──興味がない。そう言ってしまえたら、どれだけ楽だっただろうか。
月が消滅した。
それは勇者の先制の一撃が、世界の法則を塗り替えつつ刺さった結果によるものだった。その一撃を回避するために転移で地球に落ちた。正確な座標がわかれば転移は可能だ──とはいえ、どうして灘華が転移を使えなかったかといえば、純粋に術式を知らなかったからだろう。
俺にはゾラからもらった術式の知識がある。世界に存在する、ゾラが知るだけの知識を頭の中に転送されているからこそ転移の術式も扱えるし──自力では展開できずとも、俺の相方がゾラである以上、魔力さえあれば術式は起動できる。
つまるところ、俺の戦い方はゾラ頼りなところがある──ということだ。ゾラがいたからこそ、これだけ多くの術式を扱えるし、最初から術式を難なく扱えた。
しかし、彼女の場合はそうではない。彼女のステッキは意志を持たない以上、魔法の補助はできてもそれは自分のリソースに依存する。
脅威だと思うべきは、そこだ──彼女は杖による正確なバックアップがなかったとて、魔法少女として活動することができた。
必要なぶんの術式を自分で展開できるのだ。俺の場合は、メルという裏技があるからできることを、ただの少女ができていたということがまず驚きなのだ。
空を見上げれば、月は再生されている。結界で、先程の結果は時間の狭間に葬り去られたのだろう。
そして、──空から勇者が落ちてくる。
「サキ」
「逃げろ」
「でも、わたしも戦える」
「安心しろって、負けないよ」
「……でも」
「というか、お前が死ぬのが一番駄目だからな。俺がなんとかする」
「…………」
灘華はそう言って、黙った。ため息ひとつ。そして肩を軽く回し、
勇者が地上の一切を消し去った。
先程まで周囲にあった建造物は、彼の着地と同時に生み出された衝撃によって消滅した。ただの落下の衝撃だけで、こちらの防護を必要とするようなほど規格外な相手。
前回勝てたのは奇跡だ、ということを強く思い知る。勇者と視線があった。その瞬間、怖気を感じてしゃがみこんだ。
そのまま背後の空間は一掃された。それが剣の振りだけで巻き起こされたことだということに気づくのに、遅くはなかった。次の斬撃に対応できたからだ。
一撃を放つごとに、尋常でない規模の破壊が巻きおこる。それが勇者の本気だった。
これで空中にも対応できるあたり、絶対なにかがおかしい。才能だと言って切り捨てるのは簡単だ。しかし、これはそれでは収まらないような──
【神代回帰】を発動する。お互いの領域が拮抗し、勝利のための空間が成立する。世界の法則の方が頭を垂れるその術式は、しかし発動しても圧倒的な力の前では無力だ。そもそもの実力が雲泥の差。100回やって100回負けるような相手が、『必ず勝つ』術式を使うとなると俺には対応しようもない。
だからこそ──こちらも一切の躊躇をしない。
「ゾラ、メル」
『了解……!』
──ぉん。
ぴちょり、と水音。
そして世界が洪水に飲み込まれた。
水が全てを包み込む。これは俺のフィールドだ。そして、自分の体に作用するのはゾラに任せた術式。肉体強化のものである。
これでかろうじて、本気の勇者の動きを目で追えるようになる。そして──メルが勇者の魔力を奪って顕現した。
「────ぉぉおおおおおおおおおおおおおおん」
前回は、力をセーブした体だった。自発的な行動をしない、不完全な顕現。それは俺の力が足りなかったからだ。
しかし今回は違う。メルは完全は顕現を遂げた。
故にそれは、最強の術式の本気である。
「ぉん」
そして、つぅ、と水が溢れた。世界が黒ずんでいく。勇者が血を吐いた。俺にはなにも起こっていない。
メルの術式は効果を及ぼす先を明確に分ける。味方には効果を及ぼさないようにできる。
このままいけるか? と思いつつ、これでは未だ足りない。光を集めて、放出する。それが勇者に突き刺さり、更に空から飛来した夥しい光の槍が勇者を地面に縫い止める。地面が動き、勇者を掴み取った。勇者の体から水が全て抜け出した。干からびた勇者に、水の斬撃が放たれる。それは勇者の堅牢な防御をあっさりと突き破った。世界の全ての水の重みが勇者一点に伸し掛かった。その重みに、地中深くに勇者は消えていった。
