正義の味方はいない。冷めた意見かもしれないが、それは絶対の法則である。なぜなら正義というものは人により姿を変える風見鶏であり、各々がそれぞれの正義でもって戦っているからだ。復讐鬼だってそうだ。だれに関わらず、戦闘には理由がある。単一の正義というもので縛れはしない。それができる人間がいるのなら、それはきっと嫌われものだろう。
いつだってそうだ。正論は耳に痛い。頭を焼く。体を木っ端微塵に壊してしまう。だから、絶対的な正義という正論は、きっと誰にとっても痛いのだろう。
受け入れれば、
壊れてしまう。
それはだれに限らずそうだった──あの勇者ですら敵の敵だ。絶対的に不変な正義の味方には成りえない。だが、結果として正義の味方が誰か? それを上げるのなら勇者・フレンが上げられるだろう。
いつだってそういうものなのだ。救われたから、多くの人の正義に衝突しないから、だからこそ勇者は正義の味方と扱われる。
だがそれは、頭の固い意見にしか成りえない。いつもそうだ。大人は狡く、悟ったような言葉で本心を覆い隠す。中途半端に現実主義で、いつかは自分も嫌ったかも知れないそれに成り下がってしまう。変わらないものはない。人は変わっていくものだ。だからこそ、村崎引裂は眩いのだ。純情で、擦れて曲がることはない。彼は彼のまま純粋に成長する。それがどれだけ難しいか、察することすら難しい。大人は自分を顧みれない。気づいたときには、既に手遅れなのだ。
人はすぐには変わらない。だが──それでも。それでもだ。
影響され、少しだけ変質することはできる。
いつのまにか変わってしまう誰かも、いつかは。
「お前は、いつもいつも私の前に──!」
もはや死にかけだ。その顔を覆う仮面すら、生成できるエネルギーもない。半ばで割れ、血に濡れた時峰零時の顔を外気に晒している。
呪いの龍はすでに力尽き、その結界を維持すらできていない。意識を喪っていないのは最後の意地だろうか。幼き子供程度の身体能力しかないのにひとりで持ちこたえたのは称賛に値する偉業だ。触れたらアウト、という状況なのだ。
──最初の血族の能力は、触れた相手を自らの制御に置くものだ。廃棄からなにまで自由自在。つまり、相手は触れた相手を自由にできる。故に即死の敵。ゲームで出せば酷評不可避の能力。それが最初の血族のものだった。
対して、時峰零時の能力はそれと限りなく相性がいい。時間の停止で逃げられるからだ。
能力の燃料はお互いに意志。焚べる感情次第で、その能力の制限は決まる。故に、
今の時峰零時にとって、時間は障害にならない。
静止した時間の中。時峰零時だけがこの世界を理解できた。
──いや、彼の中にいる少女もだ。
『……すげー』
「そうか?」
『うん。水の中みたい』
「そうか」
たしかに、時間という流れの中でとどまるというのは水中にいるにも似た感覚だ。言われてみれば、理解できる。
水の属性を持つ彼女だからこそ、そのたとえが浮かんだのだろう。零時にはない視点だ。
「サキ」
『……なに?』
「聞いておこうかと思ってな。──お前は、こいつを殺したいか?」
『……え』
指差し、聞いた。止まった時間の中、固まって動かない最初の血族のことだ。
零時は人殺しだ。既に人をひとり殺している。誰かのために戦う人だった。共闘したこともある。最後は海に沈んで死んだ。それは零時のせいだ。
──この時間停止は、そのときに芽生えた力。最初の血族を殺すために生まれた。零時の力。起源がそれだ。殺意で生まれた力だ。
『……わかんねー』微かな間のあと、彼女はいう。『でも、殺すのはよくないと思う』
「何故だ?」
『向こうにも理由があるのかもしれないし』
「その理由がなかったときは?」
『…………』
「理由があったとして、それで殺さない理由になるのか?」
『……わかんねーって』
「人は殺すぞ。意味もなく。なんとなくで人を殺す。なんとなくが人を殺す。この世界で、一体何人の人殺者がしかと理由を持って人を殺したんだ? あるいは一切の理由はない。俺ですら、殺した理由なんて俺のためだ。正当な理由にはできまい」
『…………』
嫌味な言い方だ。自覚している。正論の味は苦いということは、何よりも彼が知っている。
『正論?』零時の思考に、ふと少女が声を上げて割り込んだ。『正論なんかじゃねぇよ。それは対話の放棄だ。やってみる前から諦めるなんて、そんなの嫌だ』
「それで危険に晒されたら?」
『踏み壊せばいい』
それは強いものの考え方だろう。余計に自分に傷を付けるだけだ。特に、理想を抱いた彼女へと。
身勝手な信頼。だがそれも、らしいといえばらしいのだろう。それで裏切られたとして、きっと少女は受け入れるのだ。信頼とはそういうものだ。
