灰色は恐ろしい。いつだって側にあるからだ。
恐ろしいと思ったことが、多くあればあるほどに、そいつは強度を増す。やがて現実すらおおいかくしてしまう。それに怯えれば、また終わらない──永遠に続くかのようにも思われる。
その想いから抽出された想いが、俺を焼いた。体が焼ける。だが俺の属性は水。逆にその火を取り込んで、魔力を吸収する。そしてその魔力をメルに与えた。そしてこれで、俺が復活するに足りるだけの魔力を吸収できた。当然、その後の戦闘にも耐えうるほど吸収はしている。
「とう!」
そして、俺は二頭身のミニマムボディから開放された。幼女・村崎引裂だ。いや認めたわけではないが──ともあれ。デフォルメ体だった先ほどまでから、この普段の姿に変化した意味は簡単だ。
『──否定する』
俺の向かって飛んできた怨念を、
──そう。俺は、再構成した体の中に親友を取り込んだ。意識の共有。心の同体化。それこそ、肉体を再構成した理由である。
「わかってほしいの」
「すまんな、俺もこれは譲れないんだよ──俺が俺であるために」
激突した。
心と心が衝突する。相手の感情が流れ込んでくる。相手の、俺に対する感情が浮かんできた。それを感じて、すこし笑ってしまう。そんなことを考えていたなんて、やっぱり本質はただの少女じゃないか。
それを歪めているのは──強迫観念か。
死ぬ前に死んでしまった──悪意に殺された、子供に詫びるための。
一瞬引っ張られかけた意識を取り戻し、魔力で体を前に飛ばした。今の俺にはステッキの補助がない。だからこそ、できることはメルの性質を扱うことだけ。だが、ただの魔力操作ならできる。魔力で体を編む行為は、それだけ精密な魔力操作を要求されるのだ。
肉体が死んだときから、意識だけの体になりより魔力への理解が増した。
今の俺は、死ぬ前よりも強い。
「転生力か……!」
ゾラがちょっと理解のできないワードを呟いた。なんだそれ。向かってきた彼女の魔力と、俺の魔力が混ざる。先程の俺の困惑が伝わったようで、彼女がくすりと笑った。
『ゾラって、昔から変なことばっかり言うの』
『だよな! あいつよくわけわからんこと言うよな!』
彼女にもあいつと過ごした時間がある。お互いに伝わるその想いが一致し、お互いに目を合わせて笑う。
自己紹介は必要ない。それよりも、こころのほうが雄弁だ。
──衝突した。
暗い記憶だった。つらい記憶だった。ただ、蹂躙される少女の記憶だ。何度助けを求めたのかもわからないほどの、長かったか、そうではないか、しかし永遠にも思える責め苦の記憶。
それに、一瞬呑まれそうになる。だが歯を噛み締めた。違う。これは俺じゃない。俺ではなくて彼女の記憶だ。
俺の記憶を見た彼女は、悲しそうだった。その想いが伝わってきた。その気持ちはよくわかる。俺だって、逆の立場であれば同じように思っていただろう。いや、思っている。俺は、俺自身を羨んでいる。
自我が溶けてきた。まずい、飲み込まれる──と、思ったところで、誰かが背中を押した。
──いや。気のせいだ。押されてはいない。けれど、伝わってきたものはある。
『私と貴方の違いは、そこなのね』
『ああ、よくわかってるよ。俺は人に恵まれた』
『もし私にも、貴方みたいに助けてくれる人がいたら──』
『……今からじゃ、遅いか』
『……んふ。その気持ちは嬉しいけど──そこから先は、私を止めてからなの』
『ああ、じゃあそうするよ』
──俺の、村崎引裂の性質とはなんだろうか?
属性は水。特性は純粋。あるいは、誰かに意味を与えるもの。
なら性質は?
