
それは村崎引裂が途端に空へと吹き飛んだことから端を発した。
空の彼方に吹きとんだ直後に、入れ替わるようにして少女が現れたのだ。
それは魔女。かつて世界を怨み、漂白し、新しい世界を作り出そうとした魔女。──かつて勇者と戦い、半死半生のところを魔神に追放されたと聞く。
そんな魔女と戦うなど、どこにでもいるような平凡な呪術師には不可能だ。いくら最初の血族を倒した男が仲間でも、かませ役になって死ぬのがオチだ。
──と、思っていたのだが。
どうにも魔女はモブにご執心らしい。最後のひとりに残ってしまったほつれは、こうして魔女にマウントポジションを取られて首を締められている。
──呪怨ほつれは、ただの一般呪術師だ。
だが、呪術師というものはあいにく諦めの悪いものである。己の血を媒体にし、生贄に捧げ、呪いを行使するものだ。彼らの戦いは我慢比べのようなもの。怯めば死ぬし、臆せば死ぬ。常人が行かぬような場所へと一歩踏み出してしまうのが呪術師である。
だからこそ──ほつれひとりしか見ていない魔女の不意を打つには、全てが盤石すぎた。
「朽ちろ」
言葉の力を甘く見るな。それは人を殺しうる力だから。
魔女の両腕が腐り落ちた。
ほつれを掴んでいた手は、首の振りにすら耐えきれずにちぎれる。右の人差し指と中指の先を噛みちぎる。体を起こし、その勢いのまま
魔女の脇腹を半ばまで裂き、そこで静止する。
血が溢れ出し、少女が声を上げた。
「い──いたい! いたいよ、おにいちゃん! なんで!? なんで!? なんで──!?」
「……誰と間違えているのかは知りませんが、俺は貴方の兄なんかじゃない」
固めた血の維持をやめた。どろり、とほつれの血と少女の血が混ざり、わからなくなる。
少女の瞳が、縋るようにほつれを刺した。
「……あ、そうなの。そういうあそびなんだね。今日は、そういうあそびなんだ。わかったの、おにいちゃん」
「俺は兄じゃない」
「え、えへへ……ご、ごめんね、おにいちゃん。ごめんなさい、ごめんな」
「──俺を兄と呼ぶなッ!!」
叫んだ。びくりと少女の体を跳ねた。すでに涙目で、震えながらも、けれど無理やり笑みを作ろうとする姿は……見ていられない。
「ごめんなさい」
「……いえ」
「ごめんなさい」
「もういいです」
その言葉を聞いて、少女はより一層取り乱しながらほつれにしがみついた。
謝罪の言葉の羅列が流れる中、ほつれは己が師匠と呼ぶ少年に目を向けた。
魔女の腕と同じように、両腕は腐り落ちている。回復の術士を呼べばなんとか治るだろう。
その師は、少女を複雑そうな目で見ていた。
「ごめんなさい、おにいちゃん。もっとちゃんとする。するから。できるよ。わたし、できるから。やります。おしえられたとおりにできますから。……ごめんなさい、だから、許して……おしおきも、うけますから……」
「……重度のトラウマ、なのだ」少年は言った。「魔女が世界を漂白しようとした理由──なのだ。見てられない」
「……俺もですよ、師匠」
「どうするのだ?」
「……この後、場合によっては俺を殺してください」
ほつれは、少女に触れた。
「……おにいちゃん?」
「……怨め」
呪え。
少女の体が、末端から消滅していく。ゆっくりと崩壊する。どころか、周囲に散らばる力が吸収されていく。
呪怨ほつれが呪術師である最たる理由。
──彼は、その身に無数の鬼を封印していた。
力を溜め込んでしまう素養。体の中に鬼を飼って、尚正気を保つ素養。だが──魔女の力を吸うとなると、呪怨ほつれはパンクする。
「──おにいちゃん? や、やだっ! いやっ、やっ、いやっ──」
──そして、少女が完全に消滅した。
「……ほつれ」少年は彼に声をかける。返事はない。「ほつれ?」
「……ふふ」
何が悪かったかとするならば。
まず運が悪かったのであろう。
もしも魔女が現れなかったら、もしも村崎引裂がいなかったら、
もしも勇者が最初の血族をしっかりと殺したのであれば──こんな事態にはならなかったのに。
──呪怨ほつれは。
いや、彼の体を奪った最初の血族は。
己の師である少年に、その毒手を向けた。
鬼は『魔』と同じです。いろんな呼び方があるのんね。
サキちゃん、この魔女の一件がラストになると思います。今の実力はこのくらいってので、無理せず完結させていこうね。