──夢を見ない。ああ、それはいつだって甘美だから。そいつはいつまでも絡みつくのだ。そして振り払えない。私の弱さを突きつけられる。いつだってそうだ。喉元に絡みついて離れない。過ぎ去る素振りも見せやしない。
夢にとらわれる私は、結局いつまでも弱いままなのだろう。灰色の脳に火は灯らない。既に種となるものもない。
夢を見ないために現実を見た。それはいつだって悲痛だった。見続けていると、こころがどうにかなりそうだった。そんなこと、私には許されてはいないのに。
悪夢みたいだった。それはそれでも現実だった。星の下で、私ははじめて見たのだった。夢にも見た、正義の味方を。すこしだけ、羨ましかった。
両腕は枯れた。既に戦えるだけの力はない。いや、もともと全てとうの昔に奪われている。
少年──いや、呪いの龍は、自身を師だと慕う男が伸ばす手を、両腕を喪失した身で回避する。
昔ならばまだ、なんとかなった。バルガ・ゾラに力を奪われる前は。あのやろー、絶対泣かせる。そう心に誓ったのだったが、その前に彼の命の灯火が消え去りそうだった。
「まったく、ホントに出来た弟子なのだ──めんどいなぁ」
ぼやき、術を発動する。呪術に必要なのは基本的にその体だ。モノを生贄に捧げ、それを燃やす。それが呪いになる。現実に齎すものは陰湿で、残酷なもの。
故に呪い。
だが、呪いの龍には燃料がない。かつてはいくらでも燃料にくべられた。だが今は──その殆どを喪失している。
身体能力だって奪われている。子供レベルでしかない。それこそ、魔法を使わない魔法少女にすら負けるほどの。
ちっ、と舌打ちひとつ。勝算はあるといえば、ある。
だがそれは──
「……死人に鞭打つようなものなのだ」
「余裕だな、お前」
「いやいや余裕ないのだ。わりとガチで。キツイ。日を改めてくれない?」
「全員殺す」
「聞く耳ないのだぁ……」
ともあれ。
地面を踏みしめた。作製した空間に作用する。最初の魔法少女専用に作っていた空間から、彼のための空間に変貌させる。
そこは、異型の森だった。地は砂漠のように砂で埋もれ、全ての木々が死に絶え、緑はない。全て葉は散り、巨木は死んでいる。
枯れ木たちが絶唱した。
「──ごー。なのだ」
「……なるほど」
それは怨嗟だ。養分と見て人を襲う、飢えた木々どもの声。
夥しい数の枝が最初の血族の体を刺した。
力は還元される。相手から奪った力を贄とし、術を行使。両腕を生やす。
これでどうにか、切り札を取り戻すことができた。
問題があるとすれば、
(……疲れたなぁ……足痛いし、お腹いたいし……)
運動不足由来の体力の枯渇だった。
戦闘跡は甚大なものではない。結界を張っていなければ大変なことになっているだろう。なにせ、村崎引裂のときからそうだったのだ。それよりもはるかに強い、魔女との戦闘となれば、推するべし。
──勇者の剣が、空間を割って巨大な斬撃跡を残す。道路を割断し、コンクリートがめくれあがる。
怪獣大戦争かと疑うほどの破壊跡が、街に広がっていた。
ビルの殆どは倒壊し、中には遥か地中深くまでめり込んでいるものもある。木々の葉は全て散り、無惨に地面に横たわる。
その全てが人形範疇の生物ふたりの激突によって生み出されたものだとは、到底思えないだろう。それだけの破壊。
空を走り、剣を振るう。逃げ場を作らないその剣技。それを魔女が転移で抜ける。斬撃で編まれた箱が、ざっくりとガラス張りのビルを細切れにした。塵の破片を足場に加速し、魔女の首に剣が突き立つ。だが安全ピンが突き立ったと同じほどのダメージでしかなかった。首に触れる剣を気にせず、魔女が勇者の腹にステッキを当てて砲撃を放った。
轟音で、鼓膜がおかしくなるほどの砲撃。雲を消し飛ばし、あるいは月にすら届こうかというほどの砲撃が放たれ、吹き飛ばされる前にとっさに勇者は魔女の首を掴んだ。そして砲撃が己の腹を貫通していることを気にもとめず、その目に剣を突き立てる。
潰れた。それに驚いたのか、咄嗟に距離を開けられた。
お互いが血にまみれている。勇者は穴の空いた体に手を触れ、回復した。魔女は目を押さえて小さく嗚咽をこぼした。見れば、大粒の涙がぽつりと零れ落ちている。
──どうしてこうも、壊れてしまったのか。勇者は知っていた。彼女がこうなる前の彼女の事を。
彼女は真っ当な魔法少女だった。愛されるような魔法少女だった。だが、今やその面影はない。彼女自身が怨みを抱いているのではない。怨みが彼女を覆っている。
どうしてこうなったのか。
『私は、頑張ってる人が報われるべきだと思うの』
『そうですね。俺もそう思います』
自分自身が報われなきゃ、意味がないのに。
これは勇者の感情ではない。フレンの感情だ。
「──くす」
声が聞こえた。涙と血が混ざって、地面に墜ちる。
月がこぼした血のようだった。
「こうすればよかったの──ふふ、やっとわかった」