『……別にそんなんじゃねぇけど。何もしないで見切りをつけるのが嫌なだけ』
「ああ。ならばそうしよう」
『……え?』
少女がぽかんと声をあげた。
「そもそも、俺のほうから言い出したんだ。お前の意見に従うよ」
『えぇー……さっきのは何なんだよ。俺、なんであんなに聞かれたの……?』
「好きなヤツには悪戯したくなるんだ。悪かったな」
『ぬぇ』
今度は素っ頓狂な声だ。零時には顔が見えないが、きっと変な顔で顔を真っ赤にしているのだろう。熱でとろけそうなほどに。餅のようによく伸びるかもしれない。
だが、そうか。ならそうしよう。
だから──時峰零時が求めるのは、対話の力だ。相手との話し合いの土台をつくる。それが彼の、掴み取るべき力。
大人は正論ばかりだ。よく知っている。そういう狡い大人に成り下がったのは自分自身だ。だが、自分が大人だからこそできることもある。いつだって、子供の我儘に付き合って、責任を取るのは大人だろう。
理想論にだって、乗っかってしまえばいい。そういうものだ。若さは過ちを招く。そして牙を失う。だが、大人はその過ちを肩代わりしてやれる。
違えたときは怒ればいい。
いつだって、世界はそういうものなのだから。
「──故に最愛の人の君へ」
心を決めれば、それでいい。
ああ、子供に引かれ、どこへだっていこう。固まった脳みそは解けた。新しい見解はいつだって
仮面は要らない。涙は流さない。そして、自らの醜い心を隠すものは要らない。
たまには子供らしくやってやろう。初心に帰るのも大事らしいから。
「──このっ、色男が──!」
「……は? いや、おまえはなにをいっている」
時間の停止を解除した途端、最初の血族の手が伸びる。回転寿司のレーンを出てきた瞬間に取るようだ。相手が感情をむき出しにしており、子供らしさを垣間見たからだろうか。
その手の側面を叩き、零時はもぐりこんだ胴体に、小さいモーションながらそれに似合わない威力を伴う拳を放つ。研鑽の拳だ。固めた拳はあたかも鉄塊。刃物が風を斬るような鋭さで打ち込まれた拳は、呪怨ほつれの存外大柄な体の内部まで衝撃を通す。
だが相手はそれに怯まない。この程度のダメージは慣れっこなのだろう。零時だってそうだ。いつのまにか、痛みに鈍くなった。打った自らの拳の痛みを感じることもない。お互いそうだ。そんなお互いが取った攻めの姿勢は、ふたりに蹴りを選択させる。
お互いの足がぶつかりあい、加速のぶん零時がわずかに打ち勝った。だが姿勢を崩しそうになったとみるや、最初の血族は手を差し伸べる。倒れることに一切の恐怖がない。そんな思いはとっくに凍結している。
決して触らぬように、零時は退いた。
「ちっ」最初の血族が、忌々しげに舌打ちする。「いっつもそうだ! お前はいつだって……くそッ!」
「なにか言いたいことがあるならいえばいい。戯言ならば聞かないが」
「ああそうですか! なら言ってやるよ!」
きっと、頭に血がのぼっていたのだろう。その気持はよくわかる。心臓が壊れてしまいそうになる。それが酸っぱい叱責の味だ。そして過ちの味は
よくわかる。時峰零時には、その感情がなによりもよくわかる。
だが彼が共感できたのはそこまでだ。なによりも、彼は人の精査な感情なんか理解できはしなかった。同じ景色を──共有できなかった。
「私は──お前が、羨ましい……!」
「……は?」
予想外の言葉に、時峰零時は停止した。
時を支配する彼のほうが、まるで時間を止められたかのように停止した。相対する最初の血族は──上っ面ではない。奥に隠れた、少女の想いを隠していた扉を、己の手で開く。それはまるで幼子のようだった。
自身を世界に明け透けにした──純粋な、幼子のようにしか見えなかった。
「だって、だってずるいじゃないか……だれかのために戦えるなんて、そんな理由があるなんて、そんなの……」
迷い子のように揺れる瞳。しかし、その主が繰り出す手腕はまさに苛烈──相当に肉体の制御に長けている。
だがどうにでもできる。
感情任せの腕は読みやすい。
「私には何もないのに──!!」
──そして、相手は新しい方法を取った。このままじゃ埒が明かないと思ったのだろう。
地面に触れ──そして、
術式の拡大解釈だ。触れた者を制御する→触れたものを制御する。一部の置換だが、その能力の干渉域ははるかに増す。人から万物へ。
だがそれでも、意識して操れるものには限界があるのだろう。土塊は固めた拳を、零時めがけて打ち下ろす。それを迎撃しようとして、
『触っちゃ駄目!』
即座に回避に変更する。
『術式の拡大解釈で──あれも腕の一部になってる』
「まったく、面倒だ」
どうする? 殺さずに撃破するのは。どうすれば対話の舞台にあげられる?