沈んだ場所から、勇者が顔を出す。戻ってきた。そして、重みを知りつつもこちらに向かって歩いてくる。
「がっ」
その勇者の体から、血が噴出した。全身からだ。全身余す場所ないところから、彼は血を流していた。
それでもこちらに向かってくる勇者に、ふたたび光の槍が突き刺さった。
──それで、勇者の動きは完全に停止した。
「……死んでる……?」
俺のその言葉に、反応はない。一切の動きを勇者は見せず、困惑する。
どうしようか、困った。俺がそう思った時、手に小さく線がはしっていることに気づく。なんだろう、と思って手を持ち上げたら、指がちぎれた。ちぎれて、落ちた。
「──ぇ」
落ちたのは指だけじゃなかった。腕も、なにもかもが落ちていった。視界が下がっていく。頭も落ちた? 倒れた体で見ていると、そこには胴体だけが浮いていた。
『──』
『────』
なにか、声がする。でも聞こえない。なんだろうか。既に、考えることも、叶わず────
「偶然」と、男は言った。「この世界で起きることの全ては偶然だ」
その真意は測りかねた。
俺はため息をひとつついて、彼が話している相手を見た。
それは幼い少年だった。その側には、世界中のありとあらゆる全てのものが存在していた。だから、その中で少年だけが浮いていた。彼だけが、モノではなかった。
俺はその少年に見覚えがあった。あるいは、あることのほうが当然だ。この世界の全ては俺に理解のできるものになってしまっていた。そういうふうに、されていた。何故だろうか。この全能感だけは、途方も無い違和感を持って俺を締め付けた。糾弾した。
「死ぬのも、生きるのも──全てが偶然でしかない」
そして、男は──ノスタリアは。こちらを見た。
「はじめまして、未来人。僕の世界にようこそ」
──今日も今日とて回る世界をよろしく。
彼はそう言って、無造作に俺の体を掴んで引き寄せたのだった。
「人が在ることは、はじめから全てが偶然にすぎない。偶然の繰り返しが人生ならば──君がここにいることも、ただの偶然にすぎないし。あるいは未来の僕があることも全てが偶然だ」
言っている意味がわからなかった。そんな俺の困惑を見透かしたように、ノスタリアは俺を見た。
俺の体を無遠慮に触るこいつに、反抗する気が起きないのは……これは、相手が無感情に、『ただそうあるべきだから』そうしているといったようなものを思わせて、こちらの気も削がれるからだろうか。
「君はいつの生まれだい?」
「さぁ? 今がいつなのかもわからない」
「そうか」彼は続け、「話せる生命体ははじめてだ。それは何語だい?」
言われて、気づいた。意志の疎通に言葉を用いているが、相手の言葉は聴いたこともないものだった。細かなニュアンスまで理解できているような気がして、俺はその違和感に顔を顰めた。
「……日本語」
なんとか絞り出した言葉だ。
「なるほどね──君の未来では、言葉の統一は成されなかったわけだ。なんでだい?」
「なんで、って言われても……各々の文化が別れてるからだろ」
「ふぅん、そんなことになっているのか。興味深いね。他には何かないかい? 僕が好みそうな話は」
「ない」即答した。「そういうのは、もっと頭のいいやつに聞け。俺は咄嗟には出てこない」
「残念だ」
ほんとに残念そうだった。
「……そこの子は誰だ?」
指さす。ひとつだけ異端なその少年が、一体なんなのか──どうしても気になるのだ。
「術式だよ」即答だった。「正しくあるためだけの術式」
「なんでそんなものを」
「必要だからだ。絶対的な秩序が」
「なんで」
「……僕は」
ノスタリアは言う。
「この世界を管理する気はない。バグも、エラーもあるだろう。それを潰すため……いわば、それは僕の代わりだ」
「……なんで、管理する気がないなんて……」
「長く生きた。そして、これからも長く生きる。僕に死はない。──もう疲れたんだ」
「……なるほど」