──ふと、気づいた。彼を肯定する世界がゆっくりと消えていたことに。警鐘。最強の脳みそが熱を上げるほど回転した。そして、すぐに答えを導き出す。
勇者は剣を振った。詠唱を阻止するために。だが遅い。既に術式は完成した。
──血が、広がって形を成す。複雑な紋章だ。小さな狂いでもあれば壊れてしまうような、複雑に絡まり、成立していることが奇跡である術式。
それを、彼は誰よりも知っている。己の魂に刻み込まれたような、その紋様を、誰よりも知っているのだ。
「──【神代回帰】。発動、ね」
世界の法則が塗りつぶされた。絶対優勢の法則は消し飛び、世界は互いに利をする。
だがそれよりも──この術式を盗まれたということは。
魔女を倒せる人間が限られたことを示している。
「……お前は、助けに向かわないのか?」
「あ? ああ。俺が戦う必要もねぇよ。どいつもこいつも俺より強い」
「……そうだな。お前は弱い」
「ひっでぇ」
「だがお前の強みは戦闘力ではない。どんな苦境でも諦めず、そして最後には勝利を勝ち取るところだろう」
「……親父からの遺伝だよ」
「ああ、知っている。誰よりもな」
「だからこそ心配してねぇんだよ」
「──自分の子が死にかけてても、か?」
「ちぎれた程度じゃ死ねねぇよ。俺だって溶岩に捨てられたり宇宙に放逐されたり首だけになったり異世界に飛ばされたりとか結構あったしな」
「そうか。……そうだな。体ではない。意識と、魂こそが俺たちを作る」
「ああ、だからこそ──ここで、あいつが出す答えを待つ」
「俺は戦うことにした」
「俺も戦うことにした」
「だがあいつは──」
「ああ、あの性根なら間違いねぇさ」
「共存を選ぶ。それが理想論であったとしても。それが俺の息子で、親父の孫だ」
──ここはどこだ。
時峰零時は、暗闇の中にいた。
このようなことは、たまにある。決まって悪夢を見る。そしていつも問われるのだ。
『力がほしいか?』
──と。声が聞こえたほうへ振り向くと、くらやみが彼にまとわりついた。振り払おうと手を振るが、それでもまとわりついて消えない。苛立ちにひとつ、舌打ちがあった。
『お前は、その心を錆びつかせた。守るために命を奪った。だが既に──お前が守りたかったものはない』
「……」
『お前も、解っているんだろう? 戦う意義を無くしでもしなければ、あの程度の分身に負けるわけがないからな』
「……」
そのとおりだ。認めよう。零時はわずかに目を伏せた。
いつからか大きく動かなくなった表情は、最悪なほどまずい正論の味にも動くことはない。錆びつかせたのだ。ただの高校生が、最初の血族を殺すだなんて──そんな、本来ありえないことを成し遂げたのだ。
代償がないわけがないのだ。人為的に奇跡を起こすならば、相応の代償を求められる。21グラムを失うこともあった。
いつから、日陰に染まったのだろう。いつから日常の翳りを背負ったのだろう。いつから、それでいいと思うようになったのだろう。いつから──無邪気に笑う親友の手を取ることに、躊躇を覚えるようになったのだろう。
全て彼が背負ったものだ。穢されなかったことに安堵した。自分が穢してしまうことを恐れた。見せないように、ずっと糸で縫い止めて隠していた。
──それが壊れて、少し安堵したのは何故だろう。
「力があれば、よかったのか?」
問いかけた。このくらやみは、零時の敵ではない。いつもそうだ。こいつは零時の迷いを拭うために現れる。正論の刃でもって、零時の心に先んじて傷を付ける。大きい傷にならないように。
耐性をつけるように、正論で刺すのだ。
『よかったとは言わん』
と、くらやみは言った。珍しく迷いを感じられる声音だった。
『お前に力があったとしても、変わらなかった』
「なら」
『だが、次がある』
意味がわからなかった。
『次に誰かを守るとき──お前は、同じ後悔をするのか』
「……次なんてない」
『…………』
「次なんてないんだ。俺にとって、あいつの代わりはない。俺の中で、あいつより高いものはないんだよ」
『……そうか』
くらやみとは長い付き合いだ。零時の弱さも、なにもをこいつは知っている。小さく呟かれた言葉には、同情の色が入っていた。
『……お前には次はない。戦う意義もない』
「……そうだ」
『──お前は、信じられていないんだな』
「……どういうことだ」
『そうだろう。お前は、早々に見切りを付けた。つまり──』
くらやみは言った。
『お前は信じていないんだ。自分の親友すら』
「黙れ」
『そういうことだろう。お前は時間を止めた。だから見た。半身を喪った親友を。だから諦めた。──生きているだなんて考えない』
「黙れ」
『それは、信じていないからだろう?』
「黙れと言っている」
そんなことはない。そう言ったとして、虚しく心に響くだけだ。伽藍堂のようだ。なにもこもっていない。