村崎引裂とは、一体なんなのだろうか。それが持つ性質は──
『────』
流れてきた。その想いに、思わず笑ってしまう。だがそうだ。たしかにそうだ。俺はそういう存在なのだろう。ならばそうする。
村崎引裂が、俺が関わってきた全てがそれを肯定した。
いつかに出会った男は、仙人になった。そして念願の再開を果たしたらしい。そこには、大きな鶴が寄り添っている。あの鶴ははるか未来から来て、そして──長い時の間、会えなかった。その在り方を見失うほどに。俺の魔力で起動し、ネジ曲がったままに暴れまわる。それがどうしようもなく悲しくて、俺はそれに対して同調して……その在り方を、変質させたのだっけ。
正位置は祝福。悪感情の反転は、祈りに咲く。
春の竜もそうだ。正位置は祝福だった。
俺は術式の在り方を、誰かの壊れてしまった祈りを祝福に変えた。
それが俺の祈りなのだ。
故にここに断言する。村崎引裂の──俺の性質は、祈りだと。
遡る。遡る。お互いのすべてを明かすために、全てが遡られている。
──激突。
『わたしはね、大人になったら……誰かのためのひとになりたいんだ』
『へぇ……でもそれって、今じゃ駄目なのかい?』
『……ばか』
『えっ、なんで!? 僕なにか間違えたかい!?』
『わたし知ってるよ。ゾラみたいな人のことを、いろおとこっていうんだよね』
『違うと思うよ、モテた試しないし』
『……ばかだもんね』
『なんで!?』
「「あははは!!」」
お互いに、笑った。目が合わさった。まるで幼馴染であったかのように、昔からいっしょにいたかのように、俺たちはお互いのことをよく知っている。
これは、ただのじゃれ合いだ。どこでもよくある、くだらない意地の張り合いだ。ある意味で互いの正義を確信し、相手の正義に『確かに』と思いつつも、謝ることは自分から言い出しづらく、相手から言い出されることを待っている。
ゆだった頭で、意地を張り続けているだけだ。
『サキ』
──わかってる。あくまでも感覚でしかない。だがお互いを明け透けにして、相手に直接伝えているから、感覚としてはその程度のものになってしまっている。
それがいいことなのか、悪いことなのか。
でも、俺は彼女の事がよくわかっていいことだと思った。だから──
激突。髪の毛が舞って、重なった。
お互いの意識が混ざる。ふたつがひとつになりかける。思わずそれを受け入れかけた。自分が村崎引裂なのか、彼女なのか、わからなくなりそうになる。メルが咥えてひっぱり上げた。親友が頭を撫でた。その感覚で、俺は自分が俺であることを思い出す。
『■■』
『──っ、ありがとなの』
俺の呼び掛けに、彼女は自分自身の確信を取り戻したようだった。
もうなにが本当か、わからない。なにもがぐちゃぐちゃだ。あるいはそのぐちゃぐちゃこそが、それこそが本質なのかもしれない。魔力が放たれる。記憶が、すでに俺なのか彼女なのかわからない。いや、記憶なんてどうでもいい。俺が俺である確信がゆるがなければ、それで構わない。むしろ混ざればいい。彼女の想いを、俺が吸い取れたら──それが、きっと最善手なのだろう。
『だめだよ、サキ』
『でも──』
『わたしの記憶はわたしのもの。つらいことも、なにもかも──貴方に背負わせるわけにはいかないから』
彼女の主張に、俺の中に溶けた記憶が本来の在り処へと戻っていく。だが俺と違って、彼女には記憶に実感が伴うのだ。俺が貰い受けたぶんは、その決定的な部分と……最初の記憶。つらくて、いたくて、くるしいその記憶。実感がないからこそ耐えられた。だが、彼女は──
一筋、涙が溢れた。彼女の流した涙だった。それは間違いなく涙だった。記憶に涙するほどの弱さを、彼女はとりもどして──そこで、耐えた。
復讐心はすでに限りなく薄まっている。ただ、俺のほうにどうしようもない憤りがある。
どうして。彼女が堪える必要はない。悪いのは全部、あの男だ。あいつさえいなければ。殺さないと。全部沈めないと。俺にはそれができる。メルゴノアーク──始まりの術式がある。地球を水に沈めることくらい、簡単にできる。彼女の敵を俺が殺す。そうしなければいけない。殺せ。全て水の底に──
──ぉん。
頭に冷水が浴びせられたかのように、俺の怒りは鎮火した。それをやったのはメルだ。危なかった──用意していた自己を保つための秘策も、俺が自分のままに狂ったら意味はない。
彼女の髪が舞う。呪いがどんどんと薄まっている。少しづつ、距離が縮まってくる。手を伸ばせば触れられる位置に彼女が近づいている。──激突。伸ばした手は、わずかながら届かない。
『あなたの名前、なんていうの?』
『僕は……バルガ・ゾラ。中々イカしてる名前だろ?』
『日本の人じゃないの?』
『うん。……そういう君の名前は?』
『わたしの名前は──』
「──
──心臓が破裂した。それこそ言葉の刃だった。
