ざらついた空に手を伸ばしてみる。
空は遠く、とても遠くて、いくら伸ばしたって触れそうにもない。
わたしは小さく息をついた──お父さんも、お母さんも、帰ってこないから。
わたしの世界に、ふたりはいない。部屋と、わたしと、お兄ちゃんだけですべてが完結してしまっている。引き伸ばされず、そして自ら引き伸ばすつもりもない。
そんなわたしの小さい世界は、ある出会いによって壊された。
「……はじめまして」
「うん。はじめまして、なの」
それはあまりにも突然だった。
お父さんも、お母さんも、そしてお兄ちゃんだっていなくなってしまった冷たい部屋。わたしのからだより大きな洗濯物を、引きずらないようにがんばって運んで、ベランダから取り込んでいるときのこと。
空から、男の人が落ちてきた。
「……あ、あはは……」
「あなたは……?」
彼は、ベランダの中に降りて、わたしの目を見てから、
「ごめんなさい! 怪しい人じゃないんです!!」
そういって、土下座をしたのだった。
おもちゃや、ゲームや、裁縫道具。絵本にケータイにパソコンにテレビ。そのどれもがわたしに与えられた、わたしの部屋。それでもわたしのほしいものはない。
その『ほしいもの』は、空を連れて、わたしの前に来てくれたのだった。
彼の名前はバルガ・ゾラ。
わたしの世界を広げてくれた、こころやさしい龍王さま。
「■■は、この家にひとりなのかい?」
「お兄ちゃんがいたけど、遠くにいっちゃった。お父さんとお母さんは忙しくて、夜にしか帰ってこないの。だからいっつも、わたしだけ」
「ふぅん。君の年なら学校とかに行ってそうなものだけど」
「ああ、それは」
わたしは、ゾラに「みてて」と言った。引っ張ってきたのはハサミ。それで、自分の指を切った。
ゾラは慌てて私の手をとったけど、それをとめて。すぐに変化はやってきた。
切ったところが、みるみるうちに治っていった。
「これは……」
「ね。こんなの、こわいからって、いかないようにしたの」
「なるほど、風水みたいなものだね。体の配列事態が術式になってるから、勝手に治癒術が発動してる。」
「……?」
どこか、納得しているみたいだった。
驚くとおもってたのに。すこしだけ、複雑なきもちになった。ふくらんだわたしの頬を、ゾラがつついてきた。わたしの口から空気が抜ける。
それをみて、ゾラは笑った。むぅ、空から落ちてきただけあって、このくらいはそんなに驚くことじゃないのかな。
にやついた顔でゾラは「ごめんごめん」といった。
「すごい才能だね。僕も長生きしてきたけど、こんなに治りが早い人は久しぶりだよ」
「……わたし以外にもあったこと、あるの?」
「一応ね」
なんか、そう言われるとショックだ。わたしだけだと思ってたのに。
せっかくの「特別」が、意外とありふれてると聞かされるとき、人はこうにも落ち込むものなのか。
「その特性を持ってた人は、だいたいが目覚ましい活躍をしてた」
「目覚ましい?」
「ああ、すごいってこと。教科書とかに載った人もたくさんさ」
「教科書……」
それってすごいのかな? 首をかしげたわたしに、ゾラは「あー」、と困った様子で。
「テレビとかにも出てたりするんだ」
「すごい!」
「だろ? だから、■■のそれは立派な才能だよ」
「でも、他にもいるんでしょ?」
「そうだね」
「そっかー」
落ちこんだわたしを、ゾラが笑って慰めた。
「大丈夫だよ。たくさんいるわけじゃないし……君は、まだこどもだ。未来がある。どこにだって行けるし、何にだってなれるんだ」
「……こども扱い、しないでなの」
「こどもは嫌かい?」
「うん」
ゾラは、「そっか」といった。どことなく悲しそうな、そんな声だった。
「でもね。こどもは悪いことじゃないんだよ」
「……どうして?」
わからなかった。お父さんとお母さんは大人だ。お兄ちゃんだって、最近大人になった。お兄ちゃんはきらきらしてた。
ゾラは、こどもにどこにだっていけるというけど。
わたしからしたら、大人のほうがどこにでも行けると思う。
「■■。忘れないでほしい。君は──」
ゾラは。
そのとき、なんて言ったのだっけ?