その気持ちはよくわかる。疲れて、もう嫌だとなることは誰にだってあるものだ。俺も経験がある。
「……君、体を作り変えてるね」
と、彼は突然そう言った。俺の腹を撫で回したあとの言葉だ。
「元は男の体だったのか? ……君、そういう趣味があるのかい……?」
「違うんだけど!?」
少し気まずそうに言ったノスタリアの頭を叩いた。
今度ゾラを曲げる。
これは夢だ。あるはずのない夢。ありえない偶然の果て。
けれど、俺はたしかにそこにいた。
──元の時間軸に戻るその時。
ノスタリアは俺に言った。
「君は世界の異物だよ」
──それは。
一体、何を意味していたのだろう。
意識を取り戻す。
先程のことなんて、なかったかのように──全てが巻き戻ったかのように、世界は最初の姿を見せていた。なにが起きているのか、あるいは起きていないのか──そんな疑問を待たず、勇者は剣を放った。消し飛ぶように、その場の水だけが消え去った。
途方も無い違和感。それを感じながら──なんとか勇者に対抗するために水の斬撃を放つ。当たった。その体を後ろに跳ね飛ばした。しかし俺の体にヒビが入る。まただ。また崩壊した。体がぐちゃりと潰え、そして死に至る。
だが再び、巻き戻った。世界は先程と同じ姿を見せていた。
『────』
おかしい。なにもかもが狂っているような。なにかを違えているような。そんな思いがして絶えない。勇者に接近戦を挑んだ。あっけなく敗北した。彼に殺されるよりも先に、自壊して死んだ。
──狂っている。世界が、か。あるいは認識がか。すでに俺は死んでいるのだろうか。これはひょっとして死後の世界だったりするのか?
そんな疑念が起きるほどに、俺は勇者と向き合い、そして死に続けていた。
選択を間違っているのか、あるいは俺にはどうすることもできないことなのか。いつまでこれが続くのか。
3年ほど、同じ時間を繰り返した。もしくは一瞬だった。現実味が世界から失われていた。これは時間のズレなのか。
意識を共有しているはずの親友の声も届かない。何が起きているのだろうか──わからない。わからないのだ。
あるいは、これは全て現実であるようにも思えてくる。世界が狂っているのではなく、俺が狂っているのだと理解が追いついてきた。なるほど、そういうことか。自分で自分の頭を潰した。元通りだ。いままでにない動きでも、当然のようにそこに現実は横たわっている。俺のあがきなど効果はないかのように。
『────』
だれの声も聞こえない。ただ、死に続けている。俺は死に続けている。その事実だけがある。間違いなく、俺は死んで──死んで、死んで? それがどうしたのだろう。体の痛みはもう慣れた。足が千切れても、もう動じることはない。
そうしていると、気づくことがある。世界の綺麗さについて。
それが唯一の娯楽になる。綺麗だ、と思って、眺めて──それを何度か繰り返して。
ちょっとずつ、わかってきたことがあった。世界の構成だ。世界そのものが、どういったものなのかがわかってきた。
理解が及ぶようになると、それを分解できるようになってきた。世界が俺に屈服するかのように、世界自体が俺に従い始める。どうにでもできる。
持っているステッキなんて不要だ。そんなものはなくても、もう術式は利用できる。十分以上に。
一万年は経っただろうか。あるいはまだ、一秒すら過ぎてはいないか。
勇者に勝てるようになってきた。そのあと自殺する。それが目的じゃない。今はそんなの、もういらない。名前は忘れたが、あの神様のいた場所にいたときのような全能感がある。
『────』
わずかに頭に走るノイズ。それを吐き出した。目が覚めるような気分だ。最初からこうしておけばよかったのだ。
理解した。なんにだってなれるし、どうにだってできる。
理解した。
「──つくりなおそう」
だから、そうすることにした。
あの神様が言っていたことは、結局こういうことなのだろう。
俺は世界の異物だ。いわばバグだ。
世界から外れているが故に──拡大解釈する。
世界の全てを知った。それでいて、世界から外れている。
それは──神という存在に、他ならないのではないか?