裏切られた、売られた彼女が忘れ去ろうとした、無くそうとして──そして、誰の記憶からも抹消した、名前のない魔女のほんとの名前。破裂した心臓が、しかしなくした名前を思い出したことによる歓喜に埋め尽くされ──彼女、灘華は困惑した。
「なんで」
ありえるはずもない感情に、彼女はなにより困惑している。捨てた名を呼ばれ喜んでいる? 彼女自身が驚きだ。そんなこと、あるはずもないとすら半分確信を持っていたのに。脳みそが崩れた。感情の制御が不可能である。彼女にとって、特別な意味を持つ符号は──無意識の感情を引っ張り出して、炸裂した。
その困惑が、俺に溶けた。俺も困惑する。なんでだろう? 親友に頭を叩かれ、治った。いや叩くなよ。実際には叩かれていないが、そんな文句を言いそうになる。
俺のその感情が伝わって、彼女の目線に文句を言いたげな色が挟まった。だが俺はそれを無視して、差し出したのだった。
手を。
既に、届く位置にあった。確実にだ。彼女の手が、ゆっくりと伸ばされ──俺の手に、被さった。
こころが衝突した。
(だれもいない小さい部屋。まるで牢屋のような部屋。なんでもあるように見せかけて、実のところわたしのほしいものはなにもない──『あって』、『ない』。
──そんな世界は、前兆もなにもなく木っ端微塵の粉微塵にされた。狭い世界は壊された。牢獄のようだと思った世界が愛おしくなったのは、それは──)
溢れた。
俺だったのか、灘華だったのかわからない。それでも、ぽろりとこぼれて落ちた。──あるいはそれは両方だ。
「──そっか。わたしは、これがほしかったんだ。これを──取り返したかったんだ」
「……灘華」
「サキ」
「君は灘華で」「あなたはサキ」
そうして、同時に腕を広げた。抱きしめた。抱き合った。涙で濡れて、濡らして、髪が触れて、体が触れて、境界線がなくなった。けれどお互いがお互いの存在を確信していた。だから混ざらない。決して混ざらない──
俺は村崎引裂で、
彼女は
そう確信して──世界が、ゆっくりと広がった。
彼女の世界には、何もない。部屋と、彼女と、ゾラだけですべてが完結してしまっている。引き伸ばされず、そして自ら引き伸ばすつもりもない。
そんな彼女の小さい世界は、その垣根は──今更になって、壊された。
「──こんな、単純なことに気づけなくなるなんて……やなの」
「そっか。俺も、恨みだけで生きるのは、何もかもを捨てちゃうのはやだな」
「……そうね。サキのいうことが正しいの。わたしは、はっきり間違えちゃった」
「やり直せるって信じてる」
「やり直せるかな」
「大丈夫だよ。反発があるなら、俺が跳ね除ける。俺が灘華のために戦うから」
「……そっか。──そっか」
彼女は、言った。
「サキと、もっと早く会えたらよかったのにね」
「──……俺も。もっと早く、この世界のことを知ってたらよかったと思うよ」
「でも、あなたが持てるものには限度があるから……無理しちゃだめなの」
「──そっか」
今まで、俺が関わってきたことなんて、それこそ数えるほどでしかない。けれどその『数えるほど』のことの中だけで、俺がもっと早くこの世界にいたら──そう、強く思ったのだから、昔からいた俺というのはどういうふうなことを思って、なにをするのだろう。
わからない、けど。
結局、過去は変わらない。なにをしようと──変わることはない、はずなのだ。
本来あるべき姿から逸脱することはない。朝焼けを見ようが、夕焼けを見ようが、変わることはないのだから──
「……そうだな」
望むな。それはこころに傷を付ける。
お前はお前だ。──俺は俺でしかない。なにものでなくたって、お前の正義があるだろう。夢を見て、それに浮かされ、感化され──それを現実に引っ張り出そうとする無鉄砲さこそがお前・村崎引裂の武器なのだ。
「ありがとう」
「……」
俺の言葉に、灘華はなにも言わなかった。どうしたのか、と思い、振り向いた。
──何かが、迫ってきていた。
「ゾラぁ!」
『──そうだね』
ステッキの姿になったゾラが、俺の手に収まった。繋がりが強固になる。術式を展開。放つのは水弾。しかし向かってくる姿は、それを切り裂いて──月面に着地したのだった。
「……引裂さん」
「よぉ、フレン」
──勇者だった。どうやら、地上から月まで飛んできたらしい。
マジかこいつ。
「……考えました。そして決めました。それでも俺は、俺を曲げない。だから──」
そして、勇者は、その力を開放した。
【神代回帰】が月面を侵食する。そして、惜しみなくその力を開放する。
この間戦ったときなんかより、遥かに力強い脈動。そこにあるだけで世界を支配するかのような、そんな迫力。
「だから、その意志を証明してみてくださいよ──村崎引裂ぃッッッ!!」
半ば、絶叫のような声だった。既に世界は掌握されている。宇宙空間だからといって、お互いの言葉に支障などない。
「わかった」
今度は、一切の手加減なし。
どころか──こちらを完全に殺しに来る、万全の状態の
それは闘気を滾らせて、こちらを睨みつけていた。