お前にはわからない。交わした血族の契約まで消えたとあれば──そんなの、答えはそれしか残らないだろうが。
苛立ちのまま、拳を振った。彼自身の研鑽が伺える拳だった。鋭く、速く、精度のいい拳だ。だがこんなものに意味はない。
「──お前になにがわかる」
『わかるさ。お前のことは手に取るようにわかる。──友だと想っていたのだろう? 初めて、自分の本音で話せる友だったのだろう? 命を賭しても惜しくない、そんな友だったのだろう?』
「知ったふうに言うな」
『そして──少女になった友に、わずかに惹かれた』
「そんなことはない」
『認めればいい。だからこそわずかに距離を置いた。気づかれなかったことに安堵した。どうすればいいのかわからなくなった』
「黙れと言っている」
『──あの半仙人のときだな。あのときが、決定的だった。お前はたしかに親友に──惚れていた』
「…………」
『認めたな。ずっと見ないふりをしていた。一番嫌がることだと知っていたからだ』
「…………」
──白状しよう。
彼女に惹かれたことは、確かだ。
だから距離を置いた。遊ぶときの、わずかな仕草に目を奪われる自分がいることに気づいて、それが何より気持ち悪かったことを憶えている。餌を吊り下げられるとすぐになつく、警戒心の薄い野良猫のようだった。それが時峰零時だった。
友人でいたかった。それでも、どうしても惹かれていた。命を救われたせいか。いや、違う。答えは──ただ、馬鹿なだけだった。
「……ああ、そうだ」
『…………』
「俺は、あいつのことが好きだ」
『──なのに、信じないのか』
「すり減ったんだ。俺にはもう、夢を見れない。舌も、喉も焼けて──苦味を感じなくなった。現実主義者になってしまった。──冷めた目でしか、世界を見れない」
『…………』
「魔法少女の側にいるには、一番似合わない人間だ」
言い捨てた。
だって、そうじゃないか。俺のような日陰者は、花につく虫のようなもの。
眩い光には似合わない──
「ばかやろ──ッ!!」
後ろから頭を叩かれた。
振り向くと、そこには顔を真っ赤にした、親友がいて──
「……どうして」
「こっちのセリフだよ! 気づいたらこんなで、散歩してたらなんか変なこと言い出して! なに!? なんなの!? やめろよそういうの、恥ずかしいだろ!」
零時は無言で彼女に触れた。軽く頭を撫で、そのあとその頬に触れてつまむ。引っ張るとよく伸びた。
触れられるということは幻影ではないらしい。
「あばばばばば──にゃうッ!」
殴られた。
「……本物か?」
「それ以外の何があるんだよ……」
「……そうか」
時峰零時は夢を見ない。
だから──これはきっと、夢ではないのだろう。
いつから、奇跡が信じなくなったんだろう。大人になるのは残酷で、彼が進んでいく中でも、村崎引裂は変わらなかった。いつか、置いていってしまうと思っていた。
だから。
「……な、なー……」
零時は彼女を抱きしめる。
決断しよう。
「サキ」
「……な、なんだ……?」
「好きだ」
「にゃ、にゃぇ」
「別に答えてくれないでいい。俺のただの我儘だ」
そして、その体から手を離した。
くらやみに向かっていう。
「──力は要らない。俺の手で掴むことにする」
『そうか、そうか。──それでこそ、ふさわしいというもの』
──闇が、晴れた。
世界が光に置換されていく。この空間で、初めてみる光景だ。それがなんであれ、別にいい。理解する必要はない。
時峰零時が時峰零時であればいいのだ。
体はうまく動かない。ほぼ死に体だ。いや、いっそ死んでしまえばいいとすら思っていたのだろう。彼にとって、少女はそれだけ大事だったのだ。
『──も、もう! 言い逃げしやがってこのやろー!』
すまない、と軽く心の中で述べた。
『……ま、まぁ、別にいいけど……な』
変身は解除されている。額を切ったのか、血塗れだ。腕はうまく持ち上がらない。折れたか?
腹が熱を帯びている。口に溜まった血を吐き捨てた。どうやら魔女は彼にかなり怨みでもあるようだ。全身出血している。心配の感情が、なんとなく伝わってきた。
……一心同体、というやつか?
まぁ別にいい。関係ない。むしろ──力が湧いてくるほどだ。自分の単純さに笑ってしまいそうになる。
体はうまく動かない。捻出できる力も少ない。無理をすれば死ぬだろう。だが、そう。問題はない。意志はある。ならば万全だ。
もう折れない。違えない。
なんとか立ち上がる。
どうやら、魔女はいなくなったらしい。だが代わりに共闘した男が、師と呼んだ少年と戦っている。あの気配は憶えがある。最初の血族だ。起き上がった零時を見て、瞠目している。
──そして。
時峰零時は。
「──変身」
青年は崩れない。いつだって、絶望的な戦いでも、その身を起こして戦ってきた。
──それは、誰かの目には。
いつか求めた、正義の味方のように映ったのだった。