それから、ゾラとの交流が──しばらく続いて。
楽しいときは、永遠に続くと思っていたわたしに、ゾラは言った。
「しばらく会えそうにないんだ」
ステッキを抱きしめて、わたしは眠った。
『僕は会えないけど──代わりに、これを■■にあげる』
なんて、最後にゾラは言った。いろおとこめ。やさおとこめ。
男ってやつは、ほんと勝手だ。テレビの人が言ってたことが、よくわかる。
ぎゅっと胸に抱いて、わたしは眠りについたのだった。
そして、わたしは空を飛んだ。
その日、わたしは魔法少女になった。
振り払う。過去は変わらない。全て幻想だ。
「それで──こんなもん見せて、何がしたいってんだ」
俺は言った。その言葉に苦笑したのは俺と心を同じくしている龍王だ。
「君はほんとに……強い人だ。だからこそ、わからないこともある」
バルガ・ゾラが、俺の前に立っていた。
体がちぎれ、魂に傷がついた。そのまま死ぬのを待つだけだったのを、メルが引っ張り上げた。
だからこそ、今の俺は幽体だ。心だけと言ってもいい。あるいは、損傷した魂は直しようがないから──既に、俺は村崎引裂とは言えないなにかになってしまっているのか。
記憶は、ある。心もある。
だが、それが完全に最初の──普段の俺と同一である保証はない。
けれど、そんなのはどうでもいいのだ。
別に俺が村崎引裂でなくたって──俺は俺だから。
「お前はなんで俺をここに呼んだ」
「君に聞きたいことがある」
「さっきのやつが関係してるのか?」
「そうだね」
ゾラは、昔を思い出すように、目を伏せて。
「僕は、君が彼女の敵になるなら──死んででも止めるよ」
「……なるほどな」
つまり、ゾラは味方をしたいというわけだ。
下を見た。そこには、勇者と戦う少女の姿がある。
「俺に勇者の敵になれって?」
「……そうなる」
「どころか、父さんの敵にもなるかもしれない」
「…………」
「まぁ、これを呑むヤツは馬鹿だろうな」
「…………そうか」
「手伝ってやる」
そういうと、ゾラが呆けた顔を晒した。
ちょっとおもしろい。
「……本当かい?」
「……まぁ、な」
「勇者と戦うことになるんだぞ?」
「それでもいい」
「どころか──世界中が敵になるんだぞ」
「誘ったのはお前だろ」
ってか、世界中が敵って……そんなレベルかよ。びっくりするんだけど、なんで俺がそんなのに巻き込まれてんだ。
だが、決めたのだ。
さっき見た記憶の中の彼女は、ただの少女だった。そんな少女が、今──目で見てわかるほどに歪んでしまっているのは、きっとそれだけのことがあったのだろう。
だから、あれは本質ではない。
彼女の本質は──ただの少女なんだ。
「歪んだ在り方を正位置に戻すのが、俺の魔法少女としての役目だからさ」
「……そうか」
「…………」
「そうか……いつの間にか、忘れてたんだろうね──僕も」
「なにを?」
「願いを叶える方法」ゾラは言った。「彼女に言った、『こどもらしさ』さ」
そして勇者の前に姿を現し、少女の代わりに斬られた。
その衝撃で体は完全に死んだが、意識だけは残っている。新しい体を作るには力が足りない。メルの顕現にも似た莫大な魔力を必要とするのだ。
復活のために、親友の体の中にしばらく留まっておくことにする。
ゾラと俺の繋がりは切れていない。勇者が本格的に動く前に、俺が復活して──彼女の味方として、その歪みをほどく必要がある。それが俺の、選んだ道筋だ。
「サキ」
「なにー?」
「呼んだだけだ」
「ははは。……オイ。付き合いたてのカップルかってんだよ」
──まさか、親友から告白されるとは思いもしなかったが。というか煉瓦さんのときあたりから意識してたってマジか。としたら、一緒に24時間耐久モンハンの途中で俺が寝落ちしたときとか、……なにかされてないよな?