異変は、一瞬だった。
勇者・フレンと魔法少女・村崎引裂の戦闘は開始早々に異変の色を察知する。
村崎引裂の体に勇者の剣が通り、両断。それで呆気なく終わったはずの話。
だが、そうはならなかった。体が千切れ、死を待つだけの体で──少女は、勇者の体に触れた。
それだけだった。勇者・フレンの体は爆散し──地に伏す。
ほんの一秒前まではありえなかったはずの光景。彼女に投げ捨てられたバルガ・ゾラはステッキの体から生身に戻り、信じられないといったように目を見開いている。
神薙灘華は目の前の少女が自分の知る彼女とかけ離れた存在であるように見えて、ステッキを構えた。
そして、渦中の村崎引裂は。
「つくりなおそう」
そう、宣言したのだった。
それは一体どういう意味か──と、理解するより先に、異変は始まった。世界の在り方が変わっていく。法則が終わっていく。必然性を得ていたものが偶然性すら喪失し、ありとあらゆる道理はひとりの前に屈服する。
「魔法なんていらないね」
ありふれた奇跡が消滅した。
特別な力は全て消滅し、術式の概念を世界が喪失する。
巨大な鶴が消滅した。祝福を告げる龍はいなくなった。魔法少女はただの少女になった。勇者もただの人間になった。魔王もただの人になった。
世界から特別な力が消えた。仙人も、なにもかもが消え去った。
神は超常が否定された世界から姿を隠す。
『──ぉん』
そして、悲しげにひとつ鳴いて──始まりの術式さえ、消え失せた。
そして、村崎引裂は。
自身の起こした結果にため息をついて、雲の向こうへと消えていった。
ある意味で、世界はあるべき姿に戻った。超常は死んだ。帰ってこない。
聞き慣れたインターホンの音。家主はいない。帰ってこない。鍵は不用心にも空いていて、入ったら少しばかり少女らしい趣味が男子らしい趣味と混在したリビングが見える。人の気配はない。誰も帰ってこない。
部屋から出て、ヘルメットを被る。どこにいくというわけでもない。なにをするというわけでもない。ただ、惰性にも似たなにかだ。
──たった1週間で、世界はこうまで変わるものか。
家に戻る。扉を開けて、部屋に入った。
「あ、零時さん。おかえりなさい」
「ん。おかえりなさい、なの」
「ちょっ……あー!! メル!! やめてやめて僕を噛むのヤメテ!?」
「ぉん……ぁぅぁぅ、にゃ」
「鳴き声おかしいってぇ!?」
途端、やってくる声。ため息ひとつ。
──世界は変わった。だが、変わらないものもある。
だから、時峰零時は。
「ただいま」
・今回のサキちゃんに起こったこと
死にました。
今度は意識体だけどっかに向かわせることのできない状態、ということで時が巻き戻りました。
ゲームオーバーでセーブした地点までやり直すのに似た状態ですね。
それで、サキちゃんは何回も本気の勇者と戦って死にまくって、途中で擦れました。クソガキ化。
何回もゲームオーバーになって何回も巻き戻って、ってしているうちに世界の法則に目を向けるようになりました。サキちゃんは全部のことを知ってる感覚を知ってるので、それとすりあわせる感じです。
そして世界の全部を知るうちに、サキちゃんは一つの結論を出しました。「個人で戦う手段がなかったら全部解決なんじゃね」と。
だから魔法とかを消したわけですね。長過ぎる時間が経過して、今まであった人のことなんてとっくに忘れてます。だからこんなことができたんですね。
だいたいこんな感じのこと。「ノスタリアとの会話」は実際はこのお話が始まってからどこかに挟まった話です。それが今のサキちゃんの認識と絡まってるだけなのです。だから、実際はもっと昔にあった会話だったり。
つまり簡単に言うと:サキちゃん、闇落ち。ラスボス化。