考えろ。先程の言葉はなによりも雄弁な判断材料だ。なにせ饒舌に、相手自身が述べた言葉だ。考えるのだ。
──そして、相手と同じ景色を共有できない程度の冷めた脳みそが導き出した答えは。
「わかった」自信はない。だが自信満々に突きつける。「お前、寂しいんだろう」
「──────」
──途端、土塊が自壊した。木っ端微塵に砕け散った。それは操作していた相手もそうだった。最初の血族のこころは図星を刺されて木っ端微塵に砕け散った。頭が真っ白になったという顔をしている。
「……どうして?」
「どうして、私がわかった?」
「俺にはわからなかったさ」
「じゃあなんで」
「俺にはわからなかった」零時は変身を解いた。すでに必要はない。「お前が教えたんだ。最初から、ずっとヒントを出していたもんな」
「そんなことは……」
少女は、そこで言いよどんだ。その先に続く言葉が出てこなかったのだろう。
「ひとつわかったらあとは全部解ける」
何故彼女が始まりの術式を求めたのか。
「──お前は昔、神になると言った。その理由は?」
「……ぁ、う」
「愛したかったんだろう。愛されなかったから、愛したかった。でも本音を言うことが恥ずかしくて──だから言えなかった」
図星ふたつ。今度は、彼女の頭が弾けた。熱でどろりととろけるようだった。顔はもうすでに真っ赤で、とろりと落ちそうなほど。
「あ、あうあうあうあうあ……」
「ああ、よくわかる。俺だって、自分の本心を隠し続けたからな」
「……お、おまえも」疑問の声のようだった。「おまえもそう……だったのか?」
「ああ。だがお前のほうがひどい」
零時は切って捨てた。じとーっとした視線と感情を感じる。
「──お前らは、よく似ているよ」
その言葉の意味は、きっと、最初の血族にはわからなかった。
似ている。最初の血族と、村崎引裂は。ただ、前者のほうが素直になれなかったというだけで。
「……お前、名前は?」
「……私は」
問いへの返答は言いよどみだった。果たしていくら待ったのだろうか。一秒か、一分か、一時間か。さてはわからないが、待ち──ようやく、最初の血族は言った。
「アグニスクリス」
「そうか。それが真名でも偽名でもどっちでもいい」
「うぐっ……」
わずかな間。
「ほんとは名前なんて、ない」落ち込んだ声音で少女は言った。「私は生まれたときからひとりぼっちだったから」
「そうか。ならば今の名前が真名だ。よろしくな、アグニスクリス」
「やっぱ長い。クリスでいい」
「……わかった。よろしく、クリス」
そして、零時は手を差し出した。それは零時がしようと思って差し出した手だ。
少女は、それの意味がよくわからないようで、まごついてその手を見て、おずおずとその手を自らの頬に当てた。
「違う」
「ち、違うのか。そうか」
「手を重ねるんだ。こうやって」
そして、零時のほうから少女の手を取った。彼女はすぐにその手を引っ込めようとするが、しっかりと零時を握っているからどうしようもない。触れ合わせる。
「…………」
「…………」
「……はじめてだ」
彼女は言った。
「私、誰かの手を握るの、はじめてだ」
「そうか。ならこれから増やしていけばいい」
「──」
ややあって、少女は言った。顔に笑みを貼り付けて。
「……そっか」
「奪ったぶん優しくしろ。それが償いになるとは死んでもいわないが、憎しみが続くより遥かにマシだ」
──人殺しの自分が、真っ当に死ぬとは零時だって思わない。だがそれでいい。いつか惨たらしく死ぬまでは、誰かのために生きていればいい。
「なあ」
「なんだ」
「……いいや、なんでもない」
なにが言いたかったのだろうか。
けれども、悪いことではないだろう。彼女の顔は笑っていたから。
『ふーん。俺のことが好きだっていったのに他の女と手ぇつないだりするんだ。ふぅーーーん??』
「いや、ああするのが最適だと思ってだな、他意はないんだ」
『つーん』
(くそ、俺にどうしろっていうんだ……ちょっと嬉しいぞ……)
『……へんたい』
「違う」
『さっきからずっと言い訳ばっかり。大人がどうとか、子供がどうとか。自分がどうしたいかで語れよつーん』
「……わかった」
『にぅ』
「照れるなよ」
『…………へんたい』
「待て。今のはお前の自業自得だろ。おい。おーい?」
『……ひみゅぅ』