……ま、いいか。されてたとしても親友だし。
「夢の中で話すっていうのは、不思議なものだな」
「まぁ……俺も普通に生きてたら、こんなことはなかっただろうなー。昔読んだ小説でさ、夢の中でつながるーみたいなやつみたよ。……」
いらないところまで思い出した。たしか、他人の夢につながった主人公が、その夢の主である誰かを犯すという描写があった。
さて。
いまこの状況で、
「……サキ? どうした、顔が赤いぞ」
「風邪かなー」
「意識にも風邪ってあるんだな」
「人の体調って、結局気の持ちようみたいなところがあるんだよ。嫌な気分なら連動して体が重くなったりね」
「そうか。それでサキ」
「……ん、なに?」
「なんで顔が赤いんだ?」
「……ないしょ」
そう言った俺に、親友が笑った。
「なぁ」
「なに?」
「お前が俺の考えてることがわかるように、俺のほうにもお前の考えてることがわかる」
「えっうそッ!?」
「ほんとほんとー」
「…………へんたい」
「つまり、そう言われるようなことを考えてたのか」
その言葉に、雲を掴んで投げつけた。綿のような触り心地だった。夢だから、こんなこともできるのだ。次に引っ張ってきた雲から雷を落とす。
「……謀ったなぁ……! へんたい! 同性愛者! 変質者!!」
「言い過ぎだろ」親友は、俺の両手を片手で掴んで。「それにお前、自分が男だって思ってるみたいだけど……」
そしてちらりと髪と、服を見た。
「気づいてるか?」
「なにに!?」
「お前、食事のときとか髪がテーブルに乗らないように手で退けたりするし、ズボンよりスカートばっかり履いてるし、
「にゃ、なにゃなななんっなにを」
まずい。
この体勢、頭おかしくなる。
「……なんてな」
「このやろー」
あっさりと手を離された。
なんとはなしに敗北感。とはいえ、言われたことはなんとなく自覚はしているのだ。意識だけのこの状態でも体はいつもどおりの魔法少女のものだし、自分が女子の姿を基本だと認識しはじめてきていることは間違いない。とはいえ……それを突きつけられるというのは、思った以上に気分がよくないものだ。
むっとした俺の頬に、親友が触れる。そのまま引っ張られた。ここは夢のなかだから、際限なくぐいっと伸びる。痛みはない。ただ、不格好だ。伸び切った頬を両手で押し戻していると、親友が「真面目な話をしよう」と言って空中に胡座をかいた。
「どうするんだ? どうやってあの魔女を止める?」
「そこなんだよなぁー……」
親友には、事情を教えてある。そして共犯者になってくれた。場合によっては勇者と戦うことになると言ったが、それも了承してくれた。
だが、もともと俺の肉体の性質由来の血族の契約は消滅した。そして復活した俺と再契約できる保証もない。血族は基本的に無性生殖とはいえ、虚無からそれを再現できるかといえば答えは難しい、である。
だからこそ、以前みたいなパワーアップは期待できないし、親友は戦いの中で命を落とす可能性もある。これが意外と引っかかる。
「一応、案はあるんだよ。固有術式の性質を反転させて、祝福の方向にする。固有術式は本人の性質によって変わるから、逆説的に固有術式の性質が変わったら本人の性質も変わる──ことにできると思う」
「だが、意思のない術式だろう。できるか?」
「穴が大きいよなー、これも。それか、こっちのこころを開放して伝える。こっちも穴は大きいし、危険度は高いね。逆に俺が飲み込まれるかもしれない」
「それに、向こうが乗ってこなきゃ意味なくないか?」
「ほんとそれ……」
まぁ、俺が飲み込まれないようにする方法はあるのだが。
それはちょっと恥ずかしいというか……なんというか、親友に依存するものだし。ただ危険度を下げられるのなら、親友はきっと乗ってくるだろう。しかもたぶん、喜んで。
問題があるとしたら俺のほうなのである。……恥ずかしいし。
……まぁ、一応言っておこう。
喜んで乗ってきた。くそぅ、こいつに恥の感情はないのか。
「……俺の新しい能力がどうなるか次第で、手札も変わるか」
「んぇ? なにそれ?」
俺、そんなの知らないんだけど。いつの間にそんなものを……?
「まだ種だけどな。俺次第で、どんな能力にもなるふたつめの種だ。俺の時間停止も、同じように生まれた能力だった」
「ほえー……なるほどな。親友はどうなると思う?」
「さて、どうだろうな。なにかを殺す力かもしれないし、なにかを生かす力かもしれない」
そう言って、親友は笑った。どことなく──そうはならないだろうと思っている顔だった。
「物は使いようだ。世界を壊す力だって、振ってくる瓦礫から誰かを助ける力にできる。結局のところは……そうだな。自分がどうするかにかかってるんだろう」
例えば、悪用すれば大変なことになる力はたくさんあるけれど。それも人のために使えれば、良い力になる。
こころの問題だ。
お互いの正義があって、どうしようもなく対立することもあるけれど。あるいはお互いに譲りあうことだってできる。譲って。譲られた側が今度は譲って。
そんなこころのことにさえ、見切りをつけたくはない──話し合いで解決しないと、最初から諦めるようにはなりたくない。当然、うまくいかないこともあるだろう。だが排除するということを最初から決めてしまうのは、それは違うのだ。
諦めることでしかない。
「なら、親友はどうしたいんだ?」
「手をつなげる力だ」
即答だった。
「きっと、それが一番いいだろうから」
「……ふ」
「笑うことか?」
「ぬぇ」
にやけた俺の顔を、親友の手が掴んだ。すっぽりと俺の口が覆われる。ほっぺがぐにっと押しつぶされた。
噛むぞこのやろー。
翌日。魔力もかなり回復してきて、体を再構成するまであとちょっとというところ。
俺は親友と一緒に意識を召喚されていた。その体はデフォルメのようになっていて、二頭身で頭が重い。手足は小さく、動く感覚がかなり違う。意識体だから、意志で動いたりもできるが──体の感覚がまるきり違うのは、やはり違和感だ。
周囲を見た。暗い。光は小さい。振り返ると、青い球体があった。その中に、ぽつりと大陸が見える──あれ地球か。それが見えるということは、ここは地球じゃないらしい。
とんでもないところに召喚されたものだ……と思いつつ、地面のでこぼこの中心で寝転んでいる少女を見た。困った様子で彼女を膝枕しているのは、体を取り戻した災厄の龍王ことバルガ・ゾラだ。
「きたの」
と、言って、少女はこちらを手招いた。デフォルメサキちゃんと化した体で近づく。
彼女は不思議そうに親友を見て、ちょんとその頭を指で突いた。ふらつく親友。ちょっとだけ好奇の色が少女に見えた。どうやら彼女はこの二頭身ボディが気になるようだ。同性だと思って気を許しているのか、そうではないのか、俺の体を次はつんつんと突きはじめた。衝撃にすぐ転びそうになる。不便だ、この体。
「……それで、どうしてここに呼ばれたんだ?」
「ん。そうね。地球上で私に好意的な人の意識を召喚したの。私をかばってくれた貴方はいると思った。こっちのひとは?」
「俺の親友」
「そうなの?」
「うん」
少女のその手の中で、まるでハムスターかのように指で頭を撫でられ続ける。髪に触れる手はどことなく楽しそうだった。
「それで──」少女は言う。「貴方たちは、なんで私の味方なの?」
「誰かを殺しておしまいより、全員が笑えるような世界のほうがいいだろ?」
「……そう」
俺の言葉に、彼女は気まずそうに顔に陰を落とした。
「……私は世界を漂白するの。貴方はそれを許せる?」
「それ、どうしてもしないといけないのか?」
「だって、嫌なの。すごく、すごく憎くて、怖いの。私をこんなにしたやつが、そんなのがたくさんいることが」
「……なにがあったんだ?」
「知りたい? いいよ、教えてあげる」
そして、少女は俺に夢を見せた。
それは、幼い少女を壊した日々の記憶。
──それは、見ていて吐き気がするような光景だった。
休みのない蹂躙の記憶。あるいは、拷問のようでもあった。遊び半分で壊されていく、少女の体の中に作られたそれは、最初の誰かの思惑によって形作られるはずだった中身が消されてしまった。
それが決定的だった。それまではかろうじて耐えていた少女の心臓は木っ端微塵に砕け散った。ぐずぐずに溶けて死んだ。
その日、少女は魔女になったのだ。
──圧縮された記憶。それを見て、それでも俺は言った。
「……お前のことを守る。だけど、世界の漂白はさせない」
少女は、困ったように「そっか」と言った。
──黒の流動。それは可視化した呪詛。幼い心を憎しみに染めて、少女はふらりと起き上がった。
「じゃあ、私の邪魔ができないように認めさせてあげるの」
殺意はない。それもそのはず、これから始まるのは意志のぶつけ合い。
お互いの心をぶつけあって──それでも尚、自分の想いを保てるほうが勝利する戦いだ。
「させるか。むしろ認めさせてやる」
そして、こころとこころが混じり合った。